わーくすてーしょんのあるくらし ( 363 )

大橋 克洋

katsuhiro.ohashi@gmail.com

2023.07 最初の20年が人生の半分

○ いくら生きても最初の20年が人生の半分

人生を振り返ったとき「一番素晴らしかった時は?」と考えると、迷うことなく「馬術部に打ち込んだ学生時代6年間」と言えます。まさに人生のピーク、青春そのもの、何の迷いも不安もなく若い力を発揮した時期だったなあと思います。

その後も「日本産婦人科医会の幹事として存分腕を振るった10年間」「東京都医師会の理事としての8年間」「NeXus:日本 NeXT ユーザ会での活動」「MedXML:医療情報交換規約に関する活動グループ」なども、楽しくやり甲斐を感じた時間でした。

それでも馬術部時代が最高と位置づけられるのは何故だろうと考えてみると、もちろん青春時代ということもありますが、社会に出る前「家族や職員の生活などを背負う責任というものを知らず、当時は意識することのなかった両親の庇護のもと、安心して自分の活動だけに打ち込めた」というのが大きいのでしょう。それにしても、楽しかったなあ、あの頃。実際には辛いことや嫌なこと悲しいこともあったのですが、振り返るとき浮かんでくるのは楽しかったことばかり、、

そんなことから「人生の半分は最初の20年間」という言葉を読み「当たらずも遠からずだなあ」と思ったのでした、、

○ 経年変化

否応なく進む老化現象について参考のため少しずつ記録していこうと思っています(老化現象など触れたくもない気持ちは強かったのですが、80歳を過ぎたとなれば、もうありふれた状況として受け入れるのが自然)。

いつの間にか、自分から老人くさい動きをしていることに気が付きました。最初は時々感ずる節々の痛みや減弱した筋力などを庇うため、身体をかばいながらゆっくり動いたことが、そのうち予防的動きとなり習性となっている。

そこで自分が中学生と思って動いてみると「なーんだ、ちゃんと動くじゃないか」、、ということで、自分から老人くさい動きをしていることに気がついたというわけ。自分の身体をかばった老人的動きは、身体をこわばらせ、ますます筋力を落とすことになるに違いない。気をつけよう、、

ということで動いていたら、今までの老人的動作がほぼ消え普通に動けている。これに軽いトレーニングなど欠かさぬよう心がけることができれば、暫くの間まともな動きで過ごせるかも。

今月の陽気

今月は梅雨明け宣言もまだというのに、35度を越える真夏日が3日も続くという酷暑。節電気分を押しのけ、ごく軽く冷房をかけざるを得ない状況です。マスコミも熱中症を避けるため弱めに冷房をかけることを推奨しています。幸い今夏は水源地の水涸れはないようですが、九州や東北地方では度重なる線状降水帯の居座りにより記録的豪雨が続き、死者も数えられているという大変なことになっています。とても気の毒、、

熱帯夜も始まり、就寝時に扇風機をかけるようになったのですが、それも数日で弱めの冷房をかける晩もでてきました。

東京での雨は今月上旬まで。それ以後は高気温に伴うゲリラ豪雨などが地区によってはあったものの「これでもまだ梅雨なの?」というほど晴天や曇天が続きました。ようやく梅雨明宣言が出たのは7月22日、今年の東京は空梅雨に近い状態といえるのかな、、

最近「ゲリラ豪雨」という文言を聞くようになりましたが、子供の頃から親しんできた「夕立」という文言はかなくなりました。もう、死語? 関東周辺では積乱雲に伴う突風で屋根を飛ばされるなどの被害も何度か聞きました。これは竜巻とは違い、いきなり積乱雲から局所的激しい下降気流が吹き下ろすもの。これはダウンバーストと呼ばれ、空港でこれが発生すると着陸体勢の航空機が地面に叩きつけられ重大事故を発生させます。これが解ってきて、最近はダウンバースト専門に探知するレーダーを備えた空港もあるようです。

○ 今月の歩術

そんな蒸し暑さの影響もあるのでしょうか、朝の散歩では脚力の減弱顕著。汗もしっかりかくようになったので暑さが始まった頃のような倦怠感はなくなったのですが。この脚力の落ち込みは暑さだけでなく、年齢的なものを考えざるを得ません。

熱帯夜が明けた早朝、気温は28度から30度に近い。歩き始め「今朝はちょっと調子がよいかな」と思う時でも、1キロもいかないうち大腿部に疲労感のようなものが出てきてコースをショートカット。「これは完全に高齢者特有の筋肉萎縮:サルコペニアだな」ということで、座りっぱなしの生活を少し改め、スクワットなど下肢に負荷をかける運動を挟むようにしました。2,3日やっただけで、少し下肢がしっかりしてきた感じ(カーリングの藤沢五月選手が今年2月頃からボディメイク開始、今月開催された大会で入賞。目を疑う筋肉ムキムキの姿に誰もびっくり。彼女のストイックな身体づくりに、ちょっと触発されたということもあります)。

そんな具合で、1ヶ月の総距離100キロを切ったことがなかったのに、今月はその半分もいくかどうか。過去の記録をみると、昨年7月は106キロ、一昨年7月には147キロも歩けていました、、しかし、その前年の記録をみると86キロ、更にその前年は137キロ。その年により、浮き沈みはあるようですね。

ちょっと前までは「地平線の彼方まで何処までも歩ける気分」満々だったのになあ、、

小学校時代あれこれ

私の通った平塚小学校は現在棲むマンションの向かい側にありましたが、児童数減少により数年前、近所の中学校に統廃合され小中合同の平塚学園となりました。廃校された平塚小学校は取り壊され、現在は品川区の公共施設「スクエア荏原」となっています。

火事で全焼した区役所の木造庁舎の跡に、その平塚小学校が建てられたのは私が小学3年になる時でした。私達家族は終戦後に埼玉県の疎開先から、いち早く再建された蒲田の祖父の家すなわち母の実家に仮住まいしていました。私はここで就学年齢となり、道塚小学校に入学。2年生の秋、現在地に父が建設していた大橋産婦人科が竣工して転居、小山小学校に転校しました。

終戦直後のことで食糧事情は最悪。給食は、何かザラザラしたまずいミルク、クソ不味いトウモロコシ・スープ、歯が欠けるように硬いコッペパンなど。食べ残すと先生が「家に持って帰りなさい!」。スープのアルミ食器にハンカチをかぶせ、そっと捧げ持ちながら校門を出ると、すぐさま脇のドブに捨てていましたっけ。当時の給食は進駐軍(米軍)から提供されたもの。あのまずいスープの元トウモロコシ粉などは家畜の飼料用だったそうです、道理で、、児童数に対し教室数が足りないため、午前組と午後組に分けた二部授業が行われていました。

家までの通学路、まともな家はまだ殆ど無く、焼け野原にトタン板で囲っただけのバラックが目立ちました。同級生の家もそんなバラックのひとつでしたっけ。

早朝散歩で、鉄筋の立派な建物になった現在の小山小学校の校門前を通るたび、まずい給食を捨てたドブのあった辺を見ては思い返したり、同級生のトタン張りだった家はどのあたりだったかなあ、などと思うのでした。幼かったあの頃、まさか70年以上先になっても、普通にここを歩いているなど考えも及ばないことでした。

世界は変わってきたんだなあ、、

米国のドキュメンタリー番組を観ていて思ったこと。現在、世界ではいたるところで「人心の分断」が進み、人と人とのいがみ合いばかり見聞きします。

思い出してみると、第2次大戦終了後しばらく人々の時間の流れは一般にゆっくりと、人心も和やかだったよなあと、、あの頃の TV 番組「アイ・ラブ・ルーシー」「パパは何でも知っている」、日本でも「バス通り裏」とか色々。私が学生の頃は西部劇とともに青春映画も流行っていました。若きプレスリー主演の「ブルー・ハワイ」「ラスベガス万歳」、日本では加山雄三の「若大将シリーズ」などなど。素朴で爽やかだった、、

第二次大戦終戦から20年も経っていない時代。日本でも米国でも時間はゆっくり流れ、人々の生活も素朴で和やかでした。もちろん、当時でも凶悪事件などあったはずですが、一般的にはのんびり、ゆったり流れていました。

それが現在ではまったく違う世界。人々のいがみ合いなど至るところで見られるようになり、あの頃のようにゆったり鷹揚に人を許すということも少なくなりました。昔の良いところだけ思い出すからかなあ、、でも、明らかに人心の分断がどんどん進み深くなっていることは確か。身の周りでもそう、先日マンション理事会を聴いていて、以前はあんなことで皆が意地になって言い合うことはなかったのに、何でこんな嫌な傾向が進んでいるのかなあと、、身近な小さなことでも、戦争はしちゃいかんよねえ、、

歳になると、何でこんな 昔は良かったな話 になるのか。今月冒頭で書いたように、この歳になると現在のあれこれより、きっと人生で経験してきた楽しいことを想い出す方が癒やされるからだと思う。昔の想い出は「楽しかったことフィルター」を抜けてくるからね。

国の民は好きだけど、国家としては嫌い

「アニメはじめ食べ物など、日本大好きな韓国の若者たち」のドキュメンタリーを観て思ったこと。韓流ブームに始まり、韓国の俳優・歌手はじめ韓国大好きで、韓国語を勉強したり韓国旅行に行く日本人も多いよなあと、、一方で腹が立つのは、在ること無いこと騒ぎ立て繰り返し執拗に謝罪や補償を求める反日の風潮。似たようなことは中国についても大いに感じている、、

個人的に今のところ韓国に興味はないが(でも焼肉は大好き)、古き良き中国の文化などには尊敬を抱くところもあり、特に中国武術や料理、建物などには大変興味のあるところ。旅番組などで見る中国の素朴な人々とのやりとりには、とても好感がもてる。これは韓国も同じ。お互いの国に憧れ旅行に訪れる日本人・韓国人・中国人は少なくない。夫々の国の素朴な人々同士では何とも和やかに交流できるのに、肝心の国家となるとお互い「このヤロー」と感ずることが少なくない。とても悲しいことですね。

国家などの規制をとっぱらって素朴に夫々の国の人同士で和やかにやっていければ、地球に本当の平和が訪れるでしょうに、、5月「共生という絶妙な仕組み」に書いたように、森に存在する色々な木々は一見競い合って生きているように見えて、実際には地下で菌糸のネットワークで繋がっておりお互い栄養を供給しあうなど共生しているという、人類にも早くこんな世界が来ると良いなあ、、2年前亡くなった「知の巨人」立花隆さんは、人類の次の進化では「竹林の山ひとつが地下茎で繋がり一つの植物であるように、地球上の人々の知識がネットワークで繋がり人類全体が一つの考えをもって行動するようになる」と予言していました。

ロシアによるウクライナ侵攻、イスラエル・パレスチナ紛争、その他いろいろ、現在世界には宗教や領土その他をめぐる紛争が絶えません。人類も早く植物たちのように賢くならないと本当に絶滅しちゃうぞ!!

朝6時の林試の森:もうしばらくすると左側広場に

老若男女が三々五々集まり、ラジオ体操がはじまる