わーくすてーしょんのあるくらし ( 361 )

大橋 克洋

katsuhiro.ohashi@gmail.com

2023.05 己を知る

歳をとると、若い頃のように「むやみに他人と競うことがなくなる」ようです。つまり一般的に「穏やかになる」。これには若い時ほど心身の爆発力がなくなるということがあると思いますが、一方で「己を知る」からでしょうかね、分相応になるというか、、

これには良い面があるとともに、見方を変えれば「進歩が止まる」「向上心がなくなる」ということでもあるかも知れません。私的には、それはちょっと気に入りません。別に他人と競う必要はありませんが、分相応な「自分磨き」は生きている限り続けていきたいと思っています。

○ 和菓子日本のほこる芸術品

日本の古い歴史のなかで受け継がれてきた「和菓子」を私は大好きです。以下で絶賛するのは美しく美味しい和菓子ですが、通常好むのはごく素朴な御萩(牡丹餅)や柏餅、桜餅など、よもぎの香る草餅も大好きですね(御萩と牡丹餅は同じもの説と異なる説がありますが、いずれにせよどちらも好き)。ちなみに お酒も好き、饅頭サカナにビールだって何の問題もない。

父が育ったのは葛飾で本家の墓地は葛飾奥戸にあり、子供の頃、墓参の帰りによく葛飾柴又の門前街で草餅を食べたものです。後にその高木屋が「男はつらいよ」の寅次郎の実家のモデルとなりました。なので「男はつらいよ」にでてくる柴又の町並みやお寺・お店などはとても馴染み深いものです。

話を元にもどしましょう、、加賀百万石のもとで栄えた金沢の和菓子文化に関する特集番組を見ました。金沢は地理的に京都との往き来があり前田公の庇護のもと絢爛豪華な文化が育った地で、戦災にもあうこともなく古の面影を残す町並み。私が京都の次に好きな街です。当時このコラムにも書きましたが17年ほど前、冬の寒いなか金沢の街を歩き回ったことがあり、和菓子の店が多いなあと感じました。お茶をたしなむ文化が広まった関係で和菓子も栄えたのだそうです。現在でも毎日和菓子屋に通うお客、それに日に2回も買いに来るお客もあるとのこと。番組では色々な老舗の創る和菓子が紹介されました。前々から感じていたことですが「和菓子は世界に誇れる芸術品」と思いました。その楚々とした美しさにはうっとりします。

、、と思っていますが、私の周辺を見ていると街から和菓子屋さんがどんどん消えつつあります。日本の伝統的なもので消えゆくものは沢山ありますが、和菓子は方向性さえちょっと変えれば十分生き残る価値あるものと思い、この一文を書くものです。

現在、日本の若い子が好むのはケーキなど洋菓子一辺倒ですが、SNS などで誰かが火を付けさえすれば、彼女たちも一気に和菓子に熱を上げることになるはずと思っています。和菓子の姿は、かなりバエるはずですしねえ、、あるいは、この方向性を変えるのは、和菓子の芸術性に感動した外国人の意見になるのかも知れません。

○ 今月のコロナ

3年にわたり猛威を奮ってきたコロナ、先月頃から感染者数の減少した状態がやや長めに続いています。これにより政府も緩和の方向に向き、街にもマスクなしの人がちらほら見受けられるようになっています。海外ではすでにマスク姿の方が少なくなっている国も多いですが、コロナ前から花粉症や化粧の関係でマスク姿の多かった日本では、まだしばらくマスク姿は消えないのでしょう。そう言う私自身もまだ当分はマスクをはずさないつもり。ウオーキングでは息苦しい思いをしましたが、最近では慣れてしまいました。特に冬場は防寒効果もあり、マスクは必須となります。

そんな流れで、この3年間休止していた色々な会合が一気に再開しつつあります。大勢の会合への出席には まだ腰の引けたところもあるのですが、幾つかの会合に出席することになりました。慈恵医大品川支部同窓会には欠席の返事をしていたのですが、出席せざるを得なくなりました。遠藤支部長が体調不良で退任の意向、紆余曲折の結果、私に支部長のご指名。品川地区は品川区医師会と荏原医師会で構成され、私の知る限り支部長はずっと品川区医師会から出ていたのですが、名だたる先輩方が皆亡くなってしまい、結局一番年上に近いということで荏原医師会の私にお鉢が廻ってきた次第。やむを得ず短期間のつもりでお引き受けしました。その他、地区医師会の部会や呑み会など、ぽちぽちと始まりました、、

再開した会合のひとつとして麻布学園(中学・高校)の同期会がありましたが、こちらは欠席。翌日、幹事からメールで、70数名が出席し盛会の報告と会場の様子が写った沢山の写真が掲載された URL が送られてきました。私は中高時代、親友と呼べる同級生は一人しかおらず、その安藤勝也も卒後まもなく行き方知れずで名簿は空欄の状況。そんなことで、そもそも親しい友だちが少なかったところへ持ってきて皆80歳を過ぎたとあって、すべての写真の顔を仔細にみても、ただただ老人たちの顔でこれは◯君だと言える顔がみつからない。わかったのはジャズ・ピアニストとして有名な山下洋輔と慈恵でも同級の青木くらいだが、山下とは6年間一度も同じクラスになったことはない。

次に来るコロナ第8波は過去最高になる可能性もという声もありますが、さてどうなんでしょう、、

○ 今月の歩術

今月もモデルウオークを主に意念しながら歩いています。ネットの記事に「モデルウオークは身体に良くない」というのがあり読んでみました。趣旨は「身体の不要なところに力を入れて歩くので良くない」、例えば「姿勢を良くしようとして腰を張る」など。確かにモデルウオークを意識して歩き始めた人にはあてはまることでしょうが、ベテランのモデルさんにはあてはまらないと思います。ベテランになると「いかに無駄な力を入れないか」により、美しい歩きを魅せているはず。

私もモデルウオークを意念しているとはいえ、長年研究してきた中国武術のしなやかな歩き、ネコ科の歩きが身体に滲み込んでおり、実際にはそれらを統合した歩きになっていると思います。前肢をまっすぐ伸ばしたまま腰から着地するので、初心者的にモデルウオークをすると股関節に強い衝撃があり長期間続けていれば股関節を痛めてしまう可能性が高いと思います。しかし無駄な力を入れないネコ科の歩きが組み合わさっていれば、股関節に強い衝撃を与えない歩きになります。

そんなわけですが、今月は歩き初めに「今日はちょっと長めのコースを」と思っていながら、しばらく歩くと疲労感というか持久力の低下を感じコースをショートカットしてしまうことが、ままあります。下旬には脱力感のようなものも、、今年の5月は夏日や猛暑日があったかと思うと翌日ガクンと肌寒くなるような寒暖差の激しい気候。そのせいもあって、下旬になると何となく倦怠感のようなものが、、これは毎年恒例の「汗をしっかりかくようになれば解消される」やつに違いないと思っていますが、それは来月に持ち越されることになりそうです。

早朝散歩で後ろから来た女性に自転車で追い越しざま「先生お早うございます」と挨拶されました。見ると時々この辺りで挨拶を交わす初老の女性。医師会検査センターの集配を長年していましたが、検査センターが外部委託になってからは会議室でお茶くみなどをしてくれていました。「後ろからでよくわかったねえ」と言うと「先生、何年のお付き合いだと思っているんですか」と返されてしまいました。

散歩コースの途中に、ここのところ久しく出会わない小学校同級生の家があります。最近姿をみないので「元気でいるんだろうか」と気になっていました。前方に犬を連れた老夫婦が立ち止まっています、脇をすり抜けようとすると「大橋君!!」「大橋君だよね?」お互いマスク姿なので。私は対向してやってくる人の顔をしっかり見るのは何か悪いような気がして、はっきり見ていない癖があり、よくこのような失礼をします。彼が以前よりちょっと痩せていたのは気になりましたが、お互い80歳を過ぎればそんなこともあるかと深く追求はしませんでした。しばらく姿を見なかったのは病気でもしていたのかな、、

○ 日本の高齢化社会と人口減少

「日本の少子化」についての特集番組、大変興味深く視聴しました。日本の人口分布をグラフで示すと、1950年頃は上が尖り年齢が下がるほど幅の広がる綺麗なピラミッド型:小さな子供の数が多く高齢になるほど数は少なくなる。これに対し現代は上は尖っているが60代から80代にかけての年齢層の幅がもっとも広く年齢が下になるほど細くなっていく紡錘型。

この年齢が下がるほど人口が少ないパターンでは、そもそも子供を産む生産人口が減少するため加速度的に人口減少が進む。つまりこの人口形態を根本的に変えることができない限り、「人口減少により日本は確実に消滅する『絶滅危惧種である」という説明は非常に納得するものです。

ではどうすればよいかと言うと、このパターンをピラミッド型に近付けなければいけない。それには現在の世の中の考え方を根本的に変える必要があるということです。世の中の考え方をガラリと変えることは実際にはかなり難しいことではありますが、、

○ 少子化へどう対応すべきか

マスコミではほとんど聴かれないことですが、私が強く感じてきたことは「少子化は核家族化とともに進んできた」。核家族化になる前の日本社会では親世代が農作業などに忙しくても、自宅にいるお祖父ちゃんお祖母ちゃんが子供の面倒を見、ある程度の教育もしてきた。

上記特集番組では、これをより広くとらえ「共同繁殖」という言葉を使っていました。つまり子育ては生みの親だけが行うのではなく、両親・血縁者・地域などもっと広い範囲で行われるべきというもの。また「齢間分業」という言葉もありました。アリや蜂などの社会では、子育ては若い個体が行い。歳をとった個体は外に餌をとりにでかける。外では鳥に捕食されるなど命の危険も多いが、歳をとった個体はすでに人生を回収しており、いつ死んでも全体としての損害は少ない。

これを人間社会にあてはめた場合、例えば高齢者を戦争にだすなどということは効率的にも実際的ではないが、子育て支援などならできる。今後ますます年金は先細り確実だが、歳をとっても保育園などで働くことができれば給与がもらえる。給与額は若い人より低く抑えられるので、支払側にとってもメリットがある。別の番組でやっていたのは、保育園や幼稚園へ老人施設の併設。給与はでなくても、老人にとって生き甲斐や癒やしなどのメリットがある。お爺ちゃんお婆ちゃんの知恵を伝えることも大切。

つまり、これからの日本社会では「共働きで母親が外で働いていても、子育てが問題なくできる仕組み」が必要ということ。そして増加する高齢者が、そこに参加できれば一石二鳥ということです。

人口減少した日本での対応

上記特集番組で「なるほど〜」と思ったことがあります。

現代ではグローバリズムが盛んに唱えられ「色々なものを世界全体でシェアすべき」という考えがあるが、どんどん人口減少の進む日本ではむしろ鎖国の方向へむかうべき。実際に鎖国は極端だが、現在のように工業製品の原材料や食料その他諸々の多くを輸入に依存するのではなく、日本の中であるいはその一部地域の中で全て賄うようにしていくべき。地産地消の考え方。グローバリズムが地球全体に広がった場合、実際には利己的なものだけが利益を独占して栄え、その結果いずれそれも自滅して世界は崩壊する。

なるほどね、中国などは実際にその方向で弱い低開発国などに触手を伸ばしていますよね。この調子だと、崩壊は考えるより早いかも知れない。

一方、日本の人口減少にメリットもある。一人が使える土地の面積がゆったり広くなり、食糧問題も良い方向に向かうなどなど。だが良いことばかりではなく、デメリットも考えなくてはならない。いずれにせよ一時期のように、日本が世界の中でどんどん発展し「行けいけどんどん」という具合にはならないはず、、

アーキテクチャーとは何をさすか

「なぜ macOS は Windows より、はるかに滑らかに動くのでしょうか」という質問に対し、ある方が答えていました「それを実現している技術的違いは色々あるが本質はそこではなく、それをデザインした人の思いにある」「macOS を作った Steve Jobs は『あくまで人に優しく滑らかに動くシステムを作ろう』という思いから始めたから」。

ここで私の心が共鳴したのは「アーキテクチャーとは技術ではなく思想である」という言葉。「空を飛ぶ飛行機も海を渡る船も、空を飛びたいとか、海を渡りたいという思いがまずあって実現した」、Jobs が提供したかったのは、世の中の人が心地よく自然に使えるような道具だったのです。

コンピュータといえばビルのワンフロアーでエアコンをがんがんに効かせ使われていたメインフレームと呼ばれる巨大で高価な機械だった時代、Jobs は「自転車のように誰でも気軽に乗り回せるコンピュータを世に提供したい」という思いで、パーソナルコンピュータ macintosh を作り、紆余曲折を経てその思いを実現しました。それは現在 iPhone へ進化し、世界中の一般社会に広く浸透しています。

世の中に提供される色々な道具には、それを作った人々の思いが反映されています「このような道具を作って金儲けしてやろう」「どうだ凄えだろうと自慢できるものに仕上げてやる」などなど、、しかし、そのような考えで作られたものが世の中の人を幸せにする可能性は低いと思います。「次世代の Jobs か」とも言われたイーロン・マスクの作るものも、どちらかと言うとこちらに属するのではないかなあ、、

私が40年以上前から Steve Jobs とその作品に感動してきたのは「それらの道具は楽しくまことに心地よく使えるから」です。そこには「シンプルで美しいデザイン」も含まれます(長い歴史の中では、あまり美しいとは思えない作品も少しはありましたけどね)。

ちなみに私がライフワークとして開発に没頭していた「電子カルテ NOA」は「医療の現場で効率的・快適・楽しくつかえる道具は、どうあるべきだろう」という一念からでした。

○ AI の脅威ようやく認識されはじめる

もう30年以上前、天才的コンピュータ技術者などが口をそろえ「将来、人工知能の発達は人類への大きな脅威になる」と訴えていましたが、多くの人は身近に感ずることなく「ああ、そう、、」と聞き流していました。それから数年を経て映画「ターミネーター」が登場、現実の映像として描きだしました。これは大ヒットし回を重ねましたが、AI の脅威を具体的に実感させる画期的なものでした。もっと前1968年の映画「2001年宇宙の旅」の AI 「HAL」 もそうでしたね。

さらに年を経て chatGPT という誰でも容易に使える AI が世界に開放され、再び多くの人々が AI の脅威を叫びはじめました。今回の特徴は AI の開発者そのものや AI を商売として使っているイーロン・マスクまでが、AI の脅威を訴えていること。今になって急に脅威を感ずるようになった理由は AI が進化し、chatGPT などの登場によって多くの人が その賢さを実感したことが大きいと思います。天才的科学者である故スティーブン・ホーキング博士は2014年 BBC のインタビューに答え「AI は独立独歩で進化をはじめ、未曾有のスピードで自らをリデザインしていくが、人間は生き物なので進化のスピードは遅く限度がある。競争にはとても追いつけず主役交代になるだろう」と語っています。

「AI は核戦争級の脅威になるはず」と言われていますが、ターミネータで描かれたように AI が核を使う可能性だってあるかも。当面、ありそうなのは「選挙への悪用」「おれおれ詐欺のターボチャージ」など。トランプ陣営の作ったバイデンを貶めようとするフェイク動画がニュースで紹介されていました。かつて佐藤栄作首相は群がるマスコミをシャットアウトし「テレビだけは嘘をつけないので入ってよし」としましたが、これからはいくらでもフェイク映像ができる時代になり、映像といえどもまったく信用できません。これで騙される人は極めて多いはず、誠に困ったこと。

AI を専門とする多くの識者が「AI は人間にとって、とても有用なものだが、とりあえず開発を一定期間ストップし AI の脅威に対するルールを決めるべき」と叫んでいます。SF 作家アイザック・アシモフの有名なロボット三原則「人間への安全性・命令への服従・ロボット自身の自己防衛」は、かなり早い時期にこのような危機への具体的対応策を提案したものでした。

○ 共生という絶妙な仕組み

細菌など「微生物」が、われわれ生物や地球環境までを左右していることが最近解ってきたそうです。例えば、葉緑素を生成する機能をもったものを体内に取り込むことにより、自分自身には光合成の仕組みがなくても光合成でエネルギーを得て生きていけるようになるなど。これを「共生」と言います。われわれ人間も、色々な腸内細菌と共生することにより自分では分解できない物質を分解してもらい栄養として取り込むことができています。

たまたま別の番組で「キノコ」について特集していました。キノコも特定の植物と共生して相互に栄養を与えあっている例が多く見られます。松と共生する松茸はよく知られていますね。キノコは多量の胞子を空中に放出することにより子孫をばらまいていますが、その時期が過ぎると特定の動物に食べられることにより胞子を糞の中に包含し子孫を増やす例もあるとか。またキノコは地中に菌糸のネットワークを広い範囲に張り巡らせ、それらが相互に栄養をやりとりしている例もあるそうです。竹林を構成する竹がすべて地下茎で繋がっているのと同じですね。さらにはキノコが共生している植物自体もこのネットワークを介し栄養をやりとりすることも。この菌糸のネットワークは1Km にも及ぶことがあるということには驚きました。

冒頭の例のように、微生物が他種の微生物の細胞内に入り込み葉緑素で生成した栄養を宿主に与えるということなどは凄いですね。生物はこうやって進化してきた面もあることなのだそうです。地球上の生物が海中で発生した後、微生物により植物繊維を消化できる機能を得て陸上生物へと進化してきたことが解ってきたそうです。共生により自分の持たない機能を補完してもらい、機能分担して生きるということ。

夫婦になるということも、そういうことかも知れません。共生という機能分担を円滑にうまく活用できる夫婦がうまくいく夫婦ということも言えるのかも、、もっと人類は共生しなければいけませんね。上で述べた「AI の脅威への対応」も「うまく AI と共生すること」がベストな解なのでしょう、、

○ 共生について更に考える

上にもちょっと書きましたが、森林の植物の根は地下で菌糸ネットワークに繋がっており、光合成で作った栄養(主に炭素)を菌糸ネットワークを介してやりとりしていることが最近わかってきたそうです。

こんな実験がありました。元気な植物A の隣に植えた2つの植物 B, C を黒い布で覆い光合成ができないようにします。植物 A の根と B の根との間はプラスチック板で完全に遮断。一方で植物 A の根と C の根との間は植物の根は通さないが菌糸は通すことのできる細かいメッシュで遮断。こうして半年ほど放置してから黒い覆いをとってみると、 B は完全に枯れていたが C は生きていた。こうして、B には A から菌糸を介し栄養が届いていないが、C は菌糸を介し栄養を得ていることが証明されたのだそうです。

従来の考えでは、森の中で樹木は高さを競って日光を奪い合い、小さな樹木を押しのけていると考えられてきましたが、実際にはそうではなく森の樹木たちは弱いものを助け、互いに支え合いながら生きているのだそうです。ところが最近では排気ガスや森林火災などにより、これが妨げられている。こうして枯れた土地になってしまうと、地下の菌糸ネットワークも死んでしまい、新しく木を植えてもなかなか元の森林に戻すことは難しいのだそうです。こうして自然界の巧妙な循環の仕組みが回らなくなり、悪い方向へ崩れていくことになります。

こうして考えると、人類は地球や自然に対し何と罪深いことをしているのだろう。プーチンの戦争や中国の領土拡大の害するところは大きいですが、これからの人類は共生の仕組みを上手に取り入れ互いに発展していくべき、その共生には AI も取り込んで。AI にとっても、人類という手足をもったものと共生するメリットは大きい。AI にもこうした考えを教えていけば、ターミネータの世界が実現することなく、皆が望む自然と融和した共存共栄の世界を築いていくことができるに違いありません。