2014.01 道を知っていることと実際に歩くことは違う

わーくすてーしょんのあるくらし ( 251)

2014-1 大橋 克洋

私の好きな散歩道:目黒川沿い桜並木の遊歩道

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◯ 道を知っていることと実際に歩くことは違う

健康のため散歩に出るようになって3年目に入ります。最初は iPhone の google map に頼っての歩きでしたが、最近は土地勘を頼りに新しい小路を探検しています。地図で見たのと実際に歩くのとでは当然ながら色々と違いがあります。距離感もそのひとつ、遠方に見える高いビルなどのランドマークを見ながら「目標はあの先」と考えながら歩くのは、非常に実感があります。高低差もそうですね。普通の地図には等高線もないので、経路はわかってもどの程度高低差があるかはわかりません。私の住まい付近は結構高台なので、どこへ行くにも坂を下って行き、帰りは結構な坂を登ってくることになります。

海図も羅針盤も持たない昔のポリネシアの人達は、丸木船に乗り、見上げる天体を頼りに広大な太平洋を航海したそうです。私のやっていることなど、きん斗雲に乗った孫悟空がお釈迦様の掌の上を飛び回っているようなもの。

これは歩きだけではなく、人生における色々な場面で云えること。座学では判ったつもりでも実戦になるとまったく違う。やはり現場で経験を積むことが最も重要になります。料理人や大工などいわゆる職人と云われる人達は特にそうでしょうね。コンピュータのプログラミングもそうです。マニュアル本で理屈を読んでも、実際それを自分のプログラムで使ってみると思ったほど便利ではなかったり、思うように簡単には操れなかったりと、、

しかし、現代の日本社会には米国式マニュアル人間が増えてしまいました。自分の頭で考えられない、自分の身体で感じとれない人達への対応には戸惑うばかり、、

ということですが、自分としては今年も色々な局面で「自分の足による歩きを実践し」「身についたものにしたい」と思っています。

◯ 今月の歩術

昨年9月から体重の直線的増加が止まりません。一昨年に比べ歩きはやや少ないものの、食事の量はかなり控えているつもり。12月に入って歩きを増やすようにしていますが、それでも増加は止まりません。最近は歩く力がついたため、8km から 10km 程度歩いても身体への負荷とならず、体重減少につながらないのではと考えています。

一昨年の春から夏にかけ1割以上落とした体重が元に戻りかけています。おそらく春頃からは減少傾向に転ずるはずと思っていますが、暖かくなるまでまだ2,3ヶ月はあるので、その間増え続けるのでしょうか。歩きとともに短時間ではありますが朝晩の中国武術基礎練功は続けているので、いかにも脂肪がついたという感じではないのですが、、

そんなことで、朝昼を抜いてみました。減食に慣れているのと身体に蓄積されているのとで、2食くらい抜いても何の問題もありません。体重が増えているのは「身体が必要とする以上に食べている」からに他なりませんが、摂取量を余り極端に減らすのも健康上問題を生じます。その辺りの兼ね合いが難しいですね。

毎年のことですが、正月は恒例の箱根駅伝を観ながら、家内の作った美味しいお節料理を肴に昼から燗酒をちびりちびりと楽しんだりしているのも体重増加に拍車をかけていると思います。今年の正月休みは日曜から日曜まで8日間、元旦以外は毎朝歩いてきました。例年に比べ北風が吹くことも余りなかったのですが、4日5日あたりは曇り空で朝日が出なかったため早朝の歩きはかなり冷え込みました。しかし毎朝歩けるのは嬉しいなと、、

過去のコラムを読み返してみると「歩きのトレーニングには階段・坂道や不整地を歩くことが効果的」というようなことが書いてありました。歩行者用陸橋などの階段や坂道はいつも歩いているのですが、そう言えばコースに不整地は殆どないなあ。ちょっとすぐ思い当たらないが、不整地を探して歩いてみよう、、野山が近ければ苦労しないのだが、、

・・・

月半ばを過ぎると、ようやく体重の直線的増加はおさまり「もしかすると低下傾向へ?」と思える状況。この正月で娘と家内も私と同様 体重増加を感じたため、ややダイエットを意識した食事に変わった効果がありそうです。と云っても食事に見た目での大きな変化はなく「野菜類が多くなったかな」という程度なのですが。

◯ やはり必要だった闘争本能

先月のコラム、レーザ兵器のところで「人類の闘争本能を抑えこむことは困難。副作用としての弊害もあるだろう」「スポーツなどで闘争本能を十分発揮させ、平和で自然環境と融和した世の中へ向かっていけないものか」と書きました。

医師会の役職をすべて辞めてから時々何となく不安感、すなわち軽いうつ症状が出るのを解消したいと思ってきました。運動により解消させようと、寒い中つとめて歩くようにしているのですが、年が明けても油断すると起こりそうです。そこでハタと気がついたことがあります「そうか、対象がなくなって戦闘意欲をなくしたためか」。やはり人間というか、生き物に闘争本能は必要なものなのだと、、

さあて、これを平和的に発揮する方法を考えなければ。現状では「戦闘的に電子カルテ開発を進める」ことかなと。とにかく、何かにやり甲斐を持ち、前向きに立ち向かってゆくことがないと生き物はうつ傾向になるのではないかと思います。これも「使わないと錆びる」のひとつ。若い時はともかく、中年を過ぎると特にそうなりやすい。やはり闘争本能を抑え込むことにより副作用の有ることを知りました。そのひとつが「うつ」なんですね。自分は「うつ」なんてものには全く関係ないと思って これまで生きてきたのですが、、

ところで「錆びない」という文言、7年ほど前このコラムで使い、3年ほど前「使わないと錆びる」というタイトルを使いました。馬術部の後輩 N 君が最近「錆びないナントカ」という本や講演で売れています。彼もこのコラムを読んだのかなとも思ったのですが、考えてみるとプログラミングをやっていて、私が思いついたアイデアとそっくりなソフトウエアが他から出てくることがよくあります。特に米国などから出てくることが多いのですが「世の中には同じことを思いつく人が必ず居るものだなあ」とは以前から思ってきたこと。

◯ 高齢者が社会に支えられるのではなく 社会を支える側に

今年の日本医師会ニュース「新春対談」は横倉会長と三浦雄一郎氏との対談、面白く読ませてもらいました。横倉会長が三浦氏の話を受け「日本の平均寿命は世界トップクラスになったが、健康寿命との差は十年近くある」「普通、歳をとると社会にサポートしてもらう。健康であれば逆に社会を支える側に回れるので、社会に支えられる側から社会を支える側になるためにも健康寿命を延ばしましょうと提唱しています」にはまったく同感。

99歳でモンブランからスキー滑降をやった三浦氏の父上は「元気だからスキーをやられるのですね」と云われ「スキーをやるから元気になる」「かえって歳をとったからやろう」ということで90歳を過ぎてから3回骨折したが、治ればモンブランを滑れるとの一心で努力して治し白寿でモンブランを滑ったという話も非常に参考になりました。

もうひとつ三浦氏の話で参考になったのは「健康法には守りの健康法と攻めの健康法がある」「守りの方はウオーキングとか食生活ということで健康に歳をとってゆくが、骨密度や体力はそれなりに落ちてゆく」「攻めの場合は70歳になっても富士山に登ってみようとかゴルフで飛ばしてみようとか目標を作り、負荷をかけトレーニングをする」「高齢者も積極的に自分で何か目標を持つべき」。

なるほどね、こういう姿勢で行けば「うつ」だ何だということも吹っ飛んでしまうわけですね。戦闘的により「挑戦的に」という方が良いのかな、、

◯ 小野田寛郎 元少尉 逝く

尊敬する小野田寛郎氏が、今月16日に91歳で亡くなられたそうです。知りませんでしたが、最近はブラジルから日本に帰国され佃に住まわれて「自然塾」をやられていたのだそうです。氏の没後になって、彼を悪く書き立てる輩が居ると聴き心が痛みます。

私は自分にできないことのできる人を素直に尊敬するのですが、小野田さんもその一人です。「筋の通った信念を持ち、ブレない」「それでいて環境には素直に順応する」「自己管理力に秀でる」など、これは撃墜王の坂井三郎氏にも共通します。私もこのようなことを大切に生きているつもりですが、それでもこのお二人にはとても敵わない。

戦争アレルギーの現代人は余り理解しようとも思わないでしょうが、このような本当に強い人達は普段はとても優しい人なのです。坂井三郎氏にも心温まる部下思いの色々なエポソードがあります。現在でも世界から高く評価される「日本人の魂」が、肝心の日本の若者にどの程度 継承されるのかとても心配ですが、細々とは続いてくれるのでしょうか、、

◯ 外国人が日本に住んで受けた衝撃

そう思っていたら、日本に住んだアメリカ人からの、以下のような感想が fasebook に紹介されていました。

・電車が遅れない:3分も遅れようものならお詫びと状況説明のアナウンスが流れる

・何でもかんでも隅々までサービスが行き届いている:感じがよい・親切・熱心

アメリカで自宅に電話を取り付けようとすると、業者が約束時間に現れない+ドタキャンはザラ。こんなこと日本ではあり得ない。

・とにかくオシャレでブランド志向:綺麗な身なりの女の子なのに、凄く口が悪い

・オール食べ物美味しく清潔:世界一、清潔やさん

すごく住みやすく、真面目で贅沢なのに、愛国心がないのは一番哀しく衝撃だった。自分の国なのに。日本は何においても優秀な国、愛さなければ可哀想、もったいない。

これは私がいつも嘆いていること、外国から移り住んでみるとよく判るんでしょうね。

◯ Web アプリとブラウザーとの相性

昨年 Google Chrome のバージョンアップがあってから、電子カルテ NOA で文字化けが発生するようになりました。電子カルテ本体では問題ないのですが、そこから呼び出される周辺ツールの子ウインドウで文字化けが発生します。文字化けが起こっても普通は文字のエンコードを UTF−8に設定しなおせば問題ないはずなのですが、今回 Chrome ではどうしても文字化けが消えません。同じエンジンを使っている Safari では何の問題もありません。色々やってみても解決できないので Chrome のバグ・フィックス待ち。最近は Chrome が快適になって NOA は Chrome で使っていたのですが、Safari へ戻ることにしました。

Chrome を使うもうひとつの理由は、画像ファイルをドラッグ・アンド・ドロップした場合 Safari では HTML5 のファイル取込機能がまだインプリメントされておらず取り込めなかったということもあります。今回 Safari を使うにあたり「もしかして、、」と試してみると、嬉しや Safari に機能がインプリされたようで問題なく取り込めるようになっていました。これで Safari を使わない理由もなくなったわけ。あと Chrome を使う理由として Safari ほどはメモリーを大食いしないこともありますね。

それではと、久しぶりに FireFox で NOA を動かしてみました。昨年は FireFox を試すことなく NOA のバージョンアップを重ねてきたので「きっと何か問題が発生するはず」。案の定、幾つか動作不良や表示不良発生。原因を追求してみると Safari や Chrome では対応しているのに FireFox では対応しない機能があります。早速それらへの回避策を施したのですが、よく調べてみると対応すべき箇所がかなり多く存在する。それらにいちいちブラウザーごとの処理を書き加えるのもダサイし、後日の修正も煩雑になる。判断機構をライブラリーに登録しそれで置き換えるようにしてみたが、実際使ってみると色々なところで不具合が生ずる。うーん、どうしようかなあ、うまい解決策をひねり出すまで FireFox は未対応ということで逃げるしかないかも、、

幾つかのブラウザーを試すうち「そうだ iPad で唯一 NOA にマッチしたブラウザー、iCab を使ってみよう」。iCab はずっと前から Mac で使い、気に入っていたブラウザーですが、最近使っていませんでした。新たにダウンロード「おお NOA が問題なく使えそうだ」しばらくこちらを診療現場で使ってみることにしよう。さすが iCab は細々とカスタマイズに対応しているようです。

・・・

しばらくして Chrome による文字化けが発生しなくなりました「さすが Google 偉い!」と思ったのですが、数日もせぬうち再び文字化けが、、

丁度その頃、私の電子カルテ NOA を「東南アジアへ提供する電子カルテのプラットフォームとしてカスタマイズしたい」とのメールを頂きました。NOA が海外で使われるなんて思ってもいませんでした。もちろん OK の返事。数日後、カスタマイズの状況レポートの中で、やはり一部で文字化けが発生しチェックしたところ META タグの中に一文字脱落のミスタイプがあったとのこと。

うーむ、文字化けは META タグの問題のはずと何度も見なおしたつもりだったのですが、私が目を皿のようにしてチェックした charset=UTF-8 の部分ではなく、その前のほうにある Content-Type の宣言が一文字脱落の Conten-Type になっていたのでした。Safari ではそれでも問題なく通してくれていたのですが、最近の Google ではエラーになるということ。自分のミスタイプって、思い込みでとても見つけにくいことがあるんですよね。よい経験でした。

◯ また久々のギックリ腰

数年前、ギックリ腰で難儀したことを書きましたが、昨日またやってしまいました。今度のは不思議な発症経過だったので書き留めておきます。夕方から3時間ほど書斎で座っている時に発症したのですが、体も動かさないのに突然背中に忍び寄ってきました。

もう30年以上前、若い頃の発症も腰を曲げてギクッという感じではなく始まったのですが、考えてみるとその前に庭の草取りでしゃがんだ作業をしていたので、そのためかなと思っていました。今回はそうではありません。

身体を動かさないのに(動かさなかったから?)始まったのです。年齡のせいもあるかも知れませんね。一定の座業をしたら身体を動かせってことなのかなと。数年前のギックリ腰はかなりひどかったのですが、このコラムにも書いたように頑張って電車に乗り都医の仕事に行ったら楽になりました。本日も東京産婦人科医会の会合で自宅から大手町まで 9km ほど歩く予定をしています。これで軽快するかな? 診療していても椅子から立ち上がると腰のあたりが強張ってなかなか腰が伸びません。果たして長距離歩けるのか?

しかし出掛ける時間になっても、どうも腰の強張りが芳しくありません。無理すると、ぎくっと来そうです。安全策をとって長距離歩行はとりやめ電車で出掛けましたが、会議後の立食懇親会で立っていても問題なく、帰宅するとかなり良くなっているのに気がつきました。会議の適度な緊張と、ほどほどのアルコールが功を奏したのかな、、

< 2013.12 iPhone で生活が変わった | 2014.02 わざと壊れやすい仕組み >

正月の松もとれた夜 自宅から新橋の新年会まで歩く途中の芝公園

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です