2007.03 気を練る

わーくすてーしょんのあるくらし ( 169 )

2007-3 大橋克洋

このコラムの索引ページに 「可能か不可能かなど考えず、 何としてもこれがやりたいぞーと叫べば、 神は必ず授けてくださるでしょう」と書きました。 いま私が「これが欲しいぞー」と思うものに 「人間電送機」があります。 スタートレックにでてくるやつ、 あるいはドラエモンの「どこでもドア」ですね。 軽井沢の別荘に住み、原稿を FAX で送ることにより 仕事のできる作家をうらやましく思ってきました。 人間電送機があれば 普段は南の島に住み、 仕事や買物などの時だけ東京に出てくることができますからねえ、、

「人間の身体をスキャンし、 検出した分子を別の空間で再現する」という原理で実現可能と思います。 しかし、私の生きているうちの実現は無理でしょうね (スキャン部分だけでも出来上がっていれば、 私がこの世から消えた後に私を再現できる?)。

ところで「転送されるものは実体? それともコピー?」と考えました。 これはコピーになるでしょうね。 なぜって、転送なんてものは途中でトラブルがつきものですから、 実体も消えてしまってはたまりません。 そうなると、現在問題になっているクローン人間を いくらでも作れることになりますね。 「うーん、どうするんだろ、、 ま、自分の生きている間の話ではないから、悩むこたないか」。

○ 久しぶりの風邪

まず不健康ネタから、、 先月末、久しぶりに風邪を引きました。 単なる上気道炎だったのですが、 症状がほぼ消失するまでに2週間かかりました。 朝起きた時「何か喉の奥が変だな、、」と思ったものの、 その後たいした症状ではなかったのですが、夕方頃から咽頭痛がひどくなりました。

「これは参ったな、、」2日後には講演を頼まれていて 1時間ほどしゃべらなくてはなりません。 幸いなことに講演の方は、 話ながら水を補給することにより何とかごまかして、 咳き込むこともなく無事終えました。 しかし最初の1週間は鼻水や咳が止まらず、 都医でも何人かの理事の方から「大橋先生、風邪大丈夫ですか?」と、 お気遣い頂きました。

たいしたことのない風邪のわりには、 全治まで2週間近くもかかりました。 その間、朝晩のトレーニングも大分はしょることになり、 ちょっと体力低下したようです。 めったに病気をしないためか、一旦 病気になると気力・体力的に めっきり弱くなるところがあるようです。困ったものです。

○ 今月の「歩き」

次は健康ネタです。そんなことで、朝夕のトレーニングは「少々軽目のものを」 ということで、中国武術「八卦掌」の走圏を行うことにしました。 以前も書いたように 八卦掌では「円弧を描いて、ただただ 歩くことにより強くなる」 ということで、円を描いて歩く基礎錬巧があります。 これには多少広いスペースが必要と思っていたのですが、 中国武術の多くは「牛のねそべる面積」 すなわち「畳2帖分」のスペースがあれば練習できるのが特徴です。

これを思い出し、2帖ほどのスペースの中で円を描いて歩く練習を始めました (馬術用語では「輪乗り」と言います。 馬術でも馬体を柔軟にする効果が高いとして、 基本的に よく行われるトレーニングであることを思い出しました。 馬術の場合は駆足で行うことが多いです)。 一方向では目が回るので2、3度周回するごとに、 方向を変えて歩きます(これを馬術用語では「手前を変える」と言います)。

最初こんな狭い所では、フラフラと足が定まらなかったのですが、 数日するうち安定して足音もなく歩けるようになってきました。 これだけ何年も「歩き」に特化して研究してきても、 まだまだ「歩き」の奥は深いのですね。 中国武術の鍛錬の特徴は、「足腰を鍛える」「安定性・バランス感覚を鍛える」 「身体の柔軟性を鍛える」などが特徴で、 これにより自然と動作スピードが上がるようになります。

「歩き」を研究しはじめてから、 自転車のように「上下動のベクトルなしで前方へスムースに歩ければ、 無駄なエネルギーを使わず楽に進行できるはず」と考えてきました。 1年前このコラムで「歩く站椿(たんとう)により、 上下動が少なくなった」と書いています。 しかし実際には重いバッグなど提げて歩くと、 つい前足がドシンと降りてしまいます。

そこで最近の歩きを振り返ってみると 「上下動なく自転車のように前方向の動きだけ」で歩けているようです。 そのコツは「後足と腰の軽い沈み込み」と 「額など身体前面に感ずる軽い抵抗」の意念にあるようですね。 疲れず速く歩くためにも、これは重要なポイントです。 流行りの健康ウォーキングには絶対ない動きで、 しっかり站椿を行い足腰を鍛えてはじめてできる歩きです。

○ 変わってしまった SONY、変わりつつある社会

「AIBOなどロボット事業くらいの夢は、 会社のアイデンティティーとして残しておいて欲しかった」 「SONY も HONDA も創業者がいなくなった後、 どんどん面白みがない会社になってしまった」 「これから当分の間、SONY はつまらない会社であり続けるのでしょう」 「今度の CEO の人柄が見えるような気がします。 CEO を米国から招いたことが、今回の大きな変化の原因?」 と 昨年初め書きました

ジャーナリストの立花隆氏が、 まさに 私の考えていたことを裏付けるようなこと を書いています。 「そもそもソニーという会社は『真面目なる技術者の技術を、 最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設』 を会社設立の目的にかかげ、 技術者たちはそういう風土の中で、思い切って創意工夫あふれる技術的冒険を 試みるのが伝統だった」 「ところがソニーからそのような雰囲気が失われてしまい、 クリエイティビティが失われ、ソニーらしい魅力あふれるユニークな新製品も さっぱり登場しなくなった」 「ソニーに何が起こったかというと、 アメリカ流 成果主義中心の経営学が幅をきかせ、 成果の点数と報酬に直結する評価システムが導入されたため、 思い切ったことをすると失敗して点数を落とす危険性があり、 技術者がすっかり萎縮してしまった」。

ああー、以前私が想像で書いたように、 やはり米国人の社長になったことと かなり関連性があったんですねえ、、

Apple 社もギル・アメリオあたりが CEO の頃、 創造力のまったくない何も面白くない会社になってしまっていました。 しかし奇跡的な Jobs の生還によって、 活気と想像力にあふれる愉快な会社としての Apple が復活しました。 創業者の復活がこんなにも違うものかという例ですが、 これはまさに奇跡であって、 今後もめったにあることではないのでしょう。

ところで、「思い切ったことをすると失敗して点数を落とす」 ということでは、現代日本の全体がそういう「病」にかかっていますね。 憂うることに症状はますます重くなりつつあるようです。 「気象庁の桜開花予測の間違い」で、 担当者が記者会見で頭を下げ謝罪するなどということは、 どう考えてもおかしいと思いませんか? 、、マスコミ自身は、もっと重大な誤報道をしても このような謝罪会見をしませんが、、 世の中で「本当に大切なものは何か」ということを、 現代人はますますわからなくなっているのだと思います。 そのようにマスコミが教育している?

○ うわっ Web Server が動かなくなった!

PHP のプログラミングはローカルなマシーン上で MAMP という MacOSX 用の PHP/MySQL 環境で行ってきました。 PHP も大分呑み込んできたので、 この Web を公開している外部向けサーバで動かしてみようと思い立ちました。 外部サーバ上に MAMP という特定環境で動かすのは得策ではなそうなので、 別途 PHP をインスロールすることにしました。

試しに MacOSX 用の PHP を download してきて、 ローカルなマシーンにインストールしてみました。 インストールは極めて簡単です。 インストール方法については、 私の web site の Software install manuals に載せました。 MAMP を使わないでもバッチリ PHP が動くようです。 「それじゃあ、これを外部サーバにも載せよう」と思ったわけです。

外部サーバに PHP をインストール。 ついでに MacOSX Server のいくつかの online update も実行して reboot。 「うわっ Web サーバが動かなくなった!」、 他のものは問題なく動いているようです。 online update による可能性もないとは言えませんが、 今まで Apple 社はそんなヘボをしたことは殆どありません。 web サーバが動かないと私のスケジュール表などを読み書きできなくなるので、 これが一番困ります。何とか復旧させなくては、、

error_log を見ると PHP のインストールで上書きしたどこかの部分が、 httpd の立ち上げを妨害している可能性が高そうです。 原因を追求しようとしましたが、 web server の本体である httpd の立ち上がる仕組みから勉強する必要がありそうです。 サーバには予備 HD も載っているので 「ええーい、OS を新しくインストールしちまうか」 とも思いました。しかし、それはそれで mail サーバなどのコンテンツを正しく移動できず 泥沼に入る可能性もあります。

結局観念して、httpd のコケる原因を追求することにしました。 試行錯誤の末 log を追っていくうちに、httpd 立ち上げの時に起動するいくつかの ファイルの中に、php 関連のものがあることに気がつきました。 そのファイルのタイムスタンプを見ると、問題発生した頃の時刻です。 「こいつか?」と、半信半疑でそのファイルを他へ除去し、 httpd を起動してみました。「バンザイ!」動きました。 泥沼覚悟だったのですが、数時間の格闘で済みました。 ヤレヤレ、、

あとで気がついたのですが、MacOSX Server の場合、 通常の MacOSX とは違って PHP は標準で搭載されていたのでした。 ただし最新の PHP5 でなく PHP4 ですので、 いずれまた PHP インストールに再挑戦する必要がでてこないとは言えません。 MacOSX Server には 他にも Tomcat なども標準で載っており JSP も動かせそうです。 ちょっと試してみた範囲では、Tomcat うまく起動できなかったのですが。

○ 「もう」か「まだ」か

昨夜、小椋桂の音楽活動の特集番組をやっていました。 彼が銀行員だった頃から、胃がんを乗り越え、現在の音楽活動まで、 彼の歌をふんだんに取り入れた とても良い番組でした。 私より年齢が かなり上かと思っていたのですが、私より1、2才 年下なんですね。

胃がん宣告を受けた後の言葉 「死というものは予告もなく、突然くるものだと思っていたので、、」 という言葉も同感ですが、それを乗り越えての感想の中で 「(死と同様)老いというものは必ずやってくる。 しかし『もう年とってしまった』と思うのと、 『年をとっても、まだできる』というのでは違う」 という言葉にもとても共感しました。

胃がんを乗り越えた後の 歌う姿の方が、 声にも張りがあり表情も生き生きと見えました。 人生を心から楽しんでいるからでしょうね。 50代後半で大学に入学し直して勉強した話、 とてもうらやましいです。 私もインターン時代に夜学でデザイン学校に通いました。 「こんな面白いことやっていて良いんだろうか」 と思ううち父が突然倒れ中退になりました。 「いつかまた入学しなおしデザインを勉強したい」と思ってきましたが、 暇も経済的余裕もないうち時間切れになりそうです。 「ま、生まれ変わってから やればいいか」と、、

今月23日に65歳となります。 「門松は冥土の旅の一里塚、めでたくもありめでたくもなし」 というように、普通は この年齢になると齢をとるのが嬉しくない人が多いのだと思います。 しかし私はここ数年前から65歳になるのを楽しみにしてきました。何でですかね。 人生の節目だからでしょうね。これを過ぎると次は70歳の誕生日が楽しみです。

練巧を重ねるごとに能力の上がる中国武術を知ったため? その上、プログラミング能力も復活してしまって、 まだまだ当分は人生を楽しめそうです。 ある人が「人生は生きてるあいだの暇つぶし」と 言っていましたが、、私はそこまでは開き直っていません。 暇つぶしにしちゃあ、面白いことが多すぎますんでね。

○ 創造に必要な「一見きまぐれ」

TV 番組「プロフェッショナル」で、 「風の谷のナウシカ」などで有名な宮崎駿監督をやっていました。 この方も66歳、私より1歳上の同年代なんですね。 彼がアトリエにしている建物のインテリアや その立地条件も大変素敵でしたが、 新しい作品に取り組む前の姿には大変共感できるものがありました。

構想を練る間の数ヶ月、 独りでそこに閉じこもり、全然関係ない(と思える)ことをしています。 そして楽しい空間。 「そうだよなあ、そうでなければ楽しいものは作れないよなあ、、」 と共感しました。米国の先進的なものを生み出す IT のアトリエでも、 部屋の中を犬が歩き回ったり、天井に魚のオブジェが泳いでいたり、 と楽しい雰囲気があったりします。

そんなことで、HOTプロジェクトの構想を練る私も、 1月から楽しいプログラミングにはまったり、 久しぶりに割箸建築で新しい家を建てたりしています。 暇な訳ではなく(でも時間は作っている?)、 忙しい仕事をかかえ解決すべき宿題があるからこそ、 楽しい時間を過ごしてその解決に向かおうという訳なんです。 それにしても、構想がまとまって一旦本番に入ると、 もの凄い不機嫌が続く宮崎監督の姿に 「やはりプロなんだなあ、、」と思いました。

そう言えば、私の尊敬する天才プログラマーの K さん(この方も同世代だな、、)、 部下達が黙々とプログラミングするなか、 ひとり楽しく新しい 3D ゲームで遊んでいたりします。 しかし、他人の新しいアイデアを聞く目を見ると その力の入り方が遊んでいる時の目とはまったく違う、 はたから見て怖いような真剣な目に変わります。

私も一応プロの面も持ちますが、あそこまで入れ込むことはできません。 まだまだ甘いんですね。脱帽です。 まあ、私自身はこれで良いと思っているんですが、、

○ 「気」を練れば脳細胞も活性化?

正月休みの小さなプログラミングがきっかけとなり、 2月はひさびさにプログラムに入れ込みました。 PHP と javascript による web application です。 4年前に WebObjects で書きかけていた電子カルテ NOA の web application 版に PHP と javascript で挑戦しています。

WebObjects に比べ、機能的に足りないところは沢山あるのですが、 そこはそれ PHP/ javascript を使い慣れてくると、 少しずつやりたいことが実現しはじめました。 ただし電子カルテとして実用の域に達するまで、 めげずに続けられるかが一番の問題です。 何しろ電子カルテときたら、ソフトウエアの中でもっとも複雑で、 持てるテクニックのありたけを駆使しなければならない代物ですから、、

日常診療に使っている電子カルテ NOA は Apple 社の Cocoa 環境(昔の NEXTSTEP 環境から進化したもの)で作られたものですが、 ここに至るまで10年近い歳月をかけて熟成させたものです。 電子カルテを ASP 型で提供することには疑問を持っていますが、 ある限定された範囲で使われる ASP 型電子カルテについては、 これからのあるべき姿とも考えています。

先日は深夜まで時間を忘れてプログラミングにひたりました。 本当に数年振り(少なくとも5年以上)のことです。 「プログラミング能力復活す」と叫んでいても、 実際にはプログラミングの持久力までは復活せず、 このようなことはまったく出来なくなっていました。 「何故復活したのでしょう?」。やはり中国武術の恩恵と思います。 身体を動かすことだけでなく、 「気」を練ることが少しできてきたということでしょう。 これにより脳細胞が活性化された結果だろうと考えています。 では「気を練る」とは何か? まだ、他人にわかるよう説明することができずにいます。

○ ということで、プログラミング継続中、、

3月に入っても、暇をみては Web 版電子カルテ NOA の製作に取り組んでいます。 現在仕事に使っている NOA の機能を、 ぼちぼちと Web 版で実現しつつあります。 私の考える「理想的電子カルテ」は 「ユーザがログインすると、いつも使い慣れた電子カルテのユーザインタフェースが サーバから download される」ものです。

「電子カルテ本体であるデータベースは共通だが、 GUI はユーザごとに異なるものを使える」 「電子カルテの基本部分は極めてシンプル」 「独立した色々なツールを好みに応じ組み合わせて使う」 「それらのツールは皆で共通に使い回しできる」 という理念を、 Web 版により実現しつつあります。 このような方式を、京都の「おばんざい屋」スタイルと呼ぶことにしましょうかね。 「美味しいおかずを、それぞれの好みで選んで食膳にならべる」ということです。

最近の Web 技術に「マッシュアップ」というのがあります。 別の企業などが作った色々な技術やツールを組み合わせ、 あたかもひとつのアプリケーションのように使うという考え方です。 まさに「おばんざい屋」スタイルは「マッシュアップ」の方向性でもあります。

PHP/javascript により、以前より理想が現実味を帯びてきましたが、 まだまだ道のりは長そうです。 しかし、今までの電子カルテ開発の経緯がそうでしたが、 欲しい機能が実現できないからといって、 いつまでも「こねくって」いては、 何年かかっても実現しないことも経験上わかっています。 そこそこに機能が備わった時点で、 そこから始まる苦労を顧みず 「エイやっ」と現場投入するのが 一番の近道です。 現場投入すると、否応なし、シャカリキに改良せざるを得ませんからね。 これぞ企業には絶対できない醍醐味でもあります。

が、、いかんせんまだ開発を始めて1ヶ月そこそこ。 さすがにそこまでは至っていません。 ま、楽しみなことですが、 何度も書いてきたように「プログラミングから離れてしまうと、 頭の中がすべて白紙に戻ってしまう」という強迫観念で 「プログラミングから離れられない」というのも事実ではあります。

「うむ、時々は距離をおいてみることも必要か」と思いつつ、、