2016.08 リオ五輪

わーくすてーしょんのあるくらし ( 282)

2016-8 大橋 克洋

男子体操が団体で金メダル

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◯ 候補者乱立し激しかった都知事選挙

こういう公開の場で、政治や宗教の話は余り書くべきではないのかも知れませんが、今回の都知事選で思ったことをちょっと。

公金の公私混同でバッシングにあい降板をやむなくされた舛添都知事の後を埋めるための都知事選挙が7月31日に決着を見ました。自民党からの公認を受けられず独力で立った小池百合子氏、自民党公認の増田寛也氏、野党四党公認の鳥越俊太郎氏の他に泡沫候補多数。

選挙戦の序盤に思ったこと、自民党が小池氏の公認を強く渋ったわけがわかりませんでした。個人的好き嫌いがあったとかの話もありましたが、そういうことだけだったのか。本人が公認を望んでいたのだし、公認するのが自然だったのではと。そこへ鳥越氏立候補を聴いて、最初は彼も良いかも知れないとも思ったのですが、共産党を含めた野党四党公認に加え彼の主張する内容に本筋から外れているものが多いこと、大病を経て76歳で都知事では体力・知力勝負の厳しい仕事をちゃんとこなすのは難しいと思われます。そもそも夫々に考えが違うはずの野党が四党も共闘するということ自体が異常。そうなると、共闘する目的は東京都を良くするということではなく、唯一の目的は自民党に対抗するということしか無い。一方で自民党公認の増田氏、過去の岩手県知事の実績を知ると、東京都で同じことをやられてはかなわない。

選挙戦の期間中、幾つかの候補者事務所から電話がかかってきました。共産党から電話があったので質問してみました。「歴史上、世界のどの共産政権の国を見ても、為政者が豪華な暮らしをしていることはあっても、国民が幸せな暮らしをしているところはひとつも見当たらないんだけど、どうして?」。返ってきたのは「日本の共産党は違います」だと「へ?」あきれて気も萎え電話を切りました。

選挙戦が進むうち、三候補の言うことを比較していくと、小池さんの言っていることが最もまともで真摯に疑問に答えていると思われます。そして31日、投票時刻終了1時間もしないうちに小池氏の当選確実がニュースに。翌朝の朝刊を読むと、二位以下に大差をつけて圧勝。そうだろうなあ、と思ったのでした。私が日本産婦人科医会の広報担当幹事をしていた頃、広報誌の新年号対談の企画で、議員になったばかりの小池さんをお招きしてお話を伺ったことがあります。あの頃は秘書さんの運転する自家用車で帰っていかれましたっけ、、

23年前の座談会:小池議員(右端下)と私(左端上)

これで11月の米国大統領選挙でクリントンさんが大統領になると、独英米の大統領、そして世界の大都市東京の知事が女性になる。女性が強いのは良いこと。世の中が平和な証拠です。戦争になれば嫌でも男性が強くならざるを得ない。

◯ リオ五輪:体操

4年間待ちかねた夏季オリンピック、開会前から不安要素の多いブラジルのリオで開催されました。私が関心をもつ競技について印象を書き留めておきたいと思います。

体操は、私が高校時代から大好きな種目。私が中学に入った年、ローマの世界選手権で竹本正男と田中敬子が金メダルを獲りましたが、当時まだ日本では「体操」という競技には誰も目を向けていませんでした。中学2年の頃でしょうか、休み時間に校庭の鉄棒にぶるさがることに興味を持つようになり、竹本選手の鉄棒運動の写真の入った本などを参考に安藤君という親友と二人で砂場の鉄棒につかまり独学で色々な技を習得しました。翌年のメルボルン五輪で小野喬選手が種目別の鉄棒で金メダルを獲り、ようやく「体操」にもスポット・ライトが当たるようになり、とても嬉しく思ったものです。

さてリオ五輪では、みごと日本チームによる団体の金と内村航平による個人総合の金を獲ることができました。特に印象的だったのは内村の個人総合。団体予選の鉄棒でまさかの落下をした内村、最後の種目鉄棒を残したところではウクライナのベルニャエフにかなりの差をつけられ、内村が鉄棒でかなり良い得点を獲っても、ベルニャエフに15点を出されれば敗けという状況。これまでの成績から見てベルニャエフにとって15点は朝飯前、これは完全に内村の優勝は難しいと誰もが思っていました。ところがベルニャエフの鉄棒の結果は僅かに15点に届かず、内村の金が決定。内村やそのチーム、そして日本中が湧きました。

もうひとつ印象に残ったことは、この後の記者会見。外国人記者から内村へ「あなたは審判陣からかなり好意的に見られていて良い点数が穫れたということはありませんか」という意地悪な質問。内村は「まったくそんなことは思っていません。皆さんどんな選手に対しても公平にジャッジしていると思います。審判も人間ですから好き嫌いはあるでしょうが、ここにはそういう感情は入れていないんじゃないかと思います」と冷静に応えていました。

しかし、この質問に憤ったのは、終盤まで内村に先行し最後の大逆転を喫したウクライナのベルニャエフ「審判ももちろん個人的フィーリングというのは持っているわけです。しかしスコアをつけることについては、フェアで神聖なもの。航平はキャリアの中でいつも高い点数を獲ってきています。ですから大変今の質問は無駄な質問だったと思いますよ」と返しました。当日朝バスから降り会場に向かう内村に追いつき、握手を求める外国選手がいましたが、これがベルニャエフでした。彼が熱烈な内村ファンだったことが伺えます。

種目別では跳馬で白井の銅しかありませんでしたが、日本の体操チームの整然と精密な技が印象的でした。今回の内村航平、エースの自覚で個人総合の金を穫るまで緊張感で保っていたのでしょうが、流石に年齢的にこれがスタミナの限界という感じが垣間見え、私にはちょっと悲壮感も伺えました。個人総合最後の種目鉄棒で着地をピタリと決めたあと、席へ戻ってから物凄く腰が痛そうでした。ぎっくり腰をやってしまったとか。

体操競技も昔に比べ遥かに技の難度が上がっています。過去に日本選手が開発してきた技がいくつも外国選手の演技の中にも組み込まれていましたが、4年後の東京オリンピックに向け、難しい技を難なくこなす日本の若い選手がどんどん育ってくれると良いなと、、

◯ リオ五輪:女子バレー

韓国戦。これは重要なポイントになる試合と思ってきましたが、結果的にみてもそうでしたね。以前から日本に対し戦意を露わにする韓国。日本は第1セットをとったものの、第2,3,4セットをとられて敗退。

カメルーン戦。日本より格下のチームながら、善戦したものの、これは難なく日本がストレート勝ち。長岡・石井・木村が多くの得点を取りました。

ブラジル戦。開催国とあって盛大な応援のアウエイ状態。歴戦の日本チームですから、これにたじろぐことはなかったと思いますが、ストレート敗け。迫田選手がチームトップの11得点の活躍をしたものの挽回できませんでした。

ロシア戦。世界ランク4位のロシアにストレート敗け。ここでも木村選手に並び迫田選手の活躍があったのですが、叶いませんでした。

アルゼンチン戦。ここでようやく日本のストレート勝ち。石井がチームトップの18得点を上げました。これで準々決勝へ進出となりました。一次リーグでの最終順位、ブラジル・ロシア・韓国についで日本は4位。

米国戦。準々決勝の第1試合。以前、日本は米国に勝ったこともあるのですが、長岡・石井の活躍にもかかわらずストレート敗けとなって、決勝への道は絶たれました。

前回のロンドン五輪で銅メダルを獲った日本ですが、今回はメダルに届くことができませんでした。若手の石井の頑張りなどが見えたものの、この春まで鋭いスパイクを見せていた長岡をはじめ全体的にやや精彩を欠いているように見えました。ロンドン五輪の竹下・佐野を欠いたリオのチーム、これを補うことができなかったのが敗因のひとつと云う論評もありました。あの頃より長岡・石井など若くパワーのある選手が加わり力は落ちていないと思っていたのですが、何か今回は全体的にノリきっていけなかったように感じました。やはり初戦の韓国にストレート敗けしたのが一番大きかったのではないかと感じています。

東京五輪に向け、大きくチームを成長させる必要があります。何年も前から書いてきたように「日本には打てば必ず撃ちぬく速射砲がいない」のが非常に大きい。韓国でもどこでも強いチームには必ずそのような選手が何人か居る。調子の良い時の長岡あたりが、それに近いのですが、、金メダルを幾つもとった女子レスリングのように、日本人にもパワーのある人材は必ず居るはず。トレーニングの仕方にも関係あるかも知れません。日本チームにも「打てば必ず撃ち抜くパワー」と「日本人らしい精細で多彩な技」を持つメンバーの現れるのを切望しています。

◯ リオ五輪:女子レスリング

日本レスリング陣は、まさかの金メダルを連続3つ獲得。その中でも伊調馨のオリンピックにおける金メダル4連覇は女子で初、男子でも4人しかいない快挙。その後に残った試合、吉田沙保里も勝てば4連覇ということですが、五輪開会前からマスコミで金の前評判の高かった吉田だけに「大丈夫だろう」という気持ちと「大丈夫だろうか」という気持ち半々で試合結果を固唾を呑んで見守りました。マスコミによる「贔屓の引き倒し」を度々見ていますから。選挙も同じのようですが「絶対大丈夫」というのが危ない。「危ないあぶない」と言っていた方が良いのです。

準決勝まではマスコミの云う「絶対王者」らしく堂々の勝ちっぷりだったのですが、決勝で当たる米国のヘレン・マルーリス(24)が「絶対に吉田を倒す」と張り切っていると聴き心配な気持ちもありました。そして決勝の結果、あれあれと思う隙にバックをとられ、まさかの敗退。今回の女子レスリングどの選手も最後に逆転勝ちしていたのですが、いかんせん吉田がつけられた点差と残り時間から逆転のチャンスを掴むことができず、突っ伏して涙に濡れる吉田の姿はとても気の毒に思いました。きっと日本中の皆が同じような気持ちだったのではないでしょうか。

今回金メダルを獲った若手選手に対し吉田選手は「オリンピックに魔物がいるというが、魔物が住むのは自分の中」と言っていたそうですが、今回の吉田の敗けはまさにそれかも知れません。相手にバックを取られる様子をみても、最盛期の吉田なら素早い身のこなしでかわせたはず。今回もかなり早い身のこなしをみせていたのですが、ちょっとしたところに年齢的なものが出てきてしまったのかも知れません。身のこなしも精神的なものから来ていますから。

世界選手権13連覇、オリンピック3連覇、個人記録206連勝という前人未到の記録を打ち立てた吉田沙保里に感じていたことは「いつがリタイアする時なのだろう」ということでした。闘い続けている限り必ずどこかで敗けは来るはず。「勝ってやめるのか」「敗けてやめるのか」ということが気にかかっていました。フィギュアスケートの荒川静香のように金メダルを獲って辞めるのも格好よいと思うのですが、吉田沙保里は自らその反対の道を選んだのでしょう。これは平泳ぎの北島康介にも感じてきたことですが、彼も敗けてやめることになってしまったのは残念です。「終わりよければ全てよし」という言葉があるように、どうしても「最後の印象が全体の印象として残ってしまう」傾向がありますから、、

人それぞれと思いますが「引き際の美学」は、自分の身に照らしてもなかなか難しいものと思います。それにしても吉田沙保里、準決勝までは素早い身のこなしを見せ、まったく危なげない勝ちっぷりだっただけに、本当に残念だったなあ、、

ところで、こうして米国女子レスリングに初めての金をもたらした米国のマルーリスは吉田のファンだったようで「サオリと試合をすることを長年夢に見て、彼女と戦う準備をずっと続けてきた。彼女は私のヒーロー。彼女は最もたたえられているレスラーで、彼女と試合をできたのは本当に名誉なことだった」と泣き笑いの表情を見せたそうです。

レスリングどの試合を見ても、日本選手の方が圧倒的にスタミナがある。外国選手が後半スタミナ切れになるところで攻勢を強めるパターンがよく見られました。女子バレーも「スタミナを鍛える」ことが必要かもしれないな、と思ったのでした。

◯ 「君が代」について

『一部の日本人には日本国歌:君が代に「気持ちが暗くなる」とか「怖い」という印象があるが、外国からは「アート性に富んでいる」「礼儀正しさが表れている」「美しい日本の象徴」と絶賛の声が飛び交っている』という記事を読みました。日の丸や君が代をヘイトする感情は日教組による小学校時代からの植え付けが大成功している証ではないかと思っているのですが、、

「自分の国の国旗や国歌に誇りを持たない」現象を、私は以前から非常に苦々しく思ってきました。国は自分達の「社会」であり自分の「家族」と同義なのに。ちゃんと外国の人の方が正しく評価してくれている。

金メダリストのウイニング・ラン、背中の日の丸がとても美しく見えたのは私だけ?

閉会式の会場のフロアーに描き出された日の丸も、私にはとても美しくみえました。

◯ 今月の歩術

今年から8月に「山の日」という祝日が加わりました。近年は中高年の登山がブームのようですが、それに伴い事故も増え半数が中高年だそうです。若い頃に登山の経験があり「頭では昔の身体のつもりでも、身体の方は劣化していて思ったように動かなかった」というのは良くあること。私の知人が足を骨折し松葉杖だったので、聴いてみると「歩道を仕切るチェーンをひょいととび越えようととしたら、足が引っかかって転倒」したそうです。

もう大分前の事ですが、大学馬術部の合宿に行って学生達が乗馬するのを見ていて「こら、踏台なんか使って乗るな。飛び乗りしろ」と怒ったのですが、その後自分が乗ろうとしたら、足がジタバタするだけでまったく乗れなかった。自分自身にものすごく腹が立ちました。鉄棒をやっていた学生の頃は手さえ掛かれば何処にでも上がれたのに、体重が増え腕力が衰えたと言うこと。

もっと極端なのは「70歳の女性がお金や時間の余裕ができたということで、キリマンジェロに登ってみたいと意気込んでいるが、国内でも登山の経験はなく、年に数回ハイキング程度。老後のチャレンジと溌剌とした笑顔をみせるのだが、とても危険。このような挑戦者が少なくない」と、ある登山家は述べていました。

で、その登山家が、中高年で登山をめざす方々へ勧めていること。ウオーキング程度では準備が足りない、せめて次の3つのトレーニングを。一つめは「階段の昇降」2つめは「肺機能のトレーニング」3つめが「バランスのトレーニング」。肺機能のトレーニングは、ストローと綿棒を使った吹矢の練習でも良いそうです。

これを読んで、自宅13階までの階段の昇りをやらなくなって「心肺機能のトレーニング」がちょっと弱くなっていますが、朝の散歩では努めて横断歩道橋や坂道を選んで歩くようにしています。中国武術の軽い練功や「電車の中で掴まらないで立つ」など、バランス感覚のトレーニングは毎日欠かしません。登山の予定はありませんが、知らず知らずの間にちゃんとトレーニングはやっていましたね。以前、毎日13Fまで階段を登っていたころ思ったのは「階段を上がるのに必要なのは脚力より心肺能力」ということでした。

この春の「平塚まで50キロ踏破」に先立ち、30キロから少しずつ距離を延ばしていき、持久力がついたところで挑戦したのも合理的だったということか。人生こんな勉強もなかなか面白いものです。

8月というのに20日頃からは、朝の散歩で秋の虫のすだく音が聴こえるようになりました。大好きな虫の音をもっと聴こうと林試の森へ行ってみましたが、あたり一面盛大な蝉しぐれで虫の音を聴くことはまったくできませんでした。

◯ 未来に残すべき文化や技術などの記憶

「日本から失われていく文化・技術その他のものがどんどん失われてゆく」「これらを残していくには、Wikipedia のような形で文章・写真・動画など色々なかたちでインターネット上にこれらの記憶を蓄積していくべき」と以前ここに書きました。

このたび Yahoo が「未来に残す戦争の記憶」というタイトルで、戦争中の写真や体験者の話の動画などを遺すプロジェクトを始めていることを知りました。まさに私が考えてきたもの。このようなかたちで宮大工などの技術、江戸しぐさ等など、日本の文化が熟成させてきたありとあらゆるものを蓄積し後世の人々が利用できるようにしたいと強く思います。

◯ 終戦記念日にあたって

Yahoo の「未来に残す戦争の記憶」まだ全部は読んでいませんが、青森市にも B29 の絨毯爆撃があったんですね。青森の爆撃により1000人もの人が亡くなり、市内の道路はもちろん、沼や川にも死体が累々と横たわりそれは悲惨な状況だったようです。これとは比較にならない大規模の東京大空襲ではもっと酷い地獄絵だったのでしょう(私はその頃まだ3歳、母や祖父母とともに埼玉へ疎開していました)。広島や長崎の原爆だけが大きくとりあげられますが、悲惨さにおいては東京大空襲の方が酷かったのではないかと。

日本は韓国や中国から残虐行為ということで今だに戦争責任を追及されていますが、最初から大量の非戦闘員殺戮を目的とした米軍の大都市絨毯爆撃について云々されることが余りないのは、私としては非常にアン・フェアと思っています。「勝てば官軍」ということはあるのでしょうが、これを大きな声で口にしない日本という国民、世界でも希少なのではないでしょうか。

太平洋戦争で唯一、米軍の死傷者の方が多かった硫黄島の闘いでは、地下壕に篭もり抵抗を続ける日本兵に手を焼いた米軍は、地下壕の上からガソリンを流し込み火を付けて焼き殺したといいます。火炎放射器なる武器も非常に残虐なもの。ナチスのガス室の方が残虐性においては、まだましなのではないか。このように「戦争では何でもあり」故に「絶対に戦争はしてはならない」のですが、日本で東京大空襲などを大きく非難する声はほとんど聞かれません。日本は隣国に比べ何てお人好しなんだろうと、、

◯ さらば カレンダーアプリ sunrise

カレンダー・アプリは私の日常生活になくてはならないものとなっています。10年以上前までは市販アプリに良いものがなく自作アプリを使ってきたのですが、特にスマートフォンが普及する頃から色々と良いアプリがでてきました。

そのようなアプリを幾つか遍歴してきましたが、最近は sunrise というアプリが気に入って使ってきました。このアプリは画面の狭い iPhone では余り使いやすくないのですが、iPad や Mac では使いやすいのです。しかし本日 sunrise を開けてみると「sunrise はマイクロソフトに吸収されたので8月一杯で終了します」というメッセージが表示されました。そういえばマイクロソフトに買収された話は聴いていたのですが、いきなり終了とは思いませんでした。

電子カルテ NOA のサーバを動かしているデータベース MySQL も数年前にデータベース大手 ORACLE に買収され、使えなくなってしまうのを非常に心配していましたが、現在でも問題なく使えており、ORACLE の腹の太さに敬意を評してきたところです。そんなことで、まさか sunrise がサービス終了とは。今後 sunrise は outlook に置き換えられるとか、到底使えたものではないので、きっぱり sunrise の使用は辞めることに。

私はカレンダーのデータを google calendar に保存しています。そういえば「最近 MacOS 標準のカレンダーも google calendar を素直に表示してくれるようになったはず」と、久し振りに Mac のカレンダーを開いてみました。「おー、見た目も sunrise と余り変わらないじゃん」ということで、本日からカレンダー・アプリは Mac 標準に切り替え。

それにしても、なぜカレンダー・アプリごときものを自社開発できず、他社製品を買収せねばならないのか。マイクロソフトにはめちゃめちゃ大勢の開発者がいるはずなのに。ん?めちゃめちゃ大勢いるから駄目なのか、、

◯ 狩猟民族と農耕民族

現在広く普及している iPad などのタブレット型コンピュータは、ゼロックス社のパロアルト研究所にいたアラン・ケイが思い描いていた理想的携帯型コンピュータ「Dynabook(後日、東芝のノートブックの名称としても使われた)」を実現したものと思っています。そのアラン・ケイが印象的なことを言っていました。

「短期的に新製品を送り出しているテクノロジー企業は未来を長期的な視点で捉えていないと否定する人がいます。こういった状況に対してパイオニアとしてのあなたはどう考えていますか?」という質問に対し、ケイ氏は「価値とは何なのか、ゴールとは何なのか今一度考えなければいけません。もし価値が狩猟採集民のことを指すのであれば、生態系は利用された後に何も残りません。狩猟採集民は移動するだけで、その土地に木々を植えたり、土壌を耕したりすることはないでしょう。新しいタイプの農業技術が発明されるといったこともありません」と話しました。

ケイ氏は非常に短いリリース期間で新しい製品を発売し、稼げるだけ稼いだ後に新しい発明を生み出すことなく違う分野へ移行するIT企業を、狩猟採集民に例えて強烈な皮肉を交えて意見を述べたと思われます。

なーるほど、最近の世の中を見ていると「狩猟民族」。彼らの過ぎ去った跡はイナゴの大群の過ぎ去った跡のように何も残らないという状況もよく見られるように思います。海の幸を根こそぎさらって漁場を荒らす某国の漁船群などはその最たるもの。これに対し、未開のジャングルなどで生活する人達は、今自分に必要なだけしか自然の恵みを摂らないため、資源が枯渇することがない。「昔は自然の利息だけで食っていたのに、現在は元金にまで手をつけるようになり、どんどん先行きが危うくなっている」と表現する人もいます。

◯ Jobs なきあとの Apple

Jobs が居なくなる頃から予想していたことですが、最近の Apple は我々をドキドキ・ワクワクさせることが極めて少なくなりました。そのひとつに新製品の発表サイクルが長くなったということがあります。

ある記事を読んでいたら、これが現在の Apple 社の方針だそうです。Apple 社自身、iPhone の製品サイクルは3年、Mac は4年と言っているそうですが、その記事の述べるところによれば Apple は製品サイクルを延ばしても何も困らないのだそうです。むしろ寿命が延びるに従って CPU など部品の単価がさがるため収益は上がる。現在でも十分な収益率を上げている。Apple は企業として「ユーザのためではなく、あくまで会社のことを考え製品サイクルを決めている」と、その記事は述べています。

確かにそのようなこともあるのでしょうが、もし Jobs 健在であれば「あくまでユーザに素晴らしい体験をさせたくて」モノを作っていたはず。そしてその結果として莫大な利益を上げてきたと思っています。Apple に少しずつ、つまらない会社に傾きそうな気配を感じています。日本のホンダやソニーなど、ユーザを常にドキドキ・ワクワクさせる会社がつまらなくなってきとことに比べれば、Apple はかなり踏みとどまってきたと思うのですが、もっと広い視野で考えてみれば、このような流れは世界的傾向なのかもね。

上に述べた「狩猟民族」化にも関係あるのかも知れないなあと。人類を末永く温存するには「樹を切ったあとには植林し緑を活き活き保つ努力をする」文化が欲しいなあと。

◯ Apple の CEO ティム・クックの話から

「今や Apple の売上高の 2/3 以上を iPhone が占めていますが、iPhone に縛られたビジネスから今後どのように移行するのですか?」というインタビュアーの問いに、ティム・クックは「PCの世界販売台数は約2億7500万台、この数は減少しています。スマートフォンの世界市場は14億台です。時間がたつにつれ、世界のすべての人がスマートフォンを持つようになると私は確信しています。もちろんそれまでには時間がかかり、また、すべての人がiPhoneを持つわけではありません。しかし、コンシューマー向けの電子機器という点では、スマートフォンは地球上で最も巨大な市場です。家庭にはテレビがありますが、テレビは1人に1台というわけではありませんし、そうなることはないでしょう」と答えています。

これを受けたインタビュアーの「Appleが次に世界を変える技術は何だろうか? と聞く人たちに対し、あなたは、スマートフォンのようなものは他にはないと言っているのですか?」の問いに対し、ティム・クックは「私たちは何もする必要はないと言っているわけではありません。まだスマートフォンが、信じられないような製品カテゴリーにあると言っているだけです。それは今後数年通してあてはまることです。ですから、素晴らしい日々は過ぎ去ったと思って欲しくありません」と答えています。

これは、まさに私も考えてきたこと。このコラム2000年4月号に「これからはデータを持ち歩くので はなく、自分のサーバに溜め込んだデータを携帯電話程度の端末で読み書きするのがベストと考えています。 ワイシャツのポケットに入る程度のコンパクトな携帯端末をイメージしていますが、これとはまた別に、本格的コンピュータとしての携帯マシーンも必要です」と書きました。当時想定した「自分のサーバ」が「クラウド上のサーバ」になることまでは想定できませんでした。この頃はまだ、シャツのポケットに入り、ネットワークに繋がるコンピュータなど夢のまた夢でした。

今やこれが現実となり、これからしばらく「ウエアラブル・コンピュータは日常欠かせぬものになるだろう」と私も思っています(脳をアシストするという意味で「附属脳」という呼び方もありますが、そのうち、それらは人体埋込みになってしまうかも)。

◯ 今年の夏

今年の夏は昨年に次いで世界的に観測史上もっとも暑くなるという話でしたが、オリンピックも終わり20日を過ぎると朝方など秋めいた空気となり、気温も30度に届かないことが多くなりました。

エルニーニョ現象が顕著だそうで、ことし前半いつもより少なかった台風が8月中旬には3つもまとまって発生。その一つが沖縄南方で留まっていたのですが、月末になると発育してブーメランのようにUターンで逆戻り、左カーブで東北へ上陸。このようなパターンは観測史上初だそうです。

世界的には記録的な気温上昇があったのだろうと思いますが、日本では比較的短い夏だったように思います。

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日曜散歩:大手町 緑の舗道

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です