2013.01 花アルトキハ花二酔イ

わーくすてーしょんのあるくらし ( 239)

2013-1 大橋 克洋

< 2012.12 カオスの中から新しい発想が生まれる | 2013.02 やはり歩かなきゃな、、 >

◯ 花アルトキハ花ニ酔ヒ 風アルトキハ風ニ酔フ

書道界の権威をきらい、三重県の田舎で暮らした書道の大家・榊莫山。この人の話は精神的な自由をもったユーモアのある語り口で思わず引きつけられたそうです。書画一体の数ある作品のなかに「花アルトキハ花ニ酔ヒ 風アルトキハ風ニ酔フ」という言葉があるそうです。私は榊莫山をまったく知りませんが、この詩に引きつけられました。

「人生の中では色々あり、良いことも悪いこともあるが、与えられたものを十分楽しみながら生きていこう」という意味に解釈しています。新しい年の初めにあたって、今年もそのような心境で過ごしていきたいなあ、と思うものです、、

◯ ダイアモンド

大晦日には久し振りに NHK の紅白を最初から終わりまで通しで観ました。facebook では「紅白では若い女の子達が元気だねえ。紅組の勝ちだったんじゃないの」という意見も。私が最も印象に残ったのは、もうそう若くもないプリンセス・プリンセスの曲「ダイアモンド」。かつて彼女たちが全盛の時代、私はプリンセス・プリンセスを知りませんでした。

昨年暮れ、特集番組を観たのですが、東日本大震災の復興支援の義援金を集める目的で一年間限定で再結成。解散してから現在まで音楽業界に残っていたメンバーも居たそうですが、多くが家庭に入って子供も作り、この世界からまったく離れ十数年のブランクを経ての復活。最後まで復活をためらっていたメンバーも居たそうですが「やはり、やって本当に良かった」という感想をもらしていました。

この紅白が限定復活を解く最後のステージだったそうです。私が感動したのは、非常にパワフル、リズミカルでノリのある演奏。YouTube で彼女らの過去のライブ映像を観ると、本来は舞台の左端から右端までリズミカルに駆けまわって唄いまくるのが彼女達のスタイルですが、紅白では恐らく規制があったのでしょう、それは出来なかったようです。ちょっと残念。曲名通りダイアモンドのような演奏で、東日本で被災した方々にも多くの元気と感動を与えたと思います。本当に女性の元気な時代、男性も頑張らなくちゃ、、

今になってから P・P にハマってしまい、YouTube の映像を次々と観ました。デビュー当時の若い頃から現在のものまで。あの元気いっぱいパワフルでノリノリの演奏スタイルはまったく変わりませんが、現在の方が若い頃よりずっと味があって良いですね。「歳を重ねるほどに味や深みのある人間になりたい」と思いました。自分にはまったく自信がないので。

「これで解散してしまうのはすごく勿体無いなあ」と思ったのですが「待てよ」と。精一杯のエネルギーと気持ちを込めた1年間の演奏生活を行い、皆に良い印象を焼き付けて舞台からフェイドアウトするのも一つの美学かなと、、

◯ 独学

私はコンピューターのプログラミングが大好き。これを仕事に繋げ「電子カルテ開発」が私のライフワークです。プログラミングは全くの独学で始め、現在まで繋がってきました。小学校から大学に到るまで、私は勉強は余り好きでない人間でした。しかし学校を出てからわかったことですが、好きなことについては自分で一生懸命勉強するようになります、、なので子供には「勉強しなさい」というのではなく、何か面白いこと、興味深い体験を与えることがとても大切だなあと、、子育てが終わってから気がついても遅いのですが、

そんなことで、何かを創造することが大好きな私、それに最も適したコンピューターのプログラミングを見つけてしまったというわけ。

年を経て気力体力の低下を感じはじめた頃、「心と体は車の両輪」であることに思い当たりました。そして身体の方も鍛えようと試行錯誤するうち始めたのが「歩く」こと。歩きを研究するうち巡り合ったのが中国武術でした。あれから10年、独学で中国武術にはまっています。プログラミングもそうですがこちらも、行けども行けども奥が深い。人生を終えるまで飽きることはなさそうです。

独学の好きな人間にとっては、とても良い世の中になりました。World Wide Web が現れましたからね。何でも居ながらにして調べることができます。歩いていても人と話をしていても、ちょっとわからないことがあれば胸ポケットからiPhoneを取り出しグーグル検索。面倒なら音声で検索もできる。この文章も iPad から音声で書いています。

◯ ネット回線をBフレッツからフレッツ光ネクストへ

NTT の Bフレッツ回線を昨年暮れにフレッツ光ネクスト:ファミリー・ハイスピードタイプというものに換えました。これに伴い NTT の工事が入りましたが、これは接続機器を交換するだけで極めて簡単。それから数日後にネットが切り替わるとのこと。ネット回線変更後の再設定では試行錯誤を繰り返しつつ格闘する経験を何度かしてきたので、ちょっと心配でしたが、変更点はネット接続の ID のみとあってあっさり繋がりやれやれ、、

今度の回線は今までよりややスピードが上がるのがメリットですが「実効速度の方は接続するユーザ数やトラフィックの状況により、むしろ以前より遅くなることもありますよ」と釘をさされました。確かに回線切り換え後も接続速度が速くなったような実感はまったくありません。しかし今までの B フレッツのサービスは間もなく終了するよしにて切り替えは止むを得ないところ。利用料が今までより少し下がるというメリットがあります。

Web を自前のサーバから挙げるということで固定 IP を取得していますが、Web もこのように Google へ移してしまったことでもあり、もう固定 IP へ執着する必要は余りなさそうですが「固定 IP を持っていると自前サーバならではのことが何かできるはず」という漠然とした思いがあり手放せないでいます。現在でも個人用フィルサーバが動いていたりしますが、これもセキュリティへのこだわりがなければもうクラウドへ移すことも可能な時代。

◯ 技術が進歩しても、人間のやることに変わりはない

1990年11月のこのコラムを読み返してみると、ハードディスクの容量その他が以前より圧倒的に増えるなど技術が進歩しても、実際に自分がやっていることは相変わらずの力仕事、「10年後、20年後もこんなことをやっているのかも知れない」と書いてあります。あれから20年以上過ぎましたが、まさにこれは正鵠を射ています。

前述のようにネットワーク接続が昔よりずっと楽になったなどあるものの、電子カルテ開発を行なっていると、その手間暇のかかることは30年以上前の初めてのパーソナルコンピュータでのプログラミング、プリンターもなくプログラムを大学ノートに書き写しデバッグしていた頃とさして変わりはありません。確かに現在ではプリンターも高機能のエディターもありますが、作業するデータ量や複雑さなど圧倒的に増えているからです。

これから20年先(て言うと90歳だぜ、、)になってももし身体がまだ動くようなら、きっと同じような力仕事をしていることでしょう。それが生きてるってことかも、、

その頃はロボットがかなり実用的になり広く普及しているかも。それでもきっと人間が力仕事しなきゃならない場面は無くならないんでしょうね。それより諸々の面を見ていると、どう考えても人類自体そろそろ絶滅の方向へ向かいつつあるのが気になります。「過去にあり得なかった速度でカビのように増殖を続ける高層ビル群」「他国のことなど考えることなく地球上の資源を食い尽くそうとする新興の国々」「森林を砂漠に変え増殖する人類」などなど。自然と共存してゆくには「必要な分だけを有難く頂いて生きる」ことと思うのですが、このバランスが完全に狂って留まるところを知らない。加速度的に共振を起こし自滅しかないでしょう。これも大自然の輪廻、地球上の歴史でほんの瞬きする瞬間でしかない。

◯ 今月の脳トレ

電子カルテ NOA 大改装に伴うユーザさんとの色々なやりとりも落着いて静かになると、手持ち無沙汰になってきます、、と思っていたら幾つかのリクエストがパラパラとあり対応。このように色々な方からの色々な要望へ対応することで、想定しなかったユニークな機能を実装できるので、リクエストもクレームも大歓迎というスタンスでいます。

さて残った懸案事項はユーザさんから要望の高い ORCA との接続。ORCA 側で HTTP サーバに対応してくれたので、NOA から ORCA のデータを取得できるようになっていたのですが、その後 ORCA 側の仕様が変わり再び接続できなくなっています。今までは HTTP プロトコルの GET を使っており、これですとうまく接続できていたのですが、現在は POST プロトコルを使うものが多くなっています。どちらも NOA から扱うのは容易なのですが、私がひっかかっているのは ORCA 側の BASIC 認証。つまり ORCA にアクセスしようとするとユーザIDとパスワードを訊かれ、これをクリアしなければデータをもらうことができません。GET プロトコルの場合はネット上からサンプルを見つけうまく行っていたのですが、POST でうまく動くサンプルを見つけられずにいます。

GET は URL とともにパラメータ渡しなので外から丸見えですが、POST は少なくとも URL にパラメータは付きませんし、GET より大きなデータを送ることができます。ORCA が POST 主体になったことは当然の方向性と思います。NOA でも GET を使ってきたのですが画像などではうまく行かず、最近は POST を使うことも多くなってきました。ただ NOA では BASIC 認証を使っていません。さあて、何とか BASIC 認証をクリアし POST を使う方法を見つけなきゃなあ、と思考錯誤しています。

◯ 今月の歩術

正月休みに入り、お節料理を肴にお神酒を傾けながら箱根駅伝を観戦するというような生活を続けるうち、あれよあれよという間に体重が増加の一途をたどっています。量としては大して食べていないはずなのですが、身体が必要とする以上に食べているということですね。暮れの休みに入ってから、ほぼ隔日に 6km から 9km 歩いているのですが、それ以外は家の中でじっとしているのが原因と思います。

散歩の途中、旧東海道が目黒川と交差する荏原神社で参拝してきました

荏原神社を Wikipedia で調べてみると西暦709年創建、和銅2年

あの和同開珎が発行された翌年なんですね、へえー

昨日は約 10km 歩いたにもかかわらず、今日測ってみると体重がまた増えている。今朝は気温1度でしたがとても良い天気、朝7時から歩きに出ました。夜明けからまだ1時間足らず、行き交う人は皆マフラーをグルグル巻き厚いコートで着ぶくれた姿でしたが、私は歩いているうち暑くなるのでスポーツシャツに薄い革ジャン。寒さにも大分馴れてきたので手袋をしない手先もそう冷たくはありません。正月4日、旧東海道の品川宿通りまで歩き、目黒川に沿って登り、かむろ坂を上がって、西小山駅近くまで周遊 11km ちょっと歩いてきました。家から御茶ノ水の東京都医師会までの距離と同じですね。

8km を過ぎると、下肢にやや疲労を感ずるようになりましたが、雲ひとつない青空と朝日を眺めながら、白い息を吐いて朝の歩きはとても気持ちが良い。大崎駅や五反田駅の近くではコートに身を包み鞄を提げて出勤する人達の流れを見かけました。私も東京都医師会理事の頃は今日から仕事始めだったなあと、、

考えてみれば「食べ過ぎて肥ったから減量のため体力を消耗させる」は本末転倒「身体の消費に見合う量を摂取」が正しいですね。それでも適度な運動は必要ですが。

◯ 減量作戦その後

成人の日の朝、東京にしてはかなり久しぶり本格的な降雪となりました。雪大好き人間の私としては、ビル風にあおられ渦を巻いて乱れ舞う綿雪、雪景色に見とれました。雪は夕方まで降り続きましたが、都心の積雪はたいしたことはありませんでした。

この朝から何か胃がもたれます。前夜食べ過ぎたわけでもないし消化の悪いものを食べた覚えもないのに、午後になっても「胃のもたれがとれないな」と思っていたら、夕方から完全な水様便。そういえば心なしかムカムカするような感じも。「そうか、昨秋から大流行の感染性胃腸炎というやつか」、幸い家族に同じ症状は出ず私だけで済みました。

それから4日ほどは一食抜いたりごく軽い食事。4日も晩酌抜きというのは私にはかなり珍しいこと。呑みたくもないし、呑むとまた具合が悪くなりそうで。体重増加傾向に歯止めをかけたいと考えていたところなので、これ幸いです。ところが体重減少は思ったほどでなくちょっとがっかりでしたが、これを転機に体重曲線は下方に向いてくれそうです。

昨日は残雪の中、東京都医師会から 11.5 km 歩いて帰りました。昨年夏の酷暑の中を歩いて帰ったこともあり、これで寒暖あわせ制覇したことになります。外気が冷たいので最初は神保町から大手町まで一駅歩いて電車で帰ろうと思ったのですが、大手町まで来ると寒さにも慣れてきて「ええい、行けるところまで行ってしまえ」ということでとうとう帰宅という次第。皇居二重橋辺りの広い芝生は、寒々と白い雪に覆われていました。

TV で、サハラ砂漠を踏破するサハラ・レースをやっていました。車による過酷なパリ・ダカール・ラリーの人間版。これは凄いですね、砂漠の猛烈な暑さの中、衣食住に必要な全ての入った 10 kg のザックを背負い、7日間で 250km を完走するというもの。トップの消防士さんは、まだ砂漠の温度の上がり切らぬうち1時間10 km のペースで早々と一日の行程を終了、砂漠で呻吟する他のレーサーを尻目に日陰で昼寝。体力さえあればこれは正解ですよね。マラソンとは言っても殆どの人が歩き。1日 40km 近い距離も結構なものですが、酷暑の砂漠の中の歩きにはとても自信がありません、当たり前か。

さて、ようやく胃腸の調子も回復しつつあり、さて食事を元に戻してからどの程度体重増加を抑え込めるのでしょうか。寒さにめげず歩きに出る・摂食など、自分との闘いですね。

◯ さらに重ねてもう一撃

感染性胃腸炎の症状は1週間ほど残りました。水様便は1日で治まったものの、私にとって最も明瞭な指標は「酒が呑みたくない」。しかし体重減少はさほどでなく、かろうじて横這い。ちょっとがっかりですね。で、胃腸炎発症の丁度1週間後の朝、何かちょっと咽頭に違和感。昨夜は夜中に3度も目が覚めたのですが、おそらく仰向けのまま眠ってしまい口を開けていたのだろうと思います。ここのところ空気がかなり冷たく乾燥しているので、いつも布団を耳のあたりまで被って寝ているはずなのですが、、

幸い現在大流行のインフルエンザではなく単なる上気道炎ですが、軽い悪寒が離れず寒さが身にこたえます。いつもは他人より薄着を信条としているのに、こうなるとからっきし駄目ですね。発症から4日ほど経て、ようやく悪寒もとれてきましたが、まだ酒を呑もうという気になりません。これは私にとっては、まだ調子が良くないということ。まあ、休肝日をとることもなかったので、これも良いでしょう。私は何でも良い方にとるひと、、

年齡を重ねると次第にこんなことが増えてくるんでしょうね。やだなあと思いつつ、まあ、やむを得んかなと。そんなことでここのところ、朝トレ、夕トレ、そして歩きも大分省略気味。来週くらいから戦線復帰できますかね、、

で、休肝日と言いつつ、そのさなかに毎月恒例の呑み会。今回で2年ちょっとになりますが、東京都医師会の元の理事仲間でやってきた「呑兵衛の会」。毎月次々と次の呑み会の幹事に誰か自発的に手を挙げるという、皆が楽しみにしている楽しい会。寒気がして体調不良なので休みたいところですが、今のところ私だけが皆勤。これは休むわけにはいかん、顔だけでも出さねばと出席しました。韓国家庭料理の店でマッコリを傾け「アルコールが回ればあるいは調子が良くなるかな?」と酒呑みらしい期待もありましたが、やはり不調。隣の松平先生から「大橋先生、今日は余り喋りませんね」と。予定通り1時間半ほどで早退させていただきました。咽頭炎にキムチは良くないと思いつつ、ちょっと食べてみるととても美味しく咽頭にも滲みません。キムチ系を結構沢山食べてしまったのですが、翌朝やはり咽頭痛が悪化。しかしそれも夕方には治まり、返って調子良くなったかな?などと、、

< 2012.12 カオスの中から新しい発想が生まれる | 2013.02 やはり歩かなきゃな、、 >

夕日にシルエットを浮かび上がらせる富士山と完成間近の平塚小学校跡の施設「スクエア荏原」

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です