2018.07よもの海みなはらからと思う世に

わーくすてーしょんのあるくらし ( 305)

2018-7 大橋 克洋

日本医師会長に4選された横倉義武日医会長を囲んで

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◯ よもの海みなはらからと思う世に

など波風のたちさわぐらむ

これは明治天皇御製で「世界中の人類はみな兄弟と思っているこの世に、なぜいつまでも争いの波風は立ち騒ぐのか」という意味の詩です。明治天皇の詩にはよいものが多いのですが、これは今の世にあっても、まさに皆が思うこと。

中東地区は今でも一触即発の危険をはらんでいますし、欧州では英国の EU 離脱に象徴される問題や難民問題。太平洋戦争終結以来、比較的おだやかであった我が国においても、隣国北朝鮮の核実験・ミサイル問題、そしてもっと現実的脅威となりそうなのは一帯一路の中華思想のもと急速に周辺諸国を侵食しつつある中国。日本に対しては尖閣諸島の問題など。

私自身も中国武術を研究する中で、中国の古い歴史や文化などに大きな興味を抱いてきましたし、旅番組などを見て一般の中国人がとても素朴で良き人たちであると認識していますが、国家となると全くその逆で脅威や嫌悪感しかありません。それは韓国についても同じ。

◯ 今月の歩術

今年は例年にない酷暑ということで、当地でも気温40度を越える日がありました。最近は窓の外にセンサーを延ばす気温計を買ったので、外気温も正確に測れます。1日でもっとも気温の上がる午後、医師会の委員会への行き帰りは、野天にフライパンを置いて生卵を落としたら本当に目玉焼きができるだろうなあ、というジリジリした暑さでした。

そんな中でも早朝散歩は毎日続けています。今年から日の差す時にはキャップを被って散歩するようになりましたが、ひさしがあると日が当たっても随分楽。4月頃から落ちてきた歩行力も、ここになってやや回復しつつありますが、それでも3月までは1日平均6キロ歩いていたのが、4月以降は4から5キロ程度に落ちています。もう少し回復したいところですが、最近、スクワットなどをやると右股関節でグキっという音がしたりするので、余り無理をせず回復に努めたいところです。

早朝散歩も中盤を過ぎる頃、両頬を汗が伝わり顎の下から滴ってくるようになります。若い頃、顔や頭に汗をかくなんてことは全く経験しなかったんですがねえ。そういえば最近、何となく目がかすむことが多い。この年代に多い白内障ではなく、60代なかばから発症した逆さまつげにより眼球表面が凹凸になってきたのかなあなどと考えていますが、場合によっては白内障の初期症状なのかも。

正直なところ、年齢的な劣化など書きたくない、まだ若いまま見られたいという気持ちは強くありますが、それはそれとしてありのままを受け止め、その中で強く生きていこうと考えるようになりました。

私は根性モノが大好き。先日はアルプスの周囲の山岳地帯を不眠不休で走るグレートレースを興味深く視聴しました。何百人も参加するこのレースで日本選手が見事3位入賞。彼が初めて参加した時は12位でしたが、ゴールした時には足がボロボロ、車椅子に乗って日本へ帰国する有様だったとか。昨年は日本で富士山などの高地トレーニング、4位入賞。今年はもうちょっとで2位の可能性もありましたが、それでも昨年の順位を更新。応援とバックアップを行う陸上部出身の美しい奥さんが印象的でした。このレースには数日後にガンの手術を控えた最高齢70歳の選手も参加しており、老妻のバックアップもあり結構良い成績で完走。こういう姿を見ていると、人生は自分との戦いなのだなあと、、

◯ 大腸ポリープ切除

区民健診の大腸がん検査で潜血が軽くでました。もともと痔があるのでそのためだろうと思いつつ、内科ドクターから「念のために検査を受けたほうがいいですよ」と言われ、慈恵医大の消化器内科を受診したところ、即「大腸カメラやりましょう」。予約した日に検査を受けましたが、前処置の下剤には閉口しました。

朝8時に母校慈恵大本院の検査室へ。下剤250cc とお茶などの水分250cc を飲んだ後トイレへ。これを繰り返し、便がなくなり黄色く透明な水しか出なくなったところで看護師さんを呼び見てもらうのですが、なかなか OK が出ない。普通は3,4回で OK になるところを7回目でやっと「まあ良いでしょう」のお許し。それにしても何度もトイレに来て、便器を覗き込む看護師さんは他人事ながら大変だなあと、、

ということで、ほとんどの人が午前中に検査を受けられるのですが、私は結局午後に。大腸カメラ自体は軽い麻酔をするので全くどうということはありません。目が覚めても麻酔が切れるまで、しばしベッドで安静。無罪放免帰宅するまでに8時間かかってしまいました。

数日後に検査結果を聞きに外来受診。悪性のものは認められないがポリープが3つほどあるので採りましょうとのこと。やはり潜血は痔によるものだったようです。ポリープ切除の操作自体は今回の大腸カメラと何も変わらないが、後出血の危険があるため足掛け2日入院のよし。

後日改めて入院し、ポリープ切除を受けました。今回は自宅でも腸内を空にするよう心がけたこともあってか、下剤4回ほどで午前中のうち検査を受けることができました。今回も検査自体はどうということもなかったのですが、結構ウザかったのが点滴。昼に病室に戻り受けた点滴が翌朝9時まで継続、紐付きで身動きのままならぬのはちょっとね。

退院数日後に外来受診、摘出物の病理検査で異常は認められなかったとのこと。ポリープの大きさを尋ねると「丁度採りごろの大きさでしたね」との返事でした。

ポリープ切除後の注意書きには、強い香辛料・脂肪分・硬い食事・アルコール類を2週間は控えるようにとのこと。2週間はちょっと長いなと思ったのですが、退院時「アルコールは少なくとも10日間は控えてくださいね。それで問題を起こすことが多いのですよ」と念を押されました。術後4日目にあった定例の呑み会は欠席。毎日欠かしたことのない晩酌ですが、「アルコール断ちで、もしかしたら減量できるかも」という淡い期待もありました。しかし残念ながら、アルコールを断っても減量効果は全くありませんでしたね。

◯ WRC:ラリー・フィンランド

WRC 今月はトヨタ・チームのホーム・グラウンド:フィンランド。先月のレースから珍しく6週空きました、6月14日から7月15日までサッカーのワールドカップ・ロシアがあったためだそうです。へえー、サッカーの日程で世界ラリー選手権の日程が左右されるんだ。

先月のラリー・イタリアでは凹凸をジャンプ後、道から突き出た石にエンジン下部を激しくぶつけ冷却系のダメージ、序盤でリタイアとなったオット・タナックですが、今回は最初から快調に飛ばし他を寄せ付けない走り。自分ではそうプッシュはしていないと言っていましたが、他の選手とは異次元の素晴らしい走り、往年の王者セバスチャン・オジェを思わせる流麗な走りでした。前回のトラブルに懲り、路面の石などを避けながら慎重に走ったようです。

そのオジェ、最近はどうもパッとしません。オジェの属するMスポーツは終盤でオジェに順位を稼がせるためチーム・メンバー達にわざとスピードを落とさせる作戦をとっていましたが、これってどうなんでしょう。インチキとは言えないでしょうが、こんなことで勝ってもオジェとしてはちっとも嬉しくないでしょうにね。アスリートにはどうしても年齢的なものがついてくる、ピークを過ぎてからの頑張りはなかなか難しいことなんだろうなあと、、

最近は毎回、他を寄せ付けない走りをしているヒュンダイ、今回はまったく冴えません。ヒュンダイに乗るヌービルも同じ。何か相性が悪いんでしょうかねえ。それとは反対にトヨタ・ヤリスは絶好調、バランスがとれてきて、どの選手にとっても運転しやすい車となっているようです。

昨年は、WRC 参戦して僅か4戦目のエサペッカ・ラッピが、ラリー・フィンランドで優勝を飾りました。今年のラッピ、初戦でスピン、エンジン・ストールで順位を落とし8位でしたが、2日目に脅威の追い上げで4位に上がりました。この調子でいくと、トヨタ車3台が4位以内も夢でないと思われたのですが最後のところでクラッシュ、車の前部を壊しリタイアとなってしまいました。昨年の覇者であり、WRC 参戦まだ2年目とあって、プレッシャーというか意気込み過ぎるのを心配していました。ラッピからは「プッシュし過ぎてクラッシュしてしまった」の言葉。私一押しのラッピ、期待に違わぬ素晴らしい走りをしていたのですが、本当に残念。ラッピの走り、出場仕立ての昨年は派手なドリフトが目立ったのが、2年目の今年大分少なくなってきました。彼には際立つ速さがありますので、ドライビングがもっとこなれオジェやタナックのように流麗な走りになってくれば、トラブルも減りオジェ・タナックに伍する走りになってくると思うので、これからが非常に楽しみです。

最近は不運にも毎回何かしらメカニカル・トラブルに見舞われ、順位を稼げないヤリ-マティ・ラトバラですが、今回は快調。同様に毎回良い成績を残せていないシトロエン、度重なるシビアなクラッシュでチームから外されたクリス・ミークに代わり出場のマッズ・オストベルグが快調な走りをみせ2位をキープ。これをラトバラが見る見る追い上げますが、僅差で追いつけず。それでも結果的には、優勝タナック、2位オストベルグ、3位ラトバラと、表彰台をトヨタが1位3位で飾りました。

優勝のタナックがゴールを切ってコ・ドライバーとともに車の屋根に登ると、監督のマキネン、そして何とトヨタの豊田章男社長も屋根に。表彰台セレモニーでも、1位の表彰台に豊田社長も招かれて上がりました。とても嬉しそう、私もとても嬉しい、、

◯ 相性

三浦友和の自伝「相性」を読んでいて思ったこと。彼の文章にこんなくだりがありました。

人を責め立てるのが趣味のような人っていますよね。なんで責めることができるかといえば「自分はそうじゃない」と自信を持っているから。自分のことは棚上げして悪しざまに罵ることを躊躇しません。もしかしたら、その人の嫌な部分は、自分の嫌な部分が鏡のように映っているだけかも知れないのに、そんなことは考えもしません。

「なるほどねえ、そうかも知れませんねえ」と思ったのでした。

三浦友和と山口百恵は、結婚前から傍目にも癒やされる本当にお似合いのカップルでした。自伝を読むと、結婚40年を前にして一度も夫婦喧嘩というものをしたことがない。それはお互いの足りないところを補いつつ、考えることが共通している、つまり相性が良いからなのだと。うらやましいですね。私の両親も同じで、お互い軽く意見が異なることはあっても、両親が喧嘩しているのを一度も見たことはありませんでした。両親の場合、相性も悪くなかったのでしょうが、母は心から父を慕い父は心から母を慈しんでいたように思います。

ところで最初は、山口百恵の自伝「蒼い時」の書評がよかったので読んでみたいと思ったのですが、電子版がなかったため電子化されていた三浦友和の自伝を購入することになりました。ところが彼の自伝も思いがけず面白く、一気に読んでしまったという経緯です。

電子書籍は場所もとりませんし、ホームで電車を待つ間に iPhone で読むこともできる。先日も近所の本屋の前を通り過ぎながら「そういえば、ここ数年本屋に入ったことはないなあ」と思ったのでした。シンプルライフをめざし身の周りのモノを減らそうとする中、紙の本は厄介者なのでした。

三浦友和の自伝を読んだり、TV のインタビューで彼らのご子息には反抗期がなかったなどの話を聞いていると、三浦友和・山口百恵ご両人の性格が本当に良かったんだなあと思います。特に山口百恵は三浦友和の人生に何かあった時も、深く追求することなく黙って見守る、内面的に非常にしっかりした芯の強い女性なのだろうなあと、そのまたご両親達の人生に対する姿勢がしのばれます。そう言えば私や弟にも反抗期はありませんでしたし、父から強く怒られたこともありませんでした。

別の記事「過大な住宅ローンを抱えたための悲劇」で、住宅ローンで新しい家に越した途端に夫婦仲が破綻するというケースが結構多いのだそうです。夫は木の香匂う日本家屋に住みたかったのに、妻の趣味で白いペンキ塗りにレースのカーテンのお姫様住宅に住むことになってしまい、それが両者の亀裂を一気に広げたというような、要するに生活の共通基盤が全く異なっていたため。

このようにして破綻したケースでは、ローンの返済が非常にやっかいなことになるのだそうです。生まれも育ちも違う二人が仲良く一緒に生きていくには、いろいろ大変なことがありますねえ。

◯ 火事と喧嘩は江戸の華

八重洲口のビル建設現場から貴重な江戸の歴史が明らかになったそうです。江戸の250年にわたる歴史の中で10層前後の大火災の跡が地層になって発掘され、多いときは3年に1度焼け出されたとか。最初の「明暦の大火」では、本郷からはじまった火事が日本橋や江戸城を経て芝まで至り、山手線の内側4分の1ほどの面積が消失し犠牲者は6万人以上。江戸の7割を焼き尽くしました。密集した木造都市の江戸は一旦火災が起こると数秒のうちに次々と家屋から家屋へと延焼。長屋などの木造家屋が密集している上、長屋のどぶ板などが導火線の役目を果たし延焼しやすかったとか。この世界最大の火災後、江戸の復興めざましく、むしろ火災以前より栄えていったそうです。それまで50万だった江戸の人口は明暦の大火後、人口100万という世界最大の都市へと発展。

復興には「江戸の知恵」があった。火災後ただちに幕府により、焼け野原となった江戸の街の復興計画が立てられた。単に江戸を元の姿に戻すのではなく、街を拡大・発展させ防火力を高めるという構想。江戸城近くにまとまっていた1300以上の武家屋敷を赤坂・市ヶ谷・小石川などへ移転、70余りの寺社も浅草・芝などへ移転、そして日本橋近くにまとまっていた町人たちも深川・本所などに移り住んでもらうという過去に例をみない住民大移動が、武士・寺社・町民たちの協力を得て行われた。必要だった莫大な復興資金を得るため、幕府は消失した天守閣の再建を断念。新しい江戸の17か所に「火除け地」と呼ばれる防火帯が作られた。その目的は、火災を完全に阻止することはできなくても、住民が避難するため数分の余裕を作るためだった。明暦の大火では数秒のうち家屋から家屋へと燃え広がったため、住民たちに逃げる余裕がなく大勢の焼死者を出した。

その後、江戸には何度も大火災があったが、その後は大量の焼死者が出ることはなかった。大火の度に全国から食料・資材とともに復興のための職人などが集まり、復興景気が起こった。この復興計画がなかったら現在の大東京につながる発展はなかったと言える。本所・浅草など新しくできた街には歌舞伎や寄席といった庶民の文化が花開いた。明暦の大火の犠牲者を供養するため建てられた回向院での相撲興行が大相撲の起源となり、境内に国技館が作られた。大火災時の避難のため新たに架けられたのが両国橋。

その後も繰り返される大火で、町火消の制度が作られた。その特徴は破壊消防、延焼を防ぐため鳶口などを使って延焼の原因となる家屋を一気に取り壊した。取り壊しにあたり人々は躊躇なく家を差し出したと言われる。度重なる大火を経験した江戸っ子たちは大きな家財道具を持たず、身一つですぐ逃げられるようにしていた。庶民の建物は柱や壁板など通常より薄い材木で作られ、壊しやすく建て直しやすい簡単な作りになっていた。このようなことが、取り壊しにあたり躊躇なく家を差し出した理由と思われる。発掘現場から、地下に埋まった木箱のようなものが幾つも見つかった。これは、火事の際に鍋釜や食器などをここに放り込み、身一つで逃げるための貯蔵庫だったと思われる。また江戸の町民達は普段から木場に多くの木材を貯木、江戸の町民が半年は食いつなげる50万石の米を貯蔵し、大火にすぐ対処できる準備を整えていた。

このようなことから金銭や物に執着しない「粋で、いなせな」江戸っ子の気風ができあがり「宵越しの金を持たない」やせ我慢を挟持に浮世を身軽に生きていく。当時の外国人の日記「江戸の人たちは火事で焼け出されても皆笑っている。火事でニコニコしているのは変だ」という記述は、このような江戸っ子の普段からの「覚悟」によるものと思われる。「また焼けちゃったよ〜」というノリだったのでしょう。大災害を繰り返してきた江戸っ子たちは「助け合って都市を持続させていこう」「復興のため自分たちが関与できることはやっていこう」という都市持続の精神を持つようになった。幕末の西洋人の記述に「江戸の人々は、火事で焼かれる運命を受け入れ、安普請の家で暮らしている。家が燃えても悲しまず不満にも思わず、いつも上機嫌で幸せそうだ」とある。

私の父方は代々東京ですが、空襲やこのような大火事の歴史からでしょうか、家系図など全く残っておらず「大橋家のルーツはどうだったんだろう」と常々思うのですが、唯一父から口伝えに聞いているのは「大橋家は江戸時代は火消奉行で、現在の赤坂の豊川稲荷が屋敷の中にあった」とのこと。火消奉行は奉行でも一番下位だったそうですが、それでもこのような江戸の歴史を知ると、何か誇らしいような気持ちになります。

◯ 中国について思うこと

冒頭で中国についてちょっと触れましたが、NHK 特集で中国の「法治」についてやっていました。習近平主席の治める現代の中国、近年は産業・経済その他で着々と成果をおさめているわけですが、最も恐れるのは一般民衆からの反発でこれを強引に抑え込もうとしています。過去の中国では、何度もそれによって強大な力をわがままにしてきた政権が倒されてきました。

最近は「一帯一路」の政策のもと、近隣諸国への進出を精力的に進め、低開発国から有難がられるとともに近隣諸国から大きな反発も買っているわけですが、それは自国内においても同じこと。共産党一党独裁でありながら国民や世界からはそれを繕うため、あくまで民主的な姿を見せようと、様々なことが法のもとに公平に治められている「法治」という言葉を前面に打ち出しています。しかし実際には指導者の考えのもと一方的に虐げられる人々を守ろうと活動する弁護士達が「国に敵対行為をするもの」とされ、有無を言わさず拘束されたり役人たちから嫌がらせを受けたりしているという実情を描いたのが今回の特集でした。法治は法の名のもと役人たちによる強制執行がその実態。

これを見て思ったこと「中国は現代においても、秦の始皇帝時代から権力者のわがまま放題や無法がまかり通る体質が何も変わっていない。紀元前から体質が何も変わっていない」という印象でした。最近 TV で中国の時代劇を面白く幾つか見ているのですが、あの頃の権力者やその部下たちの恐怖政治的な振る舞いが現代においてもまったく変わらず行われている。「ああ、日本に生まれて良かったあ、」というのが正直な感想。これではいつの日か一般国民の虐げられてきた思いが爆発するのは必須と思うのですが、その後立ち上がった政権も性懲りもなく同じことを繰り返すのが中国の不思議。文化革命のように近年においてさえ文字通りの「焚書坑儒」を実行、自分たちの手で自分たちが蓄積してきた知恵やモラルなどを跡形もなく消し去る国だから致し方ないのでしょうか。

中国というと孔子・孟子など道徳の心を産み育て文化の国というのが以前の私のイメージ、実際には餓鬼のように自分の利益だけを貪る このような実態を知るととても悲しく思います。

一時は共産圏に属したり内戦に明け暮れていたヨーロッパの国々をめぐる旅行番組を見ていて、現在そこに住む人々から「昔は近隣諸国の人々と敵対していたが、現在では何のわだかまりもなく平和に暮らしている」という素朴な声を聴くと、共産圏から自由圏に移った人々の何ともホッとした思いが感じられます。果たして中国が自由民主主義になるなんてことはあり得るんでしょうか、一見そうなったとしても結局は昔からの体質を捨て去ることはできないのではないか、と考えたりします。旅行番組で見る中国一般庶民はとても素朴で良い人も多いんですけどねえ、、

◯ これで良いのか3Dプリンター銃図面の公開

現在でも1日60名余りが銃で死亡しているという米国で衝撃的ニュース。数年前に3Dプリンターで製作できる銃の図面を公開し米国政府に公開を差し止められた人間が裁判で争った結果、公開して良いという判決。この8月から銃の製作図面がインターネットで公開されるとのこと。

3Dプリンターで製作できる銃は現状ではプラスチック製で1発しか撃てないそうですが、銃弾は本物を使うので殺傷能力は十分あるよし。技術の進歩は著しいですから、いずれは3Dプリンターで金属製の銃も製作可能になることは間違いない。

これは重大なこと、米国だけでなく日本を含む世界中に銃による危険・害毒を流す。こんなことが許されて良いのだろうか、米国への信頼が一気に崩されました。当然ながら世界中から大きな反発が予想されますが、その行方はどうなるんでしょうか。トランプ政権のやり方には問題視するものが多々あり、最初はトランプ大統領の考えが反映した判決かとも思ったのですが、三権分立がちゃんと守られているならそれはないはず、、ううん、でも本当はどうなんだか、、

インターネット上の情報の怖いところは一旦流されてしまったら最後、あわてて中止してもそのコピーは一気に広がってしまい、後世にわたるまで世界中に害毒を流すこと。恐怖映画が現実になったような話とは思いませんか。

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武蔵小山駅前に建設中のタワーマンション

今月は25階まで成長しました。

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です