2016.01 今年はラッキーナンバー

わーくすてーしょんのあるくらし ( 275)

2016-1 大橋 克洋

古代の偉業:マチュ・ピチュ

< 2015.12 もっとも日の短い月| 2016.02 クリエイティブな人間に嫌な奴はいない >

今年は西暦2016年、和暦で平成28年。8は私のラッキーナンバーなので、大変ラッキーな年になりそうな予感。

◯ 古代の偉業:さらに考える

先月「古代の偉業」について考えることを書きました。正月番組で「天空都市マチュ・ピチュ」を見ていて、さらに考えたこと。古代インカが建設したマチュ・ピチュの石組みなど現代から見て信じがたい精巧なものです。外見から同じように見える段々畑の石垣、居住区の石垣、さらにもっと高く険しい崖に築かれた石垣、超音波などで内部構造を探るとそれぞれに異なる合理的な構造。段々畑では内部が土ですが、居住区では重量を支えるため土に石が混ざっており、険しい崖地では水平方向への力を発生させぬよう内部は岩のみ。

出来上がったものだけ見ると、古代の人達がどうやってこのように精巧な建造物を険しい山岳地に作れたのか、とても不思議に思えます。しかし我々は結果だけを見ているのであって、実際にはその前に遠大な年月をかけ試行錯誤されたはずの、すでに失われた数えきれない失敗作があるはず。そして、その知恵の結集した成果物が我々の見ているものなのでしょう。あの険しい山岳地に巨大な石組みを作る技術、天文台や日時計などの仕組み、給水施設など、それらは数えきれぬ先人たちの知恵の蓄積した成果なのでしょう。

そう考えてみると現代はどうでしょう。昔はなかったコンピュータやインターネットなどの仕組みを得て、更に効率よく万人の知恵を集め蓄積できるはず。しかし身近な生活を見ていても、先人達の知恵の結晶がどんどん失われていく面も多い。船大工や宮大工の巧妙な技術、築城に必要だった石工の技術などだけでなく、もっと身近な家庭内の食物・衣料その他の取扱い、家族のあり方の知恵などなど、、どんどん失われて行きます。二度と取り戻すことはできずに消滅、必要になれば再度ゼロから試行錯誤せざるを得ないものも多い。

印刷技術や、ましてコンピュータなどというものがない時代、遠大な時間をかけ試行錯誤した知恵を子孫へ伝承しようと努力した古代人。つまり、そういう面で現代人は古代人ほど賢くないということが言えるのかも、、

◯ 天国も地獄のことがあった

「地球ゆうゆう紀行」でパプア・ニューギニアのラバウルをやっていました。私の世代、ラバウルと言えば第2時大戦時、日本海軍の航空隊が駐屯した航空基地「さらばラバウルよまた来るまでは、しばし別れの涙がにじむ、、」という唄もあります。中学時代から何度も読み返してきた坂井三郎・岩本徹三など零戦パイロットの戦記に描かれた激戦の地。

テレビの映像にうつる現在のラバウルは、蒼い海や緑のジャングル、美しいサンゴや熱帯魚の遊ぶ楽園。旧日本海軍の掩体壕や錆びついた対空機銃、朽ち果てた航空機の残骸などに目をやることなければ美しい天国のような風景。

ラバウルの海は、ジャングルから流れ出るミネラル豊富な栄養分が海の生き物たちを育くみ、島と島との間の海流が海の透明度を高める。世界でも有数のダイビング・スポット。

ラバウル近くの航空基地ラエなどから、遠路はるばる零戦を駆ってガダルカナル島に上陸しつつある連合軍を叩きに行った苦しい状況なども読みました。ガダルカナルに残された日本陸軍や海軍兵士達がジャングルで過ごした飢餓地獄の世界は、まさに身の毛のよだつもの。そのガダルカナル島も今訪れれば、まさに熱帯の楽園としか見えないでしょう。

戦争を知らない現代の人達から見れば、天国としか見えない美しい海や島が、ある時代にはまさに地獄の地。美しい海の底には無念の思いで撃墜された戦士達が愛機とともに眠っているはず、緑のジャングルには地獄の苦しみの果てに朽ち果てた戦士達が誰にも知られることなく今も眠っている。昨年亡くなったゲゲゲの鬼太郎の作者水木しげる氏が爆撃で片腕を失ったのも、このラバウルでした。結局、天国も地獄も人間がつくるものなのだなあと、、

◯ 知恵伊豆

江戸時代はじめ、徳川幕府の松平伊豆守信綱は幕政での色々な難関にあたり知恵を発揮したことから「知恵伊豆」とも呼ばれたそうです。酒井忠勝は阿部忠秋に「信綱とは決して知恵比べをしてはならない。あれは人間と申すものではない」と評し、阿部忠秋は「何事によらず信綱が言うことは速い。自分にも料簡が無いわけではないが、2つ3つのうちどれにしようかと決断しかねているうち、信綱の申すことは料簡のうちにある」とその才智を認めている。そのエピソードのひとつ明暦の大火から、、

明暦の大火は、前年11月から80日間も雨が降らず江戸市中が乾燥しており、当日は北西の風が強く吹き、人々の往来もまばらだったとある。いわゆる「振袖火事」と云われる本郷の本妙寺より出火、北西の風にあおられ神田・京橋方面に燃え広がった。さらにしばらくして小石川から出火した火が飯田橋から九段にかけて延焼、江戸城は天守閣を含む大半を焼失した。さらに6時間後、麹町から出火、南東方向へ延焼し、新橋の海岸から芝増上寺に至る。ひとつの火災が終息しようとすると次の火災が発生したことから放火説もある。延焼面積・死者ともに江戸時代最大で、外堀以内のほぼ全域、江戸城や多数の大名屋敷、市街地の大半を焼失。関東大震災・東京大空襲などを除けば日本史上最大の火災である。

火が江戸城にも及んだが、大奥女中たちは表御殿の様子がわからず逃げ損なう心配があると考えた松平信綱は、逃げ道の畳を裏返させ道標とし「諸道具は捨て置いて裏返した畳の通りに退出されよ」と下知、大奥女中を無事避難させた。

火災後、信綱は「合議制」によらず老中首座の権限を強行して「諸大名の参勤交代の停止および早期帰国」などの施策を行って、江戸市中の食い扶持を減らす策をとった。また米相場の高騰を見越し、幕府の金を旗本らに時価の倍の救済金として渡した。そのため江戸に米を持ち込めば大きな利益を得られると、地方の商人がこぞって江戸に米を送ってきたため、幕府はその米を買い付け府内は米が充満して米価も下がり庶民も買いやすくなった。

徳川頼宣は、信綱が老中首座の権限を強行し合議制という先例に従わなかったことを非難したが、信綱は「このような場合、合議は何かと長時日を費やし無益です。後日おとがめあれば自分一人の落ち度にする覚悟で取り計らいました。諸大名の屋敷や米蔵も焼けた状況で大名が大所帯で留まれば、食事にこと欠き飢民も増えましょう。よって江戸の人口を減らすとともに、万一この機に乗じ逆意の徒があっても江戸で騒動を起こされるより地方の方が防ぐ方策もあろうかと」このように述べ、頼宣は手を打って感嘆したという。

ここで同感したのは「このような時には合議によらず、責任を一身に背負って断行すべき」という信綱の決断です。私も「どうせ、右往左往する意見がでるだけで決まらない」という結論が出ているようなものでも「とりあえず皆の意見を聴いてから」という会議を見てきて、忸怩たる思いをすることがよくありました。このような時、先を見越した判断のできる人間が一刀両断にエイヤッと結論をだすべきと良く思いました。民主主義の精神は大切ですが「何でも全員の意見を聴いて決める」というのは愚策と思います。「大衆の意見の集合」が、必ずしも賢いとは限らないからです。

しかし、時間的余裕のある場合は次のようなやり方もあります。私の尊敬するある会長は、ある重大な事柄を組織決定するに当たり「ひとりでも反対する意見があれば実行しない」という方針を貫きつつ、最終的には会長の思惑通りの結論を満場一致で得ることができました。反対意見があった場合は一旦そこで引き、委員会などでよく意見を闘わせ、翌年の総会で再度同じ提案をします。これを繰り返し、3年目には皆が自然に納得し(あきらめ?)一人の反対もなく会長の提案が可決されました。

◯ 今月の歩術

ある web site に「健康に効く効果的なウオーキング」というものがありました。それは「8000歩 / 20分」、1日の総歩行数を8000歩、そのうち中強度の歩行を行う時間が20分というもの。中強度の歩行とは「なんとか会話ができる程度の歩き」だそうです。

そしてウオーキングに最適な時刻は夕方。「人間の体温は午後に高くなるので、夕方に速歩きをすれば血液のめぐりもよくなり体温がさらに上がり、最高体温と最低体温の差が広がる。早朝は脱水気味で血液がドロドロ、心疾患や脳卒中のリスクがある」とのこと。夕方の体温が高ければ就寝時の体温も起床時より高くなり、平均体温も上がるのだそうです。

このように健康に関する記述はネット上に色々あって、正しいものもそうでないものもありますが、この記述はまあ正しいかなと。私は歩きの程度を歩数でなく距離で測定するので8000歩と云われてもピンときません。

そこで今朝の早朝散歩で測ってみると1歩約90センチでした。というと、私の8000歩は7キロくらいになりそうです。ここでは1日の総歩行数と言っているので、家の中などの歩行を考慮すれば散歩は6キロ少々か。通常歩幅70センチ位と書いてあるものもあったので、歩術の研究で私の歩度は速くなるとともに歩幅もかなり広くなったようです。

私の散歩での中強度歩行は、20分よりかなり長いと思います。

時々長距離に挑戦するのは、あくまで自分の限界を試したり高めたいという趣味のようなもの。健康ウオークとしては、そんなに長距離を歩く必要はないと思っています。

ウオーキングに出る時刻ですが最近は早朝で、ここは記述に反するところ。しかし朝風呂で身体を温めた状態で歩きに出るので、結果的には同じかも(子供の頃、母から「風呂あがりに外気に当たると湯冷めしますよ」と云われましたが、しっかり身体を温め速歩で体温を上げるため、その心配はないようです)。脱水傾向については気をつけるべきかもね。

ということで、この web site の意見にはほぼ賛同するものです。ところで、運動量を歩数で数えるか距離で数えるかですが、使われるエネルギーは最終的に「個体をある位置からある位置まで動かす」ものですから、歩数より距離で考える方が合理的と思うのですが、、

◯ ワクワクするもの

トヨタが WRC:世界ラリー選手権に復活するとか。これにより「車にワクワクする時代復活のきっかけになるのではないか」との期待もあります。トヨタは豊田章男社長自らがラリーを楽しみ、モータースポーツに力を入れていく姿勢を露わにしています。社内で何が変わったかというと、社員が自分のクルマ好きを社内で公言できるようになった、自分の持つ車の話をできるようになったことだそうです。これは確かに期待できるかも、、

今までもここに書いてきたように、私は学生時代からクルマ大好き人間。初代スカイライン GT 、ホンダが初めて出した乗用車ホンダ1300に乗ったり、モータースポーツに一喜一憂してきました。それから10数年後、世の中に初めてのパーソナルコンピュータが現れました。その頃車はすでに成熟期に入り新型車が発表されても以前のようにワクワク・ドキドキすることがなくなっていましたが、開発途上にあったコンピュータは新機種発表とともにワクワク・ドキドキさせてくれました。その時に思ったこと「コンピュータの発達は車の発達とまったく同じ過程をたどるに違いない。やがて成熟期に入り新機種が発表されてもさしてワクワクすることもなくなってしまうのではないか」。

そしてそれはその通りになりました。特に Steve Jobs 亡き後、Apple からの新機種発表も以前のように胸ときめかせることはないようです。

しかしトヨタはセンスとやる気、パワーを備えた(愛称)モリゾー社長を得て、これからしばらくは楽しみを与えてくれるのかも知れません(私の好きなホンダにもこんな社長が復活して欲しいなと)。

ところで、トヨタのワークスは GAZOO:ガズー・レーシングという名前ですが「GAZOO って何?」と調べてみました。そうしたら「画像」のことなんですね。新車を売込み中古車を引取る業務の中で、中古車の処分に何ヶ月もかかりデッドストックとなってしまうため、何とかスピードアップしようと中古車を写真に撮り Web で閲覧できるようにしたところ、中古車が非常に能率よくはけるようになったそうです。その後の経緯は知りませんが、この部署が後年レースを手掛けるようになったのでしょう。

運転免許を昨春返上しましたが、益々モータースポーツの楽しみが高まり、WRC やダカール・ラリーに胸ときめかせています。若い頃 Audi に試乗しましたが、チャチイ感じで魅力を感じませんでした。スバルの1000ccも同様でした。しかし現在の Audi はモータースポーツの覇者。スバルも数年前には WRC を連覇しています。

私の好きなメーカーは昔からホンダ。それは今も変わりませんが、もし車を運転するなら水平対向ボクサーエンジン・4輪駆動のスバルは面白そうだなあ、などと思っています。

で、コンピュータの方の発展はというと、しばらくは停滞した感じなのかなあと、、

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六本木ヒルズから見下ろす夜景

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です