2020-07 知識を詰め込むより遊びが大事

わーくすてーしょんのあるくらし ( 329 )

2020-7 大橋 克洋

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◯ 知識を詰め込むより遊べ

このコラム初期から「遊び心の大切さ」を繰り返してきました。同じようなことをアインシュタインが言っていたと知り「やはりね」と思いました。アインシュタインが言うには「自分自身や自分の考え方を振り返ってみると、有用な知識を覚える能力よりも、空想する力のほうが大きな位置を占めているようだ」。彼はその理由を3つ挙げています。

1. 遊びは選択肢を広げてくれる。それまで気づかなかった可能性や繋がりを気づかせてくれる。遊ぶことで視野が広がり、常識にとらわれないやり方が見えてくる。

2. 遊びはストレスを軽減してくれる。ストレスは生産性を下げ、好奇心や創造性を弱める。大きなストレスがあると、部屋の鍵はみつからず、物にぶつかりやすくなり、大事なものを置き忘れる、行き先がわからないなど、何もかもうまくいかなくなる。

3. 遊びは脳の高度な機能を活性化する。遊びは脳の論理的・冷静な部分を刺激し、自由奔放な探究心をも刺激して、新たな発見をさせてくれる。

以上アインシュタインの述べるところですが、私が考えるのは次のようなこと。

色々な人を見ていると、子供の頃に悪ガキをやった人はクルクル知恵が回り実行力がある。楽しく遊ぶことにより、素早く逃げ道をみつけたり、新たな解決方法をみつける能力を磨くからと思います。

ただし、この場合の「遊ぶ」は、あくまで「楽しく」「没頭して」遊ぶこと、場合によっては命を賭け遊ぶことも、、やるべきことをサボり、ダラダラ過ごすのは「遊ぶ」には該当しません。

ここから導き出された私のもうひとつのポリシーが「仕事は楽しくやらねばならない」「楽しくなければ仕事ではない」です。「楽しくないなら仕事場に楽しいことを持ち込んでしまえ」で始まったのが「私とコンピュータとの出会い」「電子カルテ」開発でした。

◯ 今月の歩術

今年は例年にない長梅雨。6月初めに始まり梅雨明けは8月初めになるのではないかと思われます。特に7月に入ってからは雨天が多く早朝散歩もキャンセル、今月の歩行距離は100キロにも届きそうにありません。

ただでさえ5月の痛風再発で歩けなかったことに続くこの雨で歩行距離が延びず、脚力の低下が著しい。今月の1日の平均歩行距離はたったの3キロ弱という今までにない低値を記録しています。室内の下半身トレーニングを強化せねば。

九州地区は今年の長期間の豪雨のため、各地で洪水や地崩れに襲われています。雨が一段落し、復興のためのボランティアが被災地に入ろうとしても、コロナが第二波に入った時期とあって他県から入るわけにもいかず、九州地区からのボランティアに限定されるのも歯がゆいところです。泥水に埋もれた被災地家屋の状況など見るにつけ、私でさえ何かできることはないかと思う状況なのに。

中国の長江流域も過去に例を見ない豪雨続きで水かさが増し、各地が洪水に襲われているようです。長江上流の三峡ダムが危険水域を越え変形も見られるとか、もしこの世界最大のダムが決壊すれば一億以上の人民に被害が及ぶとの予想。例年、長江は8月前半まで水かさが増す時期のよし。今回のコロナ発祥の地、中国はいち早くコロナを収束させましたが、世界の状況を見ていると第二波に見舞われていないはずはない。やはり中国は情報を隠蔽しているのではないでしょうか。このような状況に加え、米国との関係悪化による経済低迷が拍車をかけています。それにも関わらず、尖閣諸島海域に海警艦船を周遊させることをやめようとしない中国、何という国なのでしょう。

おっと、歩術の話題からかなり脱線してしまいました、、

◯ 散歩シューズをリプレース

2年前の金時山登山のため購入したトレッキング・シューズ、毎日の早朝散歩に愛用してきましたが、靴底がかなり片減りしているのに気づきました。左足のつま先が少々と踵の片減りがひどい、右足の底にはほとんどそのような変化は見られません。

特に最近は平起平落により、水平に足を持ち上げ水平に着地しているつもりなのですが、実際の動きを如実にこの靴底が表しています。手が右利きの私の場合、足は左利きです。利き足の左で支えられた右足の着地は水平であっても、利きの弱い右足に支えられ着地する左足はかなり不安定な着地となるのでしょう。

最近試しているトレーニングのひとつに足の踵上げがあります。まず、目の前の壁を軽く両手で支えながら、両足の踵を目一杯上げるのを十回。次に片足を浮かし同じことを十回左右やります。これをやってみるとわかるのですが、私の場合、左は片足で難なく上がるのですが、右の踵だけで上げるのはかなりやっとやっと。つまり右足の挙上力がかなり弱いということ。毎日このトレーニングを続け、どの程度右の踵上げが向上するか楽しみ。

これを機会に散歩用シューズを新調することにしました。もう登山をすることもほぼ無いので、散歩用だけならトレッキング・シューズの必要はありませんが、2年半履き慣れた靴とても具合が良い。外出の殆どをこのトレッキング・シューズで通してきました。ということで買い替えに当たっても、これと全く同じモンベルのトレッキングシューズを購入。

前回のシューズも最初のうちは踵に大きな靴ずれを作り、履き慣れるまで結構日数がかかりました。今回も教訓を元に新しい靴の履き初めは登山用厚手の靴下で出掛けたのですが、6キロほど歩くうち砂粒が入ったようでバス停の椅子に腰掛け靴の中の砂を排除。帰宅し靴下を脱いでも何か足裏に違和感。足裏をよく見ると、大きな豆のでき始めでした。

本当に砂粒が入ってそれが原因だったのか、厚手靴下のヨレが原因だったのかは判りませんが、兎に角おろしたての靴、足に馴染むまで、これから幾多の苦難があるのかも、、

◯ 歴史的財産を残す努力を

以前にもここに書いたことですが、非常に重要なことと思うので、私なりの危機感をもって再度書いておきたいと思います。

今みれば決して効率的ではないが趣のあった古来のものがどんどん消えてゆく。宮大工・船大工、祭礼、芸者さんとか、色々ありますね。一旦消滅すれば二度と復活は難しいでしょう。いやいや他人ごとではない、、

かろうじて現在残っているものも、次の世代ではまったく消滅してしまっているかも知れません。ヨーロッパの石造りの町並み、エジプトのピラミッドのように長い世代を経ても残るものと比べ、余りにもはかないものが特に日本には沢山あります。精巧な彫り物や組木で作られた欄間や戸障子など、今では解体された古民家などから保存されたものしか手に入らないようです。

日本には数百年の寿命を持つ木造建築も沢山あります。しかし最近の建築を見ていると、大工さんも凝った木組みなどせず、柱と梁との接合にもL字金具を使い、板もホッチキスのようなものでパンパンと止めて行きます。これでは数十年しか保たないでしょうね。

このように消えてゆくもの・消えていったものは沢山あります。その技術の一部でも残せないものか。農家で使われていた編みカゴ、寺社の建築技術など、例えばビデオなどで出来る範囲でよいから撮影し YouTube のような「技術歴史保存館」的サーバに残しては。製作者へのインタビューやメモなど、参考になるものなら何でも添えて。NHK などのプロが作成すれば高品質な資料となるでしょうが、それではとても追いつかない。

Wikipedia のように、世の中の誰でも記録をアップできる方式にすべきでしょう(ただし、爆弾の作り方などは困る。公序良俗に反するものは誰かがジャッジして排除することは必要ですね)。 今のうちにこれをやらないと、どんどん消えてゆくものが山のようにある。このような歴史的財産のアーカイブは速攻で始めるべき。これからも何度でも書くつもり。

こう考えていくと、自然界にも絶滅危惧種が沢山あります。そろそろ人類も地球的歴史における大きな世代交代に向かっているのかも、、

◯ 現代では理想論かも知れませんが

昨日の「徹子の部屋」。若くして4人の母親である明るく小柄な女性に大変感銘を受けました。彼女は俳優杉浦太陽君の連れ合い、辻希美さん。

12歳でモーニング娘の第4期生として芸能界入り、20歳で結婚・出産。33歳の現在、女児1男児3の4人の子育てと家事をこなしている。もともと彼女のお母さんも若くして出産しており、若くしての結婚・出産にはあまり抵抗が無かったそうです。

コロナ禍で学校が休み、幼い子ども4人の子育てには大変体力が要るとのこと。特に男の子は活発で、太陽くんが家の中にブランコを2つも作ったり、トランポリンや簡易アスレチックスなど。洗濯機を1日に何度も分けてまわすなど家事も大変で、自分のことはそれらの僅かな隙間時間にこなしているそうです。中学生になった長女が色々やってくれるのが、とても助かるとか。

このような日常をこなしながら、まったく生活疲れや育児疲れを見せることなく、モーニング娘時代の若さハツラツとした元気な姿。小柄なのにこのパワーと前向きの精神力は凄いなあと感激。20歳で結婚・出産、12歳で芸能界入りしたこともあり、最初は料理も何もまったくできなかったそうですが、電話で母から料理を教わったりしながら立派に母親として家庭の主婦として自立してきたそうです。番組で子供さんたちの様子はありませんでしたが、私の産科医としての経験から、若いお母さんの子供たちの生命力は素晴らしいはず。

私のところも女児3男児2、連れ合いは本当によくやってくれたと感謝しかありません。最初の家内は23歳で結婚、突然の脳腫瘍で4児をのこして他界。現在の家内は28歳で女児1を出産、先妻の子供4とともに苦労しながらやってきてくれました。年齢的なことだけでなく初婚でいきなり5児の母親・主婦ということで、もっときつかったと思います。

今回の番組を見ていてつくづく思うのですが、やはり何としても「子育ては若いうち」。公にこのような発言をすると、すぐ差別発言とか何とか激しいバッシングが飛んでくる時代になってしまいました。コペルニクスの「でも、地球は周る」ではないですが、元産科医で5人の子持ちである私、「何はさておいても、出産と子育ては若いうちに」と心の中で叫ぶものです。若い頃の楽しみは諦めても、無我夢中の格闘から生まれるものは大きい。

◯ 心にしみる映画

老境に入ったクリント・イーストウッドの映画はどれも素晴らしい。例えば「ミリオンダラー・ベビー」、老境に入ったトレーナーが手塩にかけ育てる女性ボクサーが対戦相手の反則パンチで頚椎損傷し全身不随になる。入院闘病中の彼女にずっと付き添うが、全身を動かせなくなった愛弟子の苦しみ「殺して欲しい」との願いについに負けてしまう。とても感動的な映画でしたが、可愛そうで2度と観る気のしないものでもありました。

「グラン・トリノ」も感動的、これについては以前このコラムで書いたことがあります。88歳になっての監督・自演の「運び屋」は、イーストウッドの枯れた味がさらに冴えた素晴らしい映画となっています。歳をとってからの彼の姿は、私の目指すところ。

最近は過去のラブ・コメディーを映画サイト Netflix や hulu、FOD などで見返すことが多いのですが、中でも感動の大きい心に沁みるものが2つほどありました。

ひとつは「パーフェクト・ワールド」。かつて憧れていた高校の同級生の男子に、社会人になってから思いがけず出会う。高校時代バスケットボールのエースだった彼が事故により下半身不随になっていることを知る。身体障害者との付き合いで生ずる様々な苦労を親兄弟ほか周囲の人々から諭され、色恋をまったく諦めていた彼にもめげず寄り添ううち、彼の心も次第にほどけていくというお話し。心の底から悩み努力する登場者の気持ちの入った演技もあり、とても感動しつつ物語に入り込むことができたドラマでした。映画とテレビ・ドラマがありますが、私は山本美月主演のドラマ版が良かったな。

もうひとつは「14歳の母」。14歳の中学生、放送部でディスクジョッキーをする明るい小柄な女の子。塾で一緒で好きな1年上の名門中学の男子と、ひょんなことから関係をもってしまう。たった一度の過ちから妊娠していることがわかり、両親や学校の教師・同級生その他から猛反対や反発を受ける。母親とともに産婦人科を受診、中絶のつもりだったが、深い悩みに苦しむうち産むことを決意。幾重にもやってくる障壁を、小さい女の子が真剣に悩み、きっぱり意志を固め進んで行こうとする姿。14歳で子供を産むことに伴う明らかに予想される幾多の問題から最初は中絶を勧めていた母親も、わが子の苦悩し熟考した末の決断に、彼女をサポートしようと腹をくくる。このショッキングな出来事に動揺しながらも、わが子を叱りつけるではなく、心を寄り添わせようとする母親の姿も素晴らしかったですし、主演の小柄な女の子の悩み苦しみつつきっぱりと意志を固めてゆく演技が、とても実感あり素晴らしいと思いました。産婦人科医の私も実際に経験してきたことであり、その中で私も心を巡らせてきたことでもあり、とても感動を受けるドラマでした。

、、と書いていたら、このドラマ相手役の男の子を演ずる三浦春馬くんが突然自殺のニュースにびっくり。私の中で現在進行型のドラマのキャスト突然の訃報は、この間のテラスハウスの花ちゃんに次ぐもの。ショックが大きい。

◯ 産婦人科医冥利につきると思ったこと

産婦人科医をしていた頃、ある女性の突然の来訪を受け「お陰様で息子が有名大学に入りました」とお礼を言われたことがあります。十数年前、中絶を希望されて来院されたその方に産むことを強く勧め、シングル・マザーで産まれた赤ちゃん成長の報告でした。この方はテレビでもよくお名前を拝見する有名な方、あとから知ったことですが、その道に進まれたのも私のこの説得がきっかけになったとのこと。

同様に赤ちゃんを抱いて数カ月ぶりにお礼に来院された女性。モデルさんのように綺麗な方でした。中絶希望で来院されましたが、産むことをお勧めしました。その後、お相手が黒人であることを知り「あ、悪いこと勧めてしまったのかな」と反省していたのですが(今では人種差別と言われてしまいます)、生まれた赤ちゃんを抱いた嬉しさに輝く顔をみて「良かった」と思ったものです。

もうひとり記憶に残るのは高校生だったか、十代の女の子。中絶予定で来院されたのですが「何とか産むことはできないか」とお話した結果産むことになり、数年してから子供さんを連れ来院。「周りに迷惑をかけまくってきましたが、本当に産んで良かった」と感謝されました。クルクルよく頭の回りそうな子供さんの院内を駆けまわる姿。「あー、若いお母さんから生まれた子はこうだよね」「開業した50年前の待合室、こんな子ばかり走り回っていたよな」と思ったものです。若いお母さんから生まれた子は、見るからに生命力が違う。

◯ 乏しい記憶力も悪くはない

シルバー川柳の「記憶力 ないから楽し 再放送」という詩に、いたく同感しました。若い頃から記憶力には自信のない私。壮年の頃も書店で見つけ読もうと思って購入していたコンピュータの解説本が3冊もでてきたことがあります。

前述のように、数十年前に高視聴率を得た人気ドラマをネットで見返していますが、タイトルにも覚えがなく「面白そう」と思って観ていくうち、「あれ?何となく既視感」。さらに進むうち、以前観たことのあるのに気が付きました。

このように以前観たことをすっかり忘れていたドラマは勿論、再視聴を知った上で観かえしていても、次の展開を忘れていたりしていて、とても新鮮に楽しむことができるのは乏しい記憶力で得することのひとつ。

しかし日常生活で家内から「前に言ったでしょ」、記憶にまったく無いが言い返すと喧嘩になるので「はい」。でもこの頃は私より8歳年下で記憶力抜群だった家内も、流石に今年古希ということもあって、本人は「絶対こうだった」と言い張るのに、後から「そうでなかった証拠」がでてくることも。

もうじき往年の「山本山の海苔のCM」状態になってしまうかも、、

老妻:お爺さん、山本山の海苔を頂きましたよ。

老夫:おや、わしは山本山の海苔かと思ったよ。

ちょっと短縮しましたが、こんな感じのCMがよく流れていました。

◯ Wikipedia への寄付

Wikipedia から寄付を募る以下のようなメールを頂きました。一年ほど前に微量な額を寄付したことによりメール頂いたようです。世界で何億人もの人々が無料の Wikipedia を利用しているが、寄付をしてくれる人はその中の僅か2%しかいないとのこと。

私たちは非営利団体です。日々何百万人もの人が読むウィキペディアの記事を、すべて無償で提供しています。私たちが、あなたの探し求める知識から利益を得ることはありません。むしろ私たちは、知識は需要と供給とは関係なく存在するべきだと強く信じています。でも今日、このようなモデルはとても稀です。生き残るため、世界のオンライン上の知識の多くは収益によって動かされているからです。

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このメールが届いても98%の人は無視するか金銭的余裕が無いため、寄付してもらえないとのこと。私は日常的に Wikipedia をしばしば利用させてもらっていますが、今回の寄付はわずか2500円でしかありません。本当はもっと寄付したいのですが、仕事もリタイアしてしまい財産を食いつぶしていくだけの身としては、これでも貧者の一灯。寄付は500円からできます。なぜ98%もの人達が利用しておきながら、ほんの僅かなお返しでもしないのでしょうか。世の中はギブ・アンド・テイクで成り立っているのに、、

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これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です