2009.05 電子カルテ WINE から20周年

わーくすてーしょんのあるくらし ( 195 )

2009-5 大橋克洋

ぬすびとに盗り残された窓の月

良寛さんの山の中の あばらや にまで 盗人が入ることがありました。寝ていると、 枕元を盗賊があさっています。しかし、 あばらやには何も盗るものがありません。 寝返りを打った振りをすると、 良寛さんの寝ていた布団を持っていったそうです。 目を覚ませば、居直って殺されたかも知れません。

こんな情景を描いた良寛さんのうたですが、 これはパリの地下鉄での人気投票で一位になったそうです。 あちらの方も、このうたの情景が一目でわかるんでしょうね。

このうたを何度も反芻していて、ハタと思いました。 良寛さんは 「自分の生活はシンプル・イズ・ベスト何もないが、 誰にも盗めないものもある」と 心の中で言いたかったのではないかなと、、

やたら暖かいかと思えば季節外れに寒い日が続くなど、 寒暖の動きがめちゃめちゃです。 これからの地球環境は、こういう感じなのでしょうか。 鳥インフルエンザに構えていたら、思わぬ 豚インフルエンザの出現、マスコミは賑わっています、、

考えてみると、このゴールデン・ウイークは 初代電子カルテ WINE が日常診療で稼働をはじめて 丁度20年目に当たります。これについては、 後で触れることにしましょう。

○ 東京にも緑を取り戻したい

5月に入り、自宅の狭いベランダの植木鉢にも、 それぞれに緑が芽吹き 色とりどりの花が咲き始めました。 緑がもっとも美しい季節です。歩道のサツキも、 年に一度の美しい花を開花させています。

パリの街はとても緑が多いという印象だそうですが、 パリ市は一生懸命もっと緑地を増やそうとしているのだそうです。 パリ副市長へのインタビューでは「パリ市が狭いので 緑地が多いと感じるのでしょうが、ベルリン市などに比べると 決してパリの緑地は多くありません」 とのこと。今朝 iPhone で読んだ産經新聞の記事です。

13F の自宅から眺めても、東京には極めて緑が少ない。あっても、 周囲の雑多な建築に浸食されつつ かろうじて生き残っている「石畳の目地に生える雑草のような緑」。 これが ところどころ、チラッと見える程度です。 今見えている新宿副都心方向の景色を iPhone で撮影してみました。 わかりますかね。ところどころ、かろうじて緑が点在します。

私の卒業した区立平塚小学校が 廃校になることが決まりました。 今時このようにまとまった土地はまず手に入りません。 このようなスペースがあれば是非、木を植え緑陰にすべきと 強く思うのですが、まず品川区役所にそう思う人は居ないんでしょうね。 先月も書いたように、隣家から枝を伸ばしていた(最初は目障りだった) 山桜の木も、盛大に花を咲かせ緑もたわわな枝を誇るようになったところで、 無惨にも切り倒されてしまいました。 これも身近に緑が減った例のひとつです。

エコが叫ばれる時代、そろそろ、 日本も回帰して緑の重要性に目覚めても良いのですが、 緑の良さを知っている世代がどんどん居なくなる中、 それはあり得ないことなんでしょうか。 パリとの文化の差は埋まりようもない、 と諦め気味に眺める東京砂漠です、、

○ 若い世代から消えたガッツ

石原都知事は「東京にオリンピックを招致しよう」運動を 精力的に展開しています。 青春まっただ中で東京オリンピックを経験し、 また現在の日本を立ち直らせるには、色々な面から 「日本はスポーツ立国にすべき」と主張する私ですが、 最初これを聞いた時は「ええっ」と思いました。 「これだけ経済的に疲弊し、人間的空間のなくなった東京に オリンピック招致なんて、、」と、思ったわけです。

しかし、最近では石原都知事の考えに賛同しています。 「東京にオリンピックのような一大スポーツ・イベントを、 無理をしてでも持ち込むことの意義は、やはり大きいだろう」 と考えるようになりました。支払う代償はあっても。

今朝の産經新聞、石原知事の書いたコラムを読みました。 そのような運動を展開している中で 「厳しいスポーツからの若者離れ」を嘆いていました。 日本人から失われた「勤勉さ」「礼儀正しさ」などと一緒に 「辛さに耐えようとする力」も失われました。 私が後援する大学の馬術部などを見ていても、 確かにそう感じます。だからこそ、若い彼らに少しでも 「ガッツの後の楽しさ」「無上の喜び」を味合わせたいという思いが、 40年以上も OB として続いてきているのだと思います。

正確な文言は覚えていないのですが 「つらいことを経験しない人間は、まともに育つことができない」 というようなことを言った西洋の有名な人が居たそうです。 これは先月書いた中国の100歳を越えた老人たちの言葉からも窺えることです。 「つらい経験を経て得られたものは、 数百倍も感動的、素晴らしい満足感がある」ということを伝えたい。 私のこのコラム自体「少しでもこれからの世代のために 残しておきたい」「継続して欲しい」と思う事柄を、 折に触れ こうして書いています。 どの程度の効果があるのかは、ちょっと不安ではあります。

○ 幼いころの脳神経細胞の構築

ディスカバリー・チャンネルだったかと思いますが、 人間の脳について特集していました。 おびただしい数の脳神経細胞が、 2、3歳以下の頃に結合して行って人間の脳を形作ります。 その中で、周囲の環境からの刺激、 すなわち「体験」の重要性を述べていました。

「うーん、そうだよなあ、、」と思いつつ、 ますます心配になるのは、 街中、電車の中で最近必ず目につく乳母車に乗った子供たちです。 当然歩ける年齢になっているのに 「えーっ、こんな歳になっても乳母車?」。

それらの子供たちは総じて、ボヤーっと周囲への関心もなさそうです。 「ああー、可哀想に彼らの脳は正常に発育できないんだろうな」 と思います。「今から車椅子生活か、、」とも。 幼い頃のあのような環境は、 確実に彼らを早い年齢から車椅子生活へ導くことでしょう。 「何て親なんだ、、」と思うこと、しきりです。 それに比べ、自然界における生物の親たちの なんと健気で賢いことか、、

幼い頃の記憶は非常におぼろげなのですが、 戦争中は東京の空襲を避け埼玉県下忍の農家に疎開していました。 3歳の頃、母に手をひかれ田舎のあぜ道を歩いて買物の帰り、 必ずのように「もう歩けない」とダダをこねたようです。 歩いた距離がどの程度のものだったかわかりませんが、 それが今日の「歩く」ということへの意欲・楽しみの原点になっているのかなと、 ふと最近そう思います(Google maps で調べてみました。 下忍からだと行田へ買い物に行ったのだと思いますが、 そうだとすると精々2、3km くらい。たいした距離ではありませんね)。

寝かされていた1歳の弟の「垂らしていたアオッパナにとまった蠅が 飛び立つことができず、バタバタしていた」と、 祖母はよく思い出しては笑い話を聞かせてくれました。 その弟も慈恵医大を特待生で卒業しましたから、アオッパナ恐るに足らず。 終戦直後は青鼻を垂らして袖でふくものだから、 袖がピカピカになった子供達がよくいましたっけ。 でも、それなりに幸せな幼少時を送ったのかなとも、、

○ 不況に打ち勝つには、 国民ひとりひとりの生産性を上げるしかない

百年に1度と言われる不況打開に、 どのような手を打つべきか NHK でリポートをしていました。

イギリスでは、 雇用促進のため2兆円ほどの補助を企業などに行って 雇用促進され、税金などでその倍の収益が得られたそうです。 雇用サポート民間センターには、 雇用実現の段階に応じ報奨金がでるため、 就職希望者につきっきりの熱心なサポートがされていました。 次に長崎の例ですが、 企業での職業訓練で能力を認められた者には 正社員への道があり、公立の職業訓練所経由より確かで、 企業にとっても良い人材を見極め易い。 おまけに正式採用すれば企業に報奨金がでる仕組み。

フランスのリポートでは、 少子化対策を重要施策ととらえ、子育てなどにかなりの資金を投入。 これにより出生率が目に見えて上昇したとか。

「うーん、雇用促進と言ったって、 受皿側の企業に人を受け入れる余地がないのでは、 どう頑張っても雇用が増えることはないのでは」 「棚ぼた式の補助金は最悪。 歩ける子供の乳母車状態。どんどん自立する活性を奪い、 負の連鎖を加速するだけ」

では、どうすれば良いか。そうか、方針はひとつしかない。 「国民ひとりひとりの生産性を上げること」 消費を促し経済効果の上昇をめざすと言っても、 不況で手持ち資金がなければ無理がある。 「じゃあ交付金でもばらまくか」も一時的も良いところ、 しかも交付金は国民の支払う税金がもとです。

ふところに限界があるとすれば、 工夫すべきは一点、つまり「無形のものから産み出すしかありません」 「国民ひとりひとりの生産性を上げる」ことです。 タナボタで補助するなどとんでもない 「補助は少しでも公共のために汗を流した人に与えるべき」と 思います。ただし、たいしたことをしなくても構いません。 道に落ちたゴミを拾ったり、 公園で日向ぼっこをしながら近所の子供達の面倒をみる、 でも良いじゃないですか。

てなことを、適度にまわったアルコール頭で考えました。 翌朝になってみても、これは正しいと思うので、 書き留めておくことにします。

○ グラン・トリノ

ゴールデン・ウイーク、 久しぶりに家内・末娘と3人で、 クリント・イーストウッドの「グラン・トリノ」を見てきました。 TV 映画「ローハイド」の頃のイーストウッドには それほど魅力を感じませんでしたが、ダーティー・ハリーあたりから 魅力を感ずるようになりました。あれから 30 年、 イーストウッドまったく変わりませんね。 役柄の幅が狭いと言うことではなく、 そこが彼の良いところです。

前作「ミリオンダラー・ベイビー」は、 成り行きから女性ボクサーを育てることになったトレーナーの話で、 とても感動的ではあるもののラストがとても可哀想で、 繰り返し見る気のしない映画でした。今回のラストは違うという話で 家族と見に行くことにしたわけです。 成り行きから隣の東洋人の家族を助けるようになるなど 「ミリオンダラー・ベイビー」と共通するところも 随所あることに気づきました。

もうひとつ面白いなと思ったのは、 ジョン・ウエインの遺作「ラスト・シューティスト」 と非常にダブることです。この作品を意識したのは確実と思います。

ガンマンも終焉の時代、老境の名ガンマンが街にやってきます。 彼は末期がんであることを隠しています。 有名なガンマンを倒し名を挙げようと狙う 3人のガンマンと酒場で対決。見事3人を撃ち倒すが、 やはり彼を倒す名誉にあずかろうと 酒場のバーテンにショットガンで撃たれ、 彼をあがめる下宿屋の少年に見守られ亡くなる というラストシーンでした。 ジョン・ウエイン自身が肺がんで、 遺作をかなり意識して作った映画と思います。 ガンマンを嫌う下宿屋の奥さんと淡々と接し、 最後の日の朝のほのぼのとした交流など、 私の好きな映画です。

「グラン・トリノ」も、持病で余命短いことを知り、 隣家の東洋人の姉弟のため、 街のチンピラ達の兇弾を胸に受け亡くなるというラストでした。 「余命を知り自分らしく最後を終えよう」 「少しは世の中の役にたちながら」、 そしてその直前「床屋で髪を整え」「服を整え」 最後の地に赴くところなど、完全に「ラスト・シューティスト」 を踏襲しています。イーストウッド今回を最後に、 役者としての出演をやめ監督に専念するとか。 そういう意味で最後の作品を意識したのでしょうね。

最後に制作者タイトルとともに流れる イーストウッドの抑えたしわがれた歌声。 これも味があって良いんですよねえ、、 独り言のように、つぶやくように歌っても あんな味がでるなんて、うらやましい。 今月31日で79歳、 背筋もシャンとして、ドスも効いて、とても格好良いです。 「ハートブレイク・リッジ最後の戦場」は かなり歳のいった軍曹の話でした。老兵を感じさせず 新兵達の先頭に立って走る姿が格好良かったですが、 何と あれは23年も前の映画だったんですね。 彼の後ろ姿をみながら、私も歳を重ねていきたいと思います。

○ 顧客満足度で今年も首位の iPhone

Apple の iPhone が、消費者を対象とした J.D. Power and Associates による顧客満足度調査で首位になったそうです。 iPhoneは2008年に、会社員の顧客満足度でも首位になっています。 「スマートフォンとしての使いやすさ」「OS」「機能」 「ハードのデザイン」「バッテリ機能」 という5つの要素についての利用者による評価で、iPhoneが総合首位。

バッテリーは現状で唯一 iPhone のウイーク・ポイントと言えるでしょう。 iPhone は MacOSX を積んだ 「まっとうなコンピュータ」なので、 CPU の消費電力は通常の携帯を大きく超えるはず。 この頃は「そんなものか」と身体が思い始め、 余り気にならなくなっています。 音楽を流しながら枕元のクレードルで充電し、 眠りにつくのが習慣になりました(音楽は iPhone のタイマーで自動的に止まる設定)。

iPhone のバッテリーが気になるのは、旅先です。 昨年も、青森で Google maps をガンガンに使っていたら、 見る見るうちバッテリーが減って あわてたことがあります。 そんなことも、3回分充電できるコンパクトな予備バッテリーを 身につけ回避できるようになりました。

負け惜しみというより、 自衛習慣が身に付いてしまって気にならないというところですが、 そうですね、少なくとも2日くらいバッテリーが持つようになると、 かなり安心かな。Apple も、そこが最大のウイーク・ポイント であることはイヤというほど認識しているはずで、 いずれ解消されることでしょう。

○ こんなのを見つけてしまいました

iPhone に指で描いた絵で、 何と The New Yorker の表紙を飾ったのだそうです。早速この iPhone 用ソフト Brashes をダウンロードしてみました。もの凄いシンプルな機能のみ。 「ペンキ缶(色調整)」「ブラシ(太さ調整)」「アンドウー」 「スポイト」程度しかないのです。 最低限の機能で、これだけの芸術的作品ができてしまうんですね。 電子カルテ NOA でも 「シンプル・イズ・ベスト」をめざす私ですが、 これには もう脱帽でしかありません。 もっとも、脱帽はソフトにではなく、利用者のテクニックにですね、、

Brush で AppStore を検索していたら、 iPhone 用の似たようなアプリがざくざくありました。 Colors! も凄いですよ。replay 機能もあるようで、 とても感心するようなサンプルが沢山 見られます。まだまだ世界は広がりますね。

○ 今月の脳トレ

ゴールデン・ウイークは 年に一度まとまった時間がとれ、 ソフトウエアの掻きいれ時です。 初代電子カルテ WINE が4年間の開発期間を経て、 日常診療で動き始めたのが 丁度20年前の GW 明けでした。そして Web 版電子カルテ NOA も、昨年の GW 明けの稼働です。

今回の GW は NOA にちょっと凝った機能を追加するのに、 楽しい時間を過ごしました。 自分の能力の不足あるいは低下を補ってくれる 美人秘書として NOA をさらにブラッシュアップし、 より快適に、より楽しく、診療をしようということです。 すでに考えつく多くの機能は実現してしまっており、 改良は案外スムースに実現しました。 こうして眺めてみると、 Web 版 NOA の機能はもう Cocoa 版を超えています。

私のまだ知らない機能を会得するため、 いろいろ資料を調べる必要がありました。 そのために買い置きした javascript の本を読んでみると 私のやりたい未知の機能の多くが、 色々な公開ライブラリーを使うものです。 しかし、そのようなライブラリーに頼るのはどうも釈然としません。 長い経験上、そちらがコケると、こちらはニッチもサッチも 行かなくなることがあるからです。 そこで、同じ機能を自作しようというわけですが、 案外あっさりと出来てしまい 拍子抜けしつつ、「やったぜ!」の快感を味わっています。

他人のライブラリーを紹介するのも 一つの方法ですが、現代ではせいぜい Web で紹介すれば よいことです。技術書をうたった単行本として出すのは どうかと思います。うっかり、ひっかかって このような類いを2、3冊も買ってしまいました。 マニュアル人間化した現代では 「自分の頭をひねって実現するより、 安易に他人のフンドシで相撲をとりたい」 という人が多くなっている傾向かな、と思いました。 まさに 石原都知事の嘆きですね。

○ 返す刀で

GW はまだ2日ほど残っています。 「いつかはやらなきゃ」と 思っていたことに手をつけることにしました。 Cocoa のサービス機能を使って、 文章中でセレクトした最終月経をワンタッチで 現在の妊娠週数と分娩予定日に置換したり、 超音波計測した胎児の大きさを標準発育曲線上に プロットする「妊娠暦」と称するアプリです。 もう15年ほど使ってきたこのツールが、 外来のマシーンを Intel にした途端動かなくなったのです。

ここ6年ほど Web アプリ開発ばかりで長いこと離れている間に、 Cocoa 開発環境は大幅に変わりました。 以前は昔のソースをコンパイルしなおせば問題なかったのですが、 最新の Xcode では読み込みさえできません。 これでちょっとメゲていました。時間的余裕のある機会に、 新しい開発環境で作り直すことにしたわけです。 開発環境 Xcode 自体は javascript の開発に使っており慣れ親しんでいます。 しかし久々に Cocoa 開発を行おうとすると、 まったくと言ってよいほど以前と勝手が違います。 何度もメゲそうになりました。

しかし、失敗を繰り返しながら、あれやこれやと工夫を繰り返すうち、 「おー」動き出したではありませんか。こうなればシメたもの。 後は、以前作ったソースの一部をコピペするなどして、 「毛糸のセーターをほどく」状態で進みつつあります。 まったく勝手の違ってしまった Cocoa 開発環境ですが、 やはり随所に快適になっていますね。

・・・・・

それから1日かけ、ほぼ完全に機能を復元できました。 しかし肝心の Services 機能だけが、どうしてもうまく行きません。 設定のための Info.plist の形式が変わってしまっています。 インターネットや Apple のドキュメントを調べても、旧形式の説明しかありません。 仕方なく該当しそうなものに当たりをつけて設定してみました。当然ながら うまく動作しません。 Developper 用 example の中で ようやく新形式 Info.plist をみつけ、 作ったものと比較してみました。推定の設定でほぼ合っていたようです。 それでも Services がシステムに認識されません。 ああでもない、こうでもないと格闘すること数時間、 本日はこれで断念かな、、

Services 機能を除けばすべて作り直すことができたので、 とりあえずは明日からの仕事に使えます。 おそらくここが一番の難関と予想はしていたのですが、 うーむ、それにしてももうちょっとなのに、悔しいなあ、、

○ Steve Jobs の悪くて良い癖

今回、久々に訪れて まったく様変わりしてしまった Cocoa 開発環境です。 古いソースを読み込めないのは困りものですが、これは Jobs に昔からある「悪くて良い」癖です。悪く言えば「屋根に上がって梯子をはずされる」ですが、 良く言えば「新しい環境に馴染んでくれば、必ず素晴らしい世界が広がっている」 ということでもあります。

私も梯子のない屋根から「エイやっ」と飛び降りて、 何とか新しい屋根によじ登り、そこで開けた素晴らしい景色に感動しました。 わかってしまえば以前よりバラエティーに富み、 NeXT の時代から歳を積み重ねてきただけに、なかなか親切にできています。

「仕方ない、スクラッチ・ビルドで作るか」と開き直り、 素直に新しい IB: Interface Builder で作ってみると、 問題の多くは入り口のところだけです。IB で基盤が動きはじめたらしめたもの。 後は古いソースのコードをコピーして持ってくれば、 ほとんどがそのまま動くことを確認しました。

ところで、ソフトウエアの世界では大分前から、 プログラムを新たに書き起こすことを「スクラッチ・ビルド」などと呼んできました。 大体の感じはわかっていたのですが、正確な由来を知りたくなり調べてみました。 なーるほど、以下は Wikipedia からの引用です

模型製作で、プラモデルなどの組み立てキットを使わず、 各種材料を用いて部品を自作すること。文字通り素材から削り出して作るケースが多いことから その名がついたとされている。 スクラッチと略されることが多い。 一部の部品だけでなく模型全体を自作する場合は、特にフル・スクラッチ・ビルドという。

私の中学時代はプラモデルの前の木材モデルの出始めた時代でしたが、 紙・経木・セロファンとあとはセメダインを使って、 戦闘機や軍艦などのソリッド・モデル作りに入り浸っていました。 こういうのがまさに、スクラッチ・ビルドなんですね。 この3月に紹介した「割り箸建築」もフル・スクラッチ・ビルドです。

○ Seagaia meeting 2009 in OKINAWA

最近の Seagaia meeting は1年おきに Seagaia 以外の地で開催することになり、 今年は久島先生のお世話で初めての沖縄での開催となりました。 私も念願の生まれて初めての沖縄上陸です (*吉原先生撮影* の写真3枚ほど使わせて頂きました)

会場は「ホテル・ムーンビーチ」素晴らしいリゾート・ホテル

5月15日(金曜日)会場:ホテルムーンビーチ会議室

9:30~ 12:00

14:00~17:00

18:00~21:00

21:00~ 24:00

セッション

プログラマーズキャンプ

シークワーサーミーティング1日目

呑み会

二次会

タイトル

MML+CLAIMの改訂と病院版CLAIM

発表者

中島裕生・荒木賢二

長谷川英重

小林慎治

早稲田大学

加納教授グループ

我空我空

2F 桂

ベンダーさん達や日医総研などから寄せられた現状の CLAIM の修正すべき点について検討し、診療報酬テーブルとの整合性をとるなど、 CLAIM についてのメンテナンスが行われました。

世界の医療情報共有規格の動向

欧米における医療情報記述の規格に関する会議 に出席してこられた長谷川さんから、 世界的動向について解説。 HL7 グループも ArcheType について前向きの認識を持ちはじめたようです。

openEHR.jpから世界を展望する

わが国で openEHR に積極的取り組みをしている小林先生から、 オープン・ソースの紹介を含め、生の情報を得ることができました。

openEHRの基本構想とツール群の開発

アジアからの留学生を大勢引き受けている早稲田大学の加納貞彦教授から、 ArcheType を使った学生達の取り組みについての発表がありました。

オフィシャルな懇親会は最終日ですが 久島先生のお世話で、呑み会が用意されました。 ホテルから 500m ほどの我空我空(わんから・わんから)というお店です。

ホテルに帰り、呑み会はまだまだ続く。

今回の沖縄ミーテイングの会場手配など、ひとりでお世話いただいた久島先生。 早稲田加納教室の中国からの留学生二人に iPhone アプリを供覧。

5月16日(土曜日)会場:ホテルムーンビーチ会議室

Seagaia Meeting シークワーサーミーティング2日目

9:00~12:00

14:00~17:00

18:00~21:00

セッション

電子カルテ

電子カルテデータの二次利用:EHR

懇親会

タイトル

がん治療の現状と望ましい電子カルテについて

ほとんどが Seagaia meeting と まったく噛み合ない がん治療の説明に終止。 最後にチラッと行われた電子カルテのデモを 詳しく見たかったのですが、関係ない話に時間が割かれてしまい時間切れ。非常に残念でした。

WINEプロジェクトの状況

発表者

瀬田クリニックグループ

(株)メディネット (株)デジタルグローブ

大橋克洋・高橋究

(株)サイバー・ラボ 加藤康之・阿部氏

小林慎治・高橋究

吉原博幸・荒木賢二

(株)SEC 伊藤龍史

デュアルカナム株式会社 大松重尚

名古屋大学医学部附属病院

メディカルITセンター

吉田茂

ホテルムーンビーチ宴会場

大橋からは Web 版電子カルテ NOA についてのデモ 。 高橋先生からは WINE STYLE の特徴的な機能についての説明。

サイバー・ラボの可視化技術と連携統合化プラットフォーム:Cyber Business Board

サイバーのソフトウエアの最近の動向について。 阿部さんからのデモを交えて。

医療情報学は終わったのか?

幾つかの大学から医療情報部や医療情報学の教授が消えつつある現状を踏まえ、 問題提起がなされました。フロアーから、このような現状へ憤懣の声が続出。 非常に盛り上がったのに、時間が短く残念でした。

Dolphin Projectの現状とこれから -uDolphin/iGoogle連携-

Super Dolphin や、携帯電話利用に対応した uDolphin などの仕組み。 京都と宮崎におけるプロジェクトについて、現状の説明などがありました。

函館発 商用電子カルテを接続し、EHRを実現するアプローチ

電子カルテを利用しながら、 函館はじめ全国数カ所の医療機関をつなぐ仕組みについて。 Dolphin とよく似た部分がありましたが、 後発だけに Dolphin よりスマートな部分もあるかなと思えました。

個人情報に対する「Google Apps」開発事例報告

(既存業務システムからクラウドへ:コープさっぽろでの事例)

昨年の講演に引き続き Google のシステムを利用した仕組みで、 なかなか興味深いものでした。

ユーザーメード医療ITシステムを活用した診療データの統合管理

-J-SUMMITSがつなぐユーザーメードの輪-

ユーザーメードとは文字通りユーザが作るシステムの話。 FileMaker を使ってユーザが現場の状況に合ったシステム作りをし、 これを HIS:病院情報システムに接続する話。なかなか面白かったです。 古くから FileMaker 使いの岡垣先生、昼まではお姿を見かけたのですが、 このセッションの時には帰られていたのは残念でした。

懇親会場はゆったりした広さ、着席形式でなかなか良い感じでした。 私の席は、吉原、嶋、高橋究、小林、加藤 etc ということで、 非常に濃い話が交わされました。そのノリで、 誰かが「来年のシーガイアも沖縄でやろうよ」と言ったところ、これが即決で決定。 突然のオファーにもかかわらず、「良いよ」と受けた久島先生。さすが太っ腹。

当日の プレゼン資料はここ から

○ 動画によるプレゼン 大好評

この20年誰からも反論がないので、 おそらく本邦 初(ということは、おそらく世界初)の 電子カルテ WINE 誕生から、今月できっかり20年 (開発を始めて24年)ということと、 電子カルテ NOA について発表する機会はめったにないことから、 今回のプレゼンにはかなり「リキ」が入りました。 しかし当日の私の持ち時間はそう長くなさそう。 そこでNOA の操作説明をビデオ・キャプチャーし、 これをプレゼンに貼り込むことにしました。初めての試みです。

大分前にビデオ・キャプチャーの お試し版を使ったことがあります。当時はイマイチの印象でしたが Web で探してみました。別の iShowU というのを見つけました。有償アプリで 2100円程度。 早速 インターネットで購入。これは結構イケます。 コンピュータの操作画面がキャプチャーされ、 音声も iMac 内蔵マイクで明瞭に録音されます。 しかしナレーションはどうしても噛んでしまい、 プレゼン全体を通しで撮るのは無理そう。 1頁分ずつキャプチャーし、その動画を Keynote 画面に貼付けることにしました。

それでもナレーションで何度もトチり、 1頁撮るのに10回近くやり直し。これで3日ほどかかりました。 アプリの説明部分のみ動画を埋め込むつもりでしたが、 普通のプレゼンもナレーションを入れ、全編録画にしました。 しかし1頁ずつ動画を貼っただけ、手動で頁送りする必要があります。 そこで Keynote の「スライドショー機能」で録画し、スタートするだけで プレゼンがオートマチックに展開するようにしました。一番の利点は 「限られた手持ち時間に、伝えたい内容を無駄なく詰め込める」ことです。

しかし連日の夜更かしでクタビれきってしまい、 1頁ごとクリックして頁送りしようと録画と睨めっこしているうち、 いつの間にか居眠りをしてタイミングを大きくはずしてしまい、 また最初からやり直しということの繰り返し。 23分ほどのプレゼン、制作にはその数十倍の時間がかかりました。 しかし黒沢映画などの制作の苦労は、とてもこんなものではないのでしょうね。

このようなプレゼンは 誰か気がついてすでにやっていそうですが、 まだ誰もやっているのを見たことがありません。 結果は大好評でした。そして何より名誉なことは、 プレゼンの神様、Cyber Labo の加藤さんに いたく感心して頂いたことです。 これで連日連夜の苦労の甲斐があったというもの。

○ まだまだ 格闘は続く

沖縄から帰り、これを Web で公開しようと、作業に入りました。 Keynote から mov 形式で書き出そうとするのですが、 何度やっても途中で Keynote がコケてしまいます。 540MB ほどもあるサイズの問題なのでしょうか。 はて、どうしたものか、、

そこで iMac 装備の iMovie アプリを使ってみることにしました。 これはビデオ編集アプリで Apple が標準提供するものです。 あれ? どうしても iMovie が立ち上がりません。 iMovie 関連のライブラリーが 何かのアプリのインストールに伴い、 改変されてしまったのではないかと思います。 しかし MacBook Air の iMovie は問題なく立ち上がったので、 これで編集してみることにしました。

iMovie を使うのは初めてです。 試行錯誤で使ううち、何とかやりたいことができるようになりました。 NOA の操作画面を1ページ分ずつ録画してあった mov 形式データを、 無事つなぎ合わせることができたのですが、 オリジナルのプレゼンとちょっと違うのが気に入りません。 プレゼンでは Keynote に mov を貼付けたので、 タイトル文字の入った背景に動画が埋め込まれていますが、 iMovie で作ったものはタイトルなしの動画だけです。

それぞれのシーンで伝えたいタイトルを表示しながら 動画を見せられるのがキモなので、 何とかオリジナルに近づけたいものです。 そこで Keynote の1ページ分だけを、新しい Keynote にコピーし、これを mov 形式で書き出してみました。 こうして全ページをそれぞれ mov 形式にして iMovie に読み込ませばバッチリと思ったのですが、 何とこのようにして作ったものは ちゃんと mov の拡張子がついているのに iMovie に認識されないのです。 さあてねえ、またもスタックしてしまいました。思案のしどころです、、

・・・

色々と試してみました。結局のところ mov を章ごとに分割し MPEG4 にして Web ページから見られるようにしました。解像度を落とすこともやってみたのですが、 電子カルテの細かい画面がみにくくなってしまうので、解像度の高いままにしました。 遅い回線ですとちょっとツラいかも知れませんが、私の 電子カルテ NOA のプレゼンよろしければご賞味ください。

○ 今月の歩術

最近は起床さわやかだったのですが、 沖縄から帰って なかなか身体の怠さがとれません。 プレゼン作りで連日の寝不足の影響かな と思っていたのですが、どうもそうではなさそうです。 次第に暑くなる気候の変わり目、 身体がまだ順応できないためのようです。 毎年この季節 書くように、 汗腺がしっかり開き汗がしっかり出るようになれば 身体もしゃっきりするはずです。 年齢的身体変化に追いつけないで起こる 更年期障害のようなものですね。

さて本題です。「歩き」にそう大きな変化はありません。 最近会得した「伸股法」を続けています。 「身体全体で前進する」という意念を加えてみました。 以前に比べ大分無駄な動きはなくなってきましたが、 さらに足と地面が馴染むよう(究極には足音がしなくなる)、 精進をかさねたいと思っています。

中国武術の本を読み返して 「丹田を身体の外に置く」という記述、 以前は「そんなこともあるかなあ、、」程度の認識でしたが、 ハタと思い当たることがありました。 色々な歩法のトレーニングの中で、 これだけ歩きをやっているのに 左右にぐらぐらしてしまいがちの歩きがあります。 そのような時「頭の上に丹田がある」と意念するのです。

その本ではこのようなことを 「頭のてっぺんから糸で吊られているように」と表現していました。 その表現が私にはどうもぴったり来なかったのですが、 「頭の上に丹田がある」と意念すると うまく機能するようになりました。 ぐらぐらせず歩くことができます。 足の方に意念が行っていたため、ぐらぐらしていたのでした。

○ 禅宗とキリスト教

「糸で吊られる、」がぴったり来ず、 「頭の上に丹田、」で納得が行ったのは何故? と考えてみました。恐らく性格の問題、 というか思考回路パターンの問題なのでしょう。 「理科系」とか「文科系」とか、色々ありますよね。 私は「糸で吊られる」より「自分の丹田で」の方が性格に合うのだと思います。

昔、人生の大変な時期があって、娘の学校のシスターから 「そのような時は神におすがりください」と言われたことがあります。 しかし内心「神にすがっても、何も助けてもらえるわけではない」 「それで少しも心が安らぐわけではない」と思いました。 それまで私は宗教など何の関心も持っていませんでした。 しかし人間どの手段も駄目となると「溺れるもの藁をもつかむ」 で宗教の本でも読んでみよう、ということになります。

それまで「抹香臭い仏教の本」 など読む気はまったくなかったのですが、 読んでみると「意外に科学的」なところがあるのに感心しました (どこが科学的に感じたのか、今は憶い出せません)。 そして「禅」の本を読んでみて、「これだ!」と感じたのです。

キリスト教は「神にすがる」ですが、禅は素直に「自分の力で」対応します。 駄目だった時は、誰を恨むでもなく「自分の力がまだ足りないんだ」と さらに向上を目指すだけです。 ここが私の性格にぴったりなのだと思います。 これは私の接してきたクリスチャンに関する経験だけからなので、 悪口になってしまいますから「ここだけの内緒の話」ですが、 私はキリスト教を信用しません。 若い頃、あるクリスチャンに手痛く裏切られた トラウマが大きいのだと思いますが。 世界にキリスト教を布教するという名目で、 素朴な土着文化がどれだけ破壊され 虐殺が繰り返されたことでしょう。

とは言え、もちろんクリスチャンにも、 とても尊敬すべき人が沢山居ることは理解します。 結局、宗教がどうということではなく、 その人そのものの人格なんでしょうね。 禅宗でも性格が悪ければそれなりでしょうから、、

○ スランプを乗り切るには

めまぐるしく世の中が動く時代、今となってはちょっと旧聞になってしまいましたが、 過日の WBC の話題です。 WBC の専任ドクターをやられた昭和大学の先生が書かれたものを読みました。 期待のイチロー選手が試合の前半、今までにない不調が続きました。 その時の裏話です。

誰よりも大きなストレスを感じているに違いないイチロー選手と原監督、 これだけの大スランプの続く中、いつもとまったく変わらない日課を淡々とこなしていたそうです。 これを続けることにより、チームの仲間も大きく落ち込むこともなく、 ついに終盤イチローの大逆転劇となりました。

この大ピンチの中で「いつもとまったく変わらない日課をこなす」 というところがキモですね。スランプに対する私の処し方も 「もがくことなく波の間に間にゆらゆら漂っていると、そのうちにまた上向いてくる」 というものです。これに似たようなものではありますが、 イチローの処し方、しっかりと心に留めておくことにしましょう。

前述の「頭のてっぺんから糸で、」と同様、 同じことを色々な人が色々な表現をします。 自分にぴったりな「言い回し」を見つけることは、 結構大事かもね、、

< 2009.04 あほうかしこ | 2009.06 Seagaia meeting in OKINAWA あれこれ >

雨上がりの夕方、東の空に二重環の虹がでました

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です