2009.01 自分のためは地球のため

わーくすてーしょんのあるくらし ( 191 )

2009-1 大橋克洋

隣に建設中の みずほ銀行ビルが建ち上がると

来年からこの初日の出も拝めなくなります

わが家から望む最後の初日の出

太陽が輪郭の全容を現すには1分もかかりません

この速度で行くとあっという間に日没になりそうですが

そうならなということは「空は広い」ということ

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あけましておめでとうございます。 米国のクシャミが わが国へも甚大な影響を与え、 今年は最初から覚悟してかからねばならなりません。 しかし どんな状況下にあってもユーモアを忘れず 明るく毅然と対処したいものですね。

○ 幸福十訓

帝国ホテル裏のガード下、 ふらりと入った居酒屋のコースターに「健康十訓」なるものがあったので、 有り難く頂いて帰り私なりにアレンジしてみました 「幸せな人生を送るための十訓」です。

少乗多歩

エスカレータやタクシーにはなるべく乗らず自分の足で歩く。 動物は歩けなくなったら餌がとれず死ぬしかない

少衣多動

冬もなるべく薄着で過ごし、身体をよく使い動かす

少食多種

本来必要なエネルギー源さえ摂取すればよいはず。 食事が偏らぬよう色々な野菜・食物を

少言多行

くだらんことを言うより、正しいと思うことを実行

少力多荷

荷が重いのではない、君の力が足りないのだ。 一方で、無駄な力を使わず大きな威力を発揮する のが中国武術の極意

少欲多施

欲をかくより些細なことでも他人の役に立てれば、得られる満足度は深い。 思いがけず倍返しで戻ってくることもある

少富多趣

お金をいくら持っていても不幸な人は沢山いる。 良い趣味をもち 与えられた人生を楽しみましょう

少憤多笑

怒るのは一瞬、あとは笑顔で喧嘩しましょう

少憂多眠

人生ガックリくることは、しばしばある。 くよくよしているなら、寝ちまうのが一番。もがく者は溺れる。 下手な考え休むに似たり

少転多起

転ぶのは少なめに、すぐ跳ね起きる力を。 失敗するのも人生、失敗しないための教訓でも掴んで起き上がりましょう

幸せに必要な健康保持の訓戒も多く含みますが、 こうして眺めてみると多くは地球のエコにも繋がりますね 「自分のためは地球のため

○ 昔のエコ、今のエゴ

以下は茶道家の宗玄室氏が、お正月の新聞に書いていたコラム。 大いに共鳴しました。

これから地球上に食料危機が訪れると言われている。アメリカの食生活の影響は恐ろしい。 「賞味期限」などは食産業を発展させるために仕組まれたもので、 本来の日本では必要のないものである。家庭でそれとなく教えられたのは「舌の感覚」 「味との出会い」であった。自分の舌が食の善し悪しや味を決めるのである。 今では食べることができるものでも、賞味期限切れで捨てられる。 全くもったいないことがまかり通っている。 お役所が示す点数かせぎのようなことに支配されることなく、 善し悪しを自分で判断し、自然の恵みに感謝するという心をもって、 生活態度を自ずから厳しく処していくことこそが、 食料危機を乗り越えることになる。 重箱の隅ばかりつついて、肝心の問題を提起しようとしない世の中である。 それぞれが陰陽五行、自然の教えを知り、自分の生活態度を省みる必要がある。

ここで重要なのは「自分の責任で判断する」ということ。 インターネットが出現した時、私が考えたのは以下のようなことでした。

このまったく新しいインフラの特徴は 「今までは情報の責任を発信者に負わせることができたが、 インターネットでは情報に問題があっても、その責任は判断する受信者にある」。 そうやって 「情報を清濁合わせて呑むことによってこそ、強大な威力を発揮する新しいメディア」 であると。しかし、現在ではそれも「なし崩し」に 「インターネットに誤った情報や悪しき情報を流す奴が悪い」という扱いになりつつあります。 東独と西独を遮っていた頑丈な東西の壁を崩したり、 ソ連が現在の比較的自由な社会に変貌したのも、 私はインターネットの出現によるものと考えています。

「賞味期限」の他にも、最近は同様のことが沢山あります。 「個人情報」「医療費の抑制」などがそうでしょう。 裏で「市場原理主義」に毒された浅はかな企業の関与は少なくないはずと考えています。 ああ、「民はもっと賢くあらねばならない」のですが、 それを誘導することこそが「国」の役割ではないのでしょうか。

○ オバマ大統領の就任演説に思う

今月20日 初の黒人大統領として、バラク・オバマ米国大統領が就任しました。 就任演説の最後を以下のような言葉で結んでいます。

「未来の世界に語られるようにしよう。厳寒の中で希望と美徳だけが生き残った時、共通の脅威にさらされた国や地方が前に進み、それに立ち向かうと。アメリカよ。共通の脅威に直面した非常に困難なこの冬に、これら永遠の言葉を忘れないでいよう。希望と美徳をもって、この氷のような冷たい流れに勇敢に立ち向かおう。そしてどんな嵐が来ようとも耐えよう」。

ここで非常に思ったことがあります。 現代の日本の総理大臣は、 その就任演説にあたり自分が行わんとする政策について述べることはあっても、 このように「国民を鼓舞し責任や義務を自覚させるような強いメッセージ」 を発することはないように思います。

一方で、現代の日本では何か起こった時、他人の責任を追及することはあっても、 自分自身の責任と義務を考えることを公にするのを 強く嫌う傾向があるように思います。 昔の武士道精神の正反対に位置するものです。 どうなんでしょうか。「社会における自分の役割をわきまえ」 「正しいことを正しいと明言し」 「やるべきことを断固としてやる」。 重要なことは、これを誰から強制されるでもなく、 自発的にやるような風潮ができなければならないと思います。

米国崇拝の日本であるのなら、 米国の良いところを見習い、悪い所を反面教師とすべきですが、 小泉政権に顕著に見られたように政治家でさえその反対です。 「国家を尊び、力を合わせて困難に立ち向かう」、 米国国民のすべてがそのような精神で生きているとはまったく思いませんが、 少なくとも国の指導者はそのようにあるべきではないでしょうか。

○ 今月の歩術

ある武道研究家の書いたものを読んでいて 「ははーん、なるほど、、」と思いました。 「居合い抜き」の相手に対抗するには 「自然体でダランとしていながら、 一瞬早く相手の動きを読み、素手で相手の動きを止める」 ということです。そうすると、相手は刀を抜くこともできないとか。 「命をかけて勝負する武道に本来受け技はない。 受け技に見えるものも、本来は攻撃技である」 「勝負は最初の一撃で決まってしまう場合が多い」 とも。そう言えば、中国武術の達人も同様のことを言っていました。

自己流の中国武術でも、かなり素早く手が初動するようになりました。 これらの鍛錬はすなわち「脳と身体とを繋ぐ神経を機敏に動作させる訓練になる」 と書いたものがありましたが、それを実感しています。 「意」とともに、電光石火、「手」が動くようになりそうです。 「脳と身体を結ぶ神経機能のアップ」 これこそが介護予防であり、リハビリのポイントとも思います。

朝夕それぞれたった10分足らずの鍛錬だけでも、 そのような効果や筋肉質の身体の維持ができることがわかりました。 中国武術で求められる高い「功夫(ごんふー:練度による強力な技術のようなもの)」は、 些細にみえる運動でも、毎日、何年間も続けることにより得られます。 零戦の撃墜王、坂井三郎氏のように、 机から転がり落ちる鉛筆を無意識のうちに空中で掴むようになるまでは、 まだまだ鍛錬が必要のようです、、

最近なるほどと思ったのは、 「意識を去り無意識に身体が動くこと」という記述です。 これにより人間の持つ本来の滑らかな、 より合目的な動きが達成されると言うこと。 ということで、最近は「無意識」を意識して歩いてみています。 あ、そうそう、このような「無意識の動きが意味をなすには、 毎日、何年間もの弛まぬ練巧が欠かせない」という前提があります。

○ 武術と舞踊とのつながり

この本で、もうひとつ「なるほど、、」と思ったのは、 武術と舞踊との繋がりです。両者とも「いかに身体の部品をバラバラに動かしつつ、 目的を達成するか」なのだそうです。武術の中には、 制圧者の目をごまかすため、舞踊として継承されたものもあったとか。

で、なるほど、、と思ったのは、昨年暮れアイス・スケートの浅田真央ちゃんの動き。 仮面舞踏会の曲に載せ連続した終盤の激しい動きの中に、 まさに中国武術にも通ずる動きがいくつか見られました。 バランスを崩すことなく激しく千変万化の動きをするには、 身体の部品をバラバラに動かす必要があるはず。この説に納得した次第です。

それにしても、あの連続の激しい動きをし終わった後の真央ちゃん、 まったく息が上がっていないのには驚き。いくら若いからとは言え、 普通ではあり得ないこと。 中国武術のように、十分身体の力を抜き、 決め場のみに絞って力を集中しているのかも知れません。 中国武術では、準備運動なしに いきなり激しい動きを連続し、 終わっても息が上がることはありません。無駄な力を使わないからです。

○ 朝青龍

初場所の千秋楽、白鳳と朝青龍の横綱対決を見ました。 そのふてぶてしさと横綱らしからぬ行いで、 ここのところやや不人気の朝青龍、 今場所は散々の成績に終わるのではないかとマスコミの評価でした。 危ぶまれた中での開幕、 これらのプレッシャーが、かえって朝青龍の闘志を駆り立てたのでしょうか、 全勝で千秋楽まで持ち越しました。

白鵬との一戦、朝青龍は立ち合いを失敗、 あっけなく土俵を割ってしまいました。 そして、一敗だった白鵬と再度の優勝決定戦。 いかにも横綱らしい力強さで、 自分より体格の上回る白鵬を豪快に寄り切って優勝。 その瞬間の髪振り乱した朝青龍の満面の笑み、 開幕前のプレッシャーが大きかっただけに、 最高に嬉しい勝利のようでした。

表彰式では、全員起立しての国歌君が代の斉唱。 いつもオリンピックで表彰台に上がった日本選手の口が ほとんど動かないのがとても気になっていました。 今回、土俵を囲む観客を見ていると、 さすがに一定年齢以上の人は男女を問わず しっかり大きく口を開いて唄っています。 そして国歌に敬意を表し、片手を胸に当てた朝青龍も。しかし、 ここでも日本の若い人達の口は、ほとんど開いていません。

やはり、現代の日本人は何か変、、 現代の日本人があがめる米国では 国旗や国歌に対して、このようなことはまずありません。 それにしても、負けず嫌いの やんちゃっ子のような朝青龍。 今場所復活の経験を機に「横綱の品格」が備わってくれれば シメタものなのですが。

「優勝を決めた後、朝青龍のガッツポーズが横綱の品格にふさわしくない」 という意見が出たようです。私は現代の相撲にあっては、良いと思いますがね。 ただし皆がやると、確かに相撲本来の伝統の雰囲気を壊してしまいます。 あくまで朝青龍のキャラクターとしてやるのなら、という条件つきで。

それにしても、マスコミの朝青龍叩きが目につきます。 最近の朝青龍の動向に余り注意を払っていなかったので 私の判断が正しいかどうかわかりませんが、 単に「朝青龍がマスコミの思う通りにならなかったことへの腹いせ」 と見るのは穿った見方でしょうか。

○ 今月の脳トレ

先月からの Web 版電子カルテ NOA の全面書き直し、 予想通り1ヶ月足らずで現場投入となりました。 本体部分のロジックは全面書き直しですが、 周辺ツール類は微調整程度で済むものが多く、 予想通り短期間で書き直しできてしまいました。 このあたりが「電子カルテのモジュール(部品)化」大きな利点のひとつです。

今回、書き直しに至ったのは 「カルテのページめくりの表示が余りにも遅い(とは言え5秒から10秒程度なのですが)」 のが最大の理由でした。 ロジックの見直しで、今度は大分快適にページめくりができるようになりました。 初めての Web 版電子カルテ本格挑戦ということもあり、 ロジックに凝り過ぎたのが原因でしたが、これをシンプルにしました。

ページ読み出しは快適になりましたが 「書き込みはやや遅いかな」という印象です。 恐らく書き込みにはデータベース側で、 いくつものインデックスを張る作業(検索を速くするため)など 入るからではないかと考えています。 ある程度やむを得ないのかも知れません。

今回の書き直しで、試行錯誤で多少入り組んでいたソースも かなり整理できたように思います。これも想定していた効果です。

○ どこにも必要な美的情緒

藤原正彦氏の「国家の品格」を、 とぎれとぎれに読んでいます。あまりにも共感するところが多いので 一気に読むのが勿体なく、 少しずつ余韻を楽しみながら読んでいるためです。 このコラムでも時々憶いだしたように 引用させて頂くことになるかも知れません。

今回の共感したテーマは美的情緒について。 このような例えから始まります、、 西洋人の愛するバラの花は、色も香りも濃厚だが棘を隠し、 茎にしがみついたまま色あせてゆく。 日本人の愛する桜の花は、色も香りも淡く人を飽きさせない。 自然の召すまま風が吹けば潔く散ってゆく。

桜が満開になると待っていたかのように、 強い風や冷たい雨がやってきて桜の花を散らせる。 花の咲いていない桜の木は、毛虫は多いは、黒ずんで 幹は節くれだち、ちっとも見栄えがしない。 それでも日本人は、たった数日の開花を楽しむため 桜の木を愛する。 私が大好きな「秋の虫の音」も、 西欧人にとってノイズとして感じられるというのも ちょっとショック(西欧人すべてではないでしょうが)。

そしてさらに共感したのは 「数学に最も必要なものは美的情緒」。 癌学会や土木学会でも同様のことを言われたとか。 このようなことから「あらゆる理系の学問において、 美的情緒こそ最も重要と確信」したそうです。 私は、数学を専門にやらないので実感として わからないのですが、 「なるほど、わかるわかる」と思うところはあります。 奇麗なもの(外見より、むしろ中から発するコンセプトや仕組みなど) の好きな私には堪らない言葉として捕えられました。

Apple 社の製品の質は、まさに Jobs の「美的情緒」から 生まれる以外の何ものでもありません。ちなみに、 藤原氏は理系の学問しか 挙げていません。文系は当然だからなのかも知れません。

○ Steve Jobs の療養ちょっと心配

昨年春頃 Steve Jobs の映像が、かなりやつれた感じで心配していたところ、 その後の映像ではやや回復し活力も十分に見られ安心していたのですが、 やはり療養のため6月まで休養をとるというニュースが入りました。

カリスマ経営者の交代は、 どのような場合でもいずれは避けがたいことではあるのですが、 もう10年位は頑張って欲しいと願うものです。 私の愛した HONDA、SONY いずれも創業時のカリスマ経営者なき後、 どんどん面白さがなくなってしまいました。 後継者の努力で会社としては存続していますが、 当時の活力を垣間みることもできません。

以前 Jobs が去った後の Apple のカオスと凋落を見ているだけに、 とても心配です。Microsoft も創業経営者が去ったことでもあり、 そろそろ世代交代に入る時期ではあるのですが、、 Jobs に万一のことでもあれば、これからは 見たことも無い素晴しいガジェットでドキドキ 胸躍らせることもなくなってしまいます。

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これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です