2009.12 換骨奪胎

わーくすてーしょんのあるくらし ( 202 )

2009-12 大橋克洋

うちの東隣に建築中のみずほ銀行ビル。この正面に初日の出が拝めます。 来月の初日の出を最後に、こちら側はすっかり見えなくなります。 とても残念。都会に住む悲哀ですね。 うちの南側の平塚小学校が廃校になり、平塚中学校に合体して中高一貫校になります。 クレーンの向こうに見えている大きいのがそれ、建設中の「平塚学園」。

中国武術では、新しい動きを身に付けるため 「従来からの身体の動きをすべて捨て去り、 サラの状態から新しい動きを身に付ける」ことを 「換骨奪胎」と呼びます。 これは「発想の転換」などにも共通するものがありますね。 上の写真も「換骨奪胎」というところでしょうか、、

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○ 今月の歩術

10月の入院ハプニングによる一時的な体力低下で、 やや耐寒能力の低下を感じました。 「こりゃ、いかん」ということで、 退院後2週間足らずでタクシー利用をやめ徒歩通勤に戻し、 ようやく従来の調子が復活。やはり「歩く」ことが 耐寒能力に大きく影響するということです。 そんなことで今年も無事11月一杯、 夏のスーツで通すことができました。 いつものように12月1日を期し、ようやく冬スーツです。 コートも年内は着ず 1・2月のみ着用のつもりですが、 天候によってはそうもいかないかも、、

5年前にも書きましたが、 今年も馬事公苑で医科大学の馬術競技「サムス准将杯」がありました。 朝の8時半開始ということで行きはタクシー。帰りは歩きでした。 少し歩行スピードが上がったかなと思ったのですが、 5年前の記録と同じ1時間20分でしたね。

馬事公苑グラスアリーナでの開会式

それにしても今回の馬事公苑は、北風が吹いてとても寒かったです。 学生の頃からそうですが、一番寒い想い出というと馬事公苑。 吹きさらしの中で、じっと観戦するからでしょうね。 そんなことで、寒さに向けた服装を新調する時は馬事公苑を想定したりしてきました。 さて、試合の成績ですが、慈恵医大が優勝。 ただ、相手校のミスによる勝ちという感じで、 来年に向け もうひと頑張りというところでしょうか。

○ 今年の「歩き」総まとめ

年の終わりにあたって、 今年の歩術を振り返ってみましょう。いくつか小さな進展がありました。

いわゆる健康ウオーキングと称する 「後足で元気よく蹴って、前足の踵で着地」とは まったく逆の動作、 数年前からめざしてきた「平起平落」。 つまり「後足を水平に抜いて、前方にそっと水平に着地」する歩行。 これがほぼできるようになってきました。 正確に言うと、左足はまったく自然にできますが、 右足がまだ固いのか 多少意識せねばなりません。 以前の歩きと明らかな違いを感ずるのは、 足底のアーチや足の指先にまったく力がかからなくなったことです。 これによって、前進を妨げる「ブレーキ効果」が解消されるため、 歩行がスムースになり速度が上がります。

この歩きをするには、股関節から下の動きも改善する必要があります。 いや「改善されます」というのが正しいかも。 股関節から下が 伸びのびとした歩きになるようです。 それに加えて自称「伸股法」により、さらに歩行速度が上がります。 「伸股法」とは、わかりやすく言うと 「畳の上にあぐらをかいた状態で、左右のお尻で歩く」感じです。

「身体全体で歩く」「躯体で歩く」という感じも 大切に思うようになりました。 まず躯体が前方に進もうとするのであって、 気がついたら足もついてきた、という感じでしょうか。 ただし決して身体が前のめりに進む ということではありません。 「指一本動かすにも、身体全体を動かす」という 中国武術の極意そのものです。以前から述べてきた「腰で歩く」は、 股関節と躯体とを含めたものであることに思い当たりました。

○ 換骨奪胎

今回の歩きを身に付けるには、 まさに換骨奪胎が必要と思いました。何しろ「歩く」ということは、 よちよち歩きの頃から身に付けた動作ですので、 これを根本から換えるには、 かなり長期間たゆまぬ努力を必要とするものです。

私がたびたびやってきた「電子カルテをスクラッチから書き直し」も、 いわば換骨奪胎ということです。 ある意味、これは大きな手間ではあります。 「何も今のままでも使えるものを、 全部ちゃらにして作り直すこともないだろうに」。しかし そこから得られるものは、手間をかけただけのことが必ずあります。 人間、時々は換骨奪胎してみるのがよろしいかと、、

○ ただ捨て去れば良いというものではない

民主党政権の換骨奪胎には、 ひとつの安心も感ぜられず 大きな危惧ばかり、、日本の行く末に とても不安を感じています。

報道の仕方にもあるのでしょうが、 いわゆる「予算の仕分け作業」は日本にとって必要な将来への投資を ばっさりと削っているようですし、 鳩山首相の政治献金に関する態度も 野党のころ与党を攻めていた言葉とは(予想通り)まったく裏腹 「言行不一致」。

マニフェストと称する選挙用CMに自縛自縛なのが、 まさに仕分け作業でしょう。いわゆる「こども手当て」、 本当に子育てする母親を助けるなら、小遣い程度のバラまきをするより 保育所へしっかり投資するなど、 その基盤構築に力を注ぐことこそ国のやるべきこと。 「棚ぼた式」 「選挙対策の見せびらかし」は何の足しにもならないどころか、 「国民を駄目にする」と確信します。 私を含め人間の心は弱いもの、 棚ぼたでお金がもらえるとなったら、 つい怠け心が芽生えるのは当たり前のこと。 私が仕分け人なら、真っ先にバッサリ「こども手当て」を切り捨て、 もっと有効に役立つよう根本的なところへ投入しますねえ。

もうひとつ良い例が、中学生までの医療を無料にするという 公明党の宣伝キャンペーン。休日診療所に出動してみると、 「無料」というだけで、 本来自助努力でよいものを他者依存にするどころか、 「どうせタダだから」というのでしょうか、 「(幸いにも私の診療所では経験したことのないような) 無体な要求」「わがままな態度」の受診者が目に余ります。 本当に困った苦しい人のためなら、 われわれ医師はどんな犠牲を払ってでも一生懸命やろうと いう気になるのですが、わがまま放題では本当にやる気が失せます。

公明党の掲げた「無料」は根本的に間違い。 どんなものにも裏では「人の努力」「お金」がかかっているのであり、 享受するには それを理解して受けることが必要です。 「無料」ではなく「補助」という名称を使わねばいけません。 そして現場ではとりあえず、イクバクかのお金を支払い、 後で行政に申請すれば償還してもらえるという仕組みにすべきです。 救急車をタクシーがわりに使う人が増えた昨今、 少なくともタクシー並の料金を支払い、 必要なら償還してもらう仕組みにすべきと思います。 このようなものに、どれだけ無駄な税金が費やされ、 医療や救急の現場のリソースが浪費されていることか、 これを有効投資すればどれだけ社会を改善できるかわかりません。

こういう話になると どうも文章が長くなりますね。 とうとう世の中はデフレに突入のようですが、 「無料」という観念は、どんどん「人心を蝕み」「社会を悪く」しています。 「天地人の直江兼継」、 大河ドラマのような為政者は出てこないのでしょうかねえ、、

○ 3つの健康

零戦の撃墜王「坂井三郎」は高校生の頃からの私の愛読書で、 私の人生のバイブルでもあります。その著述を読み返している頃、 実際には日本で最も撃墜数が多かったであろうと言われる 零戦搭乗員「岩本徹三」の本を 思いがけず Amazon で手に入れました。

岩本は高い高度で敵を待ち受け、敵の上から真っ逆さまに急降下して一撃離脱という 欧米と同様の戦法でした。 形勢不利な戦闘圏内からは速やかに離脱し、 遠方から高度を上げ 同様の戦法で襲いかかるという 非常に慎重で確実な戦法だったようです。 愛機が被弾し穴だらけになりながらも 落下傘ベルトの金具で弾が止まって命拾い、 というような強運も何度かあったようです。 真珠湾攻撃にも出動し、坂井が負傷し去って しばらく後のラバウルで活躍しました。 坂井三郎とともに 最後まで生き残った練達の戦闘機乗りでしたが、 戦後38歳の若さで虫垂炎の術後経過が悪く世を去りました。 もう少し長生きして、坂井のようにもっと話を聞けたらと思います。

さて話を坂井三郎に戻します。激戦のラバウルで試行錯誤の結果 勝負師のまとめとして到達したのが「身体の健康」「知能の健康」「精神の健康」 という「3つの健康」の考え方だったそうです。「一瞬の油断で命を失う。 今朝 隣で一緒にメシを食っていた仲間が、もう昼には居ない」という毎日を 生き残るための知恵と思います。 戦闘機乗りの身体の健康には、快食・快便・快眠が もっとも重要とのことです。

期せずして私も快食・快便・快眠は心がけており、また 「今月の歩術」「今月の脳トレ」に合い通ずるものがあることに、 なーるほど、と思った次第。 私のようにナマクラな生活を送っているものとは比較にならない話ですが、、

○ 今年の「脳トレ」

電子カルテ NOA をオープンソースにすることにより、 こまごまとプログラムに手を入れることになり、 今年の脳トレも、ばっちりだったと言ってよいでしょう。 今までの MacOSX 環境以外に、Windows マシーン・ユーザのため、 仮想環境上の Linux で NOA を動かすことに挑戦。 案外あっさり(と、言っても2ヶ月ほどかかりました) Ubuntu で稼動するようになりました。

今後は Linux 環境の中での開発もある程度必要になりそうで、 しばらく離れすっかり忘れてしまった Emacs を また使いこなせるようになる必要がありそうです。 初代の電子カルテ WINE は Emacs の中で動き始めました。 あの頃は Emacs の中にどっぷり浸かっていたのですが、 15年も経るとすっかり忘れてしまうものですね。

さて、そんなことでソフトウエア開発の面ではばっちりなのですが、 普段の診療の中などでは(若い頃から揮発性メモリーだった)記憶力が ますます揮発性になっていることを自覚します。 ほんのちょっと前やっていたことなのに、他のことに気をとられていると、 まったく記憶の隅にも残っていないのです。うーむ、これは困ったぞ、、 「これは覚えておくぞ」と意識的に記憶へ刻み込む必要がありそうです。

経年変化による脳の記憶域の劣化、つまり完全にボケの始まりですね。 「ボケをいかに引き伸ばせるか」も、これからの挑戦対象になりそうです。

○ 便利な世の中になりましたなあ

昨夕、帰宅してみると、東京ガスの作業員2人と家内が ガス・コンロを覗き込んでいます。 ガスコンロのバーナーが劣化で一部破損、 横から火が吹き出す状況。 27年前このマンションが建った時のコンロで、 東京ガスも「とても綺麗に使っていて、 よく持ちましたねえ」と言っていました。 コンロには2つバーナーがあり「とりあえず 片方は使えるから」と言ったところ、家内から 「これからお節料理を作るのに、1つじゃとても無理」との意見。

「もしかしたらメーカーに在庫があるかも知れない。 製品番号を言うから電話をしてみたら」と東京ガスの意見。 ネットで調べるとメーカーの Web サイトが見つかりました。 おー、いくつか交換部品の図面もあります。 東京ガスがサイズを確かめてくれ「これで大丈夫そうだ」とのこと。 家内が早速メーカーへ電話。もう午後7時を過ぎているので、 なかなか電話にでてくれません。根気よくねばるうち、運よく電話がつながりました。

東京ガスの方から状況説明。明日倉庫をしらべ在庫があれば 宅急便で送ってもらえることになりました。こちらの住所・電話番号を 言おうとすると、東京ガスの方は自分の携帯電話を見ながら、 ちゃんとこちらの住所・氏名・電話番号を伝えています。 作業後、携帯電話のカメラで破損したバーナーとコンロを撮影。 あとで作業報告書に添付するんでしょうね。 作業員の方二人とも胸に携帯をぶらさげていました。 携帯を業務用に完全に使いこなしています。

Web で即座にメーカーを調べ、修理部品まで確かめられ、 宅急便で送ってもらえる。本当に便利な世の中になりました。 暮れも押し迫ってのトラブル、危ういところでした。 建替え前の木造の診療所で まだ入院・分娩をやっていた頃、 暮れから正月休みにかけて セントラル・ヒーティングのボイラーが故障。 修理も頼めず本当に困ったことがありました。 マーフィーの法則「困ったことは、一番困る時に起こる」。

○ 歴代マシーンをふりかえる

パーソナルコンピュータを初めて手にしたのは 昭和53年12月で、今から31年前の暮れも押し迫った頃でした。 この31年間で最も長く働いてくれたのは NeXTstation。 稼動10年間でしたが、最後は単なるプリンターサーバーとして生き残ったのでした。 初代 NeXTcube に付属していた NeXTprinter が 導入13年後の当時でも非常に美しい印刷をしてくれたため、 これを使うためだったのです。本体の NeXTcube が働いてくれたのは7年間でしたが、 NEXTSTEP を動かすため購入した DOS/V マシーンとともに 歴代第2位の寿命を誇るマシーンです。

今回 履歴を更新してみると、 外来受付でバリバリ働いている 電気スタンド型 iMac も7年3ヶ月を達成しています。 2002年12月「純白のクラゲ 液晶 iMac がやってきた」と紹介した 美しいマシーン。現在も優美な容姿と美しい液晶画面を誇っています。 寿命では、第2位が SUN-3 の9年8ヶ月、第3位が NeXTcube の9年2ヶ月、 第4位が DOS/V マシーンの7年8ヶ月。しかし 第1線での稼動年月で比較すると、晩年インターネット・サーバとして働いた DOS/V マシーンに次ぐ歴代3位の位置です。 NeXTstation が達成した最長寿まであと3年2ヶ月。

歴代マシーンの平均寿命は、ざっくり見て4年くらいでしょうか。 現在使っているマシーン10台のうち 半数が4年を越えています。ということは、最近マシーンの寿命は延びているんですね。 この寿命とは物理的寿命だけでなく能力的寿命を含みます。そして 能力的寿命がつきても捨てがたく、 かろうじて存続しているマシーンが2台ほど。その他に、 恐らく電源を入れてもまともに動かないでしょうが 永久保存のマシーンがあります。 初めて手にしたコンピュータ PET2001、Apple ][、初代 Macintosh、 NeXTcube の4台です。

PET2001 は渋谷の西武デパートで 約40万円前後だった気がします。 しかしその後手にしたコンピュータは、どれも安くありませんでした。 はじめてのワークステーション SUN-3 は ベンツを買うつもりで借金し エイヤっと入れたもの。10年前くらいまで ほとんどのマシーンが50万を越え借入金やリースでの導入でしたが、 それ以後は価格も下がり始め、最近では割高のモバイル・マシーンでも 20万を切り始めました。いつも書くことですが、 こちらの収入が下がるとともにコンピュータの価格が下がり、 こちらの能力が下がるとともにコンピュータの能力が上がる、 本当に良い時代に生きたと思います。

○ 年のおわりに

私にとって今年のハイライトは「電子カルテ NOA」のオープン・ソース化と 突然の左耳前庭神経炎による「入院デビュー」てなところでしょうか。 さて、いつも年賀状は年末の休みに入ってから 最後の追い込み、突貫工事でやっつけるのが習わしとなっています。 いつもは2日がかりですが、今年は 30日早朝から版画の下絵、午前中一杯で版画を彫り上げ、 午後一杯で刷り、夕食後ようやく宛名をプリントしてポストへ投函という工程で、 1日で仕上げることができました。

学生の頃は懲りに凝った版画を作成したものですが、 すっかり絵が下手になりましたねえ。 下絵を描いてもヘタクソも良いとこ。考えてみると名のある画家も、 制作前には同じモチーフのスケッチを何度も描いていることを想い出しました。そこで 何度か同じ絵をスケッチするうち、少しずつ勘を取り戻してきました。 それでもイマイチではあったのですが、 版画にして刷ってみると、まあまあかな、、 版画の面白いところは、当初予想できなかった効果を得られることです。 今回も下手くそな下絵から、思いがけずまあまあの年賀状にたどりつけました。 ちょっと漫画チックな虎ではありますが、、

このコラムを繰ってみると、すでにずいぶん前から医療への危機感を訴えています。 今年は医療はもちろんのこと、 民主党へ代わったことにより日本国そのものへの危機感を強く感じています。 しかし、どんな状況にあってもメゲることなく、前向きに生きて行きたいと思います。 さて来年ですが、1月には Apple からスレート型 Mac の発表がありそうな雰囲気。 来年この方面は、どんな風に進化してゆくんでしょうね。楽しみです、、

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クリスマス気分のショウ・ウインドウ@原宿

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です