「電子カルテ」は思考の道具

大橋克洋:新医療,22:145,1995.

「電子カルテ」は思考の道具

大橋産科婦人科 大橋 克洋

新医療 1995.4

 本格的「電子カルテ」の実現を可能にした NEXTSTEP

この電子カルテは、NEXTSTEP(Apple 社の創設者 Steve Jobs らにより開発された)の上で実現された。NEXTSTEP とは MS-DOS や Windows などと同様IBM PC互換機で動き、Mach という UNIX 互換OSの上に Macintoshの使い勝手を持たせたシステムである。 

「オブジェクト指向」を本格的に採用し、Mac よりパワフルで使いやすく、強力なネットワーク機能を持つなど、「医療には最適のシステム」である。今までMac や UNIX での開発も行ってきたが、これらよりはるかに先進的かつ強力である。Windows NT が同様なものをめざし開発に苦労していた頃、NeXT 社は既にそれを数年前に実現し世に出していた。 

私の理想とする「電子カルテ」を実現できるシステムは現状では NEXTSTEP しかない。

 ハードウエア構成とネットワーク

外来受付、診察室、自宅(開発とサーバ用)に NEXTSTEP マシーンがある。その他、病棟の Sun ワークステーション(ファイル・サーバ用)、自宅の SPARCstation(専用線で Internet へ繋がっている)や数台のMac などがネットワークで繋がっている。それぞれの NEXTSTEP マシーン上で、電子カルテに関連するいろいろなサーバが動いており、サーバがネットワーク上のどこに居ようとユーザは関知しない。IP 接続したインターネット上のどこかのサーバの利用も可能である。 

この電子カルテは開発開始から10年の歳月を経ており、約6年前に Emacs という高機能エデイターと Lisp 言語によるプロトタイプが日常外来診療で稼働を始めた。ここで基本的な仕様を固め、約3年前に NEXTSTEP へ移植し現在に至っている。 

筆者が電子カルテに求める3つのコンセプトとともに、その機能の概略を御紹介する。

 紙のカルテでできたことはすべてできなければならない

「 医師が十人いれば要求するカルテ様式は十種類ある」と言って過言ではない。これを満たすにはデータは共通でもカルテの表現様式などはユーザごとの要求に柔軟に応えられる設計が必須である。 

現状では項目の種類や、項目ごとの処理機能を自由に選べる程度であるが、次の段階で、各項目記入欄の配置・大きさ・種類などもユーザが自由に選べるようにする予定である。そうなれば従来から使ってきた紙のカルテと同じ外見に設定でき、慣れるに従い、より効率的な形式へ移行できる。

 

(図1)電子カルテの全景

「主訴」「所見」などは、ワープロのようにフリーフォーマットで入力でき、図1のように絵でもカラー写真でも自由に貼りつけることができる。いずれ、中に埋め込まれた個々のデータを特定して有機的に取り扱える「オブジェクト指向データベース」のサーバを作成したいと考えている。 

法的にも、万一のデータ消失に対する安全性からも「紙のカルテとして保存」することは欠かせない。当日受診分を小さな活字でプリントアウトし、検査伝票などと同様カルテへ鎧貼りしている。

 紙のカルテより使いにくくてはならない

コンピュータ化で一番懸念されるのが入力の問題である。忙しい日常診療で電子カルテを実用化するには、この問題は必ずクリアする必要がある。 

紙のカルテでできたことが全てできるためには、現状でキーボード入力は必須と考える。ただし「機械が判断・処理できることは極力機械に任せ、人間の負担を最小限に抑える」ことがポイントである。 

忙しい診療中に、ワープロなど打っているわけにはいかない。そこで定型入力はメニューのワンタッチで済ませる。メニューは学習機能を持っており、使用頻度の高い順に表示してくれる。 

このようにユーザが何を欲しがっているかを推測し、必要なものを必要な順番で提供することが重要である。また不用なものはなるべく視界から遠ざけておかねばならない。人間のやりたいことは、あらかじめ決められた順序で発生するとは限らない。思いつきでいつどこでも他のことがすぐ出来なければならない。書き間違いや訂正も必ず起こる。このようなコンセプトの基に極力省力化した。 

誰でもわずかの学習で簡単に使えることを目標に開発した。ワープロを打てる人間なら、新たに10位のことを覚えればとりあえず使えるはずである。慣れたら、その上の機能を覚え更に快適に使えるようになる。 

「ページをパラパラとめくるように、見たいところを簡単に見たい」、これができないとコンピュータ上の仕事は大変イライラさせられる。限られた画面の中でこれをどう実現するかについて、かなり思考錯誤を重ねた。 

カルテ上部の来院履歴リストから、一行を選択すればそのページが開く。あるいはキーワードで検索してもよい。また「カレンダー」を表示させ、その日付をマウスで選びページを開くこともできる。見たい情報をパッと見られるためには、このように幾つかの検索方法が用意されるべきである。 

「データが安全に保存されること」も重要である。紙のカルテは火事でもない限り一度に消失することはないが、電子メデイアでは大量のデータが一瞬のうちに跡形もなく消え去ることもある。これに備え、重要なデータはハードデイスクごと別のコンピュータへ自動バックアップされる。

 紙のカルテにできないことができなくてはならない

 

(図2)来院者リスト

受付で来院者のID番号を入力すると、来院者は図2のようなリストに追加される。 医師のコンピュータにも同様の来院者リストが表示され、現在何人の患者が何分待ちで待っているかわかる。患者名をクリックすればそのカルテが開く。 

電子カルテ・システムはネットワーク上のサーバー・クライアント・システムとして実現されており、各部署の連係作業はサーバーが処理してくれる。 

電子カルテの「診察終了」ボタンを押せば、瞬時に受付のリストに診療費が反映され会計を済ませることができる。 

「オーダーエントリー」も、極めて自然な使い勝手で処理される。医師が「検査伝票」メニューから検査名を選択すると、検査伝票がカルテに貼り付く。同時に、ネットワーク上の検査台帳にも患者IDや年月日など記入された空伝票が転送される。 

つまり医師がやるのは「検査伝票を選ぶ」「それをカルテに貼る」ことだけ。検査技師も検体について検査を行い、結果を「検査台帳」に入力するだけである。カルテを開くと「電子カルテ」はネットワーク上の「検査台帳」へ問い合わせ、台帳に結果が記入されていれば、それをカルテへ自動転記する。 

電子カルテでは「複数の人間で同時に同じ診療記録を扱う」ことができる。診療申込書をもとに受付で新患情報を記入している段階で、医師は記入された部分を見ながら診療方針を立てられ、医師がカルテに記載している内容を見ながら看護婦は注射や処置などの準備ができる、医師が処方を書いた段階で薬局では調剤を開始できるなど、相互の位置関係はどんなに離れていてもネットワークに繋がってさえいれば問題ない。 

もちろん、電子カルテと言えどもある程度の制約はあって、同じ項目に別々の人間が同時に違う内容を記入するようなことはできない。また、ユーザごとに読み書きできるデータを制限する必要もある。例えば「受付事務は住所氏名など基本情報は読み書きできるが、診療内容は制限範囲で読め、書き込みできない」など。 

「定型文書」メニューで診断書や紹介状を選ぶと、カルテから日付や氏名、過去の検査結果などを自動的に拾いだし、あらかじめ登録してある定型文書にはめこみワンタッチで完成させてくれる。 

印刷する前に、それをワープロ機能で手直しするのも自由である。NEXTSTEP では、ファイル・画面・FAX・プリンター などすべての出力は同じように扱えるので、プリンターへ出すかわりに相手の FAX へ出すなど「電子カルテで扱う情報はすべて FAX や電子メールで直送」できる。 

絵のアイコンをマウスで引っ張ってきて、カルテの上で離せばカルテに絵が貼りつく。絵そのものではなくボタンを貼りつけ、このボタンを押して絵・動画や音声を再生することもできる。これはとても便利で、幾つかのファイルを入れたフォルダーやソフトウエアあるいはカルテ自体まで、ボタンとしてカルテに貼りつけられる。このボタンを押せば沢山の書類が入ったフォルダーが開いたり、他のソフトウエアが起動したり、別のカルテが開いたりする。

 

(図3)スケッチ・パッド

カルテに身体各部位のゴム印を押して略図を書く、ということはよくある。図3のように、登録しておいたパターンを呼び出し簡単な略図や文字を書きそえカルテへ貼りつけることができる。胃カメラやエコーの写真などを呼び出し、これに説明文字や線を書き加えカルテに貼ることもできる。 

レセコンとは全く逆の発想で「医師は診療録を書くことに専念すればよい」「それを自動解析して診療費が計算される」仕組みになっている。開業医にとって「これを使うだけで電子カルテを使う意味がある」ほど有用である。

 

(図4)処置入力パネル

ここではメニューでなく、図4のような専用パネルが開く。パネルは左右二段に分かれており、左側の項目を選択すると、従属する項目が右側にリストアップされる。 

メニューから「アセチルスピラマイシン」を選択すると、下の黒い窓に名称が表示される。自費の場合は「自費」チェック・ボックスを選択し、投与量などを入力して右側の「挿入」ボタンを押せば、そのデータが図1のように「治療」欄へ挿入される。 このように処置内容を治療欄へ入力後、漏れや間違いがないか確認する。 

抜けているものがあれば再度「処置入力パネル」から追加、間違いなどあれば治療欄から削除する。確認が済んだら「処置入力パネル」右下の「集計」ボタンを押せば、治療欄の内容が解析・集計され最終行に診療費が挿入される(図1)。 

ここで間違いを見つけた場合でも、間違っている箇所を修正し再度「集計」ボタンを押せば何度でも再計算できる。

 おわりに

優れた秘書のように「利口で手際の良い」システムをめざし WISE and NEAT 略して「WINE」というプロジェクト名で開発を進めてきた。 

最初は「紙のカルテの方が便利」という点もあったが、現在のカルテになってからは完全に「紙のカルテより便利」になった。これは表題として説明してきた三つのコンセプトが全て満たされたからである。 

毎日の診療にこのようなツールを使ってみて「これから医療の現場には必ず電子カルテが入ってくる」と確信を持つようになった。 

このようなシステムは生き物と同じで「毎日毎日成長していかねばならない」、すなわち使いながら改善を重ねて行くことが重要である。従って当面は、当院のような小規模施設での運用・改善がもっともスピーデイーな開発を行う事ができると考えている。 しかし数年を経て自然に世の中のスタンダードが決まってくるであろうから、ある程度の仕様が決まってからの開発は、資金とスタッフに恵まれた大学病院のような大規模施設が中心になってくるであろう。