2014.04 難問は分割せよ

わーくすてーしょんのあるくらし ( 254)

2014-4 大橋 克洋

沖縄でみかけた名も知れぬ花、雨上がりの緑との とりあわせが綺麗ですね

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◯ 難問は分割せよ

このような言葉を見つけました。なーるほどね、確かに。ソフトウエアを開発していて、なかなか解決できない問題にぶつかった時、自分がやっている対処法は「問題を部分・部分に分け、取っ付き易い部分からやっつける」

全体を見ていても頭がこんがらがってくる問題でも、取っ付き易い部分から氷山の一角を崩してゆくようにやっていくと、そのうち「毛糸のセーターを解く」ように問題は氷解します。人生も同じ。あきらめず、焦らずやっていると、そのうち何とかなるもの。

◯ 今月の歩術

先月末から今月にかけ2泊3日で沖縄へ家族旅行をしてきました。今までは飼っていた犬が臆病でペット・ホテルにも預けられないため、家を空けることができなかったのですが、昨秋亡くなったので、この機会に家内・娘と三人で旅行をしようということです。

私も Seagaia meeting で2回ほど沖縄へ行ったことがあります。今回はプランニングから全てを家内達に任せ、レンタカーも娘と家内にお任せ(昔は車大好き人間で、運転はもちろん車のカスタマイズなどに凝っていた私ですが、いつの間にか運転しなくなっています)。出発前に強風と雨に襲われた沖縄ですが、我々の飛行機はその低気圧とすれ違いちょっと揺れましたが、沖縄到着後ニュースを見ると東京は雷雨と強風で大変だったようです。2日目は良いお天気に恵まれ、最終日のみ雨でしたが、それも歩く時間帯には雨もやんだり小降りになるなど。行いの良かったひとは誰?

そんなことで、旅先では本格的「歩き」にアタックすることはありませんでしたが、名護城跡を見ようと長い階段を上がった後、数日間ふくらはぎの強張りがとれません。登りより、下りが効いたようです。ちょっと足の使い方に失敗したな。私の歩術の研究では、下りでも踵をなるべく上げず足底をベッタリつける、つまりふくらはぎに余り力を入れない歩き方の方がよいはずという結論に達しているのですが、余りにも長い階段でつい踵を上げる普通の歩き方で降りてしまったのが敗因でした。

◯ ストレスへの対応

4年ほど前「機能維持に必要な適度なストレス」と書いたことがあります。スーパー・プレゼンテーション「TED」を見ていたら同様のことを言っている人がありました。こちらは本当に緊急時などのストレスの話。大勢の試験官の前で顔が火照り心臓がドキドキしているような時「ああ心臓が頑張って働いてくれているんだな」と思うことで、心の持ちようは随分違う、というようなことでした。なるほどね、、

映画「ザ・ロック」でしたっけ、ニコラス・ケイジの演ずる主人公が猛毒ガスの装置を分解しながら「ストレスがあるほど、やる気がでる」と盛んに自分に言い聞かせていたのを想い出しました。

私は「ほどほどのストレスは、やる気エンジンにくべる燃料」と思ってきましたが、さらに踏み込んで「冷静さを取り戻すための心の持ちよう」という角度からの考え方もあるんですね。自分を省みると「まだまだ修行が足りないな」と思うことも少なくないので、もっと精進しなくちゃね、、

◯ 今月の脳トレ

ちょっと技術的話題になりますが、自分用メモということもあります。

1ヶ月近く入れ込んでいた開発が一段落し、電子カルテ NOA 最新バージョンをリリースしました。根本的改装となったもののひとつはユーザさんからのリクエストによるもの。NOA ではカルテ本体画面右側に、ツール・エリアと呼ぶ縦長の補助画面があります。ここには住所その他の基本情報や健康保険情報が表示されるのですが、検査伝票や処方箋など周辺ツールを表示するためにも使われます。その場合、画面は完全に上書きされ置き換わりますが「周辺ツールを使いながら基本情報も参照したい」というリクエストがありました。

基本情報を別パネルで表示など、実現方法をいろいろ考えてみました。しかしどれもイマイチ気に入りません、そこで浮かんだアイデア。ツール・エリアに表示される保険情報・基本情報などは、夫々1枚のトランプ・カードのようなデザインになっています。「その上方にもう一枚カードを足せばいいんじゃ?」というアイデア。

その実現方法でまた試行錯誤。問題は「基本的に周辺ツールは独立したアプリであり、ネットワークの彼方の Web アプリでも良い」という NOA のコンセプトを貫くこと。そのため「ツール・エリア」は HTML の FRAME という技術で実現しています。FRAME の中には独立した Web 画面を表示できる。しかし、一昨年通ったデザイン学校の授業では「もう FRAME を使うのは古い」のだそうで「では何を使うの?」というと iFrame だそうです。

で、初めて iFramae の実装に取り組むことになりました。出てきた問題は「iFrame だと最初に縦横サイズを規定しなければならない」こと。私のデザイン・コンセプトでは Web の利点を活かし「ブラウザーのサイズがいかように変化しても、電子カルテ内容の各サイズは柔軟に追従する」というものですが、iFrame ではひとまず目をつぶるしかないかなと。

ま、そんなことで、自分的にはちょっと我慢を強いられる面もあったのですが、仕上がったものを見るとまあ満足いくものとなりました。iFrame の固定サイズ問題「いずれ根性入れる時間があれば裏ワザで何とかなるかな」ということもあったりして、、

◯ 歴代のマシーンを一気に処理

歴代の使えなくなったマシーン、セミナールーム片隅に置いてあったのですが、余りにも多くなってきて流石に処分することにしました。一番右は私にしては珍しくハズれて購入3年目で画面表示が乱れるようになり高い修理代に修理を断念した iMac、その手前に電池がパンクしお正月の切餅のように膨らんだ MacBook Air などノート・ブック3台、その左が初代 iMac、TV 兼用で長年貢献したパナソニックの CRT、NeXT が Apple に買収され最初の MacOS ラプソディーを載せた PowerMacG3/MT266、PowerMac G3、PowerMac G4、Brother のレーザプリンター、その向こう側にも CRT、液晶デイスプレイ、プリンター、しょうもない Windows マシーン、外付け HD などゴロゴロあります。

車で流してゆく不要品回収の声を聴くたび、呼び止め処分を頼もうかと思っていたのですが「ヤクザさんがやっているのがある。後から法外な費用を請求されることがあるので、ヤバイ」と聞きました。そこでネットで検索してみつけたのが、文字通り「パソコン回収.com」という会社。週刊アスキーの記事を読むと、ここは真っ当な会社のようです。ここに依頼することにしました。IT 機器に使われている希少金属を回収し利益を上げることにより無料で引き取ってくれるとのこと。会社によっては宅急便で送りつけなければならないところもあるようですが、ここは頼めば回収に来てくれるのも有難い。

早速電話してみました。感じのよい電話応対でしたが、回収日の決定だけで時間指定まではできないようです。そして予定した日の昼頃、回収にきてくれました。感じの良いお兄さんがひとり。モデムなど細々したものも含め、綺麗に持って行ってくれました。大分前にも多くのマシーンをまとめて処分したことがありますが、今回は1978年から始まった私のコンピュータ人生の後半、このコラムにも登場してきた1998年以後のマシーン達。

◯ ALWAYS 三丁目の夕日

CRT から液晶ディスプレイへ移り変わる時代の状況をこのコラムにも書いてきましたが、これで CRT は一掃され一台もなくなりました。いつの間にかフロッピーを扱える機器がひとつも無くなったのと同様、時代は変化してゆくのですね、、

TVで「ALWAYS 三丁目の夕日」という映画を観ました。これで三度目くらいかな。東京タワーの工事や東京オリンピックの時代ですから、私の高校から大学へかけての時代。私の人生のピーク、青春まっただ中の時代でした。映画で描かれる日常生活のレベルは、もうちょっと前の時代じゃないかなあと思いますが、いずれにせよ十年はズレていないでしょう。戦争直後のシンプル・ライフと比べれば、自動車や白物家電、 TV が普及しはじめた頃、新幹線が走りだした頃で、当時としては大分近代化が進んできたように感じていましたが、今と比べればずっとシンプル・ライフだったんだなあと、、

あの頃の生活を知るものにとっては、時間の流れもゆるやかで、何かホッとできる感じがします。私の初めてのマイカー、空冷水平二気筒のトヨタ・パブリカ、それも私の持っていたのと同じボディーカラーのやつがでてきてとても懐かしく思いました。思いがけず昔の彼女に巡りあったような。映画ではパブリカ独特の空冷二気筒のエンジン音が普通のエンジン音になってしまっていたのが、とても残念でした。あの頃、音を聴くだけで「あ、パブリカだ」と解ったのにね、、

CRT やフロッピーがフェイド・アウトして行ったように、色々なもの、色々な人々がやってきて、またいつの間にか消え去ってゆくのを思うとちょっと感傷的になります。

◯ 初代 iMac

私が初めて手にしたパソコン PET2001、最初の市販 Apple マシーンApple ][、初代 Macintosh、初代 NeXT Cube などは廃棄せず永久保存となっています。そういう意味で初代 iMac も永久保存の権利を持つのですが、私的には余りにもチャチイので廃棄としました。

Jobs が NeXT 社をたたんで Apple 社の暫定 CEO となって初めて世に出した製品がこの iMac でした。「買ってきてダンボールから出して電源ケーブルを繋げば直ちに立ち上がり、イーサネットを繋いで簡単にネットワーク設定が済み、すぐインターネットに繋がる」というウリ、そのままの画期的マシーンでした。低価格なのも Jobs の作品や Apple 製品としては画期的。長年私が所有したマシーンの中でも月あたり単価が最も安いマシーンの一つ。

しかし実働実績はというと CPU パワーや画素数、画面の広さなどパフォーマンスのチープなことから、私的にはまったく使えないマシーンで貢献度は極めて低かった。私が必要としたのは開発に必要な CPU 速度や高精細な画面でしたから。

私が買った理由は、インターネットでメールなどを使い始めた家内や娘にも使えるようなマシーンをということでした。Jobs の作品にしては、当時のハマグリ型ノートブックとともに珍しくチャチイ製品というのが私の評価ですが、世の中に果たした革命的効果の大きな記念すべきマシーンと言えましょう。iMac 効果のもうひとつは、カラフルなシー・スルー文化。これを真似て文房具や雑貨に同じようなデザインの製品が世の中にあふれました。

Jobs が世に出した作品の中で、この時期のマシーンだけが極めてチープな感触、Jobs らしくないというのも、今まで高品質・高価格の NeXT マシーンを作り出してきた経験を踏まえ、当時の IBM 互換機に比しこれまた価格の高かった Apple 社の製品価格を思い切って下げ、一挙に普及を図ろうという意図だったと思います。目論見通りの大成功を収めました。ここに初代 iMac の世に果たした功績を讃え、Web 上に永久(?)保存とします。

その後、そろそろ液晶ディスプレイが普及しはじめ「いずれ液晶 iMac が出るに違いない」と思っていたところ出てきたのが、半球形の台座に首振り液晶ディスプレイを備えた iMac 。現在も現役で、当院の受付マシーンとして活躍しています。今年で12年目に入り約30年に渡る私のコンピュータ歴で、もっとも長寿のマシーンとなりました。私の所有するマシーンとしては最長不到距離を達成するマシーンとなること間違いありません。

◯ Steve Jobs へ実の妹からの追悼

Jobs の伝記の発行後追加された Jobs 終焉にまつわる最終章から、、

Jobs の実の妹であり作家のモナ・シンプソンは Jobs を送る追悼文を用意しました。

「兄は激情の人でした。病と闘っているあいだも、兄の美的感覚、 兄の慧眼、兄の見識は揺るぎませんでした。67 人も看護師を替え、 気持ちが通じる人をみつけたのです」 彼女は、ジョブズが仕事に注いだ愛情にも触れた。

「死ぬ前年にも、新しいプロジェクトに取りかかると、それをちゃんと完成させるうようにアップルの友だちに約束させたのです」 私生活の面では、彼はローリーンと4人の子どもたちを深く愛していたと訴えた。長男リードの高校卒業まで生きるというジョブズの願いは成就されたが、娘たちの結婚式に立ちあうことはかなわなかった。

「私が結婚したとき、バージンロードを一緒に歩いてくれたのは兄でした。兄は、同じように娘たちとバージンロードを歩きたい――そう思っていたはずです」 だが、その章が書かれることはない。

「我々は皆――必ず最後には――道半ばで倒れるのです。物語の途中で。たくさんの物語の途中で」

確かに、私の父、その他多くの人をみても「道なかば」でした。かなり前から自分の最後を予期していた Jobs においてさえ、、人生の旅路とはそんなものなのでしょうね、、

葬儀ではジョーン・バエズも Jobs に歌を捧げたそうです。彼女のフォーク・ソングは学生時代によく聴きました。バエズは Jobs の彼女だったこともあったそうですが、まだ元気なんですね。そうか、私と年齢は余り変わらないのかな、、調べてみたら私の1才上でした。

◯ マスコミのSTAP細胞騒ぎに思う

昨年話題になって大きく取り上げた iPS 細胞に続いて、それよりさらに容易に作ることができるという STAP 細胞をマスコミは大々的にとりあげました。しばらくして、その論文に虚偽があったのではないかということで、また大騒ぎ。時間の経過とともに確かにその論文作成の過程には不備などがかなりあったらしいことが解ってきました。

しかし、そもそも論文発表などというものは確定したものではないはず。「もしかすると、こんなことがあるかもよ」というようなもの。まだ専門分野の中だけで話題にする段階のものです。それを専門外の人間が取り上げ大騒ぎしておきながら、今度はそれを突き落とし散々に袋叩きにする。そして自分達は、どっちに転んでも、それをネタに大きな収益を上げる。このようなマスコミの習性を私は大嫌いです。このように一方的でアンフェアな態度や、裏で汚い手を使ったり自分は絶対安全な位置から独り勝ちするのを見ると反吐が出そうになるのです。

論文の著者にも安易な考えや落ち度があったようですが、普通なら世の中から注目を浴びずに終わったであろうものが、たまたまマスコミからネタになると思われ、飛んでもない事態になったということでしょう。述べたように、学問の世界では「こんなこともあるかも」と先進的な報告があり、それを何人かの研究者が追試することにより「確かに、これは大発見だ」とか「やってみたけど、それはないみたい」ということなるわけで、そのような試行錯誤の繰り返しの中から、本当に人類の役に立つ発見が見つかってくるのだと思います。

しかし今回のようなことがあれば「ちょっとでも失敗があれば、寄ってたかって袋叩きにあうから発表するのはやめよう」ということで、大発見の芽を摘んでしまうことになるでしょう。「お産の結果が悪ければ、まず産科医を訴えてみよう」という風潮から、どんどん産科施設が減少し、今では医科大学附属病院でさえお産を扱わない施設がある始末。このような風潮を何とか考えなおさないと、日本はどんどん自滅へ向かうと思います。

◯ 原発をどう考えるか

3.11 で巻き起こった反原発の嵐の直後から「本当にそうか?」という意見をこのコラムにも何度か書いてきました。今の日本には原発が必要という意見は産経新聞の囲み記事で見つけた程度ですが、そうそう、あと安倍総理がありますね。しかし、ここに海外から「パンドラの約束」という映画が発表されました。

かつて反原発主義者だったものの、原発推進派に転じた知識人たちの声を集めた米国の ロバート・ストーン監督による映画「パンドラの約束」 が19日から順次全国公開されるそうです。監督自身が原発反対の意見を持っていたが「環境保護の観点」「他国への過度なエネルギー依存を避けるため」にも原発推進が必要と考えるようになったそうです。

監督の話では「クリーンなエネルギーの多くは今、原発から来ているということを私たちは認識する必要がある」「中国やインドを見ればわかるように、成長を続ける世界のエネルギーは毎日増え続けており、近い将来、化石燃料を風力や太陽光エネルギーで代替することはできなくなる」「安部首相は、たとえ不人気であっても、自らが信ずることを口にする勇気を持っている点で尊敬している。政治家が不人気なことを言う時は聴く価値がある」「日本は苦難を味わった。多額の投資を放棄してすべての原発を閉鎖し、化石燃料を推し進める。あるいは将来の風力・太陽光をあてにする。だが中国が電気を蓄える一方で、原発のない日本は安全だ、もう原発は使用しないという考えは合理的反応ではない」「この映画で日本に訴えたいのは、リスクを取り、リスクから学んだものを使うということ。そして次世代技術で世界をリードすることだ」。

いやあ、まさに私が主張していたことそのままで感動しました。私の考えは以前にも書きましたが「資源に恵まれない日本において、今は何より原発を最大限に利用すべき」「平行して、風力・太陽光・地熱・波力など自然エネルギー利用の技術開発と普及を図るべき。しかし、これらから得られるエネルギー量は大きなものではないので、巾広く普及するまでは効果がなく長い年月を要する」「原爆や原発事故を経験したからこそ、日本には世界でもっとも安全に原発を運用できるチャンスがある」のでは、、ピンチはチャンス。

◯ 世界に冠たる日本の新幹線

欧州のドキュメンタリー番組で「日本の新幹線の優れた技術」を紹介していました。そこで紹介されるスピードや客室装備、秒刻みで正確な運行などなどありましたが、森の石松ではないですけど「それで?もっと大事なものがあるだろ」と思ったものです。そして最後に紹介されたのが日本の新幹線の安全実績。これこそが日本の世界に誇れる最大のものだと私は思っています。高架から転落した新幹線を「なかったことにしよう」と、あろうことか重機で地面に穴を掘って埋めてしまった隣国とは根本的に違うところ。

新幹線に対しては、その初期の頃から「もし事故が起こったら航空機なみの重大事故になるはず」と戦々恐々としてきたのですが、幸い今まで一度たりと重大事故を起こしていないのは本当に日本の鉄道マンが誇れることと思います。原発だって日本だからこそ誇れる実績をこれからは生み出せるはず。たまたま老朽化した原発に地震と津波が押し寄せ、それらへの対策や対応が万全ではなかったため今回のような事態になりましたが、最近の原発施設はもしこのような事態になっても万全の作りになっているようです。それに加え今回の原発事故があったからには、更に安全対策は徹底されるはず。

そこへまたニュースが飛び込んできました。韓国で大勢の修学旅行生を載せ珍島に向かう旅客船が横転・沈没し300名以上の死者がでた模様。なんと船長はじめ船員のほとんどが真っ先に離船し救助されたそうです。救助作業を見ていても横転し沈没してゆく船の周りをボートが右往左往するだけ(海上に救命ボートはもちろん救助を待つ人も浮かんでおらず、殆どが船内)。2009年にも日本でほぼ同規模の船が横波による荷崩れで横転・沈没したそうです。乗客が7名と少なかったようですが全員救助され、乗組員の救助はその後だったとか。「他人のふり見て我がふり直せ」、日本政府はこのような事態に即座に対応できるチームの養成をさらに進めるべき。警察や消防にはあるでしょうが、自衛隊にもスクランブルで日本全国どこへでも緊急出動できるレスキュー部隊を作って欲しいですね(すでにあるでしょうが、その機能強化を)。日本政府からの救助支援の申し出を、韓国パク・クネ大統領は受け入れなかったそうです。もっとも近くから手を差し伸べられる国なのにね、、

蛇足ですが Web の記事から引用させて頂くと:2009年「ありあけ」の事故では人命被害は発生しなかった。船が傾くと船長はマニュアルに従って海上保安庁に救助を要請した。乗組員は、衝撃で船体がゆがみ客室のドアが開かなくなる恐れがあると考えて、乗客らを客室から避難させた。船が大きく傾いていたため脱出は容易ではなく、消防用のホースをロープ代わりにして乗客を甲板に引っ張り上げた。甲板に待機していた乗客らは、およそ2時間後、ヘリで救助された。乗客が救助された後、乗組員が順番にヘリに乗った。最後まで船を守った船長・1等航海士ら6人は、浸水が続いたため、救命ボートを降ろして海に飛び込んだ。この6人も全員救助され、死者は1人も出なかった。

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これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です