1999.02 電子化時代と石器時代

わーくすてーしょんのあるくらし (14)

1999-02 大橋克洋

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コンピュータを使うメリットは「状況を大局から俯瞰できる」こ とにあります。 経理などでは、手元の伝票や帳簿だけではなかなか全体を把握で きません。しかし、コンピュータを使えば色々な角度からの集計値 やグラフ表示などで、直感的に全体の状況を把握することが可能と なります。私のような開業医の場合、経理の電子化により1か月程 度の近未来の経理状況をかなり正確に予測できるので、前もって資 金繰りの段取りをできて、とても有り難いと思っています。これは 私の場合、手作業では面倒で到底不可能なことですから。

最近流行のカーナビゲーション・システムは、軍事衛星の技術や データベース技術を使って、自分が地図上のどの位置にいるかを的 確に検出し、渋滞情報その他と組みあわせて誘導してくれます。こ れも、まさにコンピュータによる「状況を大局から俯瞰」できる好 例のひとつと言えましょう。

○ 電子カルテは医師の視野を広げる

電子カルテも、このような手作業ではできなかったことができる ようになる可能性を沢山秘めています。ある条件にマッチしたもの だけを拾いだしたり、それらの結果を加工し統計的な処理をした り、色々なことができます。つまり、情報を塊として扱うことがで きるわけです。その他、機械的にチェックできることをやってくれ たり、われわれが働きやすいようにお膳立をしておいてくれたりし ます。

特に診療所において、受診者とのコミュニケーションは大切で す。人の顔を覚えるのが苦手な私にとって、電子カルテは賢い秘書 の役目をしてくれます。産婦人科ですので、患者さんの顔写真の貼 付はいささか差し支えがありますが、ちょとしたエピソードなどを 簡単に記録できるので、記憶の再現を助けてくれます。手書きでは なかなかそうはいきません。

私の経験から言っても、医学的な面からは勿論、経営的な面から も、一旦これを使ったら2度と手放すことができなくなることは間 違いありません。手作業の頃よりも、もっときめ細かく患者さんへ 対応できるようになります。 ネットワーク機能や情報の共有を使うことによって、その効果は ますます高まります。医療費削減の趨勢の中で、都会の開業医の生 き残りをかけるには、もうなくてはならない道具と感じています。

○ カルテの電子化は何をめざす

私の場合、まず第一に目的とすることは「専門職としての能力を 必要としない単純事務作業は自動化したい」「お医者さんらしいこ とに判断力を集中したい」ということです。 といっても、一時ブームになった人工知能のように高級なものを 想像する必要はありません。ごく身近な作業をちょっと便利にして もらえるだけで、ストレスはとても減って診療が楽しくなるので す。仕事が「楽しい」ということは良いことです。仕事の能率も上 がり、自分もスタッフも、そして何より患者さんのストレスを減ら す方向へ向かうからです。

とはいえ、これは一朝一夕にできるものではなく、現場で使いな がら調整してゆくことが大切です(職人が自分の道具を調整するよ うなものですね)。私のようにソフトウエアそのものから作り直せ る立場というのは例外です。普通はそうはいきませんから、ユーザ が使いながら自分で微調整できるような柔軟なシステム・デザイン が大切と考えています。 これさえ面倒でいやだというユーザも沢山いるのはわかっていま す。ユーザが自分でカスタマイズできるような仕組みさえ備えてお けば、誰か好きな人間がカスタマイズしたものをもらって使うこと ができます。

今、処方箋を発行するツールを新しく作り直しています。今まで 使っていた処方箋発行ソフトはかなりシンプルなものでした。処方 を沢山発行する内科系の方々にも使いやすいよう、グレードアップ しようということです。ついでに使い勝手も、自然の思考過程に 添って使える、さらにシンプルなものにしたいと考えています。

○ 限りなく少ない操作で

特にマイクロソフト系など多くのソフトを見ると、ウインドーの 縁にやたら沢山のボタンが並んでいます。これは非常に不親切な (というか余り賢くない)ソフトと思います。「ボタンなどのコン トロール装置は限りなく減らす」というのが、私のポリシーです。 多くのコントロール類があれば、初心者はどれを選べばよいかわ からなくなります。何も初心者に限ったことではなく、熟練者に とっても、コントロール類は少ないに越したことはありません。

実際に机の上で作業をする場合は、机の上にすべての道具を並べ ておいた方が何かと面倒はありません。これは、その都度道具を自 分で捜して出してこなければならないからです。 ところがソフトウエアでは違います。道具は自然に出てくるはず です。必要な時に必要なものが、あるべきところにある。そのよう な快適な状況を作ることができます。

手術室では術者が手を伸ばせば、絶妙のタイミングで必要なもの が、掌の上にしっかりと渡されます。こうでなければいけません。 別の見方をすれば「不要なものはなるべく視界から消すか遠避け る」ということが大切です。診療自体に判断力を集中しているの に、どの道具を選ぶか考え、その道具がどこにあるかを捜すなど、 大変なストレスにつながることは、臨床医なら実感できるところと 思います(これらの作業は、医師としての判断力とは別のものだか らです)。

まして初心者にとっては、その道具を使うとどうなるのかもわか りませんし、間違った道具を操作して手痛い目に会った経験などあ れば、ストレスは何倍にもなります(私はマニュアルを余り読まな いでいきなり操作するヒトなので、それらしきボタン類をいきなり 操作して反応を見ます。子供と同じですね。これは余り勧められた ことでありません。無意識のうちに長年の勘のようなものが働いて いるのかどうかわかりませんが、幸いそれで手痛い目に会ったこと はありませんが)。

○ こんなツールでストレスなく

電子カルテ WINE は「お利口で手際の良い美人秘書が欲しい」と いうことからつけたネーミングです。美人という文字は、今まで遠 慮していましたが、そろそろ私の WINE も磨きがかかってきて、本 来私が望んでいた美人に近づくメドもつきましたので、これからは 堂々と美人秘書をうたうことにしましょう。私はメンクイでして、 見かけの悪いソフトは基本的に好きではありません。逆を言えば、 見かけが良ければ惚れてしまう傾向があります。

しかしこの見かけの中には、いわゆる表面だけの美形という意味 だけでなく、心の中からにじみ出た美しさが含まれます。心ねのや さしさ、良い雰囲気というものなどが含まれます。若い頃はどうし ても表面的なものにだまされやすいのですが、年齢とともに内面か らにじみ出た美しさの方がずっと強い魅力を発揮することがわかっ てきます。

いやいや、美人談議になってしまいましたが、ソフトウエアも まったく同じです。本当の美人のソフトは、ちょっと使っただけで 「オヌシ出来るな!」ということを感じますし、惚れぼれとするも のです。WINE は余りでしゃばることなく、楚々として、しかも芯 はしっかりものの美人に育てたいと思っています。

○ 文明の利器に依存だけではだめ

「ワープロを使うようになったら漢字が書けなくなった」「カー ナビを使ったら道が覚えられなくなった」と同様、「電子カルテを 使ったら診療ができなくなった」という誰もが愕然とする現象は、 今後当然起こるはずと思っています。 これは裏返せば、電子カルテがいかに有用かという証明でもある のですが(WINE はまだそこまで利口ではありませんが、すでに診 療費計算などについては同様のことが言えます)、その利害特質を よく理解し、上手に使うことを忘れてはなりません。

21世紀に入ると、人類はいよいよ宇宙空間での作業を開始しま す。恐らく宇宙空間で作業するにも、自然界でのサバイバルの能力 を持った人間の方が、そうでない人間より生命力は強いであろうと 思っています。以前読んだ SF にこんなものがありました。宇宙を 航行している宇宙船のコンピュータの一部が故障を起してしまいま した。クルーは大変困ったのですが、その中に古代の算盤の技術を 持った日本人がいて、彼の計算能力がコンピュータの一部を補助し 救われたという話です。

これはお話ですからちょっと誇張され過ぎていますが、今後この ような点については十分心を致しておかねばならないことと思いま す。われわれの年代ですと、例え電気のないところで生きていかね ばならないとしても、火を起して煮炊きをするということを実体験 として持っていますので、対応は比較的容易です。

しかし、実体験を持たない世代にとっては、たき火の火を起すだ けでも容易ではないことを、若い人逹が初めてキャンプファイアー をやるところを見ていて思いました。 だからと言って「電子カルテを使うべきではない」という発想は 「アツモノに懲りてナマスを吹く」の類です(というより、多くの 場合は火傷の経験さえない未知のもの、自分が扱う自信のないもの に対する恐怖心によるものですが)。文明の利器はありがたく活用 させてもらうべきと思います。

「道具は使いこなすためにあるのであって、人間を制約するため にあるのではない」、また「コンピュータは人間の能力を増幅して くれるだけであって、無から有を生ずるものでもない」ことを肝に 銘ずるべきでしょう。

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