2007.06 自分の身体・能力を使いきる

わーくすてーしょんのあるくらし ( 172 )

2007-6 大橋克洋

6月に入って初旬の頃はそうでもありませんでしたが、 中旬を過ぎて本格的に暑くなりはじめました。 例年のことですが、暑くなりはじめは「汗腺がまだ十分開かない」感じで 歩いたあともスッキリしません。 下旬に入りようやく開いてきた感じです。 汗も十分かくようになり調子良くなってきました。

しかし、まだ身体の怠い感じがあって 朝夕のトレーニングもやや軽め、とサボリがちです。 1週間もすれば調子は元へ戻るのではないかと思っているのですが。 梅雨に入ったというのに、今のところ雨もあまり降りません。 ここ数年、梅雨らしい梅雨を経験していないような気がします。 これも最近の地球環境の変化によるものなのでしょうね。

○ 自分の身体・能力を高め 使いきる

日本でも中国でもそうですが、本当に武術を極めた達人は 人格的にも人並みはずれた高潔な人が多いと言われます。 殺傷力の高い秘伝のようなものは弟子の人格をよく見て、 これと思った人間にしか教えなかったということも実際に多くあったようです。

中国武術家に武術の意味を問うたところ、次のような返事がかえってきたそうです。 「武術は本来生き延びるための方法だった。 それが相手でなく自分に向けられると、自分を使い切る、 身体の感受性を高めるということにつながる。 それは一方で、修練、養生(保健)となり、もう一方で自分の能力を開発して、 自分を使い切る、やり残すことなく生をまっとうすることにつながる」。 「自分の生をまっとうする、それはいかに自然に生きるかということ。 逆にいかにわれわれが不自然かということを知ることが大切です」。

この「自分の生を全うする」という考えは、 最近よく考えていたことでしたので、この言葉には強く反応してしまいました。 「自分の身体・能力を使いきって寿命をまっとうしたい」と考え、 日々よく歩き、朝夕の筋トレ、脳トレをしていますが、 果たして努力は実を結ぶのでしょうか。それは「神のみが知る」ですよね、、

「不自然な状態」は、まさに現代人に対して非常に言えることですね。 不自然がゆえにウツ症状やおかしな人、 今まで考えられなかったような事件が多発しています。 「自然に帰ろう運動」が必要と思います。 そんなことで日々患者さんにもそのような話をしているところです。

○ 睡眠について考える

最近、訴えの多い「不眠」ですが、 一般の人が希望しているのは「睡眠」ではなく「熟睡」なのだと思います。 しかし自然界を考えてみると、本来「熟睡」とは危険な状態です。 「熟睡」するのは猛獣と人間だけかも知れません。 普通、動物は「ウトウト仮眠」に近い状態で眠ります。 馬も本当に疲れた時は横になりますが、普通は立ったままウトウトしています。 なぜなら自然界では、いつ何時襲われるかわからないのですから。 本来の睡眠はウトウトでも、 一定の時間身体を休めることができればよいのだと思います。

終戦を信じず 南海のルパング島に潜み29年目に救出された 小野田寛郎元少尉は、 落ち葉の散り敷いた斜面に 足を下にして寝たそうです。 このような場所では万一睡眠中に何者かが忍び寄っても、 足音で目が覚めるからということでした。 現代人からは、とうの昔に忘れ去られようとしている 武士の心得でもあります。 私の父も武家の末裔だからでしょうか 「若い頃は、夜中にかすかな音がしても 目が覚める訓練をした」と言っていました。

中国武術の達人がうたた寝をしているので、 気をきかせた弟子が布団をかけようとしました。 ところが師が寝ていたところに誰もいません。 あわてて見回すと、師が窓際の椅子に腰掛けています。 そして弟子にこう言ったそうです「何で声もかけず 私を驚かそうとするのか」と。八卦掌を編み出したと言われる 董 海川(とう かいせん)の超人的敏捷さのエピソードです。 ついでに、エピソードをもうひとつ。 董が壁に向かい目を閉じ座禅を組んでいると、 突然目の前の土壁が大雨で崩れ落ちた。 弟子が目を向けると、そこに人の姿がない。 驚いて見回すと、董はそばの椅子の上に服に埃もつけず、 あぐらをかいて座っていたそうです。

○ 今月の歩術

この3月、風邪で少々体力を落としたのをきっかけに、 朝晩のトレーニングに八卦掌の「走圏」を取り入れるようになりました。 基本的に円周上をただただ歩くだけのものです。 しかし「これだけで強くなるという話はホントかなあ、、」と半信半疑でした。 強くなるかどうかはともかく、2ヶ月ほど続けるうち 意外と大きな効果を自覚するようになりました。

「站椿(たんとう)」は現在も続け、 足腰を鍛えるにはとてもよい基礎トレーニングですが、 「走圏」は「歩く站椿」です。 上下のクッションを効かせ足音なく歩くことにより「足腰の強化」 「全身の柔軟性の強化」、 畳2丈程度の狭いところでは「足首で左右のバランスをとる効果」 などが高いようです (YouTube で八卦掌を検索すれば色々な動画が得られるので、 どんな動きをするか わかります)。

中年以後の女性の足腰の鍛錬として、 階段の上がり下りなどは膝を痛める可能性もありますが、 「走圏」はそのような危険性も少なく、 とっつきやすいのでお薦めです。私だけがそうなのかどうかどうか、 しばらくするうちエンドルフィンが分泌され もう1周もう1周と持続するのもメリットのひとつです。 「電車の中で何もつかまらずに立つ」にも、 「走圏」の効果は顕著です。足腰サスペンションの能力向上です。

そういえば電車内で新しい感覚を得ました。 以前「膝の間に柔らかいボールを挟んだ感じ」と書いたことがあります。 あれはすぐ消えてしまいました。今回つかんだのは「馬に騎乗する感じ」です。 電車の移動に伴い「鞍にうまく乗れているかどうか」 「馬の動きにちゃんと追従しているかどうか」「重心は はずれていないかどうか」 を自覚するようになりました。 うまく持続すると、 馬術部時代ほんの一瞬自覚したことのある「馬が手の内に入る」。 すなわち手首を微妙に操作する「気持ちだけ」で、 大きな馬を自由自在にコントロールできる感じです。

このようなことから「走圏」は、 馬術、体操、スケート、レスリング、その他、 足腰の強靭さやバランスを必要とする いろいろなスポーツの基礎鍛錬として高い効果があるはずです。 中国武術の凄さは 「中国 4000年の歴史」、 長い年月の間に多くの人が発見・会得した極意が積み重なっているところです。 一見非常にシンプルでありながら、とても奥が深いのには感動します。 「こんなプログラミングをしたいなあ」などと考えつつ、、

○ 「走圏」で体重増加も抑制?

トレーニングと摂食に努めていても、 ちょっとしたことで1日に1 Kgくらい体重が増えてしまうことは ちょいちょいありました(こういうのは単に水分なのでしょうが)。 ところが気がつくと、最近は体重が一定の値をキープしています。 寒い季節から暑い季節へ移行する時期だからなのかも知れませんが、 ふと、「もしかすると走圏の効果?」とも思うようになりました。

朝晩、タタミ2畳ほどの面積を ほんの10分か15分ずつ歩くだけなのですが、 体重抑制効果があるのかも知れません。 大腿の筋肉は身体で一番大きい筋肉ですから、 これを使うことが効率的であることは間違いありません。 さて、その真偽は体重の増えやすい秋から冬にかけても 同じ効果があるかどうかでわかる予定です。

体重抑制といえば、先月の Seagaia meeting の席でのことです。 中国の成都出張でお気の毒なことに食中毒になられ、 meeting 会期中も非常に体調不良で食事がとれず 5 Kg も痩せたという吉原先生の 「体重を減らしたい方は是非中国へ、 死ぬほど痩せられます」とのコメントも印象的でした。

○ ロボットの歩き方に学ぶ

TV で川田工業と川崎重工の開発した人間型ロボットの歩く姿をみました。 HONDA のロボットとそっくりの歩き方ですが、 これが中国武術の歩き方を極端にした歩きですね。 初めて練習をはじめた頃は、まさにあのようなイメージで歩いていました。 TV の実演で、滑りやすい粒子の上を歩くところをやっていました。 その上をロボットが注意深く歩いたり、方向転換していました。

そうです、あんな感じです。 最近は前に出す足を「ドシン」とつけず、 柔らかく静かに地面に置くようにしています。 まだ階段を降りる時だけは、それが十分にできていません。 しかしそのような歩きにより、忍者のようにとまではいきませんが、 かなり歩行速度も上がってきたようです。 この歩きの特徴的なのは「いかにも、速く歩いてますよ」とは見えずに、 歩行速度が上がることです。

ところで、なぜロボットの歩きと同じような感じになるかを考えてみました。 常に身体のバランスを考えながら体重移動をすると、 自然にあのような動きになるのだと思います。 普通の人の普段の生活では、かなりアンバランスな動作でも無意識に修復できるため、 あのような動きをしないだけでしょう。 これに対し武術家は、相手のどんな動きにも安定しベストの力で対応するため、 常に重心の位置を意識しつつ動くということでしょう。

○ それってホントに「安全」かあ?

「安全」という文言が、よく聞かれるようになりました。 組織や機械のメカニズムなどについて、安全な方法が要求されたりします。 「それって本当に安全な世の中になるのだろうか?」と、 最近 首をひねるようになりました。 そのように「外から守ってしまったのでは」 ますます「危険度が増える」のではないかと 気がついたのです。例はいくつも挙げられます。

十年以上前、医歯薬学生馬術連盟の理事になっての話です。 議題は「学生の馬術競技の安全対策」でした。 その前に死亡事故があったのだそうです。 派手な落馬ではなく、 馬にすがりついたままずり落ち お尻から着地したのだそうですが、 救急車で病院へ運ばれ 結果は頭蓋底骨折だったそうです。

理事会では馬術試合に「ヘッドギア」や「プロテクター」 の着用をすべきという意見が大多数でした。機動隊のように、 カブトの緒も凛々しく防弾チョッキ風ベスト着用という ものものしい格好です。 しばらく馬術競技から離れていた私としては 耳を疑うような話でした。「それより柔道の受け身を練習すべきでは」 と提案しましたが、気に留める理事もいません。

原っぱを走り回っていた我々悪ガキ世代は、 馬から落ちるなんて「へ」とも思っていません。「馬に乗れば落ちるの 当たり前じゃん」としか考えておらず、 落ちても打身や擦傷など負った経験はありません。 無意識に身体が受け身をしていたのだと気がつきました。 「落馬も馬術のうち」。

昨年夏、学生の夏合宿に参加し懇親バーベキューの後、 思いがけず騎乗することになり小障害に挑戦。 さんざん呑んだ焼酎でヘロヘロ、 学生の前で何度も派手な落馬を披露してしまいました。 帰ると尻ポケットの中が馬場の砂でザラザラ。 しかし翌日、打身の痛みなど何もありませんでした。

ところが今の学生さんは子供の頃からの塾通いなどで、 無意識の受け身はもちろん、身体自体が脆いため、 ちょっとしたことで重大な故障を起こすのだと思います。 「外部から」ではなく「内部から」守ることこそが必要なのです。 「安全を保つ」ため外部からプロテクターなどで守っては、 ますます「自己防衛能力を阻害」するだけ。 子供からナイフを取り上げたり、木登りの禁止も同じです。 ラグビーより、 ものものしいプロテクターのアメリカンフットボールの方が 重大な怪我が多いと聞いたこともあります。

過激な言い方をすれば「重傷を負わない程度に怪我をしなければ、 重傷や死ぬような怪我をすることになる」のです。 ここで、最後に言いたかったこと 「安全な世の中を作るための最優先事項は、 世の中を構成するひとりひとりが 助け合いと相互理解の心を持つこと」、これに尽きると思います (コンピュータやネットワークのセキュリテイーもまったく同じ)。

東京でも一昔前まで近所へ買物に行くのに、 戸締まりをする必要はありませんでした。 日本人が一定のモラルを持っていたこと、 近所の人達との融和などによるものです。 これこそが「現代人の求める絶対的な安全」 に近い世界なのだと確信します。 ところが 他人には散々求めるくせ、 他人のことを思いやる気持ちの これっぱかりもない人が増えるばかり、ああ、、

○ 不自然な文明生活の矯正にはセルフ・コントロールが必要

これは安政4年生れ昭和4年に71歳で亡くなった 偉大な政治家・医師でもあった後藤新平の語録のひとつです。 「いわゆる文明生活なるものが 不自然に傾く結果として、その矯正をいかなるところに求めるかと云えば、 それは『各自の自治に求めなければならぬ』。 すなわち現代的『セルフ・コントロール(自制)』によらねばならない。 自ら節制するところがなければならない」と書き記しています。

そうです。これです! 私が最近考えるようになったことは。 「社会の安全は各自のセルフ・コントロールが集まって、 初めて成り立つ」のだと思いついたところでした。 それにしても江戸時代の終わりに生まれた人が、 セルフ・コントロールなどと おシャレですね。

後藤新平は、このように「自らが自分を管理する」ことの重要性を説きました。 そして晩年は「自治できる人を育てよう」ということで、ボーイスカウト活動にも 注力しました(ボーイスカウト日本連盟初代総長)。 「次世代を担う人に育ってほしい」という彼の願い、 政治家としての信念に基づくものだったのでしょう。

また、こんな言葉も残しています。 「ひとのお世話にならぬよう。ひとのお世話をするよう。 そして報いを求めぬよう」。この言葉も、 まさに私が自分に対して常に心がけようと思ってきたことです (ちょっと2番目が余り自信のないところですが、 少なくともそのような気持ちは持っているつもりです)。 恥ずかしながら、後藤新平について詳しく知ったのはつい最近です。 しかし書き出すときりがないほど、彼の日本へ残した遺産は大きいことを知りました。 顕著なのは関東大震災の後、大胆に刷新した東京の都市計画などです。 その後の東京大空襲や、戦後の発展という大変化を経てきたにもかかわらず、 都内幹線道路などの根幹は当時のままなのだそうです。

中国における日本の植民地政策にも大きくかかわりましたが、 西欧のように植民地から搾取するのではなく、 徹底的調査を行って現地の状況を熟知した上で、 経済改革とインフラ建設を進めました。 「自治」の精神を尊重し、 現在の台湾の近代都市計画なども後藤新平の遺した功績は大きいのだそうです。 医師としての後藤はこれらを「生物学の原則」に則ったものと説明しています。 「社会の習慣や制度は生物と同じで、相応の理由と必要性から発生したものであり、 無理に変更すれば当然大きな反発を招く。よって現地を熟知し、 状況に合わせた施政を行っていくべきである」。 本当に現代の官僚や政治家に、爪のあかをのんで欲しいですね。

後藤新平が脳溢血で亡くなる三日前に残した言葉は 「よく聞け。金を残して死ぬ者は下だ。 仕事を残して死ぬものは中だ。人を残して死ぬ者が上だ。よく覚えておけ」 だったそうです。 現代の政治家に、このように大所高所からものを見て、 大胆にかつ人間的に処理できる人が欲しいんですが、 そのような人はこの世から居なくなりましたね。 そのような人を排出しないメカニズム、どこか間違っていると、、

○ 「お産」をするところがなくなる

ついに全国でも医療機関が多く、 もっとも安定しているといわれていた東京においても、 「お産」をする施設が急速になくなりつつあります。 「大学病院なのに、お産を扱わなくなった」という 驚愕のニュースを聞いて、まだ1、2年と思いますが、 日本の産科事情は急速に悪くなりつつあります。

近くの大きな医療施設から「妊婦さんが集中し非常に過密になってきた。 全ての方を受け入れるよう頑張ってきたが、 このままではパンク状態で医療事故が起こってしまう。 この4月から分娩制限をせざるを得なくなりました。 妊娠12週までに分娩予約をお願いします」 とのアナウンスがありました。 この様子では今年中に 「妊娠の診断で、すぐ紹介しても分娩予約が満杯になるのでは、、」 と危惧したのですが、状況は私の予想をはるかに超えました。 あれから2ヶ月もしないうち、 妊娠8週で紹介してももう予約が一杯という状況です。 これは都内の産科施設のパンクが次々と波及し、 ドミノ現象が起きているからです。 そもそも、このような現象がなぜ起きているかですが、 理由はきわめてシンプルです。

    1. 世の中が余りにも完璧、100% を求めすぎるようになった

      1. 何度も書くように「自然界で生命の誕生するフェーズは最もリスクが高い」、 自然淘汰を経て、自然界は 100% の結果に近づけようとしている。 しかし人間は欲張りすぎたため、自分の子孫を危うくしつつある。 イソップ物語に「水に映った自分の姿をみて橋の上から吠えた犬が、 口にくわえていた肉を落としてしまった」話がありますね。

    2. 大病院指向による加重の偏在

      1. ある程度 仕方のないことでしょうが、 多くの診療所が手作りで支えてきたお産の姿が変貌し、 一部の施設に加重が偏ってきたため(中国武術では、 指1本動かすにも全身を動かすというように、 偏重をなくすことにより偉大な力を発揮します)。 日本の半分近いお産を診療所が支え、 これらが結果として「世界一の安全・安定した医療」を提供してきました。 これも急速に消滅すると思います。

    1. 限度を越した医療費削減の政策

      1. これが現在ではとても大きな要因となっています。 「看護師不足」「医師不足」 「病院・診療所の倒産(私も年金がもらえるようになり、 何とか息をついています)」、 私生活を犠牲にし超過勤務手当なしで頑張っていた医師も矢尽き刀折れる状況を、 世の中も政府も見て見ぬ振りです。 そしてこれは産科にはじまり、全科へ波及しつつあります。 ま、仕方のないことなんでしょうね。

20年以上前、産科医の間ではささやかれていたことですが、 ついに「産科は絶滅危惧種」から完全に絶滅種への道をたどっています。 「産婦さんと一緒に大汗をかいて一晩過ごしたけれど、 無事生命の誕生にかかわれて本当によかったな」と、 緊張と不眠の中で過ごし無事お産の終わったあとの、 まさに「湯上がりの気分」の爽快な産科はなくなってしまいました。

○ Ajax 版「電子カルテ NOA」 開発に復帰

この春以来、電子カルテ NOA(Web 版)本体の開発から ちょっと離れ、周辺ツールの開発を行っていました。 ようやく javascript や Ajax の扱い方にもほぼ慣れ、 これと思う周辺ツールは作ってしまったので、 今月から再び電子カルテ本体の開発に復帰です。 春まで作っていた NOA は PHP 主体でしたが 今度は Ajax 技術を使うため、 サーバ側は PHP、クライアント側は javascript を使います。 NOA 自体もスクラッチから書き直しました。

今度のバージョンも 電子カルテの画面レイアウトについては、 NOA用スタイル・シートを元に立ち上がる仕組みです。 シートは単なるテキスト・ファイルですので、 シートをテキスト・エディターなどで編集するだけで、 プログラムに手をつけることなく NOA のレイアウトや使い勝手を自由にカスタマイズできます。 これは開発者にとっても便利な仕組みです。 「デザインいのち!」の私にとって、 ちょっと気に入らないところがあれば、 即座にデザイン変更し動かしてみることができます。

Ajax 版にした感じは、PHP 版にくらべ明らかに軽く、キビキビ動きます。 プログラミングが、まだ深いところまで掘り下げていないので 今のところ思ったよう快適に動作していますが、 これから次第に 深く複雑な所へ踏み込んで行きますので、 そこでどうか ということになります。

4年ほど前 Web 版 NOA の開発に挑戦した頃に比べ、世の中の Web アプリケーション開発技術は格段に進歩しました。 ようやく思うことができるような時代になってきたな という感じです。 Web 版 NOA の実用化にはまだ道のりは長いですが、 楽しみながら組み立てて行きたいですね。 深い所に踏み込むと「森を見て山を見ず」状態になり 仕組みも複雑になりがちです。 何とかこのシンプルさを維持するよう努力しつつ、、

○ すべてのアプリを Web ブラウザーで

私がそろそろ感じ始めていたことを、ついに Apple が言い始めました。

楽しみにしていた Apple の開発者会議 WWDC 2007 は米国時間11日から サンフランシスコのモスコーン・センターで開催されました。 MacOSX の6回目となる OS のメジャー・リリース Leopard は iPhone の開発を優先するため、発売は今年の10月に延びましたが、 そこには色々と楽しみな機能が満載です。今月29日発売が決まった iPhone に搭載される Safari エンジンで、Web 2.0 的な Ajax アプリを iPhone に完璧に統合できるようになるそうです。これにより特別な開発キットを 使うことなく標準的な Web アプリが iPhone でも使えるようになるとのこと。

iPhone ソフトウエア担当の Apple バイス・プレジデント Scott Forstall 氏は、 「すべてのアプリケーションが Safari 内で実行される」と述べたそうです。 これは、まさに Ajax 版電子カルテ NOA を開発していて、 感じ始めていたことです。うーん、楽しみですね。 本日からの新版 Safari 3.0 パブリックベータ提供を知り、 早速 download してみました。 期待にはずれ、外見上これと言って変わったところは見当たりません。 ひとつ見つけたのはタブがドラッグできるようになり、 タブ上にクローズ・ボタンがついたことです。 最近「シイラ」を愛用している理由の一つがこれです。

そのような新機能の取り込みは予想していたところで、 他にもシイラの機能が取り入れられているかも知れません。 Leopard に取り入れられる予定のデスクトップ4画面切替機能 Spaces も、 私が必須のものとして便利に使ってきた Desktop Manager と ほとんど同じと言ってよいものです。 MacOSX 標準アプリの進化は歓迎ですが、 折角がんばって新しい機能を開発しユーザに提供してきた 他の開発者にはちょっと気の毒のような気もします。 何らかの形で彼らの自尊心も、是非満足させて上げてくださいね Apple さん、、

○ Safari 3.0 ベータ版レポート

Safari ベータ版の追試報告です。 本日、都医理事会で「シイラ」を使っていたのですが(新しい Safari も 都医の文書閲覧システムでは完全に動かない)、 どうも「シイラ」が不安定です。接続できなくなったり、 突然落ちたりします。最初は「あれ? おかしいなあ、何でだろ」 と思ったのですが、考えてみると Safari ベータ版を入れてからです。 「そうか、ライブラリーを共有しているんだな」 と思い当たりました。そういうこともあろうかと、 Safari ベータ版には Uninstall アプリも同梱されていたことを思い出しました。 やむなく都医で使う MacBook から Safari ベータを削除することにしましたが、 別のマシーンではしばらく使ってみるつもりです。

今回は Safari の Windows 版も出ました。 で、早速 www.apple.com から download し、 Windows XP にインストールしてみました。 おお、Windows 上で洗練された Apple のアプリが使えるのは ちょっと懐かしい感じですね。 Windows の汚い(画素が粗い)画面の上で、 Apple のアプリも頑張って咲いていますが、 「ホコリにまみれても健気にふるまう美人」のようで ちょっと可哀想でもあります。

Safari の Windows ベータ版は公開後すぐ、 セキュリティー上の脆弱性が発見されたそうです。 ま、そもそもネットワークに脆弱な Windows ですから。 IE の2倍速いという謳い文句ですが、 残念ながら日本語は文字化けしてしまいます (MacOSX 版は日本語も問題ありません)。 ベータ版とあってこれは仕方のないことでしょうね。 いずれにせよ、今後がとても楽しみです。 私としては、 まだ当分「シイラ」をメインの Web ブラウザーとして 使うことになるでしょう。 現状では「シイラ」のユーザ・インタフェースの方が快適ですから、、

○ ついでにシイラも New Version へ

久しぶりに シイラプロジェクト の Web siteをのぞいてみました。 おお、シイラ2.0 がダウンロードできるようになっていますね。 大分前に シイラ2.0ベータをダウンロードしてみたことがありますが、 これはまったく使い物にならず捨てました。 そんなことで、半信半疑 2.0 をダウンロードしてみました。

インタフェースがかなり大幅に変わりましたが、今度は問題なく使えそうです。 最初は 1.0 の方が使いやすいと感じていましたが、 2、3日使ううち次第に快適になってきました。 ちょっと改善して欲しいのは、新しいサイトにアクセスする際です。 瞬間的に下のステータスバーに表示が出るのですが、 すぐに消えてしまいダンマリなので、 本当にアクセスしているのかわからず 何度もアンカーをクリックしてしまいました。

今ではすっかり慣れて、1.0 の頃より快適に感ずるようになりました。 特に便利に感ずるのは シイラを立ち上げ直しても、シイラを閉じる直前開いていた いくつかのページをすべて覚えていて、そのまま表示してくれること。 それから、開いているすべてのページを半透明の状態で 画面にオーバラップさせ、選択できることなどです。 相変わらず画面展開の軽快さも秀逸で、Safari よりさらに早く感じます。

上でレポートした Safari 3.0ベータとの問題点も、 早速 シイラプロジェクトの Web site に挙げられていました。 おそらく、近いうちに解決されるでしょう。

○ 久しぶりに Cocoa 環境のソフト開発

東京産婦人科医会に新しく入った事務さんから、 「Mac で使える会計ソフトがないでしょうか」 とリクエストのメールが来ました。 自院では自作ソフトで経理業務をやっていることを伝えると 「それが欲しい」とのことです。

そもそもこの会計ソフトは、私が地元医師会の経理担当理事をしていた頃、 医師会事務局で使うために作ったのがはじまりです。このエッセイの 1989年5月 のページに詳しく書いてあります(おお、 これは電子カルテが初めて私の診療所で動き始めた記念すべき年月でもありました)。 しかし、最近は自分のところでしか使っていないため、 当時の MacOS から NeXT、現在の MacOSX へと移植を繰り返すうち、 医師会事務局で使う機能はカットしています。

私のところは会計年度の開始が1月ですが 医師会などは4月ですので、 その部分の機能追加や素人にも使えるよう改善すべき点などがあります。 そこで久々にじっくりと Cocoa アプリケーションの開発を行うことになりました。 とにかく忘れてしまっているプログラムの解析から入り、 忘れてしまっている Cocoa の再学習をしながら、 3、4日かけ最小限のカスタマイズを仕上げました。

プログラミング能力もバッチリ恢復したことを確認しましたが、 さて、これを事務局へ持って行った後、 色々と生ずるであろうリクエストに対応してゆくのが 今後の大きな課題となりました。

今まで「自分用」にしか使っていなかったのものを 「他人用」にブラッシュアップしていますが、 そのためにも Keep It Simple にしたいので、 削れる部分をなるべく削っています。 操作マニュアルも「リキ」を入れて書き上げました。 思いがけず「これなら free ware として公開してよいかも」 という感じになってきましたので、近いうちこの Web Site の 「SoftWare 作品」のページで公開できるかも知れません。

○ 元気でいてもらいたい Microsoft

先月ですが、「燃え尽き症候群の Microsoft 、 Vista 改善の方向は示さず」という 記事がありました。 ロサンゼルスで開催された Microsoft の PCハードウエア開発者向け会議 「WinHEC2007」において、ビル・ゲイツの基調講は Vista 発売が成功裏に終わったことを伝えるだけで、 実際にはまだビジネスの世界では使いものにならない Vista をどうして行くか 指針を示すことはなかったそうです。

Microsoft は Vista 開発にあまりにも長い時間をかけすぎたことを反省し、 今後は短期での堅実な改良を加えて行く方針を示したそうです。 「一方 Apple の開発チーム規模は Microsoft と比較すれば圧倒的に小さいが、 それによってユーザインタフェースなどをはじめ 開発者の意思統一がはかられていることが、MacOSX の現在の成功を導いている」 との意見には私もまったく賛成です。

Apple 創設の頃からファンの私ですが、 最近明らかに MS 社の勢いが落ちてきている様子に 「とても困ったな」と思っています。 以前も書いたように「Mac の素晴らしさを保つには、 Apple 社はある程度マイナーに踏みとどまるべき」と思っているからです。 ビル・ゲイツも今年中に引退予定ですから、 今後 MS 社がますます落日の様相を呈するであろうことが予想されます。 まだちょっと先でしょうが、もちろん Apple のスティーブ・ジョブスも 永遠に続くわけでもありません。 さて、その後はどういう世界が待っているのでしょうか。

これも軽井沢別荘地の小径。

林間に響く小鳥のさえずりと

雨上がりの朝の空気のにおいが印象的でした