2000.05 コンピュータと文化

わーくすてーしょんのあるくらし (29)

2000-05 大橋克洋

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今月は、コンピュータをめぐる文化などについて触れてみたいと 思います。 コンピュータと名のつくものを扱うようになってから21年が過 ぎました。世の中にパーソナル・コンピュータというものが現れた のがきっかけでしたが、当時はマイ・コンピュータとマイクロ・コ ンピュータの両方をかけてマイコンなどと呼ばれていました。私は マイコンという呼び方も、現在のパソコンという呼び方も好きでは ないので、あくまでもパーソナル・コンピュータと呼ぶことにして います。

一般化することはとても良いことなのですが、古き良き時代にパ イオニアとして苦労してきた人達の間で自然に培われた良き習慣が あっという間に風化しつつあるのは、とても寂しいことです。

○ 「ハッカー」は悪い人間を指す言葉じゃなかったのに

わたしは現在のハッカーという言葉の使われ方をとてもニガニガし く思っているひとりです。 ハッカーというのは、もともと UNIX の世界などで使われた言葉 と思いますが、「かなり高い技術を身につけ、根性で難問を解決し てしまうヒト」のことをいいます。つまり、仲間から「尊敬される 称号」だったのです。

例えば「俺、あの問題ハックして、ついに解決したぜ」「こんな の作ったぜー」、、、「ワオ!! すっげー」というような、、、

プログラミングにおいて、自力で難問に向かうことを「ハックす る」などと呼び、これは「斧で切り分ける」ことから来た言葉のよ うです。 ところが、聞きかじりのマスコミがネットワークに悪意で入り込む 人間のことをハッカーと呼んだのが始まりで、とうとうハッカーが 悪い人間を指すようになってしまいました。ネットワークに侵入す ることは「クラッキング」と呼び、そのような人間を本来は「クラ ッカー」と呼んでいました。

日本ではとうとう政府まで「ハッカー対策」などというタイトル を使うようになってしまいました。名称というものは、本来の意味 からまったく違う方向へ行ってしまいます。恐いですね。 薮医者が、もともとは名医の名前だったように、、、

私と一緒に「電子カルテWINE」プロジェクトをやっている高橋キ ワム先生のような人が、本来の「ハッカー」の典型でしょう。彼は 昔 UCSD Pascal という言語を沖電気の IF-800 へ移植してしまった こともありますし、日本で UNIX が普及をはじめた頃、当時は正式 ライセンスがないと使えなかった sendmail というシステム(今でも 多くのサーバで使われている mail を送受信するシステム)と同じ機 能をもつ postman というプログラムを作って、UNIX 仲間の色々な マシーンにインストールして回ったりしました(仲間の多くは、医者 ではなくコンピュータを本職とする人達でした)。 高橋先生は、外見も見るからに由緒正しいハッカーです :-)

○ 日本のインターネットのあけぼの

それは1984年頃のことです。当時は「電気通信法」という現 状に則さない法律に縛られ、プロバイダーのようことを商売で行う ことができませんでした。そこで慶応や東大、東工大などの情報学 科やコンピュータ企業の研究所などが実験的にネットワークでコン ピュータ同士を接続する実験をはじめていました。米国の国防省の お声がかりによるアーパネットなど、あちらでインターネットが芽 を吹こうとした頃、日本でも学生たちが同じような環境を作ろうと していたのです。

私や高橋先生もこのネットワークに接続したかったのですが、 大学にも企業にも属さないわれわれのような個人は、そこに接続さ せてもらえませんでした。そこでわれわれは juice という個人を主 体とした UNIX ユーザ会を作り、東工大の村井先生(現在の日本のイ ンターネットの育ての親)にお願いして東工大の下に接続させてもら いました。そこを通じて、全世界とe-mail のやりとりができるよう になった時の感激は忘れられません。

それから10年ほどして電気通信法が改正され、プロバイダーが 解禁され、インターネットが一般社会へ普及したのは皆さんご存知 の通りです。われわれがUUCP という UNIX と UNIX を(電話線など で)接続するシステムでネットワークを構築するようになってから、 それが社会に広がるには10年ほどの歳月を要しました。 それに比べプロバイダー解禁後のインターネットの普及は、まさ に雪崩のような勢いだったと言ってよいでしょう。ハードやソフト 技術そしてニーズが熟していて、法の改正とともに爆発したのです。

○ E-mail のお作法

話はプロバイダー解禁前の時代に戻ります。東工大の村井先生た ちが日本全国の大学や企業の研究機関をつないだ UUCP によるネッ トワークは JUNET と呼ばれていました。村井先生の名前が村井 純 だったので JUN NET では?という話もありましたが、村井先生は否 定していました。Japan UNIX Network の略だと思います。JUNET で は「JUNET の手引き」という、e-mailや news システム上のお作法 を書いたマニュアルを配布しました。これは現在もいろいろなとこ ろで継承されているようです。

当時のネットワークは UUCP が主体でしたが、これは電話回線を 使ってメールをバケツ・リレー式に送るものでした。当時のコンピ ュータのメモリーやハードデイスクは非力でしたし、通信回線も遅 いものでしたから、「メールはなるべく簡潔に」送るのがまず第一 のお作法でした。バケツリレーということは、電話料金はもちろん 、コンピュータのメモリーやハードデイスクも皆のものを使って通 信するのですから、誰かが大きなメールを送れば、それが通過する 施設すべてに費用負担をかけてしまうことになるのです。

「読んでもらいたいならメールはなるべく短く。読んでもらいた くないメールはいくら長くても良いよ」というようなこともありま した。これは現代にも通ずることですし、印刷物においても同じで す。情報のあふれる現代、読んでもらいたいなら数行で要旨を伝え るのがベストです。最大限でも1ページ(メールなら1画面)におさ めることがポイントでしょう。

「質問は皆の参考になるのでウエルカムだが、尋ねる前にまず自 分でも調べてみようね」というのも良き習慣です。努力を伴わない 安易な質問は、ネット上の見苦しいゴミでしかありません。 これもネットワーク以外でも通用することですね。 誰かが質問をして、それに対して多くの返事があった場合、最後 に質問者がお礼をかねて「それらの要旨をまとめてサマリーとして 再びネットへ流す」習慣もありました。

○ ネットワークは清濁あわせて受け入れる

このようにして当時のネットワークは、あくまでも性善説で運用 され、参加するメンバーの誰もがそのルールを守ってきました。そ れが一般へ普及するとともに、社会の汚いものも流れ込み性善説で は対応しきれなくなってきました。政府による「ハッカー対策」な どがその現われですが、これはとても残念なことです。 しかし、ある面では致し方ないことなのでしょう。それでも私は めげずに機会あるごとに、少しでも良い方向へ向かうよう微力なが ら努力したいと思っています。この文章も、そのような思いで書い ています。「濁ったものを嫌悪してすべて排除」するのではなく、 「次第に澄んだものへと変えて行く努力」が必要なのではないかと 考えるからです。

宇宙から地球を眺めた宇宙飛行士の毛利さんは、「東支那海のよ うに一面褐色に汚れて見えるところもあるが、多くの海は青くきれ いなので安心しました」と述べています。汚れたものも受け入れて 、いずれは沈澱させ、きれいな海にするよう微力ながら努力してい きたいものです。

○ オープン・ソースについて

UNIX 文化についてもうひとつ述べたいと思います。Linux という OS が凄い勢いで普及しつつあるのをご存知でしょうか。UNIX は米 国の電話会社 AT & T が自社用に作った OS でしたが、利用する には有償のライセンスが必要です。 一方 Linux はライナスという人が自分の勉強のために自作した UNIX と同じ動きをする OS です。そのソース(プログラムの設計図 )をインターネットで公開したため、多くの人がそれを改良し利用す ることができました。改良は素晴らしいスピードで進行し、商用の OS よりも信頼性のあるものへと成長しつつあります。

もうひとつ特徴的だったのは、Linux で商売することを妨げなか ったことです。そのため、Linux をパッケージ商品として、サポー トする会社がでてきたので、企業ユーザも安心して使えるようになり ました。今では WindowsNT などをしのぎそうな勢いです。 Linux でこのような文化が一般社会にも知られるようになりました が、UNIX の世界ではこのようなソースの無償配布は昔から行われて きたことです。

それは「タダだから使う」のではなく、「皆で改良して皆がハッ ピーになろう」という精神に基づくものです。改良する技術を持た ない人間も、何らかの形でコミュニテイーにお返しをしようという 気持を持って利用してきたことが重要と思います。 このようなものを最近はオープン・ソースと呼びます。ある人が オープン・ソースについて大変明解な説明をしています。「コピー できるものは無償で構わない。しかし、サポートなど個別に対応せ ざるを得ないものは有償であるべき」というものです。

電子カルテ WINE プロジェクトも、いずれはこのようなオープン ・ソースにできればと思っています。それをサポートする企業がい くつあっても構わない。企業は自分の特徴を生かしたサポートをす ればよいので、逆に楽な面も多いのではないかと思います。無償の (あるいはそれに近い) WINEを使って自力でコストをかけずに使って もよいし、面倒ならサポート会社に依頼してもよい、一番多いのは その中間でしょう。

一方でソースが公開され、UNIX 文化の真髄である Give and Take の文化が根づけば、皆でそれを改良したり新しい機能を追加し たりできます。趣旨に賛同する電子カルテがあれば、それらと一緒 になって、より使いやすい道具を世の中に提供できるはずと信じて います。Linux が登場する前 JUNET の時代に、多くの人達が提供し てくれた UNIX の素晴らしいツール類を使わせてもらったお礼を、 このような形で世の中へ返せれば嬉しいな、と思っています。

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