2008.01 未来は遠いが過去は近い

わーくすてーしょんのあるくらし (179)

大橋 克洋

あけまして おめでとう ございます

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2008年初頭にあたり 心にとめるべきは次のような言葉です。

人間は欲張っちゃいかん

与えられたものを大切に感謝しながら

過ごしてゆくことが 幸せに繋がるのだ

この素朴な気持ちを失った人間は、 ますます不満と不幸の淵へ はまることになります。 洋の東西を問わず、イソップ物語でも、日本のおとぎ話でも、 昔の人はやさしい寓話のなかに 真に必要な生活の知恵を織り込んでいました。 現代から失われた知恵のひとつです。

○ 「未来」は遠いが「過去」は近い

1988年1月のコンテンツを読み返してみると、 SUN-3 ワークステーションにようやく日本語環境が載り、 念願のハードディスク拡張ができたとあります。 当時私が使っていた最新鋭 UNIX マシーンのディスク容量は何と 140 MB (ギガバイトではありません)。 OS が 100 MB ほど使ってしまっているので実際に使えるのは 40MB 「これでは使い物にならない」と書いています。

金色の光を放ち昇らんとする元旦の日の出をめざし着陸する航空機

今ではどうでしょう。 当時としてはウソのようにチッポっけな、 それで 100GB もの HD がたったの1万円以下。 11月に購入した RAID 搭載の 500GB HD は2万5千円。 12月に購入した 1TB HD が4万4千円。 あの当時増設した 500MB HD (くどいようですが 500GB ではありません)は、 50万円以上しました。 現在 iPod touch は 8GBから16GBものメモリーを積んでいます。 さらに20年先はどうなっているんでしょう。 20年前より便利になったことは多いですが、 不便なままということもあります。 開発環境は大きく進歩していますが、開発は決して楽になっていません。 要求が飛躍的に高度になっているからです。 人間の限りない欲は、決して生活を楽にしないのです。

20年先の未来は遥か彼方に感じますが、 振り返えれば 20年前は つい昨日のことのようです。 「2001年宇宙の旅」という SF 映画で、2001年の未来を思い描いてきました。 それも今では通り過ぎ、過去になってしまいました。 あそこで語られていたことより進歩した現実もありますが、 まだまだ達しない技術も沢山あります。 しかし人間が夢に描くことは必ず実現されるはずです。 「可能、不可能は考えず これが欲しいぞ」と叫びましょう、 神は必ず授けてくれるはず。

、、これって、冒頭に述べたことと矛盾しますよね。 しかし私の中では矛盾しません。 「欲しい、、」の質が違うのだと思いますが、うまく説明できません。

○ 深淵な考察はシンプルな生活から

大晦日の午後、TV で古代遺跡の話をやっていました。 ナイル川のほとり、砂に半分埋もれた神殿を 掘り出してみると入口が真東の方向を向いています。 その入口から、 ラムセス2世の生まれた日と即位した日の年2回のみ 一条の朝日が神殿の奥深くまで届きます。 ラムセス2世と太陽神ラーとが同格に照らし出され闇の神は暗闇のまま、 素晴らしい演出です。 1960年アスワン・ハイ・ダム建設により水没するため 約60m上の丘に移設されましたが、 そのため日照の時期が1日ずれてしまったそうです。 古代エジプト文明の技術がいかに優れていたかわかりますね。

エジプト文明のアブ・シンベル神殿

また深いジャングルの中に見いだされたマヤの神殿ピラミッド。 頂上から降りてくる石段の両側の縁石下端には神を表す蛇の頭が。 年に2回のみ、頂上から下端までの縁石にギザギザの蛇のウロコが出現します。 段々状のピラミッドの縁に当たった日照が、 縁石にギザギザの影を落とすのです。 非常に巧妙な演出です。おそらく模型なども使ったのでしょうが、 何年も日照などを観測した結果作られたものなのでしょう。 その英知と、ただ一点に絞った素晴らしい演出は本当に感動ものです。

マヤ文明ククルカンの神殿ピラミッド

こうしてみると現代の「ただただ電飾が光れば良い」だけの演出や、 「複雑で沈思黙考する暇もない生活」が作り出すのはゴミばかりだなあ、、 と思ってしまいます。 元旦の美しい空の下なのでまだ見れますが、 東京に生えたカビかキノコのようなビル群、 そしてそこから排出される有害物質。 もうビルを建てるのはやめて、 空地ができたなら樹木を植えるべきと思います。 そう言えば、画面手前に見える大きなマンション、 数年前までは樹木が鬱蒼と茂るお屋敷でした。 所有者が亡くなり、代替わりで こうなりました。

○ 今月の歩術

今月は、また新たに発見した技術があります。 昨年暮れから「通背拳」という武術の研究を始めました。 一昨年でしたか YouTube の画像で、 今まで見たことのない人間の動きに感動しましたが、 あれは通背拳の基礎練功であることが ようやく最近わかりました。

通背拳は手長猿の動きを模したような拳法で、 手をムチのように伸ばして相手を打ちます。 その基礎練功に伸肩法というのがあります。 これをやっているうち、ふと「腰を伸ばして歩く、 というのもあっても良いのではないか」と思いつきました。 日本で言う腰の部分は中国では股ですので、 中国式に言えば伸股法ということになるのでしょう。

で、自称「伸股法」で歩いてみると、 動きを早めたり歩数を多くしないでも、 歩行速度がまた一段上がることがわかりました。 動きはゆっくりでも歩幅が増えるためと思います。 実際に増えている歩幅は 1cm 程度もないのかも知れませんが、 1cm の歩幅増大は距離を歩くと大きなものになります。 通常は腰を固定したまま足だけを前後に動かしていますが、 伸股法では腰そのものから前後に出すよう意識するのです。 歩きながら他の人を見ると、 やはり誰もが腰ではなくその下から動いています。

これに加え、音もなくそっと着地するとともに、 そこから大地のエネルギーをじんわり吸い上げるような 意念で歩いています(実際には、まだ靴によっては音がしてしまいます)。 今年は、この伸股法を基盤にした歩きを 詰めてみたいと思います。

階段を上がる技術もなかなか奥が深く、未だに試行錯誤中です。 最近取得したところでは、やはり上の段への着地をそっと行うのですが、 この時、足に力を入れず「蓄勁」するよう意念します。 その足を踏み込んで「発勁」しながら身体を押し上げることにより、 かなり力の配分に無駄がなくなるようです。

○ 「陰」と「陽」を意識 バランス感覚が大切

中国武術のひとつに「意拳」というのがあります。 これは色々な技を直接行うのではなく、 「基礎練巧だけを行うことにより自然に強くなる」のだそうです。 瞑想するようにゆっくりの動きが多いのですが、その目的は 「全身の筋肉へ結びつく神経系を鋭敏にし連動を良好にする」 ことのようです。

そのトレーニングのひとつに、軽く足を開き膝を緩めて立ち、 大きなビーチボールを両手に抱くようなポーズがあります。 ビーチボールの材質は、 紙風船やシャボン玉のように非常に脆いものと想像します。 この姿勢で、前から押されたり、後ろから押されたり、右から、左から、 ビーチボールを落とさぬよう、つぶさぬよう意識して立ち続けます。

最初「これで何の効果が出るのだろう?」と 正直思ったのですが、先日その効果の一つを体験しました。 例の「電車の中でつかまらずに立つ」ですが、 相反する方向からの力に抗する意識で立つことにより、 電車の動揺に微妙なコントロールで対応できるようです 、、で、思い当たりました。そうか、冒頭で書いた欲に関する矛盾も、 これと同じようなことかも知れません。 世の中の矛盾の両方を同時に意識することにより、 最小限の力でバランスをとれるということかもね。

○ 失われたバランス感覚

昨夕、外で機械の唸るような音がいつまでも続いていました。 正月なのにまだ工事でもないだろうと思っていたのですが、 頭上をいつまでも旋回するヘリの音でした。 買い物から帰ってきた家内の話では、 すぐ近くの戸越商店街で 両手に包丁を持った犯人に3人が刺されたそうです。 最近の世の中、 いつかそんなこともあるかとは思っていたのですが、 ついに身近で起きてしまいました。 家内がそこへ居なくて本当に幸いでした。 ヘリはその取材だったに違いありません。

中国武術はあくまで自分の健康のためにやっています。しかし 無差別殺人なども多いおかしな世の中、 刃物をもった相手に対しても 以前よりは冷静でいられそうだなと思っていたところです。 電車が入ってくる線路に落ちた人を助けに、 ホームから飛び降りられるだろうかと思うこともあります。 どうなんでしょうか。実際にその場になってみないと わからないことです。 しかし、身体の動かし方を知る前より、 大分心構えが違うことだけは確かと思います。

ところで、この最近多くなってきたおかしな人々ですが、 これについても上に書いた「両極端の矛盾を意識」で思い当たりました。 戦中戦後の何もない中、色々な矛盾の中で 手に入るものを使い工夫しながら生活してきた われわれ世代は野生の世界、矛盾の世界に生きていたわけです。 現代人は、親や社会の手厚い保護のなか (言い換えれば動物園のケージの中)で育ってきました。 体験する矛盾は多方向ではなく、一方向に近い環境だったのでしょう。 そのような中で育てば、バランス感覚が衰え身体がふらつくのは当然、 精神的にもとんでもない方向へヨロヨロ傾くのを 制御できないのだろうと思います。

○ 貴重な私の「外部脳」

雑誌連載から自発的 Web 掲載になって、 このコラムのコンテンツも変わってきました。 現在では、毎日の生活で感じたことを書きとどめる備忘録です。 読み返してみて「あの頃はあんなだったなあ、、」とか 「あれは、あの頃だったか、、」とか、 これからの人生で楽しみに眺めることのできる ものになるでしょう。

大学馬術部の頃、練習量を「鞍数(くらかず)」で表しました。 45分から1時間の騎乗を一鞍(ひとくら)と呼びます。 何日に何処の馬場で何鞍乗ったか、 累計で何鞍になったか、などを手帳に細かく記録していました。 「守銭奴がお金を数えるような楽しみ」でもあったのですが、 「大橋は記録魔だなあ」などとも言われました。

考えてみると、私は理屈やデザインなどを考えるのは得意ですが、 記憶はとても苦手です。そこで、 無意識に「そういうことは外部脳に任せてしまおう」 ということになったのだろうと思います。 それが、現在のこのコラムに続いている訳ですね。 上の古代遺跡の話でも、 私の非常に曖昧な記憶を Wikipedia などの記述で補正しながら書くことが 極めて簡単にできるのは便利です。 このようなインターネット上の色々なサービスも、 私の貴重な「外部脳」となっています。

○ MacWorld Expo 2008

今年も待ちに待った MacWorld における Steve Jobs 基調講演のレポートが入りました。 「うわさサイト」の予想通り、 目玉は MacBook Air と命名された極薄ノートでした。 薄くて軽いこと、iPod touch 同様マルチタッチテクノロジー が搭載されたタッチパッドなど魅力的ですが、 価格が23万近いことや筐体が黒でないことなど、 ちょっと食欲が今イチです。 しばらく考えてみますが、 おそらく購入するとしても1世代上がってからになりそうです。

過去の経緯をみても、1年くらいで次世代が発売されることが多いようです。 1世代後になると価格は下がり、あわよくば機能アップも期待できます。 初代チタニウム PowerBook では1年後の価格低下は著しいものでした。 もう、あのような劇的価格低下は望めないでしょうが、 セカンド・マシーンに23万はちょっとね。外部脳としては良さそうですが、、

私にとって現在の MacBook は、 通勤の「持ち歩くダンベル」の役目も果たしており、 昔のように軽さへの欲求も少なくなりました。現在の MacBook の NeXT 譲りの黒く しっかりした筐体はとてもお気に入りなのです 、、そうか、筐体をシルバーにしたのは、 この価格ではコンシューマ向けは難しいので、 MacBook pro に近い層を狙ったわけですね。

、、負け惜しみ半分このように書いたものの、 心の中では理性と感性が綱引きをしていて、うーん、迷っています、、

さて、もうひとつ嬉しかったのは iPod touch の機能拡張が行われたことです。 一番欲しかったのはメモやメール機能でした (Web メールは使えたのですが)。 早速 iTunes Store から購入して機能拡張しました。 メモ機能は便利に使えそうです。

これは日々の生活で感じたことを書きとどめる私の備忘録です