東京オリンピック

○ 東京オリンピック

1964(昭和39)年の夏は日本で初めてのオリンピックが開催された年です。 日本では「東京オリンピック」受け入れのため、 新幹線や東名高速道路などをはじめ経済活動が非常に活発になり、 大きな発展への引き金となりました。 私にとっても「東京オリンピック」は人生のひとつのマイルストーンです。

○ 馬術部へ大きな恩恵

当時まで、 馬術の大障碍飛越競技は閉会式の前にメインスタジアムで行なわれるのが、 恒例になっていました。 馬術部としては当然この競技を見たいわけです。 日本中の大勢が殺到するため、 東京オリンピックの観戦チケットはなかなか手に入りにくいのですが、 閉会式となるとますますです。

閉会式のチケットは、代々木の国立競技場で売り出されることになりました。 売り出し当日、部員数名で夜明け前からチケット売り場に並びました。 午前3時頃だったでしょうか、 電車も動いていな時刻で、 武蔵小山駅まで行くとタクシーが数台とまっています。 今ですと終電の乗客の多くが若い女性だったりして、 真夜中でも駅のあたりに人影のないことは少ないと思いますが、 当時は東京もこの時間に人影を見ることの方が少なかったのです。 窓ガラスをノックして仮眠している運転手さんを起こしました。 「代々木の国立競技場」と言うと「こんな時間、何しに行くんですか?」 と聞き返されました。

雪も雨も降っていませんでしたし、風が強かった記憶もありませんが、 「こんな寒い思いをすることは一生ないだろう」と思うくらい寒い思い をしました(実際、現在まであれを越える思いはしていません)。 ただただ長い列の中にいてチケット発売時刻を待つのですが、 足踏みをしても貧乏ゆすりをしてもどうしようもなく寒いのです。 オリンピック開催前の冬のことでした。

チケットは一人一枚しか売ってくれませんので、 一枚手に入れると列の最後尾について一人数枚ずつ手に入れました。 これをOBへ何倍かの金額で売って部費を稼いだのです。 一般へ売れば完全に「ダフ屋」行為でお縄の対象ですが、 ただでさえ手に入れにくい閉会式と大障碍馬術競技が見られるチケット とあって、全国の慈恵医大馬術部OBには大変喜ばれました。 稼いだ資金で立派な鞍を購入し、その後の部の財産となりました。

○ ペーパードライバー明けに軽井沢へ

総合馬術競技のチケットを手に入れて、 馬術部の女子部員を含む5、6名で、 軽井沢まで観戦に行くことになりました。 確か2年後輩の後藤(だったかな)の軽井沢の別荘に 泊まって観戦したと思います。 私と後藤の車に分乗し軽井沢へ向かいました。

私の車は、父から買ってもらい(別にオリンピックのためではありません) 納品されて間もないトヨタの大衆車パブリカでした。 秋田角館の夏合宿から帰ってくると、 診療所前の駐車場に小柄なグレーの車体を横たえていました。

それまでまったくのペーパードライバーでしたから、運転には自信がありません。 軽井沢への往路の山越えは後輩の石川に代わってもらいました。 軽井沢から帰ってくると運転にはかなり自信がついていました。 運転に慣れるには、長距離運転をするのが一番早いようです。 それにしても、 このような危なっかしいドライバーの車に、 よく女の子たちが乗ってくれたものと思います。

○ 総合馬術競技を観戦

総合馬術競技は馬場馬術と障碍馬術を組み合わせたもので、 広大な原野に設置された障碍を飛越して走行する雄大なものです。 設備が大変なので、本格的な総合馬術競技は 日本ではオリンピックがなければ見ることができません。

通常の競技では、障碍は馬の肢がぶつかると落下するよう作られていますが、 総合馬術では固定障碍です。 馬一頭が入るような深く巾のある壕の向こう側に こちらより高い位置に本物の石で組んだ石垣、 線路の枕木のようなしっかりした木材で作られた固定障碍、 急坂を登りきったところに用意された高い障碍など、 どれをとっても「失敗すれば馬か人が死ぬな」 と思われるような凄いもの、 それも上り下りを含む原野の、 かなり長い距離を全速力に近い速度で 人馬一体で通過しなければなりません。

競技当日は霧のかかったようなどんよりした天候、 見通しがまったく効きません。 林の中の障碍のそばで待っていると霧の中から人馬が現れてきて、 障碍を通過し、また霧の中へ消えて行きます。 トランシーバーを持った外国の競技フタッフが ドイツ語できびきび連絡している光景は、 当時 TV で人気の番組「コンバット」のナチスドイツ軍を間近に見ているようでした。

最後はゴールで、 ゴールしてくる選手達を待ちました。 馬術競技とヨット競技だけは男女の別がありません。 男性でさえ凄いスタミナを要しそうなこの競技に 数人の外人女性選手が参加していましたが、 結構よい成績でゴールまで帰ってきました 。その後、女性の社会進出とともにスポーツ界への 進出もめざましいものがあり、現在では女性の方が凄い分野もあります。 まさに隔世の感がありますね。

日本の競技のレベルから見れば、 ゴールまでたどりつくこと自体かなり困難と思われるもの。 外国馬のスタミナはたいしたもので、 ゴールして息も乱れずさして汗もかかず 平然としていたのには本当にレベルの差を感じました。 やはり、普段から走り回っている環境が日本とは完全に異質な ものなのだろうなと。

○ 閉会式と馬術大障碍飛越競技

私も自分の閉会式チケット一枚はしっかり確保しましたので、 最終日メインスタジアムで馬術大障碍飛越競技と閉会式を その場で直接見ることができした。 目にしみるようなグリーンの芝のスタジアムに色とりどりの障碍が配置され、 深紅や黒の乗馬服、あるいは軍服に身を包んだ各国の選手が、 手入れの行き届いた毛並と鍛えられた筋肉躍動する障碍馬に騎乗し 飛越してゆく姿は、色彩的にも動きとしても、 この上なく美しいものでした。

馬術競技が終わった後は 閉会式です。 感動的な入場行進曲に合わせ、 各国の色とりどりの民族衣装に身を包んだ選手達が 入場してきます。整然とした開会式の入場とは違って、 皆リラックスし、カメラをスタンドに向けたり、 肩車をしたりしながら、、 このような光景をスタンドから目の前のナマで見られるのは、 とても感動的なものでした。