IT と医療

2001.09.23 日本産婦人科医会 関東ブロック協議会講演より

東京産婦人科医会副会長 大橋 克洋

本日はなるべくわかりやすく、何か持って帰って頂ける ようなお話を用意したつもりでございます。少しでもお役に立てば 幸いと思います。IT と医療についてお話する前に、まず医療をめぐ る時代の流れについて見てみたいと思います。

ご存知のように、日本は今や世界に誇る医療システムとこれにと もなう平均寿命の延長を達成したわけです。現在、社会から求めら れますものは「高い医療水準」「誤りのない医療」「よりよいサー ビスとアメニテイー」ということで、考えてみますとどれも非常に 経費のかかるものでございます。

その一方で、自由経済の方が優れていることが明確になっている わけですけれども、医療だけは統制経済に突き進んでおります。わ れわれは、この非常に大きな矛盾をどうクリアするかと頭を悩ます わけです。

○ このような世の中の流れへどう対応するか

結論から申しますと「経営努力しかない」と思います。もちろん 医療でございますので、従来からの考え方で地道にやって行くこと も必要と思いますが、経営努力の中には発想の転換というものもか なり必要であろうということです。

ひとつの例を挙げますと、コンビニエンスストアというものがご ざいます。これは従来なかったような安い値段と、24時間営業と いう従来なかったサービスを提供するわけです。

一見このコンビニというのは、非常にシンプルでございまして、 店の殆どは陳列棚で占められ、片隅のカウンターに一人か二人の店 員がいるだけです。しかし、実際にその裏を見てみますと、最新の ネットワークにつながったコンピュータと、最新の流通システムが 動いております。徹底的に効率化されたシステムが、このような従 来考えられなかった画期的サービスを提供しているわけです。

最近は医療のコンビニ化というような言葉も見受けられますが、 決してそういうことをお勧めするということではございません。つ まり医療においても、こういう発想の転換、情報機器の利用という ことを、われわれも考えねばいけないということで例にあげてみま した。それにより、医療の質を上げ受診者の利便性を向上すること ができるのではないかということです。

○ 情報は占有するのでなく受益者と共有する時代へ

従来、情報というものは「独占することによりメリットがある」 という考えが強かったわけですが、これからは独り占めではなく受 益者と共有する時代に入ったと思います。

わかりやすい例を挙げてみますと、米国の情報のプロ中のプロ、 あるいはマル秘の親方である FBI、CIA あるいは軍関係、これらの ホームページでは猛烈な勢いで情報が発信されています。これは彼 らがまさに「情報は発信した方が勝ち」を認識している証拠です。 一方、医療は非常に閉鎖的というふうに社会から見られておりま すし、現実に医師会のホームページなどで、会員用のページを見る には暗証番号が必要なものを見受けますが、私はこれに絶対反対で す。「やはり医師会という団体は閉鎖的だ。あの中で何をやってい るのだろう」と、痛くもない腹をさぐられる逆宣伝を大々的にやっ ているに他なりません。

やはりそうではなくて、これからはユーザにとって便利なものを わかりやすく提供することが、大事なことだろうというふうに考え ております。

今や、どんなものでも調べようとすればホームページに載ってい ないものはないと言えるほど、いろいろな情報が公開される時代に なりました。ここだけは是非、医師の皆さんに頭を切り換えて頂か なければならないところです。

情報から隔離された状態でおりますと、患者さんにとってもお医 者さんにとっても悲劇を生むことになって参りますので、情報に接 続することは非常に重要なことになって参ります。

おわかりのように、戦国時代あるいはもっと古い時代から、情報 を持っているかどうかが勝負に勝つか負けるかの分かれ目でした。 それをこれから新しい考え方で見てゆくということでございます。

○ 機械化が進むほど人間性が必要

最近は電子カルテを導入された病院も増えつつありますが、その ような施設を受診した方から、「お医者さんはコンピュータ画面ば かり見て、こちらを見てくれない。脈もとってくれない」という不 満を聞きます。これでは「機械を便利に使う」どころか、「機械に 使われてしまっている」わけで、道具は便利に使わなければ本末転 倒ということになります。

先のコンビニの例でも、マニュアル通り動けばよいということで 素人のアルバイトでも店員が勤まるということですが、そのため店 員が最低限備えるべき顧客への挨拶や対応のまったく欠け落ちた店 員が増えており、コンビニ業界では店員の教育を見直そうという動 きがでているやに聞いております。

医療においてもこれから機械化が進んでゆくはずですが、これを 他山の石とし、医療では特に人間性を基本に、道具は便利に使うと いうことが一番のポイントであろうと考えております。

○ IT の利用は若い人材の活躍を可能にする

本日は、関東地区の指導的立場にいらっしゃる先生方が大勢お見 えですので、「組織におけるIT化」について触れてみたいと思いま す。

組織の活性化には若い人材の積極的活用が必須でございますけれ でも、若い医師は借財をかかえ子供さんもまだ小さいなど、生活に 追われ時間の余裕をとりにくいのが現状です。しかしITを活用すれ ば、自宅にいながら医師会などの活動に参加できることができるよ うになります。ぜひこれからはそのようなものを活用してゆくべき というふうに考えます。

委員会のデイスカッションや資料配付などは、ホームページや電 子メールで殆ど問題なくできます。実際に集まっての会合もなくす わけにはいきませんが、かなり回数を絞ることができます。

その良い例として、福山医師会の事例をご紹介します。福山医師 会では、理事者全員が電子メールを使用できる状況になっています 。理事会次第は事前にメールで各理事へ届き、資料は医師会 Hom ePage でいつでも参照できます。

理事会前に、理事者間でメールで意見交換を行い主なデイスカッ ションは済ませてありますので、顔を合わせた理事会では思いつき 発言も少なく短時間で決済するということです。

また、理事会に費やす事務局でのマンパワーも大幅に減少したと いう報告でした(人件費の節約にも貢献しているようです)。この ようなシステムになれば、理事者ならびに事務局の負担はかなり軽 減されることになり、かつスピーデイーに組織運営ができるように なります。

○ トップがその気にならない組織ではIT化が進まない

この会で特に強調しておきたいことは、多くの組織のIT化に関与 して感ずることですが、「トップがその気にならない組織ではIT化 が進まない」ということです。いくら、下部組織が情報化されても 、肝心の司令塔と連携がとれなければまったく役に立たないからで す。実際にトップの方が、どの程度それを使いこなすかについては いろいろあると思いますが、少なくとも姿勢としてそうことが非常 に重要であろうということです。

○ 積極的に情報化にとりくむ理由

われわれ産婦人科の対象であます女性は、もともと情報交換に非 常に熱心でございます。家庭においては、むしろご主人よりご婦人 方の方がホームページですとか電子メールを活発に利用されている 例をよく聞きますし、電車の中を見ても、若い女性の携帯電話の利 用率は明らかに高いことがうかがわれます。

現在のようにIT機器の扱いが簡単になると、むしろITの利用は女 性の方が積極的です。このように、われわれ産婦人科医の対象とす る女性が積極的にITに取り組む以上、われわれが無関心というわけ にはいかないのではないでしょうか。

一方われわれ医療の側での情報交換にとってもインターネットは 大変有用です。電子メールのメーリングリストという仕組みを使え ば、全国あるいは地球規模での情報交換やデイスカッションが「居 ながらにして」「気楽に」できます。この「気楽に」というところ が従来なかったところですが、こうして会場でお目にかかっても直 接口をきくのも恐れ多いと思うような先生方とも、不思議と気軽に お話ができてしまうのが電子メールの面白いところです。

日母で開いているメーリングリストには全国の産婦人科の先生方 が参加されていて、日常の大変役立つ内容などが気楽にデイスカッ ションされています。

○ 医業経営における三種の神器

産婦人科医療の経営は今後ますます厳しくなることが予想され、 経費のかかる都会開業が一番先に波をかぶることなります。そのよ うな中で、私にとって今や次の三つは医業経営になくてはならない 道具となっています。

  1. インターネット(Home Page/ E-mail)

  2. 電子カルテ

  3. 財務会計ソフト

電子メールやホームページは、患者さんとコミュニケーションを 広げるとか、私の考えを伝えるとか、いろいろな知識を身につける ためにも今ではなくてはならないものです。電子カルテについては 後で述べます。

財務会計ソフトはいわゆる「電子帳簿」で、特徴のひとつは「財 政面での近未来予測」です。毎月決まって発生する出費や、大凡の 収入などをあら かじめ入力してあるので、何月何日までにどこの 銀行口座にいくら入れておかなければならないとか、来月はかなり 財務状況がかなり厳しくなりそうなのでこの出費は後回しにしよう とか、かなり正確な予測と運用ができます。

○ 電子化最大のメリットは全体を俯瞰できること

カーナビゲーション・システムと同じですが、カーナビはなくて もある程度のことはできるのに比べ、財務のナビゲーション・シス テムはごくシンプルなものであっても、有ると無いとでまったく違 います。

これはコンピュータ利用についてのすべてに言えることです。こ の財務会計システムのように「肉眼で見えなかった全体像が見える ようになる」ところが従来とはまったく違う点です。これは電子カ ルテにも言えます。

○ IT 化にそなえ何から手をつけておくべきか

私がお勧めするのは、まずホームページと電子メールです。以前 はワープロをお勧めしましたが、電子メールはワープロの特徴にコ ミュニケーションの楽しみがプラスされています。

ホームページは「電子紙芝居」のようなものですから、使い方が とても簡単です。接続さえ業者などにやってもらえば、使い方は小 学校低学年でもできるほどです。

このようなものに慣れておけば、将来来るであろう電子カルテも 恐れることはありません。

もうひとつお勧めする理由があります。電話を考えて頂ければお わかりのように、情報機器は皆が使ってこそ威力を発揮するからで す。皆が電子メールやホームページを日常の道具として使うように なれば、皆にとってのメリットが高まるからです。

是非、明日からの診療に向けてトライしてみてください。東京産 婦人科医会では、このため昨年度から会員向けのパソコン・セミナ ーを定期的に開催しています。

○ なぜ電子カルテなのか

比較的長くややこしい文章を清書まで含めて、手書きとワープロ でやってみればわかりますが、後者の方が圧倒的に能率的です。た だし入力操作に注意をそがれてしまい、手書きにおける人間の思考 と密着した感覚はワープロでは少ないかも知れません。

電子カルテでも同じことが言えます。電子カルテの特徴を簡単に 挙げるなら、「高い操作性と生産性」「紙の上で不可能だったこと の実現」です。

最近では、もうひとつ「世の中すべての電子化の流れへの対応」 もあります。厚生労働省など国は、今後いろいろな面での電子化を 積極的に進めようとしています。社会も電子化へ向かっています。 医療だけがそれを無視するわけにはいきません。

実際に電子カルテで日常診療を行ってきた経験から言えば、もう 手書きのカルテにはとても戻れません。手書きではできなかった便 利なことが沢山あるからです。

わかりやすい例をいくつか挙げれば、全受診者のカルテから何か を検索することが簡単に手元でできる、受診者の過去から現在に至 る経過の概略を一目で把握できる、処方や紹介状、診療費の計算が 極めて簡単、など枚挙にいとまがありません。

面白いことに電子カルテを導入した方が異口同音に言うことは、 「電子カルテになってから、手書きの頃より詳しく書くようになっ た」ということです。これは省力化により、記述にさく時間がとれ るようになったこと、充実した記述に自分で満足感を感ずるように なったことなどにあると思われます。

○ 現状における導入の必要性は

さて、、、と言われても、実際に今導入する必然性があるのかと いうことです。結論を先に述べるなら「意欲的に取り組むならメリ ットはある」と言ってよいと思います。

それほどでもないなら「導入はもう少し待ってもよい」でしょう 。なぜなら電子カルテはまだ進化の途上にあります。すべてが額面 通り良いことづくめではありません。

意欲的に取り組む場合は、メリット、デメリットを理解しメリッ トの面だけを追求しますのでに導入のメリットは大きいのですが、 そうでない場合はむしろデメリットの方が大きいはずです。もう2 ,3年ほど待ってもよいかなと思います。

○ 日本医師会の ORCA Project

皆様は日本医師会が進める ORCA プロジェクトというのをご存じ でしょうか。ORCA とは OnLine Receipt Computer Adovantage の略 で、進化型オンライン・レセプト・コンピュータの開発プロジェク トです。

つまり電話回線などネットワークで接続されたオンライン型のレ セコンを開発しようというものですが、その真意には以下のような ものがあるようです。

  1. 医療のインフラ(情報の流路)を作る

  2. もっともメインの目的は、会員や医師会を相互に結ぶ情報ハイウ エイとしてのネットワーク構築です。その一つの手段として現在も っとも多く医療機関に入っているコンピュータであるレセコンをタ ーゲットにしたということです。

  3. レセコンを医師主導にとりもどす

  4. 従来のレセコンは色々なメーカーが主導権を握り、他のメーカー との互換性もなく、ソフトウエアとしても旧態依然としたものです 。ところが日医の ORCA プロジェクトが成功すれば、この後で説明 するようにもっとわれわれに解放されたものになります。

○ ORCA がもたらすもの

  1. オープン・ソースによる部品や知識の共有化

  2. ソースとはソフトウエアの設計図ですが、日本医師会はこれを公 開すると言っています。従来レセコン・メーカーが社外秘としてき たことによる互換性の無さ、法外な価格体系、進化の阻害などをこ れが解消の方向へ向ける可能性がでてきます。

  3. 設計図が公開されれば、力のある人はそれを改良したり、新しい 機能を追加したりできます。つまり、ある人の知識や経験をそこに フィードバックし、さらに他の人のノウハウを積み重ねてゆくこと ができるようになります。

  4. 迅速な進化・質の向上・コストダウン

  5. これによりかなり迅速に進化がすすみますし、大勢の人のノウハ ウをつぎ込むことによる質や使い勝手の向上、同じようなことを多 くのメーカーごとに開発する必要がなくなるのでコストダウンなど がはかれます。

  6. 電子カルテの実用化と普及を加速

  7. ORCA は電子カルテとの連携を考えていますので、これをきっかけ に一般開業医への電子カルテの普及への引き金になる可能性も高そ うです。

  8. 従来のレセコン同様サポートは必要

  9. オープン・ソースで無料配布されるということで、「今度日医は レセコンをタダで配るそうだ」と勘違いしている方もあるやに聞い ていますが、これは間違いです。

  10. 確かに設計図は無償で公開されますが、それを元に自分でソフト ウエアを組み立てられる人は極めて少ないはずです。通常は、設計 図を元にしたものをメーカーが作りそれを製品として売るという従 来と何も変わらない図式だろうと思います。

  11. しかし上に述べたようないくつかのメリットにより、従来のよう な囲い込みはできなくなるための価格の低下、また使い勝手の向上 も早いでしょうから、われわれユーザにとってのメリットは大なる ものがあると思います。

  12. オープン・ソースの時代

  13. オープン・ソースの時代になると、従来のようにソフトウエアに 価格をつけるよりも、それをめぐるサービスに費用負担がでてくる ようになると思います。これはまことにリーズナブルな状態と思い ます。従来は形のないものにお金を払うという考えは特に日本には あまり有りませんでしたが、われわれ医療がまさにそうであるよう に、これからは形の見えないサービスというものに対価を求めるべ きであろうと思います。

  14. これはパソコンだけの話ではなく、まさに医療にも当てはめるこ とができます。医療もまさにオープン・ソースの時代で、カルテ開 示に象徴されるだけでなく、医療の質を含めた無形のサービスにこ そ対価が認められるべきと言えましょう。

○ ORCA がもたらすもの

関東ブロック協議会では、私の開発した電子カルテ WINE のデモ もお目にかけましたが、紙面の都合もありこれはまたの機会にご紹 介したいと思います。