2015.05 オートパイロットはまだ信用ならない

わーくすてーしょんのあるくらし ( 267)

2015-5 大橋 克洋

今年も早朝散歩道のツツジがみごとな花をつけました

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◯ オートパイロットはまだ信用ならない

先月書いた航空機の特集番組ですが、オートパイロットによる事故が結構あります。エアバスなど新しい旅客機は、あらかじめ必要なデータさえセットしておけば、飛行機の状態を的確に把握しコントロールしながら人間に代わって操縦してくれるようです。また Google などによる車の自動運転プロジェクトが進められています。しかし、これが実用化されたとしても、人間は決して目を離してはいけないと思います。航空機ほどの規模ではないにせよ、人命にかかわる重大な事故につながる危険性は充分ありますから。

オートパイロットがある程度お利口になって人間の代わりをしてくれるようになると、人間はそれに頼ってしまうことも多くなるはず。しかしそれらも人間が作ったもの。時にどんな落とし穴にはまるかわかりません。お利口な自動運転こそ、かえって危険なこともある。

かなり前にも書いたことがありますが、電子カルテの未来には「医療におけるカーナビ」の役割があると思っています。電子カルテもかなりお利口になり、色々な疾患に関するエキスパート的な役割を担うはず。しかしそうなっても電子カルテにおんぶに抱っこはいけません。あくまでも電子カルテはドクターに助言を与えるものであって、最後の判断や意思決定は人間が行うべきです。医師になった時から電子カルテで診療を始め、紙カルテでは診療できないドクターがすでに出始めていると思います。ともすると電子カルテに頼りきりの傾向がでてくるのでしょうが、紙カルテでも診療できるスキルを身につけておかないとね。

キャンプに行っても、焚き木に火をつけることもできない若者が増えているのと同じ。最新の技術を便利に使いこなすとともに、原始時代に戻っても生きていけるという、ハイブリッドの能力を持ちたいものです。

◯ Seagaia meeting 2015 in MIYAZAKI

今年の Seagaia meeting は、発祥の地である宮崎のリゾート地シーガイアで開催されました。前日の夕方は前夜祭のみ。いつもの宿舎コテージ・ヒムカのフロントで渡された部屋割りを見ると、私の部屋は伝説のプログラマーことサイバー・ラボの加藤さん、電脳工務店のキワムさん、聖マリア病院の荒木先生という濃いメンバー。到着しているのは加藤さんだけでした。加藤さんが最近ソフトウエアに学習させることをやっているうち「学ぶということはどういうことか初めて解った」「ソフトウエアが自分で自分を成長させてゆくような世界がやってくるのも極めて近い」「その先はターミネータの世界ですね」などという話。「ソフトウエアにバグや不具合があるのは最初から当たり前のこととして、自分で不具合を修正するソフトウエアがあれば良いよね」などという話で盛り上がりました。

ソフト開発にのめり込み煮詰まってしまうことがある。そのような時はまったく関係ないことをやるとか、見る方向を変えてやるとスタックしていた開発が再びうまく行くようになることがある。つまり「揺らぎを与える必要がある」など加藤さんとの楽しい会話でした。

今年も昨年のように、宿舎から市内の居酒屋「かかし」まで 7km ほど歩いて行こうと思っていましたが、宿舎に着いたころは曇りだった空もそのうち雨。歩きを諦めタクシーに分乗して宴会へ。21年前、初回の Seagaia meeting も霧雨でしたが、タクシーは土砂降りの雨の中。今までにこれだけしっかり降ったのは初めてのこと。誰か雨を連れてきた新メンバーがいるに違いない。帰ってきてからも宿舎で酒盛りは盛り上がり、いつもは眠くなって途中でベッドへ潜り込むところ、私も午前1時過ぎまでお付き合い。

翌日は朝から丸一日のセッション。以前はセッションも2日にわたり、その前日にプログラマーズ・キャンプを行ったりしていたのですが、Seagaia meeting 復活後は日程を短縮しています(セッションの内容については後述)。夕方からの懇親会は宿舎近くのレストラン1F。その日も宴会終了後コテージの宴会部屋へ。宮崎の美味しい焼酎片手に、久々の宮崎メンバーと話はつきず午前2時ころまで。

習慣で午前5時前に目が覚めてしまいます。午前6時ころまで待って暗闇のなか一人起きだして洗面を済ませ散歩に。2日連チャンの睡眠不足で、頭がフーラフラします。宿舎の裏は広大な松の防風林。誰もいない松林の中、松葉を踏みしめながら歩いて行くと、松の木の上から2羽のカラスの威嚇するような声。松林を抜けるまで強い声が続く。以前もこの季節、家の近所で産卵中のカラスに襲われたことがあり、ちょっとヤバイぞと思いましたが、林を抜けるとともに声も去りました。松林の中に整備された赤いアンツーカーの道を行き右折して海岸へ。海は数日前に去った台風の名残がまだあるのか、やや荒い波の音。

今回は Apple Watch が発売され手に入れたばかりの時期とあって、Watch を身につけたメンバーが多く見られました(そういえば Seagaia 2010 in OKINAWA は iPad が日本で初めて発売された時期で iPad の見せびらかし大会でした)。さすがにゴールドの Edition は見られませんでしたが、彼らからいろいろ印象を聴きました。やはり自分としては「今度のバージョンはパスだな」と。Apple の初代製品をはずしたことのない私ですが、今回は飛びつくほどの魅力を感じません。Jobs の魔力がないからかな、、

◯ セッションの内容

今回のメインテーマは「EHR元年」、EHR が話題に登ってからすでに何年か経ていますが、このテーマをつけた吉原先生の意気込みが感ぜられます。最初のセッションは吉原先生と荒木教授@宮崎医大による「global EHR Project の構想とマイルストーン」ということで、吉原先生を中心に立ち上げたプロジェクトについて。「世界標準医療情報規格への転換」「EHRのクラウド化」「医療情報の2次利用」など。

「医療健康分野におけるマイナンバー制度の活用可能性について」では、今秋から国民に配布されるマイナンバー・カードをめぐる話。これがあれば身分証明になるので、運転免許経歴証明は要らなかったか、、

「MML / CLAIM の改訂と ISO13606 標準対応について」では京大の小林慎治先生から MML を ISO に対応させるため、バイタルサイン・モジュールや体温表モジュールなど具体的な例を挙げながら解説がされました。

私も何か話してくれとのことで「これからの電子カルテの仕組みやユーザインタフェースはどうあるべきか」というようなプレゼンをしました。上がその写真で、今回はノートパソコンを使わず iPhone アプリ KeyNote を使ってプレゼンしました。便利になりましたね。

これらプレゼンの内容は Seagaia meeting 2015 のページで見ることが出来ます。

ここ数年 Seagaia meeting も会場のノリが乏しく寂しく思っていたのですが、今年は久々にノリのあるセッションとなり、満足して帰ってきました。いつものことですが、セッションそのものよりこの会の雰囲気やハッカー達との会話が大きな刺激となり、帰ってから電子カルテ開発が気持よくはかどりました。具体的サジェスチョンを得たわけではなく「気」をもらったため、やや停滞気味の開発に新しいアイデアを盛り込むことができました。

◯ 電子カルテ NOA

Sagaia meeting でのハッカー達と盛り上がった会話で、いつも帰ってくるとソフト開発が一段と進みます。今年は期待ほどではなかったものの、以下に述べるような事情の下、新しい機能も幾つか付加することができました。

NOA を鍼灸の施設で使いたいという問い合わせがありました。「NOA は特定の診療科向けに作られたものではないので、どうぞお使いください」と返事をしたのですが、ゆくゆくは100施設で使いたいとのこと。それは、それは、、

以前、獣医さんからも問い合わせを頂いたことがあります。もちろん獣医さんの所でも問題なく使えるはずですが、何回かやりとりした後、連絡が途絶えてしまいました。考えてみると要するに顧客管理ですので、まったく違う業種、美容院から飲食業まで使えるはず。

鍼灸の施設では複数施設の複数ユーザで使いたいとのこと。NOA は最初からそのような作りになっているのですが、私を含め現在のユーザさんには実際にそのような使い方をしている方がありません。そんなことで、実際に使ってみようとすると幾つか対応不足の所があり早速手直しをしました。こういうのは良い勉強ですね。

他にも面白いリクエストがありました。東南アジア向けに使うため NOA をそれ用にモディファイしてもよいかとか、映画のシーンで電子カルテを使っているところを撮りたいので NOA を使ってよいかとか。いずれも OK を出しました。今のところノーという返事をしたことはないのですが、このように了承を求めてもらえると、どこでどんな風に NOA が使われているのかわかるので開発者にとってはとても嬉しいです。恐らく黙って使っている方もおられるのでしょうが、せめてこの位のお知らせをするのが礼儀ではないでしょうか。

◯ 今月の歩術

GW 明けあたりから散歩も T シャツ姿になりました。昼間は夏日の気温になることがあっても、朝夕は肌に触れる空気も気持ち良い季節です。今頃の季節としては今年は過ごしやすい。朝の散歩も目黒川沿い経路が比較的多かったのですが、最近は四方八方に方向を振るようになっています。昨年の今頃は神奈川県平塚から中原街道を制覇しようという意欲もあったのに、今年はやや落ちているかなと思っていたのですが、昨日の日曜は久しぶりに歩けそうな気分でちょっと長目に歩く気分になりました。

林試の森を抜けるのを出発点として自宅を中心とした円を描くように、円融寺通りで洗足駅・旗の台駅・荏原中延駅の辺りを通り品川区役所の前を通過、大崎駅近くの跨線橋を越え、いつもの居木橋から目黒川沿いの遊歩道で大崎駅・五反田駅・目黒駅近くを通過、目黒新橋から目黒通りに出て、目黒郵便局の手前から都道26号線の内側に入り、林試の森近くに抜け、武蔵小山駅から武蔵小山商店街を通って帰宅。20km 近くいくかなと思ったのですが、18km 弱でした。中国武術八卦掌の意念で歩いてみましたが、やや曇天だったこともあり T シャツに涼風が心地よい絶好の散歩日和でした。ほんのわずか汗ばむ程度で、この位の季節が長目に続いてくれると嬉しいですね。

1年前くらいからでしょうか、中国武術の練功を余り行わなくなっています。そういう意味ではあの頃のように気が充実しなくなったようです。年齢のせいでしょうか、イヤですねえ。このままやめてしまうとますます身体が萎えてしまうので、少しでも再開しなきゃと思いつつ、、

◯ 呑み会その3

定例で開催される呑み会が今まで2つあります。1つはもう28年ほど続いているもので、地元医師会の若手役員経験者で構成されるもの。最初はヤング・ドクターの会、略してYD会と命名されましたが、こんな名前はつけるべきではありませんね。あっという間にヤングではなくなり、メンバー11名ということでイレブン会に改名しました。そのうち亡くなるメンバーや脱会するメンバーがあって、現在は7名となっています。それでも30年近く2,3ヶ月に1回のペースで続いているのは大したものです。

もうひとつは以前にも書きましたが、東京都医師会の元理事のメンバーで構成される飲兵衛の会。たまたまある祝宴の丸テーブルに座った理事が全員お酒が好きだったので「今度呑み会やろうよ」と言ったのがきっかけで始まりました。あれから今年で5年目になりますが、毎月開催されています。どうせ長続きしないさ、と思っていたのですが皆楽しみに集まり毎月開いています。イレブン会では幹事が毎年変わる方式ですが、こちらは毎月幹事が変わります。自分から手を挙げ幹事を引き受ける方式なのですが、毎月つぎつぎと手を挙げるメンバーが多く、いつも3,4ヶ月先まで決まってしまうほど。いかにメンバーの仲が良く楽しい会かわかろうというもの。最初は9名で始まったものの、夫婦同伴の方とか、亡くなった副会長の奥様とかが楽しみに参加されるようになり、最近では欠席者があっても10名を越えることも珍しくなくなりました。

そこに昨年暮れからもうひとつ呑み会が加わりました。私の近所に済む同姓の大橋君。彼とは小学校の頃、近くの空き地で悪ガキをした仲間。私の1年下ですが、同じ平塚小学校、麻布中学・高校と一緒でした。彼の親父さんが大橋信太郎、うちの親父が大橋伝六郎と崩し字だと似ているもので、よく郵便物が間違って入っていたものです。その後ずっと会うことはなかったのですが、昨年の夜、近所の道ですれ違った時「こんど呑みに行こうよ」と声をかけたのがきっかけで彼から電話があり、呑み会が始まりました。私は年に数回のつもりだったのですが、彼から毎月、日程調整の電話があり交代で幹事をやっています。探検がてら近所の居酒屋を渡り歩いてきたのですが、次第にネタ切れになって今月は六本木にある彼の懇意の西洋居酒屋でした。こちらの会では呑んだ後、武蔵小山のカラオケ・バーでお互いにオジサンの歌を披露するのが慣例になっています。

翌朝「しまったあ、あの最後の数杯が余計だった」と呑み過ぎに後悔することもしばしばですが、どの会も楽しみに参加させてもらっています。

◯ 「しあわせ」の程度

TV 番組で国民の幸福度の調査について取り上げていました。10年ほど前でしょうか、ブータンでは国民の75%が幸せと答え、幸せの国ブータンと呼ばれることもあったそうです。その後ブータンにも西欧文化の波がひたひたと押し寄せ、リゾート・ホテルその他の観光施設の建設が盛んになりました。チベット仏教の国ブータンでは殺生はいけないこととされ、ブータンの国民性は非常に優しいとされてきたのですが、観光地化の影響で従来ブータンでは考えられなかった「釣り堀」なども作られるようになったとか。

番組をそこまで見てきて「あー、これではブータン国民の幸せ度は落ちてくるだろうな」と思ったのですが、それは予想以上でした。「幸福度は GDP に比例する」と云われることもあるそうですが、GDP 世界第3位の日本の幸福度は国連による調査で先進国最下位とか。そしてブータンの幸福度は、さらにその日本以下になっています。とても嘆かわしいこと。

幸福とは「足るを知る」ことと思うのですが、西欧文明が入ってくると「より贅沢な生活が幸せ」と感ずるようになってしまう。人間の欲というものには限りがありません。人間の力ではどうしようもない自然の中で暮らし、生活に必要最小限のもので満ち足りていた頃の幸せはどこかに吹っ飛んでしまったのでしょう。

「近代化されてきた東南アジア諸国に幸福度が高い」という調査結果もあるそうですが、これは最初だけのことでしょう。冷蔵庫もテレビもなかったところに文明の利器が入れば、当初はしあわせと感ずるでしょうが、しばらくすると「もっと、もっと」と贅沢を他人と競い合うようになり「まだ足りない」「まだ足りない」と次第に不幸になってゆくのです。

この結果を受けブータンでは経済や豊かさではなく、国民の幸福度を国の目標としてゆくということですが、これは正しいことと思います。「幸せはお金ではない」という言葉に対し「それはお金のある人が云うこと」という意見もあるそうで、見方によっては確かにそうだとは思いますが、「幸せはお金より他のところにある」と強く思うものです。振り返って自分はどうかというと、若い頃に比べ経済的・肉体的に間違いなく下降しているものの、少なくとも現状では「とても幸せ」と思っています。「足るを知る」こそが幸せのもと。

幸福度が先進国最下位の日本、いかに欲張りになってしまったかということですね。

◯ もう少し見方を変えては

「幸福度」の話のついでに思うこと。インターネットで見かけたもの、米国の話ですが、見てくれが悪いというだけで廃棄されてしまう野菜の量が半端でないので何とかしなきゃというニュース。これは勿論日本でも云えること。

TV で生産農家の作業を見ていると、日本でも収穫物を外見でより分け、ちょっとでも形が悪かったりすると商品価値がないということで廃棄されています。日本が経済成長を遂げるまでは、形が変だったり傷がついたトマトやキュウリが八百屋の店頭に並んでいるのは、ごくありふれた風景でした。そして、それらの味が落ちるということもありませんでした。

日本は経済復興をはかるとともに、無駄に廃棄される物を有効利用することも真剣に考えるべき。売れ残って捨てられるスーパーの食品その他、膨大な量が毎日廃棄されているはず、これを救うだけでもどれだけ経済効果があることか。もちろんそのために費やす手間や経費などあるのでしょうが、そこは何とか考えるべき。仏教的に云えば「無益な殺生はいけないが食べてあげることにより、それは血となり身となって成仏できる」のです。

私は電子カルテを使っていても、昔ながらの紙カルテも残しています。診療を終えたカルテは小さな文字でプリントアウトし署名して紙カルテに貼っています。この時使うのは色々な裏紙。裏にカルテと無関係なものが印刷されているのは感心しないので、裏紙の白い余白をカルテへ利用。裏に印刷のあるものは、FAX 用その他に使っています。多少の手間はかかりますが、普通ならそのまま捨てられる紙も再利用で成仏できるだろうと、、

<2015.04 これからはアプリ同志がコラボする時代 | 2015.06 電子文書は劣化する >

早朝散歩:林試の森の立派な竹の株

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です