1999.08 診療録等の電子媒体による保存について

わーくすてーしょんのあるくらし (20)

1999-08 大橋克洋

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この原稿が誌面に載る頃とは少し時期がずれてきますが、今、全 国の大勢のドクターが参加している「姫だるま」というメーリング リストで、電子カルテがらみの話題が盛り上がっています。参加メ ンバーはかなり多くなっているので、この雑誌の読者の中にもメン バーの方がいらっしゃることと思います。

この春に厚生省から「診療録等の電子媒体による保存について」 の通達が出ました。これについてちょっとした誤解もあるようなの で、その検討に多少関った一人として補足をしておきたいと思いま す。今月はちょっと固い内容になってしまいますが。 ちなみにこれから書くことは、あくまでも私の考えであって、 厚生省のお先棒をかつぐものではないことをお断りしておきます。

○ 真正性・見読性・保存性

厚生省の通達は、診療録やそれに付随するもの(例えば看護記録 や検査伝票、処方箋なども含まれると思います)の保存を、従来は 紙として保存しなければ診療記録として認められなかったわけです が、今度の通達では「一定の条件を満たせば電子媒体で保存したも のも診療記録として認める」というものです。

ここではその詳しい解説をするところではないので、簡単に書き ますが、その条件とは「真正性・見読性・保存性の3つを満たすこ と」となっています。 「真正性」とは、それが正しい診療記録であると認められるこ と、「見読性」は、必要な時にすぐ目でみて読むことができるこ と、「保存性」は、法定保存期間しっかり現状を保てること、とい うようなことを意味します。

ただこれだけでは、余りにもシンプル過ぎてわからないだろうと いうことで、ある程度方向性を示すものとしてガイドラインなるも のが添えてはあります。しかし、中でも「真正性」については、抽 象的で具体的にどうすればよいのかわからないという話は必ずある と思います。

今回の通達の中には、「具体的にどうやれば真正性があると認め る」とは一言も書いてありません。それについては各自、工夫して 考えなさいということなのです。電子化したことによる諸々の責任 も、あくまでも利用者側にあるということになっています。

○ 通達は「新たな規制」ではなく「従来の規制の緩和」

そのように逃げるのは、ずるい通達だと解釈される方もあるかと 思います。しかしそうではなくて、こう考えるべきではないでしょ うか。従来は「診療記録などの保存は紙でなければイカン」となっ ていたのですが、今回の通達は、「このままでは今後の電子化を阻 害する」と考えた厚生省が、その規制のワクをはずしたのです。

「とりあえずワクをはずしたから、後は利用者で考えなさい」と いうのは「逃げ」ととらえられがちですが、現在の技術では完璧に 真正性を保つような技術は確立されていません(ベラボーな費用を かければ別でしょうが)。従って、「走りながら考えることのでき る場を与えてあげよう」ということでしょう。

メーリングリストの中でも誤解されているのは、「それではすぐ にでも電子化しなければいけないのか。では、どうやればその三原 則をクリアできるのか教えてくれ」という意見でした。 そうではないと思います。ある程度のリスクを背負ってでも、こ れからの革新的な方向へ進みたい施設への道を開いてくれたので す。イヤな人は今まで通りで構わないのですから、何も心配するこ とはありません。

○ 自らをワクにはめることはない

また一般のドクターからは「厚生省なり、日医あるいは日医総研 等で電子カルテの「適マ-ク」のようなものを付けていただくよう にしてもらえるとありがたい」という意見もありました。 日本ではよくありがちな意見ですが、よく考えてみましょう。 希望通りに、もし何らかの規程が設けられたとしましょう。今後 の電子カルテの発達は、そのワク内でやらねばなりません。ところ がこのような未知の新しい分野では、現在考えも及ばないどのよう な可能性があるかわからないのです。

まず、何もワクをはめない状態で、各自の「創意工夫」と「自由 競争」による発展をうながし、それらが落ち着いて自然にスタン ダードが決まってきたころに、必要なら適切な基準を決める方が合 理的です。 最初からワクにはめてしまうと、受験戦争というワクにはめら れ自由な発想がなく、ワクに依存して主体性も応用性もない、これ からの日本人のようなものができてしまいます(言いすぎかな :-)

数年前に電子カルテ研究会が発足した時に、まず皆の意見が一致 したのは、今後しばらくは電子カルテには規制のワクをはめない 「何でもあり」の中で自由な発展をうながすべき、ということでし た。われわれとしては、厚生省がこのようなワクをはめないでくれ たこと、寛大な処置に感謝しなければならないと思います。

規制のワクは今後の電子カルテの発達を阻害する以外の何もので もないと思います。米国と日本の技術革新において、その差は歴然 としています。日本ではコンピュータのハードは発達してもソフト 特に OS がらみがまったく駄目なのは、このような体質にあると思 います(遊び心のあるゲームソフトの分野では、国際的にも高水準 に達しているのは皮肉なことです)。

日本は島国で外敵に攻められることもなく過ごしてきました。で すから、口では自由主義などと言っていても、かなり履き違いが あったりします。「自由」には自分で背負わねばならない「リス ク」と「責任」とが必ず共存しなければなりません。 「枠をはめてもらって、そのなかでヌクヌクと暮らすより多少の リスクは背負っても前向きに生きたい」と考える私は日本人的では ない? でも、私は本当は凄い国粋主義者なのですが。

○ 責任は利用者側にあり

診療記録を電子媒体へ保存することについて、お墨つきをもらっ たのは良いとして、では「実際に医事紛争などが発生した場合、ど うやって真正性を証明すればよいのか」、これは最初にまず私の頭 を横切った問題です。 前述のようにこれに関して具体的な回答は厚生省も出していませ ん。現時点では誰にもわからない問題だからです。

これについては、こう考えれば良いのだと思います。従来の紙の カルテでは、あらゆる責任は利用者にあった訳ですね。ですから電 子媒体になったからと言っても、それは全く同じことなのです。 「コンピュータ化されれば何か不可能なことができる」という、 コンピュータの神格化が現在にいたっても根強く残っていることを 感じさせられます。コンピュータだからと言って今まで不可能だっ たことを実現できるというケースは極めて少なくて、通常は単に今 までやっていたことをパワーアップしてくれるに過ぎません。

今後、2000年問題とならんでセキュリテイーや真正性の問題は、 コンピュータ関連企業のドル箱になるかも知れません。莫大な費用 をかけて実現しなければなりませんし、そのあげく現実にはちょっ としたことでモロクも穴があいて、今までかけた費用は何だったん だろうということで、多くの紛争も起こるかも知れません。この問 題はまさにキツネとタヌキの化かし合いのようなものですから。対 策を立てれば、それに対する抜け道も必ず作れるものです。

ポイントは、裁判になった時にどうやればこれは真正性がある」 と裁判官が「判断してくれるか」でしょう。その回答はコンピュー タ側のシステムの問題よりも、前にも書いたようにむしろ運用上の 問題にあるのだと思います。

○ 私はどうやってこれをクリアするか

では、私はどうするかをお教えしましょう。極めて簡単で、お金 のかからない方法でシンプルに解決してしまおうと思っています。 答を先に言ってしまうと、現在やっている方法ですが、一日の診 療が終わった時点で、本日のカルテ全てをプリンターで紙に打ち出 し、それにサインして従来からの紙のカルテに貼るのです。

紙のカルテは従来使ってきたわけですから問題ないはずです、そ の紙さえも改ざんされたかどうかとなると、これは先ほども述べた ようにどうやって裁判官が納得できる運用がされているかというこ とが重要なわけですが、従来の紙のカルテでもあった問題です。

つまり私は「法的な根拠となる診療録は紙に打ち出してサインを したもの」と割り切ってしまい、実際にはそちらを参照することは 殆どありませんから、紙とスペースを節約するため、虫眼鏡でなけ れば見えないような小さな活字で打ち出します。そして普段は、 もっとずっと便利な「電子カルテ」の方を使います。

「それは診療所だからできることであって病院規模では無理だし、 カルテ庫節約のメリットもない」という意見もあるでしょう。でも そこは工夫次第だと思っています。 「シンプル・イズ・ベスト」「下手な考え休むに似たり」という こともありますね。

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