2014.03 どんな技も必ずできる

わーくすてーしょんのあるくらし ( 253)

2014-3 大橋 克洋

今年はシェラトン都ホテル東京でみつけたお雛様

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◯ どんな技も必ずできる:内村航平

北京五輪で銀メダル、ロンドンでは個人総合優勝金メダルを獲った体操の内村選手の言葉。父母妹すべて体操選手という体操一家に生まれ、父の創設した体操教室で幼い頃から体操にいそしむ。父の施設のトランポリンでひねり技などの空中姿勢の感覚を磨き、難しいひねり技の最中も「周りの景色が見える」そうです。

世界の誰も容易には真似できない高難易度の技を身につけた彼ならではの言葉とも言えますが、何度失敗しても「これでもか、これでもか、と食いついていれば必ずできるようになる」という自信の言葉でしょう。私には実感をもって判ります。オープン・ソースの電子カルテを配布していて、ユーザさんから自分の考えもしなかった一見無体なリクエストを何とか実現しようと格闘、めげることなく試行錯誤しながら食いついていれば必ず実現できることを何度か経験してきました。

本業のソフト屋さんなら言下に「可能ですが今すぐにはできません」と断るところを、速攻で成果を出して打ち返そうとしてきた結果とも云えます。「可能・不可能を考えることなく、これが欲しいぞうと叫ぶこと」「可能・不可能など考える暇なく、一気に突っ走る」パワーが大切と思うものです「やれば必ずできる」。

◯ 極限への挑戦

NHK BS 1スペシャルの「死闘 コスタリカ横断850キロ」、40度近い気温と90%の湿度、4000mの標高差と急変する気象。コスタリカの大自然850キロを各国の4名から成るチームが、マウンテンバイク・カヤック・トレッキングなど様々な種目をこなしながら走破するレース。以前みた砂漠の中のマラソン・レースも過酷でしたが、逆の環境のこちらも過酷です。タイムを稼ぐため殆ど不眠不休、睡眠はとっても1時間半。トップでゴールを切ったチームはスタート8日目でしたが、そこから2,3日遅れて到着するチームもざら。参加60数チームの2 / 3がリタイアを余儀なくされたそうです。

チームには必ず女性1名を含むルール。日本からも1チーム参加しましたが、参加した女性は50歳。おそらく全女性の最年長だったのでは。彼女は予想以上に頑張りましたが、ゴール直前7kmまで来て自転車で転倒、頭を打ち意識朦朧となり病院へ搬送。惜しくもチームはリタイアとなりました。男性メンバーでも過労と睡眠不足により、何と歩きながら寝ているメンバーもいたほど。自転車に乗っていてもかなり危うい状態だったと思います。

ここで日本チームの中では「成績にはならなくてもレース続行」という意見と「仲間が病院に担ぎ込まれているのにレース続行なんて」という意見がぶつかりました。しかし「今やめたら彼女はどう思う?自分のせいでゴールできなかったと自分を責めるに違いない。せめて3人でゴールすれば、少しでも彼女の責任を薄められるんじゃないか?」というリーダーの説得で、3人そろってゴールへ。病院で3人のゴールを聞いた彼女は「良かった」と一言。今回ほぼ優勝確実と思われていた外国チームも、1メンバーの足の傷の感染がひどく歩行不能になり、ゴールを目前にしてリタイア。チームの女性は「このレースでは何が起こるかわからない。こんなこともあるのよ。後から振り返れば楽しい想い出かもね」。

日本からは1チームしか参加しませんでしたが、30位から10位前後まで追い上げていました。もう数チーム参加していれば、上位入賞チームがあったかもね。意識朦朧として歩けなくなった仲間を、自分も疲労困憊にあるはずなのに肩にかつぎあげ歩く外国選手の姿を見て「こういうところは日本人と体力が違うなあ」と感心させられました。外国の女性メンバーも予想通りタフ。優勝チームの女性の言葉「最初は男性に比べ体力差が大きくても、2,3日もすれば皆へたばって同じになる。女性の方が疲れた状態で仕事をこなすのは慣れている。後半はお母さん役になってチームをまとめて行くの」。

標高差4000mの瓦礫の山で酸素不足と疲労の極致に呻吟する姿、深夜のジャングルを不眠不休で半分眠りながら歩く姿などを見ていると「果たして自分は同じような状況でどこまで頑張れるのだろうか」と思います。現状では1日も保たないでしょうが、もっと若いころ可能なら充分トレーニングして挑戦してみたかったなと、、

◯ 小山台高校 春の選抜で甲子園へ

都立小山台高校は武蔵小山駅の向こう側、私のところから歩いて10分もかかりません。日曜の朝には散歩からの帰り、いつも正門前を歩いてきますが、狭い校庭で野球班(ここでは部と云わず班と云うそうです)が早朝練習しているのを見かけます。都立の名門校として戦前から有名で、私の叔父や親しくさせて頂いた産婦人科の先輩方もここの卒業。私が好きな山田洋次監督もここの卒業生であることを知りました。今年の春の選抜高校野球、小山台高校が「21世紀枠」ということで甲子園出場が決まりました。都立高校初の甲子園出場ということで、地元の武蔵小山商店街や品川区も垂れ幕で祝っています。

昨日はその第1日目、開会式の後3試合目が小山台高校でした。私は野球にはとんと興味がない方ですが、オリンピックの野球だけはちょっと力を入れて見た覚えがあります。そして今回、地元の小山台の試合はプログラミングをしながら脇の TV をつけっぱなしにして観戦しました。小山台の伊藤投手はよく頑張りましたが、試合開始後まもなく満塁ホームランを打たれて一挙に5点入れられ、結局11対0で完敗しました。

「やはり全国校は強かった」というのが出場した彼らの感想、見ていてもその通りでしたが、少しも気を抜くことなくよく頑張りました。対戦相手の大阪「履正社」は4年連続出場だそうですが見ていても試合巧者という感じでした。小山台高校に1回は勝たせたかったのですが、ちょっと歯が立たなかったようです。残念でした(数日後たまたま TV をつけたところ選抜の決勝で「履正社」の名前に観戦してしまいました。結局は敗退し準優勝でしたが、小山台高校も初戦で準優勝校に当たるとは運が悪かった)。21世紀枠というのは「部員不足などの困難を克服した学校」「他校の模範となる学校」を選出した特別枠だそうです。小山台は狭い校庭や極めて短い練習時間など限られた条件の中で文武両道で頑張り都内で良い成績を上げたことが評価されたのでしょう。21世紀枠で出場権を勝ち取った学校は、やはり初戦敗退が多いようですが、ベスト4まで行った学校も2校あるようです。

開会式に並ぶ全国精鋭の高校球児の姿はとても凛々しく清々しいものでした。その姿を見て瞼にダブったのは「ああ、時代が違えば海軍兵学校や予科練などであのような姿の大勢の若者が育ち、海や空に散っていったのだなあ」と、、

◯ 産婦人科医会しごと納め

昨日は東京産婦人科医会の総会。18年務めた医会もこれにて退かせて頂くことにしたので、これが最後の公務となりました。その前に日本産婦人科医会の幹事を10年務めたので、通算28年産婦人科医会のお務めをしたことになります。日本産婦人科医会の幹事は委員会・幹事会・常務理事会と多くの会議で週に何日も出る激務と聞かされており、「幹事になってもらえないか」と電話を受けた時は丁重にお断りしました。「ああ、そう」と素直に電話は切れたのですが、数日後、医局の先輩の幹事から電話がありました。体育会系の私としては先輩の言うことは絶対。うまく絡め取られてしまったのがこの世界に足を踏み入れた始まり「実にうまい人の捕まえ方だな」と思いました。

30年近くにわたる公務に身を投じて自院の診療時間はかなり割くことになり、まったく蓄財もできませんでした。しかし、日本産婦人科医会で一緒に幹事を務めた大学勤務の先生方の多くは教授になり、その後の東京都医師会理事の経験などを含め、全国に沢山の人脈ができたのは大きな財産となりました。最近の若い先生方に委員や役員をお願いしても、殆どの場合断られてしまうのは困りものですが、目先のことだけでなく人生に巾をもたせるという意味でも、少しでも世のため身を投げ打つ心意気が必要ではないかと思っています。

長い間やってきた仕事を終えるということですが、特に大きな感慨もなかったのは自分でも不思議な気持ち。私が副会長時代から居る事務職員から「先生に辞められると、親身に相談にのってもらったり愚痴をこぼすところがなくなり困る」と云われたのですが「メールでも電話でも遠慮なく、どうぞ」と。総会の帰り際、思いかげず彼女達からささやかなお餞別を頂きました。医会からは何もでませんが、こちらの方が心がこもっていて何倍も嬉しく受け取らせて頂きました。

私のジンクス「10年勤めた日本産婦人科医会幹事を辞める直前には阪神淡路大震災」「8年勤めた東京都医師会理事を辞める直前は東日本大震災」からすると「18年勤めた東京産婦人科医会」を辞める時にも何か起こりそうですが、以前予測したように「前2回は自分の意志ではなく役員改選の諸事情で辞めることになったが、今回は自分の意志で辞める」という違いから平穏に済んだのだろうと思っています。

◯ 今月の歩術

今年の春は例年より寒いですね。以前は暦が3月に変わるとともに「もう春だもんね」とコートを脱ぎ捨てていたのですが、今年は3月下旬になってもコートを必要とする日がありました。恒例の日曜朝の散歩でも、日の当たるところでは汗をかきそうでジャンパーのジッパーを下げるのですが、前からピューッと風が吹いてくると寒くてジッパーを上げるという状況を何度か経験しました。

そんなことで2年前一念発起して自発的な散歩を始めた当時は、頑張ってほぼ1日おきに夕方から歩きに出ていたのですが、最近はさぼって本格的歩きは日曜朝くらいになってしまっています。都医に毎日通勤していた頃の耐寒能力が落ち、寒さを感ずることも多くなっています。それと関連するのだと思いますが、ここのところ体重は一向に下がりません。一昨日から3日連続で 10km、合計 30km を歩いたにもかかわらず、以前のような減量効果は見られず。歩行能力が上がり、これ位では脂肪を減らす負荷とはならないのでしょう。

それに伴い中国武術の練功も以前に比べサボリ気味になることも多く、姿勢もやや落ちてきたように感じ、正しい姿勢で歩くよう務めています。

先週の散歩で「桜の枝の先も少し膨らんできたようだな」と思ったのですが、本日は桜の蕾も大分膨らんできて来週の散歩では開花しそうな雰囲気。小山台高校の桜並木の中に1本だけ満開の桜があります。これって見たところは同じでも、少し種類が違うんでしょうね。本日の日曜散歩は朝 10km 強、帰宅後、家内と娘とともに学芸大学近辺へショッピングと昼食のため 8km ほど歩きました。これでも体重減らないんだろうな、、

そして翌朝体重測定してみると、やはり体重は減っていません。しかし冬になって体重とともに上昇気味だった血圧の方はここ数日の歩きが功を奏して降下しはじめ、しばらくは正常範囲をキープしそうです。降圧剤に頼るだけでなく、運動をすることは大事ですね。

◯ 今月の脳トレ

今月このコラムの更新が滞った理由は、言わずと知れた電子カルテ NOA の開発に入れ込んでいたため。今までのお絵描きツールは、当初 Web アプリの開発技術上の限界で諦めていたお絵描きツールが、HTML5 と CSS3 の登場で可能になり、その手習いを兼ねて作成したもの。必要最低限のことしかできない極めて拙いものでした。

今回これを改良するきっかけとなったのは「本格的ドロー・ツールのように、描いた画像ひとつひとつを独立したオブジェクトして扱いたい」でした。例えば野原の背景の上に蝶が描かれているとしましょう「蝶だけをマウスで摘んで移動したり、拡大縮小できたりできると便利だな」と。現在は1枚の CANVAS という白紙の上に色々なものを描いているのですが、背景と蝶をそれぞれ独立した透明な CANVAS に描けば、やりたいことが実現できるはず。早速やってみると出来そうです。開発は現在進行中ですが、描いた画像を個別に移動・拡大縮小・色の変更などができるようになり、かなり便利そうです。新しい機能を学習し、新しい機能を実現する作業はとても面白くハマっています。

このようにして、画像の移動・拡大縮小など以前よりうまく扱えるようになったので、いつも不便に思っていたことの改善に取り組みました。スキャナー取込みの健康保険証画像を電子カルテに保存していますが、不便なのは「画像の移動」。今まで画像移動は上下左右の矢印をクリックして、かくっかくっと段階的にしか動かせませんでした(画像の扱いをやっと覚えた当時の作品だったので)。「画像をマウスで掴み移動できれば、もっと楽になるのにな」。そしてこれを実現するとともに、画像の必要な部分のみをトリミングし保存できるようにしました。これで、以前より更に楽しく仕事ができるようになりました。

こんなことで、今月は大変興味深く楽しい作業に集中しています。本日で72才の誕生日を迎えましたが、まだプログラミング能力はバリバリに行けています。

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これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です