2007.07 確実性を 100% に近づけるには

わーくすてーしょんのあるくらし ( 173 )

2007-7 大橋克洋

大橋産科婦人科の外来診療デスク

患者さんと対面形式。ディスプレイは両者から見えます。

このエッセイを書き始めた20年前には、ここに

どでかい CRTディスプレイが2台も鎮座しました。

7月に入り最初の朝 CNET のニュースは

米国で iPhone 発売のニュースで埋め尽くされています

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人生には、誰しも8割の良いことと2割の悪いことがついてきます 、、本当は五分五分と考えた方がよいのでしょうが、私は楽観的なひと。 世の中には8割の良いことを主体に見る人と、 2割(8割?)の悪いことを主体に見る人がいます。 ここが「幸せな人生」と「不幸な人生」の別れ目と言ってよいでしょう。

この年齢になってようやく、昔の人が朝起きてお天道様に感謝し、 お米を食べられることに感謝した意味がわかったという、恥ずかしい次第です。 実際には2割以下であっても、良いことがあればそれを有り難いと思い 感謝することが、本当の幸せのもとと思うようになりました。

つまり「願うことの8割で感謝できる人」 が「幸せになれる人」なのだと思います。 あとの2割は「楽しみ」や「努力目標」として とっておくのです。 これが「幸せを感ずるためのスパイス」「人生の隠し味」でもあるわけですね。

「幸せな人生を送りたいなら、8割でまず感謝すること」です。 世の中の多くの人がこのように感ずる世界が、 本当に住みやすい平和な世界なのではないでしょうか。 でも、最近は欲張り(で、ケチ)なひとがとても多いですよね。

○ 確実性を限りなく 100% に近づけるには

最近は、ことあるごとに「安全」「確実」を要求する風潮が エスカレートしています。 これは悪いことではありませんが、 実現のための基本的考えが非常に近視眼的なのが、とても気になっています。 今まで例に挙げたように、世の中の安全・防犯、 産科に始まる医療の急速な崩壊、等々、 これらは近視眼的な要求によるものです。

一方、自然界では、さらに大きな視野で確実性をめざすが故に、 非常にアバウトで歩留まりの悪いことをしているように見えます。 「タンポポの種」「魚の卵」のように膨大な数をばらまき 膨大な数が無駄になりますが、あらゆる環境下で考えれば 非常に歩留まりのよい結果を産んでいるわけです。 住民それぞれのモラルや、近所のオジさん、オバさんパワーが 結果的にいかに安価で大きなセキュリティーを発揮し、 お産を大きな病院だけに集中するより、 数多くの診療所が周辺でそれを支える方が、 結果としてどれだけ安全で安心なものになるのか、 理解できる人がどれだけいるのでしょうか。

自然界の安全性は「一点集中」ではなく、 かならず「多数分散」で保たれています。 インターネットの発祥も、 米国がソ連の原爆攻撃から生き残るため 通信ラインを分散させ、 網の目のようなネットワークの どこかが生き残るようなシステムを模索したのが始まりです。

現代には もうひとつ大きな問題点があります。 「自分さえ良ければよい」という考えの人間が 大勢を占めるようになったことです。 これが最も憂うるべき点でしょう。 マスコミが先棒をかつぐ教育の影響が大きいと思います。 これは生物界では「即座に種の滅亡」へつながります。 これを理解できる人がどれだけいるのでしょうか。 現代人は、もっと賢くならねばなりません。 そのような意味では、過去の文明の中には民度が高く、 本当の意味で暮らしやすい文明がいくつもあったはずです。 しかし何度も火傷を繰り返し、上り下がりするのが文明でもあるのでしょう。

○ 子供は20才前後で産むよう努力すべきでは

現代の少子化の原因はとてもシンプル。 種としての老化による 生殖能力の低下にあると考えています。 本来「子孫を残す」ことは 「食欲」と同義的に生物の第1優先事項であるはず。 「仕事が忙しいから子供を産めない」というのは 明らかに本能に変調をきたしている証拠と考えてきました。 「仕事」は「子孫を残し育ててゆくために必要なもの」、 それでは本末転倒だろうと、、 では、どうすれば良いかというと、 私の考えでは「子供は20才前後で産むべき」という結論です。 最近、この考えを裏付けるのではないかということがありました。

ここのところ毎日治療に通ってくる方があります。 ご本人は以前、高校生で妊娠し来院されたことがあり、 その後、ちゃんと産んで数年振りに来院されました。 受付事務が「赤ちゃん産めてよかったね」というと、 「はい、大分周囲に迷惑かけましたけど、無事産めました」とのこと。 若いのにとてもしっかりしたお母さんになっています。

その子供さんが3才くらいでしょうか、ちょこちょこと毎日付いてきます。 お母さんは現在21才ですので、18才の頃に産んだ子供さんです。 この女の子がとても可愛いのです。 お母さんが診察台に上がろうとすると、自分も上がろうとします。 「駄目、駄目、順番だから」と、まずお母さんが診察台に上がり、 治療を終えて降りるとその子が診察台によじ登ってきます。

見よう見まねで両足を足台に載せようとしますが、 届くはずもありません。「大きくなったらね、、」と 看護師さんが吹き出しそうになりながら言います。毎日通院するうち 段々要領を呑み込んできて、診察室に入ってくると「よしっ」と気合いを入れ サンダルを脱ぎ捨て、診察台へ上がる準備をします。 お母さんの後、診察台に上がって体制を整え、 カーテンの下からこちらを覗きます。 看護師さんが「先生は来ないのよ、大きくなったらね、、」

とにかくその真剣度が可愛いのですが、 ここで書きたかったのはそのことではありません。 そう言えば昔はこのように若いお母さんと、 頭も身体もくるくる回る子供が多かったなあ、と思い出したのです。 最近はお母さんについてきても、ただ立っているだけとか、 母親にすがりついてグズるだけの子供さんが多いようです。

「そうかあ、やはり若い頃に子供を産むということは、 子供の身体・知能の発達がこんなにも違うものなんだなあ」と思った次第。 若いお母さんの子育てによるものなのか、娩出母体の肉体的違いによるものなのかは、 わかりません。いずれにせよ、 こちらの方が自然の望む姿に近いことは間違いないのでしょう。

○ 今月の歩術

ここのところ(いつもか?)「走圏」の話題が続き恐縮ですが、 とにかくそのシンプルかつ効果の高いことに感動しています。 一番は足腰が強くなること、二番目にバランス感覚の強化ですね。 これにより歩きがとても安定し、前足をドシンとつかず 滑るように歩く感じに近づき、足音もほとんどしなくなりました。 忍者のような歩きですね。

診療室を歩くにも足音がほとんどしなくなったので、 看護師さんたちは気持ち悪く思っているのかも知れません。 このような歩きは、後足と腰がしっかりしないとできない動作です。

最近ふと気がついて、極端に腰を落とした「走圏」をやってみています。 これは八卦掌にはないと思いますし、決して格好のよいものではありません。 「心意六合拳」の特徴のひとつである「鶏行歩」に近いものになりました。 「鶏行歩」には余り魅力を感じませんでしたが、 確かにこのようにしてやってみると、 さらに足腰や足首のしっかりした安定性を得られるようです。 これでまた「歩きの感触」がちょっと変化してきました。

○ 「片足立ち」

もうひとつ、やってみていることがあります。 「片足立ち」です。中国武術には常に「身体のバランスと柔軟性」 「大地の重力から気を得てエネルギーとする」などがあることから、 思い立ったものです。まだ閉眼ではふらついてしまいますが、 いずれは閉眼でも長時間立てるようにしたいと思っています。 このトレーニングは、ちょっと時間のある時にどこでもできるのが良いところです。 ちょっと片足を浮かせておくだけでよいのですから。

ただし普通に足や腰を真直ぐにしたままの「棒立ち」では意味がありません。 「腰をやや沈め」て、片足立ちすることが要点です。 これにより「足腰」の鍛錬とともに、「バランス感覚」の鍛錬になります。 これは前出の「鶏行歩」的「走圏」と合わせてやると、 相互強化の効果があるようです。 なるほど、一歩一歩が片足のバランス立ちと同じようなもので、 とても歩きが安定し力強くなったような気がします。

これは介護予防、転倒防止などにも大きな効果があるはずです。 仮によろけたとしても、重大な転倒を避けることができるでしょう。 朝夕、歯を磨きながら片足立ちをやることにしました。 このような動きのある中での片足立ちは、 バランス感覚養成のためにも良いと思われます。これは何のことはない、 片足で行う站椿でもあることに気付きました。

極めて簡単なトレーニング法の発見ですが、 ここに中国武術の神髄を見たような気がしています。

○ 「緊張」と「弛緩」の共存

独学の中国武術ですが、いろいろな面で明らかな効果を感ずるようになっています。 最近は「站椿(たんとう)」も、両足を前後したスタイルを卒業し 「馬歩站椿」すなわち両足を左右に開き騎座したようなスタイルに変えています。 これを続けるうち、 「腰から下は緊張し、腰から上は椅子にかけたようにゆったりと弛緩する」 感じがとても気持ちよくなってきました。

考えてみると、これが中国武術の極意のひとつと思われます。 この弛緩した状態から予兆を見せず、 「スパーン!」と強力な発勁を起こすのが中国武術です。 勁を打ち出す源は大地の重力から気を得た下肢であり、 脊柱を通って腕から発せられます。この「脊柱」というのも重要で、 弛緩した上体の中でいつでも力を伝達し支えられるよう備えておくには、 脊柱は重力に対し垂直に、ゆったりと構えている必要があります。

例の「電車の中でつかまらずに立つ」ですが、 今まで色々な意念でやってみました。どれも一時「いいかな?」と思ったものの、 やはりイマイチです。現在行き着いているのは、 この「いつでも勁を打ち出せる体勢」です。 すなわち腰から下は ある程度の緊張の中に十分な柔軟性(これは足腰の強靭さからきます)を、 そして脊柱はいつでも電車の動揺を受けて立つ状態、 そのように安定しリラックスした状態で いつでも勁を打ち出せる体勢が、不意の電車の動揺に即応できるようです。 そして片足立ちで得られた効果は、ここでも明らかなようです。

全身がデレッと弛緩しても駄目ですし、 腕や上体がコチコチに緊張していても駄目です。 この「緊張」と「弛緩」の共存については、 人生における色々な局面で言えることかも知れません。 今後機会あるごとに、もっと広く深く考えてみるネタができました。 中国ではよく「陰」と「陽」という概念が使われます。 同じようなことを意味するのかも知れません。

○ 今月の脳トレ

-- いけいけどんどんのプログラミング --

5年ぶりくらいに復活したプログラミングですが (その波を持続させようという気持ちもあってか) 非常に好調に進んでいます。 昨今はやりの「メタボリック・シンドローム」ですが、 その解消で こんなにも劇的な能力改善効果があるとは思いませんでした。 完全復帰に4年ほどかかりましたけどね、、

この歳で書くプログラムですから「枯れた」作品を残したいですね。 早く Web 版電子カルテ NOA の開発に戻りたいのですが、 先週から手をつけた会計ソフトに まだまだブラッシュアップしたい気持ちがあって、 Cocoa 環境から離れられないでいます。

昨日も日曜一日をつぶし、会計ソフトの機能アップに努めました。 根性でやれば何とかなるもの、長年懸案だった事項 どうしても解決できなかった事項を2つほど無事解決するとともに、 新しい機能のアイデアを思いつき追加しました。 この機能でさらに便利になりそうです。 今回の機能拡張とともに、 東京産婦人科医会事務局のために使い勝手を簡素化したり、 根性入れてマニュアルを書いたりしたこともあり、 これを機会に公開しようかと思います。

○ CashBook を無償配布

、、ということで、久々のソフトウエア無償配布を公開しました。 左メニューの「Software 作品」のページから download できます。 これは元々、当院の青色申告の帳簿作成のために作ったものです。 その後、地元医師会事務局のため機能拡張したりしたこともありましたが、 ここ15年ほどは当院のためだけに使ってきたものです。

お小遣い帳や家計簿としても使えます。 興味のある方は download してみてください。 取り扱いマニュアルも on-line で読めるようにしてあります。 今回の大改造に2週間ほど費やしてしまいました。 大改造により、まだ細かいバグがあるかも知れませんが、 気がつくごとに改修して新しいバージョンを公開していきます。

さあて、これでこちらはキリがつきそうなので、 再び Web 版 NOA の開発に戻れるぞ、、と

○ Web 版 NOA

ということで、2週間ぶりに NOA の開発に復帰しました。 1週間ほどで電子カルテを記述するための基本部分(各種メニューや テンプレート入力などの仕組み)はできあがりましたので、 医事計算エンジンにとりかかっています。 最終的にはここの部分は ORCA に任せたいのですが、 とりあえず自院で使える程度のものは自作しておこうということです。

ここで、面白い(?)ことを発見しました。 診療所や自宅のデスクトップでは問題なく動くのに、 ある日突然 MacBook では動かないプログラムができてしまったのです。 「あれー? おかしいな。どうしてだろ、、」。 最初はハード的な違いによる動作の差異かとも思ったのですが、 両者の違いには先月書いた「Safari 3.0 ベータ版」の違いが あることに気がつきました。 デスクトップはすべて 3.0 にしているのですが、 これにすると都医の理事会でつかう文書閲覧システムが 使えなくなってしまうため、MacBook だけは元の Safari を使っているのです。

おそらく Safari 用ライブラリーの違いで、 Safari 3.0 の方では問題なく動くものが、 古い Safari のライブラリーでは動かないのだと思います。 問題点は javascript 上で配列を扱う部分であることを突き止めました。 新しいライブラリーでは問題ありませんが、 古いものでは javascript で配列を扱う際にアプリが挙動不審になったり、 最悪 Web browser が落ちてしまうことがあるようです。

他の Web browser も試してみました。 FireFox 系では javascript 上の配列の問題はないようですが、 他の問題があるようです。それより何より、 こちらはインタフェース・デザインのセンスが良くないので却下です、、 美しくないものは使いたくないですから。 OmniWeb では Safari の古いライブラリーが入っていても問題なく表示されます。 最近は使っていなかったのですが、 電子カルテ開発には OmniWeb を使うことになりそうです。 普段使いは、使い勝手抜群のシイラですが。

○ 携帯を換えました W-ZERO3

iPhone は米国で爆発的な売れ行きで、 ネットワーク接続速度が遅いのを除けば評価も上々のようです。 私も日本で発売されれば当然「即、買い」ですが、 まだ日本で手に入れるには1、2年はかかりそうな雰囲気です。 そこで iPhone に換えるまでの間、ちょっと他のもので遊んでみることにしました。 最近気になっていたのが、WILLCOM から今月発売される スマートフォン W-ZERO3 です。

スマートフォンでは丁度2年前、モトローラ製の M1000 を勇んで購入したものの、 余りにもチャチくて使い勝手の悪いのにがっかりした経験がありますが、 今回の W-ZERO3 のスペックを見ると、まあまあ許せそうな範囲です。 私の大嫌いな Windows OS が動いているので、 前の機種から気にはなっていたものの食指が動きませんでした。 しかし、今回は iPhone 日本上陸までの期間限定ということで、 エイヤっと購入することにしました。

発売は7月29日頃と思っていたのですが、 その数日前に武蔵小山商店街に、もの凄く増殖した携帯ショップの 前を通りかかると、「W-ZERO3 es 入荷しました」のビラが下がっています。 即、店に飛び込み機種交換しました。 住所録などを以前の機種から新しい機種に移してくれると思っていたところ、 いきなり製品を渡してくれます。「住所録はコピーしてくれないの?」と 尋ねると「うちではできないので、WILLCOM のセンターに持ち込むか、 隣の携帯ショップならできるかもしれません」との返事、 あっけにとられました。

「うちはダメ店なんです」あるいは「リピータは絶対に作らせないゾ」 という意気込みなんですかね。「ま、いいか」と帰宅、2日がかりで シコシコと手で住所録を打ち込み直しました。まあ、新しい携帯の使い勝手に 慣れるという意味もありますからね(私は何でも前向き指向)。 まだ2日ほどしか使っていないので本格的評価はできませんが、 第一印象をいくつかレポートしましょう。

まず大きさ。あらかじめ調べておいたスペックでは、 以前の携帯よりかなり薄い印象を期待していましたが、そう薄くもありません。 長さは予想通り長く、胸ポケットでは結構かさばります。 iPhone が出るまでの、我慢、我慢。

入力方法は色々選べます。通常の電話キー、スライド式キーボード、 液晶に表示されたソフトウエア・キーボードなど。手書き入力も選べるので、 辞書変換ででてこない漢字入力には便利です。手書き認識は、かなり正確です。 まだ慣れないせいか、漢字・英字・数字の入りまじった文章を打つには、 結構努力を要します。スライド式キーボードは小さいので打ちにくいですね。 スライド式キーボードを出すと画面は横向きに切り替わり、 引っ込めると縦向き画面になります。

画面が大きいので、Web 閲覧は快適です。文字が精細なので フルブラウザー的に使えて便利ですが、字が細かいので眼鏡をはずさなければ 読めないこともしばしば。 Google maps の表示が、うまく出ないことがあるのは困ったな。 しかし、画面が大きく明るく精細なのは、 この機種のかなり大きな評価点のひとつ。

朝起きてみると満タンに充電しておいたはずの携帯が完全に放電状態。 後でマニュアルを読んでいると、 無線LANはかなり電池を消費するので注意とありました。 こいつが原因かな? 無線LANは今のところうまく繋がらないし切っておこう。

doIt や 予定表のトップなどが、待受画面に表示されるのは便利です。 メモ帳も沢山記録できて便利に使えそう。

着メロに好きな曲を設定しようとしたところが、「あれ?着メロの ダウンロード」などのページはないの? 閲覧した Web ページを画像として 記憶しておこうと思ったのに、その機能もありません(jpeg など画面中の 画像のみについては記憶できます)。 閲覧履歴を使って再度アクセスということですが、地下鉄などでは困りますね。 私はよく google maps と乗り換え案内のアクセス記録を 保存して出かけるのですが、、

結論として、こいつは携帯というよりミニ・パソコンと考えた方が良いんですね、 iPhone もまさにそうですが。現在のところ、 私の評価としては70点というところでしょうか。

いずれ手にする iPhone の感激を増大させるための Windows 携帯。 「ダサさは洗練された快適を味わうためのスパイス」。

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