2011.03 スピードよりタイミング

わーくすてーしょんのあるくらし ( 217)

2011-3 大橋 克洋

今年もお雛様を撮影することができました

浜名湖のほとり「舘山寺温泉」のもの

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◯ 春の香りがしてきましたねえ

先月「朝風呂に入る頃は暗いが、出る頃には明るくなる」と書きました。3月に入るともう6時には明るくなり始めています。1ヶ月前までは7時頃になってようやく朝日が当たりはじめたのに、日が延びるのは早いですねえ。すでに2月から時々朝の外気を吸い込むと「何となく春?」という空気のことがあったのですが、それがはっきりと実感できるようになってきました。それにしても、今年も「さあ、3月だもんね」とコートを脱ぎ捨てるには ちょっと低い外気温で始まった3月です。

「さあて、今年も始まるぞ」と、1月2月は慣らし運転。今年はどんな年になるのでしょうか。日本国内では民主党の傾斜がいよいよ深くなり、エジプトなど中東では Twitter が導火線となって遼遠の火の燃え広がりが気になります。このジャスミン革命、中国にも飛び火しそうな雰囲気もあり、中国政府は猛烈な抑えこみをしているようです。 爆薬は抑えられれば抑えられるほど爆発したときの威力は大きくなります。どうなるんでしょうか。 国民にそれだけ不満があるということは、いずれ爆発することが避けられないように思います。 爆風で日本に被害が及ばなければ良いのですが、隣国が良くなっても悪くなっても影響は必ずあるでしょうからね。 4月には都知事選、東京都医師会も役員改選。まあ、私の去就は皆さんの判断にお任せすることにして、自分としてはどちらに転んでもそれなりにハッピーということかな、、

楽しみにしている Apple の動きも Jobs の体調の影響なのかどうか例年より遅いですが、 2月末に MacBook pro のアップデートがありました。Thunderbolt という新しいI/Oインタフェースが出現。 本来なら、まず MacPro や Mac mini などに装備されるべきものでしょうが、 早く世に出したかったんでしょうね。対応する周辺機器の促進という意味が大きいでしょうから。 「従来機の2倍の速度」などという涎の出そうな文字が踊っていますが、 まだ MacBook pro 買ってから1年ちょっとだもんなあ、、

明日2日には Apple から何らかの発表があるとのアナウンス。 iPad 2 出現という噂がもっぱらで楽しみなことです。

◯ スピードよりタイミング

Facebook で知人のつぶやきを見ていたら、スピードよりタイミングと云う話がありました。人生の中で、人との出会いは早いだけが大切ではない。早すぎても意味をなさなかっただろうし、遅すぎても駄目。丁度良いタイミングで出会ったからこそ意味が有ったと云う話「無理して早くやるより、自然にタイミング良くやる方が無駄なく効率も上がります」と書いておられました。

なるほどねえ、言われて見れば色々なところで当てはまりますね。オリンピックに出場できるかとか、教授になれるかとかも、何年かに一度のタイミングがあるでしょう。ニュージーランドの地震で倒壊した語学学校の唯一倒壊しなかったエレベータホールで助かった人の話では、あと10秒早くても10秒遅くても自分は助からなかっただろう、助かったのは単にタイミングだけと話していました。坂本九ちゃんのグッドタイミングという歌もありましたね。

コンピュータの動きやその効果にも言えますし、武術もそうですね。相手を撃つのはスピードの前にタイミングこそが重要でしょう。まさに「ジャスト・ミート」。一つの言葉もこうして考えてみると、なかなか奥が深いものです。

◯ iPad 2 登場

待っていた iPad 2 が日本時間3月3日発表になりました。 発表内容はほぼ予想内のものでサプライズはありませんでしたが、 強いて云えばプレゼンに Jobs 登場が嬉しいサプライズかな。 先月でしたか、米国政府の IT がらみの会合に出席しオバマ大統領の隣にすわっている後姿が見られたので、 体調もまあまあなのかなと思っていたのですが、プレゼンまでできるようであれば良かったです。

速攻で iPad 2 予約を入れたいところですが、Apple の web site に早々と iPad 2が紹介されているものの いつもある予約ボタンが見当たりません。日本発売は今月25,26日頃と聞いているので そのうち予約できるようになるはず。SoftBank がからんでいるので予約受付が遅れているのかなあ、 などと嫌な予感も。孫社長 iPad 2 の発表会場から Twitter で感激のつぶやきを漏らしていたようですが、 それなら「日本でも iPhone のデザリングやってくれよー」と強く叫びたいところ。 私が現在もっとも熱望するところです。

さて iPad 2 の魅力はというと、処理速度の大幅な向上(今までも十分早かったんですけどね)、 薄く軽くなった(今までも十分薄かったんですけどね)、画像の外部出力機能の向上(これでプレゼンが楽に行えるようになると嬉しい)、両面にカメラがついた(これは大きいですね。待ってました)、ジャイロセンサーがついた(ゲームあまりやらない私には、どういうところで便利になるの?)、AirPlay(これも家庭で使うには便利なんでしょうね)、ビデオミラーリング( iPad の画面を外部ディスプレイに表示できるそうです)、AirPrint(対応プリンターは相変わらず HPだけっていうのは何故?)、でも兎に角、うん、楽しみ。

◯ 予約はいつから開始?

数日後、予約ボタンではなく「通知を受ける」ボタンが現れました。ここで登録しておくと、予約などについての案内がメールで来るのだと思います。 米国では発売日11日の午前1時にオンラインでの販売を開始するとか。日本では25日あたりから発売予定だそうです。うーん、最近の経験ではオンライン開始しても大勢が一度に殺到するので、ネットが繋がらない状況が起こるのではないかなあと、、 もし、そのような状況なら、しばらくじっと我慢して空いた頃にオーダーするよりないですかね。スピードよりタイミング ?

ということだったのですが、11日に発生した東北・北関東の大震災で日本だけ発売を遅らせるようです。仕方ないですかね、、

◯ iOS4.3 リリース

米国での iPad 2 販売開始を1日前倒しにして iOS4.3 が日本でもリリースされました。早速 iPhone と iPad の OS をアップデート。まだ大きな違いを感じていませんが、iPad におけるスクリーンの縦横切替が以前のように iPad 右横のスイッチで行えるようになったのは嬉しいです。いちいちソフト的に切り替える操作がわずらわしかったので。

YouTube からダウンロードした音楽ビデオなどが消えてしまい、ありゃー、と思っていたのですが、母艦 Mac にある音楽ビデオをストリーミングできるようになったんですね。

iPhone のホットスポット機能、日本では使えないのはとても残念。SoftBank だけでなく NTT も参加するようにして、そちらで実現してくれるととても嬉しいのですが。

◯ LIBERAL ARTS

以下は CNET Japan の記事から

Job氏はプレゼンテーションの中で「Apple の DNA には、テクノロジだけでは十分ではない、ということがある」と述べている。また「テクノロジは、リベラルアーツ、人間性と融合することによって、心躍るような結果を生み出すことができる。このことが一番当てはまるのが、ポスト PC のデバイスだ。タブレット市場には多くの人が押し寄せ、タブレットを次の PC であるとみなしている」「iPad は単なる新しいコンピューティングデバイスの枠を越えている。他社はこの新しいカテゴリにおける自社製品の仕様にばかり気を取られているが、Apple が今でも力を入れているのは優れたエクスペリエンスを提供することだ」と述べている。

iPad2 発表の Jobs のプレゼンの最後に、 上の写真のように2つの標識が互いに直角に交わった絵があります。 これのことですね。なーるほど、Apple 社が他社と大きく異なるところ、そして私が常に惹かれてきたことは、 そこだったんですね。で、LIBERAL ARTS って、何? と辞書を調べてみました。ほお、一般教養科目かあ、 やはり抽象的だなあ。明治の頃、これを「芸術」と訳した人がいたそうで、こちらの方が判りやすいなあ。

電子カルテ NOA にもこれからは LIBERAL ARTS の香りを盛りこまなければいけないんだなと。 しかし、どういう風に盛り込むかは、なかなか難しい。 何年もかけてこれから考え、試行錯誤してゆく課題ですねえ、、

◯ 電子カルテ NOA のダウンロード

電子カルテ NOA は一昨年オープン・ソースとして誰でも無償でダウンロードできるようにしました(左のメニューの「電子カルテ NOA プロジェクト」から)。本当に使われている方はまだ少数ですが熱烈なユーザの方ばかりで、矢のようなリクエストに応え速攻で改良を繰り返すうち、今までの自分の枠を越え巾が広がってきたような気がします。

日々、改良が行われ新しいバージョンがアップされるので、常用されているユーザの方にとっては更新されたソースだけ入れ替えれば良いのですが、初めて使ってみようという方にとっては非常に判りにくいサイトになってしまい気になっていました。そんなところへ Y 先生から「電子カルテ NOA をダウンロードしてみたが、うまく動かない」とのメール。そんなはずは、、と思い、何度かメールのやりとりをするうち「やはり NOA のダウンロード・サイトの構成を見なおさなくちゃいかんなあ」と。

結構な力仕事になりそうで5月の GW マターにしようと思っていたのですが、ある晩ついに改修作業に手をつけてしまいました。初めての方へ向け「一切合切、一発でインストール版」と、従来からのユーザの方へ向け「更新されたソースのみインストール版」の2構成を明確にしました。しかし、当方の作業が多い構成となってしまっています。ここのところを、こちらも何とか手間なく行えるようにしたいのですが Google site 標準では、なかなか制約がありうまく行きません。

ここは何とか裏技を考えなくちゃなあー、と、、

◯ ありゃ Google Chrome の表示が変

3月11日、Google Chrome で NOA を開いてみると「ありゃ、変なところに文字化けが」、さらに進むと、まったく開けないページも。Chrome はいつの間にか裏でアップデートしてくれるのは良いのですが、このようなことがあると困りますね。まあ、Safari や FireFox では問題なく NOA 使えるので良いのですが、どこが変わったのかソースコードを追いながら Chrome と相性の悪くなった部分を探さねばなりません。

まずは Chrome 自体の文字コード設定かと、色々な文字コードに変更してみましたが、そういう問題ではなさそうです。

◯ 東北地方太平洋沖地震

3月11日、13:30からの HL-7 のセミナーに出掛けました。会場は日本橋高島屋の脇の小さなビル。山元隆一先生の「どこでも My 病院」の講演が終わりにかかる頃、急に地震。かなり長い揺れが次第に大きくなり、縦横の揺れになり激震へ移行しそうな雰囲気。演者の話もストップ。このビルは余り新しそうでない間口の狭いオフィスビル。3F のフロアーは満席で、つい数週間前のニュージーランドのビル崩壊が頭をよぎる中「もしビル倒壊の兆候あれば、あの柱のそばに行けば助かる可能性あるかも、」など思いを巡らせました。

もし誰か出口に走りだそうものなら群集心理でパニックになった可能性もありますが、さすがは IT 技術者ばかりで冷静? いやいや、満席の状態でおいそれと席を立てなかったというのが正解かも。2度目の余震も結構大きなものでしたが、それも収まった頃「あとスライド1枚だから、やっちゃいましょうか」との山本先生の声に、会場から笑いも。10分間の休憩をおいて喜多先生の講演。小さな余震が繰り返され、外ではラウドスピーカーから区の流す非常事態宣言のようなものも聞こえます。講演が30分ほど進んだ頃、突然、木村先生から「ビル管理者から、できれば講演を中止して全員外へ出て頂けないでしょうかとの要請が来ています。中止しましょう」とのアナウンス。

外へ出ると、ビル街の中で皆 上を見上げたり携帯で電話したり、数人ずつの塊ができています。ビルの外へ避難した人たちのようです。八重洲のあたりでは歩道の一部に黄色いテープが貼ってあり、上を見上げるとビルの窓ガラスが割れていました。以前の経験ではこのような状況では電車は皆ストップしているはず。歩いて帰ることにしました。

歩道は歩いて帰る人達でぎっしり、中には防災用ヘルメットをかぶった人たちも見かけます。日比谷公園のあたりは歩道を歩けず車道の端を歩いてきました。私にとって、日本橋から歩いて帰るのはお茶の子、2時間ほどで帰着しました。おいおい、マンションのエレベータも止まっているぞ、まだ歩けってか、ということで13Fまで階段。

タクシーを捕まえることもまず無理な状態で、やはり都心へ出かけていた家内を心配していましたが、帰宅すると自宅の窓に灯りがついています。ラッキーなことに丁度客を降ろすタクシーがあり、それに乗って帰れたとのこと。

末娘も神保町から歩いて帰宅。夜になって玄関のチャイムが鳴るので、出てみると久しく顔を見せなかった次男。東京駅の職場から歩いて帰る途中、心配で寄ってみたとのこと。これから横浜の自宅まで 24km ほど歩いて帰るよし。何事も無く帰着できただろうか(家ではちょっとあったのだが、)。以前、彼と一緒に成城まで歩いて彼の体力は知っているので大丈夫とは思うのですが、帰着は深夜になったはず、、

◯ 地震、その後

13F の我が家の状況は、仏壇の扉が開いて灰が飛び散るは、テーブルから植木鉢は落ちるは、本棚から本が雪崩を打って散乱し足の踏み場もない状況でしたが、幸い損害は軽微。1F の診療所も同様の状況を覚悟していたのですが、意外や意外、こちらは地震など何事もなかったかのように整然としています。朝出てきた職員もびっくり。上階ではガスも止まり復旧操作を必要としましたが、1F はそれもありません。

翌日、足の踏み場もないゴミ捨て場状態の書斎の整理にとりかかりました。我が家の一見悲惨に見える状況も被害は軽微だったのですが、最大の損害は購入して1年に満たない iMac 27インチ。書斎デスクから真っ逆さまに転落し、前面ガラスが木っ端微塵に近い状態。恐る恐る電源を入れてみるとうまく動きそう。破損した前面ガラスに透明ガムテープを貼って電源を再投入。美しく明るい液晶ディスプレーのお陰で、ひび割れはそれ程目立ちません。これなら使えるぞと。どうせ修理に出しても地震被害の修理が殺到しているでしょうから、これでしばらくしのいで空いた頃に修理に出そうかと、、

◯ 地震、から思うこと

このコラム今月初めを「今年はどんな年になるのでしょうか」という文言で書き出しました。何となく何か大事が起こるのではないかという漠然とした不安のようなものがあって書いたのですが、これだったのですね。「良いことを考えれば良いことが起こる。悪いことを考えれば悪いことが起こる」、今後は「良いこと」を考えることにしましょう。

わが国の観測史上最大級 M 9.0、世界的にも4位の記録という未曽有の大地震ですが、被害は地震そのものより各地を襲った巨大津波によるものが大きかったと思います。阪神大震災の時も日本人の秩序を守った互助の精神に感激したことを、だいぶ前ここに書いたように思います。今回も世界から日本国民の世界稀に見る秩序、これだけの地震でひとつのビル崩壊も報道されなかった耐震への備えなどが大きく評価されているようです。

このような国民性が日本に残っていることを非常に嬉しく思います。世界の中で、このような国民性はどこから来たのだろうと考えてみました。やはり徳川幕府の時代に培われたものだろうと思います。戦国時代ではこれだけ整然としたことはなかったでしょうから。となると、徳川家康とその後継者たちの後世に遺したものは偉大なものだったのですね。

もうひとつ思いついたことがあります。人類の移動してきた足跡を逆ルートで、南アメリカ・チリから人類発祥の地タンザニアまで人力で踏破した探検家・医師である関野吉晴氏の講演。「人類がアフリカから地球全土へ、何で拡散して行ったのか」「それは冒険心を持った強者によるものではなく、弱者が強者から逃れるためだったのではないか」という仮説です。もしそうだとすると、日本などは恐らくその吹きだまりであったはず。辛抱強くお行儀のよい日本人の特性もそのようなことにも関連あるのかな、と思ったのでした。「弱者がすべてにおいて弱者とは限らず、後世において以前の強者を圧倒することもあった」との関野氏の言葉も印象的でした。

阪神淡路大震災の時もそうでしたが、このような時になると、かつて日本人の持っていた辛抱強く、連帯感ある、行儀のよい特性が表面に出てくるのは嬉しいことです。これからの世代にも日本人の DNA として、是非このような特性を存続させ「艱難辛苦にしぶとい日本」を永続させて欲しいと願います。

◯ 原子力発電所の事故に思う

今回の震災による大きな2次災害が、津波の引き起こした原発事故。毎日のように、東電・消防・警察・自衛隊による命を賭した格闘が報道されています。原子力発電所というのは「核燃料の熱で蒸気タービンを回し発電する」意外にシンプルな仕組みなんですね。事故修復のポイントは、発熱を続ける核燃料をいかにして冷やすかという課題のようです。

素人の私が考えることですので理にかなっているかどうか判りませんが、このように考えます。原発は海水で冷却する必要があり皆海岸沿いにあります。原子炉を頑丈な隔壁に守られた地下に設置すれば良いのではないか。そうすれば万一事故が起こっても、容易に海水を引きこんで核燃料を水没することができる、、ああ、単純にそのような構造だと今回のような津波がくると、即、廃炉になってしまいますね。

それでは原子炉は地上にあって良いが、その周囲に 20 m 以上の高さの頑丈な防壁を廻らせる。今回のような事故にあっては防壁の中を水で満たす。うーん、どちらのアイデアも廃炉を覚悟ということですね。というようなことを考えていたら、次のような記事がありました。なるほど、最新の施設はそうなっているんだ、、

プルーム(放射性雲)で有害物質が世界中に飛び散る事態は誰もが避けたいもの。一度それが起こって(チェルノブイリ)、再びそれが起こるんじゃないかとみんな怯えているわけですが、あの旧ソ連の事故以来、原発の安全基準は上がっているんですよ。

確かに福島の状況は暗く悪化する一方に思えてしまいますが、今は幸いもっとダメージに強い原子力発電所も沢山あります。また原子力発電の研究開発ではかなり安全性を重視するようになっています。原発は諦めるには惜しい技術ですから、これは朗報です。

現在操業中のもので世界最新鋭のものは第三世代と呼ばれる原子炉です。1996年この日本で誕生したものです(残念ながら事故のあった第一の設営から数えると25年近く後)。これは人工武器・自然災害に耐える設計になっています。

アップグレード後の核設備は、例えばジェット機が直接ぶつかっても建物の方が勝つ構造になっています。実際、核施設破壊を狙って突入してきても、飛行機に勝ち目は全くありません。地震にも強く、東電が現在苦戦しているような運転上の問題も起こりにくくなっています。新しいタイプでは、安全装置がすべて受動なんですね(自分から何かしなくても解決できる)。全炉心溶融を封じ込める設計の「炉心キャッチャー」なるシステムも装備していますし、ピンチの際にも電力みたいな停電の恐れのあるものに頼るんじゃなしに、対流・重力・高温抑制といったものに頼る仕組みになっているのです。

で 1996 年以後の原発って何処だろうと調べてみました。2005年稼動の東通原発1号機(青森県下北半島)と浜岡原発5号機(静岡県)が最新鋭、あとは 1997年稼動の玄海原発4号機(九州)がありました。原子力に敏感な日本国民にとって今回の事故は「それみたことか」ということではありますが、広い視野で見た時、石油燃料に頼るべきでない日本にとって原発は捨てがたいエネルギー源と思います。しばらくはこれを維持しつつ、より安全でコストの掛からない発電を工夫していかねばならないのでしょう。それにしても何から何まで電気に依存してしまった現代の生活、これも今後考えていくべき課題と思います。

◯ 今月の歩術

3.11 の震災の2,3日後、計画停電などの影響で都内も交通機関が大きく乱れました。いつものように東京都医師会からの帰り、神保町から乗った時は普通の状態だったのですが「白金高輪から目黒までが不通になっておりますので目黒方面にいらっしゃる方は、三田で JR にお乗り換えください」との車内アナウンス。三田で停車したまま、なかなか動く気配がありません。最初は白金高輪から目黒まで、あるいは自宅まで歩こうかなと思ったのですが、ちょいと疲れていたこともあって「そうだ、西馬込行きに乗ろう」と考えました。戸越で降りれば家まで徒歩10分ほどです。そちらのホームへの階段を降るうち、すごい混み方で下のホームは人で溢れているのが見えました。「こりゃあ、2電車3電車待たないと乗れないな。じゃあ JR にするか」と、階段の途中で方向変換、 JR のホームへ向かいました。結構歩いて JR ホームへ着くと、こちらも同じような状況。「現在、電車は日本橋を出ました」とのアナウンス、「うわあ、こりゃあ、電車を幾つもやり過ごさなきゃ乗れそうもない」ということで「ええい、なら、家まで歩いたるわい」。

三田から自宅まで歩くことにしました。途中の裏道でナップザックを背負った私よりかなり背の高い会社員風の男性に追い越されました。恐らく彼も歩いて帰宅組だったのでしょう。歩きでは滅多に遅れをとることはないので「まあ、いいさ、長丁場になれば、どうせどこかで追いつき追い越せる」と思ったのですが、テキの速度は結構あなどりがたく、追いつけるどころか次第に距離を離され遂に見えなくなってしまいました。ううーん、世の中、上には上が居ることを今さらながら思い出すことになりました。ちょっと悔しいですが、あちらは上背もあるし、体力負けというところでしょうね。

◯ 緊急時のスプーン・コップ授乳

被災地への支援で、日本産婦人科医会 ML 上のトラフィックが非常に増えています。 小坂産病院@東大阪市の赤岩先生がこんなメッセージとビデオを作成してくれました。 被災地でなくても、若いお母さん方に知っておいてもらいたい知識として転載させて頂きます。

私から申し添えるのは「消毒には十分注意が必要」ということ。使い捨てスプーンや紙コップなどを多数入手するのは困難でしょうから、その場合は都度 煮沸したスプーンなど使うのが良いでしょう。以下は赤岩先生のメッセージと動画。

JAOG-MLの皆さん、小阪産病院(東大阪市) 赤岩です。

この土・日は当直で、ずっと病院内で仕事。少し余裕があったので、こんなビデオを作りました。もし良ければ、参考にしてください。本当の被災地では、まだ、YouTubeどころではないと思いますが・・・

http://www.youtube.com/watch?v=lyuglzThGJk

阪神大震災の被災経験も含めて、詳細は別のサイトで、解説しますが、大震災のストレスで、母乳の出が悪くなる人はたくさんいます。だからこそ、母乳が続けられる適切なサポートが必要なのです。

あるHPは「ストレスで母乳が止まることはありません」と言い切りますが、それでは、母乳哺育を続けられなかった人を、責めることになります。母乳育児サポートは大事です。でも、生きるのがやっとの現場では、データや文献は、役に立ちません。

# 震災救援、母乳育児支援、立場・手法は違いますが、何か出来ることをする。

◯ うちでも災害復旧

計画停電や交通機関の混乱、一時的モノ不足(マスコミに煽られた買い占めによるものと思いますが)など、「東京も被災地」という考えもありますが、 わがサイトにも色々と混乱がありました。院内 LAN が数日繋がらなくなってしまったのです。原因はファイアウォールのダウン。地震とは関係ないはずですが、往々にしてこういうものは伝染するのです。発症してしばらくは電源再投入で復旧していたのですが、1日を経ずして再起不能。こいつが DHCP サーバを兼ねていたこともあり、一時院内 LAN がストップしてしまいました。

このファイアウォールは二代目ですが、考えて見ればもう7年も使っており寿命がきても仕方がないのかも知れません。早速新しいファイアウォールを手配。地震騒ぎで流通もトラブっていることなどあり、ようやく3日目に新しいファイアウォールを入手。過去の長い経験から、ネットワークの設定ではいつも泥沼にはまることが多いので覚悟していましたが、半日もかからず復旧に成功。新しいファイアウォールとあって、以前のものとは大分ユーザインタフェースが変わり、ちょっと試行錯誤。

しかし振り返ってみると、やはり新しいだけあって今度のファイアウォールの方が設定も簡単ですね。基本的なところはウイザードで設定できてしまうものでした。試行錯誤があったのは、私がなまじ以前の知識を持っており余計なことをしたから。素直にウイザードに従っていれば、そう時間もかからず設定できたはず。得てしてこのようなものは一旦安定して動き出すと設定の仕方を忘れてしまうもの。早速忘れないうちに、自分なりの設定マニュアルを書きしたためました。

復旧するまでの3日間は、emobile の PocketWiFi で凌ぎました。丁度あの地震発生の日、セミナー会場のすぐ近くに emobile 販売店を見つけ、今度発売される PocketWiFi GP01 を注文したところでした。従来より3倍速いというのがウリ。地震の翌日発売ということで、翌々日に取りに行ってきました。LAN が繋がらなくなり「インターネットが繋がらなくなってどうしてくれるのよ」という奥方のお叱りを受け、新品の PocketWiFi はそちらに差し出すことになり、どれだけ体感速度が上がったのか まだ実感するところになっていません。

◯ 電子カルテの災害対策

院内 LAN がストップしてしまった数日間、電子カルテも繋がらなくなってしまいました。DHCP などが死んでおり DNS サーバとも繋がらないため、マシーンとマシーンが繋がらないのです(他の手を考えたのですが、色々な事情でうまく行きませんでした)。電子カルテサーバは Mac mini で動いていますので、ちっちゃな Mac mini だけ小脇に抱えて外来へ降りサーバ・クライアントを同じマシーンで動かせば問題なく使えるのですが、何とうちにはそれに繋げるディスプレーが無いのです。液晶になる前の古いディスプレーが1台あるのですが、最近の Mac mini に接続するアダプターが無いとか、色々と問題がありまして。

後日「もしかして」と外来の iMac の裏側をのぞくと、Mac mini とダイレクトに接続できる Mini DisplayPort がついていました「なあんだ、これで iMac を外部ディスプレイとして使えたんだ」。

最後の手段、PowerBook Pro に NOA のサーバをコピーして外来へ持参、それで3日間をしのぎました。ネットワークが復旧し従来のシステムが使えるようになったので、PowerBook の NOA データは削除。万一、外で落としたり盗まれたりし、カルテ情報が漏洩するとマズいですからね。現在の NOA 環境はこういう点は非常に楽です。MySQL のデータは一つのフォルダーにまとまっていますので、単純にそいつを他のマシーンへコピーしてやれば良いだけですから(MySQL を停止して行うこと。稼働中のデータをいじると DB の構造が壊れてしまう)。私のところのカルテは殆ど文字データだけですので、20数年分のカルテも PowerBook に入れて持ち歩くことが可能です。このようにコンパクトなのも、電子カルテ NOA のウリかもね。

余談ですが、LAN トラブルと同時進行で ORCA 用のプリンターも出力できなくなりました。ORCA のベンダーさんが出張修理に来てくれたのですが「プリンター自体の問題ですね。プリンター・メーカーさんに修理を依頼してください」とのこと。リコー・プリンターに電話すると非常に対応がよく翌日修理に来てくれましたが、何となく治ってしまった様子。修理のため電源を抜いたのでスプールに溜まっていたゴミが無くなって動くようになったのではないかと。でも、その前に何度も電源を切ってテストしたんですけどね。と、まあ、こんな風にトラブルというのは次々と伝染するものなのです。

◯ Web情報は証拠になるのか

以下は、ある雑誌に名和小太郎と云う方が書いたものの抜粋です。

「インターネット上では、万人がどんな情報でも流せる。また、すべての Web に関して その正確性を確認することはできない」「ハッカーはいかなる Web に関しても、いかなる場所、いかなる時間であろうとも、その品質を劣化させることができる。以上について法廷はまったく幻想を持たない」 「インターネットから取り出せる黒魔術的な情報は信頼できない。その代わりに、認証可能な様式のバックアップ資料としてハードコピーを求めなければならない」。以上の主張はテキサス南部地区連邦裁判所が、 つい最近 1999年に下した判決。伝統的秩序の維持をよしとする法廷から見ればこうなる。

法律家は常に新しいメディアに懐疑的で、20世紀前半、法廷は写真を証拠として扱うことをためらった。 「そこに修正や化学的操作を加えていないこと」を証明しなければならなかった。X 線写真について、これは深刻な条件だった。しかし 1970 年頃から司法の判断は変化し、写真技術を「撮ったままに見える」と理解できるものとした。そして 1988 年、コロンビア地区連邦控訴裁判所は ATM の監視カメラによる写真を証拠として認めた。現場に居合わせた証人もなく、監視カメラの信頼性を証明する人も居なかった。そして、その判決では 「技術と社会における写真の役割は変化しつつあり、法廷もそれに従って変化しなければならない」と、新しい意見を示した。

実世界では Web は急速にその数が増大し、社会に広く浸透するようになった。21世紀になると、 もはや法廷もこれを無視することができなくなる。まず、政府の Web であればその真正性を認めるという判断が下された。だが多くの私的な Web への要件となると「Web のプリントアウトが、サーバ上のコンテンツを正確に反映していることを示す証人が不可欠」「プリントアウトが Web の出力であることを示すには、当の Web の URL、 そこに記録された Email アドレスや電話番号」という判断が下されている。WayBackMachine というアーカイブには 1996 年以降、全地球的に Web のスナップショットが蓄積されている。これを公共的なもの、あるいは政府のアーカイブに準ずるとみなし、2006年から2010年末までに 22 の判決が WayBackMachine に言及している。

ほおー、なるほどねえ、私の Web site も WayBackMachine に収録されていることを、 何年か前に書きました。久し振りにそこを訪れてみると、1998 年から 2009 年までに数回、 私の Web site: www.ocean.shinagawa.tokyo.jp のスナップショットが保存されていました。

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区立平塚小学校跡地の工事風景

ユンボなどの重機が何台も動いていたのに、あれ?何もいない

東日本大震災ガレキ撤去のため駆りだされたのかも知れませんね

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です