わーくすてーしょんのあるくらし ( 386)
大橋 克洋
katsuhiro.ohashi@gmail.com
わーくすてーしょんのあるくらし ( 386)
大橋 克洋
katsuhiro.ohashi@gmail.com
東京にめずらしい線状降水帯にけぶるスクエア荏原
生きる上で「遊び心」こそが重要ということは、このコラムを書きはじめた頃から唱えてきたこと。私の信条です。だってたった一度の人生、楽しく生きなきゃつまらんでしょ、そして「楽しく生きる」ことは「すべての障害を無理なく乗り越える力」を与えてくれます。
父親のガレージで仲間と Apple 社を立ち上げ、現在の Mac コンピュータや iPhone などを創った Steve Jobs は2つの日課を大切にしてきたそうです「遊ぶこと」「探求すること」
これにより「ほとんど努力せず、生産性を高めることができる」と科学的に証明されているそうです。遊びはストレスを軽減し、楽観的感情を高め、認知的な柔軟性を向上させる。これは遊びや探求が、既成概念にとらわれず、現状を超えて物事を見たり、問題解決の訓練になるから
成長するにつれ遊びや探求から遠ざかってしまうと「既成概念で考え経験の枠内だけの思考になってしまう」ため「できること」の追求が困難になる。「遊び心」により「既成概念にとらわれず、革新し、成果を生み出す能力を養うことができる」のです。頭を使わず、ただダラダラ過ごすのは「遊び」ではありません。目を輝かせ、楽しくてたまらない、頭をくるくる回して工夫、場合によっては命をかけて、と言うのがここで言う「遊び」です。
最近ふと姿勢が気になりました。椅子に座っていても、ちょっと首が前に出てるんじゃないか? 先日の馬術部祝勝会でマイクを持って挨拶する自分の写真を見ると、明らかに首が前に出る老人特有の姿勢。こりゃいかん、顎を引くようにしてみましたが、どうも自然な感じにいかない。1日の多くの時間、椅子に座り TV の録画番組を見て過ごすのが良くないのは間違いない。体幹の筋肉維持のため、書斎では大分前から椅子でなく、以前使っていたベンチプレス用ベンチに座るようにしています。背もたれがあると体幹を維持できないため。ところが最近それでも背筋が衰えてきたのか、長時間になるとつい背もたれのあるオフェイスチェアに移ってしまうのも大きな原因に違いない。
なるべく顎を引くようしてみるのだが、海軍士官のような綺麗な姿勢を自然にとることができない。数日悩んでいるうち、ふと思い当たりました「そうか、顎や首だけ後ろに引こうとしているから駄目なんだ」「それは胸椎が曲がった姿勢から来ているはず」「胸を開いて胸椎を真っ直ぐに」と意識することにより、首も自然に真っ直ぐになることに気づきました。このような姿勢、無理やり筋肉を引き締めてやるのは自然でなく持続性がない。中国武術の練功で悟ったように「上半身全体を自然に脱力し、その重力全体を骨盤の上に乗せる」。これで自然な良い姿勢を保つことができる。これを意識していこう。
連日の猛暑日が続くなか、早朝散歩もショートカット1、2キロで終わる日も多く、月間歩行距離はかなり少なくなりそう。湿度が非常に高く歩いている時は余り汗をかかないが、帰宅して空調の部屋に戻ると顔からどっと汗が吹き出す。水道の水で顔をざぶざぶ洗ってさっぱり。さて、そんなことで距離の延びないのを何とかしようと。TikTok で江戸時代の歩き方、いわゆるナンバ歩き、馬術用語でいえば側対歩をやっていました。「右足を出す」感覚ではなく「右半身を持ち上げる」感覚。今朝は、そんな感覚で歩いてみました。その結果は TikTok で言われるコツとは感覚的にちょっと異なるものの効果あり。
「足を前に出す」のではなく「半身ごと持ち上げ前に置く」意念は TikTok と同じですが、着地は地面にドンと着き、弾力でやや跳ね返る感覚(リズミカルな音楽をききながらが良い。SPEED デビュー当時の曲が非常に具合が良かった)。この弾力が次の歩への原動力となる。この時、全身はなるべく脱力(て言うか、老化で体力が落ち脱力せざるを得ないのだが)。こうして今朝は、久しぶりに7キロ、疲労感少なく歩けた。考えてみるとこの歩き、以前「軸足をしっかり大地に踏ん張り、反対側の足を前に出しても身体がフラつかない感覚」と表現していたものに通じる。 で、今朝歩いていて、この「半身ごと持ち上げて歩く」を簡潔に表現するには 骨盤で歩く が解りやすいかなと思いました。
軸足側の骨盤で体重を支え、反対側の骨盤を持ち上げるとその側の足が持ち上がり、その足が反動で前方に着地する。この動作をリズミカルな音楽を聴きながら弾力的に行うと、疲れた身体も弾みながら楽に進む。軸足はしっかり大地に着地、身体がふらつかぬよう。
このような意念で歩くことは、20年近くにわたる「歩術の研究」の集大成のようなものと言えるかも、、以前試みていたモデル・ウオークにも繋がる感覚もあると感じました。
これについては前にも書いたように、私は「核家族化」が大きな要因の一つと考えています。核家族化する前は、お爺ちゃんお婆ちゃんはじめ同居する多くの家族が子育てを補助してくれ、逆に子供と接することにより癒しや生き甲斐をもらうこともできた win win の関係がありました。東南アジアなど今だに大家族で暮らしているところでは子供の数も多い。もちろん貧困などとの関連もあるとは思います。
と考えてきたのですが、ここにもう一つの要因を読み「なるほど、それもあるかな」と。実業家の堀江貴文氏が「国民は経済的不安で将来に不安をかかえ、子供を産み控え少子化が加速する」という説に対し「国が豊かになって、子育て以外の楽しみが山のようにあるからですよ」と言及。東南アジアなど大家族で暮らしてきた人達が、生活が豊かになるにつれ子供達は親から離れて生活するようになり、その子供の数も以前のように多くなくなると言うのも、この理屈だなと、、
しかし、私は考えます。生物が生きる唯一の目的は「自分が生き続け子孫を残すこと」「もし自分自身で子孫を残せなくても、子供を産み育てることを助けるのも子孫を残すこと」であるはず。昨日の TV ドキュメンタリー、地球上各地の森の中などで色々な生き物たちの親が、自分の身を犠牲にして懸命に真摯に子育てをしている姿を見て、ますますその意を強くしました。
これが二の次になるってことは「その種が絶滅に向かってまっしぐら」ってことでしかないんじゃね?
日本がもう80年もの間、戦乱のない平和を保ち、国民的にも世界に誇れる礼儀正しく・穏やか・知的・高い生産性などを保ってきたことはとても嬉しいのですが、最近ちょっと気になることがあります。コンプライアンス問題など、悪いことではないのですが、もう少しホドホドにしても良いんじゃない?って思うことが、最近チョイチョイ気になります。数年前 TOKIO の山口君が羽目を外して芸能界から干されたことを書いたことがありましたが、先日は国分君がコンプライアンスに反する事案で問題になり、TOKIO は即刻解散に至りました。今年初めから話題をさらっている元SMAP 中居君の性加害疑惑の波紋は大きく広がりフジテレビの存続問題にも関わってきそう
その他 多々ありましたが、「(傍目には)たった一言」で職を失う事案がごろごろ「怖い世の中になったね〜」。純粋で真面目な日本人も、この辺で踏みとどまらないと今度は逆効果の面の方が大きくなるんじゃないの?
私の世代の人間からみると「世の中、もっと大らかであって良いんじゃないかなあ」と思うんですが、それがジジイってことなんですかねえ、、昔はもっと豪胆な人も多かったんだが
この命題、少子化とともに時々ここに書くことになるのでしょう。
田原トシちゃんが、番組の中で女子アナの手に触れたことが炎上して問題になりました。コンプライアンスに触れると言うことで繰り返し散々叩かれました。炎上した理由には彼がこれとともに口にした下ネタがあり、この話題に触れるとき、必ずその下ネタの具体的内容を紹介しつつ非難しています。
これって、おかしくないですか? 下ネタを若い女性に向かって喋ったのが問題と言っているのに、それを非難している人間が下ネタそのものを具体的に公開しているという。何で繰り返し色々な所で下ネタそのものを具体的に紹介している連中は問題にならず、発信源のトシちゃんだけが責めの対象になるの?
まあ、他人のことを声高に責める人間に限って、必ずと言ってよいほど自分自身はちゃんとした生き方をしていない。世の中、そんなもんだよね。
トシちゃん、この問題について公開の席で謝っていましたが、その謝り方がいかにもオジさん的というかトシちゃん的で、それがまた誠意がないとか反省がないとか揶揄されていました。私自身は下ネタ好きでもないし、男の仲間内ならともかく妙齢の女性の居る所で話すのはよろしくないと思っていますが、ちょっと前まではそんなこと普通の景色だったのにね。
鬼の首をとったかのように他人のコンプラ違反を責める連中も、決して上品とは言えないね。男ならもっと気骨ある言葉・態度で生きろ!!
SNS で誰彼かまわず思ったことを無責任に発信、それを見てこれまた無責任な発言を重ねる、という理屈で「無責任な発言ほど広がり、大きく広がった意見は事実と見なされてしまう」と言う悪習。チマチマしたことで他人の揚げ足をとる。何とかならんのかね。最近の世の中に「武士の情け」は無くなったのか、女性化してしまったように思うんだが、、なんてこと書くのも今ではコンプライアンスに抵触ってことになるのかな、桑原クワバラってか、、
私はインターネット実現への実験の時代から関わってきました。当時ここに関わっていたハッカー達(並外れ優れた技術を持ち、皆から尊敬される存在の人物がハッカーなのに、マスコミにより誤解釈されてしまった。悪いことをする奴らはクラッカーと呼ぶのが正しい)は「世界を繋げるインターネットを実現し、皆で快適な生活を送れる世界にしよう」と頑張ってきました。そんな彼らの世界は性善説、ネット上の発言はあくまで実名で責任を持った発言を交わすのが当然。前向きでエネルギッシュ、創造的な仲間ばかりのとても楽しい世界でした。
やがてインターネットが実現 それが一般化した途端、そこで不特定多数が意見を交わす場では、実名を隠しハンドルネームで意見を言い合うことが珍しくなくなってしまいました。これは私が予想していたことでもあったのですが、インターネットの実験が始まるころ一般に普及をはじめたパソコン通信では、匿名で意見が交わされ SNS 同様かなり無責任な意見も多かったのを見ていたからです。
そんなことから、実名で意見を述べる facebook の登場には期待があったのですが、歴史が進むうち期待どおりではなくなってしまったようで残念。性善説で暮らせる世の中の方が、余計な気を使ったり、セキュリティーなんてものに多額のお金がかかったりすることもなく、楽しく心豊かに暮らせるのにな〜
20日に参院選が行われ、自民・公明の議席数がさらに減少、国民民主党・最近結党の参政党が大きく議席数を伸ばし話題になっています。今回の選挙にあたり、党ごとに SNS を参考にしたかどうかの調査結果が発表されました。それによると SNS の参照が明らかに少なかったのは自民・公明・立憲、それ以外の野党の多くでは SNS を参考にしたという意見がダントツに多かった。特に20代・30代では顕著。
これは新しい時代を反映した変化ではありますが、非常に危惧される側面も大きいと思います。それは、特に芸能界・政治などに関する SNS の内容はフェイクそれも悪意に基づくものが非常に多いこと。そして、得てして「良いニュースは余り拡散されないが、悪いものは驚異的スピードで拡散してしまう」という SNS の特性。この悪い内容の拡散は「真偽のほどや内容の良し悪し」はどうでもよく、単に「センセーショナルであるかどうか」によるということ。
政党当事者が公開する web site や、ちゃんと裏をとって報道するマスコミの記事を参考にするのは良いが、無責任な内容かどうかもわからない SNS の内容を参考にして判断するというのは、余りにも脳がない、非常に恐ろしいことと思います。トランプにより顕著になり世界に広がりつつある このような傾向が、ついに日本にもやってきたかと背筋の寒くなる思い。どうか日本人には「分断化の悪弊」に陥らぬ常識と知恵を維持していて欲しいと祈うものです。
現代日本では完全を目指そうとする結果、枝葉末節にこだわり過ぎる傾向がどんどん高まっているように思います。これに関連するものとして、2009年7月に「現代の日本人の考え方はちょっと変?」と、こんなことを書いています。
「自然界」は、常に「安心・安全」を追求してきた。しかし 自然界がとる手段は、現代日本人のそれとは逆で「個々の機能はほどほどに」「機能や個体の分散を行い」 「完全性をめざして、適度な不完全を」、最終的に、その方が ずっと達成率が高いからでしょう。
安全のため、子供には「鉛筆削りのナイフを持たせない」 「木登りさせない」「棒倒しなんて危険なスポーツはとんでもない」。 それは逆でしょう。本当に自分の身を守れる、 安全な人生を送れる人間を作るには 「擦り傷や、ちょっとした切り傷くらい経験しなければ、 身を守る能力がつかない」。
もう一つの例として、Google の考え方 「信頼性の高いハードウエアを1台持つより、 信頼性はさほど高くなくてもハードを2台持つ方が、 全体の信頼性はずっと上がる」「不可能なことは適度に無視」など、 非常に賢いと思います。
これを深刻な実体験を通し実現している例があります。それは厳しい状況でロシアの侵攻と戦うウクライナ、ロシアの豊富な戦力に対抗するため苦し紛れから始まったであろうドローン戦術です。
ロシアからの夥しい数のミサイル攻撃に対抗するには、これまた夥しい戦費を必要としますが、非常に安価で大量に生産可能なドローンで対抗する戦術を編み出しました。数年にわたる戦訓からこれが極めて効果的であることが立証され、現代の先端的な戦い方となっています。つまり「精密で高度、高額な技術に一点投下」するより「適度な精度、安価な技術を大量に使う」方が、効果はずっと高い。