2013.05 ファッションかアートか

わーくすてーしょんのあるくらし ( 243)

2013-5 大橋 克洋

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◯ ファッションかアートか

面白い言葉をみつけました「ファッションは最初は美しく見えても、そのうち醜くくみえるもの。アートは始め醜く見えても、やがて美しく見えるもの」、なるほどね。しかし何時まで経っても醜いとしか思えない「アートと称するもの」もあるなあと、、

そこで、私の開発する電子カルテ NOA はどちらなのか考えてしまいました。反省するに確かにファッションを追求するところも無いとは云えません「格好良いものを創るぞう」と、しかしアートを目指すべきなのかな。では、ファッションとアートとはどこがどう違うのか、これは熟考するには面白いテーマです。

早速 Web 上を探してみました、同じテーマの話題は幾つもありますね。で、ささっと見たところで両者の違いを要約(ここではファッションでなくデザインと呼んでいます)。

・アート:主観的なものであり、理解されることは重要でない。利益を上げる目的もない。

・デザイン:客観的なもので、ユーザを楽しませるのが目的。商業的意味合いがある。

「アートは自分の中にあり、デザインは社会の中にある」なるほどこれで決まりかな。ということは、電子カルテ NOA はアートではなくデザインを目指すべきということか。自分自身アーティストという考えは余りなく、デザイナーと思って来ましたしね。「アートの心を持ってデザイン」できれば最高なのかな、、

◯ 今月の歩術

昨年の初め散歩をはじめた頃は、地元とは言っても細かい地理を知らず iPhone の Google maps に頼りきりでした。1年を経て自宅を中心に半径 4km の範囲は殆ど歩き尽くしたので、iPhone に頼ることもなくなりました。「今日はどこそこの方向へ行ってみよう」と気の向く方面を周って歩いています。桜の季節が終わり、新緑が美しく清々しい季節となりました。今朝は桜の木漏れ日の美しい並木道ということで、昭和大学から西小山方面へ向けての桜並木を経路に入れたコースを歩いてきました。このコースを、この時間この方向から歩くのは初めてでしたが、快晴の早朝とても気持ちの良いものでした。

GW の間は早朝からの「朝歩き」を毎日できるので嬉しいです。普通の日でもやろうと思えばできるのですが「帰ってから仕事が待ってる」と思うと心がゆったりできません。休日の早朝、清々しい空気を吸い込みながら出発、次第に強くなってくる朝日を浴びながらの歩きはとても気持ちの良いものです。

先月は「足底を平面的に着けながら大地の気を感じて歩く」に重きをおいて歩きました。今月はそれとともに「前肢の着地の衝撃をなくして歩く」ことに意識を持って歩いてみようと思っています。基本的に「平起平落」の歩きは摺足のような歩きで足底を平面的に着け、着地の衝撃の少ない歩きではあるのですが、それは比較の問題であって、疲れてくるとやはり着地の衝撃は大なり小なり全身に到達します、以前と比べれば格段に少なくはなったものの。「着地の衝撃」は「下から上へのベクトル」ですが、これを「進行方向へのベクトル」に換えようというものです。今朝も 6km ほど歩き、最終段階でこれに思い至ってちょっと試み、多少の感覚を掴んだところ。

以前からこのコラムをお読みの方はお判りのように、これらの試みは初めてのものではなく一定の周期を経て繰り返されてきているもの。ただ周期がめぐる毎に少しずつ上のフェーズへ移行してきてはいるはずと思っています。

◯ ランニングでも同じことが

Google reader でニュースを見ていたら、こんな記事がありました。「裸足でランニング」という記事(余談ですが Google reader はもうじき廃版になるそうです。私は便利に眺めていたのですが)。

米軍の調査でランニングシューズと怪我との関係が明らかになったそうです。つまりランニングシューズを履いた人の方が裸足の人より明らかに怪我の頻度が高い。膝や腰だけでなく膝から下の怪我も裸足の方が圧倒的に少なかったという予想外の結果。着地の状態を調べてみるとシューズを履いた一般的ランナーでは踵からの着地が圧倒的に多かったが、裸足系では足裏の前方(犬や猫の肉球にあたる部分)での着地が多い。専門ランナーを含め統計的には両者とも足裏全体での着地が一番多かったようです。なぜ米軍が調査したかというと、最近の肥満傾向の兵士達の事故に鑑み、かなりの重要性をもって調査が行われたとか。

さらに Web で調べてみると最近、裸足ランニングが注目されるようになり、そのようなランニング・クラブもできているようですね。

まさにこれは私がこのコラムで何年も前から主張してきたこと。そしてプロランナーになると「平起平落」の走りになるようです。私は独学の経験上から会得してきたことですが、このように脚光を浴びるようになったのは嬉しいことです。考えてみるとこれは走りや歩きだけではありません。人工物でのプロテクトがかえって怪我や事故の危険を増やすということに気が付かない現代人の何と多いことよ。つまりは「自分の身は自分で守るという意識がない」「自分の頭で考えない」「誰かが書いたり言ったことを何も考えず鵜呑みにする」からですね、、

◯ 技術の進歩

このエッセーを書き始めた1987年頃、高級車ベンツを買うつもりでと思い切って購入した SUN-3 ワークステーションの HD が 140MB、すぐに満杯となりアプリの開発もままならぬとこぼしている。さてと胸のポケットから iPhone を出して容量を確かめてみると 60GB もある。記憶容量だけでなく処理能力その他についても彼我の差は同様のものに違いありません。まあ 1/4 世紀も前との比較ですから止むを得ないのでしょうが凄いことと、毎度のことながら感激してしまいます。

で、自分自身の能力について考えてみました。本業の医者としての能力は大してアップしていませんが、他人より多少は多く過ごしてきた人生経験は開業医にとってのスキルアップになっているはず。身体能力についてはもちろん経年変化による劣化はあるはずですが、近年の日々怠らぬトレーニングにより日常生活的には下がっていないはず。ライフワークのプログラム開発能力については経験の差が効いてきます。集中力や持続力は明らかに落ちているものの、ソフトウエア開発スキルについてはあの頃より確実に上を行っているはず。と思っていたら海外の話題として同じような内容が載っていました。齢を経てもプログラミング能力については経験がものを云うことが調査でわかったとか。

社会はどうなんでしょう。見渡したところ科学技術の面では明らかに大きく進歩していますが、日本人としての資質はかなり落ちている。礼節、根性、常識、その他、諸々。どの TV チャンネルを回しても、お笑い芸人と称される芸のない輩による何の参考にもならないくだらん時間つぶし。中国・韓国など傍若無人な近隣諸国の圧力に毅然とした態度をとるなんて到底無理なんですかねえ、、

と思っていたら、最近の安倍総理、結構しっかり方向性を持った仕事をしている。ただ、私以上に硬派のようで、そのうち内外からの反発が強まり色々なところから石が飛んでくることは必至。しかし正しい意思を持った政治家が、身を犠牲にして断固たる処置をとることが特に現代の日本には大切。明治時代にはそのような政治家が多かった。頑張れ。

◯ 最後の Seagaia meeting 2013 in KYOTO

1995年に電子カルテ研究会として発足し18年続いてきた Seagaia meeting が今年でとうとう最終を迎えました。今まで私が関わってきた Juice や NeXus もそうでしたが、同好の士による会は発足してしばらく、上昇期には非常に盛り上がりますが、一定時期を過ぎるとどうしても停滞期に入るのは仕方がありません。Seagaia meeting はそれでも長く続いた方ですが、コアとなる京都大学の吉原博幸教授が停年退職になるのを一つの区切りとして発展的解散をすることになりました。そのようなことで今回は京都大学を会場とし、吉原教授の退任記念講演と祝賀パーティーも組み込まれました。

・前夜祭

初日の前日、前夜祭が行われました。出席者はそう多くありませんでしたが、都立広尾病院小児科の山本先生、高橋究先生、岡垣先生、サイバーラボの加藤さんという非常に濃いメンバーで話が盛り上がりました。期せずして小児科2人、産婦人科2人という取り合わせ。昨年の支笏湖でもこの方々との話のなかから「気」をもらい、電子カルテ NOA の開発が進んだ経緯があります。今回私から振った話題は「プログラミングこそ本当はコンピュータにやらせるべき」という、もう20年以上前から願いつつ実現できない思い。

・プログラマーズ・キャンプ

第1日目の午前中にはコアなメンバーでコアな話題が展開されました。今回のテーマは「非構造化データの取扱い」。実際の医療現場では MML などの標準交換規約には当てはまらないデータがどうしても発生するが、それらをどう取り扱うか。

「何らかのフォーマットで構造化しテキスト・フィールドに埋め込む」ことが多く行われていると思います。私からは XML や JSON のような KEY:VALUE 構造を持ちつつ、極限まで簡素化した「NOA フォーマット」を紹介。以前はこのような提案をしても「XML なら encode decode のライブラリーがあるし、やはり XML が良い」という意見が大勢を占めたのですが、今年は「現在では DB の容量や通信の負担を昔ほど気にしなくなったが、やはりデータは軽いほうが良い」という意見に皆さん傾いてきたようです。

以前から「前後にかさ張るタグのくっつく XML をデータ交換や保存に使うのは嫌だ」と私は主張してきたのですが、小林先生が XML を評して「衣はやたら厚いのに中身の薄っぺらな学食のトンカツみたい」これはベストな表現ですね「座布団3枚」。私が数年前から提案してきた JSON を使うプレゼンもあったりして、ようやく流れは我が意を得た感じ。

・吉原教授の退任記念講演

わが敬愛する吉原先生の学生の頃から現在に至る生い立ちや、先生をめぐるエピソードや人脈の紹介。先生が初めて私の診療所を訪問された1990年当時の私の写真などもあり「大橋先生、若いなあ」の感想も。期待通り、とても面白い記念講演でした。公演後、会場の芝蘭会館のロビーに全員が集まり階段の上から記念撮影。写真中央に吉原先生を挟んで右に奥様、左に娘さん。前列左から、小林先生、高橋究先生、私。

この会もまさに吉原先生の人柄と粘りにより継続されてきたようなもの、感謝、感謝。退任後も早速新しい職場を立ち上げ活躍を始められています、さすが、、

・Post EHR 時代を展望する

以上のメイン・テーマで本会が展開。各地で動いている医療連携システムの紹介とそれに関するディスカッション。第2日目の最終は高橋究先生の「WINE Style の今とこれから」皆川さんの 「opneDolphin の今とこれから」で締めくくられました。私も「NOA の今とこれから」を話したくてうずうずしたのですが、2年ほど前に動画入りで詳しくプレゼンしたので仕方ないかな、、

サイバーラボの加藤さんのプレゼンでは javascript、HTML5, Ajax を使ったアプリの話。おー、以前のプレゼンではアドビのフラッシュをバリバリに使っていた加藤さんも、遂に私と同じ路線に変更されたようですね。これはかなり嬉しいこと。スティーブ・ジョブスの推薦でスミソニアン博物館に永久保存になるソフトウエアを作った天才、加藤さん。

・ウオーキング

今回とった宿は京都駅の裏側、毎日、会場の京都大学まで片道 5.5 km ほどを歩いて往復。今回は街なかはあまり通らず、信号や交差点もなく効率のよい鴨川の河川敷を歩きました。朝早く起きての散歩はとても気持ち良いものですが、ジョギング・散歩に通勤と思われる自転車など鴨川の河川敷も結構行き交う人が増えました。

鴨川の対岸には、早くも夏に向け「川床」が用意されていました。

◯ 診療所内装を30年振りにリフォーム

私の診療所も等価交換方式で建ったマンション内にできてもう31年になってしまいました。年数の割には余り傷んでいないのですが、待合室や診察室の壁紙や天井の汚れが目立つようになり大分前から気になっていました。以前、職員が壁紙の汚れを拭いてくれたのですが、かえって汚れを広げることになってしまい諦めた経緯もあります。

しかしこの内装をリフォームしようとすると恐らくかなりの金額になるだろうということで、先立つものが無いままになっていました。最も気になるのは診察室のドア。水に濡れたはずもないのですが、ドア下端全体の化粧ベニアがササクレだって剥がれてきています。患者さんが下を向いて診察室に入る時、必ず目にはいるところ。

Seagaia meeting で金土日の3日間診療を休むのを機会に、家内がいつの間にか内装屋さんに手配をつけリフォームの段取りがついていました。リフォームに当り、待合室と診察室に置いてあるものを一掃せねばなりません。移動できるものはぼちぼち移動してあったのですが、それは本など僅かなもの。木曜の診療終了と同時に、職員たちと一斉に器具・備品などを他の部屋へ運び出し。かなり大変かなと思ったのですが1時間もかからず待合室と診察室はガランとしたものになりました。これを見届け私は Seagaia へ出発。

帰宅してみると天井は白く塗りなおされ、壁紙は水拭きののできる薄いクリーム色のものに一新されています。ささくれ立っていたドア2枚も新しいものに交換。やはり気持ちが良いですね。診療の始まる月曜の朝は職員に30分ほど早く出勤してもらい、器具・備品を元の位置に戻す作業。朝から患者さんが多いと困るなと思っていたのですが、何とか診療開始までに現場復帰できました。天井の色も壁の色も元と同じような系統にしたので、診療をしていて自分自身は余り刷新された感じは受けないのですが、それでも壁をよく見ると以前の汚れがまったくなく綺麗になっているのは気持ちが良いですね。

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これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です