2013.12 iPhone で生活が変わった

わーくすてーしょんのあるくらし ( 250)

2013-12 大橋 克洋

先月の医療情報学会で宿泊した神戸 ANA ホテル

ホテル側の都合で部屋がスイートに変更というラッキー

< 2013.11 時には現場から離れることも必要 | 2014.01 道を知っていることと実際に歩くことは違う >

◯ iPhone で生活が変わった

iPhone が日本で発売され5年ほどになります。考えてみると iPhone 以前と以後とでは色々と生活が変わっていました。

手帳を使わなくなりました。30年以上前から、地元医師会、日本産婦人科医会、東京産婦人科医会、東京都医師会、日本医師会などの委員や役員を絶え間なくやってきたので、色々なスケジュールが日々頻繁に入ります。手帳は無くてはならないものでした。現在、手帳は iPhone に置き換わっています。データは Google calendar に置いており、自宅や診察室のコンピュータで共通に読書きできます。歯科治療を受け次の予約日を入れるにも、胸ポケットから iPhone を取り出しスケジュールを確認できます。で、胸ポケットには iPhone とともに相変わらず従来からの薄い手帳が入っていますが、こちらに記入することは殆どなく、パスネットや名刺入れの役目しか果たしていません。

辞書や電話帳を使わなくなった。これも Google や iPhone 付属の住所録で済んでしまいます。診察中でも何か調べるには目の前のコンピュータから検索できるのでとても便利になりました。TV でやっていましたが、Web の検索エンジン発達以前には色々な情報誌がその役目を果たしていたのが、今では殆ど見向きもされなくなったとか。

住所録については自作の住所録に沢山の住所を貯めこんできたのですが、いずれ Apple のクラウド利用へ移行しようかと思っています。ただ現状では自作住所録の方が年賀状の宛名プリントだとか幾つか便利な機能があるので、まだ年に数回は使わざるを得ないのです。

デジカメが不要になった。iPhone のカメラはどんどん高機能になっており、動画も撮影できるので、まったくデジカメは不要になりました。ただ望遠としては使えないので、馬事公苑で後輩学生の試合を動画で撮影し YouTube へあげる目的で、拡大率の高い一眼レフを別に使っています。

ちょっとしたプレゼンならノートパソコンも不要になった。iPhone の KeyNote アプリを会場の液晶プロジェクターに繋ぎ綺麗なプレゼンを提供できます。

録音用レコーダが不要になった。そう頻繁に使うものではありませんが、以前購入し便利に思っていた IC レコーダも引き出しの肥やしとなっています。

歩きの行動範囲が遥かに広がった。iPhone を手にする前からかなり広範囲に歩いてはいましたが、事前に地図本で経路を見たり Google map をプリントアウトし折りたたんだものを上着内ポケットに入れていたりしました。iPhone 登場後、そのようなものを準備したり持ち歩く必要がなくなったのは勿論、iPhone の Google map で現在地から目的地までの最短経路や距離、歩きながら現在の自分の位置などリアルタイムに確認できるようになりました。これで何が変わったかというと、Google map が示す今まで通ったことのない道や路地裏などを経験することができるようになりましたし、その安易さから行動範囲が遥かに広がりました。昨日も災害時のトリアージ講習を受けに大森赤十字病院まで歩いて往復してきました。大森日赤に行ったのは初めてで iPhone 前の時代ならそのような気も起こさず電車で行ったかも知れません。初めての道を歩くのは楽しいもの。

このコラムで何年も前に予想していたように、最近はクラウドの利用が増えました。一時頻繁に利用していた Evernote に代わり最近は Google drive をよく使っています。あとで見返したい医師会関連の資料をスキャンした PDF とか、飲み会の会場や参加者を記録したスプレッドシート(今年はいくつかの会の幹事役が回ってきているので重宝しています)、旅行の携行品チェックリストなどなど。書斎や診察室の iMac や iPad 出先での iPhone から読書きできるので便利。会合の日程などは同じ幹事の間で共有できるのも非常に便利。

その他、挙げればきりがありません。時計はもちろん、乗換案内、天気予報、ニュース、電子書籍などなど、そしてもちろん電話機として。胸ポケットに入れた薄っぺらな iPhone 一台がありとあらゆる道具となっています。こんな高性能コンピュータをワイシャツ胸ポケットに放り込み生活できるなんて、夢のような時代になりました。このコラムで数十年前から書いてきた以上のことが実現されています。本当に良い時代に生まれたなあと、、

今まで新しい iPhone に替えると古いものを家内や娘に譲っていました。今度の iPhone 5s もそうしようとしたところ、家内も娘も「自分で新しいのを買う」とのことで、家族3人が新しい iPhone 5s になりました。iPhone のシェアが android をしのいでいるのは世界でも日本だけとか。10月に日本でスマートフォンを買った人の4人に3人は iPhone を購入したことになるそうで、iPhone の 61% はドコモが占めていたそうです。大分前から考えていたことですが、ドコモはもっと早く iPhone を手がけていればよかったのにね。

Google の android には触手が動きませんが、ここに書いたように Google のサービスにはお世話になりっぱなし Google さまさまです。このコラムも Google site で発信しています。

◯ 今月の歩術

日曜の早朝、朝風呂から窓の外を覗くとまだ薄暗い中にぼーっと黄色いものが、、歩いて3,4分のところにあるお稲荷さんの大銀杏。今朝は大回りしながら目黒川沿いを歩こうと思っていたのですが「そうだあの大銀杏の写真を撮って行こう」。以前にも書いたことがありますが、石垣に刻んだ奉納者氏名に池波正太郎の名前を見つけたお稲荷さん。

写真が小さくて読めないが、右から2番めの石に「池波正太郎」の文字

銀杏の木の先端まで写すとこの2倍くらいになるので途中でカットしましたが、それでも石垣の文字が読めるほどにはなりませんね。ここしばらく日曜はいつも色々な行事があったりしたので、日曜早朝の歩きは1ヶ月振り。

昨日も日本医師会から大手町まで 7km 弱歩いたばかりですが、脚にはまったく残っていないようです。以前ですと、これだけ歩いた翌日には脚にきてしまってスムースな歩きはできなかったのですが。1ヶ月前までシャツ姿で歩いていましたが、流石に12月ともなれば薄手のジャンパー、それでもコース終盤、大鳥神社から目黒通りのだらだら坂を登る頃には寒風にもかかわらずちょっと汗ばんできました。

最近は目指してきた歩きもほぼ身について能書きを垂れることもなくなってきたのですが、それでも強いてまだ必要かなと思うのは「もっと上下動なく」でしょうかね。歩き終盤になっても歩度は余り落ちず足音も余りしなくなったのですが、それでも中国武術達人や忍びの者のように「砂浜を歩いても足跡が残らない」とまではいきません。これを完全に実現するのは不可能と思っていますが、それを目指し更に精進したいと思います。

今年始め頃、ちょっとウツ状態にあったことを書きました。解消されていたものの、今月中ごろから またなんとなく漠然とした不安感が心を覆うことが、、「生活の中に張合いがなくなったからかな」などとも考えたのですが「そうだ、歩けば解消するかも」。日曜の早朝、朝日を浴び7,8キロ歩くことにより不安感が消えてきました。やはり寒いからといって家の中でじっとしていることは、特にこの年になると精神衛生上非常によろしくないということですね、患者さんにも よくそう話しているのですが。使わないと錆びる、、

◯ 自然と共生する生きかた

NHK「世界一雨が振る島 -- ハワイ・カウアイ島 -- 」は面白かった。ハワイ最北端に位置するカウアイ島は、年に350日、雨が降るのだそうです。最初はずっと振り続けるのかと思ったのですが、振ったりやんだりで結構お日様の見える時もあるみたい。

それだけ雨が降るので山に雨が振り続けると鉄砲水の出ることも少なくない。そんな時は直ちに警察から島民達の電話へ「鉄砲水注意報」が発信され、橋にはパトカーが出て封鎖されます。年に数回は洪水になるので高床式の家も目立つ。水が出た時はサーフボードの上に立ちオールで水を掻きながら道を行き交う。レポーターが訪れた家は高床式ではなく普通の家「この辺りは洪水にならないの?」と尋ねると「なるよ、でもそんな時は家に居なければいい」。「床の高い家ではないの?」と尋ねると「この家が建ったのは法律ができる前だからね。高床式にしなきゃならないなんて面倒なだけだよ」。

裸足の島民の暮らしは非常に自然に近いものですが、警察の防災施設を見せてもらうとコンピュータを駆使した先進的なもの。しかし堤防などの治水工事はせず極力自然に近い状態を保つとのこと。欄干もない橋が水面直下で向こう岸と繋がっている橋を車が水しぶきを上げ渡ってゆきます。水位が上がり川の水が溢れても、もともと水に浸かっているので何も問題ないとか。「強いて堤防など築くとタロイモ畑より高くなってしまうからね。今のままの方が良いと思う住民が多いんだよ」「洪水になったらしばらく高い所で過ごせば良い」。

これを見て私は非常に共感を覚えました「洪水があっても災害とは考えない」「そんなこと当たり前じゃん」「水は溢れるものなんだよ」という考え。ただし忘れてならないのは、彼らにはそのような天変地異に驚かない自然への対応があること。現地の人が「ほら雨の匂いがしてきた。雨が降ってくるぞ」と言って5分もたたないうち熱帯特有のスコールが降ってきました。なるほどねえ、東京のど真ん中ではどうなんだろう。そのように鋭敏な鼻ならある程度察知できるのかな。案内人が靴を脱ぎ裸足で山へ登って行きます「大地のパワーをもらうんだよ」と。これは私も理解します、私の歩術もそのように心がけていますから。ただ流石に東京のど真ん中で裸足にはなれませんが、裸足に近い靴が欲しいなあとは前から思っていました。

◯ やはりオリジナルが一番

自分でサスペンションやステアリングをラリー仕様に変えたり、ヒール・アンド・トゥーやサイドブレーキを引いて信地ターンの練習など、以前はかなりクルマに凝っていたものですが最近では運転することもなくなり、クルマにはまったく興味を失っています。しかし Discovery channel でビンテージカーを探しだしてきてレストアする番組を見ていて「いま自分が欲しいとしたらどんなクルマ?」と考えてみました。

以前はウエーバーの3キャブを積んだレース仕様・ロングノーズの初代スカイライン2000GT、ブルーバード3S、BMW などに乗っていましたが、そのようなスーパーカーにはもう興味がありません。第2次大戦で米軍が使っていたジープ、雪のモンテカルロ・ラリーで名だたるスポーツカーを蹴散らし奮戦したモーリス・ミニ・クーパー、シトロエン2CVも良いな。初めて所有したクルマだったトヨタ・パブリカも面白い。

雪のモンテカルロ・ラリーで奮戦するモーリス・ミニ・クーパーS

それらは今でも市場に存在するんだろうかと Web で探してみました。ジープの類はあっても街乗り用に豪華になったものが殆ど。私が欲しいのはワイパーもドアもない吹きさらしのオリジナル軍用ジープ。ミニは今でも見かけますが、私が欲しいとしたら上から押しつぶされたようなミニでなく、アレック・イシニゴスが設計したオリジナルのミニ(モンテカルロ・ラリーで画像検索してみると殆どがミニ・クーパーの写真。ミニが活躍したのは長いモンテカルロ・ラリーの歴史のほんの一時期だったのですが、多くの人達にとってミニの活躍はそれだけ印象的だったってことなんでしょうね)。

考えてみると多くの製品において、最初のオリジナル・デザインが一番良い。想像するに、オリジナルをデザインした人間の意志が改訂のたびに反映されなくなってゆくのではないでしょうか。そうしてみると Steve Jobs が世に送り出したものは、改定されるたびにより良くなる場合が多い。オリジナルのポリシーが貫かれているからでしょう、、

◯ 父の愛した車の歴史を振り返る

父が、戦後この地に大橋産婦人科を再建し最初に購入した車は中古のダットサンでした。映画アンタッチャブルに登場するような黒い箱型の車で、日曜になると家族を乗せ銀座へ食事をしに行くのが楽しみでした。桐ケ谷坂上で車輪が脱落し車より先に転がって行ったとか、多摩川大橋の上で最高速度をだしたとか(当時は橋の上しか長い舗装路がなかった)面白いエピソードが幾つかありました。銀座への往復では必ずと言ってよいほど、何か故障が発生しエンコしていたのを覚えています。

次に父が購入したのがモーリス・マイナー。ブリティッシュ・グリーンの小柄で美しい車でした。後年モーリス・ミニを設計したアレック・イシニゴスの作品。その前が中古の煤けたダットサンでしたので、それは輝いてチャーミングに見えました。実際良い車だったと思います。日本ではフランスとの技術提携で国産化が始まったルノーやフォルクスワーゲンなどがどんどん増殖して行った時代。医師会でも自家用車を持つ先生が増え、車を連ねてドライブということも多くなりました。モーリス晩年の頃、日光のいろは坂でステアリングがスッポリ抜けてしまったとか、大雨の道路で急停車した途端スリップしその場で車が180度ターン、恥ずかしいのでそのまま帰ってきたとか面白い話もありました。

その後はルノー同様技術提携を受け国産化がはじまったいすずヒルマン、白とスカイブルーの綺麗な車。ヒルマンはその後何台か乗り継ぐことになりました。堅実で安定した車ではありましたが、個性がないというか私としては余り面白い車ではありませんでした。後から考えると、一度ワーゲンも購入すれば良かったのになとか。

そして私が大学卒業少し前の頃、父は何を思ったかプリンス・スカイライン2000GT を購入しました。モーターリゼーションも盛りとなり、モータースポーツへと向かう時代。スカイラインとともにレースで活躍していた いすずベレットGTの試乗にも付き合いましたが、結局購入したのはもっと強力な2000GT。第2回日本グランプリGTII 部門で生沢徹が乗り、式場壮吉のポルシェ・カレラGTS とまさかの一騎打ちをしたことで一挙に注目を浴びた車です。購入した2000GTのリアウインドーにはワークス・レーサー古平のサイン入りエンプレムが貼ってありました。GTII のホモロゲーション取得のため100台作られたレーサー・マシーンの1台でした。シフトレバーやステアリングはカチッとした感じ、レース仕様のアクセル・ペダルは重く、腹にこたえるようなエクゾースト・ノートの咆哮も凄い。夜遅く平塚橋の交差点を曲がってくる排気音で「あー、父が帰ってきたな」とわかりました。この後、父は脳溢血で倒れましたが、私はこの車には大変楽しませてもらいました。

◯ ついにレーザー兵器実用化へ

米ソ冷戦時代、米国で敵の人工衛星を撃ち落とすために研究されたレーザー兵器がついに実用化の段階に入りつつあるそうです。

イージス艦に搭載された対空レーザー砲のイメージ図

「ついに来たか」の実感。私は戦中生まれですが、戦後間もなく買ってもらった古本の科学雑誌に「殺人光線」というのがありました。「子供の科学」だったかな?表紙も破れてなくなっていましたが、2,3冊買ってもらいました。よく覚えていませんが本好きだった祖父から買ってもらったのではないかと思います。戦前の雑誌ですが今から考えても上質の紙を使ったものでした。空襲にやってくる敵機を探照灯のような殺人光線で撃墜する挿絵が載っていました。あれが遂に実用化に入りつつあるのかと感慨深いものがあります。

これが実現すると、火薬が発明され弓矢の時代から次のステップに移ったと同様の変化があるそうです。そうでしょうね。同時に、ドローンと呼ばれる無人飛行機やロボット兵士の実用化など、これらが安易な紛争や戦争を増長する可能性も指摘されています。人類の闘争本能を抑えこむこと自体は困難で、また副作用としての弊害もあるだろうと思っていますが、スポーツのようなもので闘争本能を十分発揮させつつ、世の中は平和で自然環境と融和した方向へ向かっていけないものかと強く思うものです。

◯ クラウド・サービスについて考える

高校同期会の ML が利用していた Yahoo の Mailng list サービスが来春をもって終了とのこと。「どこか他のサービスを探さなきゃ」というメールが流れてきました。つい数カ月前にもクラウドで提供されていた無償サービスの終了アナウンスを聞いたばかり。私は幸いこのサービスを利用していませんでしたが、こういうの突然云われても困りますよね。便利に使っていたサービスほど困る。

この「わーくすてーしょんのあるくらし」を数年前に自前サーバから Google へ移しました。「自前サーバのメンテからの解放」と「自前ではいずれ管理者の私が居なくなるとともに20年以上書きためた文章も消滅してしまう」と思ったからです。Google という会社が潰れることは当分ないだろうとの安心感でしたが、Google は健在でも突然のサービス停止という事態はこれまでもありました。この Google site のサービスがなくなると困るなあ、ということはありますが「まあ、その時は仕方ないさ」と開き直る気持ちも、、

クラウドはとても便利ですが、さすが「雲」だけあって誠に「はかない」ものなんでしょうかね。「ちょい乗り」には良くても「安心して寄っかかれる」ものではないということ。

◯ 去りゆく一年

さて、もう1週間もすれば年も明けています。今年を締めるに当り、ちょっと振り返ってみよう。うーん、色々な公職を退いてもう2年を過ぎたのに、まだあの虚脱状態が完全にはとれていない。朝ドラ「あまちゃん」が終わった虚脱状態を「あまロス」と呼ぶのだそうだが、自分のは何と呼べば良いのかな「役ロス」かな。自分ではあくまで公僕としての役職と思ってきましたが、他人から見ればまた違うんだろう。それはさておき来年こそもっと何かに生き甲斐を見つけなきゃ、、

ここ数年、2、3回続いて病院にお世話になった件も今年はなく、歩術の方もそれなりに安定してきました。都医に通勤していた頃ほど生き甲斐をもってではありませんが、それなり元気に過ごせたのではないでしょうか。

電子カルテ NOA の開発、今年もサラから書き直しに近い大改装を無事終え、ようやく安定してきました。基本から書き直したので予想どおりしばらくユーザの方々からのバグ・レポートや新機能のリクエストなどの波。それに対応してきましたが、今は森閑としています。これを幸い、NOA がもっと賢く動作するような仕組みについて水面下で模索中。Google がロボット事業に手を広げるというニュースがありました。最近のロボットでインテリジェント化が進みつつあるのに刺激を受け NOA ももっと賢い処理をするようにしたいとの思いから。電子カルテ開発はバリバリに行けており、これが今年唯一のプラス点かな。

来年へ向け今年の反省。歳のせいでちょっと気が短くなったのか、我儘な人が増加したのか、最近何度か患者さんともめることがありました。受付時刻を過ぎてやってきて、自分で診断をつけ処方まで決めてそれを強要されたりすると、ついムカッと思う気持ちが言葉の端にでてしまうようです。大学の同期会でも同じようなことを言っている同級生がいました。決して自慢できることではないので、来年はもっとゆったりとした気持ちで、わがままな人にも泰然と対応できるよう修行したいと思っています(すぐ、できるのかなあ)。

< 2013.11 時には現場から離れることも必要 | 2014.01 道を知っていることと実際に歩くことは違う >

毎月1回定例でやっている元都医理事9名による「呑兵衛の会」

とても楽しい雰囲気がお判りと思います。面白いのは毎月「手挙げ制の幹事」

手を挙げる人が多く3ヶ月先まで決まってしまうほど

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です