2015.11 上下相随

わーくすてーしょんのあるくらし ( 273)

上下相随

2015-11 大橋 克洋

早朝散歩:国会議事堂わきから外堀へ向かう

<2015.10 El Capitan リリース | 2015.12 もっとも日の短い月 >

◯ 今月の歩術:上下相随

上下相随とは中国武術の極意のひとつで、太極拳要領などに含まれる。すなわち「動作は腰(中国武術でいう腰は日本で言う腰より上のウエスト部分)から始まり末端に伝わる。手と足は一致し調和のとれたものにする」というもの。

最近はこれを心がけて身体を動かすようにしています。例えば、歩くにしても足だけを動かすのではなく、身体全体がひとつとなって移動することを意念。こうすることによって、身体の一部に負担がかかることなく非常に楽に動くことができることを知りました。

11月1日の日曜は朝からとても良い天気、気温も22度と歩くには絶好。10月一杯は半袖で通しこの日も半袖でいけそうでしたが、11月からは長袖にしました。先月 10km から 20km は歩いてきたので、今日はもう少し距離を伸ばしてみることに。

五反田、白金、古川橋、麻布十番を経て溜池から外堀へ向かって歩きます。こちら方向は上り坂が多いのですが、歩きは絶好調。やはり上下相随の意念で歩くと足に無理な負担がかからない。いつもですと、これだけ歩いてから横断歩道橋の登りは足がパンパンなのですが、溜池の ANA ホテルあたりの歩道橋も軽々とあがれました。その手前左側にガラス張りの巨大なビルが建築中。おそらくこれも森ビルのひとつだろうな、、

国会議事堂を左に見て外堀へ向かう。真っ青な秋空を背景に、朝日を受けた街路樹の銀杏が色づきはじめています(今月の表紙の写真)。外堀の手前を周って最高裁横から国道246号へ。この前取り壊した赤坂プリンス跡には、さらに大きな建物が立ち上がりつつあります。青山通りを渋谷へ向かう。豊川稲荷の赤い昇りが朝日を受けて翻っていました。

外苑前の通りで今日は何かイベントがあるらしく、通りの真ん中にテントが見える。遠くから見えていた大きなビルは伊藤忠ビルの隣に建った ORACLE ビルだったのか。すでに10時近くなった渋谷駅周辺はもうかなり人出が多い。道玄坂を登り、246号線池尻大橋を過ぎたあたりで左折し世田谷公園を通る。ここからは Google map を頼りに細かい道をチョコチョコ縫って自宅へ一直線。本日の行程 22.3km、3時間40分。うーむ、30km 近くを目指したのに、案外距離が延びなかったなあ、、今度は外堀で折り返さず、皇居の向う側を周ってくることにしよう。

それでもこれだけ歩けば普通は身体がかなり強張るところなのですが、今回たいしたことはありません。上下相随「身体をひとつにして歩く」の効果は大なるものがあることを実感しました。これからしばらくはこの上下相随が無意識に身につくよう、練功を重ねようと思っています。

これだけ快調に長距離を踏破できた原因を考えてみると、上下相随の他に靴があるのではないかと思い当たりました。ここ数年、革のウオーキングシューズを色々とっかえひっかえ履いていたのですが、今春頃からやや固めのスニーカーを履いています。最初は足の甲がかなり痛かったのですが、馴染んでくるとこれがかなり快調なのです。靴全体やや固めで足によくフィット。これも快調な歩きを大きくサポートしていそうです。

◯ 今月の歩術:その2

ちょっと距離が目標に届かなかったので、 2日後の祭日に再挑戦。 従来であれば20キロも歩いた後では、身体がガタガタでその2日後に長距離を歩こうという気はしないところですが、まったく後遺症のないのにはびっくり。上下相随、身体をひとつにした歩きの効果絶大 なるところです。今度は 30km を目指します。昨日は朝から雨だったのですが再びよい天気となりました。朝の気温21度。

五反田、三田、新橋、京橋のあたりで10キロ、日本橋を渡り左折して首都高速に沿って進みます。竹橋まで来たところで「このまま真っ直ぐ、千鳥ヶ淵から赤坂へ抜けてしまうと30キロを達成できないな」ということで、水道橋の方へ大周り、飯田橋、市ヶ谷、四谷を抜ける。当日は迎賓館一般公開ということで、迎賓館の門前に大勢の人が列を作っているのを横目に、いつも通りなれた東宮御所裏の道から神宮外苑へ抜ける。ここで丁度20キロ。

青山通りに出ると、ここからは先日と同じコース。道玄坂、池尻大橋。今度は世田谷公園へバイパスせず、246号線を三宿から左折。そこからは家路に向け真っ直ぐ、学芸大学、目黒郵便局横を抜け、都道26号線で武蔵小山へ。

自宅へ電話してみると留守のようなので、近所の蕎麦屋でビール1本とザル大盛りで昼食。自宅帰着して31キロを達成しました。丁度5時間。一気に歩いた距離としては過去最高記録。当日はさすがに身体の強張り感がありましたが、上下相随の歩きが功を奏し足の疲れは皆無。翌日にはまったく疲れを残しませんでした。やはり20キロを過ぎてから、ちょっと歩度が落ちましたね。学芸大学近くで急に左股関節が痛くなり跛行しましたが、いたわりながら歩くことにより10分もかからずに復帰。

これまで「歩きは足ではなく腰」を会得してきましたが、こうして長距離を達成してみると、さらに「足腰より身体全体」ということがわかってきました。すなわち、上下相随「身体をひとつにして歩く」です。これにより身体の一部の筋肉に負担をかけるのではなく、全身がバランスよく力を負担することにより、疲労も格段に少なく効率的な歩きができるということです。「集中より分散」とも言えますね。江戸時代など昔の人は、きっとこのような身体の使い方をして歩いていたのだろうと思います。

◯ 今月の歩術:その3

次の日曜は毎年この季節恒例の医歯薬学生の馬術競技会「サムス准将杯」が馬事公苑で開催され、朝から応援に出掛けました。東京オリンピックに向け準備のため、もう馬事公苑で競技はできないのではないかと聞いていたのですが、今回までは大丈夫のようです。

いつも片道8キロちょっと往復17キロ歩いて行くのですが、当日は朝から小雨。天気予報を見ると1日中雨ですが降水量は1になっているので、歩いて行くことにしました。東京都医師会理事の時代「医師と歩こう」参加にあたり、雨になりそうで近所のスポーツ用具店で買った雨天用ジャンパーがあります。結局この時は降りそうもなく着ることがなかったのですが、今回これを着て雨よけにキャップを被り、いざ出発。

往路は予報通り細かい雨でしたが、試合中やや本降りとなりました。一応折り畳み傘も持参したのですが傘をさすのは邪魔で、とうとうささずに過ごす。学生から「ビニール合羽をお貸ししましょうか」とか、傘をさしかけられたりしましたが、とうとうキャップに雨用ジャンパーだけで過ごしました。余り動かず立ったまま観戦していたせいか、チノパンはほとんど濡れず。試合の途中で、キャップのひさしから雨がしたたり落ちるほど雨が強くなっても、案外このスタイルでもいけるものだなあと。これからはちょっとした雨ならジャンパーを着て早朝散歩にも出られるぞと、、

復路は結構降ってきましたが、このスタイルで通しました。馬事公苑の帰りにいつも昼食をとる中華料理店でビールと焼きそば。美味しかったですねえ。いつも食事は昼と夕しか摂らないのですが、先日の30キロ歩きでも朝食抜きで何の問題もありませんでした。それでも体重はなかなか減らないんですよねえ、、増えないのを良しとするか、、

◯ 今月の歩術:その4

今月はどういうわけか、歩きネタばかり思い浮かびますねえ、、

今月はそういうことで、上下相随:身体をひとつにして歩くの意念で歩いているのですが、少林寺の「飛毛脚」という練功を知りました。忍者のように速い走りということで、どういうものかと思ったのですが、両足のスネに重い瓦を巻きつけ山道を駆け上がり駆け下りる練功により得られるものだそうです。

そう言えば三浦雄一郎氏が、思いっきりメタボの状態から一念発起してヒマラヤ登頂を目指した時、重い荷物を背負って歩くトレーニングをしたそうですが、この時も足にかなりの重りをつけて歩いたというのを読んだことがあります。

私の場合、足に重りをつけて歩こうという気には余りならないのですが、先日も早朝散歩で8キロほど歩く中で「飛毛脚」を頭に浮かべつつ歩くと、上下相随がさらにうまく行くような気がしました。力を抜いた垂直姿勢の上体が前進して行き、足は上体からぶらさがったような気持ちで自然に従いて行くというようなイメージ。このようなイメージで(飛ぶように)歩くと、下肢は主として水平方向にのみ動き地面との衝突が少ないので、より速やかに歩けるような気がします。

このような意念は一瞬感じることがあっても、続けるうち失念してしまうことも多いので、しばらくこの意念を続けて身に付けるよう心がけてみたいと思います。

マラソン競技でも、素足で育ったアフリカ選手の走り方がエネルギー消耗が少ないということで、最近は、いわゆる忍者走り平起平落の足さばきが脚光を浴びているとか。これはまさに、こうして歩術の研究で得られてきた成果に通ずるものがあります。

今月半ば過ぎの日曜日。以前「医師と歩こう」で先行する高齢者の高速集団に追いつこうと飛ばし過ぎ、品川駅裏でガス欠、リタイアとなったコースに再挑戦。大井町駅、品川シーサイドから京浜運河を越え運河沿いの遊歩道から芝浦へ。愛育病院が麻布から田町裏に移転したというので見に行きました。下層はクラシックな風格を残した比較的好ましいデザインなのに、なぜその上に余り趣味のよくないデザインの建物を載せるかな。最近このような継ぎ接ぎデザインの建物を見ますが、余り趣味も良くないし景観を壊すことが多い。三田から二の橋へ抜け、古川橋、天現寺、渋谷へ。「医師と歩こう」のコースから外れ、さらに延長コースとなりました。246号線からは先日の経路、池尻、三宿から左折、学芸大学、目黒郵便局、都道26号線で帰宅。今回はそれほど気合を入れた訳でもないのに27キロ歩きました。4時間19分。今月は歩きに適した気温のせいか長距離を大分稼ぎましたね。

◯ 最近の若者の体力・反射神経

最近の学生の馬術の試合を見ていてよく思うのは「体力低下」「運動神経低下」それに伴うのであろう「覇気の低下」。これを一番表すのが落馬。今回の試合でも馬が大きく拒否反応を示した訳でもないのに、突然落馬。あんな落馬を見るのは初めて、まるで狐に化かされたようでした。我々の頃なら少なくとも身体を立てなおそうとしたり、馬の首にしがみつくとか、つまり何とか落ちまいとするのですが、そのような動作がまったくなく、素直に(?)落馬。私も現役時代には何度も落馬を経験しました。中にはかなり派手な落馬も。しかし怪我をしたことは一度もありませんし、上級生になると落馬しても足から落ちるので服を汚したこともありません。あの頃、落馬で大怪我をする人間は極めて稀でした。

それからしばらくして、馬場の脇を歩いていると後方でバタバタという物音、振り返ると走路に落馬した選手が横たわっており、騎手を振り落とした馬が走路を走り回っていました。ところが走路に横たわった選手はぴくりとも動きません。駆け寄った大勢の中で起き上がる気配もなく心配しましたが、やがて担架で退場。単に脳震盪を起こしたようでたいしたことはなさそうということでした。雨で湿った走路への落馬であり、普通なら身体を強打することは我々の世代には考えられないことなのですが、、

最近の若者は幼児期にしっかり走り回ったり転んだりしていないからと思います。転べば自然に手を着くのは本能的なものだと思っていたのですが、私の長男を小さいころ多摩川の草原に連れて行ったところ、転倒するのに手が出ず顔面着陸するのを見て愕然としたことがあります「手をつくのは本能的なものと思っていたが、あれは学習だったんだ」と、、

最近の子供達をめぐる環境、マンション住まい、勉学第一で子供達で走り回って遊ぶことがない、木登り(に類すること)やナイフの扱いその他、少しでも危険が伴いそうなことは「危ないからダメ」という風潮が、彼らから「自分で自分を守る能力」を奪ってしまっているのです。「危険を避けられる人間になるには、ほどほどに危険を経験しておくことが必要」というとても大切なことを、最近の親(特に母親?)はまったく理解しようともしないのでしょう。そして、それが可愛い子供の将来を致命的な危険に導くことも、、

◯ 米俵のサイズは男女を問わず持上げられる重さで決められた

ある武術家の言葉を読んでいて「なるほど」とか「へえー」と思うことがあったので、書き留めておきます。「足腰のなくなった現代人」というような表題がついていました。

米俵は60キロほどあり、これは男女を問わず誰でも持ち運べる重さとして江戸時代に決められたサイズなのだそうです。「ほんとかね」と思ったのですが、米俵5俵つまり300キロを背負った二人の女性の写真が載っていました。1960年代頃までは自分の身体より大きな荷物を背負った中年・老年女性を電車などでよく見かけました。近県から野菜などを売りに来るおばさん達ですが、あの姿にそっくり。それにしても、米俵5俵を背負うなんて想像も及ばなかったのですが、写真を見ると少なくとも明治ころまでは普通にあった姿なのかも知れません。また1960年代の写真として、米俵1俵ずつ軽々とかついで運ぶ人達の写真がありました。

昔は生活の中で、このような体力と身体の使い方を身につけていったということですね。先日の30キロ歩行で、長距離歩いてからも歩道橋の登り降りに負担感がなくなるなど、私も昔の人の歩きが身について来たような気がします。現代人は身体の使い方を知らない。

このようなことからも、前述のように「幼少時から走ったり転んだりする」ことが、とても重要だと確信しています。我々の幼少時には跳馬とか棒倒しとか、今の母親が「危ないからやめなさい」というような遊びがとても楽しかったことを覚えています。

この武術家はある時期ウエイトトレーニングをしたことがあるそうですが、筋肉がついてくるとともに、突き指や肩の脱臼など怪我が増え目に見えて身体が弱くなったように感じたので辞めたそうです。中国武術でも「なまはんかに筋力を鍛えると、身体のバランスが崩れ正しい威力を発揮できなくなる」というような記述を読んだことがあります。中国武術で威力を発揮するには、いかに全身の力を抜いた状態から全身を整え、意をもって爆発的な力を発揮するかにあります。「指一本動かすにも全身を動かす」という言葉もあります。

上の写真も「女性の手足の力は弱くても、全身の力がバランスよく均等に働けば300キロの米俵を背負って歩けるほどの力となる」ということなのだと思います。中国武術の極意がまさにそれ。しかし、そのような威力は簡単に発揮できるものではありません、長年のたゆまぬ修練を積んで得られるもの。それを中国武術では巧夫(ごんふ)と呼びます。

<2015.10 El Capitan リリース | 2015.12 もっとも日の短い月 >

早朝散歩:夜明け前の大橋医院前から武蔵小山商店街入口をのぞむ

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です