2014.02 わざと壊れやすい仕組み

わーくすてーしょんのあるくらし ( 252)

2014-2 大橋 克洋

スクエア荏原:雪に描かれた素朴な絵のような除雪の跡

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◯ わざと壊れやすい仕組み

広島湾に浮かぶ厳島神社。台風・高潮の被害を受けることが宿命的であり、何代にもわたり宮大工達は試行錯誤の中から非常に賢い構造を生み出した。釘などでガチガチに止めてしまうと台風などで全体的な崩壊につながる。床板などは水に打たれてはずれやすくなっており、屋根などの構造体を守る。修復することを前提に建てられた建物とも云える。

このように「ほどほどに不完全」こそが継続性をもち「限りなく完全」に近づくことになる。車なども衝突すると、わざと前部がぐしゃぐしゃに潰れ人間へのショックを和らげる仕組み。しかし現代のマニュアル人間を見ていると、とてもこのように柔軟な考え方はできないのではないかと思ってしまいます。ただ「安全、安全」と目先のことだけで叫ぶ人も。厳島神社の宮大工のとった方針は自然界ではよく見られるもの。今まで何度も書いてきたように、たんぽぽの種子でも魚の卵でも、もの凄い数生み出されますが本当に育つのはごく僅か。「限りなく完全に近づく」には「ほどほどに不完全」が必要なのだと思います。

パーフェクトなものは意外にもろかったりします。自然界の中でも強くしぶといものは決してパーフェクトでもありませんし、か弱かったりするもの。このようなことを考えていると連想は次々と膨らみます。いつも思うことですが、千年以上前の木造建築が健在なのに、一見頑丈そうに思える鉄筋コンクリートのマンションの寿命がわずか数十年なのは「何故?」と思ってしまうのは私だけ? 普通の木造の家でも築百年を越えているものは珍しくありませんよね。コンクリートのマンションが火事になって駄目になるというのも、最初は意外に感じたものです。

もっとも昔のように釘も使わず巧妙に組み立てた木造建築と違い、ボルトやL字金具などを使って手軽に組み立てる最近の木造建築の寿命はそう永くないのかもね。素晴らしかった日本建築の大工の技術がどんどん消えて行くのはとても哀しい、、

◯ ガラパゴス諸島での生物の進化

年も明けて、電子カルテ NOA の ML は比較的静かです。私の方は水面下で周辺ツールを開発中ですが、まだ公開するところまでは至りません。考えて見ると NOA の場合、完全を目指すバグのあら捜しも程々のところでリリースすることがしばしば。

完璧にバグのない状態を確認するまでにはかなり時間を要し、完璧のつもりだったのに自分の使わないところに思いがけぬバグが潜んでいるということもままあります。そのようなことから、闇雲にバグを追求するより「ほぼ問題なしというところで速やかにリリース。もし現場からバグ・レポートがあれば速攻で修正」という流れの方が結局進化のスピードが早くなると考えるようになりました。

お金を頂くビジネス・アプリではできないことですが、個人のボランティア、オープン・ソースのソフトウエアならではの強みとも云えるのではないでしょうか。

ガラパゴス諸島では生物の殆どが南米大陸からの流木などに乗って漂着したもの、捕食動物は漂流の過程で生き残れないため天敵がいないのだそうです。天敵がいないため、繁殖が旺盛になり進化のサイクルが、他所よりずっと早まったとか。私の電子カルテ開発もちょっとこれに似ているかも。つまり「ほどほどに不完全」ではあるが「使い勝手はどんどん向上し速やかに進化する」という流れへ、、

◯ SONY さらに撤退

私の好きな日本企業は HONDA と SONY でした。両社とも「わくわくする魅力的な製品」を産み出す楽しい会社でしたが、創業者が居なくなると共にどんどんつまらない会社になってしまいました。HONDA の車は初期の頃の個性がなくなり余り面白くなくなりましたが、それでもまだ創業者の DNA は生きています。ASIMO などのロボットその他、面白い創造物を色々産みだしていますし、ついに F1 への復帰も果たすようで期待しています。しかし SONY にはがっかりですねえ。米国人の社長になって効率だけを追求するようになり、AIBO などの面白いロボットや携帯端末 CLIE などを捨て去ってしまいました。

このコラムでも10年ほど前から CLIE を賞賛しつつ「携帯電話機能を載せてくれえ」と叫んできましたが、とうとう叶わぬまま生産中止に。CLIE 自体は携帯端末としてとても使いやすくできていたので、あの頃 CLIE が電話機能を載せいていたなら iPhone より5年近く先を行っていたはず。外見も iPhone の姉妹かと思うほど似ていました。HONDA や SONY などは直接の製品に結びつかないでも、これらの面白い創造物を作ってゆくことにより、他社とは違う道が開けるはず。このコラム創刊の頃から書いているように「遊び心のないところに良いものは生まれない」。

SONY は更に TV と PC から撤退。VAIO は他社へ売却とのこと。iPhone や iPad など新しいメディアに駆逐されたとは皮肉なこと。CLIE を死守していればこんなことにはならなかったはず。VAIO の名称が残っても SONY が作るのでなければ意味ありません。社長が日本人に戻ったので期待していたのですが、もう SONY に未来はないのでしょうかね。

Apple 社に復帰した Jobs が今までの多様な製品群をバッサリ切り捨て、田の字で表される4種類のシンプルな製品群に改めたのが Apple の再生・快進撃につながったと同じようなことは SONY には期待できないのでしょう、ああ、、

そういえば、Jobs が SONY 製品を好きだったことは彼のプレゼンにも何度かでてきました。2001年のこと VAIO に MacOSX を載せ、それを Jobs が SONY の安藤国威社長に見せて SONY とのコラボの話を持ってきたことがあったのだそうです。ところが VAIO 開発陣から総スカンを喰ってポシャったとか。まだ Apple からまともなノートブックが出ない頃、確かこのコラムに私も 「VAIO で MacOSX が動いたら最高」と書いたことがあったような気がします。SONY はここでもチャンスを捨てている。もったいないことを、、

◯ その価値は何をもって評価?

聴覚障害がありながら交響曲を作曲したとして讃えられていた佐村河内氏。だが作品の多くが別の音楽家による代作だったことがわかりニュースになっています。今迄あんなにもてはやされてきた曲も、途端に色々な面からキャンセルになっているようです。

いつも思うのですが、これっておかしくないですか? 彼が詐称したとされる諸々のことは兎も角として、作品そのものを良いと感じていたなら、それ自体はまったく変わらないはず。ところが世の中の(マスコミの)曲に対する評価が途端に落ちる。

前にも似たようなことで書きましたが、現代の日本人はあくまでもブランド志向であって、作品そのものを評価しているわけではないんですね。人間の評価も、その人個人の能力を評価するのではなく、その背景として背負ったもので評価する。例えば大企業や一流大学に所属する人間と市井の個人とでは、同じものを創りだしたとしても、評価がまったく違ったりします。後者はハナから評価の対称にもされかったりする。これで私も随分悔しい思いをしてきました。

これから始まるソチ五輪、期待されるフィギュア・スケートの高橋大輔選手は、その楽曲をバックに滑ることになっているそうです。今回の件でどうなるのか、マスコミがコーチにインタビューしました。コーチはきっぱり「決めたこの曲で滑ります」。大輔に心理的影響が無ければよいのですが、、

◯ 都知事選に思う

先月号で都知事選について、ちょっと思うことを直球で書いたのですが「もしかして選挙違反にでも問われたら嫌だな」と引っ込めました。しかし、これだけは書きたいと、選挙法に抵触しない範囲で書きたいと思います。

明日が投票日ですが、私は今日の午後・明日1日と日本医師会医療情報システム協議会なので投票する時間がとれず、期日前投票を済ませてきました。マスコミの選挙戦に関する報道やネット上の関連記事を見ていると、今回の選挙についてマスコミはかなり偏向した報道をしている印象がぬぐえません。もっと客観的・公平な報道を守るべき。これって非常にまずくないですか? マスコミが国や都の政治の方向性を左右する可能性が濃厚に思えてしまうのですが、、

しかしこれは今始まったことではありません。戦争前、陸海軍のトップはもし米国と戦争を始めたら最終的に勝ち目のないことをよく理解していました。しかし、決断を先延ばし先延ばしにしているうち、国民からの「米国へ宣戦布告すべし」との声が相次ぎ、ついに火蓋を切らざるをえなくなりました。これにはマスコミによる扇動も大きかったはず。そして敗戦になるや否や、綺麗に口をぬぐい反戦を錦の御旗とするマスコミ。

インターネットなどで、個人がいくらでも情報を得られる良い時代になりました。国民・都民はもっと賢くならねばなりません。本当にしっかした都政を行える常識ある人を都知事に選んで欲しいものです。原発の存在しない東京で原発を最大の論点にするなど噴飯もの。石原都知事のように反対意見をものともせず「原発被災地の廃棄物を他府県に先駆け受け入れる」などなら別ですが。各候補の主張をよく読めば一目瞭然と思うのですが、、

・・・

投票締切から一夜明け朝のニュースを見ると、悪い予感が当たっていました。他の候補に大差をつけ舛添都知事が誕生。石原さんとは違った意味での強引都政、さあ、どうなるんでしょう。彼に投票した絶対的多数の都民は、果たして報われるのでしょうか。東京五輪を続投してくれそうなのは救いですが。私のイチオシだった田母神候補、周りでは支持する人が意外にも結構多かったのですが、支持母体が石原元都知事の個人的応援だけということもあり、とても及ばぬ票数。しかしその割には善戦し、敗戦後の言葉も爽やかだったことが、やはり「この人を推してよかった」と思わせるものでした。

◯ 東京に20年振りの積雪

8日土曜早朝から丸1日、西の方から記録的な寒波が関東地方を襲うということで、東京にも前日から最近にない大雪警報が出されました。8・9日は日本医師会医療情報システム協議会が日本医師会館で開催予定で、全国各地から大勢の先生方が集まります。いつも天気予報を見ていて、恐らく日本で一番雪が少ないのではないかと思われる東京は非常に雪に弱い。交通機関がすぐ停まります。

日本産婦人科医会幹事を務めていた頃、日曜朝から東京ステーションホテルで全国会議がありました。途中から降り始めた雪があれよあれよという間に降り積もり、地方から来られた先生方は飛行機が欠航になっては一大事と早退する席が目立ち始めます。そして、あっという間に JR が停まってしまいました。会議が終わり「地下鉄で帰れば良い」と地下鉄へ降りたところ、ホームはオイル・サーディンの缶詰状態で人がぎっしり、ホームの端の人々が線路へこぼれ落ちるのではないかとハラハラさせられた思いがあります。

日本医師会へ向かう積雪:春になれば桜が咲き乱れる

今回、翌朝の新聞では20年振りの大雪だったとか。20年振りというとあの東京ステーションホテル体験以来なのかなと。しかし翌朝13Fの窓から見回すと、屋根に積もった雪はたいしたこともなく「これで大雪?」、一面積雪に覆われた道を歩いて日本医師会へ向かいましたが、学生の頃の秋田合宿の雪景色に比べればたいしたことはなく、雪国の人達に笑われる程度のものでしかありません。1日じゅう降り続いた雪は東京には珍しいパウダー・スノー、踏むとキシキシ音がして非常に滑りやすそうなものでした。もう少し普通の(?)雪が降ったなら、もっと記録的積雪になったことでしょう。

今回の積雪量は45年振りという説もありました。45年前の記録をめくってみて想い出しました。慈恵医大第三病院に勤務していた頃、父から譲り受けたスカイライン 2000GT で帰宅する途中、雪大好き人間の私はチェーンをつけて上野毛の急坂を登ってみようと思いました。勢いをつけてワーッと登ってゆくと、バリバリーンという音をさせてチェーンが吹っ飛びました。レース仕様の 2000GT のパワーが大きいかったためと思います。仕方なくそろそろとバックで坂の下まで下り、なるべく急坂のない経路を選んで大人しく帰宅したことを思い出しました。その2,3年後も HONDA1300 にスノータイアなみの性能を持つミシュランのラジアルタイアを履いて、勇んで雪道に挑んだことがありましたっけ。こうして考えてみると、あの頃は東京も結構雪が降ったんだなと、、

◯ 今月の歩術

今月の週末は最近には珍しく雪が積もりましたが、雪大好き人間の私としては、日曜の早朝、早速歩きにでました。ダウンのジャンパーは汗をかくので、厚手の長袖シャツに革ジャン。用心して革ジャンの下に薄手の木綿ベストを羽織りましたが、これは余計だったみたい。後半ちょっと汗ばみそうになりました。

8日の降雪はパウダースノウで夕方になるまで余り積もりませんでしたが、15日の方は湿った雪でやや積もりました。早朝の道路は霜が降りたように一部凍っているところもあり、車が白い排気ガスをはきながらシャリシャリ、シャリと音を立てて走っていました。

歩道中央部は除雪されたり溶けたりで、雪を踏んで歩くことは殆どありません。目黒川沿いの遊歩道も道端には積もった雪がありましたが、歩く部分に殆ど雪は残っていません。早朝とあって凍っており滑りやすいので注意しながら、それでも結構歩度を上げ歩く。ジョギングや散歩の人は流石にいつもより少なめ。

散歩の最終コース林試の森は、写真のように完全に道が綺麗な白い雪に覆われたままでした。最近では完全に歩きの身体になったようで、全行程10kmの散歩を淡々と歩き終わりました。爽快ですね。

◯ 幸せのもとの尺度

ネット情報に「幸せのもとと、その尺度」が載っていました。ジョギングや歩きもかなり幸せ感を深めるには良いようです。ボランティアなど「他人の役に立つこと」も幸せ感を得る最大要素として挙がっていました。そうすると、オープンソースの電子カルテプロジェクトは、そういう意味でも良いんだなと。笑うことも良い。ペットとじゃれるのも良い。

そうすると私は幸せ感を感ずることばかりやっているんだなと、、加山雄三の「ぼくは幸せだなあ、、」を想い出しました、、

◯ SOCHI 冬季五輪はじまる

ロシアのソチでいよいよ冬季オリンピックがはじまりました。フィギュア団体、冒頭で羽生結弦が 97.98 点の首位発進を決めたもののメダルならず。今回から五輪競技に加わったフィギュア団体、まだ日本ではペアやアイスダンスの選手の層が圧倒的に薄く、いずれにせよメダルは難しかったと思われます。日本期待の高梨沙羅選手も、ジャンプ女子ノーマルヒルでは4位と残念ながらメダルはなりませんでした。特に沙羅選手などはマスコミの騒ぎすぎで可哀想でした。フィギュア団体、浅田真央選手の転倒も同じかも知れません。

中学3年生ながらスノボ男子ハーフパイプで世界トップクラスの技をもつ平野歩夢は期待の金はなりませんでしたが銀。平岡卓の銅とともに今回日本初めてのメダル獲得。デビュー当時の浅田真央もそうでしたが、怖いもの知らずの若さの勝利でしょう。金メダルを争うかと思われた米国のショーン・ホワイトは意外と振るわなかったようです

今回新たに加わったスロープスタイル競技は面白かったですね。コースに設置された何段ものレールやキッカー(ジャンプ台)を滑って技を競う競技。スノーボードとスキーの2種類の競技があり、技は非常に似たもの。その女子スキー種目を TV で面白く観戦しました。途中から気温が上がって雪が柔らかくなり、かなり滑りが悪くなってきたようでした。日本選手は早くに消えましたが、カナダの日系ユキ・ツボタに期待。滑り出しから非常に良い勢いで果敢に攻め、ジャンプも空高く舞い上がります。しかしどうも滑りが悪そうで解説者も最後の高いジャンプ台では「もっと速度をつけないと、」とハラハラ。果たして着地点のスロープに届かず、高所から手前の平地に叩きつけられました。駆けつけた大勢のスタッフや役員の輪の中で動かず。やがて担架で担ぎ出されました。すでにゴールした上位選手達も、非常に心配そうに見守ります。翌日まで「ユキ・ツボタは大丈夫だろうか」と心配でしたが、ネット情報を探すと「病院から彼女は大丈夫とのツイートがあった」とのこと。

このコースは非常に危険ということで、ハーフパイプとの2連覇を狙う米国ショーン・ホワイトは「リスクが高過ぎる」と棄権。メダル候補だったノルウエーのトシュテン・ホルグモも練習中にレールに激突して鎖骨を骨折。そもそもこの競技を管轄する FIS:国際スキー連盟は「スノーボード団体の大会を参考にしたらどうか」との提案を拒否、積み上げたノウハウもなくコース作りに未熟な面があることは当初から指摘されていたとか。FIS は斜面をスキー大回転と同じ設定でコースに水を撒いてアイスバーンにしてしまい、選手達は次々とコースアウト。五輪にスノーボードを加えるに際して、IOC と FIS がスノーボーダーの団体を閉めだした経緯もあり、両者の溝はますます深まっているそうです。そのあおりで危険にさらされる選手こそ、とんだ迷惑ですよね。

◯ スポーツと安全性

デイスカバリー・チャンネルで、F1 の安全の歴史というような番組をやっていました。

F1 レースでは選手たちの事故死の確率が高く、生存率 1/3 と云われる時代がありました。ジム・クラーク、ロレンツォ・バンディーニ、ピアス・カレッジ、ヨッヘン・リント、比較的最近ではアイルトン・セナなど、とても懐かしく胸を沸かせたドライバー達が大勢事故死しています。このような状況を改善しようと、ジャッキー・スチュアートがレースの安全を呼びかけて回りましたが、レース場の提供者は改修に非常にお金がかかるということで耳を貸そうとせず、戦闘機乗りと同じで「明日の命はわからない」と思ってきたドライバー達も「そもそもレースは危険なものだ」という考えで本気で賛同するものは少なかったとか。

しかし何年もかけて次第にそのような考え方が広まり、レースカー自体の安全対策、防火スーツやフルフェース・ヘルメットなど人的対策、レース場のフェンスその他の対策が進んだ結果、アイルトン・セナの事故を最後に事故死がなくなっているそうです。

何年前のオリンピックだったか忘れましたが、女子の滑降でコースをはずれた選手がコース脇の柵の鉄柱に激突し即死したことがありました。今回、滑降コースを見ていて、かなり安全対策が施されているんだなと思いましたが、スロープスタイルなどを見ているとまだまだなんですね。あくまでも人的問題、意識の問題のようです。

あの滑降シーンが非常に印象的だったので Web で調べてみました。あれはオリンピックではなく1994年ワールドカップのダウンヒル、時速104kmでバランスを崩し転倒、左カーブ外側に設置された最高速度計測器に激突したウルリケ・マイヤーのようです。首の骨が折れ3時間後に亡くなったとか(奇しくもその4ヶ月後、F1 サンマリノGP でアイルトン・セナが亡くなっています)。彼女は幼い娘が待つゴールに誰よりも速く降りてくる「スーパーマム」として名声を馳せ、93年ワールドカップでは3勝を挙げ誰もが認める世界 No.1 スキーヤー。このレースで引退して結婚、母親業に専念する予定だったそうです。高速カーブ外側に速度計測器を設置して起きた事故だったにもかかわらず、FIS は「我々に責任はない」と公言し、世間の怒りを買ったとか。事故現場は普通のスキーヤーが何ということなく通り過ぎるような箇所、ウルリケのような選手が事故るとは思えない場所だそうです。運命とはそういうものなんでしょうね。

YouTube で Ulrike Maier を検索してみると画像がありました。カーブで右足が滑ってバランスを崩し、すぐ近くのフェンスにぶつかったんですね。バランスを崩してからフェンスまでの距離はほんの僅か、フェンスにも雪が沢山積もった状態なので、普通ならぶつかっても笑って起き上がるような衝撃。ピンポイントで最悪の打ち所だったということでしょう。本当に運命というものを考えさせられる画像でした(それにしても現代は凄い、漠然とした記憶からこうして詳細な記録と最後の動画まで簡単に見られてしまうのだから)。

◯ そして SOCHI 五輪から学ぶ「気」

やはりウインター・スポーツというとアルペン。残念ながら日本選手の活躍は見られませんでしたが「滑降」や「スーパー大回転」はとても見応えがありました。あの急斜面・長距離を時速100km以上、先が見えなくてもかっ飛んでゆく姿には本当に感動です。男子は言わずもがな女子も。あの雪質、あの斜面、あのスピードで、よくまあ状況の変化を瞬時に判断しつつゴールまで体勢を保ちつづけることができるものだなあと感動しつつ、、

日本期待の女子フィギュア、中国のニュースでは「韓国 vs ロシア」という話で盛り上がり日本の二の字も出ないということで「意地でも金を獲って欲しい」と思ったものです。浅田真央ちゃん、最初のショートで予想外の低得点。外国選手が次々とパーフェクトな演技で終了するのを見て「ああ、今回の五輪ではひとつでもミスすれば終わりだな」と。

しかしフリーでの真央ちゃん、その完璧な演技に日本中が感動に湧きました。私も思わず涙目。前回バンクーバーの時もそうですが、真央ちゃんの姿に何となく覇気がない。結果は案の定。今回のショートでもそうでした。しかしフリーでは違いましたね。登場した時から表情はキリリとして、何と言っても動きに元気がある。こうこなくっちゃね。演技に元気がなくちゃ良い点数はでません。ショートでの何となく元気の感じられない演技とはまったく違います。そして8個も入れたジャンプも、すべてパーフェクト。フリーだけで比較すれば真央ちゃんがトップかと思ったのですが、残念ながらフリーでも3位だったようです。

そうして思うことは、やはり「気」。滑降などで見せる外国選手の勇気凛々かっ飛ぶ姿は「気」そのもの。「何としてもやってやるぞ」の「気」が絶対に必要ですね。そういう意味で、今回の日本選手の中で最も心強く思ったのは、スノーボード・パラレル大回転で銀に輝いた竹内智香選手。最後の決勝で惜しくも転倒し銀となりましたが、今回の日本女子で最も金に近い選手だったのではないかと思います。予選トップ通過ということで、見ていても危なげなく心強い選手でした。事前、マスコミの話題に上がらなかったのも幸いでした。

スノーボード・パラレル大回転で滑走する竹内智香選手

北海道で育ち、お父さんは馬術で五輪をめざすも達成できず、小さい頃からスキーに親しむ彼女を応援「スピードを怖がらない子でしたね」との父上の感想。何としても五輪で成果を挙げたいということで、スイス・チームのコーチに直談判。何度断られても食い下がり、とうとうコーチの奥さんが「貴方、入れてあげたら」ということで、数年間スイスでトレーニングを積んだとか。決勝で転倒した後、先にゴールしたスイス選手とハグし、親しげに言葉を交わしていたのも、そういうことがあったんですね。

今回の五輪からの教訓は「何としてもやってやるぞ」の「気」が大切というお話でした。

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呑み会のあと久しぶりの「クラブ K」 オーナー市川さんの声にしびれる

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です