わーくすてーしょんのあるくらし ( 344 )

大橋 克洋

katsuhiro.ohashi@gmail.com

2021.10 Steve Jobs 没後10年

Steve Jobs が近いうち、この世を去るのを感じながら「少しでも頑張って良いものを遺してくれえ、、」と念じていましたが、膵臓がんは彼の身体を蝕み、丁度10年前の10月5日、56歳でこの世を去りました。歳月の過ぎるのは早いものです。

そして Jobs の居なくなった Apple がいつまでその姿を存続させることができるのか心配してきましたが、自分が近くこの世を去ることを悟った Jobs が Apple を少しでも永くこの世に留めるべく腐心したであろう成果が今に残っています。

「世界を変える」を目的に彼が構想し生み出してきたものは幾つもあり、本当に世界を変えてきました。凄いことです。Jobs は私より年下ですが、心から彼を尊敬しています。彼の生み出すものはどれもシンプルでセンスがとても良く、私の好みにピッタリなことも素晴らしい。

日本 NeXT ユーザ会代表として、Steve Jobs と握手できた頃をとても懐かしく思っています。

○ Steve Jobs が世界を変えたモノたち

パーソナル・コンピュータ:ビルのワンフロアを占め空調をガンガン効かせたメイン・フレームと呼ばれる大型コンピュータの時代。彼は「個人でも安価で手軽に操れる自転車」を目指し、それを personal computer と呼びました。これがパソコンの由来。友人の天才 Steve Wozniak が Jobs の構想のもと創り上げた最初のパーソナル・コンピュータ Apple ][ は、1977年コンピュータを大衆のもとへ届けました。この頃から私は Jobs の大信奉者となりました。

NeXTstep:Apple 社から追い出された Jobs は理想のコンピュータを創るべく会社 NeXT computer を立ち上げ、生み出されたのが NeXT。私はその初期からのユーザですが、世界を大きく変えた Web システムはバーナーズ・リーが NeXT の上で開発し実現したもの。NeXT の OS である NeXTstep は 現在の macOS そして iOS へと進化し、世の中を大きく変えてきました。

iMac:Jobs が、まさかの Apple 社へ返り咲くとともに発表したのが、カラフルで半透明の個人用コンピュータ。この後しばらくは世の中にカラフル半透明な生活用品が溢れました。iMac は誰でも簡単な操作でインターネットに接続でき、インターネット・リーチャブルなパソコンの世界を広げました。Jobs が情熱を傾け開発した初代 Mac も画期的なものでしたが、一般には高嶺の花。iMac で初めて自転車となりました。Jobs は初代 Mac で初めて小さなフロッピーを採用し、これが世の中のコンピュータ標準となりましたが、インターネット接続の iMac により、これも不要となっていきます。

AirMac:私が最初に使い始めた WiFi ルータ。これが Apple から発売され手軽に利用できるようになったのが、世の中の WiFi 利用を大きく牽引する引き金となりました。これは世の中には余り語られていない水面下の事実。WiFi は初代 Mac などが普及させたイーサネット接続を、やがて駆逐していくことになります。

iPod:音楽媒体はレコード盤から、カセットテープ、CD へと進化していましたが、Jobs は自分の持つ音楽すべてをポケットの小さなデバイスに入れ持ち運べるようにしたいと考えました。音楽のデジタル化は始まっていましたが、iPod の出現で一気に方向はそちらへ移りました。

AppleMusic:音楽をクラウド上に置き、どの曲でも安価に手元で聴ける仕組みを作りました。これにより Jobs 自身が作った iPod を駆逐することに。Jobs の名言「自分で自分を喰わなきゃ、誰かにわれるだけだからね」。

iPhone :SONY の CLIE のような使いやすい PDA:携帯情報端末に電話機能を搭載したものが欲しいと何年も強く願っていましたが、Jobs が提供した iPhone は一般の人達が思ってもいなかったもの。これは iPod を不要のものとし、携帯電話をスマートフォンへ置き換えていくことになります。これを手にとった時「この使い易さなら、いずれノート・パソコンの画面だけのやつも出てくるはず」と思いましたが、案の定でてきたのが iPad。これは Jobs が生み出したパーソナル・コンピュータを、いずれ駆逐し置き換えるもの。

いずれも Jobs の発明ではなく既存技術の組み合わせ。つまり Jobs の卓越した才能は、先月のテーマで述べた「モノではなくコト」をセンスよくまとめ上げ「シンプルで美しいモノ」として生み出す才能でした。Jobs 亡きあと Apple から「画期的に世界を変えるもの」は出ていません。このように世界を変えるモノを次々と生み出す天才は、当分の間 あらわれないかも、、

○ Jobs 最大の発明

Steve Jobs 最大の発明は iPhone と思います。2007年に発表された iPhone についての Steve Jobs のプレゼン は、 まことに Jobs らしい素晴らしいものでした。

iPhone 登場以前、すでにインターネットなどを利用できる携帯電話、いわゆるスマートフォンは幾つか存在しました。 iPhone 登場の1年いつも Microsoft をけなしてばかりいてもいけないと思い、試しに Microsoft のスマートフォンを購入してみました。キーボードは爪の先で押さなければならないほ小さく、ソフト的にも使い勝手は最悪。肝心の電話をかけるのも一筋縄ではいきません。単に「携帯電話に Windows を載せてみました」使い勝手など知ったことかという誠に Microsoft らしきシロモノ。それでも我慢を重ね1年近く使いましたが、ついに耐えかねショップへ以前の携帯に戻しに行くと「そういうお客さん、結構あるんですよ」。

「Jobs がこれから発表するスマートフォンは絶対使いやすいはず。電話も快適にかけられるに違いない」と思っていましたが、発表された iPhone は私の期待を裏切らぬどころか、それを大幅に上回る素晴らしいものでした。Jobs 亡きあとの Apple 社を大きく支えるものとなります。

iPhone には「キーボードレスの画面」「指先タッチコントロール」「2本指ピンチで画面を自由に拡大・縮小・移動」など、それまでになかった画期的新機能がありました。Mac の OS を載せ「Mac でできることの殆どが iPhone でもできる」のも画期的でした。

一気に世の中のスマートフォンからキーボードが消えてタッチ操作となり、いずれ携帯電話はスマートフォンへと移行していきます。日本のガラケーなどは、その後も数年残りましたが、、

今月のコロナ

7月から上昇しはじめ8月にこれまでで最大のピークを迎えたコロナ第5波も、9月に入るとともに減少傾向顕著となり感染は収まりをみせつつあります。今月に入っても減少は続き、まるでコロナが消えかかっているようにも、、

この減少カーブは東京圏だけでなく日本全国一律。私が考えるに、この減少の波は感染対策の成果も多少あるでしょうが、それよりもコロナ・ウイルス自体による動きと感じます。生物体として一定以上の増殖をすると、そこからは過剰な増殖から宿主とウイルス自身を守るため一旦減少に転ずるのでしょう。

そうなると、ここが一旦「緊急事態宣言」を停止するタイミングと思われます。緊急事態宣言に大きなストレスを感じる人々を、ストレスから開放するタイミングでしょう。

しかし、これで安心ではありません。しばらく収まった後、必ず第6波がやってくるはず。暮れから正月だと飲食店その他に与えるダメージは大きいものがありますが、残念ながらその可能性が高いと思われます。それまでに充分な対策を、、

対策の要点は極めてシンプル。「人と人との接触を可能な限り抑制」、感染の主たるものは接触や飛沫ではなくエアロゾルによる空気感染ということなので「マスクをし換気を良くして空気の流通を心がける」に尽きると思います。医療施設の拡充もありますが、人材を含めそれには限度がある。一にも二にも「感染を増やさないこと」に尽きる。

しかし、ロシアでは感染が過去最大となっており、他にも感染がハンパない拡大を見せている国も幾つかあります。ここのところ猛威を奮ってきたデルタ株より更に新型のコロナがロシアで発生したとのニュース。デルタ株より1割程度感染力が強いらしい。これが日本に入ってくると、ヤバいぞ、ヤバいぞ、うーむ、、

○ 今月の歩術

10月も前半は早朝気温20度以上、昼間は夏日に近い気温が続きましたが、半ばをすぎると途端に気温低下。早朝は15度以下、昼間でも20度を下回る日もあり11月に近い気温。

今月前半はTシャツで散歩にでていたのですが、半ばを過ぎると半袖シャツを重ねても寒くなり、北風の吹く日は長袖シャツを袖まくりして散歩にでています。

歩行距離は1日6キロから10キロですが、寝坊して出遅れ2キロ足らずで切り上げることも、、開業していた頃は日曜は長めに歩き、長い時は午前10時頃帰宅。遅い時はたまに昼近くなることも。最近は7時半から遅くも9時前には帰宅する習慣になっています。

毎日歩きを欠かさないというのに、脚は疲労感のようなものが足を引っ張り、10年前頃までの軽快なスポーツカーのような、どこまでも歩ける感が戻って来ないのは悲しい。以前は歩いていて滅多に人に抜かれることはなかったのに、今では小学生にも抜かれたりするが、もう余り気にしないことにしました。

今月上旬の腰痛のこともあって、上体を垂直に立て力をいれず、骨盤の上に正しく載せ歩くようにしています。足底は平起平落の意念で水平に抜き水平に降ろしているつもりなに、靴底を見ると左踵左側が極端に磨り減っている。そんな歩き方していないつもりなんだが、、

武士の情け

朝の散歩をしていて、ちょっと気がついたこと。

犬を散歩させていた男性、犬が電信柱の臭いをかごうと四足を踏ん張って停まろうとしました。飼い主の男性、リードが引っ張られるのに気がついて歩を止め振り返ると、犬が気の済むまでしばらくそのまま見守っていました。

こういうとき特に中年の女性だったりすると、強くリードを引っ張り犬の思うままに立ち止まらせないことが多いなあと。可哀想に犬は四足を踏ん張ったまま、ズルズル引きずられていき、肉球が擦り切れないか心配になったりします。

こういう男性って「武士の心」を持っているのかなあと、つまり「武士の情け」。こういう人はきっと「他人の座敷にズケズケ土足で踏み込むようなこともしないんだろうなあ。往々にして女性にはこの「武士の情け」がないように思うんですが、そういう発言って女性蔑視とかになるんですかね、、

ちょっとやり過ぎでは?日本人

「世間が知らない『段ボールも商品のうちがトラック・ドライバーに及ぼす深刻な影響」という記事に目が止まりました。

商品の入った段ボールは「梱包材」か、それとも「商品」かという問題。本来 梱包材のはずだが、汚れがついたりちょっとでも擦れたような段ボールが届けられるとクレームとなり返品・弁償させられるケースが多いため、トラック・ドライバーは非常に神経を使うという話。ユーザは中身を取り出した後、結局その段ボールはゴミとして廃棄するというのに、、

これは日本人の過剰な潔癖症(?)から来たものと思われます。私も後でその段ボールを何かに使うことはありますが、「たまたま綺麗な段ボールでラッキー」という程度の感覚しかありません。かつて日本のモータリゼーションが始まり、車を一家の誇るべき財としてピカピカに磨き上げ大切にしていた時代「フランス・パリではベコベコのベンツを平気でそのまま乗り回している」という話があり、私も「車はあくまで足」との考えで乗り回していました(でも、高価なベンツだったら違っていたかも、、)。

人参や大根でも、ちょっとでも形がおかしかったり、小さなキズやヒビが入っていたりするものは商品にならず、畑の隅に捨てられるというのもおかしい。以前は八百屋の店先には、そのような器量の良くない野菜も平然と並べられ、さして気にもせず買われていたのに、、

現代では、このように品物に対する潔癖症だけでなく、社会のほんの些細なことに憤りクレームをつける輩が増えています。以前も書きましたが、開業医を辞め一番ホッとしたことは「ああ、これで無体なクレームに対応する恐怖から開放感された」ということでした。どのお医者さんも異口同音に同じ思いを漏らされます。先日受診した大学病院の先生からも「ストレス・フリーになって、うらやましいですねえ」と言われました。

結局、「現代の日本人は本当の意味では、余りお利口ではなくなったということなのかなあ」と思っています。自分の頭で考えることなく、無責任な他人の意見に流されるままという、、この SNS の時代に、コワイ、コワイ、、

その逆の怖い話

現在のオランダが大変なことになっています。マフィアが麻薬を取り仕切り、麻薬反対の新聞記者や弁護士が路上で銃で撃たれ殺害されるという例が相次ぎ、殺し屋を雇う金も潤沢にあるということで麻薬撲滅にやる気充分のルッテ首相の暗殺や誘拐が企てられているとか。オランダに何でこんなに麻薬やマフィアが広まってしまったかというと、オランダ政府は厳しい政策で薬物を完全に追放することが不可能との結論に至り、以下の方針を立てた。

1.薬物使用は公衆衛生上の問題であり、犯罪ではない。

2.薬害を減らす。このため、ハードドラッグ(コカインなど)とソフトドラッグ(大麻やマリファナなど)を政策上明確に区別する。

つまり、ソフトドラッグをハードドラッグと区別して許可コントロールすることにより、ハードドラッグが入ってこないようにする考えだった。このようなことで、大麻などのソフトドラッグが街のコーヒーショップなどで大手を振って提供され、誰でも利用できる。

この結果、マフィアにドラッグを取り仕切る余地を与え、莫大な利益率をもつハードドラッグが拡大することになった。外国からの観光客の半分近くの入国目的がオランダでドラッグを体験することとなり、EU 加盟により中東などから流れ込む大勢の中にマフィアなどの犯罪集団が拡大することとなった。また EU により他国と出入り自由なため、麻薬流入はオランダだけの問題ではなく、欧州への麻薬の流入口となっている。

ルッテ首相は「ソフトドラッグを含む一切の麻薬への入口はなくすべき」と説き、徹底的な麻薬撲滅を図ろうとしているそうです。

日本人として見れば、そうですよねえ「立派な堤防の決壊も蟻の一穴から」というように、麻薬への小さなほころびでも最初から徹底的に潰しておかなければ、その先はとても恐ろしい犯罪集団の拡大につながる。几帳面で潔癖症の日本人とは真逆の、オランダの緩やかな自由主義なるものを聴いて「ふーん、そういう考えもあるんだ」と思うと同時に「その結果は、やっぱりそうなるよね」とも思うのでした。

○ 今そこにある危機、食料そして水

NHKのB1スペシャルで、いま世界で起こりつつある重大な危機を警告していました。それは先進国の「飽食」が引き起こす弊害。工業革命に匹敵する「緑の革命:広大な農地に単一作物の大規模栽培」が重大な弊害を引き起こしている。効率的な大規模農業コストの安い食料が大量に生産されるようになった一方、農薬や化学肥料の使用により土壌の微生物や虫などがいなくなり、土壌は劣化し空気中の二酸化炭素を蓄える好循環も絶たれる。一旦劣化した土壌は容易に元には戻らず、雨で土壌の流失が起こりやすく風に舞い上がり砂漠化にも繋がる。

ブラジルで広大な森林がどんどん伐採されて農地に変わっていき、アフリカの例では今まで自給自足で一家4人幸せに暮らしてきたところへ、そこが広大な農地の一部として政府に没収され、家の強制取壊の下敷きで父親を亡くした娘さんが「これからどうして暮らしていけばよいのか」涙を流していました(これは、つい最近も書いた中国の話と同じ既視感)。中国での豚肉の消費は国内生産で追いつかず、世界からも輸入。放映された中国のトウモロコシ畑の農民は、農地を取り上げられそこは広大な養豚場に変わる予定とか。豚に限らず、豊かになった巨大な中国、闇雲に食べ尽くそうとすればその量はハンパない。恐ろしいことになる、、

現在、先進国では飽食の一方で大量の食材が廃棄され、発展途上国では生産地から市場に届くまでの間に劣化や腐敗などで1/3が廃棄。世界の人口は増加の一途「あと30年を待たず地球は確実に深刻な食糧危機・水不足に至る」と警告しています。

われわれは「持続可能な社会」を目指し、生活をシフトすべき時です。番組では食糧危機を鈍化させるひとつとして、肉食の量を減らすことを提唱していました。そして家畜の飼育に使われていた大量の水や飼料食糧危機にあえぐ人々に回すべきと。私は闇雲に増えてきた人口を今後はコントロールすべきと考えます。塩梅が難しいですが根本的対策として必要でしょう、、

生活は原始的・粗末であっても、人々が自然を敬い自給自足で暮らしていた頃の方が「幸せ」というものがあったのだと思います。その頃、人々は森に入っても食物を手当り次第採り尽くすようなことはせず今後も種を残し子孫を残せるよう心を配っていました。そして互いに仲良く助け合うことが、自分達を守ることでもあったのです。

10年ぶり突然の大きな揺れ

就寝していると突然、枕元の携帯から、けたたましい警告音とともに大きな揺れ。私は20時半か21時には寝てしまうのですが、時刻はまだ22時半。それにしても、あの地震の警告音いやですねえ。以前も電車の中で、大勢の携帯が鳴り出すのに出くわしたことがあります。

私が幼児の頃は太平洋戦争、夜中に各所で空襲警報のサイレンが鳴り始めると大人達はあわてて退避行動。私は防空頭巾をかぶせられると安心していたとか。このような警報音は効果絶大であるとともに、トラウマともなり得る。戦後も工場から「ウウー」という昼休みのサイレンが聴こえると、あの夜中の空襲の恐怖を思い出すのでした。

揺れは結構大きく「こりゃあ、もしかすると常々警告されてきた首都直下地震?」とも思いましたが、幸い揺れは収まってきました。10年前の東日本大震災の揺れは、東京でももう少し大きく前後左右執拗に続き、余震も顕著でした。それでも今回、東京では震度4から5で、あの10年前以来の大きさだったそうです。電車など交通機関は止まり、エレベータなども止まったようです。こんな時、エレベータに閉じ込められたら最悪ですよね。

翌朝の朝風呂、追い焚きしようとするとコントローラが何度やってもエラー・メッセージ。幸い前夜の残り湯が何とか入れる温度で助かった。この2月に風呂釜交換工事で何日も銭湯通いしたばかり「またかよ〜」、ふと「もしかして地震のため?」。そうか、最近のガスメータは強い揺れで止まるんだった。ガスメータの復旧ボタンを押し無事復旧。良かった。

書斎に入ると、床に書類が散らばっている。よく見ると本棚から厚い本数冊とファイル類が滑り落ち、その下の CATV 受信機を弾き落とし、それが更に TV 受像機を蹴飛ばし倒れる寸前の状態でした。10年前はもっとひどく、買ったばかりの iMac 27インチがデスクから転げ落ち、前面ガラスに大きなヒビが入りました。

ニュースを見ると、都内各所で水道本管から大量の水が吹き出す事故。環七の柿の木坂、時々早朝散歩で通るところで水の噴出している現場中継。やってきた水道局員が、真っ暗な中、照明に照らされたマンホールに腕をつっこんで操作するも届かず、マンホールに入り首まで浸かってようやく止水成功。普通の作業着のまま全身水に入るプロ根性。このようなことが都内各所であったようですが、今の季節で良かった。これが真冬だったら、とても気の毒なこと。

経年変化は仕方ないことですが

よくお年寄りが「あそこが痛い、ここが痛い」とこぼしているのを聴いても他人事と思っていました。しかし、ここのところ自分もそうなっているのに気がつき、自分のことを「やだなあ、年寄りなんて」と思っています。

体勢にもよりますが、8月20日頃から左の強い股関節痛発生。一時的なものと思っていたのですが、これがなかなか治まらない。で、いろいろ工夫してみました。腰部周囲の筋力低下原因の一つかと、スクワットなどしてみると少し軽くなるようです。最近、筋トレさぼってたしなあ、、3週間ほどして、ようやく大分軽くなってきたのですが、未だに完治していません。幸いなことに朝の散歩には何の支障もなく、自宅に居ると折に応じて発生。股関節の摩耗で歩けなくなると嫌だなあと思ったりもしましたが、大分落ち着いたようで、まずまず。今後は散歩も股関節をいたわって歩くことにしましょう。

そして今月初め、朝の散歩から帰りしばらく椅子に座っていたあと立とうとすると、激しい腰痛に思わず心の中で「いてテテ、、」。その朝の散歩、少し歩幅を広げて歩こうとしたのが原因かなと思っていたのですが、この腰痛がなかなか治まらない。体位など色々と気をつけ過ごしたせいもあってか、1週間ほどで大分治まってきましたが体勢に気をつけないと発生しそう。座ると左大腿部にジーンと鈍い痛みが走ることがあるのをみると「こりゃあ、やはり腰椎が一個潰れたかな。それで神経が圧迫される痛みに違いない」。明確に潰れたような感覚はなくても、歳になるとそのようなことがありそうな。色々と気をつけてみると、腰痛の強い時は背筋がコチコチになっている。前屈姿勢で背部の痛みが猛烈に強い。このようなことから、背筋を緊張させぬよう姿勢を正しく、背筋の力を抜いて上体の体重を自然に骨盤に落とすよう心がけています。これは即ち、以前から中国武術で心がけてきたことであるはずなのに、まだ身に染み付いてないってことだな、、

このような養生で、今月中旬に入ると大分痛みも楽になってきました。やれやれ、大嫌いなジジイを自覚せざるを得ないできごとでした、、

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