わーくすてーしょんのあるくらし ( 353 )

大橋 克洋

katsuhiro.ohashi@gmail.com

2022.07 厳しい展開の地球

○ 厳しい展開の地球

今年はまだ6月というのに記録破りの酷暑が続き、世界各国でも気温上昇による広範な森林火災が長期にわたって続くなど、地球温暖化に伴う異常気象が顕著に進行しつつあります。これに対処しようと世界各国が脱炭素化を進めようとする矢先、ロシアによるウクライナ侵攻が勃発。21世紀とは思われぬロシアの残虐極まりない戦争の長期化により、世界各国におけるエネルギー危機・食糧危機を伴う物価上昇という最悪の状況が引き起こされています。

これにより脱炭素の方向性は、エネルギー危機により各国やむなくその逆の方向へ舵を切らざるを得なくなりました。地球上のたったひとりのプーチンという人物が引き起こす地球規模の災害。これはまるで小説や漫画の世界、まさに悪夢が現実となっています。

その前に始まっていたコロナ感染という災禍も地球規模で人類を襲い、もう足掛け3年になろうとしています。ようやく収束に向かった第6波が今月中旬から急激に上昇傾向、世界的に第7波襲来。もしかすると最大だった第6波を越えるかも、、

交通や通信などのインフラの進歩は、反面で従来なら局所的に収まっていたであろう災害を、あっという間に地球規模にしてしまうという効果をもたらしました。一方で地球規模の人口爆発も、人類に対してはもちろん地球上の動植物へもたらす悪影響は、今後計り知れないものがあります。

われわれの住む美しい地球を保つため、われわれ人類が今後行わねばならない努力は計り知れません。どうか「悪のプーチン」の反面として、地球規模で多大な良い効果をもたらす「善の偉人」が現れないものでしょうかねえ、Steve Jobs が世界を変えたように、、

今月のあれこれ

各月の気候や体調など、いままで「今月の歩術」で触れることが多かったのですが、齢80ともなると色々体調変化などあるので、ちょっと別項をおこし記録しておきます。

6月下旬から7月上旬にかけ、気温35度を越える暑さが8日以上も連続するという記録破りの状況。以前なら、やせ我慢でなるべく冷房に頼らず書斎の窓を開け ぎりぎりまで頑張るところですが、年齢もあるので無理をせず TV で盛んにアナウンスされる「厳しい電力事情で皆様には可能な限り節電をお願いしますが、酷暑の中ではどうぞ無理せず空調を適度に効かせてお過ごしください」に従っています。温度や風量を「自動」に設定、その設定で一番高い室温「+6」にセットして過ごしています。明らかに「涼しい」という感覚ではないですが室温は29度から30度に保たれ、まあ快適なのかな、、

体調の方ですが、これも先月中旬から「椅子から立ち上がると強い腰痛と腰まわりの強張り」が続いています。数年前から自室では背筋の衰え防止のため、背もたれのない椅子を使っているのですが、2,3日の間オフィスチェアに座り比較的長時間 TV 録画などをみていたのが原因と思われます。ヘタったオフィスチェアで背中の姿勢が悪く背筋をやられたのではないかと思います。これを元に戻すため、背もたれのない椅子に戻しストレッチや背筋トレーニングなどやっています。2週間ほどして、やや寛解はみられるものの、まだ「腰痛え、、」の状態。やだねぇ、ジジイは、、

「ストレッチが効いたのか3週間ほどで腰痛消失」と喜んだのも束の間、ある朝、右臀部直下から大腿背面にかけての痛み。椅子から立とうとするとかなり強い痛み。しゃがんで物を拾う動作にはかなりの我慢と努力を要します。だましだまし歩くうち何とか馴れてくるものの、これ、完全にジジイの歩き、またまた、やだねえ。散歩には出られそうに思うのだが、幸か不幸か、朝の雨続きで試せてない。

このように否応なしに老化を思い知らされる今日この頃、、そう言えば私が青春の頃、光り輝いていた歌手の方々も同様に年を重ねています。ちょっと気の毒に思うのは、今の姿しか知らない人は気が付かないことでしょうが、彼ら彼女らの声の張り・艶・伸びなどがどうしても落ちてしまっていること。

東京からなくなった満天の星空

7月7日七夕の番組をみていて、そう言えば東京でも以前は星が見えていたなあと、、

冬の澄んだ夜空、北斗七星を探したことがよくありましたっけ。最後に見たのはいつだろう、、40年くらい前までは見えたような気がする。考えてみれば、東京にマンションが雨後の筍のように建ち始めたのもこの頃からだから、きっとそうだったんだろう。しかし、流れ星は見たことがなかったので、満天の星とは言えなかったのかな、、

私が小学校の頃は、東京にも雪がかなり積もったなあ、、中学受験の時は大雪で、受験に向かう私と付添の母を父が車で武蔵小山駅まで送ってくれたが、その帰り車が溝にはまってしまい難儀したそうです。診療開始時刻までに帰らねばならず、父は焦ったことでしょう。通りがかりの人に車を押してもらうよう頼んだのに、なかなか助けてくれる人がおらず憤慨していました。

この頃は東京にもかなり雪が積もることがよくあり、雪の明けた朝、近くの中原街道にはエンコ(故障して停まってしまうこと)して雪の冠をかぶったまま道端に放置された車が何台も残っていたり、ストックを突きながら街道を行くスキーの若者もありました。雪の積もらなくなった現在の東京では信じられないこと。朝日で溶け屋根からザザーと時々落ちる落雪の音や、ポツリ、ポツリ、と軒先から垂れる雪解けの音。後年、大学馬術部の合宿で訪れた秋田角館では、ありふれた風景や音でしたが、、

今月の住宅設計作品

リビングやキッチンの接する庭は奥行きは狭いが、緑あふれる和洋折衷の庭を想定。和室には小さな掘り炬燵、冬に鍋を囲んだり元旦はお節料理を楽しんだり、炬燵を畳下に収納しゲストルームとして。キッチンはアイランドスタイル、ガスレンジは壁側に設置しレンジフードが目立たないようデザイン。リビングとキッチン床下空間にはエアコンあるいは夜間電力を使った暖気を流し、ベタ打ち基礎のコンクリートに蓄熱。

2階はプライベート・エリア。浴室のベランダには観葉植物など。ベランダは1階玄関前に張り出す。脱衣所の洗濯機に脱衣した下着などを直接放り込める。個室は4畳半と狭いが、廊下がバルコニーと植栽に面しているので開放感あり。必要に応じカーテンで視線を遮る。夏場はバルコニーから風がベッド上部の天窓へ通り抜ける。

スポーツ観戦あれこれ

私の大好きなスポーツ観戦というと、WRC:世界ラリー選手権、女子バレー(最近は男子バレーも強くなり面白くなりました)、クライミング(ボルダリングやリード、スピード)などには、かなりハマっています。険しい山岳地帯を2日以上、眠る時間も惜しんで走り続けるトレイル・ランニングも面白い(こういう根性もの大好き。もう自分でやる自信はまったくないが)。

高校時代からハマっていた男子体操、絶対王者の内村航平君がついに引退しても、新しい若手が次々と出てきて頼もしい。大学時代ハマっていた馬術、これは世の中では極めてマイナーなため、TV観戦の機会は稀ですね。この2つの競技は観戦ではなく、実際自分で行ってきたものですが、最近は観戦主体になりました。

このコラム10年前を見ると女子バレーについて、かなり詳細に熱く語っていました。現在も同じような熱心さでフォローしていますが、あの頃のように熱く語るパワーは落ちているな、、しかし、日本の女子バレー、当時とは比較にならないほど力をつけてきて、とても楽しく安心して観ていられる。しかも現チームの凄いところは数人のスーパー・スターが得点を支えるのではなく、チーム6名の誰ひとりとっても凄い技を持っていること。先月からはじまったネーションズリーグで、日本女子は昨年のオリンピック金メダルの米国をストレートで下し、8戦連勝という信じられない記録を打ち立て、そこまでは世界1位の成績でしたが、その後4連敗が続く「どうしちゃったのかなあ〜」。以前は「日本にも、打てば必ず撃ち抜く速射砲がほしい」と長年叫んできましたが、最近はそうでもなくなりました。しかしその勢いで8連勝した後の4連敗で、その速射砲が殆ど見られないところをみると、まだ日本はスタミナの点でもう一息なのかも、、

今まで女子バレーは強くても、男子バレーは観たところそれ程力で劣るとは見えないのに成績はパッとしませんでした。しかし、最近の日本男子バレーは違う。女子バレーに追いつく勢いで頑張っており、男子の試合も面白くなってきた。

体力的成熟期、体力ピークの時期

水泳の池江璃花子選手とフィギュアの樋口新葉選手は同年代、親友だそうです。二人が初めて出会ったのはナショナル・トレーニング・センター大浴場の脱衣所。池江選手が「TV でよく見ている選手がたまたま居たので声をかけた」樋口選手の第一印象は「あ、池江璃花子だ」。

2018年の池江璃花子の活躍は目覚ましく、出る試合、出る試合、ブッチギリの速さで勝つ姿が強く印象に残っています。あのシーズン、彼女は何と6種目で日本新記録を更新したのだそうです。彼女の話では「今日の試合で記録を更新してやるぞ」と思って試合に臨むと、必ず記録を更新していたとか。

この感じ、とても良く理解できます。私も70代前半の頃まで、歩いていても「軽快なスポーツカーのよう、サスペンションも快調、エンジンもよく吹き上がる」「どこまでも歩けるぞ〜、地平線の彼方まで」という感じ、絶好調でした。年齢から言ってもこれは人生の体力ピークとは言えませんが、池江選手の当時の感覚はこれに似たものと思います。

私は74歳の時、自宅から神奈川県平塚市まで中原街道を50キロ強歩いて人生の最長不到距離を達成。そして75歳を境にガクンと体力は落ちてしまいました。ロウソクが消える直前、一瞬ぱっと明るくなるようなものだったかも、、

池江選手の今後の活躍にはとても期待していますが、年齢的に考えると残念ながら2018年がピークだったのかも知れません。不幸にもその直後白血病を発症していなければ、もう1,2年はいけたかも知れませんが、2020年からコロナ禍に入ってしまいましたから、やはり2018年がピークだったのかな。4年以上人知れぬ思いで頑張ったのに、予想もせぬ状況でオリンピックに出られず涙をのむ人も少なからずあります。人生ってのはそういうものなのだと思います。

球技が不得意、運動神経に自信なくても

東京五輪でスポーツクライミング銅メダルの野口啓代選手は五輪終了後に現役を引退、同じく東京五輪に出場した楢崎智亜選手と結婚。楢崎選手も野口選手とともに東京五輪で金メダルを期待されていましたが、残念ながら4位で表彰台に届きませんでした。この二人の結婚には嬉しい驚き、心から祝福したいと思います。新築なったばかりの新居でのインタビューを拝見。野口さん姉さん女房なんですね。とても仲睦まじく初々しい新婚のご夫婦。二人ともナチュラルな性格でお互いを尊敬しているので、今後も仲良くやっていけるのではないかとのこと。

彼女は球技が苦手で運動神経にも自信がないそう、クライミングをやっていなかったらスポーツはやっていなかっただろうと。私も同じ、私も運動神経に全く自信がなく運動会はとても苦手でした。秋晴れの空の下、紅白の旗が翻りスピーカーから響き渡るウイリアム・テルの曲。普通は心うきうきするところですが、私は逃げ出したい気持ちで一杯でした。なんとか自信ありそうなのは障害物競走くらい。

中学時代、昼休み屋上で行われたテニポンでボールを屋上から下へ落としてしまうと、下まで拾いに行き屋上まで投げ上げなければならないのですが、私は何度やっても投げ上げることができず、野球をやっても皆から馬鹿にされていました。ところが中学終わり頃、体育授業で鉄棒の逆上がりがあり、休み時間に友人と二人練習を続けるうち鉄棒が面白くなりました。それからは安藤勝也というその友人と鉄棒の練習にハマり、手の凍りつくような冬の朝にもめげることなく鉄棒に飛びついていました。まだ日本の体操が強くなる前、鉄棒運動の本を頼りに二人で一つづつ鉄棒の技を習得していきました。

高校時代の私は体操選手の逆三角体型となり、手さえかかればどこでも登れる自信がありました。当時クライミング競技があれば絶対それもやっていたに違いありません。大学には体操部がなかったので、球技が苦手でもやれそうな馬術部に入りました。鉄棒から手がはずれて吹っ飛んでも、地面に着く前に「こちらから手をこうか、いや反対の手を着いた方が良いな」と考える暇があった高校生の思考速度は速かった)ので、初めて乗った馬が速歩になっても落馬はまったく怖くありませんでした。

球技にはまったく自信がなくても、自分の身体を投げたりすることには絶大の自信がありました。スキーなんかも、やっていれば得意になったはず。得意不得意って面白いですね、、

齢をとっても綺麗なひと

これを挙げるなら何といっても草笛光子さんだなあ、白髪や顔の皺を隠そうともせぬ容姿は例えようなく美しいし、所作も上品で若々しい、88歳とはとても思えない、、岸恵子さんなんかも、、美人っていうのは外面でなく、内面からにじみ出るもの。どう繕っても真実は自然に滲み出てしまうもの。

最近(とは限らないが)の若い女性には若い肌をべったり塗り込め、眉やアイシャドーで造作している人が圧倒的に多いが、「あああ〜、折角の美しい若い肌を塗り隠すなんて、なんて勿体ない」「改善をめざしてるつもりなんだろうけど、ひどい改悪になってるのわからないんだろうな」。

そこへ行くと、若いアスリートの輝く肌、自信に満ちた表情の何と美しいこと。本当に惚れ惚れしてしまう。造作が美形でなくても、その魅力は隠しようがない。

そう言えば男性でも惚れ惚れする姿があったっけ、、現代から思いっきり排除されている海軍予備学生の生活を記録した真継不二夫の素晴らしい写真集は私の永久保存版。まだ二十歳まえと思われる少年達が訓練で鍛えられる姿、褌姿で整列する裸体、海軍制服に身を固めた凛々しい姿。どの顔にも一点の曇りなく前をキリッとみつめ邪念のまったくない美しい姿。このように美しい男性たちの姿を現代では絶対に見ることはできません。日夜の厳しい鍛錬、揺るぎない信念が、自然とこのような美しい姿となって現れるのだと思います。現代のオリンピックのアスリートも、これには及んでいません。

一旦戦争になればどんな残虐・非道・何でもありの世界。ロシアのウクライナ侵略戦争で世界が目にしたところ。戦争は最大限の努力で避けねばなりません。しかし、それには、これまた最大限の努力で備える覚悟も必要と思っています。日本の平和主義者が例えに挙げるスイスも、国民皆兵、家には銃を保管、国民全員を収納して余りある核シェルターを持ち、自国武器を輸出など、日本のエセ平和主義者が聞いたら目をむくような現実。本気で平和を守ろうとするなら、相応の覚悟が必要です。

あれ? 美人について書いているうち、凄え脱線。そう言えば最近増えてきた婦人自衛官も美しい、、

KDDI 通信障害

今までもソフトバンクやドコモでも通信障害はありましたが、7月初め足掛け3日にわたる長い期間 KDDI の音声通話やデータ通信がつながらない障害が発生。私は日本を敵視するロシアからのハッキングかなと思ったのですが、どうもそうではなく機器更新にともない交換機に輻輳が起こったためということだそうです。それにしても、どうしてこう長期間にわたり復旧できなかったのかもっと詳細な原因を知りたいものです。

幸い固定電話回線では問題なかったようですが、これにより au 携帯がほとんど使えなくなりました。被害は携帯のユーザだけでなく、天気予報・流通業界・コロナ患者へのフォロー・緊急通信・その他、いろいろな分野へ波及しました。

このようなことは、ほんの数年前までは考えられなかったこと。今後ますます色々なサービスが携帯電波に乗って運用されるでしょうから、対策は真剣に考えていかなければならない問題ですね。

○ 日本あるまじき安倍元総理の襲撃

七夕の翌日のこと、TV を観ていると「安倍元総理が選挙応援先の奈良で暴漢に銃撃さる」という臨時ニュース。昔、社会党党首の浅沼稲次郎氏が演説ステージ上に駆け上がった右翼の山口二矢少年にアイクチで刺殺されるショッキングな映像が思いだされます。

街頭の台上で安倍元総理が演説に入ったところ、背後の路上から男が2連装の手製銃で2発発射。映像を見ると、1発目の轟音に振り向いた元首相の首と左腕に2発目が着弾、元総理が反射的に身を縮め段から飛び降りる姿。弾は左右鎖骨下動脈を損傷させ、外部出血は少なかったものの多量の体内出血を生じさせ心肺停止となりました。救急車到着時から奈良医大にヘリで搬送到着するまで終始 心肺停止と言われていましたから、発表死亡時刻は約6時間後でしたが、実際は即死に近かったものと思われます。

安倍氏、この日は他県で応援演説予定だったところ、前日夕方奈良に変更。犯人の男は奈良在住。安倍氏を襲った理由は些細な思い込みで、もらい事故のようなもの。警備の網目のわずかな隙間さえなければ、犯人を抑止できたか1発目で安倍氏を防護する体制がとれたかも知れない。警備は犯人の後を通り抜ける自転車に気を取られ気づくのが遅れたとのこと、自転車のタイミングが数秒ずれていれば犯人に気づいたかも知れない。1発目の轟音ですぐ振り向かなければ数秒後の2発目が動脈に達することはなかったかも知れない。弾が僅かにでもそれれば致命傷にはならなかったかも知れないなど考えると、運が悪かったというより、絶妙な蓋然性でそのような運命に導かれたとも考えられます。

安倍総理は、戦後最長期政権であったことを別にしても、本当に日本のことを考え一生懸命政治を行った首相と思いますし、私が一番好きな日本の首相でした。私の一番好きな米国大統領ケネディも凶弾に倒れましたが、奇しくも同じ結末とは、、

米国ではごく最近も独立祭でにぎわう群衆をビル屋上から銃で無差別殺傷など銃撃事件が頻発。しかし治安が良く銃規制厳しい日本でのこの事態は外国でも驚きでとらえられています。それにしても安倍元総理を常々くそみそに叩いていた野党の連中が、口をそろえて無事を祈ったり死去を心から悼む口上を述べていたのには、ちょっと胸糞悪い気分でした。プーチンや習近平は外交辞令でしょうが、これだけ迅速かつ明快な弔慰を表明するとは、やはり安倍元総理の努力や誠意のたまものと私は思っています。

亡くなってわかる 人々の思い

安倍元総理が亡くなった後の TikTok には安倍さんの映像ばかり溢れていました。安倍さんの少年のような笑顔、昭恵夫人と仲良く並んだ映像などが「さよなら大好きな人」を BGM として流れる映像、よく聴いてみるとまさにぴったりの歌詞なんですね。同じような映像が山のように投稿されていて、見ていると眼が潤んできました。マスコミ報道のように安倍元総理を揶揄するような内容はひとつもなく、どれにも溢れる安倍さんの笑顔。いかに多くの方から慕われ愛されていたかが判ります。

安倍元総理、生前は色々な問題で責められることも多く、このような素晴らしい笑顔を見られることは滅多にありませんでした。これはマスコミが意図してのことだったんですね。

増上寺で葬儀を終え 棺を乗せた車は、自民党本部、首相官邸、国会議事堂などをめぐり、桐ケ谷の斎場で荼毘に付されました。安倍さんの自宅は渋谷なので、斎場は幡ヶ谷あたりかなと思っていましたが、私の近所とは意外でした。自宅から歩いて十数分の距離、私もいずれここで終わることになるはずなので、、

葬儀の車が巡る先には、どこも見送り鈴なりの人々。沿道でこれだけ多くの人々が見送ったのは美空ひばりや石原裕次郎の葬儀以来、安倍元総理を見送った人々の数はこれを上回るものではないでしょうか。世界各国要人から弔問の声も信じられぬ位多かったようです。在職中は安倍元総理を叩く声ばかり強調し報道していたマスコミですが、私が高く評価していた安倍総理を評価する人々がこんなに多かったことがわかり、とても嬉しく、安倍さんを誇らしく思っています。

翌日の早朝散歩、交番に日の丸が掲げられており「あれ?今日は旗日じゃないし、、」と思ったのですが「そうか、安倍元総理を悼む半旗か」と気が付きました。米国はじめ幾つかの国では、現役を離れたにもかかわらず日本の元総理の逝去を悼み半旗を上げているのが報道されていましたが、表彰台で日章旗があがっても君が代を唄わないような現代の日本、ここで半旗を見られるとは思いませんでした。

今月のコロナ

第6波がようやく落ち着こうかと思う今月始めころから、オミクロン株 BA.5の蔓延が始まり、感染力の増したコロナの感染者数はあっという間に再び上昇。第7波となって急カーブを描いて第6波のピークを越え、東京でも過去最高の1日感染者数3万越えになりました。

政府は経済対策を優先し、当面行動規制は行わないようです。夏休みとあって旅行や行楽地に繰り出す人の数も少なくないようですから、第7波の収束はロング・テールの形になるのではないでしょうか。行動規制のかからない中、一方で居酒屋などの客数は余り戻らないようです。世界各国でマスク姿はほとんど消えていますが、日本ではマスク姿がほとんど。このあたりに日本特有の民族性が覗えるのかも知れません。

米国のコロナも8割方 BA.5に置き換わっているようで、バイデン大統領も感染。高齢で心配されましたが、執務室からリモートで公務を続け無事乗り越えられそうとのこと。東京での上昇率は今までになく急カーブだったので、この調子ならピークに達するのは早いかもと思っていましたが、今月末には予想通りピークアウトしそうな雰囲気です。

そうするうち、BA.5の感染力の3倍を越える変異株ケンタウロス発生の知らせ。コロナの変異も目一杯進んだので、そろそろ新しい変異の波も収まってくるのでは、という話もありましたが、この調子では今年一杯で収束という見込みは甘いのかな、、