2013.03 数息観

わーくすてーしょんのあるくらし ( 241)

2013-3 大橋 克洋

日曜早朝の散歩で立ち寄った目黒雅叙園、春を感じさせる雛の吊るし飾り

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◯ 数息観

数息観(すそくかん)とは禅の修行の基本的なもののひとつだそうです。坐禅のように心を鎮めるトレーニング。「ひとー」と数えながらゆっくりと息を吐いて行き「つ」で息を吸います。同様に「みー、、、つ」と続け、10まで行ったら再び1から。100まで数える方法もあるとか。

要点はこのようにゆっくりした呼吸で数を数えながら雑念を払う。いや、「払おうとしては駄目」なのだそうです。雑念を払おうとすること自体が雑念であって、雑念も拒否しないが固執もしない。つまり雑念が湧いても留まること無く流れて行くにまかせる。周囲のものが見え聴こえていても、それはそれ、大宇宙の上に座った気持ちで静かに聴き流すというようなことのようです。

なるほどねえ、、確かに雑念を追い払おうとすること自体が大きな雑念。すべてあるがままが身につけば、人生の中でどんな状況に置かれようと泰然自若とやり過ごすことができるというもの。自分でも齡のせいかちょっと気が短くなったというか固執するというか、そういうところがまずいなと感ずることが最近あります。歩術のトレーニングとともに、心のトレーニングもしてみるか、、

そうそう、数息観で明らかなご利益を見つけてしまいました。毎朝、自分の体重とともに血圧測定もしているのですが、このようにゆっくり5つほど数えてから血圧を測るとテキメンに血圧が下がっているのです。おー、そうなんだ、、と感動しました。ということは、他にも色々な面で効果があるはず。

別のところで読んだものですが、「もし自分の命があと数日と宣告されても、世界中のうまいものを食ったり世界一周旅行なんてことは絶対にしない。今までどおりの生活パターンを絶対に崩さない。人は生まれて、生きて、死ぬ、これだけで大したもんだ」と、あの北野武が書いていました。自分もそう思います。

◯ おっと Picasa が Google+ になっちまった

私の Ocean Web Space を自前サイトから Google site へ移してしばらくは、そのまま写真を貼っていたのですが、ある時から写真を受け付けてくれなくなりました。恐らく容量オーバーになってきたのだと想像します。そこで Google の写真サイト Picasa に写真を置き、そこからこちらへリンクを貼って運用してきました。

ところが今月のページを作り表紙の写真を貼ろうとすると、いつの間にか Picasa が Google+ と共有されるようになったのは良いのですが Picasa の写真の URL を Web site 用にコピーする機能がサービスされなくなってしまいました。おっと困ったと探しまわったのですがなさそうです。「そうか、写真元の URL がわかるんだから HTML の IMG タグで自分で書いちゃえばいいんだ」と、自分で記述して何とかしのげました。私のように HTML を操れる人はよいですが、そうでない人で Google site を利用していた人はとても困るんではないでしょうかね、、Google 宛そのむねコメントしておきました。Google のことですから、そのうち機能が復活することを期待しています。新しいサービスになって、今までの便利だった機能がなくなってしまうなんて Googole らしからぬマズイこと。

この後、別の写真をアップしようとしたら「あれ?どうやって写真の URL 取得したんだっけ?」Google+ の画面からどうやっても写真の URL を見つけられません。やっと思い出したのは「Google+ の写真をマウスの右クリックすると表示されるメニューで URL 取得できる」。それにしても Picasa の頃に比べ不便になったなあ、Google+ 自体もよくわからん、、

◯ 最近のスケジュール管理

「わーくすてーしょんのあるくらし」初期の頃のページを読んでいたらシステム手帳やスケジュール管理の話題があったので、久々に最近の状況を書いて見ましょう。比較的最近まで、あそこに書いてあったようにコンピュータ上で管理するスケジュールをプリントアウトし巻物状にしたものを押しつぶし定期入れに入れ持ち歩いていました。同様のものを柱にぶらさげ「ふんどしカレンダー」などと呼んでいましたっけ、、

やがて携帯電話が普及しスケジュールを携帯に入れている人を見かけるようになっても「使い難いんじゃない?」と、携帯で管理しようとは思いませんでした。しかし iPhone が出現してしばらくすると紙のスケジュール表は完全になくなり、すべて iPhone 上の Google Calendar になりました。出先で iPhone に入れる内容は簡略であっても、後で Mac の Web ブラウザー上でゆっくり補完・調整できます。iPhone に切り替えた当初はハードコピーが無いことに何となく不安もありましたが、それで困ることは生じませんでした。診察室や書斎ではデスク上の Mac 、出先では iPhone や iPad から読み書きできる、まさにクラウドのメリットさまさまです。

このような方式ですと、例えばあるイベントに関し送付された日時・場所・詳細などを記述した案内メールをカレンダーのメモ欄にコピーできるのもとても便利です。出先で iPhone からその案内文を読み、住所や店の名前で Google map を開いたりできます。このようなものが蓄積されてゆくと、過去を振り返る簡単な日記帳の役目も果たしますね。

◯ 同様にメモ帳も、、

MacOS でも iOS でもメモ帳アプリは実に多種多彩なものがでています。色々なものを使って来ましたが、現在気に入って使っているものが2つほどあります。いずれもクラウドのメリットを活かすところがキモ。

ひとつは Simplenote 。Google calendar 同様 MacOS でも iOS でもメモ内容を共有できます。ちょっと覚えておきたい店の名前とか、色々なことに使っていますが、とても便利をしているのが電子カルテ開発ツールの一環として。開発を行なっていて、追加したい機能の箇条書きや、更新した部分の箇条書きなどをメモしておきます。電子カルテ NOA はカルテ本体と様々な周辺ツールがあるので、いろいろといじっていると次のリリースのアナウンスで、どことどこをどう修正したかが判らなくなることがありますが、メモしておけばその心配もないというわけ。なら、どんなメモ帳でも良いのでは?ということですが、クラウド型式ですと、出先で思いついたアイデアもすぐ iPhone でメモることができ、あるいは箇条書きにされた現状の問題点を見直すこともできます。

もうひとつは MacOS 限定ですが NotesTab というアプリ。Mac 画面上端の小さなアイコンから起動すると小さなメモが開きます。画面のどこにどのようなサイズでも置くことができ、再度開いた時パネルの位置やサイズを覚えています。メモは何枚も作成でき、それらのタイトルをリストアップし選択できます。ここまでは何ということもないのですが、私が使いやすいと思うのは「他のアプリをクリックするとメモが消える・消えないをワンクリックで設定できる」とか、有償版の NotesTab Pro では「数カ所で使っているメモ帳がクラウドを介し同期される」ことです。例えば簡単なメモを参照し他のアプリを使う場合など、用が済んだらメモを消したいところですが「他をクリックするとメモが消える」モードになっていれば、その必要がありません。これ、結構便利なのです。

、、と書いてから「もしかして」と iPhone の AppStore で NotesTab を探してみると、ありました。しかし残念ながらクラウドで同期できる NotesTab Pro はないようですね、、と書いてから、よく調べてみるとちゃんと同期もできました。そうなると Simplenote と同じ。NotesTab のメリットは Mac で使っている時、メニューバーから一発で小さなパネルとして出現するところかな、、

Google Calendar を扱えるアプリが沢山あるように NotesTab も Simplenote のデータと同期できると便利なんだがなあ、、Evernote については色々なアプリが連携をとれるようになっていますよね。これからは、このようなことが結構大事になってくるのだと思います。

◯ iBooks でようやく日本語書籍も

ようやく iBooks でも日本語の書籍が購読できるようになりました。iBooks が日本語化される前に出現した電子書籍アプリを色々使ってみました。最近は余りにも百花繚乱で「あの本はどの書籍アプリだっけ」とか結構わずらわしいことも多くなりました。

やはり iBooks はユーザ・インタフェースが良いので快適です。しかし iBooks にしてもそうですが、購読できる書籍というとアニメの花盛りで読みたい本が非常に少ないのがとても不満です。少なくとも文庫本など長年流通している書籍は、どの書籍アプリからでも共通に購読できるようにして欲しい。Jobs が健在ならミュージックの世界のように書籍でもそのような方向を目指したのでしょうが、彼の居なくなった今それを何が何でもやろうという動きは当分出ないのだろうなと諦めの境地、、

30年以上前から叫んできたこと「コンピュータもオーディオの世界のようにメーカーが異なる機器同志を自由に繋げられるべき」ということはようやく実現されました。書籍も「どの書籍アプリを使っても、欲しい書籍を購読できるようにして欲しい」と叫ぶことにしましょう。専門書を扱う書店は別として、「うちにはこの系列の本しかありません」という書店は今までありませんでしたからね。期待するのは Amazon が iBooks でも購読できる色々なジャンルの本を提供してくれること(Google がそうであるように Amazon も収益を上げるのは Kindle のようなハードウエアでなく書籍というソフトウエアであるはず)。

最近「電子書籍になって紙の頃とは違うな」と思ったこと。「固い本」「柔らかい本」「技術書に近い本」の3種類を併読しています。ある本を読んでいて集中力が落ちてきたら「栞を挟んで閉じ、別の本を開く」という「義経の三段跳び」のような読み方をしています。異なるジャンルの本に移ると一定時間は集中力が戻るんですよね。紙の本でもできますが、電子書籍ではこれが容易にできる。3冊持ち歩く必要もありませんしね、、

◯ 今月の脳トレ

先月書いた財務会計ソフト( CashBook というネーミング)、この Web アプリが熟成し、先代 MacOSX の Cocoa アプリよりずっと多彩なことができるようになってきました。やはり「Web アプリはデスクトップ・アプリを超えた!」の実感。

最初はまだ未成熟で、大事な帳簿データが消えてしまうのではという不安もあり、恐る恐る既存の Cocoa アプリと並走させていました。安定してからは記帳するのが面白くなって、引き出しに溜め込んでいた領収書やレシート類、銀行からのレポート類をどんどん記帳するようになりました。やはり「面倒な仕事」より「仕事は楽しく」なくちゃね。

このアプリはオープンソースの電子カルテ NOA プロジェクトでは配布していませんが、希望される方があれば今後これも加えてもよいかなと、、配布するとなれば HELP や login 機能をつけたり、その他幾つか機能を加える必要がありますが、、

ところで NOA もそうですが「何かもうひとつ新しいメカニズムを実現できないか」と、モヤモヤしたものがあります。プログラムとして外部からコントロールするのではなく、内部のオブジェクト同志が知能を持って連携動作できないかなとか。そう考えるようになったきっかけは、4枚プロペラの小さな模型ヘリコプター群が、色々なフォーメーションに自在に変化しつつ編隊飛行する YouTube の動画。個々のヘリをコントロールするのでなく、個々のヘリが周囲の他のヘリの位置や方向、距離などを検知し、インテリジェントに動作する仕組みなのだそうです。製作者は「個々のヘリをコントロールしたのでは、とてもこんな動作はできない」と述べていました。

NOA ではうまい活用を思いつかないのですが CashBook が扱うのは単純なひとつひとつのレコード、このレコード同志が何らかの連携を持てないかなと。例えば銀行からまとめて引き落とされるものや、ある店舗でまとめて購入したものなどを一つの伝票に記述すると、伝票に小計が表示されるような機能を昔から持っています。

このようにまとまったグループの取扱い、あるいは排他的なもの(そういうものが帳簿の中にあるのか?)や、相互関係で何らかの判断を必要とするもの(そういうのも、今のところ思いつかない)などをオブジェクトが判断できるような仕組み。こんなことが実現できないかなと、数日前から頭をめぐらしています。で、「なかなか思いつかず悩むのは何故か」に思い当たりました。「その仕組みを実現したい」が目的になってしまい「その仕組みで何をしたいか」が無いのが問題なのだと、、しかし、今までの経験則から「このようなアイデアを常に暖めていれば、いつの日か実現する場に巡り合えるはず」と思っています。

◯ 今月の歩術

ようやく春めいてきて、歩きも本格的に復活。ウイークデイは5,6km の短距離ですが、日曜の朝には少し長目に歩こうと思っています。それにしても3月の気候の変化は大きいですね。初旬には結構寒く歩いてくると手がかじかんでいたのですが、中旬にもなると刺すような空気から、ふわっとした空気へ。夜明けもかなり早くなってきました。

信濃町から築地まで歩く。解体中の赤坂プリンス大分低くなりました

今月の目標は「足裏から身体へ伝わる感覚」を磨く。数年前の内耳障害により常に軽いフラフラ感がありますが、それを頭でバランス・コントロールせず下半身の感覚で補う目的もあります。今までも足裏からの感覚を鍛えようとしたものの、失念していました。最近別の目的でやってみると、非常に身体が安定するのに気がつきました。考えてみれば当たり前のこと。このようにある感覚を意識することを「意念」と云います。足裏感覚の意念は武術において上体を安定させるに必須のことと思います。しかし普段の生活の中でこれを意識するのは意外と難しいんですよね。すぐ頭の中から消え去っている。

「平起平落の歩き」すなわち「後足の踵を上げず水平に抜き、前足を水平に降ろす」歩きが自然にできるようになるまで5,6年かかったでしょうか。足裏の感覚が身につくまでにもこれに近い年数かかりそうです。このように長い年月の反復練習を経て身についたものが、中国武術の英語名:カンフーの語源となった巧夫(ごんふー)と思います。巧夫のある人の動きは一見さりげない動作に見えて常人にない威力を持つと云う、、

◯ 安全基準で安全は守れるのか?

ここでも度々書いてきた毎年恒例の Seagaia meeting、今年をもって終幕となります。その企画に関し ML で意見が交わされていますが、そのテーマのひとつが「異なる施設間で医療情報を交換するための仕組み」、ここでこんな意見を書きました。

やはり「標準コード化もある程度は必要だが、翻訳する仕組みこそが現実的」という、以前から私がしつこく主張してきたこと。最初は理論的に色々考えていても、現実にそれを実装し運用しようとすると理論通りではやたら効率が悪く、柔軟性が必要ということになる、、

そこで、ふと思い当たることがありました。最近の世の中の動きを見ていて非常に気になることがあります。世界で最も厳格な原発安全基準とか、教師が生徒を平手打ちしても体罰だとか、その他いろいろ。頭だけでしか考えない人が考えるとそうなるのでしょうが、そのような決まりは実際に現場でそれを運用する人にとってはどうなんでしょうか。もちろん暴力的に生徒にピンタを喰らわせるのは非難されるべきですが、ケースバイケースと思います。単純に「平手打ちは体罰」ということになれば、図に乗った悪ガキどもの取る態度が目に見えるようです。映画でもよくありますよね、残虐の限りを尽くした犯人が、それを捕らえた刑事に向かって自分が法で守られていることを楯にとり切歯扼腕させる場面が。

基本的な部分は整然と理論で組み立て、現実においては大岡裁判のように柔軟で本質を捉えた運用がなされるのが理想と思います「ベストを目指しベターを行う」ですね。昨今問題になるセキュリティにおいてもそうです。理想的セキュリティとは、そこに居る多くの人達がモラルを持ち、非常に緩い運用をするのが最高のセキュリティと思います。「玄関ドアに鍵をかえずにちょっと近所まで買物に、おかしなヤカラが来ても顔なじみのご近所さんのバリアで守られる」というような。このようにかつては世界に誇る日本のセキュリティも、どんどん低下しつつあるのは非常に嘆かわしいこと、、

◯ 区立平塚小学校跡工事

ようやく完成し4月1日が正式オープンですが、その前に開かれた内覧会でちょっと中を見て来ました。「スクエア荏原:品川区総合区民会館」という名前の建物。私の自宅から見た外観は何度かご紹介してきましたので、今度はスクエア荏原から見た私のマンション、とは云え左上満開の桜に隠れています。現在わがマンションは16年ぶりの大規模補修工事中で、工事用の白っぽい幕で覆われています。

スクエア荏原の内部は、講演会などを行える大きめの部屋をはじめとして幾つかの部屋に分かれています。バンド演奏の練習や体操などにも使えるような中規模の部屋が幾つもありました。品川区の同様の施設として大井町駅前に「きゅりあん」という施設がありますが、一番大きな部屋もこちらと比べると小じんまりしたものでした。

2010年8月に始まったこの公共施設の建築も3年近くを経てようやく完成(3年もかけて行う大工事かあ?)、これにてレポートも終了。

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日曜朝の散歩で撮影した目黒川畔の桜の花

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です