2011.06 簡素で賢く美しい

わーくすてーしょんのあるくらし ( 220)

2011-6 大橋 克洋

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◯ 簡素で賢く美しい

「簡素で賢く美しい」、こんなモノを作りたいと思っています。 考えて見ればこれは美人の定義でも言えることですね。楚々として賢い昔ながらの美人にはとても惹かれます。 美しさとは、造作・外見のものではなく内面から滲み出るもの。 徹底的に無駄をそぎ落とし、周囲の状況に柔軟に対応できるようなものは、 ソフトウエアにせよ、道具にせよ、人間にせよ、「とても美しい」と感ずるのではないでしょうか。

しかし、このようなものを創るのはなかなか難しいんですよねえ。 とにかく必要なのは「年季」と「経験」そして「常にそのようなものを求める心」と思います。 Seagaia meeting では、フロアーからの反応が散々だった MML Light ですが、 これは何年も練ってきた構想で方向性は絶対に間違っていないと確信しています。 このエッセイに24年間いろいろなことを書き綴ってきました。 私の強く思い描いてきたことの多くが、後の世に実現しています。「今に見ておれ」と、、

そんなことで、また一歩一歩、美しいものを求めて進んで行くことにしましょう。 ところで Seagaia から帰った翌々日から腹の調子がおかしいです。 私にしては珍しいことですが、腹を下すとともに軽い発熱による悪寒。 恐らくノロウイルスあたりかなと思っていますが、身体が怠く朝夕の錬功もちょっと軽目になっています。 幸い都医の仕事がなくなったので、休養だけは十分とれそう。こういうときはモノを食わずに安静が一番。

◯ Google site の写真

この web site は goole site に構築させてもらっていますが、先月写真を載せようとしたところ突然「写真の容量が一杯になったので載せられない」というエラー・メッセージが出るようになりました。 ほおー、そうなんだ。写真の容量に限界があるとは知らなかった。 ということで、ここに掲載する写真は Google の web アルバム Picasa に置いて、 それをこちらにリンクさせることにしました。 Picasa はチラチラ使ってみてはいましたが、これで本格的に使うことになりそうです。

、、と書いたのですが、今月のコラムに画像をアップしてみると、素直にアップできます。あれ?容量の上限は月毎に決まっているんですかね。先月の画像の容量が特別大きかったとも思えないのですが。確かに動画などもありましたが、あれは YouTube や USTREAM にアップされた動画へのリンクです、、と書いてから、2つ3つ画像をアップロードしたら、やはり駄目ですね。総量制限がかかっているようです。やはり Picasa にしました。

◯ 客家土楼

中国に客家土楼という建築物があります。 福建省の山岳地域などに多く見られるようですが、12世紀から20世紀にかけ建てられたものがほとんどだそうです。大きさは大小あり、大きいものは100から300人もが住むまさに4階建マンション。多いときは80家族以上住むこともあったとか。 多民族国家の中国において外敵から身を守るため、外側を厚さ180センチ以上の土壁で固めた木造の建物です。外部からの入り口は鉄板などで補強された頑丈な入り口ひとつしかなく、外敵の侵入を防ぐため窓も3階以上にしかありません。

「生活と防衛を集団で行う組織の伝統的建築と機能の例として、その環境と調和したあり方に関して」優れた点が認められ、ユネスコの世界遺産に登録されています。1階には一族の祖先を祀る場所や台所、2階は穀物倉庫(外側に窓がないことと関連か)、3,4階が居室。土楼によっては長い年月や建築時の測量ミスなどから柱が垂直でなくジグザグのものもあるが、見た目の脆弱さにもかかわらず700年もの自然作用や社会的混乱に耐えてきたものもあるとか。円形構造ゆえの安定性でしょう。昔の人の知恵は凄いですね。

「集合住宅に一族郎党で住めるといいな」と昔から考えることはありますが、皆が仲良く末永く住むことはとても難しいことです。客家土楼が多数維持された理由には、何と言っても「国が守ってくれない状況で共通の外敵からの自衛」という共通の目的があったためと思います。東日本大震災でわかるように「共通の外敵」ほど人心を一にするものはありません。

四角い土楼もあります

数年前 Google Earth で中国の山岳地帯を眺めていた時、中が真っ黒な真円を幾つも見つけました。 井戸のように見えますが、それにしては巨大過ぎます「何だろう?」ととても気になっていたのですが、あれはきっとこれだったんですね。その辺りを再度探しましたが、見つけることはできませんでした。米国でも衛星写真で円形構築物が幾つもある所を見つけ「大陸間弾道ミサイルのサイロではないか」と大騒ぎになったことがあったそうです。

◯ 今月の歩術

恒例の医歯薬学生馬術連盟の馬場競技で、馬事公苑まで片道 8.2km を往復してきました。 馬事公苑への歩きでは、厳寒の頃には途中であまりの寒さに腹痛を覚えタクシーに乗ってしまったこともあります。今頃は歩くには絶好の季節、やや曇り空で気持ち良い涼風ながら、気温はやや高くなりそうな気配。Google map のナビを使ってみました。ナビの示す最短コースには初めて歩く道もあり、なかなか楽しい歩きでした。舗装路を歩いていると結構暑さを感ずるのですが、世田谷観音の林の辺りではぐっと涼しくなります。やはり「東京にはもっと木を植えるべし!」と強く思います。

あまり履いていないミズノのウオーキング・シューズを試してみました。 比較的歩きやすい靴ですが、足に馴染んでいないため左親指外側がヒリヒリしてきました。 コンビニでポカリスエットとバンドエードを購入。ベンチで靴下を脱ぎ豆のできそうな所に貼ったのですが、それでもかなりヒリヒリ。 いつも1時間20分のところを1時間30分で到着。本日は飛ばさずノンビリと歩きました。

試合の方は ちょっと冴えなかったかな。私は「試合には常に最強メンバーを出すべき」と思うのですが、チームとしては「選手養成のため新人も」という方針。私も現役の頃そのような方針だったのですが、結局はその選手が上級生になると活躍の場をまた新人に譲ってしまい同じことの繰り返し。なかなか勝てません。出場4選手の騎乗ぶりは動画で YouTube に載せました「2011 慈恵医大馬術部」で検索するとヒットします。明るすぎてカメラの液晶がはっきり見えず「ボケボケの画像かなあ」と思ったのですが、撮れたものをみると しっかりフォーカスを合わせてくれています。最近の機器は本当にお利口になりましたね。

馬事公苑で、歩行器で歩いていらした東京医大 OB の平馬先生とお会いしました。麻布学園の先輩でもあります。 先生は90歳を過ぎてもお元気です。前立腺がんを患われているとのことですが、 まだまだお元気なお姿を拝見できることを期待しています。 左足がヒリヒリするので、帰りはタクシーにしようかなあとも思ったのですが、 行けるところまで行ってみようと徒歩に挑戦。自宅近くの四川料理店でビールと堅焼きそばで人心地。 帰りも1時間30分で無事帰着できました。 曇り空だったにもかかわらず、両腕は真っ赤に日焼け。

長距離歩行には最初から脱力が必要ですが、本当にデレーっと脱力してしまっては、身体が怠くなり歩けなくなります。そのコツは「力は抜いても気は抜かない」にあることに気がつきました。「足音を立てない歩き方」が長距離歩行にも有効であることも。

◯ 今月の脳トレ

昨年暮れでしたか「電話番号の電子カルテへの入力で 最初の4桁を打った後、次の4桁また受診票を見直しているのに気がつきました。こりゃ、まずいぞということで、8桁を記憶するトレーニングを始めました」と書きました。当初は一生懸命8桁を記憶したつもりが、あれ?6桁目は何だっけ、ということが多かったのですが、最近ではスンナリ記憶できるようになりました(若い頃なら、何を馬鹿なこと書いてるんだ、という話ですが)。やはり老化よりも「使わないと錆びる」なんだなあと、、

面白いことに記憶しやすい8桁と記憶しにくい8桁があるんですね。ふうーん、、

◯ HTML5 に挑戦

電子カルテ NOA を使ってみたいというユーザの方からリクエストがいくつかありました。いずれも「いずれ、やらなければ」と思っていた機能。その一つが「手書き機能が欲しい」。本当の意味の手書き機能は OS 側の対応など何らかの画期的動きが必要ですが、とりあえずは Cocoa 版 NOA に実装していた「お絵描きツール」を復活させることにしました。

最近まで Web アプリでこれを実現するのは無理で、Cocoa 環境で作ったツールと協働させることを考えてきました。しかし色々なブラウザーが HTML5 に対応しはじめたことを知り、HTML5 の実装に挑戦してみました。「まだ全ての機能はブラウザーに実装されていない」「HTML5 の規格自体がフィックスしたものではない」などの問題はあるものの、、

色々便利そうな機能が付加されており「これは挑戦してみなければいかんだろう」ということです。「お絵描きツール」の実現にとりかかり、独学で工夫しながら1週間ほどで従来の 「お絵描きツール」同等のものを復活、、と書いたのですが、それからまた2、3週間の格闘。サーバへの画像の保存が思うような方法でいかないなど、 いくつか問題があったのです。解決方法について Web 上を数日探しまくった結果、ようやく思うような動きをする様になり、ついでに今まで提供していた「画像ツール」もここに統合することができました。

描画状況の表示などまだ問題が残るものの、策定中の HTML5 自体の問題もあり時間が解決してくれるかなと。昔と違い現在は Web で色々な人の書いたものを参考にでき、とても有り難い時代。自分もこの世界へ少しでも何か還元して行きたいと思います。電子カルテ NOA のオープンソース化もそのひとつ。Cocoa 版にくらべ HTML5 側の問題でまだ十分とは言えませんが、まあまあ使えるツールに仕上がってきたのではないかと思います。新しい機能を探検しながら新しいものを創って行く作業って、とっても面白いんですよねえ。ゲームなんかより格段に面白く、出来上がった時の満足感も非常に大きいものがあります。

◯ 舞い散る花吹雪

ギズモードジャパンでビールの空缶は勿論、ソファーまで何でもバリバリ食ってしまう工業用の凄いシュレッダーを見ました。もし手でも巻き込まれたら最期、全身バリバリと食われてしまうこと間違いないと、ぞっとしたものです。

その日のこと、私の朝の日課のひとつ洗濯機をかけた後「そうだ昨日着ていたワイシャツも洗濯しなきゃ」と洗濯機に放り込みました。朝のトレーニングを軽く済ませ身支度を整えているうち「あれ?胸ポケットに入れるペンは?手帳は?」「しまった。もしかして、」と洗濯機を覗くと「あちゃー、やっちまったい」。

洗濯機の中は盛大に散り敷く桜の花吹雪状態。水の滴る洗濯物一枚一枚を取り出してみると、哀れ手帳はプラスチックの表紙を遺して木っ端微塵。紙がこんなにも粉々になるものかと、東日本大震災で津波の去った後の瓦礫状態になっていました。ボールペンと手帳のポケットに入れていた SUIKA が洗濯機の底に。「あれ?一万円札も一枚あったはず」と、洗濯物を再チェックして見ると流石に一万円札、4つに畳まれた原型のまま見つかりました。

普通ならこれでスケジュールの記録全てが吹っ飛びパニックになるところですが、紙の手帳は仮の姿、スケジュールは全 てGoogle Calendar に入れてあるので何の問題もありません。カルテも同様に管理していますが、ハイブリッドで安全が担保できたというお話。 寝る前にポケットの物は必ず出しておきましょうね、と言う教訓でした、、

◯ ピース・シンボルの由来

反戦のシンボルマークとして、図のようなピース・シンボルを見ることがありますね。ベトナム戦争の時代、反戦活動のヒッピー達が作ったのかと思っていたのですが、このシンボルの由来を たまたま Web で見つけてしまった ので、 ここに書きとどめておきます。 これは「鳩の足」などとも呼ばれるそうですが、そもそもは1958年に英国の CND: Campaign for Nuclear Disarmament(核兵器撤廃同盟)のロゴ・マークとしてデザインされたものだそうです。 この団体の初代総裁は、イギリスの哲学者バートランド・ラッセル。

なぜ CND のロゴマークがこのような形をしているかというと、元は手旗信号だそうです。 手旗信号の N は「片仮名のハの字」、D は「縦一文字」、これを C の丸で囲むとピースサインになります。 なーるほどねえ、別にこれが解ったからどうというものではありませんが、 由来が気になる人にとっては気になるものでしょうからね。

ちなみに、女の子達にカメラを向けると必ずやる「ピース・サイン」。 あれは某フィルム会社の昔のテレビ CM で、タレントの井上順が 指を V 字型にしてカメラへ向け突き出したのが始まりだそうです。そもそも V サインは 勝利: Victory を表すもので、サッカーなどで指を V 字型に突き出して勝利をアッピールしました。 井上順はこれを真似したんでしょうね。

◯ 勇将 本田平八郎忠勝

以下は産経新聞のコラムから。「家康に過ぎたるものが二つあり。唐のかしらに本多平八」。 唐のかしらとはヤクの毛で飾った兜。本多平八とは、徳川四天王の一人、本田平八郎忠勝。 みごとな戦いぶりを見せた彼を、敵方の武田勢が賞賛した言葉だそうです。 忠勝の名は、徳川四天王の勇将としてあまりにも有名。鹿の角をあしらった兜に、 肩から大きな数珠をかけた漆黒の具足。名槍「蜻蛉切」をかいこみ、名馬「三國黒」にまたがって50回を超える戦さで一度も手傷を負うことがなかった。信長にも秀吉にも賛辞を贈られた彼は、生きながら半ば伝説となった勇将だそうです。

その忠勝が「真の侍とは」と語り残しています。「特別な手柄を立てる必要はない。どんな時にも挫けず、主人が立ち行かなくなったら、枕を並べて討ち死にする。それが侍である」と。今回の東京都医師会役員選挙で1票差で敗れた鈴木会長とともに討ち死にした私としては、誠に納得のゆく言葉でした。ただし忠勝といえども、仕えるべき殿のもとでなければこの言葉はなかったと思います。そう云えば、私は妙に平八郎という響きが好きです。そもそもは東郷平八郎への憧れからだったと思いますが、ハンドルネームで平八郎を名乗ったりすることもあります。もしかすると御先祖様に平八郎という侍が居たのかも、、

◯ 教育について考える

「現代の日本を駄目にした」のは あえてはっきり言いますが、教育とマスコミ(ある意味これも教育)と思います。 以下はこれも産経新聞(グローバル教育社長の渥美育子氏)のコラムを読み、一部を引用しながらの感想。

平成8年中央教育審議会の答申は「ゆとりの中で生きる力を育む」としました。すなわち「ゆとり教育」。 なんでこんなアホなことを考える人達が国の教育方針を決めるのでしょうか。 そもそも「ゆとり」というのは、普段余裕のない規制された時間の中にあって初めて意味を持つもの。 子供達の1日の時間のもっとも多くを占める学校の場で「ゆとり?」。 いわく「教師が結論を言ってはいけない」「子供に自由に行動させ、主体性を尊重」「授業の主役は子供」 「叱ったり否定してはいけない」。この「子供中心主義」「教えない教育」が学校を支配し、 そのツケがやがて大人を震撼させることになりました。

私の卒業した中高一貫校は「自由な校風」でした。 授業をやめ先生と一緒に近くの公園へ雪合戦に繰り出したりしたこともあります。 しかしこれは、たまの息抜きであって いつもそうだった訳ではありません。 学校は生徒の自主性を尊重しうるさいことを言いませんでしたが、 おさえるべきところはしっかり押さえていました。それよりも家庭の教育がしっかりしていたので、 学校でうるさいことを言う必要もなかったのかも知れません。すでに受験戦争の時代でしたが 受験に向けた授業などはほとんどなく、生徒が勝手に勉強し東大や慶応に大勢入っていました。 このような教育の中から、歴代総理を含む政治家から芸能人まで大勢のユニークな人材を輩出しています。

大正7年「尋常小学校修身書」の目録には 「よく学びよく遊べ」「時刻を守れ」「怠けるな」「友達と助け合え」「喧嘩をするな」「元気よく遊べ」 「食べ物に気をつけよ」「行儀よくせよ」。実に簡単明瞭ですね。 コラムは「自信に満ちた教師による揺るぎない道義の教育こそ、実は多くの国民が渇望している教育なのではあるまいか」と結んでいます。なんで我が国の教育をしきる人達はこんなにアホになってしまったのでしょう。 アホな人間がしきる制度は賢い人間を産みません。とても悲しく思います。

◯ 高校時代の先生の想い出

今月の日経新聞の「私の履歴書」は、私と中学・高校同期のジャズピアニスト山下洋輔氏です。 彼とは同じクラスになったことがないので面識はありませんが、私の生きてきた同じ時代が描かれているので とても面白く読んでいます。 彼の履歴書の中に高校時代の幾何学の北原先生から 当時の常識をまったく逸脱した「ジャーン、ドギャーン、」というピアノ演奏を実演してもらい、 これが現在の道にはいるきっかけになったと書いてありました。

幾何が大好きだったこともあり、私にとっても北原先生は特に印象の強い先生のお一人です。 先生からは幾何学以外にも色々とユニークなことを教わりました。1センチ角の紙で折り鶴を折る方法。 片手で32まで数える方法。親指から小指までを、1,2,4,8,16の数として指折り数えます。 これは今から考えればコンピュータで使われてる2進法。とても先進的なことを教えてもらいました。 今でもこの数え方で時々便利をさせてもらっています。 現代に流行っている細い金属縁のメガネをかけ、とてもシャープな感じの先生でした。 へえー、この先生が山下洋輔をモダンジャズに誘ったとは知りませんでした。

まったく対照的なのが微積分の先生、お名前は忘れましたが 髪の毛は鳥の巣のようにグジャグジャ、背が低く例えは悪いですがノートルダムのせむし男のような容貌。 黒板に書く微分・積分の方程式、私には結局よくわからずじまいで終わってしまいました。 恐らくこの先生も凄く頭は良いのだと思いますが、切れすぎて私には理解できませんでした。 そうそう、本名は思い出せないのですが、あだ名はダムでした。ノートルダムのダムですね。

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区立平塚小学校跡工事:相変わらず余り進展ありませんねえ

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です