2007.11 挑戦的な継続こそが大切

わーくすてーしょんのあるくらし ( 177 )

2007-11 大橋克洋

毎日のトレーニングコース「山の上ホテル」裏へ向かう急坂

東京には珍しいピーカンの秋晴れ、デジカメ持参で出勤しました

TV番組「プロフェッショナル」は、なかなか中身の濃い面白い番組です。 先月の靴職人の言葉にも、共鳴するものがありました。 「継続は力なり」とはよく言われる言葉です。 私もまさにそう思います。 彼の言葉はそれに一味加えたものでした。

「挑戦的な継続こそが大切、 のんべんだらりと継続してもそれは継続ではない」

私もそう思いますねえ。 このコラムが20年続いたことなど、 まったく継続の部類に入りません。 私のライフワーク「電子カルテ」に関しては、挑戦的な継続の部類に入るかな、、 「いつも先のことを考える」 「自分が格好よく見られることを考えるのではなく、 どうしたら役に立つかを考える。これが大切」、 これも同感。彼の素敵な言葉でした。

このコラムは私自身の「心のメモ帳」でもあります。 こうしてここに書き留めておくことにしましよう。 私もまだまだこれから色々と挑戦したいことが 山のようにあります。 生きている間は挑戦を続けたいと思っています。 身体がいくつも欲しいところですねえ。 やり残したことは、生まれ変わってからやることにするとしても、、

○ Microsoft 製品 vs Apple 製品

7月に「iPhone が日本で発売されれば、即、買いですが、 まだ1、2年はかかりそうな雰囲気です。 それまでの間、 ちょっと他のもので遊んでみることにしました」ということで Windows OS の載った携帯 W-ZERO3 を購入しました。

さて、その後ですが、現在は W-ZERO3 を胸ポケットに、 iPod touch をズボンのポケットに入れています。 で、W-ZERO3 の利用はというと、 単なる「電話機」と「目覚まし」としてしか機能していません。 長年、携帯を「時計」としても使ってきたのですが、 その機能さえも使いません。ちょっと iPod touch を取り出して 時間を見る方がはるかに快適だからです。 その理由は、ロックをはずす手間、 時刻の文字の見やすさ、画面の楽しさ・満足度などが圧倒的に違うからです。

予定表や住所録などの使い勝手においては、 さらに優位差が大きくなります。 電話機能が実現する前に、これだけの差になってしまいましたね。 Microsoft と Apple のモノ作りへの姿勢の差ということです。 とにかく「Apple 製品は持っていて楽しく満足度がある」が、 Microsoft にはそれがない。どうして世の中の人たちは、 未だに MS 社へ一辺倒なのかわかりません。 それでもこの度 Leopard のもつ機能に対する マスコミの取り上げ方を見ていると、 多少流れは変わってくるのかも、、

MacOSX 10.5 Leopard は発売後最初の週末で 、 販売は200万本を突破したそうです。 これは Apple の歴史上特記すべきことことでしょう。しかし、、 「ほどほどに世間から目を向けられたいが、 メジャーになると ”悪” がはびこるので、 ほどほどにマイナーでいて欲しい」という、 わがままで矛盾したのが私の心情です。

○ I hate Windows, I hate Mac

Web で「I hate Windows」というのを見つけました。 「なんでスクロールバーからマウスが外れると、 ドラッグ中にもかかわらず、 スクロールできなくなってしまうんだ? ボタン押したままなんだから、そのま ま動けよ! どうしてこの細い帯の上でスライドさせないといかんのだ!」とか 「MS Wordを使うと勝手につく段落番号。おせっかい以外の何者でもない。 どうしてこういうおせっかいがデフォルトになっているのか?! 根本的 なところで勘違いしてるんじゃないの? こういうできの悪いごてごてのお せっかいなソフトの使い方とかを教えて 情報処理教育って名乗ってるのが あるけど、根本的に間違ってる」とか。 「ふむ、ふむ、そうだ、そうだ、、」 というものでした。

「ん? そうすると I hate Mac というのもありそうだな」と探してみると、 やはりありました。 嫌う理由の多くは、 私が Mac の好ましいところと感じているものです。 例えば「Doc で Icon がバウンスするのは、 ガキが ”ママ、見て、見て” とピョンピョンするようなもので嫌いだ」とか、、 要するに彼が子供嫌いなのかも知れません。 私にすれば Windows の画面でイルカがぴょこぴょこする方が、 ダサくて嫌ですけどね。

「ほおー、なるほどねえ、人の感性っていろいろなのね」 と思ったところです。 「蓼食う虫も好きずき」ってとこですね。 こちらから見ればあちらが、あちらから見ればこちらが、、

○ 見えてきはじめた Time Machine

さて MacOSX 10.5 (Leopard) に換えて数日がたち、 Time Machine に少しずつ過去データが溜まり始めました。 おお、バックグラウンドの宇宙の星々はすこしずつ流れてゆくんですね。 悠久の時間を思わせる演出です。 これはやはり便利かも。

ただ、このようなものを使っていると 「私は何処、私は誰」状態がちょっと心配されるところではあります。 本物のタイム・マシーンが使えるようになったとしても、 そのようなことは起こりそうですね。

○ 私と同い年の人達

Wikipedia で私の生まれた 1942 年を眺めてみました。 この年は第2次大戦で、私の生まれた3月から3ヶ月後の6月に ミッドウエー海戦が行われています。 この年に生まれた人を見ると「へえー、この人も同い年なんだ、、」 というのが沢山ありました。 つまり、私より年上と思っていたり、年下と思っていた人達です。

政治家では、小泉純一郎、小沢一郎、何と金正日も。 科学者では、理論物理学者のスティーヴン・ホーキング。 スポーツでは、野球の落合信彦、ゴルフの青木功、ボーリングの中山律子、 モハメド・アリ。 カーレーサーでは、(今の人達は知らないでしょうが私にとっては とても懐かしい)ヨッヘン・リント、生沢徹、 (若くして鈴鹿サーキットに散った)浮谷東次郎。 芸能界では、宇宙戦艦ヤマトを唱った佐々木功、 いつもネジネジのマフラーをしている俳優の中尾彬、松方弘樹、寺田農、 「バス通り裏」時代からファンだった 十朱幸代(彼女は私より年上かと思っていましたが、 11月の同じ23日生まれで丁度8ヶ月下だったんですね)、 ハリソン・フォード。 ミュージシャンでは、山下洋輔(彼とは高校で一緒でした。 同じクラスになったことはありませんでしたが)、 ポール・マッカートニー、ジミ・ヘンドリックスなど。

年齢は全然違いますが、黒澤明監督の誕生日は私と同じだったんですね。 マッキンリーで消息を絶った登山家・冒険家の植村直己さんも 同い年のはずだったと思い、Wiki で調べてみると1年上でした。

○ 女子バレー

今年もまたバレーボールの季節になりました。 毎年開催と思っていたのですが、 Wikipedia で調べてみると今回のワールドカップは 4年に1回開催なのだそうです(すると昨年11月のは何?)。 ワールドカップの幕開け、ドミニカ共和国との第1戦を見ました。 最初はドミニカにかなり押されて「お、ちょっとヤバいな、、」 と思いましたが、中盤から押し返しストレート勝ち。 気分良くスタートできましたね。

この夏に栗原恵のカムバックを書きましたが、 今回はついに「メグ・カナ」コンビの相方、 大山加奈もカムバック。 この二人がコートで一緒に戦ったのは、 3年前のオリンピックが最後だったそうです。 夏には、久しぶりに見た栗原の顔が浮腫んで見え 気になりましたが、 今回はそのように見えませんでした。 残念ながら昨日は大山の出番はなく、 コートサイドでメンバーと心をひとつにしていたようです。 柳本監督は「メグ・カナの活躍を見たい」という人達の気持ちを 溜めにためてから、一気に解き放つのでしょう。楽しみです。

ちょっと気になったのは、 途中から「栗原が元気がなくなった、 傷めた腰などに無理がきたのではないか」 との解説があったことです。 コートサイドの大山も 度重なる故障を乗り越えてきたとの解説がありました。 「やはり、あれだけ長身で瞬発力を要する動きをすれば、 どうしても足腰に無理がいくんだろうなあ」と、、

栗原はコートではニコリともしません。度重なる故障で 何度かバレー人生を諦めなければいけないのでは という思いをしてきて 「コートは楽しい場所ではない(あってはならない)」 「いつ突然、バレーが出来なくなるかも知れない」 「こうしてコートに立てる一瞬・一瞬を大切にして行きたい」 との悲壮な覚悟です。大山も同じ思いに違いありません。

ここでも「中国武術のように、 身体に無理のいかない動きをとりいれればよいのではないかなあ、、」 と強く思ったところです。この極意を取り入れれば、 無理のない動きの中から、文字通り目にもとまらぬスピードと、 強烈なパワーを得られるはずです。

選手の成長の過程には、栗原の思いのようなことも必要と思います。 しかし是非彼女たちには身体を温存し、存分に青春を走りきって欲しいと 願っています。ここを乗り切れれば、 さらに頼りがいのある強い選手へと、 また一段上がることは間違いありません。 同じくニコリともしなくなった高橋みゆき がその良い例です。 昨日も危機を救って、仲間をひっぱる役割を果たしました。 しかし、いずれは彼女たちも、 「にこやかにプレーできるさらに強いチーム」 へと進化することを期待しましょう。

今までに期待される活躍をしてきたメンバーとして、宝来眞紀子や、 中国から帰化した小山修加の姿が見えないのが気になりました。 彼女達も故障でしょうか、、 これから月半ばまで競技は続きます。 彼女たちの悲願がかない、 来年の北京オリンピックで奇麗なメダルと美しい涙へ 繋げられるよう、遠くから応援して行きましょう。

○ ついに加奈が帰ってきた

第2戦の韓国戦、隣国だけにお互い敵愾心の強い因縁の試合です。 最初はちょっとハラハラさせられましたが、結局はストレート勝ち。 昨日コートに呼ばれたものの、 目立った活躍のできなかった杉山ですが、 ここでは荒木とともに杉山の独壇場となりました。

さて第3戦は昨年世界選手権3位のセルビア戦です。 緒戦は身長 190cm 以上のセルビアにガンガン押され、 第1、2セットをとられました。 第3セットから押し返し、終盤ついにコートサイドの 大山加奈が呼ばれました。加奈の登場に会場は物凄い盛り上がり、 この物凄い熱気に押されてあっという間に日本は第3セットをとりました。 肩の故障は修復したものの、 腰椎を痛め まだ足に痺れの残る 加奈はすぐコートサイドに戻されましたが、この後日本は怒濤の進撃。 撃たれても撃たれても打ち返し、 縦横無尽に動き回る日本チームにセルビアはなすすべもありません、、 と思ったのですが、 第4セット終盤、セルビアはサーブで日本勢を崩して5点以上連取 しぶとく押し返してきました。

怒濤の勢いだった日本が、 最後は無し崩しに点を奪われて第3戦を落とすことになりました。 素晴らしい選手ばかりそろえ とても強くなった日本ですが、やはり最後に必要なのは 「どんな時にも盛り返せる しぶとさ」と思いました。 それを得るには弛まぬ修練と、修羅場をくぐり抜ける経験しかないでしょう。

そのあと何試合か、短い間ですがカナがコートに呼ばれました。 まだ故障が残っているためでしょう、 身体もやや絞りきれておらず動きにも鋭さがありませんでした。 しかし柳本監督に期待される「大砲」として、 チームメートの応援の中で相手コートにボールを叩き込んだり、 アタックをブロックし得点する機会を与えられました。

身体の調子はまだ完全ではないものの、 大きく口を開き掛け声をかけながら チームメートとともにコートに立った時のカナの 嬉しそうな輝いた顔は素晴らしいものでした。 来年の北京五輪までには、 何とかメグとともに完全復帰を祈りたいと思います。 緒戦、やや身体の調子を危ぶんだ栗原メグですが、 試合を重ねるごとに調子が上がり、 チームのエースとしての自覚を伴って 高い得点率を稼いでいます。

○ ワールドカップおわる

2週間にわたったワールドカップが終了しました。 最後は、キューバ、米国、ブラジルという強豪ばかりに当たり 1勝もあげられませんでしたが、その動きは頼もしいものでした。 日本に苦境での「しぶとさ」さえつけば、 技術的にはほぼ問題ないところへ行っていると思います。 今回上位3位に入っていれば北京オリンピック出場が確約されたのですが、 残念ながらかなわず先送りとなりました。 これだけ好手をそろえた柳本ジャパン、 世界の強豪と戦ってもまったく見劣りしません。 かつて東京オリンピックで優勝し その後世界を席巻したニチボー貝塚ほどではなくても、 来年は日本選手の「しぶとさ」に期待しましょう。

ずっとコートサイドで応援するしかなかった ベテラン多治見麻子が、最終戦でコートに呼ばれ大活躍しました。 16年前のこのワールドカップ出場に始まり、 1992年、1996年オリンピックを経験、 1998年世界選手権ではキャプテンを務めた選手です。 さすがベテラン、センターを守り頼れる存在でした。

随所にうまい攻撃を見せた (私としては期待の)杉山が最終戦ではコートに呼ばれなかったのは、 ちょっと残念でした。特に前日の米国戦では、 不調だった木村を一旦さげて杉山を出せばよいのにとうずうずしたものです。 しかし木村は最終戦、見違えるようなカムバック。 対戦相手との相性もあるのかも知れませんが、 コンディションというものは難しいものですね。

柳本監督も外国のようにもっと試合中に控えの選手を上手に使い、 選手の消耗を少なくするべきではないのかなあ、 というのが素人の私の強い感想でした。 日本チームは前半の動きはとても良いのですが、 終盤になると心なしか外人とスタミナの差がでてくるような気がします。 日本は控えの選手のどれをとっても活躍できるメンバーばかりです。 こちらは体力を消耗せず、あちらを走り回らせる作戦が必要でしょう (硫黄島で米国と対等以上に戦った栗林中将のように)。 中国武術の「力を使わず意で撃つ」極意もここで生きそうです。

女子に続き11月後半は、男子バレーのワールドカップが行われました。 さすが男子は、さらにスピード・高さ・迫力があります。 こちらも、ゴッツ、ゴリ、新進気鋭の清水など 素晴らしい選手が沢山おり、 見応えのある活躍を見せましたが、女子同様世界の壁はさらに厚いようです。 しかし、女子も男子も非常に良い線いっていますので、 何とかメダルを穫って欲しいものです。

○ 女子バレーに圧倒的に多い血液型 O 型

Wiki で色々な選手のヒストリーを読んでいるうち、 柳本監督のチームには血液型 O の選手が圧倒的に多いのに気づきました。 高橋みゆき、杉山祥子、木村沙織、荒木絵里香、大山加奈、 多治見麻子、そして、落合真理、菅山かおる、大友愛、すべて O 型です。

ちなみに、私も O 型なのです。自分として顧みると、 O 型は「身体の防御力を高めようという本能が比較的高い」 「単細胞なだけに、何があっても、 まあ、そんなものかと開き直ってしまうところがある」 そんなことで、傍目には大胆と思われるところもあるようです。 O 型の思い切りの良さが、このような競技に向いているんですかね。 基本的に球技が駄目で関心のない私が、バレーにだけは強い関心の向く理由が これで解ったような気もしました。

栗原恵、宝来眞紀子、小山修加は B 型でした。 小山が B は「さもありなん」と思いますが、 栗原が B はちょっと意外でした。 陽気な B が、あれだけニコリともしなくなるだけの理由があるのでしょう。 小柄ながらタフで精密な機械のような 佐野優子(リベロ)が A というのは納得です。 A には他に、大村加奈子がいます。 残念ながらキャプテンの竹下佳江の血液型は載っていませんでした。 想像するに沈着冷静なところから見ると A か AB あたりではないかと思うのですが、、 と思って、さらに Web で調べてみるとやはり A 型でした。

○ O 型のひとびとを探してみると

、、ということで今度は O型の人をもっと広く調べてみたくなりました。 ほう、O 型にはこんな人がいます。 芸能人では、坂本冬美、森高千里、和田アキ子、天海祐希、上戸彩、 矢田亜希子、ビートたけし、木村拓哉、おっと、中尾彬がまた出てきたぞ、 スポーツでは、高橋尚子、松井秀喜、その他上記女子バレー選手、 財界人では孫正義、などの人達ですね。

豊臣秀吉も O 型だそうです「どうして判るの?」と思ったら、 鑑定理由は「血判」だそうです。大久保利通も遺髪から O 型と特定されたそうです。 海外を見ると、チャールズ・チャップリン、アル・カポネ、 ミハイル・ゴルバチョフなどの名前が見られました。

、、だから、どうなの? という話ですがね。

○ 今月の歩術

5年前に(いわゆるメタボ対策として)はじめた 「筋トレ・ダイエット」ですが、 現在「筋トレ」にはまったく主眼をおいていません。 「ダイエット」もほどほどです(というか、 それなりの食事摂取ペースが掴めたということでしょう)。

筋肉も強化・肥大にはまったく主眼をおかなくなりました。 しかし「筋肉の効率的運用」には日々錬巧を重ねています。 一時太くなっていた上腕もそれほどではなくなり、 齢相応にスリムになりました。 全身の贅肉や脂肪が落ち、スポーツ的体格になったかなと。 悔しいことに腹部の脂肪だけは相変わらず落ちませんが、 中国武術の錬巧は丹田に気を込めるのが基本なので、 常に腹筋を締める習慣がつき、ぽっこりお腹ではなくなったようです。

最近は「劈掛拳」の基本巧を取り入れています。 これは上腕を限りなく脱力して振り回すものです。 肩関節を柔軟にし、かつ上腕という重量物を振り回すので、 全身運動としても大変良いものです (身体と肩の動きで振り回すのであって、腕の力を使ってはいけません)。 YouTube の映像を見ると、まさに目にも止まらぬ早さで動いています。 あの域に達するにはまだまだですね。 しかし早朝このような全身運動をしておくと、 身体中の錆びがとれ動きが円滑になった気がします。 身体さばきもスムースになり、とても気持ちが良いですね。

春頃からはじめた「(歯磨き中やエレベータの中などでの)片足立ち」 がそろそろ功を奏しはじめましたようです。 八卦掌の歩きには2派あるようで、1派は比較的自然の歩行に近いのですが、 もう1派の歩きは「爪先で何かをさぐるかのように前肢を前へ滑らせ」 「踵からでなく爪先から着地」します。この歩きがなかなか難しく うまくできませんでした。しかし最近、 片足立ちによるバランス感覚と足腰強化により、 短時間であればそれらしき歩きができるようになってきました。 街なかを歩くには目立ちすぎ出来ませんが、 そのコツを頭に置きながら歩くと、さらに歩きがスムースで速くなるようです。 日本伝統の「能」や「武士の歩き」に見られる摺り足に近いものですね。

長年の課題だった「階段の下り」も少し見えてきました。 現在会得したところでは、要するに「脱力し、エネルギーを使わない」ことです。 普通、下りでは無意識に足に力を込めてしまいます。 しかし考えてみれば下りは「位置エネルギーを放出」するだけなのですから、 そこにエネルギーを使うのは無駄なこと、、という考えで、 下へ降ろす足は「脱力し、下の階にそっと置く」ようにやってみました。 これが結構楽で、動きにも無駄が無いようです。

太極拳はじめ 多くの中国武術にある動作として、 片足をのばしながら両足を大きく開き、床ぎりぎりまで腰を沈めて、 伸ばした足の爪先まで手先を近づけ、 その手を挙上しながら立ち上がる動作があります。 これを左右交互に行うのですが、最初は非常にきつい動作で、 左右1回がやっとでした。 しかし、しばらくすると何ということなく左右何回でもできるようになってきました。

ある程度の年齢になっても人間の身体というのは、 トレーニングにより動くようになるものだ、ということをつくづく感じます。 このように目一杯ストレッチした後は、 身体中の関節に十分油をさしたようで とても気持ちよく動けます。

○ 今月の脳トレ

先月のインターネット・サーバのダウンの後、 Web と Mail は何とか復活しましたが、 ML だけがどうしてもうまく復活できません。 そこへ MacOSX のメジャー・アップグレードということで、 この際「男は度胸、エイやっ!」とサーバの OS を 10.5 に上げることにしました。 長年の経験から、 インターネット・サーバの OS を上げた後は いつも大変な苦労が待っていることは よく分かっています。 しかし色々とやってみたものの、 現状のままでは ML の仲間に迷惑をかけています。 この際、ダメモトでやってみようと覚悟しました。

サーバマシーンには HD が2台積んであります。 先月のトラブルで、MacOSX Server 10.4 をスペア・ディスクの方に インストールしました。 そこで今回は OS 10.5 を、元のディスクへインストールします。 今度は Time Machine もあることだし、 Web コンテンツも標準の /Library の下に置いて Time Machine でバックアップすれば何があっても現状復帰、と考えました。 そこで元のメイン・ディスクへ 10.5 をクリーン・インストールことにします。

○ あれ? このマシーンに OS がインストールできない

MacOSX Server 10.5 パッケージには、 インストール DVD 1枚がついてくるだけの簡素なものです。 さて DVD を突っ込んでリブート、 「ありゃ?」システムは DVD を「ペッ」と、吐き出してしまいます。 何度やってもそうです。そこでようやく気がつきました。 現在使っている PowerMac G4 マシーンのドライブは DVD 対応ではなかったのです。

そこで一晩考えました。さて翌日 Mac mini を小脇にかかえて再登板。 サーバマシーンをターゲットモードで立ち上げておき、 Mac mini の外部ディスクとして認識させて OS をインストールする方法です。 これで無事インストールに成功。後で考えれば Mac mini でなく MacBook でも良かったのですが。

○ 恒例の? インターネット・サーバとの格闘

ここで、大きなヘマをしちまいました、、 インストールも終わり、 「さて Web コンテンツを復活させようか、、」と思ったところで、ガーン!! 先月のシステム再構築の際、安全のため Web コンテンツは OS とは別の (つまり、今回 10.5 をクリーン・インストールした方の) ディスクで運用していたことを思い出しました。 しかし後の祭り、Web コンテンツは OS で上書きされ、すべて完全に吹っ飛んでしまっていたのです。

とは言うものの、先月上旬くらいまでのバックアップは別のディスクに 取ってあり、その時点までは復活できました。 幸い先月中旬以後更新したのは、 ほとんどこの「わーくすてーしょんのあるくらし」だけです。 しかも書斎のマシーンの画面には、 幸いにも11月のページを開きっぱなしでした。 それをコピーし、11月分は無事復活することができました。 失ったのは10月後半のデータだけ、本当に不幸中の幸いでした。

それでも20年書きためた Web コンテンツを全て失ったかと、 一時は冷や汗ものでした。 これからは Time Machine があるとはいえ、 バックアップは2重、3重にとっておかなければいけませんね 、、こんなことはとっくの昔に、身にしみて分かっているのですが、 火傷を何度も繰り返してしまう私です。

さてその後がまた、恒例の泥沼との格闘です。 予想通り 10.5 の「サーバ管理」アプリは、かなり仕様が変わっていました。 そうは言え Jobs の作るシステムです「仕様が変わったということは、 必ず以前より良くなったはず」との確信を持って取りかかりました。

○ お約束の DNS でハマる

まずハマったのは DNS の設定です。 解ってしまえばそう複雑なわけでもないのですが、 バージョンが変わると ちょっとしたことでハマりやすい代物です。 サーバ管理アプリから GUI で DNS を設定できるようになっているのですが、 どうもうまく動作していないようです。 何度かやり直してみましたが、外から ping を打ってみても 正しくアドレス変換してくれません。

これまでのシステムでは、 そんな時は /etc の下の設定ファイルを 直接エディターで書き直すという荒技で何とかしのいできました。 今回も最後は苦し紛れにその技を使おうと思ったのですが、 named/ の下の設定ファイルを覗いてみても、 今までとは少し仕様が変わっているようです。 しかも設定ファイル名の末尾に apple という名前がついているところを見ると、 apple の用意した GUI と密に結びついていそうです。 「下手にいじると、さらに泥沼にはまるかも、、」 と思って今朝も思案していました。

ところが、午後になって ping を打ってみると 何と嬉しや、 アドレスが正しく解釈され帰ってくるではありませんか。 そんなことも昨夜考えてはいたのですが、やはり こちらの DNS 設定が外部 DNS へ反映されるのに時間がかかったようです。 そんなことで、 ようやくこの Web site も外部からアクセスできるようになったのですが、 OCEAN のサイトにアクセスするには最後の index.html までフルで URL を打ち込まないと、 10.5 で追加された Wiki や Blog などの Web サービスのページへ 強制的に振られてしまいます。 どのように設定をいじればよいのか、調査中。

○ 古いマシーンに Leopard は荷が重い

そのほかにも、まだいろいろ試行錯誤中です。 メール・サーバもちゃんと動いていないようです。 今度の日曜に腰を落ち着けてとりかかろうと思っていますが、 その前に問題発生!

まず TimeMachine が過去のものを見ようとすると、 もの凄く遅くて事実上凍ってしまいます。 何度か reboot を試みても同じです。 従来はこれで何の問題もなかったのですが、 メモリーを 256MB しか積んでいないこともあるかも知れません。 Leopard はより高いハードウエア・スペックを要求するようです。 Windows ではよく聞く話です。 翌日、インターネット・サーバを チェックしてみると「ええっ、ディスク容量が一杯だってえ!!」 reboot すると 20GB ほど空きがでます。 メール・サーバがうまく動いていないため、 山のようにエラーログを吐いているからかも知れません。 とりあえずメール・サーバを止めて様子を見ることにしました。

やはり Leopard は Intel 世代に的を絞った設計のようです。 これはこれで正しいと思います。古いものを引っ張らないのが Jobs の良いところでもあり、通常のユーザやソフトウエア・ベンダー 泣かせのところでもあります。 いずれにせよ、このままでは使い物にならないので、 遊んでいる初代 Mac mini (PowerPC版。 書斎のメインマシーンは Mac mini Intel 版)を インターネット・サーバに当てることにしました。 ただ、こちらは 40GB そこそこの HD しか積んでいません。 でかい外付け HD を繋げて使用することにしました。

早速 Web 上を物色し、RAID 装備 500GB の HD を発注。 以前このクラスは10万近くしたのに、2万円そこそこです。 昨日届く予定だったのですが、出荷遅れのお詫びのメールが入りました。 さて、次の日曜の作業に間に合わないようなら、とりあえず Mac mini 単体で運用を始めることにしましょう。HD 容量が少ないので、 またログでパンクするのが心配ではありますが。

以上の問題点は MacOSX Server の場合です。通常の MacOSX では、これほど問題が多いわけではないと思います。 そんなことで、Leopard 導入を考えている方へのアドバイス、 「Leopard は素晴しい」「アップグレードの価値は十分ある」ただし 「Intel Mac に載せた方が苦労が少ない」 「アプリによってはまだ対応していないものもあることを覚悟」 というところでしょうか。私自身は Leopard へ移行したことを十分に満足しています。

○ インターネット・サーバを Mac mini へ交換

そんなことで、インターネット・サーバを PowerMac G4 から Mac mini (PowerPC) へ替えました。こちらも Intel マシーンではないのですが、 メモリーを 1GB 積んでいるためか、問題なくサクサク動きます。 HD が小さいのがちょっと心配ですが。 今までサーバとして使っていた PowerMac G4 は、 ターゲットモードで動かし TimeMachine のデータ記録用として使うことにしました。 それにしても、メモリー 256MB と 1GB での 動きの差は極端ですねえ、、 Leopard にメモリー 1GB 程度は必須のようです。

Weblog などの設定をはずすことにより、 URL に index.html を付けないでも元通り default のトップページを表示するようになりました。 weblog と一緒に使う場合はどう設定すればよいのかについては、 まだ良い資料がみつからず解らずじまいです。 それよりもメールサーバがまだ復活せず、 本日の日曜も一日潰れました。うーん、どうしてだろう、、 まだ MacOSX Server 10.5 に関する資料がほとんどないので、 試行錯誤しています。

○ Apple 社の Safari セミナーに参加

Apple から Safari セミナーの案内がきました。 色々と悩んでいることへのヒントがつかめるかなと、 Web から申し込んでみました。セミナーは3回ほど予定されていますが、 私の空いている日が申し込みの3日後です。「もう一杯かな?」 と思っていましたが、 「参加申し込み受け付けました」とのメールが届きました。

会場は Apple 本社のあるオペラシティー。 10年ほど前、ここを借りて NeXT ユーザ会をやっていたことがあります。 以前は初台の駅まで電車で行っていましたが、 Google Map で見ると新宿からでもたいした距離ではありません。 都医の仕事でよく行く都庁からちょっと足を伸ばすだけ。 新宿駅から歩いて行くことにしました。 久しぶりに東京には珍しい真っ青な秋空、 明るい日差しで汗をかきました。

セミナーの半分ほどは Apple のコマーシャル的な話でした。 それはそれでつまらなくはなかったのですが、 技術的に飢えていた私にはちょっと物足りないものでした。 Safari における javascript のデバッグ環境 Drosera を知ったのが 唯一の収穫。まあ、収穫が一つでもあったのは良かったかなと。 WebKit Open Source Project の web site にある Download というアイコンをクリックすれば得られます。 webkit.app は Safari に debug 環境を加えたものです。 これで対象とする javascript を開き、隣に Drosera.app を立ち上げます。 その中で webkit.app を指定しておいて webkit.app の画面を reload します。 すると Drosera の画面に javascript のソースが表示され、 簡単なデバッグができるという次第。

もうひとつゲットした技術情報。 ターミナルを開いて以下のコマンドを打ち込みます。

% defaults write com.apple.Safari IncludeDebugMenu 1

こうすると Safari のメニューバー右端に Debug というメニューが加わります。その先の詳しい説明はありませんでした。 自分で探検、探検。 そうそう、もうひとつありました。 HTML が正しく動いているかどうかの検証には、 W3C の検証サービス を使うとよい。 他にもバリデータはあるので validate などのキーワードで検索エンジンを使ってみるとよい。

その他 Safari に関する情報は Apple 開発者向けサイト の下にある Safari 関連資料 を見てくださいとのことでした。

早速、Web 版電子カルテ NOA の開発へ役立てることにしましょう。

○ 医療情報連合大会

連合大会は以前よく神戸で開催されていましたが、 久しぶりの神戸です。今回は自分の講演日を勘違いしていて ホテルの予約を取り直したところ、何と神戸のホテルはすべて満室。 では隣の大阪と思ったのですが、行き来に結構時間がかかりそうです。 そこで大阪と反対側の日航ホテル姫路を取りました。ホテルは 新幹線姫路駅の真ん前で、新幹線なら新神戸まで15分。これは正解でした。

神戸ポートピア国際会議場

連合大会では「医療ネットワークの現状と将来」というワークショップで、 プレゼンテータ4人のひとりとして話をさせて頂きました。 当日10:00から開始の会場に入ると、 数百人は入るかと思われる広大な会場に来場者は十数人です。 「どうせ聴衆は少なさそうだから、 車座でやった方が良いんじゃない?」という吉原先生の提案で 写真のように演題のすぐそばに、 「ハの字」型にテーブルを置いて演者4人がそこでプレゼンすることにしました。

宮崎大学の荒木賢二教授から宮崎の地域医療ネットワーク「はにわネット」の話、 京都大学の吉原博幸教授から京都の「まいこネット」の話。 そして私は東京の「HOTプロジェクト」に関連し、 少し違う角度から「次世代へのパラダイムシフト」ということで、 これからは地域医療連携や電子カルテにおいて SaaS (Software as a Service) や MashUp の考えを入れていかねばならない という話をさせて頂きました。最後は MedXML 技術部長の中島裕生さんから、 医療情報の mapping(異なる医療情報交換規約同士の翻訳システム) の話が行われました。 途中から徐々に聴衆は増え、 吉原先生が数えたところでは70名くらいにはなったそうです。 聴衆は「ハの字」の演者達の対話を外から見る感じです。

医療情報連合大会には毎年欠かさず出席していますが、 昔のようにワクワクするような演題もほとんどなくなり、 面白くなくなっているのが気に入りません。 「最近 blog が面白くなくなった」という意見に対し、ある人が 「昔は blog を公開する人が少なかったので その意見を皆で共有しワクワクしたが、 最近は余りにも情報が増えたため 自分が共鳴する blog が埋もれてしまって そのように感じるのだろう。 自分に合った blog を見つけるシステムが必要かも知れない」 と書いていました。そうなんですかねえ、、

それにつけてもマンネリ化したコンピュータ業界にあって、 未だに「サプライズ」「ワクワク」「どきどき」 を与え続ける Steve Jobs は、 本当に類い稀なる才能を持った人と思います。

○ MML 次期バージョンについて

学会場前の神戸ポートピアホテル、イタメシ屋で昼食

このセッションの後 MedXML のメンバーと昼食をとりながら、 MML の次期バージョンについて意見交換をしました。 MML:Medical Markup Language は医療情報交換規約で、 医療情報を的確に表現するため構造化がされてきました。 しかし現実には構造化のメリットが生かされた使い方をされることは少なく、 むしろそれが複雑化を促進し、普及の足かせになってきた面も否めません。

そのようなことから 「基本的に情報はフラットに持つ」こととし、 「構造化の表現」は別ファイルとして持つ方が 現実的ではないかとの考えが浮かびました。 つまり最近 Web でも、フォント、カラー情報やサイズなどは CSS、 つまりスタイルシートとして別に持つ傾向にあります。 これと同じような考えですね。 このようにした方がずっと現実的で柔軟性が高くなると考えます。

スタイルシートの考えは、 ここで皆とディスカッションしているうち思い浮かんだものですが、 今後この考えをもう少し煮詰めてみることとしましょう。 とにかく「使えなくては話にならない」「使えてなんぼ」のものですからね。

○ ついでといっては何ですが、、

私は姫路に降り立ったのは初めて。素晴らしい秋晴れとあって、 「これは姫路城を見ずに帰るわけにはいかないだろう」と、 学会最終日の朝早くホテルをチェックアウトし 姫路城へ向かいました。 姫路駅のコインロッカーに荷物を入れようとしたところ、 百円玉がちょっと足りません 「荷物は背負っていけ、ということかな」と 7 Kg ほどの旅装を背負って行くことにしました。 朝食抜きだったので、もし何かあればと メインストリートに並行したアーケード街を通ってみましたが、 適当なところはみつからず朝食抜きで姫路城へ。 これも「朝飯抜きで減量せい」ということかなと、、

やあー、なるほど、世界遺産に指定されるだけあって、 姫路城は素晴らしいですねえ。 朝早いのに、もうすでに観光の人達が大勢来ていました。 昨年秋、広島城を見学した時もそうでしたが、 韓国や中国の団体さんが多いですね。

本丸へ向かう幾重にもなった 城壁の頑丈な石組みや、その狭間を抜ける急坂、 頭をかがめるほど低い城壁間の石組みの通り道などが 「これは実戦的な城だなあ、、」という印象。 鎧兜に身を固めた武士達や軍馬の行き交う様が目に見えるようでした。 さすがに今まで私が見た城の中ではベストですね。 しかし城にまつわる怪談なども少なくないとか。 「播州皿屋敷」で有名な「お菊井戸」が城内にありました。 原型の話は姫路城ができる以前のものだそうです。

姫路城を治めたのは誰だろうと Web で調べてみました。 城主は色々と代わっており、秀吉の弟、羽柴秀長も一時城主だったようですが、 現在の全容を整えたのは1618年、本田忠政だそうです。 歴史に残るような合戦はここでは行われなかったようです。 城が堅固だったから ということもあるのでしょうか。 このあと神戸へ向かい、 三宮でコンピュータ仲間の鈴木卓君と待ち合わせ昼食。 冷たいビールと中華のランチを美味しく頂きました。

そうそう、宿泊した日航ホテルはインターネット・リーチャブル。 DHCP でパスワードなしの接続ができました。 三宮の駅前で鈴木君を待つ間 MacBook を開いてみると、 いくつか見える無線 LAN の中にパスワードなしのものがあります。 ためしに繋いでみるとスルーで繋がってしまいました。 「おー、こういうこともあるんだ」、 感謝しつつ Google map で付近の検索をさせて頂きました。

○ メール・サーバまだ復活ならず

OCEAN のメールサーバがダウンしてから、 もう2週間以上になるでしょうか。まだ復活できません。 Lepard になってからメールサーバの仕様のどこかが変わったのかな、 と思っていますが、まとまった時間がなかなかとれないこともあって、 復旧できません。 皆さんに迷惑をかけっぱなしです。 大変申し訳なく思っているのですが、、

都心の夕暮れ? いえいえ夜明け。東京湾をのぞむ東の空です。

10年ほど前まで東京湾や船の科学館が遠方に見えたのですが

いつの間にか林立するビルの衝立てに隠れてしまいました