2009.09 MacOSX 10.6 Snow Leopard リリース

わーくすてーしょんのあるくらし ( 199 )

2009-9 大橋克洋

インド、ヒンドゥー教の象の頭をした「ガネーシャ」神。 最近、結構こういう神様 好きになり、先月中華街で見つけ 買ってしまいました。写真ではわかりにくいですが、 片方の牙が折れており、手が4本、お腹に蛇を巻き、 足下に乗りもののネズミ(写真向かって左)が居るのが特徴です。 伝説には諸説あるのですが、一説によると、 ネズミに乗って移動中、蛇に驚いたネズミが急に走り出し、 落ちたガネーシャは牙を折ってしまいました。 これを見て笑った月に 怒ったガネーシャは折れた牙を投げつけ、 蛇は お腹に巻いてしまったとか。 「シヴァ」神の息子で、 障害を避け幸福をもたらす神だそうです。 ネットワーク障害にもご利益あるのかしら、、

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○ MacOSX 10.6 その後の感想

Snow Leopard インストール直後の感想は 「聞いてはいたけど、前と余り景色が変わらないのは寂しいなあ」 でしたが、少しずつ違いが判ってきました。 多くは「ちょこっとしたこと」「使い勝手が良くなったこと」です。 エクポゼがドック機能に組み込まれたとか、 Finder でファイルを選択しスペース・キーを押すと、 ファイル内容をクイック・ルックですぐ見られるとか。

今回は全面 Cocoa へ書き直しということで、 ついに MacOS 9 の呪縛をすっかり捨て去ったのでしょう。 OS の占拠するスペースが Leopard の半分というのは、 考えてみれば「OS の半分近くが 古い OS を引きずるためのものだった」と言えるのかも知れません。 もうひとつ考えられるのは「MacOSX を iPhone へ搭載するため OS の大幅なシェイプアップが行われ、 その成果を Mac へ戻した」というのもアリかなと思っています。

これほど劇的効果はなかったのですが、 8月の電子カルテ NOA 大改装でも ソースの整理でサイズを大分縮小できました。 その他にツールを追加したり HELP を充実させたりしたため、 結局 全体としては肥ってしまいましたけどね。 電子カルテ開発も、実現したかった機能が一通り実現してしまうと、 気が抜けたようになってしまう時期が時々あります。 こんな時は今回の MacOSX のアップグレードのように、 ソースの大掃除・ブラッシュアップをするのも良いのかも知れません。 うーん、もしかすると今回 Apple は「Jobs の体調不良に同期して、 新しい機能を追加するのでなく OS の大掃除を選択した」 というのは考え過ぎでしょうか。いや、 少なくとも「Jobs が iPhone に力を注いでいる間、 OS 開発チームは OS のブラッシュアップに向かった」 というのは正しいのではないかと思っています。

現場復帰した Jobs はひそかに、かねてから期待の タッチスクリーン携帯マシーンに注力しているとのウワサ。 これで正真正銘の「ダイナ・ブック」や、スカリーの目指した「ニュートン」が実現するのかな、 今年中か来年早々には姿を現しそうで楽しみです。

○ とりあえず使えなくなったもの

OS が上がると、とりあえず使えなくなるものが出てきます。 WindowShadeX が使えなくなったことや、 自前メールサーバへの接続が、 どういうわけか非常に不安定になったことは レポート済みです。その後いくつか出てきました。

東京都医師会理事室の LBP。エプソンの Web サイトでドライバーを落としてきましたが、 インストールすると 「この OS には対応しません」のメッセージがでてアウト、 現時点では OS 10.5 対応のみ。 都医に行って印刷できないのは、しばらくちょっと不便そうです。

、、と書いて2週間足らず、EPSON の web site をチェックしてみると その LBP の OS 10.6 用ドライバーがダウンロードできるようになっていました。 ということで、問題解決。EPSON さん、偉い!

次は仕事に関連するもの。 古くは BASIC 時代から 移植を重ねて使ってきた「妊娠暦」。 最終月経から分娩予定日を 計算したり、超音波計測値から胎児発育度をプロットしたり する日常診療のツールが立ち上がらなくなりました。 これのサービス機能がうまく動かず格闘したのは、 OS 10.5 のことでした。技術情報不足もあり 未解決のままなのですが、これを機会に この長年のツールも Web アプリにしようかと考えています。 サービス機能に代わるものをどう実現するか 頭のひねりどころです。

正月に製作し、プログラミング能力復活の引き金となった 「宛名印刷ツール」も稼働停止。 宿題が続々とでてきてしまいました。それらの解決へ向けた格闘も 楽しみではあるのですが、取り組む時間の捻出がねえ、、

○ Mail 環境を変えてみて

考えてみれば25年前、インターネットが世の中に普及する前 JUNET や juice の頃から、メールは自前メールサーバで運用してきました。 それが自前サーバにこだわってきた理由でもあるのだろうと思います。 先月末その思いを断ち切って、メール・サーバを Gmail に委ねることにしました。

その感想は「快適」ですね。他にも MobileMe や東京都医師会のサーバなどからの メールも受信していますが、これらすべてを一旦 Gmail で受け、 それを私の使う色々なマシーンの Mail アプリから見に行くようにしました。 ocean のサーバには毎日 山のようにジャンク・メールが届き、 それをフィルタリングしていましたが、 今度は全部 Google の方でやってくれます。

度重なるシステムのバージョンアップの度に 以前のメールの移行がうまく行かないことが多く、 古いメールは否応無しに捨て去ってきました。 現存のメールは、今年はじめからのものだけです (それでも、あまり不自由を感じていないということはあったのですが)。

しかし今度からは、全てのメールが Google のサーバに保管されます。 Gmail の容量は default で 7365MB もあり、 追加容量を購入することもできますが、 ほとんど文字情報だけですので、今後メールで動画などのデカいデータが ガンガン飛び交う状況にでもならない限り、 私のこれからの一生分を賄うことができそうです。 唯一難点と言えるかどうか、、は、それら全てのデータが「あちら側」 すなわち Google のサーバに溜まることです。それを善しとするかどうかは その人の考え方です。私は今のところ「良いんじゃない?」と考えています。

○ Gmail の障害、原因は許容量の誤算

このような記事が cnet にでていました。

米国時間9月1日に発生したGoogleの約2時間にわたる「Gmail」の障害で多くのユーザが影響を受けた。原因は、同システムの許容量を誤算していたためであるという(中略) Googleは、信頼性の向上を狙い、Gmailのトラフィックをサーバに誘導するルータにいくつかの変更を加えた(皮肉なことに、変更のいくつかはサービス可用性を向上するためのものだった)。 そして、それが裏目に出てしまった。 いくつかのリクエストルータがオーバーロードを起こし始め、『トラフィックを止めてくれ、重くなりすぎている』とそのほかのシステムに伝えた。これにより、まわりのシステムの一部にもオーバーロードが発生し始めた。それから数分でほぼすべてのリクエストルータがオーバーロードになってしまった。

これと同じことが、日本の実社会でも起きてきます。 「産科医療の崩壊」です。「極めて厳密・過酷」で 「社会的・経済的に余裕のまったくない仕事」を求められるようになり、 身動きできなくなった産科施設がやむなく撤退を始めたのは、 もう10年から20年以上も前のことです。 一部の診療科の事情だけで撤退するわけに行かない大きな施設が 頑張って踏みとどまっていますが、 それらの施設への負担は増々重くなり、 崩壊が起こっているのです。

「信頼性を上げる」ため、 個々の事象の結果論だけにこだわったため 「全体としての信頼性」を極めて落としてしまったのです。 自然界では、個々の事象だけを見れば 極めてアバウトでいい加減としか見えないことが多いのですが、 全体としての信頼性を高く保っています。 極めて巧妙な仕組みです。

○ 今月の脳トレ

Snow Leopard になって動かなくなったアプリがあることを書きました。 いずれ待てば動くなるようになるものもあるのですが、 仕事に使うもの、しかも自作のものは自分で何とかするしかありません。 そこで「宛名印刷」のアプリを修正することにしました。 これが動かないと外来で封筒に宛名を書いたり、年賀状の宛名印刷でも不便です。

OS が上がってもコンパイルしなおすだけで 何ということなく動くことを何度か経験していますが 「見かけの景色は何も変わらなくても Snow Leopard の内容は大幅に変わった」ことを実感することになりました。 以前のソースをコンパイルしようとすると、 エラー・メッセージがでて進みません。 英文のエラー・メッセージ、どうも意味がわかりません。 リリース・ノートを読めと書いてあるのですが、 ややこしい動作を英文で見つけ解読するのも大変です。

「ええーい、スクラッチから作っちまうか」 スクラッチと言っても、まっさらなプログラムを立ち上げ、 以前のソースから copy & paste しながら 少しずつコンパイルすれば良いので大分楽です。 ところが、ところが、開発環境 InterfaceBuilder が大幅に変わっていました。 メイン・オブジェクトに Outlet や Action を設定するところが、 どう探しても見つかりません。 「あれえー、どこに隠れちゃったんだろう」 かなり根気よく探しまわったのですが、ついに降参、 リファレンス・マニュアルを読むことにしました。 「おおー、こんなところに隠れていたか」 わかってしまえば以前とそう変わりはありません。 というか、以前より進化していることは明らかです。

次に発生した問題は Java 。 Apple 社は Java を目指しているような雰囲気があり、 数年前から Cocoa アプリを java で書くようにしていました。 ところが方針変更したようで default では Objective-C のテンプレートしか出てきません。 再び Objective-C に書き直す必要があります。 幸いメソッド名がほとんど同じなので、 移植は比較的楽ではあるのですが、ひとつひとつ Copy & Paste しては Objective-C に書き直してゆくのは結構の手間。 Objective-C かなり久しぶりなので、忘れてしまったことも多く、 リファレンス・マニュアル首っ引きの移植作業でした。 あれえー、NeXT 時代から開発環境には 充実したサンプル・ソースが入っていたのですが、 3つほどしか入っていません。これも OS が大幅に変わって サンプルが間に合わなかったという証拠のひとつでしょうか。

そんなことでしたが、2日ほどで古い Cocoa/Java のアプリを 最新のものに書き直すことができました。落ち穂拾いのような根気のいる仕事ですが、 私にとっては大変楽しい作業でした。 余勢を駆って「妊娠暦」アプリも手直ししました。 脳トレとしても絶好の作業ということかな、、

久しぶりにコンパイル作業して思ったこと 「Web アプリのインタープリタ開発環境の方が楽だなあ」。 ソースをちょっと手直し、すぐ走らせられるので、 私のような落ち穂拾いプログラミングには時間のロスが少ないのです。

○ 電子カルテに画像添付機能を追加

Cocoa 版では画像をカルテに貼ることができたのですが、 Web 版 NOA にはまだツールとしてはありませんでした。 産科診療に毎日使う echo の写真をデジタル・データとして簡単に 取り込めるようになれば汎用するのですが、 まだうちの echo にはそのような機能がありません。従って 自分ではカルテに画像を添付する必要性がほとんどないため、 困っていなかったのです。しかしオープン化に向け そのような要望も強いはずと、 画像を貼れる機能を追加しました。

電子カルテ本体とは まったく独立した周辺ツールとして実現しました。 まだユーザ・インタフェースのダサイのが 自分としては非常に気に入らないのですが、 とりあえず必要な機能は満たしたものとなりました。 昨年でしたか、テキストでも何でも放り込める FileBox という Web アプリを自分用に作りましたが、 結局この機能を移植するだけで済んでしまいました。

画像添付のおまけとして、 テキストや PDF だけでなく、色々な形式のファイルの入ったフォルダーを、 丸ごと圧縮し zip ファイルとして添付できます。 これも実は Cocoa 時代の NOA にあった機能なのですが、 自分としては使うことは殆どなく、 デモの際カルテに放り込んでおいた動画を動かして 人をびっくりさせる楽しみくらいにしか 役立っていませんでした。しかし診療科によっては 便利に使ってもらえるかも知れません。

○ 伝票入力ツールを追加

9月の連休明けを期し、電子カルテ NOA オープン・ソース化の 正式アナウンス予定です。6月頃からはじめた準備もほぼ整い 「さて、ちょっと手が空いたかな」。こうなると手持ち無沙汰。 そこで「普段の診療で 使いにくい点は?」と考えてみました。 がん検診の結果説明のつど、 紙で届いた検査結果を電子カルテに入力する必要があり、これは私がやっています。 「その患者さんの電子カルテを開く」のは良いとして、 過去のページを開こうとすると それは原則書換不可なので 「強制的に書き換えますか?」とアラートが出ます。 毎回これに応えるのが 結構わずらわしいのです。大した手間ではないのに 「毎度だと わずらわしい」というのは現実によくあること。 心理的要素も大切です。

Cocoa 版 NOA の頃、この操作は誰何されませんでした。 「やはり、あれが良いな」と思います。しかし現在のシステムで あの仕組みはちょっと取りにくく 「伝票入力ツール」を専用に作成することにしました。 今までは検査当日のカルテを開き 検査結果を記入しましたが、 専用ツールで検査結果だけ入力できるようにする訳です。 今後、他の方にも使って頂くことを考えると、 検査結果はスタッフがまとめて入力するフローもあるはず。 このようなツールは喜ばれるかも知れません。 「ドクターは診療記録を入力」「事務は医事会計関連を入力」 「検査技師は検査結果を入力」という完全な分業を行いつつ 「結果としてのカルテはひとつ」という、 電子カルテ開発当初の私の理念に合致するものです。

「作成、場合によってはややこしいかな」と思ったのですが 2日ほどで出来上がり、連休明けの外来で使ってみるのを楽しみに、、 机上で考えたとき「これは絶対 便利」と思ったのに、 使ってみると全然便利でなかったり 「大したものではない」と思いつきで作った簡単なものが 意外に便利だったり。 「使ってみなければわからない」というのが長年の経験則です。

○ そして「電子カルテ NOA」のオープン・ソース公開へ踏み切る

自分専用に使ってきた Web 版電子カルテ NOA ですが、 他人様に使って頂けるよう6月から整備を進め、 ようやく 今月24日から公開 に踏み切りました。 この Web site や 私の関連する ML でお知らせする程度で、 特に大々的なアナウンスは考えておらず、 当分は「知る人ぞ知る」「徐々に浸透を待つ」という状況です。

ソースをオープンにするということは、 家の中をトイレから押入れの中から すべて一般公開ということですから、 まあ、私にとっても色々な思いや経験がでてくるのでしょう。 一番の動機は「世の中の電子カルテを、 もっと現場で使える快適なものにしてもらいたい」という気持ち。 長年それを待ち続けてきたが「ええい、 自分の電子カルテのノウハウを全て公開するから、 ベンダーさん達 もっと使えるものを作ってよ」ということです。

そしてもうひとつ、これからの電子カルテは、まず 「必要最小限の電子カルテ基本部分」があり、 処方箋、紹介状、医事計算、オーダーなどは 独立した「周辺ツール」として実現するべきという考えです。 ユーザは「基本部分」に自分の仕事に合った「周辺ツール」 を組み合わせて使う。20年前から、 「医療の世界は複雑多岐にわたるので、標準的電子カルテ実現は絶対無理」 と考えてきましたが、このようにすれば結果的に それが実現できるはずと思うようになりました。

そして、「有償・無償の周辺ツールがインターネットでシェア」 される状況、つまり「iPhone の世界を電子カルテに もたらしたい」ということで、 オープンソースがその引き金になれば無上の喜びとするところです。 「電子カルテ買っちゃったけど、ここの部分使いにくてしようがない」 という声は多々あるはずです。 そんな時は「ネットから拾ってきた周辺ツールで、 そこだけすげ替えてしまえば良い」 という世界を作りたいと思います。そして 「基本部分」「周辺ツール」は、同じ目的であっても いろいろなものがあってよいと思っています。

さて、どんな展開になるのでしょうか。 少なくとも「囲い込みをしたい」ベンダーさんにとって、 これは「とんでもないこと」であって、 「世の中、何も変わらない」ということかも知れません。 しかし少なくとも、ここ数年メールを頂いた 「是非 NOA を使いたい」という方々への回答にはなるのかなと、、

○ 今月の歩術

先月、思いついて始めた震脚の補助的トレーニング。 最初思ったほど劇的ではありませんが、長く続けると そこそこの効果がありそうな雰囲気。 「ネバい歩き」になったような感じです。 ネバいというのは、腰から下の力が充実するため、 ドシンと足をつくことなく滑らかな足さばきになる。 目指す「猫歩き」への方向性ということです。

先日 TV で、あるコンテストに参加した若い女性の言葉、 小さい頃から習ってきたクラシック・バレーの効果として 「バレーで培ったバランス感覚・安定性が、 皆の前で歩いたり、和服を着るのに とても役に立った」とコメントしていました。 彼女のバレーのレッスン風景、 高く美しく跳躍する姿は音もなく とても優雅、 まさしく猫のような身体さばきでした。

「ふーむ、まったく違う方向から攻めても、 行き着く所は同じになるものだなあ」と、 しごく当たり前のことに感心しました。 自称「歩術の研究」を始めて正味5年ほどでしょうか。 試行錯誤から出た色々な例えや意念について書いてきました。 読み返してみると、色々な言い方をしていても、どれも 間違ってはいません。しかし「当時は身体能力や経験がそれについていなかったため、 実際にはそれを実現できていなかった」と思います。

「イチロー、大リーグ 2000 本安打達成」の記事が踊っています。 彼はこのような試行錯誤を地道に日々積み重ね、この偉業を成し遂げているのでしょう。 おっ、今日は珍しい9並びの日付。あと30分もすると、 09-09-09 09:09:09 のタイムスタンプ。 同じことはあと 1000 年 待たないと起こりません。

○ 筋力によるパワー vs 敏感な感覚とスピード

イチローは それから1週間を経ずして「9年連続200安打」 の偉業を打ち立てました。

「1990年代から2000年代前半の大リーグは、 パワー偏重が支配的だった。筋肉増強剤など 薬物の力を借りた選手も少なくなかった。これに対しイチローは 力技に背を向け、敏感な感覚とスピードで大男達に伍し 歴史に名を残した」と。 イチローは「体がでかいことには、それほど意味がない。 大きさや強さへのあこがれが大きすぎて、 自身の可能性をつぶしてしまう人が多い。自分の能力を生かすことで 可能性は広がる」と述べています。

昨夜の TV で、暴投に類するボールを含め 広範囲を打てる イチローの能力を高速度カメラで横から撮っていました。 見ていると、まだまだボールがやってこない ずっと早い時期から 体制を固め、ボールを打ちにかかっています。 彼の反応が いかに敏感で速いかを物語るもの。 そして腰を確実に安定位置へ持っていっています。

そう、これこそ中国武術の極意に相通ずるもの。 私も最初は「筋トレ」ということで、鉄アレイ代わりの 水の入ったポリタンクや腕立て伏せなどで、 筋肉の増強に努めていました。しかし、 中国武術と出会い、その素晴らしさを深く知るうち 「筋肉の増強はスピードを殺すだけ。最大の威力を発揮するには、 いかに力を抜けるかにあること」「何をおいても腰の安定から」 を理解してきました。

イチローの「毎日小さなことを積み重ねる だけが到達への唯一の道」というのも 「毎日、毎日、小さなトレーニングを重ねる」 中国武術の「巧夫(ゴンフー)」そのもの。

○ 生き残りに必要な強さ

曾野綾子さんの書くものには共感するところがとても多いのですが、 小学生に向けた「優しい英雄になるために6つの提案」を読みました。 「生き残りに必要な強さ」という言葉も使っています。 その中で強く共鳴したものを2つほど。

ひとつ目は「勉強は独学」。 子供達に、掃除、洗濯、簡単な料理などを少しずつ学ぶよう薦めています。 そして「人が教えてくれると思って当てにしてはいけない」 「災害があれば、皆自分で工夫して生きていかねばならない。子供だからといって、 毎日の生活の責任を担わなくていいということはありません」と述べています。 私も、学校で教わったことで役に立っていることは 多いのですが、本当に役立っているものは 「独学」で身につけたものの方が ずっと多いように思います。 コンピュータのプログラミングなどは、完全に独学です。 「独学だからこそ身に付く」のだと思います。

ふたつ目は「荷物を持って歩けること」と述べています。 「あなたが何歳かわかりませんが、アフリカや南アメリカ、アラブの子供達は 5キロや10キロ、時には重い水や燃料の容器を頭に載せて歩きます」 「ギリシャ人は、歩くことと、生活することを、 同じペリパテゥオウという言葉で表していました。 つまり歩けない人は 生活していないということ」。

現代では、このようなことを書くと 「歩けない人を侮辱、差別している」などと非難されます。 それは、とてもおかしいことです。ちゃんと思考の回る人間であれば、 これがそのような意味でなく「健常な人へ向けての生活の薦め」 であることが自明の理のはずですから。

「歩く」ということは、人間を含む動物にとって 「基本中の基本」と思います。自然界において「歩けなくなる」ということは 「食べ物を採ることができない」つまり「生きていけない」と同義語です。 「独学」も似たようなところがあるかも知れません。 自然界で、動物の親は幼い子供達に一生懸命「生活の知恵」「生きてゆくための知恵」 を教えます。しかし、それは短期間で集中的に行われ、 一旦親元を巣立てば「自分の力で自分の頭を使って 応用力、生活の知恵を伸ばして行かなければならない」のです。

現代の若ものの、何割が このような生き方をしているのでしょうか、、

○ 旅は行き当たりばったりがいい

祭日設定が変わり、9月として始めての4連休。 他人と同じことをするのが嫌い、へそ曲がりの私は 行楽地へ繰り出す人並みを尻目に、 まとまった時間を自宅でゆっくり堪能しました。 まとまった時間の過ごし方と言えば、 言わずと知れたプログラミング三昧。

16日ほど夏休みをとり、小学生・中学生の子供を連れ家族4人 スエーデン旅行のブログを読みました。 ストックホルムをガイドブック頼りに歩いていたが 「テーマパークみたいな場所はおもしくない。 街をぶらぶら知らない路地を歩いて一周したら、 この街はこうなんだなってわかる気がする」と言うご主人 「その通り」と思ってそうしたそうです。 私の好きな TV 番組「世界の街歩き」ですね。 そして旅ががぜん面白くなったとか。名もない路地裏、 マンションの間を抜けていったら中庭やバルコニーの洗濯物。 エリアごとに住民の雰囲気の違いも見えてくる。下町風、 ハイソサイエティー、ガイドブックにない食堂に入り、 旅で一番おいしいピザになった、とか。

これは言えるでしょうね。 私も京都や熊本を街歩き、勘で入った小さな店がピンポーン、 大当たりだったことがあります。

さあて、今晩は医師会の休日診療当番。 連休で目一杯出掛け「具合が悪い」という人が 山のように訪れるはずです。 世の中はこの春からの「新型インフルエンザ」騒ぎ、 合宿や塾などで大伝搬し猛威をふるっています。 本当に休日の医療を必要とする人達なら、やり甲斐があるのですが、 最近その8割から9割が「家で静かにしている方がずっと良いのにな」 と思われる人ばかり。しかも常識はずれの我がままな人ばかり どんどん増えているのがイヤです。 こちらも半分ボランティアですが、 そういう人に限って自分のことは棚に置き、ひどい「逆切れ」するのです。 さあて今晩は、どんな夜になるのでしょう、、

○ 横須賀軍港めぐり

馬術部先輩に誘われ「YOKOSUKA軍港めぐり」のツアーに行ってきました。 横須賀港は旧海軍の鎮守府が置かれた軍港で、 現在は海上自衛隊と米国海軍とが共有しています。 曇っていた空も昼には晴れ、9月最後に夏のような陽気、 船上の爽やかな海風がとても心地よく、やや日焼けして帰ってきました。

上の写真は日本海海戦で東郷元帥を乗せた旗艦「三笠」。 昔、幼い子供達を連れ見学したことがありますが、 それ以来ですので30年振りでしょうか。 今回よく見てみると 帆船時代の構造を受け継いだ部分が随所に見受けられました。 あの頃は、まだ帆船の影響が抜けなかったのでしょうね。

当然ながら色々な面で近代戦には程遠い旧式な部分が多い中、 主砲はかなり立派なもの。大きさだけから言えば 第2次大戦当時の軍艦にも匹敵しそう。

中央の大きめの艦は、昔の「愛宕」「高雄」「鳥海」クラスの重巡洋艦に ちょっと似ていますが、掃海母艦「うらが」。 中学生の頃から軍艦は大好き。 近代のものより第2次大戦当時のものの方が 風格がありましたね。勇壮に煙をはいて進む艦隊の姿は、 ペン画に絶好の題材でしたが、近代艦はあまり絵になりそうにありません。

米軍側の岸壁には世界最大の原子力空母が舫ってありました。 横須賀基地配備、第7艦隊の「ジョージ・ワシントン」 (Wikipedia で調べてみると、 同型艦10隻の中に今年1月就役したジョージ・ブッシュというのもあるんですね)。 機密上のこともあるのでしょう、 近くから写真に収めることはできなかったのは、とても残念。 その隣には、海上自衛隊最大の艦船である ヘリコプター母艦「ひゅうが」が停泊していましたが、 これもお尻しか見えなかったのは残念。

海上自衛隊の「おやしお」型潜水艦。艦尾に軍艦旗を掲げ、 純白の服を着た当直が立っていました。テロを警戒してのことでしょうか。 遊覧船の乗客が手を振ると、手を振り返してくれました。 自衛隊の PR を兼ねてのサービスなのでしょうね。 後は米イージス艦。潜水艦基地だけは、米軍基地側にあるのだそうです。

南極観測船「しらせ」。実はこれは「しらせ」2号艦で、 現役を引退した1号艦もその近くに停泊していました。 考えてみれば、南極観測船も海上自衛隊 護衛艦の1隻だったんですね。 これもかなり大きく最大の護衛艦に見えました。

○ インドネシアの影絵芝居:ワヤン・クリ

TV でインドネシアの影絵芝居の紹介を見ました。 細かい細工をして切り抜かれたペラペラの人形を、 手足につけた操作棒で器用に操っています。 時に人形は宙返りをしたりもします。 荒い操作にも耐えられそうなペラペラの影絵人形は、 見たところ下敷きのように薄いプラスチック板を カッターで細かく切り抜いて作ってあるように見えるのですが、 人形本体は水牛の皮、操作棒は水牛の角で作られているのだそうです。

影絵人形なのに、人形は彩色されています。 スクリーンに映ったシルエットを見るだけでなく、 何とその裏側から見るのもアリなのだそうで、裏表、両側に同じくらいの観客がいました。 確かに、人形遣いの即興を交えた巧みな技や語り、 巧みな人形の動きがどのように操作されているのか、 劇を盛り上げるガムラン音楽の奏者たちは、と見所はいろいろあります。

ここまでは前振りで、言いたいことはその後です。 何と悪い神が、「自分の得になることばかり考えるのではなく、 周りの人のことを考えて動くことが 自分への得を招くのだ」というようなことを言って、人間を説教していました。 「なーるほどなあ、物質文明だけ進んでしまった現代の日本より、 ずっと民度が高いよなあ」と思ったものです。 人生の深い示唆に富む「イソップ物語」など、 ハナもひっかけない現代の風潮を 心から嘆くものです。

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これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です