1999.05 脚光を浴びるようになった Linux

わーくすてーしょんのあるくらし (17)

1999-05 大橋克洋

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世の中は昨年あたりから Linux が急速に一般社会におい ても脚光を浴びてきました。ご存知の方も多いと思いますが、これ はUNIX に準拠した OS ですが、最初北欧の一人の学生が自分のた めに作った OS をインターネットでソース公開(ソースとは、プロ グラムの元の設計図のようなもの)したのがきっかけで、賛同する 人達に支持され、大勢で改良を重ねそれをまた公開の場へ戻すとい う良循環を作ったものです。

もうひとつ特徴的なのは、ソースは完全にフリーだが、それをサ ポートすることを商売にしても良いという条件がついていることで す。これにより企業など安定性を重要視するところでも、安心して 利用できることになり、更に良循環に拍車をかけています。

このようなことから、世界を制覇したマイクロソフト社も、真剣 に Linux を驚異として受け止めているようです。Linux の開発者 には、そもそもマイクロソフトを倒そうなどという発想は毛頭ない のが対照的ですね。彼は、現在米国のソフトウエア会社に勤務して いますが、給料が良いからということではなく、やりがいのある面 白い仕事ができることに満足しているそうです。

○ その昔 UNIX フィーバーの再現

マスコミの報道では余り触れられていないことが多いのですが、 Linux フィーバーは、その昔 UNIX のソース・コードを、開発元で ある米国の電話会社 AT&T が、大学などの教育機関にフリーで提供 し、その頃のハッカー達が熱狂してきた事の再現です。 当時バークレイ大学の学生達が、AT&T の UNIX に色々な機能を 付加して、その後 BSD UNIX(バークレイ版 UNIX) と呼ばれるよう になった優れた UNIX system を作り上げました。

あの時、皆が熱狂したのは、自分たちがソースに触れることがで きるので、「皆で財産を共有してどんどん良くしよう」という点で した。つまり、タダで手に入れても、それを改良したり、レポート したりして皆に還元しようという文化が当然のように伴っていまし た。この精神が Internet の黎明期へと繋がって行ったのです。当 時は本当に善意の人々のコミュニテイー、良き時代でした。

これは今から15年前後前のことだったと思いますが、私も当時 ソースを読みたいと思っても、大学など教育機関にいない個人の資 格では高い料金を払ってソースを買わねばならず、指をくわえてな がめるしかありませんでした(そうそう、当時のソースはのテープ の形態で提供されていたと思います)。 このような時代が源流にあって、現在の Linux を産むことに繋 がったわけです。

○ タダだから良いってものではない

マスコミや一般の人々の受け取り方をみていると、「無料で手に 入れられる」ということが強調されすぎているような気がします。 現在の福祉行政のように「タダだから」という安易な受け取り方 は、決してよい結果を産まないと思います。そこには「受益」だけ で、「自分も義務を果たす」ことが抜け落ちているからです。 そんなわけで、今回の Linux 騒ぎにはちょっと覚めた目でみた りしていますが、もちろんこれはとても良い流れと思います(よう やく、一般社会もこのような文化があることに気づいてくれたか と)。

このような流れは UNIX の世界では「文化」と呼ばれてきまし た。コンピュータの発展は、それにまつわる文化の発展と二人三脚 でなければならないと思っています。でないと、自分の利益しか考 えない悪いことがはびこり、四角四面で住みにくい規制の世界に入 らざるを得なくなることは、現在のインターネットの世界を見れば おわかりのことと思います。夫々が自分の本文を守りながら、皆で 共存し、自由を謳歌するのが理想なのですが、ものごとは広く行き 渡ると必ず濁ったものも混ざってきます。

ある閉じたコミュニテイーの中だけで扱われているうちは良い が、一般社会にオープンになるとともに、それに当然付随していた はずのモラルがはずれ低下してくる。これは大変困ったことです。 世の中には、いかに私利私欲だけで考えの浅い人が多いかというこ となのでしょう(そういう人に限って、他人のことは目一杯非難し たりしますね)。

昔の人はこれをよく心得ていて、そのために「お作法」とか「し きたり」などという形で、自己規制するようにしてきました。科学 技術は進化しても、文化が退化していくのはとても残念なことで す。 これは、気のついた人間が何とかしなければなりません。私は、 機会あるごとにこのような文章を書いてきました。ノミがゾウと闘 うようではあっても、少しでも住みやすい世の中にしたいと思うか らです。

○ GNU プロジェクト

その他にも私が熱狂してきたものに、GNU プロジェクトがありま す。こちらももっと脚光を浴びてよいはずなのですが、一般の人々 に直接使われるソフトウエアまで下がってきていないからなので しょうね。

これは、リチャード・ストールマンという天才的プログラマーの 主催する FSF(Free Software Foundation) という組織の活動で す。「誰でもが利用する基本的なソフトウエアは、空気や水のよう にタダであるべきである。一方、それをサポートすることについて お金をとるのは当然である」という考えです。 私は、この考えはとても「合理的」な考えで、良いソフトウエア を普及させるためには、もっと一般の人々にも知ってもらい推進す べきことと思っています。

そこでは賛同する人達から寄付を募って、そのお金で優秀なプロ グラマーを雇い、優れたソフトウエアを開発して配布する活動を続 けています。最初、商売にするつもりがなかった(社内の体制で商 売できなかった) UNIX を、AT&T がその後商品として扱うように なってきたため、そのライセンスに抵触しない UNIX を作って無料 で配布してしまおう、というプロジェクトもありました。しかし、 本格的なものになる前に Linux が出現したので、現在 FSF はこれ をサポートしているようです。

GNU で有名なのは「Copy left」という配布条件です。これは 「Copy right」をもじったものですが、「そのソフトは誰でもコ ピーして利用する権利を持つが、誰にでもコピーさせてあげる義務 もある」というものです。 ストールマンは、時々日本にも来ています。長髪で髭ぼうぼうの ヒッピー風で、見かけはその後世間を騒がせた麻原ショーコーに似 ていたりしますが、中味は大違いの大変優秀な人です。

私が彼を知ったのは UNIX の世界で圧倒的なファンを持つ Emacs というテキスト・エデイターを知った時からです。Emacs に ついてはこのエッセイでもたびたび書いてきましたが、中に Lisp 言語が組み込まれていて、Emacs 自身の機能をどんどん拡張でき るのが大きな特徴です。私の第1世代電子カルテは、まさに Emacs の中で実現しました。 私の唯一の Windows machine であるメビウス・ノートで使うエ デイターとして、しばらく「秀丸」を使っていました。しかし、会 議の議事録をとるなどしていると、やはり使いにくく、どうしても Emacs を動かしたくなりました。

今なら、Windows でも動くものがあるはずと Web で捜すと、 Windows に移植されたものが見つかりました。早速これを ftp で 持ってきました。Meadow とう名前のソフトウエアです。 日本語設定やコントロールキーの位置変更などに、ちょっと手間 どりましたが、これも Web で情報を集め、無事インストールでき ました(便利な世の中になったものですねえ)。この類には「Emacs もどき」も多いのですが、Meadow はしっかり本物を移植したもの で大満足です。

やー、快適、快適、水を得た魚のように原稿が打てます。 Emacs さえあれば OS なんぞ何でも構いません。 昔、このエッセイを他の雑誌に連載していた頃、「今後携帯型の コンピュータを買うのは、フルスペックの Emacs が動くマシーン だろう」と書いたことがあります。ついにそれが実現しました。

○ 情報は公開した方が勝ち

私は医師会のホームページがらみで、「これから情報は隠すので はなく、公開した方が勝ち」ということを常々主張しています。 Linux と Microsoft などを見ていますと、まさにその感を強める ところです。以下は、色々なところで、度々主張してきたところで すが、われわれにとって大変重要なことと思うので、機会あるごと 何度でも書かせて頂くことにします。

日本医師会のホームページなどでパスワードをかけているのは、 是非早めに解除すべきと思っています。 世の中の見方は「医療は閉鎖的」ということですが、医師会の ホームページに「医師だけが見ることのできるパスワードのかかっ たページ」があるということは、「ああ、やはりお医者さんは閉鎖 的なんだな。あの中で何をやっているのだろう」という考えを大々 的に社会へ向けて PR しているわけです。

ホームページというものは、本来、自分の組織のために使うもの ではなく、社会のため、世界のために使うものであって、それがめ ぐりめぐって結局は自分達の利益にもなるのだと考えてきました。 医療は今、社会にとって有益で便利な情報をどんどん出さねばなら ないと思います。

ところが、どこへ行ってもそういう話をすると「それは正論かも 知れないが、とりあえず最初はホームページで会員のための情報 を」という話に必ずなります。それは、当面電子メールのメーリン グ・リストなどクローズドな手段でやるべきです。 「北風と太陽」の話にあるように、「医療が情報を隠そうとして いるように見えれば見える」ほど、社会は「医療の情報公開」を求 めます。どんどん公開すれば、「そんなものもう見たくもない」と いうことになるのでしょうが。

そこへ行くと、まさに情報のプロである米国の軍や政府関係はサ スガです。インターネットの登場とともに、もの凄い量の情報をど んどん公開しています。当然、実際には選択したものを出している に違いありませんが、イヤというほど出すことに重要な価値を認め ているに違いありません。

医療もこのようにしないと、どんどん社会の弱者(ここでこの使 い方は余り適当でないかも知れませんが)になってゆくことは必至 でしょう。世の中から信頼される医療を取り戻すために、もっと世 の中の役に立つ情報を便利に提供してあげることが重要と思い、こ の誌面を借りてあえて書く次第です。

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