2015.04 これからはアプリ同志がコラボする時代

わーくすてーしょんのあるくらし ( 266)

2015-4 大橋 克洋

目黒川の桜、今年もみごとに咲きました

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◯ これからはアプリ同志がコラボする時代

今まではデスクトップ・コンピュータの上のアプリケーション、すなわち独立したアプリで仕事をする時代でした。しかし、これからこの形態が大きく変化すると考えています。 夫々のアプリが独自のサービスを受持ち、自分の持たない機能は、そのような機能を提供するクラウド・サービスを利用しながら成果物を作り上げてゆく時代。すなわち、ネットワーク上の色々なクラウド・サービスがコラボし融合して有機的に仕事を成し遂げてゆく時代を確信しています。まさに一時よく云われた SaaS:Software as a service ですね。 病院機能に例えると、昔は検査も給食も清掃もすべて院内・自前で行っていましたが、現在はそれらを専門業者に外注しているところが多いと思います。これと似たようなことですが、すべて自前というのは全てを把握できるという良い面もある反面、夫々のエキスパートに任せることは効率化や質の向上につながるわけです。 ということを書きながら、自分のソフトウエア製作を振り返ると、今やネットワークに公開された優れたライブラリーを利用して Web アプリを組み立てる時代にありながら、私自身は細かいライブラリーから全てを自前で作り、これを利用してソフトウエアを作っています。まあ、道楽だからできることでしょうね。しかし、その作品である電子カルテに関しては、以前から何度も述べるように、電子カルテの周辺ツールはネットワーク上で提供される色々なものがあって、ユーザはそれらの中から自分に合ったものを自由に選んで利用できるべきと考えています。

◯ 今月の歩術

ネットで「年収の高い人ほどよく歩く」という記事が目に止まりました。歩くことにハマっている私の年収は、最近どんどん落ちいて決して高くなくなっています。従ってこの記事のタイトルには当てはまらないのですが、内容を読むと「ふむ、ふむ」というところがありましたのでご紹介します。

歩くことでまず挙げられていたのが Steve Jobs 氏。彼が何か新しいアイデアなどを打ち合わせする時「ちょっと歩かないか?」と言って、自宅の裏にあるリンゴ畑を歩きながら話をするというような風景がよく出てきます。彼は Apple 社内でも廊下を歩きながら会議をすることがよく有ったようです。facebook のザッカーバーグ氏も歩きながらの会議を取り入れているとか。99才のユダヤ人スーパー実業家が孫に与えた成功の秘訣も「考えが煮詰まったら、とりあえず家の中を 2km 歩きなさい」だそうです。

歩くことには3つの効能があるそうです。

    1. 健康面の管理

  1. 血行促進・筋力増強・生活習慣病の予防や改善・日光によるビタミンDの摂取など

    1. 脳の老化防止

  2. 歩行は脳の前頭葉を活性化させ「歩くことは脳の老化を防ぐシンプルな方法」。アルツハイマー協会の「脳を守る10箇条」では「30分以上の歩行が効果的」とか。

    1. 創造力の向上

  1. スタンフォード大学によれば、ウオーキングをした学生はしなかった学生より「創造性ポイントが高い」という結果だそうです。

特に目新しい知見というものでもありませんがね、、

◯ 次第にむずかしくなった世代継承

私の診療所は武蔵小山商店街に面しています。戦争前には商店街の有志がそろって満州へ集団移住し全滅したという話があります。父が戦地から復員し家族でこの地に戻ったのは昭和23年でしたが、商店街は殆ど焼け跡で映画館前面のコンクリート壁だけが焼け残っていたのが記憶に残っています。しかし商店街は早くから立ち直り、やがて作られたアーケードの長さは東洋一と云われました。700m ほどですが、現在でも初めて訪れた人からは「随分長いアーケードですね」と云われます。

現在でも土日には真っすぐ歩けないほど賑やかな商店街ですが、最近はどんどん店が入れ替わっています。昭和20年代から続いている店はおそらく5つもないのではないでしょうか。大橋医院もそのひとつ。小学校時代から近所の遊び仲間だった同じ苗字の大橋君が最近飲み仲間になりました。商店街の役員をやったことのある彼に聽いてみると「そりゃー、どこの店も子供が後を継ごうとしないからさ」だそうです。

なるほど、私の所も長男が医師になったものの勤務医になり、後を継承するつもりはまったくなさそうです。本当は建築家になりたかったのに父の意志に添い医業を継いだ私ですが、もうそのような世の中ではなくなりました。ドキュメンタリーなどで老舗や職人の家業を息子が継いでゆくのを見ると羨ましくはありますが「まあ、仕方ないか」。

継承は別にしても、成人すると親と別居するのが普通になってしまいました。核家族化ですね。子育て・介護の問題など現代の大きな問題はここから発生しています。以前のように親子家族が一緒に住んでいれば色々な面で相互補完ができるのにね。もちろん一緒に済むことによる諸々の問題はありますが、そちらをうまく解決してゆくことの方が大事ではないかと思っています。

◯ 晩年のシェア・ハウス

TV ドラマで、田舎に帰った一人暮らしの女性が自分の生家をリフォームし、同じような世代の人達とシェア・ハウスをはじめる話をやっていました。このような形態に私は大変魅力を感ずるのですが、実際にはなかなか難しいんですかね。入院・分娩を盛大にやっていた頃、憧れていたのは共通の意志を持つ産科医とパートナーシップを結び共同運営することでしたが、とうとうその夢は成りませんでした。それと同じことかも。

家内にシェア・ハウスのことを話すと「そんなの絶対無理」と言っていました。確かにそれを維持するには色々な問題があるはずとは思いますが、もし同じような志をもつ人達とめぐりあうことができたなら、そのような夢の実現も面白いなと、、

共稼ぎ若夫婦の子育て支援などを組み合わせることができれば、更にメリットは大きいはず。しかしこのような話、現代では「性善説」を維持しようと努力する人達なくしては成り立たないであろうことも悲しいこと。やはり社会は破綻に向かっているのかなと、つい暗い思いもかすめてしまいます。

◯ 平等って何?

社会主義の国「中国」から自由主義の国「日本」にあこがれて来日した留学生が、「日本が中国より社会主義になっていることにがっかり」と書いていました。

「中国は社会主義だから平等でなければならないが、日本が平等でなければならない理由がよくわからない。日本では大勢の人が平等を追い求めた結果、日本社会は中国社会よりずっと社会主義的になってしまった」「27年前、さまざまな苦労を乗り越えてようやく社会主義中国を脱出した。それなのに、辿り着いた日本はなんと中国以上に社会主義の国だった。その落胆がどれほどのものだったか、皆さんに判って頂けるだろうか」「二期目の安倍政権でもっとも良かったと思う点は、安部総理が就任初期に『報われる社会作り』を提唱したことだった。だがその後どういうわけか、報われる社会作りは云われなくなった」と。

これは私も常々感じ、このコラムにも書いてきたことです。社会のために良かれと文句も云わず頑張っている人は評価されず、自分は怠け放題で社会貢献など見向きもしないくせに不平だけを大声で叫ぶ人が優遇される。これっておかしくないですか?

政治家は「正直者が馬鹿をみる」社会の是正を第一に行うべき。それでこそ、住み良い社会と前進的で活力ある社会を育むことができると信ずるものです。

正直者が馬鹿をみて、社会貢献という考えすらない者が税金のお世話になる、これを是正することが重要ですが、そういう意味で本当の平等・公平をめざすには外見上の不平等・不公平が起こってくるのはやむを得ないことと思います。つまり「本当の公平の実現には不公平が必要」とも云えます。私の属するある組織でも、本人の不心得から社会的な問題を起こす者が居た時、私は組織としてルール通りの対応をすべきと主張するのですが、「いやいや、仲間なんだからそれは可哀想だろう」という声がでます。日本社会には結構そのような暗黙のぬるま湯の考えがあるんですよね。情は必要ですが、本質的な情の心をもって厳しく対応すべきと思います。あれはお話ではありますが、大岡裁きや鬼平犯科帳などを見ていると、本当に「情の心をもって厳しい裁き」が行われています。

◯ 旅客機について考える

ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルで「メーデー」という航空機事故の特集を放映しています。100話あるそうで、興味深く視聴しています。飛行機は昔から大好きですが「飛行機なんてものはいつ落ちてもおかしくない」と覚悟しつつ乗ってきました。「万一のことがあっても瞬間的なので楽でいいや」とも。余談ですが、私がやっていた馬術でも教官から「落馬も馬術のうち」と教わりました。乗れば落ちるのは当たり前。この特集を見ると航空機事故の原因は実に多彩ですが、主に機器の不具合・誤操作・気象の3つ。

機器の不具合の多くが整備にからんでいます。最近の「格安運賃航路」を私は大変心配しています。値段を下げるとなれば、どうしても整備などにしわ寄せが来ることは否めません(表面上そんなことは絶対ないとは言っても)。昨日見た番組では尾翼を止めるボルトに正規品ではなく格安で性能のずっと劣るものが使われていたため、長期間に渡る機体の振動でボルトが破損、尾翼が吹き飛んだため操縦不能で墜落というもの。その後、広く調査してみると、安全最優先と考えられている米国の大統領専用機エアフォースワンにもそのボルトが使われていることが判ったとか。外見上では正規品と見分けがつかないのだそうです。比較的多いのが「機体の金属疲労で、与圧されたキャビンの外壁が吹き飛ぶ」事故。御巣鷹山に墜落した日航機事故もそうでしたね。

日航機の事故がそうですが、特に尾翼関係の操舵ができなくなるのは致命的。今更ながら飛行機に尾翼はとても重要なんだなあと。自動車なら、タイアひとつはずれても何とか対処法ありますけど、航空機では致命的。錐揉み状態はもちろんですが、極端な機首上げによる失速も怖いですね(その前に、そうなる何らかの原因があるわけですが)。

つい先日のフランスでのドイツ機墜落事故は、副操縦士のウツによる自殺願望が疑われています。日本では羽田沖に不時着した「片桐機長事件」が有名ですが、番組「メーデー」にも同様なものが幾つかありました。計器の誤作動にからむ「思い込み」も結構あります。

最後の「気象」で怖いのは突如上から吹き降ろすダウンバースト、嵐や雷・結氷なども怖いですね。地球温暖化に伴いこれからは暴風などの発生率が上昇するので、これに伴う事故も起こりやすくなるというのも怖いです。

感心するのは事故調査の過程。墜落現場から小さなビス一個にわたるまで破片を拾い上げ、精密に原因を追求。感心するのは事故調査委員会の目的は「犯人探し」ではなく、あくまで「事故の原因を特定し、同じ事故を2度と発生させないよう対策すること」。これはとても合理的で大切な精神と思います。ボイスレコーダーやフライトレコーダーが大きな手がかりを与えてくれることも多いですが、1年前にタイランド湾上空で消息を断ち、遭難場所を特定できぬまま今だに未発見のマレーシア航空370便などもあります。

◯ 市丸海軍少将からルーズベルト大統領への手紙

太平洋戦争の末期「硫黄島の戦い」は、米軍に日本軍の戦死者を上回る損害を与え、予想外の長期戦となりました。この時の最高指揮官、栗林忠道陸軍大将については 2006年11月のコラムで書いたことがあります。栗林大将も尊敬に値する人物でしたが、一緒に戦った市丸利之助海軍少将にも、戦後米国からも大きく讃えられた行為のあったことを知りました。

市丸少将は海軍の元パイロット。搭乗機の墜落事故による3年にわたる療養生活から復帰後、予科練設立委員長となり初代部長として教育にあたる。その指導は教育学的にも評価され、予科練育ての親と云われる。1944年に第二十七航空戦隊司令官として硫黄島に赴任したが翌年の硫黄島の戦いで戦死。戦死の状況は明確ではないが、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルト宛の手紙を遺し戦後有名となり、その手紙は米国海軍兵学校の中にあるアナポリス海事博物館に保管されているそうです。

市丸少将は硫黄島最後の戦いで死を覚悟。米軍が将校の戦死者の遺体を検査することを見越し、日本語・英語二通の手紙を村上治重大尉に託した。村上大尉はこれを懐中に抱いて最後の突撃で戦死。「ルーズベルトに与ふる書」は目論見通り米軍の手にわたり、7月11日、米国で新聞に掲載された。それは日米戦争開始の責任が日本だけにあるのではなく、その一端は米国にもあるとし、連合国の大義名分の矛盾を突くものであった。

「もしヒットラー総統を斃すことができたとしても、その後どうやってスターリンを頭とするソビエトと協調できるのか」という鋭い問いを投げかけている。また日本天皇の意志は、地球上のあらゆる人類が夫々にその生を享受し、恒久的世界平和の確立を唯一念願とするものに他ならない(八紘一宇)、「四方の海、皆はらからと思う世に、など波風の立ち騒ぐらむ」という明治天皇のうたが、テオドル・ルーズベルトに感嘆を与えたことも熟知の事実である。ひるがえって欧州の事情を観察すると、相互無理解に基づく人類闘争が如何に悲惨なるかを痛感せざるを得ないと。

最高指揮官だった陸軍栗林大将が、かつての米国留学で得た広い見識を基に硫黄島攻防戦を見越し卓越した戦略を立てたのと並び、市丸少将の世界の情勢を正確に洞察した立場から米国大統領へ直訴の書状を届けた行為は、まさに城攻めに対応する戦国武将そのものを見るようで深く感銘を受けました(黒澤明監督の「七人の侍」における巧みな守備の様子などともダブりました)。現代の日本に、果たしてこの両人のような広い度量と実行力を備えた人物はどの位いるのでしょうか、、

<2015.03 玄人は欲せざるに作り素人は欲して初めて作る | 2015.05 オートパイロットはまだ信用ならない>

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です