2012.08 めざせ健脚生涯

わーくすてーしょんのあるくらし ( 234)

2012-8 大橋 克洋

品川駅裏側の高層ビル街

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◯ 健脚生涯

私の好きな時代劇「剣客商売」にひっかけたもので、私の生涯の目標です。「生きている間は自分の足でしっかり歩く」「歩けなくなった時はこの世からおさらばする時」。無事に目標達成できるのかどうか判りませんが、そのように努力を続けるつもりです。そして脚だけでなく、人生への姿勢として色々な面でそのようにありたいと考えています。

そのひとつと云えるかどうか判りませんが、先月からデザイン学校の夜学に通いはじめました。その動機は以下のようなものです。

  1. 東京都医師会理事を辞め、医師会関係の仕事は極めて少なくなりなりました。これを寂しいと思うのではなく「絶好のチャンス」と捉え、人生の舞台をクリエーティブな世界に大きく切り替えようということ。

  2. そもそも建築家かグラフィック・デザインに進みたく、その道を諦めた後もインターン時代に夜学でデザイン学校に通いました。授業はとても楽しく「こんな面白いことをやっていて良いんだろうか」と思っていたら、父が突然脳溢血で倒れ夜学を中退。「いつの日かまた戻りたいなあ」と思いつつ50年が経過。そんなことを想い出していたら、家内から「また通ったら?」と背中を押されました。

  3. 大学の馬術部時代いつもお世話になっていた騎兵上がり額の禿げ上がった三浦七郎教官が年齢の割にはとても若々しかった。「三浦先生は何であんなに若々しいんだろう」と考えてみると、いつも学生達と一緒に過ごしているからということに思い至りました。デザイン学校で若い学生達と一緒に学ぶのも精神的若さを保つ秘訣。

◯ 原点にもどろう

先月書いたように、効率よく疲労の少ない歩き方・走り方をもっとも効率よく会得する方法は「不整地を素足で歩いたり走ったりすること」。先月書いたように NHK のミラクル・ボディーで科学的な裏付けをやっていました。話は変わりますが今年の夏は当初から「なるべく汗を十分かいて早く汗腺を開く」よう努めた結果、この暑さにもまったく怠さを感ずることなく絶好調で過ごしています。中学生くらいの頃はどうだったか忘れましたが、夏の湿気や暑さにこのようにシームレスに順応できたのは初めてのことです。つまり夏の怠さは「冷房など人工的環境に身を置く」ことが原因だったことだったことを自覚しました。

ここから得られたことは「文明は良いことばかりではない」「文明の恩恵は最小限にとどめ、なるべく原始の状態で生きるよう努力するべし」。そこでちょっと考えたのですが、恐らく昔の不便な時代に生きていれば「もっと便利にならないか」との欲求は常にあったはず。そこで、現在のような文明を十分経験した後に昔の生活に戻れればとても幸せなのかなとも思うのですが、昔に戻ればそれはそれでなかなかそうは行かないんですかね。何しろ人間ってのは、いつも無い物ねだりですから。

冷房といえばちょっと面白い使い方を見つけました。冷房をつけず書斎で脂汗をかきながら電子カルテ開発を続けていたのですが、7月も末になると流石に「ちょっとなあ、」ということで軽く冷房を入れるようになりました。春に買った桜の鉢植えにカビが生え始めたので、これはいかんとベランダに出したのですが、7月の台風なみの強風に曝され葉がすっかり枯れ落ちてしまいました。東京湾から運ばれた潮風にやられたのだと思います。そこで北東に面する私の書斎窓際に移し、風に当てようと早朝書斎の窓を開け放っています。窓を開け放ったまま冷房を軽くつけると、朝のとても心地ちよい空気と、上からの冷えた空気を両方楽しめなかなか快適なことを見つけました。窓が開いていても空調は強くすることなく軽め設定。ところで、その桜も元気に新芽を吹きはじめました、、楽しみ。

◯ 天空の村

TV で見た海抜4500mアンデス山頂の土地に暮らすインカの末裔 ケチュア族の住む村。ペルー共和国。まるで火星の表面のように石ころだらけ、湖のような水たまりのある荒涼とした山岳地帯。生き物もいないだろうと思われる所によく見ると石と泥で組んだ茅葺き屋根が点在する(萱はずっと麓から採ってくるのだそうだ)。9家族50人弱が住んでいるとか。原種に近いかと思われるジャガイモ、アルパカ、リャマと暮らす。石組みの家の中は馬房のように寝藁を敷いただけ、壁の隅にカマドがある程度で何もない質素な生活。

日光の当たる昼間は良いが、夜になると零下10度と気温の差は20度もある。日が暮れると寒いので寝てしまうそうだ。生活圏に3000mもの落差があり、夫々の高度に適したジャガイモを植えているのだとか。「何でこんなところに住むんですか」と尋ねると「ここには作物・家畜など生活に必要なものが全てそろっている。ここで暮らせることは幸せ」。

「うーむ、そうだよね」まさに私が最近考えてきたことでした。「幸せとは何か」を考える時、それは絶対にお金や財産などではない。「生き甲斐を持って、努力しながら毎日を生きる」これこそが幸せと思います。厳しい自然環境との戦いはあっても、外敵から守られた天空の村に棲む幸せの言葉にはいたく共感したものでした。私の理想としては、とりあえずここまで過酷というか削ぎ落とした生活まではいかず、剣客商売の秋山小兵衛の住む小川のほとりの百姓屋でしょうかね。あの百姓屋のセットも主演の藤田まことの死去とともに取り壊されとても寂しいと、おはる役の小林綾子が述べていました。

◯ 剣客商売が復活したのはよいけれど、、

昨夜 TV チャンネルをひねったら、藤田まこと以後の剣客商売をやっていました。へえー、こんなの作られたんだ、知らなかった。Web で調べると今年5月から始まったらしい。それにしてもキャスティングがまったく従来のイメージと異なるもの。

主演の北大路欣也は大俳優ですが、一代目二代目の小兵衛の枯れたイメージがまだ出ていない、それに小さくないし、、小兵衛に連れ添う若いおはるも貫地谷しほりでキャラクター的には悪くないものの、初代や2代目の天然キャラの可愛さが出ていない。佐々木三冬にあってはまったくイメージ壊される、ただ突っ張っているだけで少しも魅力的でない。どうしてこういうキャスティングなの。そこへ行くと二代目、大路恵美の三冬、切れの良い立ち回りや凛とした佇まいはとても好きでしたねえ。

初代おはると二代目小林綾子のおはるの天然キャラの可愛らしさは、まったく見分けがつかない程で必要以上に(?)シームレスに移行したものでした。かろうじてエンディング、川舟に小兵衛が座りおはるが櫓を漕ぐ遠景だけが往時の剣客商売の風情を繋いでいました。もし連作になれば次第に俳優も役に馴染み、こちらも馴れてくるんでしょうけどね。それにしてもここまでイメージ壊す作品つくるなよ、と言いたい。

◯ ロンドン・オリンピック

私がもっとも感心の高いのは「男子体操」と「女子バレーボール」。この2つさえ満足な結果を残してくれれば云う事なし。体操の方は期待の内村航平、団体でちょっとつまづきましたが、個人では内村らしいところを見せてくれました。しかし体操はビデオに余り撮っていなかったので実際に見ていない場面が多いのは残念。

さて女子バレー、東京オリンピックで金メダル「東洋の魔女」以来のファン、その後しばらく離れていましたが8年前のアテネオリンピック前頃から再び熱心に応援するようになりました。詳細についてはこのコラム8年前のページをご覧ください。前回5位に終わった日本、順決勝で当たったブラジルに勝てれば2位以上と期待しましたがこの試合はストレート負け。しかし今回も4位以上は確保、何とか3位決定戦で韓国に勝ちメダルを確保したいところです。男子サッカーが丁度同じように3位決定戦で韓国と当たり、負けてメダルを失ったとのニュース。女子バレーは勢いを持ってこれを乗り越えて欲しい。

4年前「ロンドン大会はどうなるのでしょう。栗原や木村あたりは続投と思いますが、」と書きました。残念ながら栗原恵は選抜に残れませんでしたが、木村沙織・竹下佳江・佐野優子・荒木絵里香が続投。それに加えベテランの山本愛・井上香織と、若い江畑幸子・新鍋理沙・山口舞・迫田さおり・中道瞳・狩野舞子など、どれをとってもそれなりの技をもつ素晴らしいメンバー。

オリンピック直前、ちょっと元気がなく心配していた江畑が木村とタッグを組みコートの左右からダブル・エースを演出してくれました、参加できなかった栗原に替わるエースですね。木村の負担も随分軽くなったのでは。小柄ながら竹下・佐野の活躍は期待通り。返り咲いた山本・井上が、これはという所でベテランの味を生かしてくれました。キャプテン荒木、数は少なかったものの強烈なスパイクやベテランらしいトリッキーな技を見せてくれました、サーブも良かった。レシーブ力を買われた若い新鍋、サーブで狙われることの多い木村の負担を減らそうと守備範囲を広げ穫りまくるなど十分期待に応え、スパイクでもヒットを放っていました。背が高くブロックの役目を担った狩野とともに2枚替えで起用されることの多かった小柄な中道、サーブによし、レシーブによし、セッターとしても機能しました。私の見た試合では山口の活躍の場がちょっと少なかったかな、往年の杉山のような味を持つこの選手も私のひいき。彼女の対応はとても確実で仲間から信頼されているとのことでした。苦しい場面でバシバシ決めて点をかせぐ迫田が、今回もベンチを暖めることの多かったのは私にはとても不満、もっと活躍の場を与えて欲しい。しかし前回オリンピックで不満だった選手交代の少なさが真鍋監督になってなくなり、要所要所で交代。場合によっては2枚替えというのはとても良いと思います。

、、、そしてたった今、3位決定戦のライブ中継が決着。第2セットまで先取し日本有利ながら最後まで油断できない手に汗握る試合展開。今回の韓国戦には最初から迫田が起用されました。そして後ろから走り込み高く跳躍、力いっぱい弓なりに撃ち込む迫田らしいスパイクが何度も炸裂。次第に相手のブロックに掴まる状況もありましたが、そこは頭を働かせ微妙にやり方を変えたのでしょう、後半再び迫田のスパイクが何度も炸裂。今回、江畑はベンチを温めていましたが、江畑に代わる大きな活躍。そして第3セット、韓国にとどめを刺したのは迫田(写真)のスパイク、「ざまあ、見ろ、やったぜ、」と叫んだ私。日本女子バレーは28年振りのメダルに輝きました。

◯ 女子バレー勝利への傾向と対策

東京オリンピックで初の金メダルを獲った日本女子バレーは、その後も「銀」「銀」「金」と上位を維持、それ以後は5位以下を低迷していましたが、遂に28年振りの銅メダル、今のチームはどれをとっても頼もしいメンバーしかも若いメンバーが多いので、4年後には金か銀をゲットできるはず。それにはそれなりの準備が必要と思われます。

日本チームの全体的印象からの傾向と対策。外国チームに比べ速射砲パワーが足りない(男子選手を相手に強烈なアタックを受けたり、返したりすべし。今回金メダルを獲ったレスリング伊調は男子合宿で練習。男子選手は彼女を同じ仲間と思っているとか)、フェイントにやられる場面がしばしば見られる(これは対策たてられるはず)、拾って拾って拾いまくる(今回のチームかなり力を入れ成果あったと思いますが、外国チームはさらにその上を行くものが多い。日本がいくらスパイクを放っても拾われてしまう)、相手のコースを先に読んでブロック(動体視力もさることながら、心眼を鍛える必要あり。強い選手相手に多くの経験を積むことでしょうね)、今回の山本、山口や、かつての杉山が得意とする移動攻撃などトリッキーな技、気を見て敏にダイレクト・アタックやツー・アタックなども頭において欲しい。パワーや高さに劣る日本が勝つには、何といっても技あるのみ。

男子準決勝「ロシア対ブルガリア戦」を観ました。男子は格段にスピード・パワー・高さがあり、これはこれで面白い。その格段に強力な男子スパイクのレシーブを見ていて「ははーん」と合点。普通なら受けられず弾いてしまう物凄いスパイクをちゃんとレシーブしています。男子の力が強いからだけでなく、それにはちゃんと技があるようです。受けたボールはどれも天井近くまで垂直に上がっていました。なーるほどね、、プリズムが光を屈折させるのと同じ理屈、受けた強力なパワーを垂直方向に逃しているのでした。日本の女子バレーは是非このテクニックを習得して欲しい。あれができれば、ブラジルのシェーラなどの物凄いスパイクも、弾着で受けることさえできればレシーブできるはず。

◯ オリンピック勝者の道

前回の北京オリンピック、柔道のグズグズのたたかいを見て「いっそのこと柔道もレスリングも一緒にしてしまえという暴挙も?」と書きました。今回の柔道はついに金メダルは女子の松本薫がひとつ穫っただけ。以前のように豪快に一本勝ちということが殆どなくなり、見ていても「何だこりゃ」と面白くありません。一方でレスリングの日本女子、勢いを保っていますねえ。小原日登美の金メダルを皮切りに、伊調馨そして吉田沙保里のオリンピック3連覇。試合自体も見ていても小気味良い。3人とも登場姿からして堂々と危なげがありません。熱血両親に応援される浜田京子は緒戦で敗退、最初から動きも良くありません、両親や周囲の期待ばかりが勝っているようで可哀想に感じました。

そう言えば柔道で唯一金メダルを獲った松本薫、登場してきた時の野獣的な顔が印象的でしたが、取り口もまさにそれ「これは柔道よりレスリングに向いているよね」と思ったのものでした(調べたら小学校時代にレスリングで活躍したこともあったとか)。今回のオリンピックを見ていても、やはり4年前に書いたような理由で世界での柔道は消えてゆく運命かと思っています。柔道や相撲はあくまで両者ともに「潔い勝ち方」を尊ぶ単一民族内での暗黙のルールに則るものではないかと。そう云えばレスリングには相撲の技が活きそう、、

浮き沈みの道のりを乗り越え金メダル3連覇を達成した吉田沙保里、インタビューに応え今後も挑戦の意欲を示しました。さて、ここで思ったこと、、女子レスリング吉田沙保里の挑戦は続く。どこかで必ず負けるはず、負けるまでやるのか。北島康介のように燃え尽きて辞めるのか。女子フィギュアスケート荒川静香のように栄光の座を得て余裕を持ってやめるのか。私自身の好みは後者だが、どちらが良いとも言えない。人生いろいろ、考え方生き方いろいろ、、

◯ 今月の歩術

夏真っ盛りですが、夕方になると日も傾き都会では日陰が多くなります。相変わらず午後5時頃から1時間半近く週3回程度歩いています。帰ってきてシャツを脱ぐとTシャツは汗でぐっしょり、とても心地よい汗。まだ減量モードは継続中で、朝は飲み物とヨーグルト程度。昼に比較的普通の食事を摂り、夕方は大盛りのサラダというような食事(缶ビール一本とか、焼酎ロック1杯程度は欠かさないのですがね)。これでも歩きに出ないでいると体重は減らないどころかリバウンド傾向に向かいます。で、こりゃいかんと歩きに出るのですが、やはり歩くと減少傾向に向いてくれますね。

先月末に目標の 60kg に届いたので本来は減量モード終了のはずなのですが、まだ昔のズボンを履こうとするとお腹の当たりがパンパン。つまり腹部の脂肪が最後まで抵抗するのです。これだけ減量しても体調は絶好調、もうちょっとだけ続けてもよいかなということで目標をさらに 1kg 下げ、常に 60kg をやや下回るところで安定するまで継続予定。面白いのは、減量を始めて3,4ヶ月は空腹感を楽しむようにしていたのですが、最近では空腹を感ずることそのものが余りなくなってきました。ふうーん、今迄どれだけ過剰摂取をしていたかってことだな、本来はこの程度で十分なんだと自分で納得。

今朝は遂に 50kg 台突入、3月のダイエット開始時点から1割体重を落としたことになります。スリムだった学生時代の体重は 60kg と思っていたのですが、どうも 56kg だったような。医局に入った頃、祖母に誂えてもらった三越の上等な背広がまだ大分窮屈です。あの頃は高校時代に凝っていた体操の鉄棒のお陰で逆三角形の体型だったのですが、、9年前のダイエットと違い今回はゆっくり減量したので、あの時のように皆から癌を心配されるようなげっそり顔がコケることもありません。駅の階段をあがるのもとても身軽に滑らかに上がれ、気力も充実、体調は非常によろしい。これだけ減量したので今後は栄養不良に十分気をつけながら維持していきたいと思います。何ごとも「現状維持には継続的努力が欠かせない」と思っています。ちょっと油断すれば元の木阿弥になるはず。ここが大切なことですが、この年令になると若い頃は面倒とか苦労に感じていた努力もほとんど苦になるどころか、むしろ楽しみになってくるのは面白いところ。

歩いて帰る皇居お堀端:写真では涼しげですが、強い西日と地熱が、、

8月も丁度半ば終戦記念日の翌日、東京都医師会の臨時委員会があるので「これは歩いて帰るのに絶好」と思ったものの、神保町駅を出て都医に向かうダラダラ坂を登っているうち「この熱気じゃあ、ちょっと無理かな」。委員会を終え外へ出ると3時半、これからの時間 暑さも盛りを越えてくるだろうとの期待に、とうとう自宅まで歩いてしまいました。いつも散歩ではビル街の日陰を歩くのですが、皇居前などには日陰がありません。上の写真には写っていませんが、この猛暑に皇居前を走るランナーも結構ありました。いつものように丁度中間点、三田に入る地点の自販機ポカリスエットで水分補給。無理をして熱中症などで大恥かきたくないので注意しながらでしたが、盛夏真っ盛りの12km 少々の歩行。辛いこともなく淡々と踏破できました。帰宅するといつもの心地良い汗でびっしょり、、

◯ 元競馬場

目黒区に「元競馬場」という地名があります。目黒不動の裏側に位置し、文字通り元は競馬場だった所。Google map で見ると、確かに競馬場の走路の一部と思われる楕円形の道路が残っています。「ぶらタモリ」で昔の川の跡などが現代の地形の中に意外と残っていることを知り、この競馬場走路の跡を歩いて見ることにしました。

残っているのは走路の4分の1程度でしょうか。途中で途切れ学校の敷地になってしまっているところがあるので、その断端から歩き始めました。「なあるほど走路の跡だけあって広い道路だな」と思って歩いて行くと、まっすぐ走路のはずなのに遠方でT字路に突き当たってしまうようです。そこまで行ってみると道はちょっと食い違っているものの、今度はかなり狭い道になって続いていました。自転車やバイクなら通れる程度の巾しかありません。あとはずっとこの巾で楕円軌道に入り、しばらく行くと終わっていました。

この狭い走路跡は昔の走路の内縁なんだろうか外縁なんだろうか、と考えてみました。心理的にも、残すなら外縁なんではないかなと。そういえば歩き始めの広い道から見ると明らかに外縁の位置で狭い道が続いていたことを思い出し、確信を強めた次第。まあ、どうでも良いことですけどね。このように散歩をしていると色々な発見があり、なかなか面白い、、

◯ 今月の脳トレ

前述の夜学デザイン学校ですが、当初、昔やっていたグラフィック・デザインの教室に入るつもりでした。ところが先月「Web 実践4ヶ月コース」の案内が来たので、その前にこちらに通ってみることにしました。これは Web の基礎を身につけた人達がさらにその上の技術を身につけ、仕事の場での新たな飛躍をめざすもの。私の場合は Web アプリである電子カルテ NOA 開発に役立てるため。

まだ始まって1ヶ月足らずですが、いままで全くの独学で身に着けてきた知識の補完や修正ができ、とても有益と思っています。昨日は先生のお誕生会をやろうということで、私も末席に参加させてもらいました。参加した生徒さんは20代前半の女性3名と先生と私。世代が余りにも違うので話題に多少のずれはありましたが、馬術部の学生連中やコンピュータ関係の若い連中とわいわいやってきたので、私としては何の違和感もなく楽しい時間を過ごすことができました。あちらから見れば、かなりの年配者ということでもっと違和感あったんでしょうがね、まあ、私の精神年齢は20代の学生の頃で停まってますんで、、

◯ デザイン学校のワークショップ

夜学に夏休みなんて考えもしなかったのですが、8月なかばの3週間ほどしっかり夏休み。その間に2回ほどワークショップのお知らせがあったので、両方に参加してみました。

ひとつはハードカバーの装丁「新書版を一冊持参してください」とのこと、勇んで参加。机の上に寸法と作り方の図が置いてあります。ワークショップ開始。まず新書本の表紙を剥がします。フォルダーに貼った古いカルテを綺麗に剥がすため、長年の間に自分なりに会得したテクニックがあります。いきなり表紙を持って剥がすのでなく、机に接した表紙内側奥深くに手を差し込み表紙全体がべったり机に着くよう保ちながら、本体の方を持ってゆっくり剥がすのです。こうすると表紙が破れ本体に残ってしまうことがありません。隣の女の子がいきなり表紙を持って剥がそうとするので教えてあげました。

次にハードカバーの表紙と背表紙の厚紙を置く正確な寸法と位置を、表紙用紙の裏側に鉛筆でしるします。そこ一面に刷毛で薄くノリをひき、表紙と背表紙の厚紙を正確な位置において圧着。厚紙からはみ出た表紙裏側にノリを塗り、丁寧に内側へ折り返していきます。キモは角の部分の折込み方と、この後貼りつける内表紙の位置。ここが綺麗にゆくかどうかで仕上がりが決まります。こういう作業は得意中の得意で先生の説明の終わるごとにすぐ終了してしまい、私だけ手持ち無沙汰。仕上がったハードカバー本、初めての作業とあって やはり角の部分や内表紙の貼り方に不満は残るものの、まあまあ満足できるものでした。

翌週のワークショップはレタリング。色々な書体の歴史解説後、実習に入ります。プロが使う5cm * 5cmほどの方眼紙に鉛筆で「永」という明朝書体をレタリング。約50年前の夜学デザイン学校では、細い筆と定規にガラス棒を使って慎重に墨を入れる作業をよくやったものでした。今回は時間がないので墨入れまでは行わず、鉛筆で輪郭を描くだけ。50年ぶりの作業でしたが、腕もあまり錆びておらず満足な出来栄え。しかし墨まで入れるとなると、かなり腕は落ちているはず。それにしても、やはり自分にはこういう仕事が合っているんだなあと、、これからの人生もっとこちらに踏み込もう。

◯ 区立平塚小学校跡の工事

ようやく工事も終盤にかかるところかと思われます。左側の建物は鉄筋コンクリートにしては珍しく黒いガルバリウム張りのようです。黒いままでは夏場の熱吸収が大きすぎるので、おそらくこの上にまた塗装をするのでしょう。それにしても区はこれだけの工期とかなりの費用をかけこれだけのものを作って、この建造物が区民のためにどれほどの貢献をできるのかはなはだ疑問に思っています。老人のための集会施設や健康施設が入るとか。

それよりこの貴重な広い土地に緑を一杯にした方が、直接的にはメリットがないように見えても区民の健康や精神衛生上どれだけ大きな効果があることか。心ある都市では必ず行なっていることなのに、、

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28年ぶり銅メダルを獲得した日本女子バレー・チーム

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です