2011.07 幸せとは

わーくすてーしょんのあるくらし ( 221 )

2011-7 大橋 克洋

植木も水やりとこまめな古い葉の除去だけで元気溌剌

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◯ 幸せとは

最近、世界的にも「幸せの指標」を考える動きがあるのだそうです。 「ええ?幸せを数で測れるのかあ?」、幸せに絶対値なんてないはず。 さて、私にとって幸せとは何?と訊かれれば、

    • 普通の暮らしを普通に続けられること

    • 自分の時間の中で生きられること

    • ちょっぴりでも他人の役に立てたかなと感ずること

幸せを続けるためやりたいことを考えてみると

    • 身の周りからなるべくモノを減らすこと

    • ゆっくり回る時間の中で周囲を見回せること

    • 自然の緑を眺めたり香りを嗅いだりできること

なかなか、できていませんねえ。 しかし、このように考え続けることが幸せにつながるのだと思っています。

◯ 高齢化社会にどう対応すべきか

これからの日本について語られるとき「世界に例をみないほど高齢者が増え、福祉にお金がかかる、云々」 という言葉がよく聞かれます。高齢者が増えるのは確かなのでしょうけど「高齢者だと、その福祉にお金がかかる」という発想そのものが良くないと思います。その考えこそが、他人の世話にならざるを得ない老人を増やす。

このような人口動態の推移の中、日本が考えるべきことは「高齢になってもいかに自立した生活を維持できるようにするか」、そのためにこそ高額の資金を注ぎ込むべき。資金の回収率はかなり高いはず。理屈から考えても「駄目になる前に、駄目にならないようにする」のが合理的考え方というもの。なぜこういう考えが高らかに叫ばれないのか、とても不思議。 高齢者が増えるのなら、高齢者が社会の労働力として十分力を発揮できるようすべき。もちろん高齢となれば 知力体力ともに低下するのは当たり前ですが、それなりの知力体力であっても何せ数が多いわけですしね。

そのようなことで「高齢福祉社会」ではなく「高齢者が生き甲斐をもって社会貢献できる社会」であるべきと思います。以前から私が叫んできた「日本はスポーツ立国にすべき」というテーマもこれに連動してきます。生き甲斐を持って存分に社会の役に立ち、良寛さんのように「死ぬるべき時は、死ぬるがよい」というのが幸せな生き方。もっとも、ここの部分は若い人が言ってはまずいんでしょうけどね。ま、言いたかないですけど、私もいつの間にか高齢者に分類されるようになってますんで、、

◯ 少なくとも現状で日本に原子力発電は必要

菅首相は、突然「原発はすべて停止すべし」と言い出したかと思えば「安全確認できたので運転再開」 と言ったとたん「その前にストレステストが必要」と言って、現場をずっこけさせています (まさにミッドウェー海戦、爆弾と魚雷の転装でアタフタしている間に米軍の空襲を受け壊滅した日本の空母群のようなもの)。 世間の多くの意見(多くはマスコミの意見が元と思います)は 「原子力発電は絶対反対、廃止すべし」が主流のように見えます。

そこで、あえて言いますが「少なくとも現状で日本にとって原子力発電は必要」という私の考えは まったく変わりません。資源のないわが国で、今すぐに原発を止めれば、生活や産業に必要不可欠の電気の 供給にはとりあえず火力発電などに頼らざるを得ない、ということは高価な燃料を外から購入することになりますから、日本にとって多大の打撃になることは明白です。一方で太陽光や風力、地熱発電などで得られる電力は原発に比べれば微々たるもの。もちろん将来的にはそのようなものを増やしてゆくべきと思いますが、それには「あらゆるところで自然エネルギーの利用を考えるべき」。原発が「集中」なら自然エネルギー利用は「分散」。この「集中と分散」は常々述べているようにあらゆる場面で必要な原理ですが、その実現には長い年月を要することです。

このように明々白々のことなのに、どうも日本人は「原発は絶対にいかん」という感情論が大勢を占めるようです。太平洋戦争など悲惨な事態の勃発も、このような感情論が盛り上がった結果ではないでしょうか。 今では社会の皆が利用している飛行機も鉄道も自動車も、ガスでも電気でも 実際には多大な危険をはらむものです。それを長年の努力で限りなく安全に近づけてきました。 今回の原発事故は想定をはるかに超える大災害と、古い設計の原発とで引き起こされ、 さらに修復対策に色々不手際のあったことが問題と思います。

もちろん一旦事故が起こってしまえば、今回のように非常に広範・甚大な被害をもたらします。 その安全性を高めるには莫大な資金と時間を要しますが、原発全廃により引き起こされる経済危機に比べれば 被害は遥かに少ないはず。今回の甚大な被害を頭に置いて対策を講ずることで、より安全で比較的経済的な発電を維持できるはずと思います。

それと並行して、ドイツのように「家の新築には太陽・風力・地熱などの利用の義務付け」を図るなどして、 自然エネルギー利用の拡大を進めること。そしてさらに、資源の少ない日本では「これまでのような エネルギー使い放題の見直し」を図って「省資源・ロハスな生活が幸せに繋がる」ことを国民の意識として根付かせることこそが最も重要と思います。

◯ 楽しみな Apple 新キャンパス

13 歳の Steve Jobs、見ず知らずの HP 社の共同創立者で社長のビル・ヒューレットに 「周波数カウンターの部品を提供しくれないか」と電話をしたところ、ビルは親切に部品をくれた上、アルバイトの仕事もくれました。後にヒューレットはその地にコンピュータの工場を建てましたが、 やがて次第に事業を縮小し Apple 社がその土地を購入することになりました。そこにこれから建てられるのが Apple 社の新社屋です。

新社屋には世界各地の Apple Store で蓄積された建築設計ノウハウを投入、ガラスをふんだんに使ったドーナツ型。 この建物だけに使われる特注の巨大曲面ガラス。平面ガラスは一枚も使わないそうです(本当かなあ)。 この新社屋は単に建築上の奇をてらったものでなく、自然に溶け込んだ調和に重きをもつもの。 いかにも Jobs の哲学ですね。現在も敷地には3700本の樹木があるが、これを6000本に増やし、駐車場は地下に設けるそうです。私がこのコラムで何度も叫んできたこと「地上には木を植えるべし」、さすが Jobs、、

15 年以上前、日本 NeXT ユーザ会の代表として西海岸の NeXT 本社を訪問したことがあります。そこでは Jobs に会うことはありませんでしたが、ヨットなどが繋留された川沿いの、高原のような木立に囲まれたガラス張りのとても気持ちのよい社屋でした。

森の中に忽然と現れる巨大宇宙船のような本社キャンパス。森に埋もれた南米の古代都市を想いだしました。 願わくば「Jobs よ永遠に」ですが、永遠はありえなくても彼(または彼の意志が)が末永く Apple に息づきますように、、

おっ、考えてみたら、これって先月書いた「客家土楼」現代版ですね。エレベータやエスカレータがない(のだと思う)のは良いものの、建物の反対側まで歩くのは結構大変かも。私なら楽しみでこそあれ、まったく苦にはなりませんがね、、そうか「運動させることにより脳の活性化を図る」という意図があるとすれば大したもの、、

でも、ローラースケート、セグウエイ、はては自転車まで使うヤカラが出現しないとも限らない? ところで、この新本社の位置を Google map で見ると現在は細かく道路で区切られています。これを全部潰してまとまった広い敷地にする訳ですね。凄いなあ、、

◯ 齢を重ねるといろいろ

2週間ほど前から軽いギックリ腰なのでしょう、腰の周囲が痛みで強ばり、歩術というより毎日の中国武術トレーニング自体もかなり軽目になっています。ここにも以前書いたように医師会へ通っていた頃にも酷いのがあったのですが、やはり通勤がなくなったための運動不足から腰周囲の支持力もやや低下しているのか、前回より回復がやや遅れているようです。酷い時は診療中に床に落ちたものを拾おうとしても「テ、テテ、」という感じで、思わず上体が凍ってしまう状況でしたが、2週間を経てようやく柔らかくなってきました。

このような状態になると「うーん、爺いになったな」を実感します。嫌になっちゃいますね。 もう少しで元へ戻ると思いますが、完全復帰にはまだ1週間はかかるのかな。 そんな中、1週間ほど前、家内・末娘3人、娘の運転で千葉のホキ美術館へ行ってきました。 この美術館は昨年11月に保木氏により建てられたばかりの斬新な建築物です。 保木氏は医療関係者なら「ああ、あの保木さん」とわかる方が多いと思いますが、不織布など医療材料の大手「ホギメディカル」の創設者。

「写実絵画専門」の美術館であることを TV で知り、是非行ってみたいと思っていたのです。 どれも期待に違わずなかなか見応えのあるものでした。どう見ても写真としか思えない細密画など、色々と感動する絵画を堪能させてもらいました。で、絵画鑑賞を終えたあと結構暑い日でしたが、美術館が位置する「昭和の森」公園へ行ってみました。緑の広大な芝生のある大きな公園。美術館の窓から気になっていた貸し自転車に乗ってみることにしました。私も自転車に乗るのは十数年ぶりかな。自転車や水泳は何年経っても身体が覚えていて忘れないと言いますが、その通りですね。漕ぎ出しは ややヨロケそうな感もないではありませんでしたが、広い公園の緑を楽しみながら家族で周遊してきました。

◯ 今月の歩術

3週間を経てようやく腰の具合も落ち着いてきました。年齡とともに骨もスカスカになってくるので、 多少なりとも腰椎のクラッシュなどあると嫌だなあと思っていますが、これも時間の問題で仕方ないですね。 壮年の頃まで威風堂々とされていた方が、お年を召されて「あれえ、私の背丈より低くなっちゃった」 と内心感ずることが時々あります。

さて歩術の話、最近試みているのは「バランス歩行」。歩術の研究を始めた頃から これは基本的に常に意識してきたことなのですが、最近意識しているのは 「コンニャクのように脱力した身体で歩くには、前肢が常に動的ベクトルの中心に置かれるよう移動」。 これを始めた動機は合気道や八卦掌などの老武術家の動き。 若い者をやすやすと手玉に取っているその体さばきは、流れるようで常に安定しています。 「どこに秘訣があるのだろう」「そうか、いつも身体の中心が動的中心にあり重心がぶれないんだ」 ということに気がつきました。

酔っ払ったように全身の力が抜けた状態で、前方に出す足を動的重心位置に置くようにしてみると 歩行に無駄な力がほとんど要りません。街路の窓ガラスに映った姿を見ると、 全身脱力していても結構大きな歩幅で歩いていることがわかります。 但し「力は抜いても、気は抜かない」これが重要。気持ちまでダラーっとしてしまうと、 大きな疲労に繋がり長距離歩けません。中国武術の「力でなく意で撃て」の極意。

もうひとつ意識してトレーニングしているのは、最近機会が少なくなってしまった「電車の中で掴まらずに立つ」。 身体を電車の進行方向に対し斜めに置き、揺れを腰の軸の捻転で吸収します。 腰周囲をコンニャクのように柔らかくし、大きな揺れを腰の軸を中心とした身体全体の捻れで吸収します。 これが無意識にできるようなれば、身体を斜めに置く必要もなくなるはず。

これらは太極拳の極意でもあります。7年ほど色々な流派の中国武術を独学してきて、 ようやく最後の目標の太極拳に入ってきました。文化大革命の時、健康体操化されてしまった太極拳が日本にやってきて、中国武術といえばまず太極拳という考えがありますが、正統派の太極拳は色々な流派の集大成のようなもの。外見だけを真似ても役に立ちません。「色々な流派を学んでから太極拳に入ることにより、本当の太極拳の凄さがわかってくるはず」と考えてきました。「柳に風」の太極拳の極意を、これから追求してみたいと思います。

◯ 今月の脳トレ

最近の電子カルテはレセコン ORCA との接続をうたっているものが多くなりました。私の電子カルテ NOA と源流を共にする高橋先生の WINE Style は ORCA と接続した最初の電子カルテです。私自身も当初から ORCA との接続を熱望しつつ、後述するような理由であえて現状で接続しようとはしてきませんでした。しかし、これも後述するような理由で今回これにトライすることになりましたが、私にとって ある意味「まったく未知の分野に足を踏み込む」ようなところがあって、「果たしてうまく行くのか」というような不安もあったのは事実です。しかし、まだ目指す機能のほんの一部ではありますが、ORCA とシームレスに接続できた時の感激は格別なものとなりました。

そもそも私は「未知の分野へ足を踏み入れる」ことが嫌いではありません。しかし、やはり「不安」とか「面倒」という気持ちもあるわけで、自分から「何としてもやりたい」というモチベーションがないとなかなか重い腰を上げるところになりません。今回は自分から発出したことではなく他からの要望ということで取り組んだわけですが、結果として取り組んでよかったと思っています。脳トレとしても、なかなか取り組み甲斐のある面白いものと言えます。

しかし人間の脳というのは面白いものですね、このようなシステムを「あーでもない、こーでもない」と工夫しながら組んで行くのは問題ないのですが、記憶力や判断力などで経年変化が目立つようになってきました。「こちらの方もトレーニングしなきゃなあー」と思いつつ、ちょっと手抜き気味なのは、ちょっと反省、、

◯ 医療現場の大きなネックとなる複雑怪奇な医事計算

医療機関で行う診療費の計算を医事計算と言います。この医事計算というシロモノ、十数年以上前にもこのコラムに書きましたが、お役所仕事の典型で「ああでなければ、こう」「こうであるが、ああでない時は、こう」「但し、こうなった時のみ、ああ」というような「例外処理の塊」。それでも自分の医療機関で使うものの殆どは同じような処理なので、何とか手作業でもやってこられました。しかしレセコン(医事計算専用コンピュータ)の普及とともに、複雑さの進行は止めどもありません。昔は「事務の簡素化」などという言葉が聴かれこともありましたが、最近は支払側からそのような発想は完全に吹き飛んでしまったようです(それでいながら、自分達の省力化には熱心のようですが)。

それに輪をかけ「レセプト請求オンラインの義務化」に伴い、会計時に明細書を兼ねた領収書発行を行わなければならなくなりました。どんなに立て混んでいる時でも、リアルタイムにきちんとレセコン入力をしないと明細書が発行できません(手書きでできないこともありませんが、それも大変)。従来はひとまず手計算で処理しておいて会計を行い、時間がとれた時にまとめてレセコン入力ができたのです。

単に診療行為から診療費を計算するだけであれば、本来もっとずっとシンプルにできるはずです。 しかし間にお役所が噛むと、やたら複雑化するのです。 さらに最近の公費健診、特に特定健診だとか子宮がん健診のクーポン券の取扱などがそうですが、これがまた極めてややこしく頭がこんがらがります。 毎日の現場はそれでも何とか凌ぐとして、これが非常に重くのしかかるのが、新しいスタッフを雇用した時です。 面接時にそのことは説明しておくのですが、数日するとそのややこしさに音を上げ続かないことが多いのです。 このようなことも医療現場への大きな経済的負担としてのしかかっています。

そもそも「複雑な仕様しか考えられない」ということは「いかに頭が悪いか」なんですがねえ。 本当に頭の良い人からは「極めてシンプルなアウトプット」がでてきます。 「シンプルを唱えながら、なかなかシンプルなものを創り出せない私」も、頭が悪い証拠だなあと思っていますが、、

◯ 遅ればせながら NOA と ORCA の接続に挑戦

日本医師会で開発・提供している「日医標準レセプトソフト」略して「日レセ」は ORCA プロジェクトの一環として作られ、通称「ORCA(オルカ)」と呼ばれています。 電子カルテ NOA には簡単な医事計算サーバが付属し、NOA で入力した診療内容を医事計算サーバへ投げると、計算結果が NOA に返ってくる仕組みです。この計算サーバはとりあえず作ったもので、最終的には ORCA と置き換えたいと思ってきました。「医事計算という奇々怪々なお荷物を抱え込みたくない。 その勢力を電子カルテの進化へ集中したい」という思いが強いためです。

現状では ORCA 側の接続機能が制限されていて、電子カルテと対等な関係で入出力できません。そこで、ORCA 開発チームへ何年も前から「電子カルテとの接続性は ORCA の普及を大きく加速する。計算サーバ化するなどして何とかもっとシームレスに接続できるようにして欲しい」という要望を出してきました。「シームレスに接続できるようになった時が NOA と ORCA の接続する時」と決めていたのです。

ところが最近、電子カルテ NOA ユーザの方から「何とか ORCA に接続してもらえないか」という切なる要望がありました。これに背中を押され「なら、やってみるか」という気になったという訳です。さて、取り組むこと1週間足らず、とりあえず患者基本情報や健康保険情報の取込の実装に成功。これができたのも ORCA チームが最近 Web アクセスの API を追加してくれたためです。

最初の壁は「Ajax を使ってどうやって Web ページを取ってくるんだ?」JavaScript での実現方法を探し格闘しましたが、どうしても出口が見つかりません。疲れた挙句、ふと PHP の方を検索してみました。なんと即座に発見、たった1行足らずで出来るではありませんか、感激。「そうだよねえ、考えてみれば他へのアクセスは JavaScript でなく PHP が鉄則じゃん」、私の間抜けなところを暴露。次の壁は Basic 認証のかかったページの処理、難儀するかと思ったのですが、これも PHP であっさりクリア。やったぜ、NOA からシームレスに ORCA の基本情報をゲットできるようになりました。

その勢いで「診療行為を ORCA へ投げ、計算結果を返してもらう」ところまで行きたいと思ったのですが、まだ ORCA 側にその Web 用 API は用意されていないようで、ちょっと待たねばならないかなと、、ちょっと残念。

◯ リスクをとらない現代の日本人

今回の大災害に関連して色々な意見が活発に交わされています。その中には日本特有のやや過剰反応としか思えない意見も。違和感を感ずるのは何につけても「安全第一」と言う意見。本当にそうでしょうか。もちろん安全は大切な事ですが「大きな安全を確保するためには、大きなリスクを覚悟せざるを得ない」という場面も少なからずあるはず。現代の安全第一の人々はそのような場面において、目前の多くの人々を見殺しにするということなのかなと、、きっと、そうなんでしょうね。

先日、産婦人科の研修会で東京医科歯科大学の麻生名誉教授の講演を聴いてきました。美しいスライドを使った女性の生涯にわたるホルモン環境の変化の話。まるで学生に講義するようなわかりやすい講演でしたが、その中で印象に残ったこと。ヒトの発生の過程の中で「テストステロンが強く働くと、リスクの高い職業を選ぶ傾向がある」と言うような話でした。「ほー、なるほどー」、最近「草食系男子」という言葉を聞きます。現代日本人はどういうメカニズムか解りませんが、そう言う方向性なのでしょうか。テストステロンの影響が激減してしまったようです。ある程度は自然なバランスへ戻さないと、、

終戦の数日前に戦死した紫電改の戦闘機乗り菅野直大尉の雨あられの弾幕の中 B29 めがけ真っ逆さまに急降下してゆく姿や、祖国の家族を守ろうと硫黄島で歴史に残る奮戦をした栗林中将の姿が想い出されます。 こちらは戦争という異常状態のことなので別といえば別ですが、根本に流れるものは同じではないかと考えています。特に栗林中将のように平時であれば子煩悩で部下思いだった温厚な人ほど、非常時には極めて強い意志を発揮するものだということなのでしょう。まさにテストステロン全開のお二人ではなかったかと。

当日はカンカン照りのクソ暑い日でしたが、そんなことを考えながら信濃町から自宅まで歩いて帰りました。熱中症に注意して飛ばすことなくマイペースでの歩きは快調でした( 後で iPhone の Nike+GPS アプリの記録を見ると 9.03Km を 104分で歩いてきたことになります。飛ばした時より1割ほど余計にかかってますね)。父の日に末娘からプレゼントされたウオーキング・シューズのテスト運用も兼ね、今シーズンまだ汗腺の開きが充分ではないので、早く汗をびっしょりかいて爽快なコンディションに持って行きたいと言うことでした。

◯ MacOSX 10.7 Lion 来たる

今朝 目が覚め床の中 iPhone でメールをチェックすると、電子カルテ NOA ユーザの方から「Lion をダウンロードしています。NOA で使うことは可能でしょうか」。「そうだ、昨夜 MacOSX の新しい OS Lion がリリースされたんだった」と起床。早速インストールにかかりました。今回から OS も AppStore からダウンロードできるようになりました。楽チンですね。2600円。これは手数料でしょうね Apple はもう OS で稼ぐ気は毛頭ないのだと思います。

書斎の iMac と MacBook Pro にダウンロード。ダウンロードに30分ほど、インストールに30分ほどでしょうか。早速 NOA を開いてみます「ありゃりゃ、文字化けだあ」。これは最近 Chrome のバージョン・アップでも経験したこと。あわてずブラウザーの文字コード設定を変えてみますが、文字化けはおさまりません。 試しに Chrome で開いてみると NOA も文字化けなし。さっそくユーザさんへメール。ところが、その直後いろいろ やっているうち、 Chrome でも文字化け「こりゃいかん」とユーザさんへ訂正メール。外来診療中に色々やっているうち Chrome では正常表示になりました。しかし Safari だけはどうやっても駄目。以前から Safari では UTF-8 の処理がうまく行かないことがあるようです。

Web 上で色々と情報を捜し回りましたが、やはり Lion + Safari の組み合わせでの文字化け問題はまだ話題にあがっていません。昼食後いろいろといじっているうち、あれ? Safari も正常表示になってるぞ。どうも原因は明確に掴めていませんが「キャッシュをクリアすること」当然ながら「ブラウザーの文字コードを UTF-8 にしておくこと」は必須です。しかし、一連の試みでの挙動からすると、それ以外にまだ文字化けの原因がありそうな。単純に UTF-8 の HTML ページは問題ないのですが、javascript を介すと問題が発生するようです。うーむ、初めて経験する奇々怪々な現象、、

今回のメジャー・バージョンアップの目玉は、ミッション・コントロールの辺りですかね。従来から便利をしていた Spaces での画面の切り替えが、さらに使いやすくなりました。スクロールバーの動作が従来と逆転したのは、ちょっと戸惑うところですがすぐ慣れるでしょう。そして毎回 OS バージョンアップにお決まりの 「WindowShadeX が使えなくなった」、今度は新 OS への対応にどの位の日数かかりますかね。

◯ ライオンのいるくらし

Lion との暮らしも2日目。NOA の UTF-8 文字化け騒ぎも落ち着いたようなので、本日は Lion をのせた MacBook Pro で診療しながら、診察室の iMac を Lion に上げました。ほう、問題なし。あ、ひとつだけ、プリンターが接続できません。自宅書斎の結構年代物の Brother LBP は Lion からの出力を平然と受け付けてくれましたが、外来の Brother 複合機は「接続できません」というエラーがでてしまいます。Brother の Web site を見にゆくと早くも Lion 対応ドライバーがダウンロードできます。うーん、いつものことながら Brother は MacOSX への対応がとても良いですねえ。新しいドライバーをインストールしたら、処方箋などの印刷物がまったく問題なく出力できるようになりました。

ミッション・コントロールはとても快適なのですが、マジック・マウス、外付けトラックパッド、MacBook Pro のトラックパッド、どれも複数指によるコントロールの仕方が微妙に違います。私は何でも与えられたものに慣れるよう努める方ですが、過去のライフスタイルにしがみつく性格の人からはきっとブーイングでしょうね。ある人の blog を読むと、Lion をインストールしたものの、結局使い勝手を過去の動きに設定しなおしてしまい何のために Lion をインストールしたかわからなくなったとか。Jobs は NeXT 時代から、過去のものを潔く捨て去り、まったく新しいものを出してくることがよくあります。最初は戸惑うものの、後にそれがとても意味のあるものだと判り新天地の開けた思いを何度してきたことか、、

Chrome 右上の拡大アイコンをクリックすると、ブラウザーがデスクトップ一杯に拡大します。「縮小はエスケープ・キーかな」と当たりをつけて叩いてみますが無反応。あれ? 縮小アイコンを探しても見当たりません。私はマニュアルを読まない人なので宝探しゲームの結果、結局あきらめて Chrome を無理やり落とすことになりました。翌日、再度探しまくった結果「もしかして、」と開いたレンチ・アイコンからようやく縮小アイコン発見。ちょっと根性要りました。宝探しさせるのはちょっと MicroSoft 的、Mac 風ならば拡大アイコンの場所に縮小アイコンが現れて然るべきと思います(もしかして元 MS 社の人が作った?)。

メールも Lion でかなり変化したもののひとつですね。私は最近 gmail をブラウザーで読み書きしているので、余り使わないのですが。

◯ ライオンのいるくらし -- その2

さて私に気のつく範囲ですが、インコンパチブルなものを挙げてみましょう、、

まず、前出の WindowShadeX これが動かないのは不便なのですが、毎度の新 OS リリースでは決まりごとですので「いつものことさ」で割り切ることにしましょう。 次が Rosetta を使っていたアプリ(CPU が PowerPC だった頃のソフトをエミュレートするもの)。長年愛用してきた自作アプリにも幾つかありました。これらは「丸にバッテン」の進入禁止マークが着いてしまい動きません。 私が日常の道具として使ってきたものなので不便になります。どうしようかなあ、最近は Web アプリばかり書いているので、Cocoa 環境での開発忘れてしまったし、、脳トレの一環として再度トライするか、あるいは Web アプリにしてしまうかが悩みどころ。しばらく悩みを楽しむことにしましょう。

プリンターについては先に書きましたが、Brother 以外ではまだ Lion に対応するドライバーを用意できていないメーカーもあるようです。昔 Apple や NeXT の総販売代理店だった Canon が最近 MacOSX への対応に気乗りがしていないようなのは困りものです。

今のところ、私の身の周りで気がついたのはそんなところでしょうか。快適に Lion を使っています。

Lion のダウンロードが初日で 100万ダウンロード、ミリオンセールだそうです。この前の Snow Leopard の時が発売後の週末を向かえた時点で200万本、さらにその前の Leopard は発売後1ヶ月で200万本だそうです。今回はネットからダウンロードという加速の良さもあるでしょうが、iPhone や iPad による Apple ユーザ大巾獲得が少なからず影響しているでしょうね。こうなると「Lion の販売価格2600円なんて手数料さ」と踏んだ私の見方は正しく無いかも、一見微々たる利益でも数が多くなればねえ、、

◯ 異常拡大にともなうアンバランス

自然界では何かが成長してゆく時、一定の時間を伴い少しずつ大きくなって行きます。 正常な成長を遂げてゆくには、それなりの熟成時間や過程が必要なためでしょうね。

中国の高度成長には眼を見張るものがありますが、新幹線の事故は多くの人が予測していたものと思います。それにしても予想外に早く「もう起こってしまったか」という驚きはありました。いくつかの国から技術援助を受け作られたものを自国独自の技術と主張し特許を出願するなど顰蹙ものでしたが、こうなるとちょっと気の毒に思えてしまいます。さらに今朝の朝刊をみてびっくりしたこと。事故の翌日の TV 放送で新幹線事故の向こう側に何でユンボが動いているのだろうと思っていたのですが、今朝の朝刊をみて腰が抜けるほどびっくり。事故が起こった夜半から明けた早朝のうちに、事故を起こした車両の運転席などを重機で砕き地面に掘った穴へ埋めてしまったという記事。 ひえー、日本は勿論、他の国でもびっくりでしょうね。事故検証などという観念より、早く事故を抹消してしまいたいという気持ちが見え見え。「これで事故はなかったことにしよう」とか?

違う意味で中国空母の脅威を思わせるものでした。つまり、モラルとか正しい運用という観念の前に、衝動的というか動物的というか、そちらで動いてしまうことにです。もし日本が本気でやる気さえあれば、そのようなものと対峙しても恐れることはないのですが、そうでない状況では非常に脅威ですね。例えてみれば、我々は街を歩いていて、すれ違う人や後ろから来る人がみんな自分と同程度の常識で動いていると思っていますが、もしそうではなかったとしたらどうでしょう。日本でも近年起こる秋葉原殺傷事件のようなもの。恐ろしいですね、、

自然界には、熟成する過程を経ず異常増殖してゆくものとして、癌などの悪性腫瘍があります。 隣国を悪性腫瘍に例えたくはないですが、何とか経済発展に伴ってモラルのほうも大きく成長して欲しいもの。 なにしろ、孟子や孔子を生んだ尊敬すべき国ですからね。今回はまさに「坑(あな)を掘って埋める」でしたが、文化大革命で焚書坑儒が起こってしまったことも今の中国のモラル低下の源としてあるのだと思います。

◯ 区立平塚小学校跡の工事

今月はこんな感じ。ようやく基礎の上に柱になる鉄筋が立ち上がり始めました。地下室ももたず高層ビルでもないので、基礎は単にコンクリート・バイルを打ち込んだだけのようでした。この柱の並び具合から見ると、建物のレイアウトは余り綺麗じゃないなあ、、願わくば醜悪な外観でありませんように(このレイアウトのセンスじゃ無理かな)。

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ブロッコリーの樹上ハウス

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です