1998.11 コンピュータ、夢と感動の日々

わーくすてーしょんのあるくらし (11)

1998-11 大橋克洋

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コンピュータとつき合い始めてから、今年の暮れで丁度20年目 になります。コンピュータとのつき合いはまさに感動の連続と言っ てよいでしょう。 それを世話するため、実際には大変な労力と膨大な時間がかかる にもかかわらず、あの感動があるばかりにそれらの苦労も吹き飛ん で、またまた深くつき合うようになってしまいます(何か人とのつ き合い方を教えられるような気もしますね)。

別の面からみれば、コンピュータは麻薬かバクチのようなもので もあります。一度良い目をみたことがあるばかりに、その味を忘れ られずに入れ込んでしまうという。しかし、コンピュータは努力さ えすれば必ず成果を返してくれるというところが、麻薬やバクチと はちょっと違う点で、ますます深みにはまる点でもあります。

プログラムを書いていて、どうしてもある垣根を乗り越えられず 頭の中がぐちゃぐちゃになっても、ねばっていれば必ず解決する日 がくるのです。私は元来「来る者は拒まず、去るものは追わず」の さっぱりした性格だった(と思っている)のですが、どうもコン ピュータとつき合い始めてから、しつこくなったように感じます。 それは、どんなことでもかじりついていれば必ず解決できるという 味を覚えてしまったからでしょう。

素晴らしい思いは手軽に得られるものではありません。考えてみ ると、その前に大変な努力があって解決できた時にこそ、苦労の何 倍もの大きな感激となって返ってきます(オリンピックのウイナー には及びませんが)。 私が20年の間に感じてきた様々なカルチャーショックや、感激 の一瞬について、いくつか想いだしてみることにしましょう。

○ ビットマップ・デイスプレイとの出会い

まだ Mac が世に出る数年前、輸入コンピュータ発表会の案内が きました。PARQ という会社のコンピュータでした。その名前から して、現在の Mac や Windows の基礎をきづいた XEROX 社の技術 を持ってスピンアウトした人が起こした会社ではなかったかと思い ます。

会場で見たものは縦長デイスプレイで、モノクロではありました が、今では珍しくもないマウスを使ってウインドーを操作する画期 的なものでした。画面に表示されていた写真がとても高精細で美し く、書類もまるで本物の紙のように扱えたのを記憶しています。 結構値段は高かったと思いますが、何とか無理してでも買えない ものかと思ったものです(PARQ という会社はその後しばらくして 消滅してしまい、買わなくて正解だったようですが)。今から考え ると、XEROX 社のあの伝説のマシーン Alto を商品化したものだっ たのでしょう。

○ UNIX との出会い

BASIC, Pascal とプログラミング言語遍歴を経て、やがてそれで もやりたいことを実現するには限界を感ずることになった1981 年頃、C 言語について知りました。当時まだ C に関する本は東大 の石田晴久先生の本一冊しかなく、C といえば UNIX 専用言語とい う状況でした。一年ほど C の本を読んだのですが、コンピュータ というものは本を読んだだけではなかなか理解できるものではあり ません。

次の年、晴海で行われたビジネスショーで日本語の動く UNIXマ シーンを見つけました(当時まだ UNIX は珍しい時代で日本語の動 くものが出るとは思いませんでした)。早速その東芝製の UNIX マ シーンを導入し、UNIX と C を独学で始めました。

これが私の人生を大きく変えたことは間違いないでしょう。 UNIXは米国の電話会社 AT & T 社内で開発され、大学などにソー スごと無償で配布されたため、多くの研究者やハッカー(ハッカー は本来良い意味、ネットワークで悪さをするのはクラッカーなど) 逹が、改良を重ねたり自分が使いやすいように機能を追加したりし ながら発達してきました。

○ UNIX の Simple is Best の精神を知った時

UNIX の精神は何といっても「Simple is Best」につきます(そ の後多少複雑になってしまった面もありますが)。コマンド名は lsだとか ps だとか訳のわからない略称が殆どですし、「知らせの ないのは良い知らせ」ということで、端末からコマンドを打ち込ん でもエラーがなければ何もメッセージが返ってこなかったりしま す。初めての人間は面食らいますが、コマンドを頭に入れてしまっ たハッカー逹が少しでもスピーデイーに楽に仕事を進めたいという ところから生まれたものです。

UNIX の裏では Shell というプログラムが走っており、端末から 打ち込むコマンドはすべてShell が処理します。Shell は沢山の単 機能のプログラムの集まりで、たとえば ls というコマンドを受け 持つ Shell はファイル名のリストアップだけしかやりませんし、 catというコマンドは単にファイルの中身を端末に表示する機能し か持ちません。これら単機能の Shell を組みあわせることによっ て、レゴというプラスチック玩具を組みあわせるように色々複雑 な仕事ができてしまいます。

また、プリンターやハードデイスク、端末などあらゆる入出力デ バイスがすべてファイルとして扱えるなど、機能を非常にシンプル にしています。UNIX では基本的に単なるテキストファイルを元に いろいろな設定が行われるので、単にテキスト・エデイターさえあ れば何でもできてしまいます。 その他きりがない程、ユニークで素晴らしい機能を持っています が、この位にしておきましょう。

○ コンピュータからモデムを制御できた時

UNIX には UUCP という電話回線をつかってファイルのやりとり をする機能があり、これをつかって e-mail などの通信システムを 作ることができます。 今では何ということもなく簡単にできていることですが、UNIX からプログラム的にモデムをコントロールして電話をダイアルでき ることがわかりました(それまでは電話の受話器を音響カプラー装 置にはめこんで手でダイアリングしていました)。

色々とやったのですが、モデムはウンともスンとも言ってくれま せん。ある時友人が他から見つけて来たソースの一部を改良したプ ログラムでアクセスしてみると、何とモデムがダイアルを始めたで はありませんか、二人で「わあー」っと声を上げてしまいました。 まさに感激の一瞬でした。

○ 光ケーブルの端をのぞいた時

UNIX はマルチユーザ、マルチプロセスのシステムで、同時に複 数のユーザが使え同時に複数のプログムを平行して動かすことがで きます。今まで使っていた PC-98 なども端末として接続できると いうことで、1F の診療所から 13F の自宅まで光ケーブルを繋ぎま した。等価交換方式でマンションにする際、このようなことを見越 してコンピュータ用の配管をしてあったので、業者にそれを使って 光ケーブルを通してもらいました(単に RS-232C の途中を光ケー ブルにした比較的安価なものです)。

初めてつながった日、13Fの壁から出たケーブルの端をのぞい てみると、1Fの光ケーブル・アダプターが発している光が見えま す。1Fから13Fまでクネクネと曲がりくねって届いているはず のケーブルの先まで光がちゃんと届いているのに、妙に感心したも のです(内視鏡と同じではありますが距離がずっと長い)。

○ 電話回線と LAN を通してのチャット

ある日、13Fの書斎の端末の前で仕事をしていると、いきなり ピピピ、という音とともに画面に文字が走りました。あれ?と思う と、ローマ字で「オオハシセンセイ、ソコニイタンデスカ」という 文字です。コンピュータ仲間の高橋先生が、遠方から1Fの診療所 のモデムにアクセスして入ってきて(彼には私のマシーンにlogin できる許可を与えています)LAN 上を捜し、私が13Fの端末で 仕事をしているのをみつけてチャット(端末上で相互に会話をする こと)をかけてきたのです。

その後しばらくは二人ともこれが面白くて何度かチャットをした ものです。話が長くなってこちらは小用を催してきましたが、話が とぎれません。こちらから投げたメッセージにしばらく応答がない なと思っていたら、「チョット、トイレへイッテキマシタ。スミマ セン」という文字が出てきました。「しまったー、してやられた か」。

○ Mac そして NeXT との出会い

このように UNIX は私に多くの新鮮な感動を与え続けてくれまし た。同様に多くの感動を与えてくれたのが、Mac の出現、さらにそ れに UNIX のパワーが加わった NeXT の出現でした。UNIX につい て書いたような様々の新しい感動を NeXT は与えてくれました。

NeXT の OS は NEXTSTEP, OPENSTEP と名前が変わり、来年には Apple の MacOS X へと脱皮しますが、今も新鮮な感動を与えて続 けてくれています。そして、これからもそうに違いありません。 現在、電子カルテの開発を OPENSTEP で行っていますが、毎日が 感動の連続と言ってもよいでしょう。そろそろ紙面も尽きてきまし た。又の機会にしましょう。

この原稿を書いている本日、日本における iMac の発表会が行わ れています。さて iMac はパソコンの世界、世の中のパソコン・ ユーザのライフ・スタイルを変えてゆくことができるのでしょう か。現在の Apple の CEO である Jobs の英断はすぐに効果を表す ものと、数年後にその価値がわかるものとあります。 私は iMacについては、比較的前者の効果がありそうだと期待し ているのですが。

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