2020.09 考えるな感じろ

わーくすてーしょんのあるくらし ( 331 )

2020-9 大橋 克洋

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◯ 考えるな感じろ

これはブルース・リーの言葉。 武道において「頭で考えていては身に迫る危機に素早く対応できない」「頭の中を無にし心を澄まし、自然に感じとること」が、柔軟かつ電光石火の身のこなしに必要と説きました。

たとえば猫。現代の都会に暮らす飼い猫であっても、早朝散歩で見かけると大分離れた距離から気配を感じ取り、さっと身を翻していきます。頭で考えるより、感じての行動でしょう。普段、トレーニングなどしているわけでもないのに、さっと高いところに飛び移ったり、狭い塀の上を悠々と歩いてゆくのには感心します。うちのマンションの大規模補修の際、外壁足場を13階まで登ってきてしまった野良猫、人の気配で窓外側の狭い額縁に飛び移る。「危ないっ」と手を伸ばそうとすると、さらに次の窓枠へ。その先は終端で下は13階下の街路。何人かの人を巻き込む思わぬ救出劇へと発展したことがありました。

ちょっと話が脱線しました。先月中頃からの目眩、今月に入ってもまだ完治しません。立つと頭がグラングランしたり胃の中まで気持ち悪くなることはなくなりましたが、歩行はフラフラしそうで注意が必要。ここで気を引き締めます「頭に頼るから、役立たずになった三半規管やそれに引っ張られた脳みそに乱される」それより「両脚足底で地面をしっかり感じとり、両股関節で両脚を感じとる」ようにすれば、ずっと信頼性高い歩行ができる。

◯ 経験したことのない危険が予想された台風10号

9月も初旬を過ぎ、朝の気温も大分楽になりました。今年は残暑も長くなさそう。それでも日中は暑くなるそうで、気温が30度を割るのは月半ばを過ぎてからの予報。台風8号、9号に続き10号は太平洋上で風速80mというこれまで経験したことのない規模の予想。

これが九州地区に来襲。太平洋広域の異常に高い海水温に満月も重なり、風速・雨量・高潮と三拍子そろった経験したことのない危険な台風ということで、早めの避難が繰り返し叫ばれた効果あって、幸い人的被害は少なかったようです。九州では風速50m近かったようで、これでも凄い。

台風の尻尾が関東地区にもかかったため、晴天の東京でも、強い風が吹いているなと思ううち次第に暗くなってポツリポツリ、そしていきなり車のワイパーも効かないほどの凄い土砂降り、30分もしないうち日が射すということが何度かありました。

8号9号で洪水をはじめ農作物などに甚大な被害を被っていた北朝鮮に、泣きっ面に蜂のような10号が続いてやってきたのは、ちょっと気の毒に思いました。北朝鮮の独裁政権はともかく、人民は悲惨だったのではないでしょうか。

昨秋、千葉を襲った台風がゴルフ場のネットを倒したり送電網を断裂させ、千葉全域広範に長期間のブラックアウトを発生させるなど大きな被害をもたらしたのに、今回の台風は意外と被害が少なかったのは事前の過大(?)なアナウンスの成果?

今回の台風に対する事前の警告がやや過大だったのは、今年になってからの大雨・洪水などによる被害がかなり大きく、避難勧告があったにも拘わらず避難せず亡くなった例が後を断たなかったことにもあるのでしょう。第二波のピークを迎えたコロナ感染による危機感も相まって、逃げ遅れた例は極めて少なく済んだようです。国民側も「避難が空振りになっても、それは良いこと」という自覚をもって対応したことも良かったと思います。それでも、このようなことが繰り返されると「狼と少年」になるのが心配。

◯ 今月の歩術

今月初旬まだ目眩はあるものの、やや落ち着いてきたので朝のゴミ出しのついで、ちょっと近距離を散歩してみました。目眩発作発現から3週間ちょっと、ほとんど自宅で座っていることが多かったので筋力低下が予想されました。先月31日未明に亡くなった家内の母の葬儀に出席し、目眩は残るもののそろそろ何とか外出できそうに思えたので、、

予想通り下肢筋力が低下しており、1キロちょっとで帰ってきました。フラフラ感は結構ありますが注意して歩けば何とかなる。しかしまだ持続力がかなり低い状況。若い時と違って筋力低下ははやいですが、筋力をつけるには少々時間がかかると思われます。あとは自助努力にかかるのみ。

スクワットなど少々行い、台風10号の過ぎた朝、再度散歩にでてみました。歩き始め1キロほどは比較的快調でしたが、それを過ぎると大腿がやや重くなってきました。スクワットとは使う筋肉を使うんだな、何か別のトレーニング工夫しなくちゃ、、

目眩発作発症から5週間、まだフラフラ感はあるものの、10年前に三半規管がイカれてからフラフラ感は常にある程度あり、それに近づいた感じ。月半ば過ぎ、昨年膝蓋骨を骨折し金属で固定していた家内が、金属抜去のため3日ほど東急病院へ入院。退院日迎えに行きました。ついでだから大岡山の東急病院まで歩いちゃえ、駄目そうなら途中から電車に乗ればいいやと。午後2時、外へ出ると曇天にも拘わらず意外に暑い、こりゃキャップ被ってくればよかったと思いつつ日陰を選んで歩く。洗足駅から大岡山駅まで日陰のない一本道、まだ下肢筋力低下回復せず、ここまででも結構きつかった。こんな距離、今朝の散歩程度だが、昼の暑さが効いた。恐らく本日が今夏最後の暑さ、来週から気温は20度台になる見込み。洗足駅から電車で一駅、大岡山駅へ。

9月も20日になった途端気温は下がり、朝の気温が21度になりました。早朝散歩は1回2キロ程度までにしか距離を延ばせていませんが、少し調子が戻ってきたようで距離を延ばしてみることにしました。気温が低くなったので非常に気持が良い。Tシャツで歩きに出るには20度前後の気温が一番良いようです。ふと気がつくと「しまった」マスク着用忘れていた。しかし日曜の早朝とあって行き交う人も少なく問題なし。マスクだと途中から息苦しくなってくるのですが、それもなく快適ではありました。

欲張って頑張ることによる失敗を何度も経験しているので、無理に距離を延ばすことはせず、3.5キロ程度にしました。曇天で快適な気温もあって非常に好調でした。この調子で少しずつ距離を延ばしていければ良いなと。

◯ あいみょん

先月知った「あいみょん」という若手歌手の歌が妙に心に馴染み好きになりました。彼女を知ったきっかけは「私の家政夫ナギサさん」というTVドラマの主題歌「裸の心」。何となく良い感じで、検索してみると「あいみょん」という歌手のものであることを知りました。

彼女はまだ25才、高1の時から作詞作曲をしはじめ YouTube に投稿、2015年に作詞家デビューという、世に出てまだ5年の歌手ですが、ライブ画像 などを見ると熱狂的な若者たちに囲まれています。年齢的に私とは50歳以上も離れており、歌詞の多くも私の年代には「ん?」と思うものも少なくないのですが、どの曲を聴いてもそのメロディが妙に心にしっくりくるのです。そんなことで最近は彼女のアルバムを流すことが多くなっています。

YouTube で「裸の心」を見ると、男性によるカバーとか、あいみょんをカバーするギターのソロ演奏とか、歌唱指導とか色々あり、多くのフォローで盛り上がっています。

Facebook に「あいみょん fan 50 years over」というのがあるのを知り、早速お友達リクエストをしたところ受諾の知らせがきました。私と同様70代のメンバーもいるようです。このことから、あいみょんの曲が10代から後期高齢者まで、幅広い年代に愛されることがわかります。現在メンバーは324名ですが、時々刻々と増えています。

で、何で若者向けの彼女の曲が高齢者にも好まれるのか考えているのですが、一言でわかりやすい回答が出てきません。昭和ポップスのようにシンプルな節回しではなく、現代特有の複雑なメロディを刻んでいるのですが、どこが心に馴染んでくるんでしょう。「ゆーみん」の曲もかなり幅広い世代に愛されていると思うのですが、あいみょんの旋律には「ゆーみん節」ほど独特のクセがあるわけでもありません。

あいみょんの曲のどこが妙に心に馴染んでくるのか、今のところナゾです。

演歌ほど明瞭ではありませんが、微妙に小節が入っていたりするのが知らず識らず年配者の心をくすぐるのかも、、

◯ 最近の先輩・後輩

TVの街頭インタビューを見ていたら、会社などで後輩が先輩からの食事の誘いを滅法 嫌がっているのをやっていました。若い男の子・女の子いわく、先輩から誘われても「自分の自慢話しかしない」「無理やり酒を呑まされるが、自分のペースで呑みたい」「何かと指導めいた話をされる」「1年先輩くらいなら良いが10年も先輩になると怖い」などなど。

自分が先輩になり振り返ってみると、25才の時に父が突然脳溢血で倒れ、医局生活を3年で切り上げ父のあとを継いで開業せざるを得ませんでした。医師会に入っても28歳の私より若い開業医は皆無、すべて先輩ばかり。当時は親睦のための宴会も多く、理事会など真面目な会議のあと飲み屋に流れることもよくありました。当時の先輩たちは飲兵衛が多く、私は先輩・大先輩に挟まって話を聴きながら楽しく酒を呑んでいました。もちろん先輩の自慢話もありましたが、「なるほどねえ」「そういうこともあるのか」「ほお、そういう時はそう対処するわけね」など、社会人1年生の私にとって役立つ話は少なくなかったと思います。後年、コンピュータ仲間との呑み会もそうですが、呑み会は最高の耳学問の場でした。

そんな感じで一人先輩方に混じっても素直に話を聴く後輩とあって、先輩方から可愛がって頂いた記憶はあっても、意地悪されたり威張られたりした記憶は殆どありません。現代の若者の話を聴いていて思うのは、「最近の先輩って、そんなに自慢話や指導めいた話ばかりするんだろうか」「現代の若者は素直に先人の話を聞こうという素朴さがないのかな」。

しかし、よく思い起こしてみれば冒頭にある現代の若者達の言うようなことは私の若い頃にも確かにあったと思います。しかし TV インタビューの若者達のような感じ方はまったくしなかったなあ、、時代が若者から素朴さを奪ってしまったんでしょうか、、

私が医師会に入ってしばらくは、近隣の開業医グループや理事会などで年に1度ほど団体旅行がありました。列車や貸切バスを使い大変楽しい思いをした覚えがありますが、現在の医師会で団体旅行を提案しても賛成するのは昔を知っている人達だけ、ほとんどの医師会員はそっぽを向きます。ふーむ、どこがどう変わったんですかねえ。

今年はコロナで長いこと中止となっていますが、私が後輩と接する機会は大学時代の馬術部の後輩たちと年2,3回顔を合わせる「新入生歓迎会」「競技会」「追い出しコンパ」など。ここでの後輩たちも心の中では上記と同じことを思っているのかどうかわかりませんが、見た感じではそんなこともなく OB/OG 達の話に耳を傾けてくれているようです。体育会系となると先輩・後輩の関係も違うんでしょうか、、

◯ 今月あったこと

TV で建築番組をみていると「女優の竹内結子さん亡くなる」と突然テロップ。「ウソだろ?」と思いながらネット検索すると「本日未明、自宅でグッタリしている結子さんをご主人がみつけ、救急搬送したが病院で死亡が確認された」とのこと。状況から自殺の可能性が高いとの情報も信じ難い。

夕食は家族と普通に過ごしていたそうで、別れた夫との間の14歳の長男と昨年再婚した夫との間に今年初め生まれた乳幼児を残し、母親が自殺するとはとても信じ難い。何か発作的なものだったのでしょうか、、

今年は7月このコラムにも書いた俳優の三浦春馬君の自殺を含め、数人の芸能人の自死があったのはどういうことでしょう。コロナの影響があったようにも思えないのですが。そう言えば、三浦春馬・竹内結子の出演した映画「コンフィデンスマンJP -- プリンス編」は二人の遺作になったとか、、

竹内結子を初めて知ったのは NHK の朝ドラ「あすか」での若い和菓子職人でした。映画「いま会いにゆきます」で演じた「亡くなった母親が一時的に蘇る姿」が現実と重なるように思えました。この映画は印象に残りましたが、何か可愛そうで二度見る気のしないものでした。TVドラマ「プライド」でキムタクと共演した役が私は好きでしたね。何度も楽しく見返したくなるドラマです。

映像でみる彼女の姿から、自死という状況に陥ることは到底考えにくい。これからも女優を続け中年から老年に至るまで彼女の姿を眺められるのを楽しみにしていたのですが、、

ここ数年前から9月には何かしら気になる出来事があることが多いので、ちょっと気になっていました。長期療養していた義母が亡くなったのは、9月に入るギリギリ前の8月31日未明だったので、他にも何か起こらねばよいがと思ってはいたのですが、、

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武蔵小山駅前のタワーマンション2棟目が完成間際です

写真中央左が2棟目、中央右がすでに昨春入居済みの1棟目

私の計算ではとっくに完成のはずでしたが

後半工事スピードが落ちたのはコロナの影響かな

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です