十字架の意味
2020. 11. 29.
白寅天
n ルカ 9:23, 14:27
イエスは,みなの者に言われた.「だれでも私について来たいと思うなら,自分を捨て,日々自分の十字架を負い,そしてわたしについて来なさい.
自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は,私の弟子になることはできません.
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弟子とは自分の十字架を負って主に従う人生を過ごす人です。聖書では70回の以上で十字架について記録しています。十字架はローマの時代に、死刑囚の中でも一番激しい苦しみを与える刑罰の方法であり、主はこの十字架の死刑を受けてなくなりました。この十字架にはいろいろな意味があります。それを何項の項目として整理します。
1.文字的に、主が死なれた死の場所と道具
2.私の罪の支払いが主の死によって支払った場所と象徴
3.私の昔の者が主の死と共に死ぬべき場所、またこれは新たな人生のために主と共に生きるために(ローマ 6:6、カラテヤ 2:20)
4.私たちを責め立てている債務証書を無效にされ、この証書を取りのけ,十字架に釘づけにされた。また、すべての支配と権威の武将を解除してされ、十字架によって勝利された。(コロサイ 2:14-15、カラテヤ 3:1)
5.敵となった神様との和解を成し遂げ、また、イスラエルと異邦人を一つとなるようにする。(エペソ 2:16)
6.神の御子としてキリストの服従の姿(ピリピ 2:8)
7.キリストの十字架は、この世と私が互いに付けられる場所(カラテヤ 6:14)
十字架でわれらの生まれ変わりと新たな人生のすべての霊の法律的な過程が終わりました。それは昔の者に対する支払い、律法に対する証書、悪魔の武将解除、和解などを成し遂げられました。私が背負ってつけられるべき十字架で主が代わりに付けられました。多い人々は主の役割は十字架に私の代わりに付けられること、私はそれに感謝することと思う傾向があります。しかし、その十字架は私がキリスト共に付けられるべきところです。なぜなら、十字架に付けられることによって私の生まれ変わりと新たな命が始めるからです。それで、主はこの自分の十字架を日々負って主に従うことを言われます。毎日主の十字架を負い、共に付けられる弟子の人生を過ごせますようにお祈りします。
【教会通信】
・主の日が近づいているのを見て、主が清くあられるように自分を清くする人生を過ごせますように、このために、毎日真の悔い改めをもって自分が主と共に死んで、主が生きて、霊的なバビロンから離れることが出来ますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日、主の部屋に入って主との深い交わりの中で主に会う人生を過ごせますように。また、恐れおののいで御霊様の導きに従って自分の救いを達成する人生を過ごせますように。
・兄弟姉妹たちが、毎日主の十字架を負い、主と共に付けられ、従う主の弟子の人生を過ごせますようにお祈りします。
・矢口兄弟が引越しが良く出来たこと感謝し、旧宅の整理や新宅の片づけが良く出来ますように。
【お祈り下さい】
・教会の兄弟姉妹たちが主の花嫁として準備されますように。このために、いつでも目を覚まして主だけを愛し、主の至聖所に入り、感謝と賛美の祈りを通して主を経験する人生を過せますように。また、主の軍人として御言葉の剣と信仰の盾を持って、サタン、この世、また自分の罪との戦いで勝利する人生になりますように。
・主の愛に励まされ、隣人を愛し福音を伝え、主が定められた霊魂が主に帰ることができますように。主を信じてない、隣人、親戚、友達の心を準備して下さいますように。
・主の教会が御霊様の力によって、自分の罪を悟って、へりくだる真の悔い改めができますように。また、御霊様の導きによって自分を捨てることが出来、狭い門に入る人生が過ごせますように。