1998.01 「わーくすてーしょんのあるくらし」再登場

わーくすてーしょんのあるくらし (1)

1998-01 大橋克洋

< 1997.07 Japan Developers Conference に参加して | 1998.02 コンピュータ画面とのつきあい方 >

「わーくすてーしょんのあるくらし」は、1987年(昭和62年)初め から1990年末までの4年間、月刊誌「インフォメーション」に連載 された私のエッセイのタイトルです。この度、「医療とコンピュー タ」より掲載依頼を頂き、再び筆ならぬキーボードを叩くことにな りました。

WorkStation とは「UNIX などの OS」「アイコンやウインドー、 マウスなどの GUI」を搭載し、「Ethernet と TCP/IP などを使用 したネットワーク」で上下関係なく水平に接続できるパワフルなコ ンピュータというような定義でよいと思います。 パーソナルコンピュータやインターネットの普及により、今では 家庭内 LAN などもそう珍しいものではなくなりました。実際には 現在のパーソナルコンピュータの性能はあの頃の WS を凌ぐものに なっています。WS という名称自体、もう死語かも知れませんね。

あのころ私が「やりたい」と叫んでいたことの殆どが、現在では 当たり前のようにできるようになっています。「可能か不可能かな ど考えてはいけません」。「何としてもこれがやりたいぞー」と叫 ぶことです。神はかならず授けてくださるでしょう :-) 中には天地がひっくりかえっても起こらないだろうと思ってい たことまで(例えば OPENSTEPが Apple 社から供給されるようにな るなど)。

○「わーくすてーしょんのあるくらし」の由来

まず私とコンピュータとの関わりや私のコンピュータ環境などに ついてご紹介しておきましょう。 私は東京で産婦人科を開業しています。最盛期の昭和40年代に は15床程度のベッドをもち職員も大勢使っていましたが、世の中 の出生率の減少とともに、365日24時間対応による人件費など を含めたランニングコストが完全に収入を上回ってしまい、現在 は外来診療を主体とし、3床の規模に縮小しています。

コンピュータと取り組んだのは、Apple など初めてのパソコンが 世に出た翌年の1978年でした。当初から自分でソフトウエアを 組み、仕事に使うことが目的で始めましたが、すぐに BASIC に限 界を感じて Pascal へ移り、さらに1983年頃から UNIX と C 言 語を使うようになりました。

UNIX は米国の電話会社 AT&T 社内で作られた OS だけあって、 極めて強力なネットワーク機能を持っています。パソコンが世に出 る以前から、コンピュータにネットワークは必須と考えていました ので、UNIX を使って初めての「まともに使えるネットワーク機 能」にいたく感激したものです。

当時 jus(Japan UNIX Society)の会合で、今日の日本のインター ネットの基盤を作った村井純さん(当時は東京工大)とお話する機 会が何度かあり、UNIX マシーンとしては、まだ創業まもないサン マイクロシステムズ社の Sun Workstation が素晴らしいとの話を たびたび聞かされました。丁度、最初の「円高ドル安」のタイミン グと、Sun 自体の価格が下がったので思い切って一度に2台の Sun を導入し、1Fの診察室と13Fの自宅とを Ethernet で結びま した(等価交換方式で建ったマンションの1・2階に診療所、13 階に住居があります)。 11年ほど前のことで、これが「わーくすてーしょんのあるくら し」の由来になりました。

○ネットワークに繋がらなければ高級電卓にすぎない

UNIX を使うようになって「ネットワークにより、異なる場所に 居ながらファイルを共有できる」「マルチ・タスクでいろいろな仕 事を同時並行処理できる」など、感激したことはいくつもありまし た。これらにより初めて、本当の意味でコンピュータ化のメリット を実感するようになったのです。「ネットワークにつながらないコ ンピュータは高級電卓にすぎない」というのが私の持論です。

当時はまだメインフレーム全盛の時代でした。Sun を入れる少し 前の1984年、第4回の医療情報連合大会で「これからはワーク ステーションのようなものを水平に繋いだネットワークが普通にな り、メインフレームはその一端を担う周辺機器になる」という発言 をしたところ、フロアから散々反論をいただきました。名も知れぬ 町医者が学会でそのようなことを言っても、誰も相手にしないのは 当たり前のことでしたが、大変くやしい思いをしたことを覚えてい ます。

ところが今では、どうでしょう。ダウンサイジングなどと騒がれ るようになり、あっという間に私が言った通りになってしまいまし た。心の中でざまあみろと叫んだものですが、日本の社会は「人そ のもの」ではなく「その人の後にある背景」で人を評価しますの で、今でも同様な思いをすることはしばしばです。

○マルチ・タスクの重要性

UNIX の特徴のひとつがマルチ・タスクです。これは、一度に大 勢の人が聖徳太子に話しかけても理解されるというようなもので、 色々な作業を同時並行処理するメカニズムです。実際にはひとつひ とつの作業を少しずつ処理しながら、次の作業へ移動してゆくので すが、極めて高速なので、あたかも同時に複数の人間がそれぞれの 仕事を処理しているように見えます。

現在のパソコン・レベルでもマルチ・タスクに近いことができる ようになっていますが、やはり本家の UNIX にはまだ及ばないよう です。ワークステーションの上でソフトウエア開発などしている と、ちょっとコンパイルをかけておいて、別のウインドーでこのよ うな原稿を書き、郵便ポストのアイコンが赤い旗を振り始めるのを 横目で見て「あ、メールが届いたな」とわかります。そのうち、 「ポーン」という音がするので、裏で無事コンパイルが終了したこ とがわかるというような具合でとても便利です。もうこの環境がな いと仕事になりません。

○GUI(グラフィカル・ユーザ・インタフェース)の重要性

UNIX はネットワークやファイル管理など OS の基盤としては、 今でも素晴らしいものですが、実際に対面するユーザインタフェー スは、きわめて無愛想なものです(これは UNIX にどっぷり漬かっ た人間にとっては、無駄口を叩かず、簡潔で極めて効率的なインタ フェースということになります)。 従って、一般ユーザが使うには UNIX の上に Mac のようなGUI をかぶせたシステムが理想的なシステムです。最近は Windows な ども見かけ上、Mac と殆ど変わらないようになってきました。 (MacOS-8 では、Mac の画面が Windows のようになったという 話もある :-)

このようなインタフェースは、その昔ゼロックスのパロアルト研 究所で大勢の優秀な研究者達が、子供にも使える直感的なインタ フェースを作ろうということで研究した成果です。ゼロックス社で は結局製品に結びつかなかったのですが、Apple の創設者 Steve Jobs が「これこそ、これからのコンピュータに必要な機能」であ ることを見抜き、ゼロックスから研究者を引き抜いて製品化し、一 般へ提供しました。

アイコンなどを使ったインタフェースは、消しゴムやゴミ箱な ど、生活上見慣れたオブジェクトを実現したものでメタファーと呼 ばれます。これはコンピュータ上の作業をずっと能率化します。 それはなぜか。キーボードによるコンピュータとの対話は、表示 された文字を頭の中で一旦自分の認識できるものへ変換し、それに 対する判断をまた文字に変換してタイプするわけですが、アイコン であれば見たとたん瞬時に認識・判断し、マウスのクリックで処理 できます。煩雑な作業において、これは大変大きな差になります。 つまり「いかに余計なところに頭を使わず、頭脳は使うべきとこ ろに集中し効率的な仕事ができるか」を追求したゼロックスの研究 者達の成果なのです。

医療の現場のように「患者さんの命にかかわるような事柄に全精 力を集中したい」あるいは「他の煩雑な作業にかかわる判断だけで 手一杯」のような部署には、なくてはならないものということがお 分かりでしょう。 実際には、単に「絵で表せばよい」というものではありません。 その裏で「いかにお利口にそれらを駆使する仕組みが動いている か」こそが大切で、ここが Mac と Windows との差と考えています が、これについてはまた追々触れることにしましょう。

○医療にネットワーク・マルチタスク・グラフィックは必須

他の業種と比べても、医療ほど複雑な機構は余りないのではない かと思います。そこに携わる職種は多岐にわたりますし、行われる 作業やその手順もしかりです。このような業種こそ、コンピュータ 化して能率化をはかるべきですが、コンピュータでそれに対応する システムを作るのも、他の業種と比べてかなり大変なことでもあり ます。

従ってコンピュータ導入により成果を挙げるには「ネットワーク で時間空間を超越し」「マルチタスクで同時並行処理を行い」「グ ラフィックで判断力への負担を軽減する」ことが必要になってくる のです。それらの具体例については、今後の連載で少しずつ触れて 行きましょう。

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