2007.04 不便さは便利さを味わうためのスパイス

わーくすてーしょんのあるくらし (170 )

2007-4 大橋克洋

草も木も萌ゆるをみれば春風に

動かぬものはなき世なり

明治天皇の御歌です。御歌には とても良い歌があるのですが、 いつも「良いな」と感動しつつ 頭のなかから蒸発してしまうので、 書きとどめておくことにしました。 世の中の移いを、春のうららかな季節、 春風の「そよぎ」に例えたものでしょうね。 草木の萌えるところや春風に例えるところが、暗くなくて良いですよね。

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中国武術に「心意六合拳」というのがあります。 どうやら源流は「太極拳」とも同じようですが、 後者がゆったりとした動きなのに比し、 前者は一発で相手を倒す必殺の意気込みで、 「対練(相手と対峙した練習)は危険でできない」という凄いものです。

「心意六合拳」には「心と意を一つにする」という意味があります。 心も意も区別せず漠然ととらえていたので よくわからなかったのですが、 最近おぼろげながら言わんとすることがわかってきたような気がします。 以下はあくまでも現在の私の理解ですが、 「いやだなあ」「練習したくないなあ」というのが「心」ですね。 それに対し「練習しなくちゃだめだろう」「よし、やるぞ!」 というのが「意」なのではないかと思っています。

で、何となく気が乗らない時のトレーニングで 「意」に念頭をおいてやってみると、 身体が動くのです。「ふーむ」「なるほどね」 「心意六合拳」の「心と意をひとつにする」というのは そういうことか、と考えています。 「六合」の方にも意味があるのですが、 こちらの方はまだよく理解していません。

普段の生活の中でも「意」を意識することは、 非常に有効だろうということに気がつきました。 これから意識してみることにしましょう。 生活に染み込むようになるまで、また何年かかかるのでしょうが、、

○ 不便さは便利さを味わうためのスパイス

先月、東京では私鉄の非接触型乗車券 PASMO がスタート。 国鉄の SUICA と PASMO の相互乗入れが始まりました。 事前に両者の web site を見たのですが、どうもよくわかりません。 私の見た限り PASMO の web site では SUICA との相互乗入れを確信できませんでした。 一方 SUICA の web site を見ると、それができそうな雰囲気のことが書いてあります。

「うーむ、後発の PASMO は自分の優位性だけを PR したいし、 SUICA は PASMO が出ても負けないぞと PR したいんだろうな」と推測しました。 しかし、このあたりを知りたいユーザに親切な広報ではありませんね。 日がたてば内容も変わってくるのでしょうが、、

さっそく、私鉄の改札機におそるおそる SUICA を載せてみました。 内心「ブーッ」とブザーが鳴るのを恐れたのですが、 ドアが開き問題なく通過できました。 「おーっ、素晴らしい!」。 これでやっと私鉄も非接触型で便利になりますね。 1週間ほどして、 今まで使っていた東京都医師会への通勤定期を PASMO 定期券に更新しました。 窓口でやらなければいけないのかと思っていましたが、 これも券売機でできるんですね。

最寄り駅「武蔵小山」が数年前に南北線や三田線と相互乗入れになり、 さらに昨年夏には地下駅になるなど快適性が増しています。 さらに非接触型パスが国鉄と共通で使えるようになり、 交通環境に関してはとても便利になりました。 良い時代に生まれたかなと、、

「ん? 待てよ」「それは自分が不便な時代を知っているからだよなあ」 生まれた時からそうであれば、今の私のような感激や満足感はないのでしょうね。 私の持論「不幸や不便は、幸せや便利さを美味しくするためにこそある」 を再確認したのでした。 やはり、両方を味わえる私は良い時代に生まれたんですね。

あとは、携帯電話がパスとして使えるようになるのを待っています。 現在のところ、PCの高速モデム機能と mobile SUICA 機能を兼ねる機種は ないようですので、、

○ これからの携帯電話に期待するもの

携帯電話での改札通過はさておいて、 携帯電話をさらにどのように利用できるかについて、 考えてみました。東京都医師会「HOTプロジェクト」において、 一番欲しいのが「個人認証機能」です。 現在 HOT は端末認証の機能を持っています。 しかし他人がその端末を使ってしまってもわかりませんし、 そもそも現状で使える認証サービスが米国のものしかありません。 米国へ高いライセンス料を払わねばならないのもシャクなことです。

これから携帯電話は個人端末としての発展を、ますます遂げることでしょう。 そうなると携帯電話を個人認証に使うのが最も合理的と考えられます。 単に携帯電話だけで情報を読み書きするのであれば、 現状でも指紋などで個人認証機能できる機種が存在します。 しかし私が欲しいのは、さらにその先です。 「携帯電話をコンピュータの個人認証機器」として使いたいのです。 携帯電話で扱える情報量には、どうしても制限がありますからね。

「HOTプロジェクト」では、医療・健康情報などの個人情報を扱うので、 このような機能が欲しいのです。 個人は自分の医療・健康情報を自分の選んだ「医療情報銀行」に 預けることとします。その方が医療機関を受診されたとします。 「あなたの過去の病歴を見せてもらえませんか?」 と医師が尋ねると、患者さんは自分の携帯で認証をします。 その認証結果が医療機関のコンピュータに引き継がれ、 患者さんと携帯がそばにある限り、その方の医療情報銀行の 医療データを参照できるというようなことができればいいのかな、 と考えています。

このような機能は医療だけでなく色々な分野で使えるものです。 携帯電話のメーカーさん、是非そんなものを実現してもらえませんか?

、、と書いていましたら、ある読者の方からメールを頂きました。 「SUICA や PASMO でも使われている Felica Card を使うのが良いのでは」 という提案とともに、 DoCoMo の FirstPass というサービスのあることを教えて頂きました。 こちらが私の考えていたイメージに近いもののようですね。 残念ながら DoCoMo だけしか使えない有料サービスのようです。

○ 進化する携帯電話

今年6月発売予定の Apple の iPhone には大きな期待があります。 残念ながらキャリアーの関係で、 日本での発売は1年以上後になるだろうという大きな問題点はあるのですが、、 これが使えるようになれば、外出に MacBook を持ち歩く頻度がかなり減るだろうと思います。 先日米国に行ってきた方の話ですが、 ビジネスマンの集まるある会場を見渡すと ノートブックを開いている人は少なく、 ほとんどが PDA やスマートフォンを使っていたそうです。

先月、三菱から 従来のボタン部分を液晶タッチパネルにした docomo 携帯電話が発表されました。 上の写真のようにタッチパネルは状況により自由にレイアウトが変わり、 触ると振動でレスポンスを返すものだそうです。 iPhone 日本上陸より はるか前に、状況は変わってきそうですね。 このような形式が使えるようになると、 携帯電話の利便性はまた一段アップします。 あとは画面の広さを CLIE 程度にすることですね。 これでバッチリでしょう。楽しみなことです、、

○ 割箸建築

先月末から今月初めにかけ、割箸建築に没頭しました。 一昨年11月の第1作から数えて3軒目です (2軒目は今回の作品の習作のようなもので Web での紹介を省略します)。 緑が多く空気の良い土地を想定しています。 海を眺められれば最高ですが、のんびりした田舎も良いですね。 コンセプトは「シンプルな構造」「簡素な内装」「省エネ」 「自然を感じられること」など。 そうそう「中国武術のトレーニング」にも対応すること。 最低畳2帖もあれば足りますが、床がしっかりしていた方が良いです。

そのような条件を満たすため和風建築。 居室は昔の武家の住まいのような板張りとしました。 今時あのようなしっかりした板張りは物凄く贅沢なので、 現実には合板になるでしょう。 内庭は狭くても風情のある京風の坪庭です(中央 白いスペース)。 この庭を、居室、寝室、浴室からも眺めたいので、 浴室前には目隠しの竹薮などが必要かなと、、 庭には小振りのモミジを植えたいと思います。 緑が奇麗で、秋になると(自然環境が良ければ)紅葉も楽しめますからね。 あとは庭の縁にひっそりと 桔梗など小さな植物を、、

居室中央には汎用に使える 特大の掘りごたつがあります。 右上の 白いダブルベッドのように見えるのがそれです。 接するキッチンの床は 目線を合わせるため掘り下げてあります。 これを見た家内からは不評ですが、バリアフリーではなくバリアフルが 老後の体力維持に必要と考えています。 山形の羽黒山で杉林の中、天まで続くかと思える長い石段を お年寄り達が曲がった腰で登ってお参りする情景を見ました。 「信仰心とともに健康維持がされているのだなあ」と思ったものです。

右下の白い縁側のようなスペースは「土間」です。 右端が玄関で、サンルーム、広い玄関など、多用途に使えます。 いずれにせよ、残された人生でこのような家を実際に建てて住むことは 夢のまた夢。だからこその割箸建築です。 クリエイティブな作業は とても楽しいものです。

○ HL7 からの変換ツール

朝夕の「筋トレ」とともに、「脳トレ」も本格的習慣となってきました。 こちらは毎日朝夕というわけにはいきませんが、ソフト開発を継続しています。 プログラミング体力は完全に復帰しました。 先月までの Web版電子カルテは、ほぼ基本部分ができあがり一段落。 アイデアを熟成させるため、しばらく寝かせておくことにしました。

そんなことで今月は「臨床検査データ」を 電子カルテに読み込ませるツールの開発を行いました。 以前から臨床検査センターから検査データを、 HL7 形式でメール配信してもらっていました。 これを自動的にフォーマット変換し 電子カルテに読み込ませるツールを作ったのですが、 バージョン改変などで最近は使えなくなっていました。 プログラミング能力の低下で、 それに対応できなかったということもあります。

HL7 からの変換機能を、以前は電子カルテの中に持たせていましたが、 今回は独立した変換アプリケーションとして開発しました。 電子カルテの Web アプリケーション化を考えると、 「とりあえず分離しておいた方が正解かな」と考えたのです。 昨日から そのツールが使えるようになりました。 正常値の範囲などもデータに付随してくるので、 こちらで判定しなくても正確に表示してくれます。 多くの人がこだわる「厳密な検査名」「厳密なデータ比較」に固執せず、 実用面にしぼって作れば そう苦労せず開発できます。 日常診療のなかで「これは快適、快適」というのが感想です。

HL7 からの変換機能も 以前は Objective-C で書いていたのですが、 今回は Java で書き直しました。 これも Web 化に向けて有用かも知れません。 ちょっと熟成期間をおいて 新しいアイデアがまとまったら、また Web版電子カルテの開発 を継続しようと思っています。 プログラミングの楽しさもまた格別なものです、、

○ 西海岸で台頭する Mac

以前 Seagaia meeting で意気投合してお話したことのある 江島健太郎さんが米国で書いている今月の blog に以下のような記述がありました。

そもそも最近ではMS Officeを使う必要性がめっきりなくなりました。噂によるとマイクロソフトは死んだらしいですが、それはここベイエリアにいるとつくづく実感します。カフェに行くと、客が開いているラップトップの 80% ぐらいが Mac だったりして、むしろ Mac 使っていると逆に没個性な感じがするという皮肉な状況です。

電車社会の日本(というか東京)では「マック欲しいんだけど、持ち運ぶには重い」という意見が多く、逆に言えば潜在的に欲しいと思っている層の数はかなりいそうです。もし噂の 超軽量MacBook が出たりしたら、マックに集団移行するという現象が、日本でも起きるかも知れませんね。

「ふーん、そうなんだあ、、」 ベイエリアでは 80% の人が Mac を使ってるって本当なんですかね。 そうなると、私としてはちょっと困ったことに、、 Mac のシェアが半数を超えてしまうということは、 Mac が大衆化し Mac の洗練された良さがなくなる可能性が高いからです。 「性善説」で動いていた楽しく協調的だったインターネットが、 大衆化とともに一挙に「性悪説」の暮らしにくい場になってしまったのが良い例です。

そういう意味で、マイクロソフトも完全に死んでは困ります。 そこそこにというか、少なくとも半分位のシェアは確保してもらい、 大衆的なものはそこに吸収して頂かないと。 私は決して優越感やエリート意識のようなもので Mac の少数派を望んでいるわけではありません。 日常の生活用品などを見ればわかりますが、 本当に洗練されたものというのは 大衆化と相容れないところがあるからです。 洗練されたものを育て、残していくことも必要と考えるからです。 私としては Mac のシェアは最大でも1/3以内に留めて欲しいのですが、、

ところで、上の「マイクロソフトは死んだ」を読むと、 「Apple 社の重役会がスティーブ・ジョブズを追い出したのは大失敗だった」 とあります。私はそうは思いません、これは結果的に大成功だったと思っています。 なぜならそれによりジョブズが NeXT 社を設立し NeXTSTEP の素晴らしい技術を開発したことが、 現在の MacOSX に繋がっているからです。 何度も書いてきたように、 現在の MacOSX は NeXTSTEP の進化したものに他なりません。 ジョブズはそう願っていたのでしょうが、NeXT というネーミングも絶妙でしたね。

○ April Fool

気象庁の天気予報で使われる言葉から「宵のうち」 という言葉がなくなるそうです。 その理由はまさに噴飯ものです。 最近は「宵のうち」を「夜遅くまで」と考えてしまう人が多いため、 表現に正確を期するため「宵のうち」という言葉を使わないことにするそうです。

国語力のない日本人(それって、日本人かぁ、、?)のために 美しい日本語を使わなくするなんて、 本末転倒じゃないですか。 それなら「宵のうち」とはどんな状況を表すものかを 教えることが「やるべきこと」だと思うんですが、どう思います? そのうち、幼児語で解説するようになるんでしょうか。 最近の、努力をせず、他人のことを思いやりもしない人間のことを 過保護に扱おうという流れに大きな危惧を感じています。 また「正直者がバカをみる」世の中はとても良くないと思います。

このようにして、美しい日本、安全な日本、礼儀正しく、辛抱強く、勤勉で、 清潔な日本人がどんどん消えていこうとしています。 ヨーロッパなどでは、頑固なまでに自分の国の良き伝統を守ろうとしています。 私は普通の人と比べても かなりの「新しいもの好き」 「従来からの因習にとらわれない」方ですが、 このようなことには絶対に反対です。 一昔前「一億総白痴化」という言葉がありました。 ここ数年どこかの陰謀で「日本人総バカ作戦」が大成功をおさめています。

NHK の朝ドラ「芋たこなんきん」が、史上3番目の低視聴率だったそうです。 私と家内はこれを楽しみに見ていました。 このように人間的なしっとりしたものが 受け入れられない時代に、さらに愕然としています。 おそらく現代で受け入れられるのは、 どこの局を見てもまったく努力のあとも特徴もない、 つちかった芸も感動もないクイズやトーク番組なのでしょう。

小泉政権の市場経済主義の政策以来、 音をたてて急速に 崩壊しつつある医療もそうですが、 日本全体が瓦解しつつあります。 あえて差別用語と称するバカを使いますが、 日本人はどんどん無作法、無知、無恥、不潔でバカになりつつあると感じています。 どこの陰謀なんでしょうねえ? 「4月バカ」に、ちなんだわけでもありませんが、、

春眠 暁を覚えず、、春は眠たいですね