2015.12 もっとも日の短い月

わーくすてーしょんのあるくらし ( 274)

2015-12 大橋 克洋

京浜運河ぞいの遊歩道

<2015.11 上下相随 | 2016.01 今年はラッキーナンバー >

とうとう今年も年の瀬を迎えることとなりました。つい1週間ほど前まで午前6時には空が白んでいたのですが、12月に入ると午前6時になっても空は真っ暗。5分ほど過ぎてようやく空がうっすら青くなってき始めます。これから冬至に向けもうすこし日の出時刻は遅くなるのでしょう。

早朝散歩も11月一杯は軽く袖捲りした長袖スポーツシャツで通すつもりでしたが、最後の週になって気温も本格的に下がり始めベストを羽織るようになりました。マンションから下を見下ろすと、空気の色も微かに紫灰色がかったようになり、冬の空気だなあという感じがします。上の写真ではシャツ1枚で京浜運河沿いから27キロほど歩きましたが、その1週間後にはベストを羽織らないと寒くなりました。

年末恒例の私的な今年の十大ニュース的なものを書こうかと思ったのですが、記録を調べてみても今年は珍しく自分的には記録的イベントがありませんでした。2月の運転免許証返納と今月の35キロ踏破くらいかな。

◯ 水木しげる先生の「幸福の七ヶ条」

「ゲゲゲの鬼太郎」の水木しげる氏が先日93歳で亡くなりました。水木氏の遺した「幸福の七ヶ条」、共感するところがとても多いので書き留めておきます。

第1条:成功や栄誉や勝ち負けを目的にことを行ってはいけない

第2条:しないではいられないことをし続けなさい

第3条:他人との比較ではない、あくまで自分の楽しさを追求すべし

第4条:好きの力を信じる

第5条:才能と収入とは別、努力は人を裏切ると心得よ

第6条:怠け者になりなさい

第7条:目に見えない世界を信じる

第1条から第5条まではまったく同感、感激もの。第6条だけは?なところもあるのですが(自分が怠け者だから?)。第7条に関しては霊界を信ずるということではなく、東洋的な「意」「気」「心」などの目に見えないものを信ずることはあります。

◯ 今月の歩術

12月最初の日曜の朝、日本医師会館から大塚方面を周ってこようと歩きにでました。いつもよりかなり出足が遅れ8時出発。天気は久しぶりの快晴ですが、風がやや強く寒い「この冬、長距離はこれが最後かな」と。やはり長距離歩行は4・5・10・11月ですかね。それ以外は大汗かいたり鼻水がでたり。

三田から東京タワー下、慈恵医大前を通り、日比谷公園から皇居前に行こうとすると、舗道が紅白のバーで遮断されています。向こう側の舗道で行けということかなと渡ってみると、そちら側も同じ。そこに立つ若い警官に「桜田門から抜ければ竹橋の方へ抜けられる?」と尋ねると大丈夫のよし。桜田門を抜けてみると物凄い人の群れ。ここで丁度10キロ。皇居の一般公開の日なのだそうです。そこからパレスホテルまでの間、物凄い人波とすれ違いながら歩く。今日の人出は数万単位だったはず。私が小学校6年の正月、皇居の一般参賀で二重橋事件というのがありました。二重橋の上で人波に押されて倒れた人の上に次々と後続の人達が折り重なる死亡事故でした。たまたま私達家族は父に連れられその現場に居たのですが、戦地を経験した父は「絶対に転んだら駄目だ、死ぬぞ」と必死に叫びながら通過したのを覚えています。そして事件はその後に起こったのでした。

その事件を思い出しながら「いずれにせよ自分ならこんな人出の多いところへは絶対に行かないよなあ」と思いつつ。また学生の頃は皇居内にパレス乗馬クラブがあり、年に1回そこで行われる4医大戦に出場するため皇居の中へ入る機会があったなあとも。

やがて御茶ノ水、山の上ホテルの方へ周ってみました。都医理事の時代よく利用した別館が閉鎖になっているのを寂しい思いで眺めながら通過。建設中の東京都医師会館、もうかなり建ち上がっていました。来年には竣工かな。

御茶ノ水の順天堂医院の脇から本郷通りへ、東大赤門を過ぎ駒込駅の手前を左折して日本医師会館前を通過。ここから大塚にある従兄弟の大橋眼科の前を通ってみることにしました。従兄弟の次男がその近くでやはり大橋眼科を開業しているので、こちらを先に。google map 頼りに行くとありました。へえー、都立大塚病院の正門の脇なんだ。

復路は護国寺から、ここで20キロ。江戸橋、四谷三丁目、信濃町、ここからは歩き慣れたコース。青山1丁目、西麻布、広尾で30キロ。天現寺、目黒通りへ抜けるトンネル手前から右に入って目黒駅、不動前駅を通り、裏道から自宅へ。家内と娘は外出中とのことで昼飯は外で食べるつもりでしたが、流石に身体が強張り店に入るのは敬遠、まっすぐ帰宅。全行程35キロ5時間54分、先日の最長記録を更新しました。

翌朝になっても下肢の疲れはまったくありません。しかし腰から背中にかけてがちょっと痛いかも、上半身を真っ直ぐに歩いたのが来たようです。これも午後には殆ど消失。今回30キロまでは比較的快調、身体が長距離にだいぶ慣れてきました。これなら来年は5キロ位ずつ距離を延ばしフルマラソンの距離まではいけるかな、

・・・

大晦日の朝、軽く今年の歩き納めをしてきました。林試の森を抜け、近所の住宅地を抜け4キロちょっと。多くの家の入口に門松が立っているのが、正月へ向け気分を盛り上げてくれます。空は青空で風もあまりないのですが、空気がとても冷たい。帰ってきてもしばらくは手がかじかんでキーボードを満足に打てない、、

◯ F1レーサとラリー・レーサ

同じ車種で F1 レーサとラリー・レーサがサーキットでレースをしたら、どちらが勝つでしょうか。数年前に英国でそのような試みが行われました。

競技車はノーマルの乗用車と思われるワンメーク・レース。第一線級の F1 レーサとラリー・レーサが入り乱れコーナーに突っ込んでいきます。レーサの中には著名な F1 レーサもおり、活躍が期待されたのですが、残念ながら競技が始まると間もなくマシーントラブルでリタイア。スタート巧者ということでしょうか、しばらく F1 レーサがトップだったのですが、その後ろにピッタリつけたラリー・レーサ、F1 レーサのちょっとしたミスにつけこんでトップに立ちます。コーナーで F1 レーサが抜き返そうと車線を変えると、ラリー・レーサは微妙なハンドルさばきで押さえ込みます。走路妨害と判定されない微妙な操作。F1 レーサは結局、その状態から抜け出すことができずラリー・レーサの勝利となりました。

確かに F1 レーサは速いのですが、F1 とは比較にならない複雑多岐な情報を迅速に処理しつつブラインド・カーブに突っ込んでいかねばならないラリー・レーサの方が総合力としては上ということでしょうか。最近の WRC などのラリー・カーから撮影される動画を見ていると、狭くくねったブラインド・カーブや滑りやすい砂利道を、ジェットコースターを上回るめまぐるしいスピードでかっ飛んでゆく様子はとても人間技とは思えません。とびっきりの反射神経と冷静さを持つ人間しか WRC では生き残れないのだと思います。

◯ 今月の脳トレ

ここのところ電子カルテ NOA のメーリング・リストは森閑としており、私の方も毎日の診療に使っていて特に不満も新しいアイデアも浮かばないため、開発は停滞しています。今までの経緯から推察し ML が静かということは、ユーザさん達も仕事の道具として現状に馴染んでいて特に不具合もないということかなと思っています。

ということで、最近はもうひとつの趣味である住宅設計にハマっています。自作した住宅設計の作図アプリも使い勝手に大きな不満もなく、この夏頃からバージョンは上がっていません。かなり気に入った住宅が設計できても、しばらくすると新規のものを模索したくなり、違った構想で設計ということを繰り返していますが、なかなか楽しいです。

筋肉を使う、すなわち運動により脳の老化を防止できるという記事を読みました。脳と筋肉とをつなぐ神経ネットワークの機能を維持・向上させる効果があるということですが、これは中国武術でも云われること。こちらでは意念とも言いますが、イメージトレーニングにより脳と筋肉との神経ネットワークを俊敏にします。特にある程度の年齢になったら、筋トレ・脳トレをセットで行うことは重要ということですね。12月も半ばを過ぎると大分気温も下がりはじめ、ウイークデーの早朝散歩はちょっとサボり気味になっています。

◯ 古代の偉業

ナショナル・ジオグラフィック・チャンネルで万里の長城のドキュメンタリーを放映していました。取材地の長城壁面の碑文を解読したところ、現地近くで焼いたレンガを険しい山の尾根へ運び上げ、数千人で2、3ヶ月かけ築いたとのこと。レンガを焼く釜は尾根の麓なので険しい傾斜地を登り運べ上げる作業はとても過酷な労働です。人が背負い、あるいは山羊にレンガ2つずつを背負わせて運び上げたのではないかと。万里の長城全体のカバーする距離はいまだ正確に把握できていないと云われる世界最大の建造物。

ここで思い当たることがありました。1978年暮れ、世の中に現れたばかりのパーソナル・コンピュータを購入、付属の薄っぺらなマニュアル頼りに BASIC を学び財務会計か給与計算のアプリケーションを組みはじめました。作成したプログラムはオーディオ用カセットにピロピロというような音で記録、テープ延びなどで何度も発生するエラーを乗り越え読み書き。プリンターもないのでディスプレイからプログラムを大学ノートに書き写し、これを元にデバッグ(プログラムを修正・編集)。さらに5年後、初めて購入した UNIX マシーン、プログラムを書くためのエディター(ワープロのようなもの)はライン・エディターしかなく、1行ずつ表示しながら行内で編集。非力なマシーンパワーゆえ、とろいコンパイル(機械語へ変換)作業を何度も繰り返しながら。いずれの作業も今考えれば「よくやるよ」と思うような非常に能率の悪い根気と時間のいる作業でした。しかし当時は「こんなものか」と思ってその環境に甘んじ、根気よく時間を掛け作業をしていました。

つまり、建設用重機など想像もつかない時代、現代人には到底信じられないような根気と我慢のいる辛い作業を「こんなものか」と思い、淡々とこなして行ったのではないかと思います。万里の長城、エジプトのピラミッド、マチュピチュの遺跡などなど、、

贅沢で楽な暮らしに馴れるだけでなく、素朴な仕事を淡々とやることにより思いがけぬ偉業が達成されるということですね。

◯ 物欲なき時代とは

「物欲なき時代」というタイトルに目がとまりました。これって、どういうこと?と読んでみると次のようなことでした。現代では書籍でも音楽でも映画でもインターネットを介して手に入る。自動車もシェアすることが可能で自家用車を持つ必要もない。そのように生活上の色々なものをモノとして所有する必要がなくなってきている、つまり物欲がなくなってきているということだそうです。そうなると、ライフスタイルつまり、どんなスタイルで生活するかに興味がシフトしてくるのだとか、、

しかし、例えばファッションなどはそうもいかないので、モノがすべてなくなるはずはありませんが、確かにある程度は言える。私も最近、書籍は電子書籍がほとんどだし、従来自分のコンピュータに溜め込んできたあらゆる情報の殆どをクラウド上に溜め、外出先から iPhone で読み書きすることもできるようになった。家内や娘が使うので車は持っているが、私自身は歩いたり電車で何も不自由していない。

もしある程度お金があるなら自分で設計したシンプルな家を建て、可能なら自給自足に近いかたちで晴耕雨読の生活ができたら、などと夢想しています。もし、このような生活スタイルがどんどん進んで行ったとしても、私の場合パーソナル・コンピュータだけは手放せないな、万能の作業端末として。iPad のようなものがさらに進化してプログラミングなどもできるようになれば、デスクトップ型コンピュータは不要になるかも。いやいや、しかし自分用サーバとして Mac mini クラスのものは、棚の隅にでも必要かも知れない。

◯ 断捨離はなかなか難しいけれど

だいぶ前からシンプル・ライフをめざしたものの、なかなか難しく進みません。ところが診療所でスペースを大きく空ける必要が発生し、研究室と称していた部屋を空けることになりました。格好よい名前をつけたものの結局は何も使わない部屋、インターネット向けサーバ・マシーンが動いているだけで、あとは使っていない。そうなると長年の間にどんどんゴミが溜まってくるのが常。青色申告後の伝票類、医学書、コンピュータ書、自分の原稿が掲載された沢山の雑誌類、コンピュータなどの空箱類、その他ガラクタで足の踏場もない。

まずは雑誌や本から処分することにしました。自分の原稿の掲載誌や別冊など、日医や産婦人科医会から送付される沢山の医学書、コンピュータ関連の本など、思い切って処分することにしたのですが、30年以上にわたる累積なので、かなりの量になります。特に原稿掲載誌など捨て難く取捨選択しようとしたものの「持っているだけの満足、見返すことなどなかったのだから捨ててもいいか」と全て綺麗に廃棄することにしました。

3つある本棚の1つを空にしましたが、出した本の山はかなりのもの。伝票類も古いものは廃棄して構わないはずですが、全部シュレッダーにかけると物凄い量になりそうで、どう処分したものかと悩んでいます。長年の間に蓄積してきたものを捨て去るのは寂しいですが再利用することもなかったんだからと、さっぱりすることにしています。一段落ついたら、その勢いで自宅書斎も思い切って整理したいと思っています。こちらも30年以上の累積、捨てがたいものばかりで足の踏場もない。結局これ物欲ということか、、

◯ Steve Jobs の予測した10年後

1995年 Steve Jobs が NeXT 社の CEO をしていた頃のインタビューを見ました。最後にインタビューアーが「10年後この世界はどうなっていると思いますか?」と質問したところ Jobs はしばらく考えた後「これから大事なのはインターネットと WWW 。WWW は色々なものの中心となり、世界を大きく変えることになる」と答えていました(その翌年 Jobs は NeXT 社を Apple 社へ売却し Apple へ返り咲くことになります)。

WWW は欧州原子核研究機構:CERN のテイム・バーナーズ・リーにより NeXT を使って開発されました。1993年4月 CERN は World Wide Web を無料で誰にでも開放することを発表。私が初めて自分の NeXT で WWW ブラウザー(イリノイ大学の学生が作った Mosaic というブラウザーで、しばらくこれが一世風靡)を動かし感動したのは1994年、自前の WWW サーバを立ち上げたのが1995年のことでしたから、同年 Jobs が「これからはインターネットと WWW だ」と言ったのは、当時私もまったく同様に感じていたことでした(ところがマイクロソフト社は WWW にまったく見向きもせず、後年あわてて後を追います)。

初めて Mosaic で開いたのはフロリダ大学が公開したページでした。これを見て感動し思ったことは「これは世界中の人々が情報を無償で提供してくれることにより成立している。いずれ自分も同様にお返しをしなければ」でした。さらにその10年ほど前、音響カップラーを使って電話回線で晴海のビジネスショー会場に接続できた時もそうでしたが、自宅に居ながらにして遠方の情報を眺めることができることに強い感動を得たものです。

これから10年後を予測するとすれば「情報端末はウエアラブルになり、クラウド上のデータを読み書きする世界になる。アプリケーションさえもクラウド上のものを使うことが多いはず」「かなり広範囲の身近な作業をコンピュータが自動処理するようになる」「色々な分野にドローン的なものが普及」と考えています。15年ほど前にもノート・パソコンを「外部脳」と呼んだことがありますが、10年後には更に外部脳の役割は大きくなるはず。現状でも何かわからないことがあれば、胸ポケットから iPhone をとり出し Google 検索。外部脳の役割を果たしています。Google map や乗換案内などなど。これに人工知能的なものが加わるはずと考えています。

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飲兵衛たちの忘年会:立派な蟹をいただく

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です