1990.11 私のコンピュータ変遷史

わーくすてーしょんのあるくらし (41)

1990-11 大橋克洋

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誌面刷新とともに、気分を変えて私のコンピュータ遍歴とコンピュータ今昔 のようなものを、との編集部からの依頼である。

○ LANがあってのコンピュータ

昭和50年頃だったと思うが、ビジネスショーにSORDがマイクロコンピュー タを出品しているのを見つけ、カタログをもらおうと名刺を置いてきた。ほど なく営業の訪問を受け「コンピュータでどんなことをやりたいのですか?」と いうことで、その内容をスケッチし、後日訪問のSEに提示した。

先日片付けをしていたら、この時のスケッチが出てきたが、これは当時一番 手間のかかっていた在庫管理や財務会計などを実現するためのハード・ソフト 構成のラフ・スケッチで、診療所で発生源入力したデータを蓄積するとともに、 院内各所や自宅の端末からこれにアクセスできる、今でいうLANシステムで ある。SORDの訪問はその後、二度と無かった。 昭和50年当時、それを実現しようとすればマイクロコンピュータでは叶お うはずもなかったから無理もない。

コンピュータの詳しい知識など持ち合わせなかったが、聞き及ぶ機能から、 そのような事ができるはずと思ったのである。この時の構想は今や完全に実現 されているが、それには更に8年ほどの歳月を必要とした。長かったとも、短 かったとも言える。 そして、遂にパソコンでさえもLANが叫ばれる時代になった。やはり、コ ンピュータはネットワークに接続されて、初めて「道具」になる。

○ 電卓付きのタイプライター

産科診療所には医師優遇税制は関係ない。あれは収入に対し一定の経費率で 課税をするもので経費が少なければ有利になるが、産科ではその経費率を大幅 に越えてしまうので、一般企業と同様に青色申告をして税金を納める。

期末には一年分の伝票類を整理・記帳し、電卓を叩いて集計する。何日も徹 夜する作業で、給与計算その他、家内と分担しても事務作業は多い(開業医は 文字通り家内工業である)。 省力化のため記帳にタイプライターを使いながら「電卓付きのタイプライター があればなあ」と思ったりもした。

私が本当のコンピュータに触れることになったのは、 昭和53年暮れのことである。 創刊間もないASCIIという雑誌を本屋で見つけた。 最初はスキーの本かと思ってページをパラパラめくってみると、 コンピュータの雑誌のようである。 コンピュータには以前からとても興味を持っていた。 それ迄、コンピュータと名のつくものは空調完備の広いワンフロアーを要し、 価格的にも個人では到底手が届くまいと思っていた代物である。 しかし予想より早く個人でも買える値段になったらしい。

早速欲しくなり、広告を見てどれにしようかと迷った。 世の中にパーソナルコンピュータなるものが出現した翌年のことで、 Apple II, Tandy Radio Shack TRS80, Commodore PET2001 が パーソナルコンピュータの御三家だった。

Tandy TRS80 はどう見ても色気がないのでまず除外(私は面喰いなのである)

赤いリンゴのマークのついている Apple II はオモチャに違いないと思った

まるでキャッシュレジスターのような PET2001

その頃パーソナルコンピュータを買う人の目的のほとんどはゲームであった。 一般にビジネスに使われるようになったのは、それから2、3年ほど後だったが、 私はまず仕事を効率化するためにそれを使いたかった。 キーボードとCRT一体型のキャッシュレジスターの親玉のようなPETは いかにもビジネスに使えそうに思え、これに決めた。

昭和53年暮れも押し迫ったころ、渋谷の西武デパートでPETを購入した。 昔から興味を持っていたとはいえ、コンピュータに触れるのは初めてで、Aと いうキーを押せばAという文字が、Bを押せばBがCRTに表示されることは わかったものの、どうやって思い通りに操れるのか全くわからなかった。 しかし、これこそまさに「電卓付きのタイプライター」だったのである。

○ ハイテク化はされても

PETには、このインフォメーション誌より薄いマニュアルが一冊ついてき ただけ。しかし、例文を元にプログラムを打ち込んでやると、ロケットが発射 されて徐々に上がっていくようなサンプルが簡単にできる。シンプルイズベス トで、初心者には必要最小限のものだけ提供するのが一番である。

PETのBASICは、アップルなどのものより扱い易かったのも幸せして、 正月明けにはBASICの扱いも大体のみこめ、早速給与計算のアプリケーショ ンを組み始めた。 当時まだプリンターは提供されず、プログラムリストを鉛筆でノートに書き 写してデバッグ(今では考えられない!! まさに根性である)。

昨日、sunに繋いだNTX-JにPostScriptコマンドを送って プリントアウトに成功した。キャラクターコードをポストスクリプトに変換す るフィルターのソースをもらい、1日がかりで自分のシステム用に手直しした のだが、プリンターに出さずファイルに出力してエデイターで覗くと、ポスト スクリプトコマンドが直接見える。なあるほど、ポストスクリプトって、こん なこと喋っているのか、こりゃあ面白く使えそうだ。という具合で、比較にな らないほど機能はアップしても、根気が必要なことに変わりはない。

話しは戻るが、PETの外部記憶装置はオーデイオカセットで、大量の財務 会計データなどでは、しょっちゅうリードエラーを起こし、何度も読み直しを することになる。現在は合計1ギガのハードデイスクやMOデイスクをネット ワーク環境で使える環境にいるが、ついバックアップをさぼっていると、デイ スクがクラッシュして何日分かのデータが一気にフットぶことになる。速度が 上がり容量が増えただけ規模も大きくなった。

10年、20年後もこんなことをやっているのかも知れない。道具は変わっ ても太古の昔から人間のやることにそう変わりのあろうはずがない。

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