2006.11 医療情報連合大会 in SAPPORO

わーくすてーしょんのあるくらし ( 165 )

2006-11 大橋克洋

油絵のような札幌市 秋の中島公園

私の好きな女子バレー・ボールの季節がやってきました。 今月は日本を転戦して「2006 世界バレー女子」が開催されています。 オリンピックで活躍した「メグ・カナ」コンビは両名とも故障で欠場です。 栗原恵は左足親指付け根の種子骨障碍ということで、 しばらく休養すれば復活が期待されそうですが、 大山加奈の方は持病の腰痛と右肩の故障とのこと。 マスコミ主導の過密スケジュールなどもあって、 かなり加重な負荷がかかったようです。ちょっと心配です。

このような故障を防ぐためにも、バレーボールに 中国武術の技術を取り入れてはどうかと思っています。 中国武術の特徴はいくつもありますが、 ひとつは「ファンソン」すなわち全身の力を抜くことから、 素晴らしい「スピード」と強靭な「瞬発力」を発揮することです。 中国武術では準備運動なしにいきなり過激な動きを行ったりしますが、 これは身体に無理のかからない動きをするからです。 また空中で瞬時に相手の布陣を読み取り、 空いた隙間へ吸い込まれるようなスパイクやフェイントなど、 中国武術では得意なところと思います。 そう考えてみると、案の定「中国チーム」は強いですね。 北京オリンピックを控えて、早くも世界チャンピオンになってしまいました。 彼女らが中国武術の技術を継承しているかどうかは不明ですが、 少なくとも遺伝子は受けているはずです。

高橋みゆき(ニックネーム SHIN)

以前は「元気印の高橋」と言われ、 いつもニコニコ丸顔だった高橋みゆきが、 イタリア修行から帰って、まったく変わってしまいました。 顔も細く締まり、ニコリともしない鋭い目つきになっています。 他の選手に比べ小柄な身体にもかかわらず、 非常に鋭いスパイクを打ったりする頼もしい姿になりました。

菅山かおる(縁の下の力持ち:リベロ)

キャプテンの竹下や、杉山も大変クールで良いですね。 その他にもそれぞれに優れた技をもつチームなのですが、 今イチ最後のところの踏ん張り、しぶとさが欲しいところです。 他人ごとだから言えるのでしょうが、 相手チームの多くがしぶとくボールを拾って返すのに、 日本は長いラリーが続かないことが多いように感じます。

ところで余談ですが、試合開始前に国歌斉唱があります。 どのチームも自分の国家が流れると しっかり口を開き唱っているのですが、 日本チームだけは国家を唱ってはわるいと思っているかのように、 口が開いていません。とても気になります。 日本チームの中で中国から帰化した小山修加だけが、口を開いて唱っています。 日本の学校教育の影響が大きいのだろうと考えていますが、 「自分の国家を堂々と誇りを持って唱える」 日本人を育てずに何としようとしているのでしょうか。 国家を堂々と唱えるようになれば、日本チームも強くなる?

最終的に、日本は中国に敗れ6位となったようです (負けたとはいえ中国戦を見損ない、ちょっと残念でした)。 彼女達の奮闘のわりには、この成績でちょっと可哀想な気がします。 やはり世界の壁は高いということでしょうね。 しかし、なまじここで好成績を収めるより、 この思いをエンジンにくべる燃料として、 北京オリンピックでの大ブレークに期待しましょう。 今後も盛大にエールを送って行きたいと思います。

○ 医師と歩こう健康ウォーキング

「健康日本21推進フェスタ2006」という健康イベントを、 東京都医師会が毎年バックアップしています。 昨年は他と重なり参加できませんでした。 今年は有明コロシアムを出発、 東京湾埋立地の中を巡る色々なコースが用意されています。 残念ながら一昨年の20kmコースはなく、 一番長い12kmの「レインボーブリッジ制覇コース」を選びました。 このコースは出発点に戻らず対岸の竹芝駅で解散、 さらに自宅まで歩けば丁度20kmという行程になります。

全行程を踏破し 近藤太郎理事とゴール竹芝駅で記念写真

途中に大江戸温泉物語という温泉施設があり 「ここがゴールだと嬉しいな」という思いもありましたが、そううまくは行きません。 朝出発するコースが多いのに、一番長いこのコースは午後2時出発です。 日没の早い季節、日が暮れてしまう人もあるのではないでしょうか。 多くの人が厚着をしている中、 一昨年の経験から薄手の長袖に綿のベストで正解でした。 事前の天気予報では午後から雨と北風の可能性があり、 レインボーブリッジ上で海風を受けるのはつらそうだなあ と思っていましたが、雨も冷たい風もなく気温12度と幸いでした。

このコースに挑戦した都医の近藤理事と二人で歩きました。 一昨年と同様 今回も私より年配の方がかなり多く目につきましたが、 天候のせいか長距離コースへ挑戦する人数はかなり少なめでした。 今年は巡回コースで自由にショートカットできるため、 フルコース歩いた人は少なかったようです。 われわれ二人は几帳面にフルコースをきっちり歩いてきました。 曇天だったのはちょっと残念ですが、 埋め立て地から海越しに見る東京は、岸を埋め尽くす高層ビルが壮観でした。 ブリッジからの景観も良かったのですが、 この頃には二人ともやや口数少なく ただ前を見て歩くだけでした。

途中に繋留されていた第一次南極観測船「宗谷」

その向こう側の「船の科学館」と画像が重なっている

偶然このそばでよく存じ上げた産婦人科の先生ご一家と遭遇

出発が13時55分頃で、竹芝駅到着が16時17分頃。 トイレや写真撮影で停止した時間を差し引くと、時速5.4km程度と思われます。 竹芝で近藤理事と別れ、私は自宅まで歩いて帰りました。 自宅到着は18時10分ですが、三田の学生街で軽くビールと焼きそばを食べ休憩したので、 休憩時間を差し引き正味3時間40分として、 全行程20kmの平均時速も 5.4km になります。 昨年の「みなとみらい」からの 20km では パソコンを含め旅行装備を背負って正味4時間でしたが、 今回は軽装だったのでかなり時間を短縮できました。

明けて翌朝、足の強ばりや痛みなどはまったくありませんでしたが、 唯一思いがけなかったことに、腰の上の背骨が強ばっていました。 荷物も背負っていなかったのに「はて?」と思いました。 中国武術のトレーニングで大腿の筋力がついたためもあり、 「八卦掌」の歩法を意識し上体を正しく起こして歩いたからではないかと思います。

○ 秋の札幌を満喫

今月の初めには、医療情報連合大会で札幌へ行ってきました。 今回泊ったノボテル札幌は 天皇陛下も宿泊されたとかで綺麗ななホテルでしたが、 ここに決めた理由は客室からインターネット接続できるからでした。 ホテルのネット接続と言っても、 認証にスクラッチカードの暗証番号を使うものから、 接続時に現れる画面から登録するものなど 色々経験してきましたが、ノボテルのものが一番楽で、 イーサケーブルを接続し web browser を立ち上げると、 いきなり認証なしにインターネットへ繋がってしまいました。 単に DHCP を動かしているだけなんでしょうね。 接続確認後、持参の BaseStation をつないでプライベート無線LAN にして使いました。 室内のどこへノートブックを持って行っても使えてとても便利です。

中島公園から見上げる宿泊先の NOVOTEL 札幌

ホテルのすぐ隣に中島公園という綺麗な公園がありますが、 残念ながら私の部屋はその反対側で 借景を楽しむことはできませんでした。 翌日早朝、中島公園を散歩してみました。 地元の人の話では、今年は特に紅葉が綺麗だということです。 朝の気温は2、3度、昼間でも8、9度でしたが、 コートなしでも問題ありませんでした。 風があると、そうはいかなかったんでしょうが、、

ただ、 手だけは痺れるように冷たかったですね、これを「シバれる」というんでしょう。 コートを着て鞄をもった通勤の人々が公園の中を通っていました。 この公園がとても気持ちが良いからでしょう。 雲一つなく抜けるように青い空の下に 凍るような空気の中、朝日を浴びた紅葉が本当に綺麗でした。

○ 医療情報連合大会

会場の札幌コンベンションセンターは、今年の5月に開催された Seagaia meeting で使った会場です。今回は日本医師会から振られ、 日本医師会「IT化推進検討委員会」委員長の立場から、 2つのセッションで話すことになりました。

コンベンションセンター中庭

ひとつは「誰にもわかりやすい診療報酬体系を実現する電子点数表」 というシンポジウムです。 電子点数表とは、診療報酬請求のための点数表というのがありますが、 これを電子化しようというものです(まだ実現している訳ではありません)。 他のシンポジストは、 日本病院会代表:佐合茂樹(木沢記念病院)、 全国自治体病院協議会代表:倉知圓(南砺市民病院) JAHIS代表:星久光医療福祉システム部会長、 患者代表:和田ちひろ、 厚生労働省:福田裕典企画官、 司会:開原成允、座長:豊田建、 というメンバーです(敬称略)。

医療機関や、レセコン・ベンダーを代表するJAHISからの意見は ほとんど同じで以下のようなものでした。

  • 公示から実施までの期間が短すぎる

  • 改定されたマスタに不備があってもすぐに対応がされない

  • 改定された内容が半年や1年で廃止される

  • 算定方法が余りにも複雑すぎる

  • 解釈に統一性がない

また、患者さん代表からは「診療費の請求明細書の内容が 素人にはわかりにくい。同じ内容と思われるのに、 医療機関によって窓口で支払う額が違うのはどうなのか」 などの提言がされました。

私の方からは以下のようなことを要望しました。

  • マスタ不備などへの対応窓口の設置が必要

  • 頻繁な訂正などのない精度の高い基本マスター

  • 後からの「つぎはぎ式」追加を排除し、アルゴリズムに統一性を

  • 最終的な医療費から数学的に逆算し、簡潔な計算式へ

  • 判断部分 (if then else..) もテーブルに簡潔に含めてしまうべき

  • 補足説明もテーブルの中に含め、必要に応じ参照できるようにすべき

  • 電子的に現場へ即日届くべき

  • 更新時の設定は単なるテーブルの置換だけで済ますべき

  • 電子的審査を行うなら「チェックプログラム」を公開すること

  • 電子点数表と(厚労省の)レセ電マスタは完全一致すべき

日医標準レセプト・ソフト(ORCA)は、 厚労省の「レセ電マスタ」をベースに動く唯一のソフトであり、 厚労省は「電子点数表」を「レセ電マスタ」とイコールにすべき ことを最後に強調させて頂きました。

もう大分前、電子カルテが普及をはじめるより前のことです。 当時の厚生省の偉い方が私の診療所に電子カルテを視察に見えたことがあります。 「これはチャンス」ということで直訴をしました。

「医療費を抑えるなら抑えるとして、 診療費の計算ロジックが余りにも複雑すぎるため、 請求する方でも それを審査する方でも人件費などのコストがダブルでかかっている。 これをもっと単純化すれば両方のコストが削減でき、 医療費をもっと抑えられるはず」と訴えました。

ところが、厚生省の偉い方から返ってきたのは、 「それはそうなんですが、それでメシを喰っている人がいますからねえ、、」 の一言で終わってしまいました。どう考えても不合理ですよね。 私はあきれて二の句がつげませんでした。 行政のやることには、このような無駄があるんだなあと、、

そして現在、小泉政権による徹底的な医療費の削減で、 マジでメシが喰えなくなりそうなわれわれです。 良い医療の提供には、最低限メシの心配だけは させてはいけないと思います。

ふたつ目に私が担当したセッションは 「ORCAプロジェクトの現状とこれから」というシンポジウムです。 私の他のシンポジストは、 日医総研代表:上野智明、病院代表:上村恭一(苫小牧病院)、 学会代表:木村通男(浜松医科大)。 座長は、 ヒューマンメディア財団専任主席研究員:八幡勝也、 日本医師会常任理事:中川俊夫(敬称略)。

上野研究員からは ORCAプロジェクトの現状など、 上村先生からは病院版利用者の立場からの内容、 木村先生からは静岡版電子カルテと ORCAなどの話があり、 私は座長から「IT化推進検討委員会委員長の立場から、 日医のIT化の方針などを中心にお願いしたい」とのことで、 委員会での検討内容、そして最後に日レセへの要望事項として 以下のようなことを挙げさせて頂きました。

  • 日レセは計算サーバに特化して欲しい

  • つまり電子カルテからのリクエストに答え計算結果を返す

  • そうなれば日レセのクライアントとして色々なものを提供できる

  • 多くの電子カルテ・ベンダーがそのような計算サーバを熱望している

◇ ◇ ◇

連合大会最終日、会場のコンベンションセンターから 札幌駅まで 4.3 km ほど歩きました。 今回はちょっと余裕のディパックを背負って行き 気が大きくなったせいか、 お土産などが加わった背中の荷物はかなり重く、 駅について食事をする場所を探すため 荷物をコインロッカーに放り込んだ後しばらく、 背中に残った重量感で 歩くと後ろにひっくり返りそうな感覚が残りました。

余りにも重かったので 帰宅するなり荷物の重量を計ってみると、 9 kg ほどありました。こりゃあ、重かったはずだ。 山登りなどをしている人にとっては どうということはない重量でしょうが、 そのようなトレーニングをしていない私には効いたようです。 下肢はもちろん体躯の筋肉痛などはなかったのですが、 さすがにこれはちょっと腰椎にきたようで、 翌朝のトレーニングの腹筋運動はパスしました。 次の朝には復活しましたが、、

○ クリップ型 iPod shuffle

発表とともにオーダーしておいたクリップ型の iPod shuffle が 11月に入ってようやくリリースになり、早速届きました。 やー、本当に小さいですね。 裏に磁石がついた文具としての四角い金属クリップを うちでもよく使っていますが、これよりやや小さい位です。

値段はたったの 9,800 円、これで 1GB もの容量があるんですから凄いです。 これまでの iPod shuffle とは、形状とサイズがまったく異なるだけで 機能的には大きく変わりません。 今まで愛用してきた shuffle は娘に譲ることにしました。とてもチッポケなので便利ですね。 ただ、そうなると益々イヤホンのコードの始末をどうするかで悩みます。 色々と試行錯誤してみましょう。 とりあえず、束ねたイヤホンコードをクリップで挟むことにしました。

通勤の電車の中でしばらく使ってみた印象です。 やはり以前の shuffle よりさらに使いやすいですね。 以前は単に上着の内ポケットに放り込みながら使っていたのですが、 歩いているうちポケットの中で向きが変わってしまい、 イヤホーンが引っ張られたりして具合の悪いことがありました。

今度のものは、内ポケットのふちにクリップ止めして使っています。 当然、以前のように移動することもありませんし、 on/off などの操作も手探りですぐできて便利です。 こんなちっぽけなもので、これだけの能力を持つものができるなんて、 数年前には空想の世界ですよね。このあたりの技術革新は凄い!!

そうそう、イヤホーンコードの始末ですが、 本体は上着内ポケットのふちにクリップ止めしたままで、 単にケーブルとイヤホーンは内ポケットに放り込むだけという 簡単な始末で済んでいます。

○ MacBook に Intel Core Duo 搭載

おっと、MacBook 購入してまだ半年に満たないうちに、 新しい MacBook が出てしまいました。大きな変更点は CPU です。 「さらに 25% 高速に、、」という謳い文句ですが、 今のままでもかなり快適で満足して使っていますので、 遠くから眺めるだけにしておきましょう。

私は速度で2倍以上アップ、 さらに大幅な機能アップがあるまで買い替えはしないだろうと (今のところは)思っています。 さらに薄型・軽量になるってのも魅力的ですが、 最近は「持ち歩くダンベル」の役目も果たしているので、 重量の方は今くらいあっても良いかなと、、

しかし一番安いやつが 139,800円ですから、 これから購入を考えている方には、 この性能と満足度から言えばかなりお勧めと思います。 通常の使用には、一番安いやつでも十分満足できるはずです。 来年になれば Windows も標準で動きそうですし、、

○ Mac Pro に初めて触ってきました

私のところはまだ3年前の PowerMac が健在で 新しい Mac Pro を入れる予定はありませんが、 東京産婦人科医会事務局に Mac Pro が入ったので、 本日設定に行ってきました。 事務局では PowerBook、iBook、iMac を使っていますが、 データのバックアップなどのために、 いずれは1台サーバ専用マシーンをと考えてきました。 この度ようやく予算に余裕ができ、サーバとして購入したものです。

このアルミ・マシーンを触るのは初めてです。 後面のラッチを跳ね上げると、筐体側面がガバっと開きます。 中は今までの Mac で一番の、息をのむような美しさ。 すべてが銀色に光る精巧なマシーンです。 まさにスーパーカーやレースカーのアルミ・エンジンのおもむきですね。 NeXT cube の頃の Jobs のこだわりに、さらに磨きがかかっています。 本当の「美しさ」というのは、やはり「機能美」です。 女性や男性の美しさもそうですね。 機能のない美しさは「まやかし」でしかありません。 人間の場合、内面からにじみでる機能美は特に素晴らしいです。

サーバとして HD を RAID 構成で使うため、 裸のHD を一台購入してありますが、増設はメッチャ簡単です。 中段に美しいアルミの引き出しが4列並んでいます。 一番左側の引き出しには標準装備の HD が収まっていますので、 その隣の引き出しを手で引き抜き、 備え付けのビス4本で裸のHDをとりつけ、 元通り引き出しを押し込むだけ。はい、これで HD 増設は終わりです。 いままでの Mac の中では、HD 増設が一番簡単な部類でしょうね。本日はネットワークや DB サーバの設定だけでしたので、 作業は予定時間で無事終了しました。 HD も CPU も早いので、とても快適な印象でした。 いずれは私のところのサーバマシーンにも1台欲しいですね。

そうそう、サーバ・マシーンは直接いじることが少ないので、 以前私が寄付した古いディスプレイを接続してみました。 このコラムの1998年4月に書いた「衝動買いの液晶ディスプレイ」です。 8年前に衝動買いしたものの、画質が悪く画面がユラユラして 使っていて気持ちが悪くなってしまうシロモノです。 事務局でもホコリをかぶり放置されていて、白い台座が黄色く変色しています。 しかし何と Mac Pro に接続してみると画面も結構奇麗じゃないですか。 よく見るとやはり画面は多少ユラユラしていますが、良いマシーンに接続すると、 ゴミのようなディスプレイもそこそこ使えることを発見しました。

○ 「社会的共通資本」という考え方

月半ばの土日には、 都医役員として大阪の「十三大都市医師会連絡協議会」へ行ってきました。 分科会に分かれ 大都市のかかえる色々な問題について発表が行われましたが、 強く印象に残ったのは 宇沢弘文氏の特別講演でした。 宇沢先生は78才、まるでサンタクロースのような白く長いヒゲを生やされていました。 国際的な経済学者で文化勲章を受賞されています。 私は経済学には興味のない(というか難解という観念が強い)ヒトなのですが、 前日の睡眠不足にもかかわらず眠気も催さずとても感銘強く拝聴しました。

今月16日に米国の経済学者ミルトン・フリードマンが死去した。 宇沢氏は(かつて同僚でもあった)フリードマンの「市場主義経済」、 端的に言えば「生きることの目的は金儲けにある」という考えが世界に蔓延し 非常な弊害をもたらしていると述べました。 「医療が病気を治すのと同様に経済学は社会の歪みを治すべきなのに、 現在の経済学は社会をますます蝕んでいる」とのこと。 フリードマンは「すべての人の現在は、 自分自身の自由な選択によってある」という考えだそうで、 ある講義で「黒人の貧困な生活は、彼らが若い頃 勉学と遊びのうち 後者を選択したからだ」と述べ、 黒人学生から「それでは、われわれに親を選択する自由はあるのか?」 と切り返され、答えられなかったそうです。

これに対し宇沢氏の「社会的共通資本」は、 「例えば農業のように生活に必須のものは 通常の市場原理から切り離し、 社会として共通な資本として扱うべき」という考えです。 「医療もまさに同じで (小泉政権のように)市場経済の原理で考えるべきものではない。 社会の共通資本として扱うべき」とのことでした。

昨年、小泉・竹中コンビが決定的な改悪を行った。 それは教育基本法の改変で、例えば小学生に株取引、金儲けを教えるようになった。 この時、元日銀総裁が小学生を前に「一番大切なものはお金に換えておきなさい」と 講義を行った。これはとんでもないことである。 「お金に換えられないものこそ 一番大切なものではないのか」 というのが宇沢氏の意見でした。まさにその通りと思います。 医療とともに日本の教育が、どんどん崩壊しつつあるのです。

終戦後、米軍の GHQ が占領軍の施設とするため、 東大の施設を接収に来たことがある。当時の責任者の先生は 「ここは過去の人類の英知を探求し集積して、 それを次の世代へ継承してゆくための施設だ。 軍の施設として渡すことはできない」と流暢な英語で抗議したそうです。 見ていた人達は先生が逮捕連行されるのではないかと ハラハラしたそうですが、米軍はそのまま引き上げて行ったとか。 教育者はこうあるべきという話でした。

講演の最後の方ですが、宇沢先生は一高の頃 授業の出席日数が足りなかったそうです。 「当時は学生達にビッテという習わしがあって 友人が付き添って教学部へ行ってくれ、 彼が何故出席日数が足りなかったかを説明し 卒業できるよう尽力してくれた。 御陰で自分はこうして経済学者にまでなることができた」 とのことです。「某大学はもっと進んでいて、 本人が行く必要もなかった」との話には会場から笑い声もでて、 このあたりからの話はかなり盛り上がりました。 「慈恵医大卒業」ではなく「慈恵医大馬術部卒業」を自負している 私にとっても なかなか痛快な話でした。

先生のトツトツとした語り口のうちに、他にも良い話がいくつかありました。 講演後の会場からは 全員の感銘を表す盛大な拍手がいつまでも鳴り止まず、 思わず目頭に熱いものがこみ上げてきました。 経済学などに見向きもしなかった私ですが、 ぜひ宇沢先生の本を一冊買って読んでみようかと思っています。

○ 栗林中将による硫黄島の戦い

私の大好きな俳優はステイーブ・マックイーンです。 肺癌との壮絶な戦いで亡くなってしまいました。 当時の俳優として、クリント・イーストウッドが健在です。 最近は監督として「ミリオンダラー・ベィビー」など 非常に感動的な映画をうみだしていますが、 硫黄島の戦いを日米双方の視点から描いた「硫黄島プロジェクト2部作」が話題になっています。 第1部「父親たちの星条旗」は米軍側から描いたもの、 第2部「硫黄島からの手紙」は日本軍側からという画期的なものです。 イーストウッド監督へのインタビューでは 「戦争の悲惨さを描くことにより、戦争防止への意識を高めたい」とのこと。

私の硫黄島戦に関する印象は、 熾烈な戦いの中で多くの日本兵が火炎放射器で焼かれ、 地下壕からフンドシひとつで這い出し捕虜になる姿など悲惨なものでした。 最近、この戦闘を指揮した陸軍の栗林忠道中将に関する記録を読み、 強い感銘を受けました。 栗林中将は太平洋戦争前に米国やカナダへ駐在しており、 その産業・経済能力の高さをよく知っていました。 米国との戦いは避けるべきとの意識が強かったと思われます。 家族への絵手紙には、とても陸軍軍人とは思えない 非常に温厚で細やかな家族への心配りをする人柄がよくでています。

硫黄島の戦いは、 米軍の死傷者数が日本軍より上回った唯一の戦いです。 栗林中将が「消耗の大きい水際作戦」や「夜間の万歳突撃」を禁止し、 敵をすべて上陸させた上での消耗戦に持ち込んだため、 また「部下達に心から尊敬されていた」ためと思われます。 硫黄島を縦横にはりめぐらす地下壕設営にあたり、 指揮官みずから地下足袋をはいて指導に当たったとか。 2万を越える日本将兵のほとんどが「栗林中将を近くで見たことがある」 と証言したことに米軍は驚きを禁じ得なかったそうで、 通常これは考えられないことだそうです。 栗林中将の最後も兵の先頭に立ってのことで、 これも日本陸軍にはなかったこととされています。

このように「頭脳明晰で普段はきわめて温厚」「他人の痛みをよくわかる」人間が、 いざやむを得ない戦闘に入れば「鬼神も避ける戦闘ぶりを発揮する」 のだなあと思いました。 米軍が5日間で終了すると考えていた戦いを 兵の士気を低下させず1ヶ月半もちこたえ、互角以上に渡り合いました。 第二次世界大戦中にアメリカ海兵隊に与えられた名誉勲章の4分の1以上が 硫黄島侵攻部隊のために与えられたそうで、 日本では余り知られていませんが「硫黄島の戦い」は 歴史上特筆すべき激戦として米国では記憶されています。

日本側死傷者21、000名に対し米側死傷者28、000名を出したことが、 日本本土への空襲を1ヶ月遅らせ、 甚大な損害の想定できる日本本土上陸を思いとどまらせたとのこと。 まさに「日本に残る家族のため死力を尽くして戦った兵士たち」でした。 このような気持ちが現代からほとんど蒸発してしまっていることを嘆くものです。

日本側の生還者はわずか1、000名ほど (最後の組織的戦闘で栗林中将が戦死するまでの捕虜は200名ほど。 残りは戦闘が一段落してからのものだそうです)。 通常は戦死者の4、5倍の戦傷者があるのだそうですが、 硫黄島での戦傷者は極めて僅かでした。 その理由は熾烈な戦闘と厳しい地形の中で、米軍に捕虜を拘束する余裕がなく 投降者のほとんどが殺されたためだそうです。 沖縄戦でも同様の状況があったと聞きます。 戦後、ジュネーブ条約違反ということで、 捕虜虐待で裁かれた日本人も少なくなかったようですが、 実際には米軍にも明らかにあったのです。 このように戦争とは何でもありの世界ですから、絶対に避けねばなりません。

ロサンゼルスオリンピック障碍馬術の金メダルリスト西 竹一中尉も、 戦車連隊長の中佐としてここで戦死しました。自軍戦車がすべて破壊された後も、 擱座した(破損して動けなくなった)敵戦車に乗り込み、機銃や戦車砲で反撃したとか。 上の写真でわかるように、硫黄島は手前突端のスリバチ山以外はまったく平坦で、 遮蔽物がまったくない地形の島です。 この地で他の戦場では見られない勇猛な働きがかなりの長期にわたって持続したのも、 栗林中将を長とした集団の「祖国の家族を守るという気持ち以外の何ものでもない」 と戦史家は記しています。

このような気持ちを知ろうともせず、 「自分さえ良ければよい」「今が楽しければよい」 と考える浅はかな現代の日本を心から憂うものです。 中国武術の書物によれば このような人間を小人(しょうじん)と言い、 武術の達人たるには「徳行が高く、小さなことにこだわらない心の広い人」 すなわち大人(たいじん)でなければならないとありました。 武術家いわく「その人の生活態度を見れば、技量の高さがわかる」のだそうです。 今月は、愛国心(すなわち社会を守る、自分を守るということです) に関する内容が多くなりました。

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有明埋立地の高層ビル(この右画面外にフジテレビ)

海面に渡り鳥の群れが浮かんでいる