2012.03 高い山も一歩一歩の積みかさねから

わーくすてーしょんのあるくらし ( 229)

2012-3 大橋 克洋

自宅から徒歩15分ほどの目黒不動尊:西暦808に創建されたという古刹

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◯ 高い山も一歩一歩の積み重ねから

齢を重ねるということは、幾つもの失敗や挫折から多くのテクニックを学ぶということ。拙速でなく「じっくりを重ねる」ことを学ぶこと。もちろん場合によっては、速攻で処理することも大切ですが、、

これからの人生においても何度も転ぶに違いありません。起き上がる時には必ず「何かを掴んで」起き上がりたいと思っています。これと同時に肉体面では、中国武術練巧の要点「バランス感覚を磨く」を続け、転倒防止あるいは、学生時代いくら派手な落馬をしても怪我したことがなかったように転倒損傷の防止を維持したいと思っています。

公的な役職からほとんど退き、自分の診療とライフワークである電子カルテ開発だけの生活になってしまいました。自分のことだけになってしまうと、何か空しいというかメリハリのない生活のような気がしてなりません。考えてみれば開業して10年近くはこんな生活だったのですが、あの頃は若くて本業をどんどん盛り立てたい気持ち、これから育ってゆく小さな子供達も沢山いましたし、そんな感じはまったくありませんでした。今年も半ばを過ぎる頃にはこのリズムにも慣れるのかなと思っていますが、、

毎日の生活がまったく同じリズムで時計の歯車が回るように巡ってきます。本当はこれはとても幸せなことのはず。でも人間は欲張りですから「このリズムの中に多少の変化や楽しさを織り込んで行きたい」と、ちょっと心のなかでもがいているところです。

このエッセーも一歩一歩と積み重ねているうち、いつの間にか25年。四半世紀を積んでしまいました。さあて、あとどのくらいまで積めるんでしょうかね、、

◯ 最初のトラウマは人生を決めてしまうことがある

中学時代の十朱幸代の芸能界デビューを覚えています。ショートカット、落下傘スカートで舞台に立つ小さな写真。私と同じ生まれ年ですが、学年は私の一つ下と思います。私が大学受験の頃の連続 TV 番組「バス通り裏」の素子役、楽しみに見ていました。現在も女優として活躍、その若さはあの頃の素子そのまま。しかし流石に今年の NHK 朝ドラ「カーネーション」では主人公の祖母役でした。で、書こうと思ったのはこれから。彼女は若い頃、ウエスタン歌手の小坂和也と結婚。彼のウエスタンは好きだったのですが、夫として選ぶには「ええー、何で」。彼のなよなよと頼りない姿はどう見ても彼女に相応しいとは思えませんでした。案の定と云うか間もなく離婚、以後彼女は二度と結婚する事はありませんでした。

別の例でも、素晴らしい女性なのに男性から見て「どうしてあんな奴と」という結婚が破局した場合、その女性は「2度と結婚することなく一生独身で過ごす」例がとても多いことに気付きました。初めてのダメージが余りにも大きく、結婚生活への負のイメージが強く定着するためだろうと思っています。結婚は他人同士の共同生活「相手の座敷へ土足で踏み込まない」ことが大切。相手への理解と包容の気持が必要。男と女では見るところ感じ方が違うので、なかなか難しいですが。そうやって続いた結婚は歳を経てもそれなりに良いもの。

「ラスト・クリスマス」というラブストーリー、矢田亜希子の演ずるキャラクターは私の好きなものでしたが、実生活で彼女が押尾学と結婚したと聞いて「えー、何で、そういう選択?」。そして彼は世間を驚かすスキャンダラスな事件を引き起こすことになります。彼女の受けたトラウマは如何ばかりか、二度と結婚する気にさせないのではないかと。伴侶の決断をするに当たっては、異性の意見も聞いてみてからの必要がありそうです、、

◯ 消え行こうとする時代劇

NHK の「クローズアップ現代」で時代劇が消え行きつつある様子を取り上げていました。強く意識していませんでしたが云われてみればそうですね。主な理由は2つ「時代劇の製作に経費がかかる」「時代劇を見るのはモノを買ってくれない高齢層ばかり」だそうです。まだ世の中は「金」「カネ」「かね」なんですね。金の亡者が世の中を滅ぼしつつある。一方で隣の韓国では国の援助を得て時代劇花盛りの状況も紹介していました。久しぶりに山本周五郎の短編を1日1編ずつ読んでいるところでした。周五郎のこの「しっとり」していながら「毅然」とした、時に悲しい、哀れな風情も時代劇ならではのもの。

この頃の時代劇「時代考証もへったくれもない」のもとても気になっていました。若い武士の走る姿はとても侍には見えませんし、立ったまま障子を開け閉めしたり、座敷で立ったまま話をしたり、座敷で生活をしたことのある人間にとって違和感の強い信じられない光景が NHK のドラマでさえ頻繁に繰り広げられます。座敷で暮らしたことのない人達にとっては何の違和感もないはずですが、こうして長年培って来た文化が失われてゆくのを見るのはとても辛いものがあります。時代劇に限りません、玄関を入った男性が「帽子を被ったまま」挨拶をしたり食卓についたり、これはもう実生活になってしまっていますね。

長い歳月と試行錯誤、経験の上に築かれた「民族の文化」というものには重い意味があり、後継者はそれを大切に継承してゆく必要があると思うのですが、マスコミに携わる人間にそういう考えは毛ほども思い浮かばないのでしょう。すべてぶっ壊しスクラッチ・アンド・ビルドする気のようです。穏やかに進む文化大革命。「ごく僅かでよいから心ある若者達が、どこかで日本の文化を大切に継承してくれるといいなあ」と妄想しています。

TV の放映が始まってしばらくは、時代劇だけでなく輸入ものもウエスタンの花盛りでした。米国でウエスタンが廃れてしまったのも、時代劇と同じ理由なんですかね。あの頃の英語は聞き取り易かったなあとか、親子の絆や義理人情があったなあとか、時間がゆっくり流れていたなあとか。この傾向は世界的なんでしょうね。グローバル化には良い面もありますが「砂地の起伏を巨大なローラーが押しつぶして行くように人類の叡智を奪って行く面も多分にあるなあ」、悲しい、、

◯ 今月の歩術

久しぶりに血圧測定したところ、お、ヤバイ。大分上がっています。食事も降圧剤も以前と変わらないのですが、変わったのは歩くことが少なくなり、電子カルテ開発のためじっとしていることが多くなったためかなと。とりあえず降圧剤を増やすとともに歩く機会を増やすことにしました。

神社仏閣と云えば高い所にあり、長い石段を上がって行くのが普通ですよね。神や仏は天に近い高いところにおわしますと云うことだと思いますが、これにより思いがけぬ直接のご利益があります。信心深いお年寄りが足しげく高い石段を上がるということは、介護予防にとても良いことなのですね。ということで、まずは神社仏閣を訪問目的に入れ歩くことにしました。初日は私のマンションの真正面遠方にみえる小山八幡神社、次の日は目黒不動尊と林試の森、ゆっくり歩いたので前者は30分、後者は小一時間。神田神保町地下鉄駅から御茶ノ水の高台まで限りなく続くダラダラ坂の登りに比べ運動量がまだ少ない。今後は坂巡りも兼ねることにしようかなと、、

そんなことで昨日は新橋での会議の後に品川で会議があり、チャンスとばかり新橋から品川まで 5.3 km ほど歩きました。どうも1月に無理して痛めた左股関節がまだ本調子ではないので労りながらの歩き。1時間半ほどかかっても良いかと思っていましたが、比較的ゆっくり歩いた割には丁度1時間で到着。それにしても毎日歩いていた頃と比べるとエンジンもサスペンションもパワー・ダウン。焦っても仕方ないので、まあそれなり努力するとしますか。血圧上昇に気づいてから1週間目、とりあえず降圧剤を増強したことと昨日の歩きが功を奏したのか、今朝の血圧は標準値に落ち着いていました。今後、運動を補うことにより降圧剤を減らせるようにしたいと考えています。

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なるべく毎日歩きはじめました。最初は 5km ほどだったのですが次第に欲がでて 6km へと距離を延ばしています。この位だと1時間少々の歩きで、丁度良さそう。週に1回くらいは 10km 近く歩くのも良いかなと。午後の外来を17時に終了し、それから歩いています。そろそろ日も長くなってきつつあり、まだ微かに日の残るうちに帰ってこられます。

一昨日は上の写真、洗足池までの周遊コース 6km。写真にはありませんが紅白の梅の花が開いていました。今年はまだ風がかなり冷たいですが、この程度の距離を歩いてくると、帰りには汗ばんできて帰宅しても気持ち良いですね。1杯のビールの美味いこと、、

◯ 今月の脳トレ

前々から自分の健康状態を記録するため、電子カルテ NOA よりずっと軽く柔軟性のある PHR: 健康ノート・システムを作ろうと思ってきました。いくつか試作品を作ったものの、そのまま何年も投げてあります。一方 NOA の軽いバージョン NOALight も iPad で独立して動くところまで試作したものの、こちらもそのまま埃をかぶっています。再び健康ノート・システムを作るに当たり両者の中間を狙うこととしました。

再びサラから試作品を製作中。新たなネーミングも考えたものの、結局 NOALight に落ち着きました。昨日も HL7 や MML それらを巡る経緯や現状などについて話し合う機会がありました。日本ではなかなか構造化が根付かない、日本人に構造化は向かないのかも知れないという話もありました。考えてみると NOALight は default では無構造で、ユーザが好き勝手に構造を指定できる仕組み。他システムへの対応としては「データ・マッピングで相手と整合性をとる」という考え「自分が A と呼んでいるものは、相手のところでは B と呼んでいる」ことを逐次システムに教え込んでやる。面倒なマッピングは通常初回だけ、後はシステムが覚えてしまい自動マッピングされます。実際、人間は日常生活の中で他の事象を自分のいつも扱っている環境の中に無意識のうちにマッピングし取込んでいます。

・素人でも扱えるシンプルな操作

・データ構造の柔軟性

・他システムとの容易な接続性

を到達目標に掲げ製作中。2、3番目は上に述べた通りですが、問題は1番目の GUI。最初はシンプルだったものが機能を増やすにつれ複雑化へと傾いて行きます。ここら辺が、なかなか難しい問題です。

◯ 第3世代「新しい iPad」発表

iPad2 に続く新しい iPad が発表されました。製品名は噂されていた iPad3 でも iPad HD でもなく「新しい iPad」そのまんま。次のリリースの時にはどういう名前になるんでしょうね。新しい iPad の目玉は「Ratina display」「iPhone4S 並になった 5メガピクセルの高解像度カメラ」「新しい A5X チップによる処理高速化」「超高速 4G LTE ネットワークへの対応」など。外観やバッテリーのもちは今までと殆ど変わらないようです。

当然のことながら速攻で AppleStore から「ポチ!」16日に到着するようです。楽しみ。電話料が増えるのが嫌で iPad はいつも WiFi のみのタイプなので、4G ネットワークの恩恵には預かれませんが Retina display は特に楽しみです。今までも十分綺麗でしたが、これで書籍なども更に読みやすくなるのではないかと。以前「iPad にもカメラが付いたら良いのに」と思っていたものの、カメラのついた iPad2 になっても結局 iPhone のカメラは頻繁に使っても iPad のカメラを使う機会は殆どありません。画像会議でもすれば使うのかもね。

新聞のニュースを見ると「驚きに乏しい」「アップル、陰る神通力」だと。どれだけ飛躍的革新があろうと「欲張り」体質になって視覚・嗅覚が鈍感になった連中には何も見えないのは当然かも。そういう人達には、日替わりメニューてんこ盛りの代物で喜んでもらえばよいのでしょう。本当に良いものは解る人にしかわからないもの。

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そして予定通りの16日午前中「新しい iPad」到着。昼休みに早速セットアップ。注目の Retina display ですが、今までの iPad2 の画面も十分奇麗だったので今のところ余り違いを感じられません。で、iPad2 の画面を再度開いてみました「あー、確かにこちらではよく見ると画素が肉眼で見える」。しかしあの汚い Windows の画面やフォントとの落差に比べれば本当に誤差の範囲でしかない。Windows のフォントや画面に何の不満も感ぜず使っている人達にとって iPad の画面の質の良さは余り判らないのかも知れません。

と書いたのですが「産経新聞」を開いてみて、ようやく iPad2 との差が歴然としました。今までは一段拡大しないと見にくかったのですが、今度はそのままでくっきり見えます。そして慣れるにつれて、新しい iPad の画面の真価がわかってきました。やはり素晴らしい。

◯ iPhone 4S で Siri やっと使えた

iOS5.1 にアップグレード、日本語に対応したという Siri を勇んで起動。ところがホームボタンを長押しし Siri を起動しても「Siriはもうすぐ利用できるようになります」「新規ユーザを順次追加しています。利用可能になり次第お知らせします」というメッセージで固まり、使用することができません。「ああ、きっと Siri のサーバーが混んでいるんだな」と待つものの何時まで待っても状況は変わらず。ほぼ1日過ぎた翌朝ついに応答を返してくれるようになりました。矢張り起動要請が殺到して処理仕切れなかったんですね。

さてちょっと試してみました。「今日の天気は?」これは簡単ですね。では「明日の予定は?」おお、カレンダーからちゃんと明日のイベントの詳細まで表示してくれます。「メモ!」というとメモ帳に記録してくれますが、言葉が途切れたところでメモが終わってしまうので、ごく短いメモにしか使えません。しかし、これでも手帳を取り出しペンで書くより便利な場面も結構ありそうです。iPhone を取り出しホームボタン長押しだけですから。ただし、人前で携帯に向かって喋るのを気にしなければですが。

私を「克洋さん」と呼んでくれますが、これを他の呼び名に変えてみようとやってみました。「私の名前は"ボス"」とやってみましが、何度やっても「帽子」と認識します。なまじ小利口さが邪魔するところですかね。「サー」と呼ばせようとしましたが、これもうまく認識してくれません。結局「殿」と呼ばせることに成功しました。なかなか面白そう。とうとう「SF の世界」が身近になってきました。

◯ iOS5.1 での日本語入力

Siri に気をとられて気がつかなかったのですが、OS 5.1 になってから日本語の音声入力もできるようになったんですね。そう云えば OS を上げた時、マイク・アイコンがどこかで現れたのを思い出しました。で、遅ればせながら試してみました「あれ?日本語入力できると聞いていたのに日本語にならない」「システム設定で設定するのかな?」、それらしきものは既に日本語指定してあります。色々とやっていたら「おー、日本語に変換してくれた」。ということで、今度は届いたばかりの新しい iPad でもやってみました「あれ?こちらも日本語入力にならない」。試行錯誤の結果わかったことは、キーボードが日本語入力モードの時には日本語、英語入力モードでは英語入力してくれるのでした。

これはなかなか便利ですね。Siri でメモさせると音の切れたところでメモが終わってしまいますが、その後はこの音声入力で入力を続ければ良いんだ。キーボード入力する場面ならどこでも音声入力が使えます。Siri 同様なかなか賢く日本語解釈して文字入力してくれますので、今まで「カルテで音声入力したい」というユーザの方に対し、「音声入力はまだ修正の手間の方が多くて実用的とは云えない」と返答していたのを訂正しなければなりません。そうなると電子カルテ NOA も、ますます iPad での使い勝手を上げる必要がありそうです。

で、これを iPad2 でもやってみました「あれ?キーボードにマイクのアイコンが出ない」。なるほど、これは iPhone 4S か新しい iPad でないとダメなんだ。

◯ 校長の教育ポリシーに感激

もう長いこと自分の卒業した高校とは疎遠になっています。その校長の言葉を同期生からのメールで目にして感激しました。ちょっと自己宣伝的になってしまいますが、以下は麻布学園の氷上校長へのインタビューから、、

問い:今年の東大の前期入試の合格者が発表になりました。昨年麻布の合格者が減りましたが、今年は持ち直しました。一方で一位の開成の大幅増が話題になっています。麻布ではなにか対策を施されたんですか。

氷上:そういう意見がどこからも起きてこないのがこの学校の不思議なところでね。もちろん私が現役麻布生だった頃に比べ、今はかなり勉強にも細かい指導をしています。でも東大に合格させることが最終使命ではない。そのためだけに6年間を律するなんて馬鹿馬鹿しい。それだったらクラブ活動とか、仲間との大切な時間に打ち込んで欲しい。その結果浪人したり、東大でなくったって、個人的には構わないじゃないかと思う。自由にモノを考える人間になってくれたらいい、僕が思うのはそれだけですよ。

麻布学園の教育者のポリシーが私の卒業した頃と一貫して変わっていないのには感激しました。私の頃も東大・慶応などへの合格率は高く世間からは受験校と見られていましたが、学内では受験のための特別授業などは高3の時におざなりのものがあっただけ。単に生徒が勝手に勉強して合格していただけでした。後の「塀の中の人」と「総理大臣」が一緒に学んだ自由な気風のある学校。私もこの校風が大好きです。私の勉強嫌い(とまでは行かなくとも好きではない)も、この頃からでしたね。

◯ 移り変わる商店街や街並み

私の住む武蔵小山商店街は、たまに TV にも登場する賑やかな商店街です。私の知る終戦直後からの店がどんどん消えて行きます。恐らくあの頃から続く店はもう5店もないのでは。大橋産婦人科もその中の希有なひとつとなりました。昨日いつもの化粧品店にへアークリームを買いに立ち寄ると1本しかありません。いつもは3本まとめ買いするのですが「また通りかかった時に買えば良いか」。顔見知りの店主から「ごひいき頂きましたが今月一杯で店を閉めます」「若い人は薄情ですね、1円でも安い方へ行ってしまいます。中国製品などありますしね。旦那さんにはごひいき頂きましたが、こんな世の中になってしまい閉めざるを得ません」隣に奥さんも居ましたが「我々もまだまだ働けるんですが残念です。ここには住んでいますんで街で顔を見かけたらぜひ声を掛けて下さい」と、無念そうな顔でした。

古くからの店がなくなった後に何が入るかというと、100円ショップなど安売店、無数の携帯ショップ、整体院などが目立ちます。武蔵小山商店街に昔から多い衣料品店も少なくはないのですが、どれも安売りと思われるものばかり。あーあ、ウチも後を継いでもらえそうな雰囲気もないし、精々あと十年もすれば同じ運命なのだろうなと、、

山田洋次監督の「息子」という映画を AppleTV で観ました。1991年公開ですから、20年ほど前の映画ですね。三国連太郎、永瀬正敏、和久井映見、原田美枝子、その他有名な俳優がぞろぞろ出てくる豪華キャストでした。山田監督の作品にしてはやや地味かなと感じましたが、さすがにほのぼのとした人間ドラマ。20年前というと皆若いですね。聾唖者を演ずる和久井映見の可愛いこと。永瀬と恋人の和久井が夜の街角で「おやすみ」と別れる場面、背景の三叉路に3つの地番がはっきり読み取れ Google map で調べてみました。「ははーん、中野坂上交差点のすぐ裏の路地、新宿副都心に接したところなんだ」。次に Streat view で眺めてみました。20年前の面影が何か残っているはずと思ったのですが、片側は巨大マンションに造成され、もう片側にも以前の面影をとどめるものはまったく無し、そしてもう片方は鉄網塀で囲われた空き地のような光景。副都心近辺だからということもあるのでしょうが、こんなに跡形も無くなってしまうのはちょっとなあと、、

◯ 今月の平塚小学校跡工事

相変わらず行政の建築の進行はのんびり

どうせろくに使われないこんなもの建てるより

木を植え森にしてくれれば区の環境も良くなるのになあ、、

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足柄の温泉施設:おんりーゆー

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です