2004.06 性善説と性悪説

わーくすてーしょんのあるくらし (81)

2004-6 大橋克洋

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これからは、コンピュータに関連したことだけではなく、 日頃考えることなども少し書いてみたいと思います。

今、医療はマスコミから目の敵のように叩かれています。 医療の中には色々と不備なこともあるでしょうが、 医療にたずさわる人々の大半が一生懸命良い仕事をしようと 真面目に頑張っていることは余り知られていません。

「犬が人間を噛んでも(医師が良い仕事をしても)記事にならない」が 「人間が犬を噛めば(医師に不正や失敗があれば)記事なる」からでしょう。 このような中で医療人は黙々と頑張っていますが、 私なぞはこのようなマスコミの「社会正義」を振りかざしながら、 実際には後先も考えず 「新聞やテレビの視聴率の上昇(すなわち自社の利益)」 につながることしかやらない偽善者ぶりには心から憤るところです。

それよりも「こんな良いことをやっている人がいますよ」 と報道することによって、その人もますます張り切るでしょうし、 それを見て「自分もやってみよう」と思う人が一人でも出れば、 社会貢献度は大きいというものです。

○ 性善説と性悪説

UNIX ユーザ会華やかなりしよき時代、 これはネットワークあけぼのの時代とも呼べますが、 その頃は(良い意味の)ハッカー達が、 「皆で情報や知識、ソフトウエアをシェアして、 快適な世界を作ろう」と努力していました (このエッセイの1989年7月号あたりがその時代です)。 皆がボランティア精神で、楽しく生き甲斐をもってやっていました。

素人ゆえの失敗によりネットワーク上で 他人に迷惑をかけることがあっても、 先輩達があたたかく助言してくれたものです(多少きつい言葉を 投げかけられることもありましたが)。

ネットワークを利用して「自分だけ良ければよい」という行動をする人間も (少なくとも目につく範囲では)ありませんでした。 つまり「性善説」の世界だったのです。

ところが社会へインターネットの普及とともに、 ネットワーク上で他人の迷惑を考えなかったり、 悪いことをする人間が出現するようになりました。 そして今ではネットワークは「性悪説」を基本に考えねばならないという 不幸な時代になってしまったのです(そして医療も)。

○ 体制派と反体制派

現在のコンピュータは、アイコンやウインドーをマウスなどで 操るグラフィック・インタフェースが当たり前になっています。 これらが反体制派の人々の(体制に対する反発と)自由な発想から 生まれてきたものであることは殆ど知られていません。

ゼロックスのパロアルト研究所で研究されていたGUIに触発 された若きApple社の技術者達が、その GUI をさらに発展させて 世に出したパーソナルコンピュータ Lisa や Macintosh によって それらは世の中に普及することになりました。 彼らの多くは反体制派的なスタンスで、 既存の枠にとらわれずもっと快適なものを作ろうという 意気込みに溢れていたのです。

Apple 社の Machitosh 発表に先立つ1984年の有名なCMでは、 独裁者の演説を黙々と聞いている人たちの中へ ハンマーを持って走り込んで来た女性が、 独裁者の映るスクリーンを叩き壊し大衆の目を覚まさせるという、 いかにもそのポリシーを反映したものでした。

現在では(どちらかというと)体制派に属する Windows などが、 それらの GUI を当たり前のように使っているのは面白いことです。 いつも書くことですが、どうせなら表面の真似だけでなく、 その本質であるコンセプトまでぜひ自分のものにして欲しいと思います。 しかし未だにそうはなりません。ここが体制派の体制派なるゆえんでしょう。

○ 医療はあくまで性善説で

話を元に戻しますが、現在の社会(あるいはマスコミ)は、 医療人を「性悪説」でしか語ろうとしません。 これは世の中のためにどうなんでしょうか。

「性悪説」の世界で生きるには、それに対する防衛など 膨大な労力・時間・費用がかかります。 そしてそれはとどまるところを知らず、 永遠に膨らみ続けることになるはずです。 隣の人も信用できないということで、 ギスギスした生活を送らねばなりません。 楽しく生きていける世界ではないですよね。

一方、「性善説」の場合には、そのような生産性のない部分に 無駄な労力や費用をつぎ込む必要はありませんし、 皆と楽しく和やかに暮らして行けます。 さて、どちらが良いでしょう?

そこで少なくとも私自身は 「世の中からどんなに叩かれようと自分が損をしようと、 自分だけはそして医療だけは性善説を基本として通したい」と 考えています。正直者が馬鹿を見ることもあるかも知れませんが、 それでも良いじゃないかという覚悟をもって。 世の中を少しでも性善説に戻すことができれば、 資源をずっと節約でき、精神衛生上の健康度も高まるのです。

ちょっと昔までは、 東京でも鍵をかけず留守にするのはありふれたことでしたが、 今ではちょっと留守にするにも厳重な施錠が必要になってしまった のと同じようなことですね。

そんなことで、私の住むマンションのエレベータでは乗り合わせた人に 挨拶をしていますが、自然に皆が挨拶をするようになりました(たまに 無視するような人もありますが、どういうわけか女性に多いようです)。 このようなことがマンションの防犯にも繋がるはずです。 以前、尋ねて来た友人が「このマンション変わってるね」というので、 「どこが?」と聞くと、「エレベータに乗るといつも挨拶されるよ」。

○ Seagaia meeting in KYOTO 余暇ばなし

前回書けなかった京都の余暇について書いてみたいと思います。

    1. とても気に入った「おばんざいの店」

      1. 京都に着いたら、鈴木君(一便先に到着しているはずの電子カルテNOA仲間)と 昼飯を一緒にする約束でしたが、 偶然、品川駅で昭和大学の小塚先生と出会い、 三人で一緒にということになりました。

      2. それぞれ便が違ったため、新幹線の京都駅で待ち合わせし、 先月大変気に入った「おばんざい」の店で昼食をとりました。 4月号に載せた八重桜は、「みやこメッセ」近くのこの店の前のものですが、 今回は緑したたる姿をみせていました。 店は茶店風の作りで、何度きてもここの和風バイキングは美味しいです。 炊き込みご飯は何杯でもお代わりできるのですが、 体重をキープするため二杯で我慢しました。

      3. 店へ入ると「お帰りなさい」、店を出るときは「行ってらっしゃい」 と店員さんが声をかけるのも、なかなか良いですね。 京都のお店が皆そういう声を掛けるようにも見えないのですが。

    2. ホテルと会場との行き来

      1. 宿舎は三人とも堀川通りにある「堀川イン」でした。 皆、歩くのは苦にならないということで、 京大の会場とホテルの間を会期の間、何度か往復しましたが 50分位かかったでしょうか。 気候はそろそろ蒸し暑く、日が暮れて歩いても到着すると汗びっしょりです。

      2. 鴨川の橋の下に、こじんまりした段ボールハウスを散見しました。 夜通り掛かりにちらっと見たところでは ちゃんと中にランプが灯り、若い女の子もいたようで、 周囲にはビール瓶や小物などが結構整頓されて置かれています。 ホームレスでなく、 近所の人の「別荘」なのかな、という感じでした。 少年たちが木の上に作る家のようで、 「これって結構快適かも」と思いました。 小さい頃から建築の好きだった私も、 幼い頃よく自分の庭に古材を集めて作ったものです。

    1. 独り歩きで見つけた美味しい居酒屋

      1. 最後のセッションを終えて独り宿へ帰る途中、 「どこかで一杯やりたいな」と適当な店を探しました。 3日間歩いたところでは、 本能寺と鴨川の間の繁華街あたりならありそうです。

      1. その辺りの小さな路地に入り 「極楽とんぼ」という居酒屋風の店をみつけました。 地下へ階段を下ったところにある カウンターと2,3のテーブルだけの小さな店。 上の写真の電飾看板にあるように、 おヤジさんとおカミさんの二人でやっている店のようです。 半そでシャツ、ジーンズにデイパック姿の私を見て、 おカミさんから「ご旅行ですか?」と声をかけられました。

      2. お客は他に一人でしたが、この店が大当たり。 いかにも京都らしい料理がどれも美味しく、 カウンターの隣席に来た若者と楽しく話がはずみました。 大満足で店を出ると、外は雨が降り出していました。

    1. 京都を歩く

      1. 最終日のあと私はもう一泊して日曜ゆっくり起き、 京都市内を少し歩いてから昼過ぎの新幹線で帰る予定です。

      2. いつもお土産を欲しがらない家内なのですが、 最近和服の着付けにはまっており 「匂い袋」をリクエストされていました。 Web で検索すると西本願寺の前に二つほど専門店があるようです。 ホテルから京都駅の途中にあり好都合でもあります。

      3. 堀川通りを歩いていけば西本願寺の前に出、 さらに真っすぐ行けば京都駅です。 それでは面白くないので、烏丸通りと堀川通りの間を縫うように ジグザグに歩いてみることにしました。

      1. 4月に吉原先生達と食事をしたカウンター8席だけの店 Daijo が途中にあり前を通ってみました。上がその写真です。

      1. 京都らしい店など発見する目的もありましたが、 このコースで収穫はほとんどナシです。 上の写真のような店を烏丸通りに出る直前でみつけましたが、 何の店なんでしょうね。よくわかりませんでした。

      1. 西本願寺の前には仏壇・仏具の店が沢山ならんでおり、 目的の「匂い袋」を売る店もその一角にありました。 上の写真「薫玉堂」です。お香や線香などの専門店でした。

    1. 京都駅から東福寺まで往復

      1. 京都駅に着くと汗びっしょりで さすがに足の疲労感も強くなっていましたが、 まだ午前11時なので重いデイパックをコインロッカーへ預け、 もうひと歩きすることにしました。 一昨年、昨年と東福寺の別院「光明院」を訪ねており、 今回もと考えたからです。

      2. 東福寺は京都駅の向こう側で、ちょっと距離がありそうです。 さすがに大分疲れており駄目なら帰りはタクシーを拾っても仕方がないか、 との覚悟で行ってみることにしました。

      3. 駅の向こうに側は、まったく色気のない市街地がずっと続きます。 ようやく鴨川を渡る橋に到達。 車道の両側に狭い歩道のついた面白みのない橋で、 太鼓状で先が見えないまま行けども行けども続きます。 10年ほど前、米国西海岸でおそらく脱水による軽い血栓症と思われる ひどい眩暈を経験しましたが、ふとその記憶が頭をよぎります。

      4. ようやく橋が終わり自動販売機をみつけて、まずは水分補給。 冷たいスポーツドリンクを一気に飲み干しました。

      5. ここがもう東福寺の一角のようです。 水分補給でやや元気も出ました。 クランク状の土塀を回ったところに、大きな立て看板で東福寺境内の地図がありました。 へえー、東福寺の境内には、こんなに沢山お寺があるんですねえ。

      1. 境内は写真のように目に染みるような緑と整頓された姿で、 充分な目の保養ができました。 両側には美しいお寺が沢山あり「東福寺は半日では回りきれない」 という案内書の記述に納得。 今度は家内を連れ、ゆっくり歩いてみたいものです。 京都は車でなく、自分の足で歩かなければわからないということが、 よくわかりました。

      1. 光明院は境内の一番端でしたが、 歩いてみるとそれほどでもありません。 上が光明院の庭の一部。 一昨年、初めて医師会の旅行で京都を観光旅行した際、 観光タクシーの運転手さんに「緑が奇麗で人の居ないところ」 とリクエストして連れてきてもらってから、大変気に入ってしまったお寺です。 いつも縁側に座って、 誰も居ない静けさと緑の雰囲気をしばらく楽しんでから帰っていますが、 今回は本堂の障子が閉まっており盛大に読経の声が聞こえていました。

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